2017/10/06 - 2017/10/06
20位(同エリア76件中)
関連タグ
SUR SHANGHAIさん
- SUR SHANGHAIさんTOP
- 旅行記918冊
- クチコミ6817件
- Q&A回答49件
- 5,794,951アクセス
- フォロワー233人
トランシルヴァニア地方は、13世紀にはドイツ系の入植者(トランシルヴァニア・ザクセン人)が定住し、数多くの村々を築き上げた場所。
それに伴い、幾度もオスマン帝国やタタール人の襲来があったため、村民や財産を守れるように教会を要塞化した城壁で囲み、いざと言う時には村民全員が立て籠もれるような設備をも兼ねた要塞教会が次々に造られていったのだそう。
こうして出来たトランシルヴァニア地方の要塞教会の数は600を数えたそうですが、現存するのは300ほど。
その内の七つが、現在では≪トランシルヴァニア地方の要塞教会のある村落群≫として、世界遺産の文化遺産に登録されています。
その七つの要塞教会は、シギショアラやブラショフの近くにまとまっているので、出来れば全部を訪れてみるのがいいんでしょうが、持ち時間には限りがあるし、忙しく見て回って印象が散漫になるのは避けたい。
訪問数は絞ってじっくり見てみよう!
その七つの要塞教会の内、三重の城壁に囲まれた堅固な造りという特に有名なビエルタン村の要塞教会は、これもまた世界遺産に登録された町並みを持つシギショアラからごく近く。
シギショアラには宿も取ってあるし、日帰りドライブも兼ねて行ってみます。(^◇^)
表紙の画像は、ビエルタン村に到着した際に見える丘の上の要塞教会。
この角度からだと三重の城壁に取り囲まれているようには見えませんが、丘の麓を一周するとその城壁の様子も見える場所があります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
表紙でちょっと触れた、世界遺産の七つの≪トランシルヴァニア地方の要塞教会のある村落群≫についてまず補足しておきます。
その七つの要塞教会があるのは、この地図に出ているようにシギショアラとブラショフの周辺に集中しているんです。
●注: この地図は、画像をクリックすると大きく表示されます。
地図中でピンク色の〇で囲んだ地名がシギショアラ。
青い〇で囲んだ地名がブラショフになります。
地名はどれもルーマニア語、ドイツ語、ハンガリー語の三本立てで書かれているので混乱に要注意。
これら以外にも、世界遺産に登録はされていない要塞教会はこの一帯に多数あります。
興味のある方は手持ち時間に合わせてあれこれ訪れてみるといいのでは。
今日行ってみるのは、シギショアラから見ると南西にあるビエルタン村の要塞教会。
三重の城壁に囲まれた堅固な造りが有名で、最初1993年に世界遺産に登録されたのはこのビエルタン村の要塞教会のみ。
その後1999年にはそのほかに六つの村の要塞教会も加えられ、≪トランシルヴァニア地方の要塞教会のある村落群≫と名称も変えられたのだそうです。
ビエルタン村の要塞教会についてはこの旅行記の中でご紹介しようと思いますが、そのほかの六つの要塞教会については次のウィキペディアのページで見てみるといいと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/トランシルヴァニア地方の要塞聖堂のある村落群 -
さて、シギショアラからビエルタン村へは、ブルガリア+ルーマニア旅のためにブルガリアのソフィア空港で借りて来た車で行ってみます。
ナビゲーターにビエルタン村の名を入れると、道筋も距離数も所要時間もこの通り。
今どきはナビゲーターのおかげで、全く土地勘のない場所のドライブ旅も楽になったよね~。
でも、紙の地図だけを頼りに、「あーでもない、こーでもない。」とか、「ここ右折禁止だ~!(´;ω;`)ウッ…」とか、「変な所に出ちゃったじゃない!ちゃんと地図見てるの!?(キ▼ω▼)怒」とかやっていた頃も懐かしいのよね。
しみじみ…。 -
シギショアラの町を出て、まずは14号線で西へ。
周りはすぐに農村風景になった。
右手にあるのは収穫が終わった後のホップ畑じゃないかな。
う~ん、どんよりとした空で、お天気が崩れそうだね。
一応傘は持って来たけど、ザアザア降りにはなってほしくないな。 -
シギショアラからビエルタン村へと向かう14号線の途中。
あれ、もうビエルタン村の宿の看板が出ているよ。
ビエルタン村は小さいんですが、あとで到着して見てみると、この画像の看板に出ているUNGLERUSというペンション以外にもいくつかお宿がありましたよ。
周辺に数多い要塞教会巡りの足がかりにしてみるのもいいのでは。 -
シギショアラから辿って来た14号線とはここでお別れして、ビエルタン村へは141B号線で。
あと8㎞だって。ほんと近いよね。
ビエルタン村への標識のほかに、見どころとしてBISERICA FORTIFICATAと出ているのはその他の村の要塞教会。
SUR SHANGHAIたちは、浮気はせずにビエルタン村の要塞教会を目指します。 -
上掲の画像のジャンクションからビエルタン村へと続く141B号線に入ると、一層鄙びた農村風景になって、行き交う馬車が多数。
人の移動にも物を運ぶのにも、今も日常的に使われているようでした。 -
ビエルタンの村の入口。
ルーマニアの国旗の青・黄・赤の周りに、ビエルタンの名所や農産物らしき絵が描き込まれて紋章風になった標識。
その標識の左上にあるのがビエルタン村の要塞教会のシルエット?
キリストの磔刑像の横には、この村が世界遺産に登録されていることを示すマークもしっかり出ています。 -
ビエルタン村の中。
古びてはいても可愛い色に塗られた民家が道なりに続いています。
要塞教会を探しながらゆっくり通って行くと、馬車が道端に。
後ろの荷車にはソファが積んであるし、脇道からもソファを運び出してくる人たちが。
お引越しですか~? (^◇^) -
上掲の画像内の道を数百m直進すると、大きな広場(12月1日広場)とその向こうの丘の上の教会がドーン!!
あれがビエルタン村の要塞教会?
三重の城壁に囲まれているって聞いたけど、ここからはそんなふうに見えないね。
…と思ったんですが、これがビエルタン村の要塞教会。
後で丘の麓を一周してみたら、しっかりと三重になった城壁が確認できました。
この広場周りは無料駐車場になっているほか、地元の人が出入りしている小さなカフェ有り。
要塞教会への入口はどこかな?
とりあえず、広場を横切って行ってみると…、 -
イチオシ
…お土産屋さんらしき木造のブースがいくつか出ているし、ビエルタン村の要塞教会への入口もきっとあるね。
この画像で見ているビエルタンの要塞教会は北側から見たもの。
あれ?時計塔が肝心の教会より高く見えるのは錯覚?
時計塔の左手に見えている黒っぽい塔は鐘楼だそうです。 -
12月1日広場を横切って行ってみると、上掲の画像左手に見える黄色い建物がビエルタン村の要塞教会への入口。
え、表には書店って書いてあるけど、ホントにここがそうなの?と入って行くと…、 -
…階段通路になった途中に書店兼お土産屋兼ビエルタン村の要塞教会のチケット売り場が。
チケットは10レイ。
店内の撮影は不可だったので画像は無し。
要塞教会関連の書籍がいろいろありましたよ。 -
イチオシ
チケット売り場から続くビエルタン村の要塞教会敷地内への階段通路。
長さは100m程。
あ、これって、昨日シギショアラで行ってみた山上教会への屋根付き階段そっくりだね。
階段はちょっときつい、と言う方は、敷地内の低い方に直接出られる通路もありますよ。 -
ビエルタン村の要塞教会へ向かう階段通路の終わり近くに展示してあった墓碑。
歴代の聖職者や村の有力者たちのものなんでしょうね。 -
階段通路を上り詰めるとビエルタン村の要塞教会の敷地内。
これは敷地の北東部にある死者の記念塔。
ここには1913年以降のこの教会の聖職者を祀る霊廟が入っているそうですが、この時には扉が閉まっていました。
じゃ、さっき屋根付き階段の中で見た墓碑類は、それより以前の物という事かな。 -
ビエルタン村の要塞教会の敷地から見下ろした丘の東麓。
ここもビエルタン村の一画ですが、さっき車で入って来た村の北側よりさらに鄙びた家並み。
教会を取り巻く城壁が画像手前の赤レンガの物も含めると三重になっているのが分かると思いますが、一つ一つの城壁は堅固だと聞いていた割りにずいぶん薄いような気がします。
ビエルタン村の要塞教会を取り巻いているこれらの城壁は一度に造られたわけではないようで、一番外側は16世紀になってから造られた一番新しいものなのだそう。
最初の城壁建造の記録は12世紀にまで遡るのだとか。 -
ビエルタン村の要塞教会の敷地内南東部には、ビエルタン村の以前の暮らしを紹介するミニ博物館的な建物あり。
一軒家的その建物は、元は仲たがいをした夫婦を半月の間閉じ込めた監房だったそうで、その期間中は食べ物もベッドも一人分しか与えられなかったが故に、却って二人は仲直りが出来たという謂れがあるそうです。
この画像の二人は、ここに閉じ込められたという夫婦を表わしているんだろうか。
画像奥の長持のような箱に1796という数字が見えているから、1796年頃の事なのかも。
これ以外にも、日常使われていたような古民具類を展示している部屋もありました。 -
ビエルタン村の要塞教会の敷地内の南側にあるのは≪カトリックの塔≫。
これは、マルティン・ルターの宗教改革がビエルタン村にも広まった時代に要塞教会はプロテスタント信者が使うようになったので、カトリック信者用の礼拝堂をこの塔の中に造ったことからそう名付けられたそうです。
ここは扉が閉まっていて残念。 -
これは、≪カトリックの塔≫近くから見下ろした丘の南麓。
ここで見えているのもビエルタン村の一画。
後でこの丘の麓も歩いて一周してみたところ、15分ほどかかりました。
村の様子が垣間見えるほか、ビエルタン村の要塞教会も違った角度から見えたり、三重の城壁も確認できるので、お時間のある方は是非どうぞ。 -
ビエルタン村の要塞教会敷地内。
その敷地内のメインの建物は、1490年頃から1520年頃の間に建てられたというこの後期ゴシック様式の教会。
中を見に行ってみます。 -
ビエルタン村の要塞教会敷地内。
これは教会の表扉の一部。
木造で風化が進んでいますが、ブドウの房などの作物が浮き彫りにされているのがまだはっきり分かります。 -
ビエルタン村の要塞教会、教会内部。
あ、ちゃんときれいに保全されてるな、という箇所もあるんですが…、 -
…全体的に見ると、ずいぶん埃っぽくてあちこちガタが来ているような…。
今現在は教会としては使われていないよね、これじゃ。
世界遺産に登録されたのに、維持費は出してもらえないんだろうか。
修繕寄付をお願いする小箱も教会内部に置いてありました。 -
ビエルタン村の要塞教会、教会内部。
祭壇周りもずいぶん埃っぽいんですが、ここには特筆すべきものが二つあるんです。
その内の一つは…、 -
…この祭壇。
1483年から1513年にかけて造られたというこの祭壇には絵画のパネルが28枚使ってあり、このスタイルの祭壇ではトランシルヴァニア地方最大の物になるそうです。
ん? SUR SHANGHAIにはパネルは19枚しか無いように見えるけど、裏にもまだあるのかな? -
もう一つの特筆すべき物と言うのは、祭壇に向かって左手にある聖具室の扉。
左の画像は聖具室外から見た様子。
右の画像は聖具室内部から見た様子。
何がすごいのかと言うと…、 -
…その錠前の仕掛け。
19もの錠が複雑に組み合わされているそうです。
1515年に造られたというこの錠前は1900年のパリ万博でも賞を受けたのだそう。 -
ビエルタン村の要塞教会、教会内部。
これは上掲の画像の複雑な仕組みの錠前で守られていたはずの聖具室の中。
今はこの通りほとんど空っぽなので、価値あるものはどこかの博物館にでも展示されているのかと思ったら、1702年の反ハプスブルクの暴動でこの要塞教会は占拠されて、めぼしいものは奪い去られたのだそう。
三重の城壁で守られていたと言っても、不落の要塞教会ではなかったと思わせるエピソードだと思います。 -
ビエルタン村の要塞教会、教会内部。
パイプ・オルガンが置いてある方向を見ても、やっぱり埃だらけ。
最低限の清掃はした方がいいのでは。 -
イチオシ
ビエルタン村の要塞教会敷地内。
これは、丘の西麓を見下ろした様子。
一番外側の城壁と二番目の城壁との間に通路があるようなので行ってみます。 -
ビエルタン村の要塞教会敷地内。
上掲の画像で見えた一番外側の城壁と二番目の城壁の間には結構広い通路が見えたので来てみたところ、その先にはトンネル風の通路も。
SUR SHANGHAIは怖がりのくせに、こういうのを見てしまうとちょっと確かめたくなるのよね。
さっきまで一緒にいた旦那はどこか別の場所に行ってしまったので、一人で近寄って行ってみると…、 -
…トンネル状に連なったゲートがいくつも。
あれ? ここがビエルタン村の要塞教会の本来の入口になるんじゃないの?
今日、SUR SHANGHAIたちが上って来た階段通路だと、簡単に敵に侵入されそうだし。 -
イチオシ
上掲の画像の通路を通って行くと、目の前にはもう一つの塔が。
この塔の名はゲート・タワー。
…という事は、ビエルタン村の要塞教会の本来の入口はこの先か。 -
ゲート・タワーの先は、丘の南麓。
一番外側の城壁に元々の出入口だったらしき扉が。
あの扉は閉まっているようだし、おとなしく最初に通った階段通路で外に出てから丘の麓を一周してみようっと。 -
また、トンネル状に連なったゲートの下を通る。
昔はここに、敵が侵入して来た時に備えて、いろんな仕掛けがしてあったんじゃないかな、と想像してみる。 -
2番目の城壁に造られた銃眼。
実際に使われたことはあっただろうか。 -
ビエルタン村の要塞教会敷地にある時計塔。
後は元来た階段通路を辿って丘の麓に下りて行きま~す。 -
ビエルタン村の要塞教会がある丘の麓に戻って来た。
着いたばかりの時にはまだ閉まっていたお土産ブースも、11時になってそろそろ今日の営業開始。
村の人たちの手工芸品や蜂蜜が主な商品なんだけど、品揃えはいいとは言えなかったのが惜しい。 -
ビエルタンの村の要塞教会がある丘の北麓。
このピンク色の建物は地元料理のお店。
11時かららしいので、軽く食べてみようかと入って行ったところ…、 -
…中も雰囲気よしで期待度が高まったのに、そこに出て来たスタッフおにいちゃんが言うには、「今日はクローズ。」
え? じゃ、なんで表扉を開けてたの?
それ以上はおにいちゃんも英語で説明できないようだし、SUR SHANGHAIたちはルーマニア語は全然ダメ。
こういう時、現地語が出来たらいいのにな、といつも思う。
残念ながら退却。
どなたかここで食事にしてみては? -
食事はあきらめたので、ビエルタン村の要塞教会がある丘の麓を歩いて一周してみます。
上の方でも言ったように、このミッションはゆっくり歩いても15分ほど。
下から見上げる要塞教会の風情もいいので、お時間のある方はぜひ歩いてみましょう。
で、これは丘の西麓から見上げた要塞教会。
大きな建物は教会の本体。
画像左手の塔は時計塔。
ここからだと城壁は二重にしか見えませんが、見る角度によってはちゃんと三重に見えるんですよ。 -
ビエルタン村の要塞教会がある丘の南麓には小川が流れていたり、民家を改装したらしき可愛いペンションも。
このあたりから見上げた要塞教会はと言うと…、 -
…上の方でご紹介した≪カトリックの塔≫が前面に大きく見え、教会本体がくすんで見えるほど。
画像右手に大きなアーチを二つ持っている平屋がありますが、これは上の方でご紹介した仲違いをした夫婦を半月閉じ込めていたという監房。
今ではビエルタン村の昔の暮らしを伝えるミニ博物館になっています。 -
イチオシ
ビエルタン村の要塞教会が三重の城壁で囲まれているというのが一番よく分かるのは、丘の東麓から見上げた時。
丘の上の建物は、この画像だと、左から≪カトリックの塔≫、仲違いをした夫婦を閉じ込めたという監房(現在はミニ博物館)、教会本体、そして死者の記念塔の順に見えています。 -
ビエルタン村の要塞教会がある丘の上から見下ろした時には、三重の城壁はとても薄く見えたけど、一番外側の城壁はどんな造り?と見てみた。
塀作りの専門家から見たら、何点の出来栄えなんだろう。 -
ビエルタン村の要塞教会の周りにも秋は来ていて、こんな青い実を付けた野草があった。
青い実と赤い茎がちょっと人工的な色合い。 -
トランシルヴァニア地方には数多い要塞教会。
その中でも世界遺産にも登録された七つの要塞教会の内、一番有名だというビエルタン村の要塞教会が見学できてよかった。
この地方にいる間に、もう一つか二つ見ておきたいね。
明日移動するブラショフの街近くにも世界遺産に登録された場所があるみたいだし。
…と旦那と言い合いつつ、今日はシギショアラの歴史地区ももう少し見てみたいのでこのまま戻ります。
あれ? 今朝ビエルタン村に着いた時に見かけた馬車での引っ越し作業はまだ続行中。
お疲れ様です~。(''◇'')ゞ -
ビエルタン村からシギショアラへ戻る途中の141B号線で見た秋景色。
今日はどんより曇ったのが惜しいな。
晴れていたら、黄金色に輝く景色だったに違いない。 -
シギショアラへの帰り道でも多数見かけた馬車。
観光用や遊びではなく、地元の人たちが日常的に使う移動手段、運搬手段なのがよく分かった光景。 -
これはビエルタン村とは別の集落。
ビエルタン村の民家と違って、どのお宅にも通りに面した二階部分には十字架の意匠が施されていて、これまた興味深い造り。
こういう家並みももう少しじっくり見てみたかったけど、シギショアラでの持ち時間も少ないので、このまま素通り。
別編では、別の日に行ったブラショフ近郊のプレジュメル村の要塞教会もご紹介しようと思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
SUR SHANGHAIさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
シギショアラ(ルーマニア) の人気ホテル
ルーマニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ルーマニア最安
600円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
50