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初めての大分県訪問。しかも3泊4日の限られた時間で、行きたいところがたくさんありすぎ、あまり見て回れないような気がした。<br /><br />23日長崎から高速バスで大分に来た。この日は関東地方では記録的な大雪が降り、大幅に交通機関がマヒしたことをニュースで知った。九州でも山間部はものすごい雪となり、長崎から大分まで通常だと4時間弱で到着するようであるが、山岳地は徐行運転でかなり遅れて到着した。<br /><br />しかし、山間部を過ぎ、大分方面に来ると、雪は降っておらず、雨模様であった。到着した日はあまりにも寒かったので、ホテルに到着後はもう外に出ることもなく部屋にこもってしまった。翌日、杵築へ出かけた。大分から日豊本線を利用して列車で1時間くらいで到着したが、さらにバスに乗り換えなければならなかった。

九州の小京都と言われる「杵築(きつき)」を訪ねて

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2018/01/23 - 2018/01/23

180位(同エリア314件中)

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Weiwojing

Weiwojingさん

初めての大分県訪問。しかも3泊4日の限られた時間で、行きたいところがたくさんありすぎ、あまり見て回れないような気がした。

23日長崎から高速バスで大分に来た。この日は関東地方では記録的な大雪が降り、大幅に交通機関がマヒしたことをニュースで知った。九州でも山間部はものすごい雪となり、長崎から大分まで通常だと4時間弱で到着するようであるが、山岳地は徐行運転でかなり遅れて到着した。

しかし、山間部を過ぎ、大分方面に来ると、雪は降っておらず、雨模様であった。到着した日はあまりにも寒かったので、ホテルに到着後はもう外に出ることもなく部屋にこもってしまった。翌日、杵築へ出かけた。大分から日豊本線を利用して列車で1時間くらいで到着したが、さらにバスに乗り換えなければならなかった。

旅行の満足度
5.0

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  • 大分から日豊本線を利用して「杵築駅」で下車し、ここからバスで杵築旧市街へ向かった。駅は小さいながら、風格と歴史を感じさせられる武家屋敷風な造りである。1995年(平成7)に改築された際にこのような駅舎になった。

    大分から日豊本線を利用して「杵築駅」で下車し、ここからバスで杵築旧市街へ向かった。駅は小さいながら、風格と歴史を感じさせられる武家屋敷風な造りである。1995年(平成7)に改築された際にこのような駅舎になった。

  • バスで10分位乗車の後、旧市街地に近いバスターミナルに到着した。案山子が道の端に立ち、まるでここを訪れる人々を歓迎しているようであった。

    バスで10分位乗車の後、旧市街地に近いバスターミナルに到着した。案山子が道の端に立ち、まるでここを訪れる人々を歓迎しているようであった。

  • 杵築は江戸時代の風情が色濃く残る城下町。杵築城を中心として、南北の高台に勇壮な武家屋敷があり、その谷あいに老舗の商人の街が残る。そんな武士屋敷が商人街を挟んで暮らした凸凹のある「サンドイッチ型城下町」は、日本唯一と言われている。<br /><br />ここは「勘定場の坂」で、杵築城から北台武家屋敷を結ぶ坂で、江戸時代、収税や金銭出納の役所があったことからこの名前が付いた。石段53段の坂は勾配24度の傾斜を持ち、石段の蹴上りが15cm、路面は1.2mある。これはお城勤めの家老たちを運ぶ馬や駕籠担ぎの歩幅を計算したものだと言われれいる。

    杵築は江戸時代の風情が色濃く残る城下町。杵築城を中心として、南北の高台に勇壮な武家屋敷があり、その谷あいに老舗の商人の街が残る。そんな武士屋敷が商人街を挟んで暮らした凸凹のある「サンドイッチ型城下町」は、日本唯一と言われている。

    ここは「勘定場の坂」で、杵築城から北台武家屋敷を結ぶ坂で、江戸時代、収税や金銭出納の役所があったことからこの名前が付いた。石段53段の坂は勾配24度の傾斜を持ち、石段の蹴上りが15cm、路面は1.2mある。これはお城勤めの家老たちを運ぶ馬や駕籠担ぎの歩幅を計算したものだと言われれいる。

  • 杵築には20もの坂があり、全部を歩くことは出来ないが、先の「勘定場の坂」と共にこの「酢屋の坂」は何度も歩いてみた。<br /><br />「酢屋の坂」は北台の武家屋敷と商人の町を繋ぐ土塀と石垣が印象的な坂で、下ったところに酢屋があったことからこの名前で呼ばれるようになった。

    杵築には20もの坂があり、全部を歩くことは出来ないが、先の「勘定場の坂」と共にこの「酢屋の坂」は何度も歩いてみた。

    「酢屋の坂」は北台の武家屋敷と商人の町を繋ぐ土塀と石垣が印象的な坂で、下ったところに酢屋があったことからこの名前で呼ばれるようになった。

  • ”くの字”の美しい曲線を持つ「飴屋の坂」は白っぽい石壇が、雨が降るっと夜道でもよく見えたことから「雨夜の坂」と呼ばれていたが、いつの間にか”雨夜”が”飴屋”になったという説と坂の下に飴屋があり、それが名前の由来になったという説とがある。

    ”くの字”の美しい曲線を持つ「飴屋の坂」は白っぽい石壇が、雨が降るっと夜道でもよく見えたことから「雨夜の坂」と呼ばれていたが、いつの間にか”雨夜”が”飴屋”になったという説と坂の下に飴屋があり、それが名前の由来になったという説とがある。

  • 「塩屋の坂」(別名:志保屋の坂)は、酢屋の坂と並び杵築を代表する坂で、その由来は古くから谷町の酒屋で繁盛していた冨商・塩谷長右衛門がこの坂の下で塩屋(酒屋)を営んでいたことから来ている。

    「塩屋の坂」(別名:志保屋の坂)は、酢屋の坂と並び杵築を代表する坂で、その由来は古くから谷町の酒屋で繁盛していた冨商・塩谷長右衛門がこの坂の下で塩屋(酒屋)を営んでいたことから来ている。

  • 「酢屋の坂」中腹から「塩屋の坂」を眺めると、ちょうど真ん中に道があり、これは商人の町である。

    「酢屋の坂」中腹から「塩屋の坂」を眺めると、ちょうど真ん中に道があり、これは商人の町である。

  • 「北台武家屋敷通り」には武家屋敷が軒を連ねている。

    「北台武家屋敷通り」には武家屋敷が軒を連ねている。

  • 先ずは「大原邸」から見学した。大原邸は家老屋敷として今もその暮らし向きや風情が残る建築遺産である。見事な茅葺屋根を有し、敷地面積656坪という広さの中に美しい廻廊庭園が見られるなど格式の高さを随所に見ることが出来る。

    先ずは「大原邸」から見学した。大原邸は家老屋敷として今もその暮らし向きや風情が残る建築遺産である。見事な茅葺屋根を有し、敷地面積656坪という広さの中に美しい廻廊庭園が見られるなど格式の高さを随所に見ることが出来る。

  • 右側にある玄関から入ると、まず玄関ノ間があり、左側に中ノ間そして隣に仏間がある。

    右側にある玄関から入ると、まず玄関ノ間があり、左側に中ノ間そして隣に仏間がある。

  • 客をもてなすための広い座敷がある。

    客をもてなすための広い座敷がある。

  • 南側に位置する来客用座敷は正面に床の間があり、格式の高さが窺える。

    南側に位置する来客用座敷は正面に床の間があり、格式の高さが窺える。

  • 畳の縁をよく見ると、紋入りとなっていて他の部屋と異なっている。これはここが客間で客をもてなす場としてほかの部屋とは区別しているとのことだ。

    畳の縁をよく見ると、紋入りとなっていて他の部屋と異なっている。これはここが客間で客をもてなす場としてほかの部屋とは区別しているとのことだ。

  • 昔の家は窓ガラスがなかったので、明かりを取り入れるものがないと昼間でもかなり暗い。

    昔の家は窓ガラスがなかったので、明かりを取り入れるものがないと昼間でもかなり暗い。

  • 明かりを取り込むためにはこのような障子の部分を上にあげなければならない。

    明かりを取り込むためにはこのような障子の部分を上にあげなければならない。

  • 来客用の食器が並べられているが、どれも立派なものばかりである。

    来客用の食器が並べられているが、どれも立派なものばかりである。

  • 炊事場(台所)はかなり広い。家族だけでなく大勢の使用人がいたので、それなりの広さであったのであろう。

    炊事場(台所)はかなり広い。家族だけでなく大勢の使用人がいたので、それなりの広さであったのであろう。

  • 湯殿(風呂場)には大きなたらいがあるだけで、このたらいに張った水で体をふいたのだろう。

    湯殿(風呂場)には大きなたらいがあるだけで、このたらいに張った水で体をふいたのだろう。

  • 台所の天井を見上げると、天井板を張らずにこのような茅を使った作りになっていている。十年位経っと、張りかえないといけないという話である。この下には囲炉裏があり、絶えず火を絶やさないようにしていて、それは屋根裏に虫がつかないようにするためである。

    台所の天井を見上げると、天井板を張らずにこのような茅を使った作りになっていている。十年位経っと、張りかえないといけないという話である。この下には囲炉裏があり、絶えず火を絶やさないようにしていて、それは屋根裏に虫がつかないようにするためである。

  • 屋敷の家族用の部分。中央の障子があるところが居間である。

    屋敷の家族用の部分。中央の障子があるところが居間である。

  • 居間の前には広々とした縁側がある。

    居間の前には広々とした縁側がある。

  • 居間の隣の板の間。室内のあちこちには昔から使用されてきた民具が置かれ、当時の生活振りを知ることが出来る。

    居間の隣の板の間。室内のあちこちには昔から使用されてきた民具が置かれ、当時の生活振りを知ることが出来る。

  • 昔のままの井戸が残されている。もちろん今は使われてはいない。

    昔のままの井戸が残されている。もちろん今は使われてはいない。

  • 家族や使用人が出入りするための内玄関。

    家族や使用人が出入りするための内玄関。

  • 門を入ったところにある建物であるが、中央部分が外からの出入り口、右側は中間部屋である。左側(この写真では見えないが)に門番部屋と前蔵、馬小屋がある。

    門を入ったところにある建物であるが、中央部分が外からの出入り口、右側は中間部屋である。左側(この写真では見えないが)に門番部屋と前蔵、馬小屋がある。

  • 外に出て南側に回ってみた。

    外に出て南側に回ってみた。

  • 庭の隅々までよく手入れがされている。

    庭の隅々までよく手入れがされている。

  • 回遊式の庭園が造られていて、しばし散策してみた。湖の庭園は小堀遠州の作と伝えられている。

    回遊式の庭園が造られていて、しばし散策してみた。湖の庭園は小堀遠州の作と伝えられている。

  • 庭は樹木が生い茂り、その周りを歩けるようになっている。

    庭は樹木が生い茂り、その周りを歩けるようになっている。

  • 丸い大きな石の上に小さな小石が置かれている。これは「関守の石」で、わらび縄またはしゅろ縄で十字に結んでいる小石のことを表す。茶道においてはここから先は立ち入り禁止という印である。

    丸い大きな石の上に小さな小石が置かれている。これは「関守の石」で、わらび縄またはしゅろ縄で十字に結んでいる小石のことを表す。茶道においてはここから先は立ち入り禁止という印である。

  • 「藩校学習館跡」に建つ藩校の門。今はこれだけが残っている。現在ここは杵築小学校の校門で、毎日子供たちを迎えている。

    「藩校学習館跡」に建つ藩校の門。今はこれだけが残っている。現在ここは杵築小学校の校門で、毎日子供たちを迎えている。

  • 商人の街に出た。北台武家屋敷と南台武家屋敷の2つの高台に挟まれた地域にある通リで、多くの商店が軒を連ねている。

    商人の街に出た。北台武家屋敷と南台武家屋敷の2つの高台に挟まれた地域にある通リで、多くの商店が軒を連ねている。

  • 「磯部味噌」の店先に吊るされた「糀」の文字が珍しい。ここは酢屋の坂の上り口に店を構える創業明治33年の味噌屋であるが、前身は豪商・志保屋が営む酢屋であった。

    「磯部味噌」の店先に吊るされた「糀」の文字が珍しい。ここは酢屋の坂の上り口に店を構える創業明治33年の味噌屋であるが、前身は豪商・志保屋が営む酢屋であった。

  • 古いつくりの家がたくさん軒を連ねている。しかし、よく見ると、古く見せている現代の新しい家も多い。

    古いつくりの家がたくさん軒を連ねている。しかし、よく見ると、古く見せている現代の新しい家も多い。

  • 昭和初期の看板が掲げられた店がある。

    昭和初期の看板が掲げられた店がある。

  • 「萬力屋」という創業135年の店があり、ここではせいろ等の曲輪を製造販売している。

    「萬力屋」という創業135年の店があり、ここではせいろ等の曲輪を製造販売している。

  • 萬力屋の前にはこの街に宿をとったという記念の「伊能忠敬測量隊別宿跡」と書かれた石碑がある。

    萬力屋の前にはこの街に宿をとったという記念の「伊能忠敬測量隊別宿跡」と書かれた石碑がある。

  • 商家の壁面には鏝絵(こてえ)が描かれているところが何軒もあり、他では見られない珍しい装飾絵である。<br /><br />鏝絵というのは左官職人が鏝を使って描くレリーフで、江戸末期から明治時代にかけて盛んに作られた。七福神や鯛、鳩、鶴等の絵柄が存在し、民家の妻壁や戸袋に描かれた。杵築は全国有数の鏝絵の数を誇るそうだ。

    商家の壁面には鏝絵(こてえ)が描かれているところが何軒もあり、他では見られない珍しい装飾絵である。

    鏝絵というのは左官職人が鏝を使って描くレリーフで、江戸末期から明治時代にかけて盛んに作られた。七福神や鯛、鳩、鶴等の絵柄が存在し、民家の妻壁や戸袋に描かれた。杵築は全国有数の鏝絵の数を誇るそうだ。

  • これも鏝絵なのだろうか。

    これも鏝絵なのだろうか。

  • ヒョウタンが描かれた鏝絵。

    ヒョウタンが描かれた鏝絵。

  • これはモミジでも描いたものだろうか。

    これはモミジでも描いたものだろうか。

  • これは達磨大師を描いたものだろうか。

    これは達磨大師を描いたものだろうか。

  • こんなものまである。西洋人らしき人が木の下で休んでいるのを描いた鏝絵。

    こんなものまである。西洋人らしき人が木の下で休んでいるのを描いた鏝絵。

  • 民家の軒先にある飾り(?)。

    民家の軒先にある飾り(?)。

  • ある商店の店先に飾られた看板が面白い。

    ある商店の店先に飾られた看板が面白い。

  • 昼食に野菜雑炊を食べた。この日は寒い日だったので、体が温まった。

    昼食に野菜雑炊を食べた。この日は寒い日だったので、体が温まった。

  • 「飛松天満社」

    「飛松天満社」

  • 日本建築が並ぶ通リに突如洋風建築が現れ、そのアンバランスに驚かされた。この建物は教会で、日本キリスト教団杵築教会である。

    日本建築が並ぶ通リに突如洋風建築が現れ、そのアンバランスに驚かされた。この建物は教会で、日本キリスト教団杵築教会である。

  • 教会は学校のような大きな建物である。

    教会は学校のような大きな建物である。

  • もう一つカトリック教会がある。入口の門が武家屋敷風で、背後に見える白い教会堂との組み合わせが珍しい。

    もう一つカトリック教会がある。入口の門が武家屋敷風で、背後に見える白い教会堂との組み合わせが珍しい。

  • 武家屋敷風な門があり、「杵築カトリック教会」という表札が出ている。この日は閉まっていて、残念ながら内部の見学は出来なかった。

    武家屋敷風な門があり、「杵築カトリック教会」という表札が出ている。この日は閉まっていて、残念ながら内部の見学は出来なかった。

  • 道路側から見たカトリック教会。屋根に突き出るような形の十字架が特徴である。

    道路側から見たカトリック教会。屋根に突き出るような形の十字架が特徴である。

  • カトリック教会のすぐそばに杵築市役所があり、その和風の建築が目を引いた。

    カトリック教会のすぐそばに杵築市役所があり、その和風の建築が目を引いた。

  • 寺町通りにはいくつか寺院があった。全部を見ることは出来なかったので、「正覚寺」だけをのぞいてみた。ここには「鉄鋳蘆舎那仏座像」という珍しい仏像があるというので、見てみたいと思った。

    寺町通りにはいくつか寺院があった。全部を見ることは出来なかったので、「正覚寺」だけをのぞいてみた。ここには「鉄鋳蘆舎那仏座像」という珍しい仏像があるというので、見てみたいと思った。

  • これが鉄鋳仏で、「鉄鋳蘆舎那仏座像」という名前で、日本一の大きさある。

    これが鉄鋳仏で、「鉄鋳蘆舎那仏座像」という名前で、日本一の大きさある。

  • 鉄鋳仏の右側にも鉄鋳で出来た仏たちがある。

    鉄鋳仏の右側にも鉄鋳で出来た仏たちがある。

  • 「一松邸」を訪ねた。ここは昭和初期の国務、逓信、厚生、建設大臣を歴任し、杵築の初代名誉市民となった政治家・一松定吉の邸宅であった。

    「一松邸」を訪ねた。ここは昭和初期の国務、逓信、厚生、建設大臣を歴任し、杵築の初代名誉市民となった政治家・一松定吉の邸宅であった。

  • 広間には大きな屏風が飾られている。

    広間には大きな屏風が飾られている。

  • 八坂川のほとりの高台の上に「杵築城」が聳えていて、辺りを見下ろすように建っている。この風景は近くの一松邸から見たもので、正に絶景スポットと言ってもよい。

    八坂川のほとりの高台の上に「杵築城」が聳えていて、辺りを見下ろすように建っている。この風景は近くの一松邸から見たもので、正に絶景スポットと言ってもよい。

  • 杵築城は1871年(明治4)に廃城となったが、これはその後1970年(昭和45)に再建された模擬天守閣である。

    杵築城は1871年(明治4)に廃城となったが、これはその後1970年(昭和45)に再建された模擬天守閣である。

  • 見学を終えて外に出て、天主閣を見上げると、着物姿の女性が2人いた。最初この女性たちに気が付かず写真を撮っていたら、カメラのモニターに2人が写っているのに驚いた。

    見学を終えて外に出て、天主閣を見上げると、着物姿の女性が2人いた。最初この女性たちに気が付かず写真を撮っていたら、カメラのモニターに2人が写っているのに驚いた。

  • 「中根邸」は杵築藩家老中根氏の隠居宅。

    「中根邸」は杵築藩家老中根氏の隠居宅。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • bangkokdaisukiさん 2021/02/14 20:01:09
    杵築 素敵ですね
    はじめまして。つたない私の山の手の旅行記にポチをして下さりありがとうございます。 来週は 博多に行きますが、杵築を見たら行きたくなり 早速調べました。

    Tamegaiさまが訪問されたのは冬ですので 今言ったらこんな景色なのかしらと思って見ておりました。 大変参考になりました。

    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2021/02/14 20:56:08
    Re: 杵築 素敵ですね
    bangkokdaisuki 様、初めまして。

    この度は杵築旅行記にご投票をいただき、ありがとうございます。杵築は小京都と言われるほど、落ち着いた街並みが見られ、大変気に入りました。ぜひお訪ねになってみてください。私ももう一度訪ねたいくらいです。

    横浜山手の洋館もいいですね。あの辺は外人墓地や中華街と共によく訪れています。横浜の近くに住んでいるので、横浜にはよく出かけます。

    また見させていただきます。ありがとうございました。

    Tamegai
  • salsaladyさん 2018/03/26 19:52:48
    杵築城のレプリカもかなり良いでしょう!
    ☆大分空港から別府に入るときはいつも右手にみながら,前回(2016年4月)帰郷した際、初めて昇ってみました。対岸の武家屋敷風な街がとても幻想的だった~

    ☆最初の方は,対岸の景色でしょうか?こんなにきちんとした形で残せてる事を初めて知った訳で大分県人として恥ずかしいけれど、よくぞ撮って下さったわ!

    ☆別府は温泉しか売りが無いけど,杵築や臼杵は歴史的遺産が豊富です。又来てね!

    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2018/03/26 21:20:58
    Re: 杵築城のレプリカもかなり良いでしょう!
    salsaladyさん、コメントをいただき、ありがとうございます。salsaladyさんは大分県出身なのですか。

    杵築はなかなかいいところですね。古いものが大事に残され、人々の自分の街に対する誇りのようなものを感じました。私が訪ねた時は観光客はほとんどおらず、中国人旅行者の姿を何人か見かけた程度でした。もっと多くの人が来られるといいですね。ただ、静かな雰囲気は残してほしいです。

    川を挟んで見た杵築城は対岸の一松定吉邸から見たものです。城から見る景色もよかったです。また行って見たいです。多分来年には行きたいと思います。


    ありがとうございました。

    Tamegai

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