2017/10/05 - 2017/10/05
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鯨の味噌汁さん
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オランジュに泊まるなら、ワシにも行きたいところがあった。「ファーブル昆虫館」。
町から北に10キロほどの、サラバンという村にあるそうな。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
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-
閑話休題。
日本で「昆虫記」を最初に翻訳したのは大杉栄だ。関東大震災のドサクサで暗殺された助平な無政府主義者ですね。
高校の教科書にも載ってる筋金入りのアナーキストが、なぜ昆虫記を訳したのかは知らない。
大杉はフランスに外遊した経験もあるから、帰国したときにカバンの奥にたまたまあった本なのかもしれん。
ちなみに、鯨家には奥本大三郎の訳本が、文庫とハードカバーで2セットある。
本というのはやっかいで、油断すると収拾がつかなくなり、ナダレなど発生し生き埋めになりかねないので、毎年300冊とかをまとめて処分するのだけれど、なぜかファーブル昆虫記はその淘汰を逃れている。 -
木曜日、快晴。午前9時、ホテルを出て、凱旋門を北上する。
ミシュラン社の地図(1/20万)を確かめると、サラバンの入口あたりに「L'Harmas J.H.Fabre」なんて表記がある。
Harmas(アルマス)ってのはプロヴァンス地方の方言で「荒地」の意味だそうな。
ファーブルはサラバンに引っ越してきたとき、家の周りの耕作放棄地を昆虫観察の場と定めて、そこを「アルマス」と呼んだ。
その跡地にできた博物館が、そのまま「アルマス・J.H.ファーブル」という施設になったわけだ。
日本語訳だと「ファーブル昆虫館」になるのだけれど、フランス語の感じはきっと「ファーブル記念苑」みたいなもんなんだろう。 -
凱旋門を過ぎて、橋を渡って右折。たらたらクルマを走らせると、最初のランドアバウトに、ばかでかいカマキリのオブジェが置かれていた。
カマを振り上げ、今にも襲ってきそうな迫力だ。ウルトラQの世界だな。なんてわかりやすい目印。 -
ランドアバウトを右折して未舗装の駐車場にクルマを入れ、周囲を見渡す。看板らしいものは出ていない。
さてどっちかな、ときょろきょろしていたら、80歳くらい、見事な銀髪のオバーチャンが向こうから歩いてきた。
ちなみに。
海外でトシヨリに道を聞くと、たいていはロクなことにならない。
が、上下黒のファッションでバシッと決めたこのオバーチャンは、われわれを見かけるとニッコリ頷き、
「▽●■×、ファーブル?」
なんてゆう。
でもって「ついておいで」と手招きし、奥の小道の方にすたすたと歩き始めた。するとすぐに「Harmas」のみちしるべ。 -
3分ほど歩いて昆虫館の入口だった。
オバーチャンは建物の階段をトントン上がって行った。おおお、関係者であったか。 -
9時半の開園時間に行ったので、園内はわれわれの貸切だった。
バックオフィスに職員が何人かいたので、どうやら公的な博物館として運営されているらしい。 -
ここはファーブルが晩年を過ごし、昆虫記のほとんどを執筆した土地だ。
ここでフンコロガシだのジガバチだのクモだのを観察していたわけか、なんて思うと、ややうれしい。
あのころ、ファーブルを読むと、乾いた白い土くれのにおいがしたっけ。
ワシが最初に昆虫記を読んだのは小学生のころだったと思う。
いったん離れたが、高校生のころ、北杜夫を読むようになって、文庫本で再読した。
それから社会人になって、奥本大三郎が訳本を出したので、ふたたびみたび、舞い戻った。 -
ファーブルが「アルマス」(荒地)と呼んだ観察畑には、さまざまな植物がお行儀よく植えられていた。
-
園内には池、それから噴水もある。
そういえば昆虫記には水生昆虫も登場していたよね。 -
展示室には「昆虫記」の生原稿、なんてのもある。標本もどっさり。
どれもみっちり細かい文字がつづられている。マメな人だったのである。 -
ファーブルがこの村に引っ越してきたときは60に近かった。でもってすぐに20代の村娘と再婚し、子供まで作った。
虫も好きだが若いムスメも大好きだったと思われる。
ファーブルは長命で、91歳まで生きた。
二度目の奥さんが死んだ後も生きたというから、長生きしすぎるのも考えものなのである。 -
残されているファーブルの胸像、それに写真は晩年のものが多い。
若いころは写真を撮る、なんてオカネがかかることはできなかったんだろうな。 -
ファーブルの父親は、さえないカフェのオヤジだった。
店はちっとも流行らなくて、貧乏暮らし。
子どもの教育にオカネを掛けられる家ではなかった。
だからファーブルは教育費のいらない教員養成学校にすすみ、地元の学校の先生として働いた。 -
19世紀、博物学は、貴族の息子とか大富豪の次男坊とか、つまりは遊民階級の学問だった。
ファーブルにも大学教授の声が掛かったのだけれど、それでは食っていけなかったから、泣く泣くあきらめたらしい。 -
昆虫記の執筆前、地元の学校で先生をやりながら、博物学の本を何十冊も出版したという。みんなオカネのためだった。
生活のために、専門外の「数学」の家庭教師を引き受け、前夜に一夜漬けで勉強した、なんてエピソード、北杜夫が書いてた。 -
「書くこと」で家族を養えるようになったのは、このアルマスの地にやってきて、昆虫記を出版してからだそうな。
それでも現在に比べれば同時代のファーブルの知名度は低かったから、印税でウハウハ、なんてことにはならなかったらしい。
ちなみに世界で一番「昆虫記」が読まれてるのは日本なんだそうだ。
フランスから見ればほとんど世界の果て、ともゆうべき極東の島国で、死後100年たっても、自分の本がバリバリ読まれてるなんて、ファーブルじいさんが知ったらびっくりするだろうな。 -
・・・などと妄想しつつ園内を歩いてたら。
蚊がいて、二か所ほど刺されてしまった。
なにしろここは「虫の聖地」であるから、蚊を潰すとファーブル先生に祟られるであろう。ましてや蚊取り線香などもってのほか。
よって訪ねる方は蚊よけスプレーの持参を強くおススメしたい。 -
旅の終わりが近づいてきた。
最後の宿はニースにとっていた。
途中、地中海を一望できる村・ガッサン(Gassin)に立ち寄ることにする。
クルマの走行距離はそろそろ1000キロに届きそうだ。 -
3時間クルマを飛ばし、ガッサン到着。
いい天気だ。
村は海を見下ろす高台にあり、花にあふれていた。 -
路地を歩くと、家々の間から海や山が遠望できる。
カフェに腰をおろし、風に吹かれながら、ゆっくりとお茶を飲んだ。
今夜はニースへ。あすの朝にはニース・コートダジュール空港から日本へ帰るのだ。 -
いっぱい走ったね。それに懐かしい景色にも再会できた。
そんなことを話しながら、最後の目的地・ニースへと向かった。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- mistralさん 2018/03/10 22:56:59
- 焦点を絞った旅。
- 鯨の味噌汁さん
続きまして、
ショーヴェ洞窟、ファーブル昆虫館などをめぐる旅、
流石の鯨家の旅は通りいっぺんの旅ではなく
ご夫婦の行きたいところ、に焦点を絞った旅ですね。
目的地を目指し一目散に500キロ走破!
我が家も変なこだわりから名所を外したりしますが
同じような嗜好傾向を感じて
いつも嬉しく思っています。
ファーブル昆虫記、小さい頃から愛読されてきて
いまだに蔵書の中にしっかりと収まっておられる。
鯨少年から大人の鯨さんになられて
ファーブルさんのアルマスを訪問されての感慨は
ひとしおのものだったことと想像致しました。
良いドライブの旅でしたね。
mistral
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2018/03/17 07:45:43
- RE: 焦点を絞った旅。
- mistralさん、
焦点を絞ったとゆうか、とっちらかしたとゆうか…
この旅はパリ凱旋門賞、ヴェズレー、オランジュと配偶者から三つのお題が出ていたんです。
当初は列車中心で組み立てたんですが、ヴェズレーと洞窟でそのプランはあっさり挫折。現地六泊も短いし、途中からレンタカーにしたんですの。ファーブルさんは旅程を組み終わってからの発見でした。
結果的には行けましたが、途中まるまる一日移動日になっちゃったの。もったいないなぁ。ちょっと反省しました。
だって読んでいただければ分かると思いますが、クルマの運転って苦手なんです(笑)。
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