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江戸時代末期の日本と日本人を撮ったフェリーチェ・ベアトの写真展を見る機会があった。千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館で ”Felice Beato / Photographs” という展覧会が昨年11月から12月にかけて開催された。<br /><br />フェリーチェ・ベアト(1834 ~1909)は、19世紀半ばに中東やインド、中国等で撮影を行い、各国の風景やインド大反乱、第二次アヘン戦争等戦争を記録する写真家として活躍した。日本へは1863年画家ワ―グマンを頼って来日し、1884年に離日するまで幕末から明治にかけて、横浜を拠点に江戸や横浜、長崎等各地で風景や風俗を撮影した。彼が撮った写真は、「横浜写真」として海外向けの輸出品として高く評価されている。<br /><br />日本で最初の写真は1854年に田中光儀なる人物を撮ったものとされているが、日本の写真の開祖と知られている上野彦馬が長崎で撮った坂本龍馬の肖像写真は有名である。

イギリス人 Felice Beato ( フェリーチェ・ベアト ) が撮影した幕末期の古写真を見る

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2017/12/22 - 2017/12/22

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Weiwojing

Weiwojingさん

江戸時代末期の日本と日本人を撮ったフェリーチェ・ベアトの写真展を見る機会があった。千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館で ”Felice Beato / Photographs” という展覧会が昨年11月から12月にかけて開催された。

フェリーチェ・ベアト(1834 ~1909)は、19世紀半ばに中東やインド、中国等で撮影を行い、各国の風景やインド大反乱、第二次アヘン戦争等戦争を記録する写真家として活躍した。日本へは1863年画家ワ―グマンを頼って来日し、1884年に離日するまで幕末から明治にかけて、横浜を拠点に江戸や横浜、長崎等各地で風景や風俗を撮影した。彼が撮った写真は、「横浜写真」として海外向けの輸出品として高く評価されている。

日本で最初の写真は1854年に田中光儀なる人物を撮ったものとされているが、日本の写真の開祖と知られている上野彦馬が長崎で撮った坂本龍馬の肖像写真は有名である。

旅行の満足度
5.0

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  • 東京からJR成田線を利用して佐倉へやって来た。初めてのところなので、よくわからずまごまごしてしまった。<br /><br />途中、千葉駅で乗り換えればならなかつたが、その時ホームの反対側に初めて見る電車が止まっているのに気がついた。これは通常の電車ではなく、試運転の電車のようであった。

    東京からJR成田線を利用して佐倉へやって来た。初めてのところなので、よくわからずまごまごしてしまった。

    途中、千葉駅で乗り換えればならなかつたが、その時ホームの反対側に初めて見る電車が止まっているのに気がついた。これは通常の電車ではなく、試運転の電車のようであった。

  • 車体に B.B.BASE (房総バイシクルベース) と書かれていて、これは自転車を解体したり折りたたんだりせず、そのまま車内に持ち込める専用電車である。<br /><br />来年1月末からしばらくの間東京の両国駅と千葉県の房総半島を、4路線を週ごとに1日1往復し、サイクリング愛好家に便宜をはかる企画であるとのことだ。

    車体に B.B.BASE (房総バイシクルベース) と書かれていて、これは自転車を解体したり折りたたんだりせず、そのまま車内に持ち込める専用電車である。

    来年1月末からしばらくの間東京の両国駅と千葉県の房総半島を、4路線を週ごとに1日1往復し、サイクリング愛好家に便宜をはかる企画であるとのことだ。

  • 佐倉駅前から送迎バスでDIC川村記念美術館に来た。初めての見学であるが、今回ここで開かれている ”Felice Beato / Photographs”という展覧会を見るためであった。<br /><br />日本の幕末期に来日し、各地で写真を撮り、海外で発表した作品を、今回約180点を紹介する展覧会であった。

    佐倉駅前から送迎バスでDIC川村記念美術館に来た。初めての見学であるが、今回ここで開かれている ”Felice Beato / Photographs”という展覧会を見るためであった。

    日本の幕末期に来日し、各地で写真を撮り、海外で発表した作品を、今回約180点を紹介する展覧会であった。

  • さすが美術館だけあって、あちこちに美術品が置かれている。これはフランク・ステラ(Frank Stella、1936 ~) の「リュネヴィル」という作品( 1994年制作)で、美術館の入口に飾られている。

    さすが美術館だけあって、あちこちに美術品が置かれている。これはフランク・ステラ(Frank Stella、1936 ~) の「リュネヴィル」という作品( 1994年制作)で、美術館の入口に飾られている。

  • 玄関ホール。驚かされるような照明器具とその奇抜なデザインに迎えられて、中に入る。

    玄関ホール。驚かされるような照明器具とその奇抜なデザインに迎えられて、中に入る。

  • 最初にこのような日本画で迎えられた。しばらく平常展を見学した。

    最初にこのような日本画で迎えられた。しばらく平常展を見学した。

  • 次に移動した「フェリーチェ・ベアト」の会場の様子。見学者はあまりおらず、閑散としていた。この種の展覧会を見に来る人は少ないものと思われる。

    次に移動した「フェリーチェ・ベアト」の会場の様子。見学者はあまりおらず、閑散としていた。この種の展覧会を見に来る人は少ないものと思われる。

  • 会場には180点以上の写真が展示されていて、150年も前の日本各地の写真や人々の生活、風景、神社仏閣など初めて目にするようなものばかりであった。中にはもう見ることが出来ない風景もあり、古き良き日本の姿を再発見することが出来た。<br /><br />★「会議中の各国代表」(長崎にて)<br /><br />写真には撮影年月日や撮影された人物名が記されていないので、それぞれの写真の詳細はほとんど分からない。

    会場には180点以上の写真が展示されていて、150年も前の日本各地の写真や人々の生活、風景、神社仏閣など初めて目にするようなものばかりであった。中にはもう見ることが出来ない風景もあり、古き良き日本の姿を再発見することが出来た。

    ★「会議中の各国代表」(長崎にて)

    写真には撮影年月日や撮影された人物名が記されていないので、それぞれの写真の詳細はほとんど分からない。

  • ★「西洋婦人」

    ★「西洋婦人」

  • ★「礼装の役人」<br /><br />恐らく彼らにとって初めての写真撮影だったと思われるが、どの顔も写真を撮られる緊張感が感じられる。

    ★「礼装の役人」

    恐らく彼らにとって初めての写真撮影だったと思われるが、どの顔も写真を撮られる緊張感が感じられる。

  • ★「薩摩の提督と公使」(薩摩及び佐土原藩士)<br /><br />この写真は、和平交渉に臨んだ日本側使節のもので、薩摩藩の正使・岩下治右衛門を始めとする重野淳之丞、樺山舎人、能勢二郎右衛門の4人と立会人となった幕府外国奉行支配調役・鶴野弥一、御目付・斉藤次郎太郎であったと思われる。

    ★「薩摩の提督と公使」(薩摩及び佐土原藩士)

    この写真は、和平交渉に臨んだ日本側使節のもので、薩摩藩の正使・岩下治右衛門を始めとする重野淳之丞、樺山舎人、能勢二郎右衛門の4人と立会人となった幕府外国奉行支配調役・鶴野弥一、御目付・斉藤次郎太郎であったと思われる。

  • ★「夜警、江戸」<br /><br />前夜、大使館襲撃があり、そのため警備の役人たちが警護にあたり、見ていると何やら緊張した様子が窺える。

    ★「夜警、江戸」

    前夜、大使館襲撃があり、そのため警備の役人たちが警護にあたり、見ていると何やら緊張した様子が窺える。

  • ★「役人」<br /><br />スタジオ撮影。まだ若い人物と思われるが、凛々しさを感じる役人である。

    ★「役人」

    スタジオ撮影。まだ若い人物と思われるが、凛々しさを感じる役人である。

  • ★「火消装束の役人」

    ★「火消装束の役人」

  • ★「役人頭」

    ★「役人頭」

  • ★「高位の役人」

    ★「高位の役人」

  • ★「薩摩藩士」

    ★「薩摩藩士」

  • ★「合掌する僧侶」

    ★「合掌する僧侶」

  • ★「中国服を身につけた婦人」<br /><br />この女性は「おもちさん」というう名前で、ルドフフ・リンドウ・スイス領事の日本人妻。

    ★「中国服を身につけた婦人」

    この女性は「おもちさん」というう名前で、ルドフフ・リンドウ・スイス領事の日本人妻。

  • ★「同じ女性の和装姿」

    ★「同じ女性の和装姿」

  • ★「冬姿の娘」

    ★「冬姿の娘」

  • ★「厚木」<br /><br />現在の神奈川県厚木市の街道筋の風景である。当時、外国人は決められた区域以外は移動できなかったが、ベアトはイギリス公使との同行が許されて江戸を始め、鎌倉、長崎等各地を訪問している。<br /><br />厚木は江戸時代に発達した東海地方から江戸への物流通路として知られる、矢倉沢往還に沿う宿場町であった。また相模川の船着き場だった野で、物資の集積地としても賑わった。丹沢遊覧旅行をする外国人はたいていここを通った。この写真に見える「江州彦根 生製牛肉漬」の看板が見えるが、これは大変珍しい。その奥の「薬種 近江屋」も同じ店の看板。つまり牛肉漬は薬として売られていたわけである。

    ★「厚木」

    現在の神奈川県厚木市の街道筋の風景である。当時、外国人は決められた区域以外は移動できなかったが、ベアトはイギリス公使との同行が許されて江戸を始め、鎌倉、長崎等各地を訪問している。

    厚木は江戸時代に発達した東海地方から江戸への物流通路として知られる、矢倉沢往還に沿う宿場町であった。また相模川の船着き場だった野で、物資の集積地としても賑わった。丹沢遊覧旅行をする外国人はたいていここを通った。この写真に見える「江州彦根 生製牛肉漬」の看板が見えるが、これは大変珍しい。その奥の「薬種 近江屋」も同じ店の看板。つまり牛肉漬は薬として売られていたわけである。

  • ★「大仏、鎌倉」

    ★「大仏、鎌倉」

  • 展覧会を堪能した後は、広大な庭園を散歩してみた。天気が良く、暖かかったので、1時間程ぶらぶらしてみた。<br /><br />庭園は緑豊かな北総台地の自然に恵まれ、約30ヘクタール(9万坪)の敷地には樹木200種、草花500種を超え、野鳥や昆虫も多く生息している。

    展覧会を堪能した後は、広大な庭園を散歩してみた。天気が良く、暖かかったので、1時間程ぶらぶらしてみた。

    庭園は緑豊かな北総台地の自然に恵まれ、約30ヘクタール(9万坪)の敷地には樹木200種、草花500種を超え、野鳥や昆虫も多く生息している。

  • ところどころに紅葉した木々があり、日の光を浴びて輝いていた。

    ところどころに紅葉した木々があり、日の光を浴びて輝いていた。

  • 晩秋の散策路を歩いていると、季節の移ろいをまじかに感じることが出来た。

    晩秋の散策路を歩いていると、季節の移ろいをまじかに感じることが出来た。

  • 池のそばではコブハクチョウがよちよち歩いている。

    池のそばではコブハクチョウがよちよち歩いている。

  • 木立の中に赤い実を付けたマンリョウの木が見える。

    木立の中に赤い実を付けたマンリョウの木が見える。

  • これは何だろうか。紫色の実が見える。

    これは何だろうか。紫色の実が見える。

  • 見学を終えて佐倉駅に戻って来たが、来るときはJR線を利用した。しかし、帰りは京成線佐倉駅の方に出た。駅近くの和食レストランで遅めの昼食を取る。「松花堂弁当」をオーダーした。<br /><br />食事の後は京成線で一気に東京に戻った。佐倉は駅周辺を歩いても、あまり人の姿もなく、どこにでもある過疎化の波を被っている街の一つかと思ったが、観光案内パンフレットを見ると、なかなか歴史のあるところのようであった。国立歴史博物館もあり、次回はここを訪ねたり、歴史的な名所旧跡を訪ねたりするのもよさそうだと思った。

    見学を終えて佐倉駅に戻って来たが、来るときはJR線を利用した。しかし、帰りは京成線佐倉駅の方に出た。駅近くの和食レストランで遅めの昼食を取る。「松花堂弁当」をオーダーした。

    食事の後は京成線で一気に東京に戻った。佐倉は駅周辺を歩いても、あまり人の姿もなく、どこにでもある過疎化の波を被っている街の一つかと思ったが、観光案内パンフレットを見ると、なかなか歴史のあるところのようであった。国立歴史博物館もあり、次回はここを訪ねたり、歴史的な名所旧跡を訪ねたりするのもよさそうだと思った。

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