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琳派を大成した尾形光琳設計の復元された屋敷を見てきました。一般公開されていないので、ツアーに参加して内部を見てきました。尾形光琳が描いた図面と大工の仕様帖、茶室の起し図が入った小西家文書という資料が発見され、それに基づいて、数寄屋建築の第一人者、堀口捨己の監修で復元されたものです。<br />尾形光琳は正徳2年(1712)頃に、京都新町通り二条下ルに屋敷を建て、晩年の5年間をそこで過ごしたそうです。2階のアトリエ(絵所)で、晩年の最高傑作と言われる国宝「紅白梅図屏風」を描きました。<br />間口7間半、奥行き13間程の敷地に、建坪約90坪の数奇屋造りで、江戸期の町家建築の貴重な資料となっているということです。

MOA美術館の尾形光琳屋敷見学・樵亭

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2017/12/01 - 2017/12/01

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belledune

belleduneさん

琳派を大成した尾形光琳設計の復元された屋敷を見てきました。一般公開されていないので、ツアーに参加して内部を見てきました。尾形光琳が描いた図面と大工の仕様帖、茶室の起し図が入った小西家文書という資料が発見され、それに基づいて、数寄屋建築の第一人者、堀口捨己の監修で復元されたものです。
尾形光琳は正徳2年(1712)頃に、京都新町通り二条下ルに屋敷を建て、晩年の5年間をそこで過ごしたそうです。2階のアトリエ(絵所)で、晩年の最高傑作と言われる国宝「紅白梅図屏風」を描きました。
間口7間半、奥行き13間程の敷地に、建坪約90坪の数奇屋造りで、江戸期の町家建築の貴重な資料となっているということです。

旅行の満足度
4.5
  • 本館を出ると、唐門の手前に巨木が目に入ります。その奥は茶の庭となっていて、紅葉もそろそろ終わりに近づいていますが、まだまだ綺麗でした。今日は一白庵でお抹茶を頂いて、ライトアップされるお庭の景色も見れるそうです。

    本館を出ると、唐門の手前に巨木が目に入ります。その奥は茶の庭となっていて、紅葉もそろそろ終わりに近づいていますが、まだまだ綺麗でした。今日は一白庵でお抹茶を頂いて、ライトアップされるお庭の景色も見れるそうです。

  • 唐門は、三井家別邸城山荘にあったものです。

    唐門は、三井家別邸城山荘にあったものです。

  • 光琳屋敷の手前にある花の茶屋前に広がる庭園。奥にある灯篭は百年程前のもの。

    光琳屋敷の手前にある花の茶屋前に広がる庭園。奥にある灯篭は百年程前のもの。

  • 光琳屋敷の説明をしてくださる学芸員の方は、今日までこの紅葉が残るように祈ってくださっていたとのこと。この美術館は、世界救世教が経営する施設なので、本館前にある全体図で見ると、美術館、茶の庭などの敷地と同じ位の広い敷地に、その宗教施設があります。日本人以外の外国人の従業員も多く、箱根美術館も同じ経営なので、従業員はその教えを受けておられるようです。岡田美術館の岡田さんと苗字が同じなので、よく混同する方もおられるようです。

    光琳屋敷の説明をしてくださる学芸員の方は、今日までこの紅葉が残るように祈ってくださっていたとのこと。この美術館は、世界救世教が経営する施設なので、本館前にある全体図で見ると、美術館、茶の庭などの敷地と同じ位の広い敷地に、その宗教施設があります。日本人以外の外国人の従業員も多く、箱根美術館も同じ経営なので、従業員はその教えを受けておられるようです。岡田美術館の岡田さんと苗字が同じなので、よく混同する方もおられるようです。

  • 滝のように岩組みが設えてあります。

    滝のように岩組みが設えてあります。

  • これから光琳屋敷に入ります。

    これから光琳屋敷に入ります。

  • 正面奥にお茶室があります。

    正面奥にお茶室があります。

  • 玄関から入って、直ぐの間は、床の間が奥ではなくて、入り口側にあります。その理由は、学芸員の方も分からないそうです。

    玄関から入って、直ぐの間は、床の間が奥ではなくて、入り口側にあります。その理由は、学芸員の方も分からないそうです。

  • 床の間にある光琳が描いた見取り図です。この図でも、床の間は入り口傍にあります。

    床の間にある光琳が描いた見取り図です。この図でも、床の間は入り口傍にあります。

  • 床の間の壁紙は光琳がデザインした波模様ですが、色が室内の濃緑色ではなくて、肌色です。

    床の間の壁紙は光琳がデザインした波模様ですが、色が室内の濃緑色ではなくて、肌色です。

  • 白い壁の部屋だったのを、光琳がこのような壁紙を貼った板を壁に合わせて嵌め込んであるそうです。

    白い壁の部屋だったのを、光琳がこのような壁紙を貼った板を壁に合わせて嵌め込んであるそうです。

  • 隣の茶室との間の欄間の一種。

    隣の茶室との間の欄間の一種。

  • 次のお茶室への襖は寸法が大きいので、とても重いそうです。開け閉めする方の襖だけ薄くしてあります。写真で白戦で示してあるので、よく分かると思います。

    次のお茶室への襖は寸法が大きいので、とても重いそうです。開け閉めする方の襖だけ薄くしてあります。写真で白戦で示してあるので、よく分かると思います。

  • 隣の茶室は、5畳半です。

    隣の茶室は、5畳半です。

  • 床の間横の網代天井

    床の間横の網代天井

  • 床の間

    床の間

  • 床の間の小窓

    床の間の小窓

  • 茶室の貴賓口

    茶室の貴賓口

  • 茶室から隣の部屋を見たところ。隣の部屋で光琳が寝起きしていたそうです。

    茶室から隣の部屋を見たところ。隣の部屋で光琳が寝起きしていたそうです。

  • この茶室の天井は少し複雑です。

    この茶室の天井は少し複雑です。

  • 縁側方向は天井が高く、竿縁天井となっています。

    縁側方向は天井が高く、竿縁天井となっています。

  • 隣の部屋の水屋部分。

    隣の部屋の水屋部分。

  • こちらの襖は蜜柑のデザインですね。

    こちらの襖は蜜柑のデザインですね。

  • 今は2階へ上れません。

    今は2階へ上れません。

  • この梯子段で2階へ。

    この梯子段で2階へ。

  • 庭を見ると、玄関からは縁側伝いに、直接は入れないようになっています。仕事場を邪魔されないようになっているのだと思います。

    庭を見ると、玄関からは縁側伝いに、直接は入れないようになっています。仕事場を邪魔されないようになっているのだと思います。

  • 入り口方向を見たところです。誰が来たのか、とちらっと覗いたのかもしれませんね。

    入り口方向を見たところです。誰が来たのか、とちらっと覗いたのかもしれませんね。

  • こちらは奥の部屋。寝室でしょうか。

    こちらは奥の部屋。寝室でしょうか。

  • 竹の引き戸

    竹の引き戸

  • その奥が台所です。

    その奥が台所です。

  • 町屋の台所と同じ造りです。

    町屋の台所と同じ造りです。

  • 3本の紐は窓の開け閉めをするためのものです。

    3本の紐は窓の開け閉めをするためのものです。

  • 障子の下の部分の張り紙は梅の模様です。

    障子の下の部分の張り紙は梅の模様です。

  • こちらは水色の地に、蝶々が飛んでいます。

    こちらは水色の地に、蝶々が飛んでいます。

  • 一番奥の仏間は「鏡の間」と名が付いています。

    一番奥の仏間は「鏡の間」と名が付いています。

  • こちらは三畳の茶室「青々庵」です。光琳の号「青々」に因んで、こう名付けられました。表にある扁額は、日本画家・奥村土牛の筆によるものです。

    こちらは三畳の茶室「青々庵」です。光琳の号「青々」に因んで、こう名付けられました。表にある扁額は、日本画家・奥村土牛の筆によるものです。

  • フラッシュが使えないので、内部は暗くて、見難いです。

    フラッシュが使えないので、内部は暗くて、見難いです。

  • 躙口

    躙口

  • 床の間

    床の間

  • 躙口横の明り採りの障子窓に竹で編んだ格子の影が...

    躙口横の明り採りの障子窓に竹で編んだ格子の影が...

  • 天井部分

    天井部分

  • もっとゆっくり見学したかったのですが、次の案内があるとのことで、屋敷を出て来ました。

    もっとゆっくり見学したかったのですが、次の案内があるとのことで、屋敷を出て来ました。

  • 少し高くなっている茶の庭から屋敷を眺めます。

    少し高くなっている茶の庭から屋敷を眺めます。

  • 後1週間もすれば、楓の葉も散ってしまうでしょうね。

    後1週間もすれば、楓の葉も散ってしまうでしょうね。

  • この紅葉が一番綺麗でした。入れませんが、傍に待屋があります。

    この紅葉が一番綺麗でした。入れませんが、傍に待屋があります。

  • 一白庵の前にある赤毛氈でひと休みして、光琳屋敷方向を眺めています。

    一白庵の前にある赤毛氈でひと休みして、光琳屋敷方向を眺めています。

  • 片桐門をくぐって、樵亭へ

    片桐門をくぐって、樵亭へ

  • 片桐門は、豊臣家の重臣で、賎ヶ岳七本槍の一人として知られている片桐且元が薬師寺の普請奉行を務めた折の宿舎の正門でした。その後、奈良の慈光院に移築され、次いで、昭和16年に大磯町の三井家別邸城山荘内に移されました。

    片桐門は、豊臣家の重臣で、賎ヶ岳七本槍の一人として知られている片桐且元が薬師寺の普請奉行を務めた折の宿舎の正門でした。その後、奈良の慈光院に移築され、次いで、昭和16年に大磯町の三井家別邸城山荘内に移されました。

  • 樵亭の屋根が見えて来ました。

    樵亭の屋根が見えて来ました。

  • 茅葺き屋根が載っています。

    茅葺き屋根が載っています。

  • 樵亭の扁額は有楽斎の筆によるものです。

    樵亭の扁額は有楽斎の筆によるものです。

  • 備前池田藩の筆頭家老・伊木忠澄は、晩年三猿塞と号し、茶湯三昧の余生を送りました。岡山の荒手屋敷には、20余りの茶室があり、その内の「大爐の間」(たいろ)の茶席を移築したものです。この茶室の襖絵に、樵蒔絵硯箱の蓋表にある樵夫と同じ図案が描かれていることに因んで、この「樵亭」の名が付けられたそうです。

    備前池田藩の筆頭家老・伊木忠澄は、晩年三猿塞と号し、茶湯三昧の余生を送りました。岡山の荒手屋敷には、20余りの茶室があり、その内の「大爐の間」(たいろ)の茶席を移築したものです。この茶室の襖絵に、樵蒔絵硯箱の蓋表にある樵夫と同じ図案が描かれていることに因んで、この「樵亭」の名が付けられたそうです。

  • 右の襖絵が樵夫の絵です。

    右の襖絵が樵夫の絵です。

  • 本阿弥光悦の硯箱の樵夫の図です。

    本阿弥光悦の硯箱の樵夫の図です。

  • これから本館へ行きます。

    これから本館へ行きます。

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