アディスアベバ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
地球上で最も過酷な地・・と言われているダナキル砂漠と北エチオピアの歴史ある都市を、13日間のツアーにて巡ってきました。日程は下記。<br />1月12日 成田→香港経由→アジスアベバ<br />1月13日 アジスアベバ→バハルダール(泊)<br />1月14日 バハルダール→コンダール(泊)<br />1月15日 コンダール→空路→ラリベラ(泊)<br />1月16日 ラリベラ滞在 (泊)<br />■1月17日 ラリベラ→空路→アジスアベバ(泊)<br />1月18日 アジスアベバ→空路→アクスム(泊)<br />1月19日 アクスムにてティムカット祭→メケレ(泊)<br />1月20日 メケレ→アハメッド・エラ(テント泊)<br />1月21日 アハメッド・エラ→エルタ・アレ山頂(野天泊)<br />1月22日 エルタ・アレ山頂→メケレ(泊)<br />■1月23日 メケレ→空路→アジスアベバ<br />1月24日 アジスアベバ→香港経由→成田<br /><br />この旅行記は、エチオピアの首都アディスアベバを掲載します。<br />表紙の写真は、エチオピアで最も大きい三位一体大教会。<br />

ダナキル砂漠と北エチオピアを訪ねる・・・・・アディスアベバ

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2018/01/12 - 2018/01/24

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地球上で最も過酷な地・・と言われているダナキル砂漠と北エチオピアの歴史ある都市を、13日間のツアーにて巡ってきました。日程は下記。
1月12日 成田→香港経由→アジスアベバ
1月13日 アジスアベバ→バハルダール(泊)
1月14日 バハルダール→コンダール(泊)
1月15日 コンダール→空路→ラリベラ(泊)
1月16日 ラリベラ滞在 (泊)
■1月17日 ラリベラ→空路→アジスアベバ(泊)
1月18日 アジスアベバ→空路→アクスム(泊)
1月19日 アクスムにてティムカット祭→メケレ(泊)
1月20日 メケレ→アハメッド・エラ(テント泊)
1月21日 アハメッド・エラ→エルタ・アレ山頂(野天泊)
1月22日 エルタ・アレ山頂→メケレ(泊)
■1月23日 メケレ→空路→アジスアベバ
1月24日 アジスアベバ→香港経由→成田

この旅行記は、エチオピアの首都アディスアベバを掲載します。
表紙の写真は、エチオピアで最も大きい三位一体大教会。

旅行の満足度
4.0
ホテル
4.5
グルメ
4.5
同行者
一人旅
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • ダナキル砂漠と北エチオピアを訪ねる・・・ラリベラ編のつづきです。<br /><br />1月17日 ラリベラの朝です。この日は、ラリベラから空路アジスアベバに戻り、昼食の後市内観光の予定です。ホテル出発は、8時30分なので、朝食の後再びホテル周辺を散策します。<br />これは丘上から眺めた早朝の聖ゲオルギス教会です。昨日はツアーにて入場しましたが、再入場しようと思い階段を降りかけたところ、旅行者は入場料を支払え・・と・・・オジサンに言われたので引き返します。

    ダナキル砂漠と北エチオピアを訪ねる・・・ラリベラ編のつづきです。

    1月17日 ラリベラの朝です。この日は、ラリベラから空路アジスアベバに戻り、昼食の後市内観光の予定です。ホテル出発は、8時30分なので、朝食の後再びホテル周辺を散策します。
    これは丘上から眺めた早朝の聖ゲオルギス教会です。昨日はツアーにて入場しましたが、再入場しようと思い階段を降りかけたところ、旅行者は入場料を支払え・・と・・・オジサンに言われたので引き返します。

  • 8時30分 <br />ホテルから高原地帯を下ってラリベラ空港に向かいます。

    8時30分 
    ホテルから高原地帯を下ってラリベラ空港に向かいます。

  • 9時過ぎ ラリベラ空港着。<br />エチオピアの空港は、空港ビルに入る際と搭乗前の2回、手荷物検査が行われます。ここで、添乗員が手荷物に入れていたイヤホンガイド用送信機2台が没収されてしまいます。彼がいろいろと説明しましたが、受け入れてもらえず、パイロット預かりとか・・・。添乗員曰く、こんなこと初めてですって・・・。

    9時過ぎ ラリベラ空港着。
    エチオピアの空港は、空港ビルに入る際と搭乗前の2回、手荷物検査が行われます。ここで、添乗員が手荷物に入れていたイヤホンガイド用送信機2台が没収されてしまいます。彼がいろいろと説明しましたが、受け入れてもらえず、パイロット預かりとか・・・。添乗員曰く、こんなこと初めてですって・・・。

  • 10時40分 没収騒ぎで時間をとられましたが、アジスアベバ行きET120便に搭乗します。機内は外人観光客らでほぼ満席です。

    10時40分 没収騒ぎで時間をとられましたが、アジスアベバ行きET120便に搭乗します。機内は外人観光客らでほぼ満席です。

  • 上空から見るラリベラ周辺です。<br />山岳地帯で、奥に巨大な岩が見えています。こんな地形だから、岩窟教会を造ろうという発想が生まれたのかもしれません。

    上空から見るラリベラ周辺です。
    山岳地帯で、奥に巨大な岩が見えています。こんな地形だから、岩窟教会を造ろうという発想が生まれたのかもしれません。

  • 11時40分 アジスアベバに到着。<br />空港到着後に、パイロット預かりとなったと言う送信機を受け取りに交渉するも、話が通じていなくてウヤムヤ、やっぱり・・・です。<br /><br />アディスアベバ空港は、ただ今、中国企業により拡張工事が進行中です。

    11時40分 アジスアベバに到着。
    空港到着後に、パイロット預かりとなったと言う送信機を受け取りに交渉するも、話が通じていなくてウヤムヤ、やっぱり・・・です。

    アディスアベバ空港は、ただ今、中国企業により拡張工事が進行中です。

  • 車が渋滞する大都会に戻ってきました。これまで訪れた地方の町とは違う騒々しい町の風景です。

    車が渋滞する大都会に戻ってきました。これまで訪れた地方の町とは違う騒々しい町の風景です。

  • 高速道路や近代的なビルが並ぶアジスアベバの中心。<br />アジスアベバは人口約400万人、標高2300m~2500mの高原にある大都会です。

    高速道路や近代的なビルが並ぶアジスアベバの中心。
    アジスアベバは人口約400万人、標高2300m~2500mの高原にある大都会です。

  • 町中に新しい高層ビルがいくつも建設中です。看板を見るとそのほとんどが中国企業の請負です。そういえば、アジスアベバに向かう飛行機は、成田から香港間は、ガラガラだったのに、香港からは大勢の中国人労働者が乗り込んで来て、満席状態でした。

    町中に新しい高層ビルがいくつも建設中です。看板を見るとそのほとんどが中国企業の請負です。そういえば、アジスアベバに向かう飛行機は、成田から香港間は、ガラガラだったのに、香港からは大勢の中国人労働者が乗り込んで来て、満席状態でした。

  • ビルが並ぶ繁華街。

    ビルが並ぶ繁華街。

  • ビルが並ぶ繁華街。

    ビルが並ぶ繁華街。

  • ビルの4階にある中華料理店でランチをとります。中国人労働者が多いので商売になるのでしょう。

    ビルの4階にある中華料理店でランチをとります。中国人労働者が多いので商売になるのでしょう。

  • 四川料理と称する中華をツアー客7人でシェアーして食します。これまでのエチオピアの食事に比べてず~と美味しい・・・皆さん食が進みます。

    四川料理と称する中華をツアー客7人でシェアーして食します。これまでのエチオピアの食事に比べてず~と美味しい・・・皆さん食が進みます。

  • この日は水曜日、ウィークディーの日中ですが、地元の人達が参道の両側で休憩中のようです。<br />地元の人達にジロジロ見られながら、参道を歩いて三位一体大聖堂に向かいます。

    この日は水曜日、ウィークディーの日中ですが、地元の人達が参道の両側で休憩中のようです。
    地元の人達にジロジロ見られながら、参道を歩いて三位一体大聖堂に向かいます。

  • 三位一体大聖堂に来ました。明日から行われるティムカット祭の飾り付けがされています。<br />エチオピアでは2番目に大きい(1番目は後日訪問予定のアクスムにあるシオンの聖母大聖堂)教会だそうです。

    三位一体大聖堂に来ました。明日から行われるティムカット祭の飾り付けがされています。
    エチオピアでは2番目に大きい(1番目は後日訪問予定のアクスムにあるシオンの聖母大聖堂)教会だそうです。

  • 教会前の草地に、教会の聖職者らの新しい像が並んでいます。

    教会前の草地に、教会の聖職者らの新しい像が並んでいます。

  • 教会前広場にも大勢の人の姿があります。<br />ガイドのマルさんに聞けば、教会でこれから行われる有力者の葬儀に参列する人達だとか。

    教会前広場にも大勢の人の姿があります。
    ガイドのマルさんに聞けば、教会でこれから行われる有力者の葬儀に参列する人達だとか。

  • この大聖堂は、1941年、対イタリアとの戦勝を記念して、ハイレ・スラシェ1世によって建造されました。

    この大聖堂は、1941年、対イタリアとの戦勝を記念して、ハイレ・スラシェ1世によって建造されました。

  • 大聖堂の外陣は、聖人らの像が並んでいて、ヨーロッパの教会と同じような様式です。

    大聖堂の外陣は、聖人らの像が並んでいて、ヨーロッパの教会と同じような様式です。

  • 大聖堂の中に入ります。<br />天井が高く、ラリベラで見た岩窟教会とは違い、洗練された格式ある造りです。

    大聖堂の中に入ります。
    天井が高く、ラリベラで見た岩窟教会とは違い、洗練された格式ある造りです。

  • 旧新約聖書をモチーフにしたステンドグラスが美しい。<br />こちらは、アダムとイブのエデンの園でのステンド グラス。

    旧新約聖書をモチーフにしたステンドグラスが美しい。
    こちらは、アダムとイブのエデンの園でのステンド グラス。

  • 祭壇脇の壁面は、イタリアとの戦いに勝利して国旗を掲げるシーンが描かれています。

    祭壇脇の壁面は、イタリアとの戦いに勝利して国旗を掲げるシーンが描かれています。

  • 正面の祭壇奥、皇帝ハイレ・セラシエ1世とその妻の大きな棺が安置されています。

    正面の祭壇奥、皇帝ハイレ・セラシエ1世とその妻の大きな棺が安置されています。

  • バスで少し移動して、エチオピア国立博物館に来ました。<br />

    バスで少し移動して、エチオピア国立博物館に来ました。

  • この博物館の目玉、エチオピアで発見された、320万年前の猿人の骨の化石「ルーシー」です。<br />チンパンジーに近い体型で、身長は105cm、体重は25kg。直立歩行しておりました。

    この博物館の目玉、エチオピアで発見された、320万年前の猿人の骨の化石「ルーシー」です。
    チンパンジーに近い体型で、身長は105cm、体重は25kg。直立歩行しておりました。

  • ルーシを足元側から。

    ルーシを足元側から。

  • ルーシーの骨格標本を繋いだスケルトン。

    ルーシーの骨格標本を繋いだスケルトン。

  • 膝関節の小さな骨やら人体の一部分の骨等。

    膝関節の小さな骨やら人体の一部分の骨等。

  • 約16万年前の人間、ホモサピエンスの頭蓋骨。現代人よりも頭でっかちです。<br /><br />これらの化石は、人類発祥の地は、エチオピア・・・との証です。

    約16万年前の人間、ホモサピエンスの頭蓋骨。現代人よりも頭でっかちです。

    これらの化石は、人類発祥の地は、エチオピア・・・との証です。

  • 第二次世界大戦中にイタリア人が盗んだというハイレ・セラシア1世の王座。<br />1972年に戻ってきました。

    第二次世界大戦中にイタリア人が盗んだというハイレ・セラシア1世の王座。
    1972年に戻ってきました。

  • 飢餓時代の様子を伝える絵画。<br />エチオピアの主要産業は農業ですが、かって、干ばつなどで農作物が不作の時には、飢饉が起きたりしました。エチオピア政府にとって、食料政策は、エイズの問題とともに大事な課題のようです。

    飢餓時代の様子を伝える絵画。
    エチオピアの主要産業は農業ですが、かって、干ばつなどで農作物が不作の時には、飢饉が起きたりしました。エチオピア政府にとって、食料政策は、エイズの問題とともに大事な課題のようです。

  • 博物館敷地内に展示されている石像。<br />皇帝ハイレ・セラシエ1世が青年将校の前でメッセージをしている様子でしょうか。

    博物館敷地内に展示されている石像。
    皇帝ハイレ・セラシエ1世が青年将校の前でメッセージをしている様子でしょうか。

  • こちらは、メキシコから送られたという頭部石像。

    こちらは、メキシコから送られたという頭部石像。

  • 独立記念塔のあるロータリーを通過してエントット山に向かいます。

    独立記念塔のあるロータリーを通過してエントット山に向かいます。

  • 道路沿いに露店が並ぶ通りを通過します。大勢のお客さんが店を覗き込んでいて、道は大渋滞です。

    道路沿いに露店が並ぶ通りを通過します。大勢のお客さんが店を覗き込んでいて、道は大渋滞です。

  • エントット山に到着。

    エントット山に到着。

  • 標高3000m程の丘から眺めるアディスアベバの市街地です。<br />霞んでいて良く見えませんが・・・・。

    標高3000m程の丘から眺めるアディスアベバの市街地です。
    霞んでいて良く見えませんが・・・・。

  • アディスアベバでの宿泊は、HOTEL JUPITER。一人では広すぎます。<br /><br />翌日1月18日は、アジスアベバから空路、テムカット祭が行われるアクスムに向かいます。<br />アクスム編は、別に旅行記を作成します。<br />

    アディスアベバでの宿泊は、HOTEL JUPITER。一人では広すぎます。

    翌日1月18日は、アジスアベバから空路、テムカット祭が行われるアクスムに向かいます。
    アクスム編は、別に旅行記を作成します。

  • ここから旅行記は、1月21日にスキップします。<br /><br />この日、エルタ・アレ山火山からのトレッキングを終え、ランチの後、ダナキル砂漠を移動中のところ、youらが乗っている4WDが、ダナキル砂漠の砂地にはまり、完全にスタックしてしまいます。救援に来た他の4WDもワイヤーで牽引中に同じようにスタックしてしまいます。男性ツアー客を含む皆で、砂まみれになりながら悪戦苦闘すること5時間・・・それでも脱出できないまま、とうとう日が暮れてしまいました。<br />翌日は朝の便で、メケレからアディスアベバに戻る予定なので、砂漠で夜を明かすわけにはゆかないのですwww。

    ここから旅行記は、1月21日にスキップします。

    この日、エルタ・アレ山火山からのトレッキングを終え、ランチの後、ダナキル砂漠を移動中のところ、youらが乗っている4WDが、ダナキル砂漠の砂地にはまり、完全にスタックしてしまいます。救援に来た他の4WDもワイヤーで牽引中に同じようにスタックしてしまいます。男性ツアー客を含む皆で、砂まみれになりながら悪戦苦闘すること5時間・・・それでも脱出できないまま、とうとう日が暮れてしまいました。
    翌日は朝の便で、メケレからアディスアベバに戻る予定なので、砂漠で夜を明かすわけにはゆかないのですwww。

  • 1月22日 メケレのホテルの朝です。<br />昨夜は、最終的に砂にはまった2台の4WDを砂漠に残し、残り1台の4WDにツアー客7人、ガイドと添乗員が乗り、荷物は屋根に載せて暗闇の中をかろうじて砂漠を脱出しました。その後、山岳地帯を5時間ドライブして、24時過ぎにメケレのホテルに辿り着きました。<br />ホテルにて、遅い夕食をとり、冷たいシャワーで砂にまみれた体を洗い、荷づくりなどして、3時に床に着き、3時間ほど睡眠をとって6時に起床します。<br />前日夜はエルタ・アレ火山山頂で3時間の仮眠、その前の日は強風の下でのテント泊で熟睡できていなかったので、睡眠不足が3日間続いたことになります。<br />あ~あ、これはシニアにとって、過酷のツアーだわぁ~。<br />ダナキル砂漠とエルタ・アレ火山編は別に旅行記を作成します。

    1月22日 メケレのホテルの朝です。
    昨夜は、最終的に砂にはまった2台の4WDを砂漠に残し、残り1台の4WDにツアー客7人、ガイドと添乗員が乗り、荷物は屋根に載せて暗闇の中をかろうじて砂漠を脱出しました。その後、山岳地帯を5時間ドライブして、24時過ぎにメケレのホテルに辿り着きました。
    ホテルにて、遅い夕食をとり、冷たいシャワーで砂にまみれた体を洗い、荷づくりなどして、3時に床に着き、3時間ほど睡眠をとって6時に起床します。
    前日夜はエルタ・アレ火山山頂で3時間の仮眠、その前の日は強風の下でのテント泊で熟睡できていなかったので、睡眠不足が3日間続いたことになります。
    あ~あ、これはシニアにとって、過酷のツアーだわぁ~。
    ダナキル砂漠とエルタ・アレ火山編は別に旅行記を作成します。

  • 7時30分 メケレのホテルから約30分で空港には到着。<br />メケレの空港前は、昨日の砂漠脱出劇がウソだったかのように閑散としています。

    7時30分 メケレのホテルから約30分で空港には到着。
    メケレの空港前は、昨日の砂漠脱出劇がウソだったかのように閑散としています。

  • 8時50分 アジスアベバ行きに搭乗。

    8時50分 アジスアベバ行きに搭乗。

  • 10時過ぎ アジスアベバに到着。約1時間・・爆睡しました。<br /><br />帰国便がこの日の夜22時過ぎの出発なので、早目のランチをとった後、夕方までの間アジスアベバ観光をします。

    10時過ぎ アジスアベバに到着。約1時間・・爆睡しました。

    帰国便がこの日の夜22時過ぎの出発なので、早目のランチをとった後、夕方までの間アジスアベバ観光をします。

  • 青いドーム屋根のモダンな造りの教会が見えます。

    青いドーム屋根のモダンな造りの教会が見えます。

  • 13時過ぎ この幹線道路を通って、アディスアベバから郊外約90Km南西にある世界遺産のティヤ遺跡に向かいます。

    13時過ぎ この幹線道路を通って、アディスアベバから郊外約90Km南西にある世界遺産のティヤ遺跡に向かいます。

  • 14時30分 ティヤ遺跡に到着。<br />この付近は牧草地帯ですが、多数の石碑が発見されそれらが、1980年に世界遺産に登録されました。

    14時30分 ティヤ遺跡に到着。
    この付近は牧草地帯ですが、多数の石碑が発見されそれらが、1980年に世界遺産に登録されました。

  • 石碑が立ち並ぶ場所に来ました。<br />これらの石碑は、14~15世紀に作られたもののようです。

    石碑が立ち並ぶ場所に来ました。
    これらの石碑は、14~15世紀に作られたもののようです。

  • 石碑の周辺には多くの墓石も見られ、かって葬儀が執り行われた場所とも考えられています。

    石碑の周辺には多くの墓石も見られ、かって葬儀が執り行われた場所とも考えられています。

  • こちらの石碑の表面には、剣の模様が彫られています。剣の意味は「殺した敵」の数だそうです。

    こちらの石碑の表面には、剣の模様が彫られています。剣の意味は「殺した敵」の数だそうです。

  • こちらは「ドラム」を形どったとされる石。

    こちらは「ドラム」を形どったとされる石。

  • 倒れた状態の石像ですが、元は立てられており、のっぺらぼうの顔が上部にあり、胴体には乳房が彫られています。

    倒れた状態の石像ですが、元は立てられており、のっぺらぼうの顔が上部にあり、胴体には乳房が彫られています。

  • 遺跡博物館に入ります。<br />これらは、ティヤ遺跡以外の場所で発見された石碑の写真。

    遺跡博物館に入ります。
    これらは、ティヤ遺跡以外の場所で発見された石碑の写真。

  • 18時30分<br />夕食レストランのある複合ビルに来ました。ここでツアー最後の晩餐となります。

    18時30分
    夕食レストランのある複合ビルに来ました。ここでツアー最後の晩餐となります。

  • レストランは絵画ギャラリーになっています。夕食の合間にエチオピア絵画も楽しめました。<br /><br />ダナキル砂漠と北エチオピアを訪ねる・・・・アクスムとテムカット祭編につづく。

    レストランは絵画ギャラリーになっています。夕食の合間にエチオピア絵画も楽しめました。

    ダナキル砂漠と北エチオピアを訪ねる・・・・アクスムとテムカット祭編につづく。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • pedaruさん 2018/03/03 05:10:19
    悪戦苦闘
    youさん おはようございます。

    youさんの旅もたまには大変な目にあうこともあるのですね。
    援軍を要請しても、次々と沈没、脱出しました、というおちかと思いましたが、車はおいて辛うじての脱出劇でしたか?

    これも旅の貴重な経験、ツアーの仲間の連帯もさぞや強まったことでしょう。

    pedaru

    you

    youさん からの返信 2018/03/03 22:33:46
    Re: 悪戦苦闘
    pedaruさん こんばんは。

    旅行にトラブルは付きものですが、命にかかわるような致命的なものでなければ、それはそれで、思い出深い旅になりますよね。
    今回の砂漠のアリ地獄脱出劇も、今になって見れば、砂まみれの楽しい経験でした。

    大変だったのは、多分砂漠に取り残されたドライバーや護衛の兵士らでしょう。携帯もつながらない、漆黒の暗闇砂漠で一夜を明かしたのですから。彼らには本当に感謝です。。。。
    you

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