2017/12/22 - 2017/12/22
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アルプ・グリュムさん
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熊谷宿は中山道六十九次のうち江戸から数えて8番目の宿場ですが終戦前夜の大空襲のため焦土と化し残されてあるのは碑だけです。
要所には碑が設置されているのでその案内板で熊谷宿を想像しながら歩きました。
八木橋百貨店の店内に旧中山道があるのは驚きでした。
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熊谷宿の散策は熊谷駅からスタートします。
熊谷駅 駅
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熊谷と言えば熊谷尚実です。
熊谷直実像 名所・史跡
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国道と並行して星川と呼ばれる川が流れています。
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星川は星渓園から湧き出る清流を源としています。
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国道17号に出るとビルが立ち並んでいました。
ビルの谷間には一軒の古い民家があり果実店が営業していました。 -
こちらはガラス越しにはタマゴのケースがいっぱい見えました。
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高城神社4トラのスポットには高城(タカギ)神社 胎内くぐりとなっていて胎内くぐりばかりの記述ばかりで高城神社の歴史的な記述、クチコミがないのがとても残念です。
胎内くぐり 祭り・イベント
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高城神社
江戸時代には忍藩主阿部豊後神忠秋公により、寛文11年(1671)社殿の寄附を受けた他、阿部家より多くの寄進を受け、現在熊谷市指定文化財として残されています。 -
高城神社
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高城神社の由緒
永治年間、此の付近一帯に猛熊が往来し庶民の生活を脅かし悩ました。熊谷次郎直実の父直貞この猛熊を退治して、熊野権現堂(現在箱田に熊野堂の石碑あり)を築いたと伝えられる。 明治維新の後、熊野神社と称し、その御祭神伊邪奈岐命を祭り、明治40年1月14日に当高城神社境内地に遷し祭られた。 また、同年4月20日に熊野神社社地62坪(現熊野堂敷地)を高城神社に譲与された。 この熊野神社(熊野権現)と千形神社(血形神社)そして円照寺の関係は深く、直実によって築かれ、熊谷の地名を産んだとも伝えられる。 -
高城神社
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熊谷総鎮守 高城神社略記
御祭神 高皇産霊尊(造化三神も一柱)
鎮座地 埼玉県熊谷市宮町2丁目
由緒
御祭神奉斎の時代は確かではない、しかし奈良時代以前である事はうかがわれる。現社殿は寛文11年(1671)忍城主(現行田市)阿部豊後守忠秋公が厚く崇敬され、遷座された社である。
「えんむすび」の神であり、「安産」を約束する神として敬信が厚く、そのことは「家内円満・営業繁栄」に導く神として崇敬されている。
境内には、少彦名命をまつる摂社・熊野社(熊谷の地名を産んだ)がある。また6柱の神をまつる末社がある。
昭和48年、社務所兼結婚式場の二階建ての近代的建物ができ、「えんむすび」の神前での結婚式が盛んである。
大祭
春祭 4月10日
秋例祭 10月1日・2日・3日
特別神事
元旦祭 1月1日
節分祭 2月(節分の日)
胎内くぐり(大祓)6月30日
七五三 11月15日
酉の市 12月8日
宝物
熊谷絵地図(市指定文化財)
青銅常夜灯(市指定文化財)
天国剣刀(1振)・鎧(2組)蹴鞠一式等
境内地 約2000坪
神木 樹齢約500年以上 欅木 -
高城神社の常夜灯
私の建立日に大変興味があり観察すると -
高城神社の常夜灯
安政年間の代物です。 -
高城神社の常夜灯(灯篭)
常夜灯(市指定)は天保12年(1841)に建てられたもので、高さは275cm青銅製です。県内外など150名もの紺屋(藍染業者)の名前が刻まれているそうです。江戸時代中頃から藍染業が盛んで、藍染業者から篤い信仰を受けてきたようです。? -
高城神社の常夜灯(灯篭)
熊谷市有形指定文化財に指定されています。 -
高城神社の手水舎
この位置から見ると何でもないのですが近寄ってみると! -
高城神社の手水舎
手掘りの見事な彫刻です。 -
高城神社の手水舎
柱にも全面に彫刻が見られます。 -
高城神社
拝殿 -
千形神社(チカタジンジャ)
永治年間(1141-1142)に熊谷直貞が大きな熊を退治した際に血が流れた地に当社を創建したと伝えられ、血形明神と称していたといいます -
千形神社
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千形神社
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千形神社
いつも気になっている常夜灯の建立した日付は平成23年となっていました。 -
札の辻跡
国道沿いに案内板(札の辻跡と熊谷宿)と札の辻跡の碑が建っています。 -
札の辻跡の碑
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札の辻跡
札の辻は、高札の設置場所で、高札場とも言われました。高札は、掟・条目・禁令などを板に書いた提示版で、一般大衆に法令を徹底させるため、市場・街道など人目を引く所に提示されました。
熊谷宿の高札場は、宝永年間に記された「見世割図面写」により、場所・大きさなどが推定できます。
場所については、「町往還中程に建置申候」と記され、木柵で囲まれた屋根のある高札場が描かれています。この説明から、高札場は現在の大露地通りと中山道の交差する道の中央辺りにあったことが推察できます。高札は、高さが、一丈一尺(約二・三メートル)、横幅が六尺四寸(約二メートル)の大きさでした。高札十四枚は市指定文化財として保管され、中山道の歴史を知る資料となっています。 -
呉服店が軒を連ねていて、先には八木橋百貨店も見えます。
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バス亭には瓦屋根が
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本陣跡の案内板と本陣の碑
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本陣は、江戸時代初期の寛永12年(1635)諸大名に対する参勤交代制度が確立されてから、各街道の宿場町に、置かれたものである。諸大名や幕府役人・公家貴族などのための特別な旅館であり、門・玄関・上段の間を具えることができて、一般の旅館(旅籠屋)とは区別されていた。従って本陣の経営者も土地の豪家で、名字帯刀を許されるものが多かった。熊谷宿の本陣は、明治17年(1884)の火災と昭和20年(1945)の戦災で跡形もなく灰燼に帰してしまったが、嘉永2年(1849)一条忠良の娘寿明姫宿泊の折、道中奉行に差し出した本陣絵図の控えが竹井家に残っており、その絵図によって内部の模様が細々とわかる。中仙道に面し、間口14間5尺(約27M)で、奥は星川にまで至り、上手の御入門・下手の通用門・建坪・部屋数・畳数など、全国に現存する旧本陣と比べても規模・構造共に屈指のものである。
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本陣の碑
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八木橋百貨店
埼玉県では最初に建てられた百貨店です。八木橋百貨店 百貨店・デパート
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八木橋百貨店
「あついぞ!熊谷」はこの右側に温度計が設置されます。
この正面の通路が旧中山道となるのです。 -
八木橋百貨店
国道側には宮沢賢治の句碑
熊谷の 蓮生坊が たてし碑の 旅はるばると 泪あふれぬ
武蔵の国 熊谷宿に 蠍座の 淡淡ひかりぬ 9月の2日 -
八木橋百貨店
国道側には 旧中山道 -
八木橋百貨店
感謝の心で、これからも
明治31年 八木橋呉服店の廃業から始まり、この地の多くの方々に愛され、支えられて創業120年を迎えることができました。 -
八木橋百貨店
店内に柱にも「中山道」の文字 -
八木橋百貨店
店内に「中山道」と「熊谷宿」 -
八木橋百貨店
店内に「熊谷宿」
サービスカウンターで店内の写真を撮りたいとお願いしたら買い物客を撮らないことで了解を得て撮りました。
平日の日中ですが買い物客でいっぱいでした。 -
八木橋百貨店
裏口にも「旧中山道跡」 -
八木橋百貨店
ちゃんとした碑です。 -
八木橋百貨店を出たこの通りが旧中山道です。
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旧中山道の表示
この辺りは八木橋百貨店の駐車場があちこちにあります。 -
八木橋百貨店を出て歩きますが何もないのでちょっと寄り道します。
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龍谷寺
熊谷尚実ゆかりの寺ですが門は固く閉ざされています。熊谷寺 寺・神社・教会
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龍谷寺
団信徒及び関係者以外の入山はご遠慮ください! -
龍谷寺のすぐ隣にある伊奈利神社
こちらは八木橋百貨店社員用駐輪場となっていますが由緒ある神社の様です。 -
伊奈利神当社
当社の創建は元久二年(1205社)
稲荷神を深く信仰していた熊谷直実は戦場で危難にあっても、必ず熊谷弥三左衛門という武士によって助けられ、勝利を得た。余りの不思議さに直実が弥三左衛門にその素性を尋ねたところ、「常に汝が信ずるところの稲荷明神なり。危難を救わんがために熊谷弥三左衛門と現じける」と言い、姿を消した。その霊威に感じた直実は、帰陣の後、祠を熊谷寺境内に設け、これを祀った。以来当社は弥三左衛門伊奈利と呼ばれるようになった。 -
星渓園
星渓園は、竹井澹如(たけいたんじょ)翁が別邸を設けた慶応年間から明治初年にかけて作られた回廊式の庭園です星溪園 公園・植物園
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星渓園
熊谷宿本陣の竹井家に名を残す方です。 -
星渓園
豊富な湧き水は星川となって市内を流れています。 -
廃線となった東武鉄道熊谷線跡まで少し歩きます。
跡地の一角には秩父道道標が見られ、カメの横に3ヶの道標があります。 -
秩父道道標
埼玉県指定旧跡 秩父道しるべ
明和3年(1766)秩父観音巡礼として中山道と秩父往還との分岐点に設立されたものです。 -
秩父道道標
「寶登山」 -
秩父道道標
「観音禮道」 -
秩父道道標
「ちちぶ道」 -
秩父道道標
埼玉県指定旧跡 秩父道志るべ -
秩父道道標横の亀
昭和58年(1983)に廃止された東武鉄道熊谷線の敷地跡に作られた公園。廃止前の列車が愛称「カメ号」と呼ばれ、親しまれていたことから、公園にこの名前がつきました -
ここからは旧中山道の散策を終え東武鉄道熊谷線跡をたどります。
熊谷から妻沼まで約10Kmの非電化路線の鉄道が走っていました。
ここはその線路跡です。 -
東武鉄道熊谷線は高崎線を越えていたのです。
今では廃線跡が市民の公園となっていました。 -
熊谷駅方向の東武鉄道熊谷線
中山道の熊谷宿は東武鉄道熊谷線跡探訪になってしまいました。 -
東武鉄道熊谷線はここで線路がなくなっています。
私はこの先の東武鉄道熊谷線の遺構を求めて後日歩きたいと思っています。 -
周囲が秩父鉄道と高崎線に挟まれているため簡単に線路の撤去ができないのでしょう。
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上熊谷駅
秩父鉄道と共用の駅で東武鉄道熊谷線側には柵が設置されています。 -
熊谷市を流れる星川に沿って帰途に付きます。
星川にはオブジェ等が設置してあり市民のいこいの場となっています。 -
何点か設置してありましたがこれは戦災者慰霊の女神です。
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終戦前夜の大空襲で熊谷市は焦土と化し、多くの尊い命も失われました。
命だけではなく熊谷宿の歴史的建造物は全滅してしまったのです。 -
戦災で亡くなれた方の氏名です。
終戦の前日とは本当に悲劇で悲しい出来事だったのです。
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