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                                                    <br />1).旅の始めに                                                                                                                                                                        <br /><br />   蘇州駅で下車し、旧城壁前に広がる南口広場に出てくると、真っ先に目に入るのは、中央に置かれた、聊かデフォルメされた大きな銅像である。これは、蘇州知事でもあった「範仲淹」(989年~1052年)の立像である。中国北宋時代の政治家で、字は希文で、諡は、文正公である。辺境を守って西夏の侵入を防ぎ、その功により参知政事(副宰相)にまでなった人である。<br />       <br />                                                        山の端を 背に負う像に          秋の空<br />     <br />   この像は、今では、蘇州駅のシンボルの様であるが、実は、彼と蘇州郊外の「天平山」とは、何やら縁がある、と聞いていた。<br /><br />2).蘇州の「天平山」へ<br /> <br />  次の日、蘇州の中心から地下鉄1号線で、終点の「木涜」(mudu)駅まで行き、そこからバスに乗り換え、紅葉祭りの「天平山」に向かった。バスで20分程で、「天平山」入り口に到着した。「天平山」という名前は、白楽天の「白雲泉」という詩の中から、名付けられたそうだ。天平山景区の入口から中に入り、しばらく、緩やかな上り坂を登って行った。道は、カーブし、登り切った右手に、堤で仕切られた、二つの池が並んでいた。手前の池は、「玩花池」で、通称「飲馬池」と呼ばれて、嘗ては、この池で、馬に水を飲ませていたのだろう。大きい池は、「荷花池」と呼ばれ、広さ約3,300㎡程の池であるが、中央に、色は剥げているが、嘗ては鮮やかな朱色に塗られた、鉤形の橋が架かっている。<br />  山の裾野に、木々に覆われた平坦な地域が広がり、そこには、「接駕亭」、「高義園石坊」(乾隆帝題額)等が建っている。その先に、黒瓦を載せた黄色の壁で囲まれた、「白雲寺」の境内があり、土塀に門があった。門の上には「登天平路」と書かれた扁額が、架かっており、「天平山」への登山口であった。<br /><br />3).「範仲淹」像  <br /><br />  池の方へ戻りながら、紅葉した木々の間を歩いていたら、「範仲淹」像の前に出た。「範仲淹」の像が、此処に置かれているのは、「天平山」が、「範仲淹」の「先祖帰葬の地」であると、説明されていた。「範仲淹」の著作「岳陽楼記」の中に、「先天下之憂而憂後天下之楽而楽(天下の憂に先んじて憂い、天下の楽に後れて楽しむ)」とあるが、これは、彼が考える、為政者である者に求められる、心構えなのであろう。<br />  「範仲淹」像の背後の木々の間から、「天平山」の山の背が、くっきりと見えていた。再び、池の岸辺に戻り、大きい方の「荷花池」に架けられた、鉤形の橋を渡り、池のほぼ中央で、周りを見渡すと、池を埋め尽くす敗荷(われはちす)の、気ままに寄り添う姿が一面に広がり、一つ一つの敗荷の格好の面白さを、時に写真に撮りながら、橋を渡り終えた。今度は、橋を戻りながら、再び、目の前に広がる、自然の面白さとの出会いに、僕は、とても満足していた。<br />        <br />                                                             欲しいまま 気儘競り合う 敗荷(ワレハチス)<br /><br />4). 旅の終わりに<br /><br />  バスで、「木涜」駅に行き、そこで地下鉄に乗り換え、夕暮れに染まる蘇州の街へ戻ってきた。(完)<br /><br /> <br />◆  表紙 「写真」 『範仲淹』の像<br />  989年~1052年、中国北宋時代の政治家、蘇州人、字は希文。諡は、文正公。辺境を守り西夏の侵入を防ぐ。参知政事(副宰相)となる。 <br /><br />  <br /> * Coordinator:  H. Gu <br />

【江蘇省】 蘇州 * 「範仲淹」ゆかりの 紅葉の「天平山」を 旅する

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2017/11/11 - 2017/11/16

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33

彷徨人MU

彷徨人MUさん

         
1).旅の始めに  

   蘇州駅で下車し、旧城壁前に広がる南口広場に出てくると、真っ先に目に入るのは、中央に置かれた、聊かデフォルメされた大きな銅像である。これは、蘇州知事でもあった「範仲淹」(989年~1052年)の立像である。中国北宋時代の政治家で、字は希文で、諡は、文正公である。辺境を守って西夏の侵入を防ぎ、その功により参知政事(副宰相)にまでなった人である。

                山の端を 背に負う像に  秋の空

   この像は、今では、蘇州駅のシンボルの様であるが、実は、彼と蘇州郊外の「天平山」とは、何やら縁がある、と聞いていた。

2).蘇州の「天平山」へ
 
  次の日、蘇州の中心から地下鉄1号線で、終点の「木涜」(mudu)駅まで行き、そこからバスに乗り換え、紅葉祭りの「天平山」に向かった。バスで20分程で、「天平山」入り口に到着した。「天平山」という名前は、白楽天の「白雲泉」という詩の中から、名付けられたそうだ。天平山景区の入口から中に入り、しばらく、緩やかな上り坂を登って行った。道は、カーブし、登り切った右手に、堤で仕切られた、二つの池が並んでいた。手前の池は、「玩花池」で、通称「飲馬池」と呼ばれて、嘗ては、この池で、馬に水を飲ませていたのだろう。大きい池は、「荷花池」と呼ばれ、広さ約3,300㎡程の池であるが、中央に、色は剥げているが、嘗ては鮮やかな朱色に塗られた、鉤形の橋が架かっている。
  山の裾野に、木々に覆われた平坦な地域が広がり、そこには、「接駕亭」、「高義園石坊」(乾隆帝題額)等が建っている。その先に、黒瓦を載せた黄色の壁で囲まれた、「白雲寺」の境内があり、土塀に門があった。門の上には「登天平路」と書かれた扁額が、架かっており、「天平山」への登山口であった。

3).「範仲淹」像  

  池の方へ戻りながら、紅葉した木々の間を歩いていたら、「範仲淹」像の前に出た。「範仲淹」の像が、此処に置かれているのは、「天平山」が、「範仲淹」の「先祖帰葬の地」であると、説明されていた。「範仲淹」の著作「岳陽楼記」の中に、「先天下之憂而憂後天下之楽而楽(天下の憂に先んじて憂い、天下の楽に後れて楽しむ)」とあるが、これは、彼が考える、為政者である者に求められる、心構えなのであろう。
  「範仲淹」像の背後の木々の間から、「天平山」の山の背が、くっきりと見えていた。再び、池の岸辺に戻り、大きい方の「荷花池」に架けられた、鉤形の橋を渡り、池のほぼ中央で、周りを見渡すと、池を埋め尽くす敗荷(われはちす)の、気ままに寄り添う姿が一面に広がり、一つ一つの敗荷の格好の面白さを、時に写真に撮りながら、橋を渡り終えた。今度は、橋を戻りながら、再び、目の前に広がる、自然の面白さとの出会いに、僕は、とても満足していた。
        
                欲しいまま 気儘競り合う 敗荷(ワレハチス)

4). 旅の終わりに

  バスで、「木涜」駅に行き、そこで地下鉄に乗り換え、夕暮れに染まる蘇州の街へ戻ってきた。(完)


◆ 表紙 「写真」 『範仲淹』の像
  989年~1052年、中国北宋時代の政治家、蘇州人、字は希文。諡は、文正公。辺境を守り西夏の侵入を防ぐ。参知政事(副宰相)となる。


* Coordinator:  H. Gu

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  • 蘇州市の「天平山風景区」<br /><br />  高さ、海抜201mの「天平山」(旧「白雲山」)

    蘇州市の「天平山風景区」

      高さ、海抜201mの「天平山」(旧「白雲山」)

  • 蘇州市天平山  「高義園」石坊<br />  <br />    

    蘇州市天平山  「高義園」石坊
      
        

  • 蘇州市天平山 「高義園」石坊<br /><br />  石坊の奥に、蓮池が見えてきた。

    蘇州市天平山 「高義園」石坊

      石坊の奥に、蓮池が見えてきた。

  • 蘇州市天平山の紅葉

    蘇州市天平山の紅葉

  • 蘇州市天平山の紅葉

    蘇州市天平山の紅葉

  • 蘇州市天平山の紅葉

    蘇州市天平山の紅葉

  • 蘇州市天平山<br /><br /> 「範仲淹」の「先憂后憂坊」(先祖帰葬の地)<br />

    蘇州市天平山

     「範仲淹」の「先憂后憂坊」(先祖帰葬の地)

  • 蘇州市天平山  <br /><br />  北宋時代の名臣で、蘇州知事を経験した「範仲淹」の「先祖帰葬の地」に立つ「範仲淹」の像、<br />  989年~1052年、中国北宋時代の政治家、字は希文。諡は、文正公。辺境を守って西夏の侵入を防ぎ、その功により参知政事(副宰相)となった。「岳陽楼記」の中の「先憂後楽」の話は有名。文集「範文正公集」

    蘇州市天平山  

      北宋時代の名臣で、蘇州知事を経験した「範仲淹」の「先祖帰葬の地」に立つ「範仲淹」の像、
      989年~1052年、中国北宋時代の政治家、字は希文。諡は、文正公。辺境を守って西夏の侵入を防ぎ、その功により参知政事(副宰相)となった。「岳陽楼記」の中の「先憂後楽」の話は有名。文集「範文正公集」

  • 蘇州市天平山  <br /><br />  「桃花谷」

    蘇州市天平山 

      「桃花谷」

  • 蘇州市天平山景区内 <br /> <br /><br /> 「荷花池」を望む<br /><br /><br />

    蘇州市天平山景区内 
     

     「荷花池」を望む


  • 蘇州市天平山景区内 <br /> 

    蘇州市天平山景区内 
     

  • 蘇州市天平山景区内 <br /> <br /><br />  

    蘇州市天平山景区内 
     

      

  • 蘇州市天平山景区内 <br /> <br /><br />   

    蘇州市天平山景区内 
     

       

  • 蘇州市天平山 <br /><br />  「 天平山登山口」

    蘇州市天平山 

      「 天平山登山口」

  • 蘇州市天平山<br /><br />  催し物が行なわれている野外劇場,背後の山の背は、天平山。

    蘇州市天平山

      催し物が行なわれている野外劇場,背後の山の背は、天平山。

  • 蘇州市天平山の紅葉 <br /><br />   「蓮池」<br /><br />

    蘇州市天平山の紅葉 

       「蓮池」

  • 蘇州市天平山 <br /><br />  「蓮池」<br /><br />        池には、L字を繋げたような橋が架かっている<br />

    蘇州市天平山 

      「蓮池」

    池には、L字を繋げたような橋が架かっている

  • 蘇州市天平山、 <br /><br />   「蓮池」<br /><br />    <br /> <br /> <br />   <br />

    蘇州市天平山、 

       「蓮池」

        
     
     
       

  • 蘇州市天平山 <br /><br /> 「蓮池」<br /><br />  池には、L字を繋げた形で橋が架かっており、その欄干は、嘗てはベンガラ色に塗られていたが、すでに褪せていた。<br />         <br />         <br /><br />

    蘇州市天平山 

     「蓮池」

      池には、L字を繋げた形で橋が架かっており、その欄干は、嘗てはベンガラ色に塗られていたが、すでに褪せていた。
             
             

  •  蘇州市天平山 <br /><br />        「荷花池」<br />         <br /><br /> <br /> <br /> 

     蘇州市天平山 

            「荷花池」
             

     
     
     

  • 蘇州市天平山 <br /><br />      「荷花池」<br />      <br />          欲しいまま 気儘競り合う 破れ蓮<br /><br />

    蘇州市天平山 

          「荷花池」
          
              欲しいまま 気儘競り合う 破れ蓮

  • 蘇州市天平山の紅葉

    蘇州市天平山の紅葉

  • 蘇州市天平山<br />   <br />   壁を這う蔓性の植物

    蘇州市天平山
       
       壁を這う蔓性の植物

  • 蘇州 松鶴楼<br />       <br />   「清溜河蝦仁」<br /><br />

    蘇州 松鶴楼
           
       「清溜河蝦仁」

  • 蘇州 松鶴楼              <br /> <br />       「 緑叶桜桃肉」<br /><br /><br />    

    蘇州 松鶴楼              
     
    「 緑叶桜桃肉」


        

  • 蘇州 松鶴楼<br /><br />         「天下第一菜」<br />

    蘇州 松鶴楼

    「天下第一菜」

  • 蘇州 松鶴楼<br /><br />        「白什拌」

    蘇州 松鶴楼

     「白什拌」

  •  蘇州 松鶴楼             <br /><br />    「松鼠桂魚」

     蘇州 松鶴楼             

        「松鼠桂魚」

  • 蘇州 松鶴楼<br /><br />   

    蘇州 松鶴楼

       

  • 蘇州 松鶴楼<br /><br />   「蘇式鶏湯碗」

    蘇州 松鶴楼

       「蘇式鶏湯碗」

  • 蘇州駅南口広場<br /><br />  「北古城河」を挟み、蘇州城内の「平門」を見る<br />  「平門」の手前に、小さく見える「范仲淹の立像」<br />

    蘇州駅南口広場

      「北古城河」を挟み、蘇州城内の「平門」を見る
      「平門」の手前に、小さく見える「范仲淹の立像」

  • 蘇州駅南口広場に置かれた「范仲淹の立像」<br /><br />  989年~1052年、中国北宋時代の政治家、本籍は蘇州、字は希文。諡は、文正公。辺境を守って西夏の侵入を防ぎ、その功により参知政事(副宰相)となった。「岳陽楼記」の中の「先憂後楽」の話は有名。文集「範文正公集」

    蘇州駅南口広場に置かれた「范仲淹の立像」

      989年~1052年、中国北宋時代の政治家、本籍は蘇州、字は希文。諡は、文正公。辺境を守って西夏の侵入を防ぎ、その功により参知政事(副宰相)となった。「岳陽楼記」の中の「先憂後楽」の話は有名。文集「範文正公集」

  • 蘇州駅南口広場に置かれた「范仲淹像」<br /><br />  989年~1052年、中国北宋時代の政治家、本籍は蘇州、字は希文。諡は、文正公。辺境を守って西夏の侵入を防ぎ、その功により参知政事(副宰相)となった。「岳陽楼記」の中の「先憂後楽」の話は有名。文集「範文正公集」<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    蘇州駅南口広場に置かれた「范仲淹像」

      989年~1052年、中国北宋時代の政治家、本籍は蘇州、字は希文。諡は、文正公。辺境を守って西夏の侵入を防ぎ、その功により参知政事(副宰相)となった。「岳陽楼記」の中の「先憂後楽」の話は有名。文集「範文正公集」










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