2002/07/07 - 2002/07/17
10位(同エリア206件中)
Matt Yさん
- Matt YさんTOP
- 旅行記302冊
- クチコミ689件
- Q&A回答50件
- 893,889アクセス
- フォロワー145人
シリアは2002年7月に訪れました。その時はまだ旅行者的には平和で、温かい人たちに迎えられて楽しい旅行が出来ました。その時の旅行記というか個人的記録です。
前回のプロローグのシンガとトルコ編
https://4travel.jp/travelogue/11340484
に続きいよいよダマスカス到着です。
この時は長期の旅行で初めてデジカメを使いました。当時の安いデジカメは今と比べると恐ろしく反応が鈍かったり性能面ではまだまだ実用に耐えなかったり、画質も荒くメモリーカードも64MB しかないなどでした。よってもともとサムネイル級の大きさの画像でしかなかったりしますが、あしからず。
シリアでは沢山の人とふれあうことが出来(彼らからしたら暇な上にガイジンが珍しいということもありいじりたかったりするんでしょうけど)、沢山の笑顔に合うことが出来ました。
今の情勢には心が痛みますが、早く人々に笑顔が戻り、またこうやって旅行が出来る日が来て欲しいと願ってやみません。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- シンガポール航空 ターキッシュ エアラインズ
-
深夜0時ちょっと前のフライトだって言うのにガッツリ機内食。
そしてこの機内食が美味しかった!
で、深夜のダマスカスに到着。いやーはるばる感半端ないです。単に自ら好んで寄り道しただけど。
入国審査では母親の名前とイスラエルに行ったことがあるかを聞かれパスポートを全ページチェックされます。ビザは事前に申請してあることもあり、そのほかはあっさり通過。成田で預けてちゃんと届くか不安だった荷物もピックアップ。
時間が時間だけに(と言いつつこの空港は暑さを避けるためか夜中や夜逃げタイムとでも言いたくなる未明発着のフライトが多く、熱気に満ちていましたが)タクシーで最初の夜だけは予約していたホテルへ。
ターミナル出る時誰とはなしにwelcomeって言われます。
この後シリアで会った多くの人は英語も話せない人が多かったけど、唯一知っている単語がwelcomeなんじゃないのと思うほど、沢山のwelcomeにあいました。
インドとかで聞く騙す前提ののトモダチとかと違って、暖かく感じ、シリア訪問の一番の印象に残る言葉となったのですがその第1号がこの時でした。
その声を発した人の顔は覚えていないけど、その時のwelcomeの声は今でも覚えています。
さて初めてのアラブ圏で深夜到着でビビりまくっていたのですが、ベイルート←なんて看板に心躍りながらもダマスカス新市街のホテル(Fardos Tower)に到着したのはもう未明の3時頃。
予約をメールで依頼してもなかなか返事がこなく、結局来たのはシンガポール出発直前となったので本当に取れているか不安ではあったけど無事部屋はあって安眠できました。 -
これがあらかじめ取得しておいたシリアビザ。
後日これが原因でアメリカ入国時別室送りになりました。
(その時は1時間くらい追加質問受けた末入国は出来ましたが、かなりプレッシャーはかかりました) -
翌朝(いやもう昼前)起きて窓のカーテンを開けると正面にカシオン山!
これは感慨深かったです。 -
シリア入国後はアレッポとパルミラを回ることにしています。
せっかくなので鉄道でと思い、宿から数ブロックの距離にあるヒジャーズ駅へ向かいます。 -
アレッポへの寝台の切符ゲット。
しかし読めない... -
ここは元々はメディナまでを結んでいたヒジャーズ鉄道の駅だったので豪華でした。
今は都心までは線路はきておらず、郊外で止まっています。 -
このときは長年君臨していたパパアサドが亡くなってまだ日が浅く、パパアサドの肖像画が普通に掲げられ、アサドジュニアの写真を追加で掲げているところもある、程度な感じでした。
-
駅舎から駅前ロータリーを見たところ。
-
次に街への移動手段も確保したところで早速町歩き開始!
新市街は古いコンクリ製のビルが多く、昔よくテレビのニュースで見たベイルートの街(子供心に市街戦をやっているのが印象に残っていたので)に似ているなと思いました。 -
歩いてすぐの旧市街を歩くことにします。スーク・ハミディーエの有名なアーケードに心踊ります。
-
ダマスカスに来たら行くでしょー的なアイスクリーム屋でアイスクリームを。
-
店内はこんな感じ。
-
スーク・ハミディーエの先にはウマイヤドモスク。
ここもダマスカス行っていかない人はいない名所ですのでまず行ってみます。 -
履物を脱ぐので、中庭は床が熱い…
-
形状が違う三本のミナレットが印象的。
-
どこからどこまでがオリジナルかはわからないのですが、1200年の歴史の重さはさすがです。
凛とした緊張感がありますが、その割には寝っ転がって昼寝している人も多数。 -
ドームの天井。
-
ミフラーブはこんな感じ
-
-
ファサードに描かれた壁画が見事。
-
-
中庭全景
-
ウマイヤドモスクを出て旧市街歩きを再開します。
-
旧市街の風景
-
国立博物館を覗いて見ましたが、説明がアラビア語とフランス語のみでよくわからず
-
町歩きの方が楽しかったです。郊外へ向かうミニバスの群れ
-
新市街を歩いてみます。車の領が全然違う!
-
旧市街
-
旧市街の景色
-
夜行列車が乗るので、ハンマームでも入ろうかとバーブトゥーマハンマームへ。他に客が誰もいなくなんとなくあったかい、、、という程度の浴室。
こんなものかと悟りかけたところでリビアから来たというお客さんが来て蒸気を出すバルブを開けてくれあーそういうことだったのかとなった次第。
脱衣所のお兄さん。 -
バーブトゥーマ
-
モスクの外壁の水飲み場。乾いた土地でこういう設備を共同体で整備する事が支持されている一因なのではと推測。
-
時間になったのでホテルに預けてあった荷物を取りに行き、タクシーで鉄道の駅へ。
昔は都心のヒジャーズ駅まで乗り入れていたのだろけど今は町の入り口の駅から出るので、ホームがあるだけの簡易な施設しかないが、列車は入線しているのでそのまま乗り込みます。 -
寝台コンパートメントの様子。2人部屋だけど1人で占有できた形。
-
ダマスカスを夜出てアレッポには早朝つくスケジュールなので車窓はあまり楽しめなかったけど、アレッポ手前の風景。
-
見にくいけど暑さを避けるための伝統的な釣鐘状の民家も。
-
アレッポ駅に着いて歩き始めます。中央の三角の屋根がアレッポ駅。
-
アレッポ駅から旧市街を目指します。その途中にかなり大きな公園。
-
アレッポ市内のようす
-
アガサクリスティーも泊まったことがあるという歴史有るバロンホテルにウォークインでチェックイン。荷物を置いて散策開始です。
-
旧市街のスーク。
荷受にロバが使われていたりして中世に迷い込んだみたいでした。 -
旧市街のスーク
-
旧市街のスーク
-
旧市街のスーク。
-
旧市街のスーク
-
旧市街のスーク
-
-
キョフテをパンで挟んで食べるご飯。
-
レストランの店員さん
-
店番は子供も目立ちます。
-
旧市街の中心、アレッポ城まで来ました。ここで最大のプラニングの失敗が発覚。
アレッポを訪れたのは火曜日だったのですが、アレッポ城を含めて火曜日は観光施設がことごとく休館日だったということに気がつきます。
夜行列車明けで疲れたこともあり、仕方が無いのでチャイハネでお茶を何杯も飲んで過ごしてしまいました。 -
アレッポ城
-
グルグルチキン屋の前で記念撮影。
ガイジン自体珍しく暇をもてあましている人からよく声をかけられます。 -
グルグルチキン屋の前で写真を撮った一人が自分の家でも撮れと言うのでついていくと家内制工場のような縫製工場にお邪魔することに
-
品種改良していないからか小さなりんごを売っています。いいから食べていけと売り物を振舞われてしまいます。
歩いていてのどが渇いたので商店でミネラルウォーターを買おうとするとない、とのこと。しかし奥からコップに汲んだ水を出してくれました。正直お腹壊すのが怖くて水道水は飲まないことにしていましたが、この親切を断るわけにも行かず有り難く飲みました。 -
スイカ食べていきなよとここでもシリア人の優しさに触れられました。
-
恥ずかしそうな表情が、かわいい
-
アレッポの町並み
-
旧市街の常として歩いているうちに方角がわからなくなってしまう。
微妙に曲がっている道が多いからなのだが、突然畑が広がる所に出てしまい途方に暮れてしまった。 -
市場のように大量の玉葱を出荷する場所に迷い込んでしまいました。
この頃はGoogleマップなど有るはずもなく、ロンプラの地図の範囲外に出てしまうと毛どこに自分がいるのか分からなくなってしまいます。 -
大量のトマト
-
ここでもいじられます
-
道を聞くと旧市街の門の一つまで連れて行ってくれた青年。
本当に感謝感謝です。 -
旧市街の門にたどり着けました
-
旧市街を再び抜けてアレッポ城の所まで戻ってきます。
-
-
アレッポでもハンマームへ。
ダマスカスで入った、旧市街の住宅街の中に紛れていたような規模の庶民的なハンマームとは違い、ここはアレッポ城の隣にあり、うちは歴史が違いますぜと言わんばかりにオスマントルコ時代からある風格あり。
ちゃんと蒸気も沢山出ておりやっぱりこうでなくっちゃという感じ。トルコのような大理石の舞台のような台はなかったけどさっぱり出来ました。 -
-
夕食はこんな感じ
-
パン売りの少年がユーモラスだったことが記憶に残っています。
-
-
夜、寝た後、激しい下痢に見舞われました。
ミネラルウオーターだけ飲むはずが、好意の水道水を飲んでしまったからなのかは分からないが、とにかくトイレがお友達状態。
元々朝食付きだったのが勿体なかったけど、紅茶だけでも飲んで行ってとフロントに言われて飲むことに。
さすが伝統あるだけあって趣のある食堂でした。 -
施設は古いままだったけどスタッフは親切でした。
-
バスターミナルへ行き、ダマスカス行きのバスに乗ります。身分証のチェックがありパスポートを出し、首から下げるタイプのパスポート入れにしまおうとすると、、、無い!
パスポートはホテルにチェックインするときに預けさせるスタイルなので、チェックアウトの際に受け取りました。その時は面倒だったのでカバンに入れたのですが、ベッドサイドテーブルにパスポート入れを置いてきてしまったのでした。
パスポート入れにはサバイバル用現金300ドルと予備のクレカ、そして帰りの航空券が入っていました。いまでこそe-ticketになって航空券は保管する必要はなくなりましたが、この当時は赤いカーボンでクーポンが金券に等しく、無くすことは非常に大きな損害を意味したのでした。
忘れてきたことに気づいた頃はバスはもう扉がしまり出発のためバックを始めていた頃。
慌てて大声をあげ下ろしてもらうように頼みます。買ったバスは無効になるけどいいかと確認されたけどとりもなおさず下車し急いでホテルに戻ります。
ベッドサイドテーブルに置いたままの状態だったパスポート入れを発見した時はふーっと気が抜けてしまいました。
結局1時間後のバスに乗ることに・・・ -
アレッポ~ダマスカスの高速道路は意外にきちんと整備されていました。
-
ドライブインで休憩
-
お腹の中に何もなくなったせいか下痢はバスに乗ると止まったのは助かったけど、食べ物を胃に入れる元気はなし。
-
車窓は基本的に砂漠砂漠砂漠
-
車窓はひたすら砂漠。
ダマスカス到着後、パルミラ(町の名前はタドムール)を通るバスにすぐ乗換。 -
アレッポーダマスカス間以上にひたすら砂漠な車窓
-
夕方砂漠の中から突如建造物が現れたかと思うとタドムール到着。
途中降車の形なので道端で降ろされる。 -
遺跡は目の前にあったのでそのまま荷物を持ったまま遺跡巡り開始。
-
劇場。陵墓やベル神殿は有料だけど大部分の建物は出入り自由。
-
シンボルの列柱道路
-
ここではこの旅初めて日本人に会いました(それくらい少なかった)。
-
やがて日没。
-
この遺跡も内戦で破壊されたと伝えられていますが、どの程度なのか気がかりです。
-
-
遺跡で出会った子供
-
遺跡の脇に集落があり、適当な宿に泊まります。宿兼レストランのおにいさん。
-
宿の即席ツアーで翌朝は近くに散在するお墓を見にいきます。
-
お墓へ下っていくところ。
-
お墓の発掘には名前は忘れましたが日本の大学がお手伝いをしている、とのことでした。
-
レリーフも見事
-
その後遺跡で離団。遺跡のメインのベル神殿
-
しかしあまりに暑いのに日差しを遮るところなく、心折れてしまいます。
-
ベル神殿と列柱通りは道路を隔てて反対側とすぐ近くですが、その距離を移動するのすら億劫に感じるほどの暑さでした。
-
とはいえこの後何年かかけて中東の3Pと呼ばれるペトラ、ペルセポリスにも行きましたが、ここが一番コンパクトで、優美さという点ではお気に入りです。
戦乱による破壊が漏れ伝わってきますが果たして今はどうなっているか気がかり。 -
遺跡を見終わり、夕方にダマスカスに着くようお昼過ぎのバスでタドムールを発ちます。
と、ここでもやらかし。ホテルの部屋の鍵を持ってきてしまいました。気づいたホテルの少年がバス停まで自転車で追いかけてきてくれて気づくという有様。
そんなこんなでダマスカス行きのバスが通りかかったので乗車。今これを書いている時点でこの時のバスの冷房が壊れていて、灼熱地獄だった記憶が蘇ります。 -
夕方にダマスカスに到着。タクシーにパレスチナホテルというとパレスチナ難民のキャンプに連れていかれた…
-
仕切り直して旧市街の入り口のパレスチナホテルへ。
買い物客でごった返すアーケード -
ウマイヤドモスクの外壁で人間観察。
時々シャーイ売りが来るので喉の渇きを癒しながらまったりします。 -
親子で会話している様子が微笑ましい。
-
気がついたら暗くなってしまった、というくらいここでまったり。
-
旧市街を町歩き
-
お腹の具合も回復したのでフレッシュジュースにチャレンジ。美味しかったです。
-
今日は金曜日。土産物でも買おうと町を歩くと昨日あんなに賑やかだったのに見事にシャッター街。
イスラム圏は金曜日がお休みだったと忘れてた。仕方なく空いていた軍事博物館に行ってみる。建物はトルコ式の伝統あるモスクだったのを利用しているらしく趣があったが、展示品は見るべきみのはあまりなかった。
ただ中庭の木陰が居心地が良かった。 -
中庭でシャーイ(紅茶)をいただきながらのんびりしているとやがてシャーイ売りの少年にいじられる。
-
街中歩いているとジャッキーチェンの影響かチンチャンチョンとカンフーの真似付きでいじられますが、彼らからしたら東洋人は珍しいのでしょう。
-
-
博物館の外にいた兵隊さん。この国の軍人は割とゆるくて、これではイスラエルの相手ではない、いった雰囲気が漂って来ます。
-
パパアサドとアサドジュニアの肖像の並び
-
ダマスカス市内
-
ソフトクリームやジュースを売る町のオアシス。
-
ガイジンと見ると好奇心旺盛な子供達が寄ってきます。
が、この時はそばにいた大人に何か一喝されて脱兎のように逃げていきました。ふとその気になって見て見ると、所在無げに何をするでもない、でも目つきの鋭い男が1ブロックおきくらいに立っていることに気がつきます。
この国の安定はこういう秘密警察の監視網によって守られていることがわかった瞬間でした。 -
ちょうど髪が伸びたので床屋で切ってもらいました。
言葉は全く通じないけど身振り手振りで。敬虔なムスリムと言った人柄がにじみ出て来そうな風貌の床屋さんでした。 -
涼しくなって来たのでダマスカスのメジャーな観光地の一つでもあるアゼム宮殿も見学。
ここは見応え有りました。 -
その後近くのハンマームに入ります。
シリアでは都合3カ所入りましたが、ここが一番人が多くて活気がありまた快適でした。
ここの場所のせいなのか、金曜日だからなのかは分かりませんでしたが。。。 -
アサド親子の肖像。
トルコとシリアの違いは掲げられている肖像画が生きている人か死んでいる人かというのをどこかで読んだことがあるのですが、この時はシリアの方もお亡くなりになり、生きているジュニアが引き継ぐ、といった感じの時期でした。 -
夕闇が迫って来ましたがひたすら町歩き
-
日も沈み静まり返っている旧市街
-
バーブトゥーマの北側のキリスト教徒エリアに来てみると、静まり返っていたイスラムエリアとは違い、何ですかこの熱気は!同じ町でもこうも違うのかと驚き。
-
宗教による休日の違いというのは分かるのですがここまではっきり色分けされるとは思っても見ませんでした。
-
街の雰囲気が旧市街の重厚な雰囲気とは違い、活気ある感じ。
-
キリスト教教会もちゃんと有ります。
歩いていると通りかかった現地留学日本人に声をかけられ、彼の家に行って色々面白い話を聞けました。 -
フライトは4:05発。
夜行便と言うより空港泊早朝便といった感じ。 -
ダマスカス発イスタンブール行きは明け方発。
出発のときエンジンスタートしているのになかなか扉閉めないなと思ったら最後に整備士が乗ってドアクローズだった。ある意味自分の整備に一番責任を持っている整備士だと思ってしまった。
そしてそんな時間帯でもやっぱりがっつり出る機内食。 -
イスタンブール到着も帰国便はお昼なのでやっぱり空港脱出。も、眠すぎる。
適当にアクサライの駅まで来てみたが、広場のベンチで居眠りしてしまいました。 -
トルコは2000年に主目的地として訪問したことはあるのですが、その時見逃した地下宮殿を見学。
地下宮殿といっても水道施設で、知名度や入場料に対して大したことないな、という印象を持ったとしか記憶には残っていなかったり… -
こんな感じの空間がブルーモスクの立つ丘の下にあるとは、思いもつかないとは思いましたが・・・
-
ギュルハネ駅近くの坂を下りていくトラム。
このギュルハネって言葉の響きがなんとなく好き。 -
トラム通りを降りて行き、いかにも来たエミノニュのイェ二ジャーミーへ。
-
大好きなモスクなんです。中庭もいい感じ。
-
イェ二 ジャーミーのドーム天井。
-
タイルも美しい
-
モスク堪能すると御本尊というか大将も拝みたくなりブルーモスク(スルタン アフメットジャーミィ)へ移動して見学。
-
高いドームに覆われた荘厳な空間にうっとりです。
-
名残惜しいがイスタンブールに別れを告げることにし空港に戻ります。
-
お昼過ぎのシンガポール航空の便でイスタンブールを出ます。機内食の選択肢に羊があり、中東らしさがあり方機内食として非常に美味しかったといまだに覚えていたりします。
-
帰りは割と常識的な起きている時間にドバイに着いたので買い物でもと思って降りてみた。コーランの朗唱のCDなどを買いました。
-
ドバイ→シンガポール1食目の機内食。
-
チャンギ到着前の軽食。
-
なんだかんだ言って日本とは文化的に差が大きい中東を旅した後チャンギに戻ってくると、なんだかホッとしてしまいます。
-
成田行きの便まで乗り継ぎが約4時間あります。空港と町が近いシンガポールでは勿論空港脱出!
またドリアンでもと思ったのだが、ドリアン屋は深夜まで営業しているくせに朝はやっていなく残念・・・・仕方ながなくとなりの小規模フードコートでラクサを食べることに。 -
やっぱりシンガポールに来たらこれを食べないとね。
-
なんだかんだいって私にとってシンガポールはほっとさせてくれる町なんです。
-
ECPを通ってチャンギに戻ります。
-
シンガポール航空のジャンボで帰ります。シンガポール航空は747-400に、Mega Topって愛称をつけていました。
シンガポールから成田は今も昔もSQ12便。
当時は成田直行が朝発夕着と夜発朝着の1日2便で他にお昼前発の台北経由便が週4便ありました。この時は朝便直行の方。 -
定刻9:50発、離陸後の軽食
-
お昼過ぎに昼食。ダマスカスを出てから6つめの機内食。
ちょっと前同じ便に乗ったら機内食は一食になっていました。シンガポール→成田は6時間超なので1食だと正直お腹が空くんですが、この辺も比較してみると経費節減のご時世なんだな、としみじみ。
こうして無事成田帰着。
シリアでは最初にも書いたけど、英語が話せない人が唯一知っている単語といえばwelcomeなんじゃないかと思うほど、沢山のwelcomeという言葉に出会い、また言葉だけでなく、本当に親切な人が多かったです。
複雑な政治事情で今は内戦が起きているわけですが、軽薄な平和主義ではなんにもならないことは分かりつつも、早く内戦を収拾させ、少しでも無駄に命を奪う事がなくなるためになにか「上手く」いかないものか、と考えてしまいます。
シリアの人が訪れた人をwelcomeと迎えてくれる日が早く来ることを祈っています。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- クサポンさん 2018/03/29 18:17:56
- 平和が来ますように
- Matt Yさん
クサポンです
平和だった頃のシリア、貴重な写真ですね。素敵な遺跡や建物もあって、人々が笑顔で!女の人はいないですね^^;
あどけない笑顔の少年は兵士になってるのかと思うと心が痛みます。
以前、職場にシリアからの超美人の留学生が来ていてモテモテだったんです。彼女はシリア育ちだけど国籍は日本。留学に行けて友人に羨ましいと言われると言ってました。ビザとれないですものね。
あの建物や少年はどうなってるのかしら。ちょっと考える旅行記ありがとうございます。
- Matt Yさん からの返信 2018/03/31 16:12:27
- RE: 平和が来ますように
- 本当にシリアは「いい人」ばかりな国だっただけに、今の状況は一過性の事件とかでは無くずっと続いている状況なので、一日も早くなんとかならないかと思ってしまいます。
女の人は、確かに他の国と比べると歩いている人は少ないかもしれませんが、他のイスラム圏と比べると実際はたくさん歩いています。ただ男性のガイジンをいじってくるのはやはり男性に限られるのと、こちらも意識して女性は写さないようにしていました。
アレッポの旧市街もだいぶ爆撃で壊れたようで遺跡だけで無く旧市街そして何より人々の平和な暮らしが破壊されているのが心痛みますね。早くこの頃の笑顔が戻って欲しく、遅筆の私には珍しく一気に旅行記を書き上げました。
> Matt Yさん
> クサポンです
>
> 平和だった頃のシリア、貴重な写真ですね。素敵な遺跡や建物もあって、人々が笑顔で!女の人はいないですね^^;
> あどけない笑顔の少年は兵士になってるのかと思うと心が痛みます。
>
> 以前、職場にシリアからの超美人の留学生が来ていてモテモテだったんです。彼女はシリア育ちだけど国籍は日本。留学に行けて友人に羨ましいと言われると言ってました。ビザとれないですものね。
> あの建物や少年はどうなってるのかしら。ちょっと考える旅行記ありがとうございます。
-
- eperさん 2018/03/29 05:38:12
- 興味深かったです
- Matt Yさん はじめまして。
最近親しくしているご家族がパパさんがシリアの方で良く話を聞く機会がありますが、知識不足でなかなかイメージ湧かず。
平和だった頃のシリア旅行記におもわず、飛びつきました!^^
神殿がとても立派で大変驚きました。湾岸と違い歴史を感じますね。
アラブの方は本当に優しいですよね。バーレーンで暮らして居ましたがベビ連れ外出時は毎回10人くらいには抱っこしてもらっていました^ ^アラブでの生活も懐かしく思い出されました。
本当に早く平和が訪れて欲しいですね。ただいまサラエボ暮らし、自宅前にも激しい弾痕の残る家もあり戦争については日々考えさせられます。
そうそうパスポートあって良かったですね!中東は戦争は昔からあるけれど犯罪は警察国家だから昔から無いと夫のボスがよく話していました。
いろいろな事も思い出された旅行記、感慨深く拝見しました。御礼まで。
eper
- Matt Yさん からの返信 2018/03/31 09:19:20
- RE: 興味深かったです
- 初めまして、私の拙い旅行記読んでくださってありがとうございます。
シリアは平和だった頃もあまり観光客が多く訪れる国ではなかったですが、味のある旧市街と暖かい人々のお陰でよく記憶に残る国でした。背景に複雑な国際情勢や人の心に関わる宗教的対立があるので、外部から軽々しくは言えませんが、今の状況は間違いなく全員が不幸な状況ではあるので、知恵でなんとかならないものかとは思ってしまいます。
あの神殿もほぼ完全に破壊されてしまったようで何とも言えない怒りを覚えます。喧嘩するなら表でしろ!とは言いたいところですが…
サラエボにお住まいとのことで、ユーゴも本当にあの過程もっとうまくできなかったのかなと思ってしまいますよね。第2のユーゴ、シリアが生まれないようになって欲しいものです。
宿に忘れたのはパスポート本体ではなくパスポート入れだったんですが、航空券等価値は財布の中身よりも全然あるくらいだったので、そのまま置いてあったのは本当助かりました。同僚が同じような状況で30分で気がつき戻ったけどもう無くてホテルにもシラを切られたという話を聞いたばかりだったので、そのままの状態であったのを見たときは半泣き状態でした。
パスポートなどを常備状態から移している時は要注意だと思いましたが、その後の旅でも時たまやらかしております…
> Matt Yさん はじめまして。
>
> 最近親しくしているご家族がパパさんがシリアの方で良く話を聞く機会がありますが、知識不足でなかなかイメージ湧かず。
> 平和だった頃のシリア旅行記におもわず、飛びつきました!^^
>
> 神殿がとても立派で大変驚きました。湾岸と違い歴史を感じますね。
> アラブの方は本当に優しいですよね。バーレーンで暮らして居ましたがベビ連れ外出時は毎回10人くらいには抱っこしてもらっていました^ ^アラブでの生活も懐かしく思い出されました。
>
> 本当に早く平和が訪れて欲しいですね。ただいまサラエボ暮らし、自宅前にも激しい弾痕の残る家もあり戦争については日々考えさせられます。
>
> そうそうパスポートあって良かったですね!中東は戦争は昔からあるけれど犯罪は警察国家だから昔から無いと夫のボスがよく話していました。
>
> いろいろな事も思い出された旅行記、感慨深く拝見しました。御礼まで。
>
> eper
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ダマスカス(シリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
150