2018/02/16 - 2018/02/17
422位(同エリア1347件中)
芦花さん
愛媛旅行2日目は、料理がとっても美味しい大和屋別荘に泊まり、道後の湯を楽しみつつ、昔ブラタモリで紹介していた伊佐庭如矢(いさにわともや)氏の道後温泉の街づくりと加藤嘉明氏の松山の街づくりの様子を現地で実感してきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
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大洲城から大和屋別荘直行。
ぜいたくにも抹茶とポンジュースとJAL国内線のファーストクラスのお茶菓子にも採用されたという大和屋オリジナルの「おやき」いただきました。
トマト味です。 -
部屋からは松山城も見える
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内湯も温泉です。ビューバスなので気持ち良いと思います。
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何気につくばいがあって、水の落ちる音が、お部屋のBGMになっている。
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旅館の中庭
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温泉の入り口にある『湯』
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誰もいなかったので。こそっと撮影
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脱衣所も。
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風呂上がりには、無料ビールサーバーでビールが飲めるサービス。私が泊まった温泉旅館の中では初めてのサービス。無料缶ビールはありましたが。。。
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ここはお料理が美味しい。量より質重視という控えめコースにしてもらいました。
部屋食なのに、熱いものは熱く、ちゃんとしています。
八寸もイカの塩辛やら、お浸しやら、ナマコ酢やら、しっかり仕込んである。 -
中に氷が入ってる、とても素敵な冷酒の容器
小富士(吟醸)という愛媛県の地酒。東京方面の居酒屋では見たことないが、通販で買いたいぐらい旨味があって美味しい。 -
チェイサーとともに
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お刺身は、サヨリ、真鯛、カンパチ。
どれも質が高い。食感と旨味のバランス良い寝かせ方。
特に真鯛は、厚切りでしっかり食べられる -
カンパチも身が生き生きとしている
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若竹煮です
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熱燗は、こんな感じ。素敵なお銚子です。
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さわらの幽庵焼き
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鯛の蒸し物
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最後のご飯も、地元のお米らしいが、愛媛県も美味しいお米ありますね。
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食後に、ちょっと夜の散策。
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道後温泉本館は歩いて数分。
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駅前のアーケードを通り
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本館に辿り着く。
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窓の明かりが、色とりどりで幻想的。
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道後湯之町です。
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旅館内の何気ない絵画がよかったので思わず撮影
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そして朝食は、シャケの塩焼き、湯豆腐、イカのお造り、だし巻き卵のようなオーソドックスなものに加え、みかんがついているのも面白い。
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そして朝食後に道後温泉本館へ。
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浴場には「坊っちゃん入るべからず」の看板が本当にあります。
坊ちゃんが浴槽で泳いでいたために、そのあと「湯船で泳ぐべからず」というはり札を貼ったというエピソードから、この看板をつけたとのこと。 -
お風呂のみだと410円。男性風呂は、大きな風呂が二つあって、両方とも入ってみました。
なんと学生時代以来なので、33年振りですが、全て源泉掛け流しで湯釜からドクドクと湯が豊富に湯船に供給されるので、人がたくさん入ってても全然問題ない。 -
ブラタモリでやっていた通り、道後温泉は断層の脇にあって近くの高台からこうやって撮影できる。
近くに火山もないのになんでこの地に温泉が昔から出るのか不思議だったのですが、ブラタモリによると、ちょうど断層の割れ目からマグマに熱せられた地下水が、地上に近い場所まで上昇してきたのがその理由らしい。 -
隅川雄二さんの道後温泉のポスターもオシャレ。
明治時代、伊佐庭如矢町長が多額のお金を費やして「100年、どこにも真似できない建物を」とのことでこの本館を増改築。
その借金も周りの住民からも、永久無料券などを配って調達するなど、したらしい。今年から改修に入るとのことで飛鳥乃湯泉を昨年秋に新築 -
松山出身の早坂暁による坊ちゃんの碑
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こちらがオープンした飛鳥乃湯泉ですが、利用せず。ここのほか椿の湯というのもあります。つまり共同浴場は計3件。
でもやっぱり風情にある本館に行ってしまいますね。 -
チャックアウト後、加藤嘉明の松山の街づくりにとって、重要な場所に行ってみた。
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ここは、扇状地で湿地帯の地域の洪水を防ぐため、石手川を人力で鑿で削って流れを西南に向け、重信川に合流させたという。
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水もきれいですが、こんな様子です。
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そして市内に入り、ロープウエイで松山城に登る。
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石垣が高く、奥に天守を望む
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本丸から松山市街と四国山地、石鎚山。
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この季節ならではの梅と天守
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こちらも
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天守は、小天守と2つの櫓で四角形の連立型。
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実際に加藤嘉明が着用していたという鎧。現存してるんですね。
「松山」という地名も彼が命名したんです。まさに松山産みの親。
そもそもこの地域は道後温泉のエリアが中心だったそう。それを秀吉の家来だった義明が、徳川によってこの地を与えられ、治水して灌漑して街を作って城を造った、と思ったら、次は徳川から会津に移封されてしまう。一応加増だったそうだが、これは徳川幕府のリスクヘッジだったのか。 -
そして大天守から本丸を望む
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こっちは道後温泉の方。
宿泊した大和屋別荘も遠くに見えました。 -
こちらは四国山地の雪化粧。さっきよりもうちょっとアップで。
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下山した後、三津浜に向かう。
ここから港町まで運河というか川があって、ここまで物資を運んでいたそう。ブラタモリの追っかけです。 -
ここには松山の玄関として、栄えていたそう。
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そして市内に戻り、坂の上の雲ミュージアムに行く道と同じ道を登り、晩翠荘へ。
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松平家改め久松家が建築。フランス生活の長かった久松定謨が、帰国してフランスルネサンス様式の邸宅を造ったというのがこれですが、当時の皇太子の昭和天皇が松山に来るというので、建築を急がせ、昭和天皇「皇太子」時代に数日間宿泊したらしい。
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ステンドグラスもフランス風?
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帰りにミュージアムも記念撮影(安藤忠雄氏設計)。
狭い空間にきれいに三角に収まってる感じでした。
50万都市の松山も加藤嘉明が徳川にこの地を与えられて生まれたのですが、その次の次に封じられた松平家(旧姓 久松家)が、面々とこの地を治め、子孫も愛媛県知事になったというから、お上の影響が大きい街が松山という地なのかなと思った次第。
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