2017/09/06 - 2017/09/12
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suizuhさん
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今回の旅の行き先は中国の東方地方の黒龍江省と吉林省。
9月上旬の一週間の旅は、それなりに苦労もありましたので、これから行かれる方に少しでもご参考になればと思い、綴らせていただきました。
行程は、東京(成田)→ ハルビン → 黒河 → ハルビン → 佳木斯 → ハルビン → 長春 → 東京(成田)です。
(【写真】は、早朝、黒河市内の黒龍江河畔から対岸のロシアを望んだものです。)
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
(【写真】は、ハルビン市内のホテルの椅子。)
第一日目:東京→ハルビン
今回の旅の行き先は中国の東方地方の黒龍江省と吉林省。
9月上旬の一週間の旅は、南方航空の”成田→ハルビン”直行便から始まりました。(ちなみに帰りは、南方航空の”長春→成田”の直行便。)
以下、文章が長くなりますが、それなりに苦労もありましたので、これから行かれる方に少しでもご参考になればと思い綴らせていただきました。
さて・・・、成田での搭乗窓口は同じ航空会社のハルビン行き、大連行き、を同時に受付していたせいか行列が長い。
約3時間の飛行後、無事に中国入国。
国際線到着ロビーで両替(日本円→人民元)店をみると、なんと営業していない。(この時点では余り気にしませんでしたが。)
手持ちの人民元は約300元だけど、市内のホテルへはバス(20元)で行けるので、いったん国内線発着場へ連絡の無料バスで移動したのち、市内への連絡バスに着席。
満席になるのを待って発車(16時頃)。
両替を東京でしてこなかったのは、ひと昔前の経験があって現地で「何とかなる」との判断もありましたが、後でたいへんでした。
(注:想定していたのは、
(1) ホテル近くの銀行での営業時間内での両替、
(2) ホテル内の銀行窓口での随時両替、
(3) ATMでのクレジットカード(UC/MASTER) での人民元のキャッシング、
でしたが、結局、(1)のみが可能という結果です。
数年前までの体験では可能であった飲食店での利用も今回は軒並み不可。あとで調べると(日本ではなく)中国国内でつくった銀聯カードが最強、のようで、金融の世界での長城ができてしまった感ありです。)
目的地の”中央大街”バス停から徒歩約10分でホテル(中央大街と交わる西十道街) 到着(17時過ぎ)。
チェックイン時、フロントの人に「担保金とあわせて宿泊代金(160元)はクレジットカードで可?」と聞いて試したところ 「不可」。
やむなく「明朝、銀行で人民元を調達するので、それまで何とかなりませんか?」
→責任者らしき人がでてきて 「・・・。ではパスポートを担保に預かりましょう。」と臨機応変の対応をして貰って落着。 -
(【写真】は、ハルビン市内のホテル傍の飲食店で。)
さて腹ごしらえ。ですが何せ先立つものが不如意なので、とりあえずホテルの並びの数件隔てた西洋料理店("露西亜珈琲西餐"小綺麗で少し高そう) で「このクレジットカード使えますか?」
→ 試した結果、ここでも「不可」で、日本円での支払も同様。
→「何とかならない?」
→「もしかすると日本料理店では可能かも。そこのショッピングセンタ(”金安国際B座”)の5階にあるから行ったら?」との情報を得て直行。
「大丈夫」といわれ、ほっとして席について冷たいビールを注文したところで・・・、「念のためカードを試してみましょう」 となり、またしても先ほどの店と同じ結果となってしまい退散。
今度は近くのATMでチャレンジ。いちばん手応えのあったATMも「残高不足」のメッセージ。「?」。
仕方なく、夕食は最寄りの小さな食堂で虎の子の人民元を握りしめて残金を気にしながらすませるほかありませんでした。(40元)【写真】 -
第二日目:ハルビン→(黒龍江省)黒河
晴。木曜日。起床(6:00)後、爽やかな空気の中を、綺麗な中央大街、スターリン広場、松花江沿い、を散策。
早朝、中央大街ではたくさんの人が掃除をしていて、ほかの街でも見られるゴミ箱もここでは尋常の数ではなく、観光地での行政の力の入れ方を感じる。犬と散歩する姿も多い。【写真】
朝食後、銀行の営業開始を待ってホテルの左手向にある中国銀行で人民元への両替完了。(先に訪れた建設銀行では、9時半にならないと担当がおらず両替できない、急ぐのなら中国銀行へ、とのこと。)
人民元を懐に、今日の目的地の黒河へ向けて、ホテルに手配をたのんだタクシーでハルビン空港へ。(150元での請負)
平日のせいか、途上の大きな交差点ほか市内で渋滞したものの1時間ほどで到着。 -
(【写真】は、黒河空港着陸後。)
航空便は東方航空で、搭乗以降、黒河着陸(定刻どおり14:00) まで順調にすすみ、係りのスタッフの動きも安心感がありました。
黒河空港に降り立つと、澄んだ青空は高く空気はひんやりとして、視界の範囲では周りには草原しかみえない。【写真】
緯度でいえば南樺太と同じ北の中ロ国境へ来たことを体感。およそ80年前、秩父宮も航空機で視察に来られたそうです。
その空港から20km弱の黒河市内へは10人乗りくらいの乗合バス(20元)で、満席になるのを待たされて移動。下車、徒歩後ホテル到着(15:00)。小雨が降りだす。
チェックイン時、パスポートをコピーのために受付に手渡したとき、なぜか時間がかかるようで、「あとで部屋へ持参します」とのことでしたが、部屋で待っていてもなかなか来ないので電話したところ、「今すぐに」とのこと。
3回の督促でも引き延ばされ続けたので受付へ出向くと、(やっぱり)既にコピーはできていて、にっこりとして、すぐに手渡してくれましたが、結局、30分経過。国境の街なので、何やらあったのかもしれません。 -
(【写真】は、黒河市内のロシア料理店。開店直後。)
夕食。予め調べておいたホテル近辺のロシア料理店5軒をめざして散策開始(16:00)。
街の佇まいは、白を基調とした西洋(ロシア?)風の建物が多く、漢字の看板を除けば、中国に居ることを忘れそう。 西洋人らしき人も、家族連れなどを結構見かけ、ざっと10%くらいか。
地図を広げて歩いていると、中年の男性が近づいてきて「地図のこの店(”紀念日西餐店”)はもう閉じたよ。アムール西餐店ならその角を曲がったところだ。」といって親切に途中までついてきてくれたので入店(17:00)。
店の前にこの店の名前のついたバス停があるほどの街のランドマークらしい。
2階にあがると100人は入れそうなフロアのほか個室がいくつかみえたけれど、食事終了(19:00)までの間、フロア席のほかの客は1人のみでした。【写真】
ロシアの景気が良かった一時期にはロシアから黒河への人の流れは「運び屋」も含めて相当なものだった、ということを想い出しました。
地元政府がロシア側の経済情報を伝えていますが、対岸のブラゴベンチェンスクの造船所の受注が無いなど不景気のようです。
日没後に再び降り始めた細かい雨のなかをホテルへ。 -
(【写真】は、黒河対岸のロシアの街の遠景と黒龍江の辺での釣り人。)
第三日目:黒河→ハルビン
晴。金曜日。起床(6:00)後、凛とした空気の中を、黒龍江縁の公園(文化宮広場)を目指しながら街の散策を開始。
河畔に立つと、対岸の1kmくらい先のロシアのブラゴヴェシチェンスクの白っぽい家並、ビル、煙突の煙などが望める。
眼下には黒龍江(アムール河)のかなり早そうな流れに釣り人がひとり糸を垂れているのが見える。【写真】
この河が凍るほどの冬の寒さは想像できそうもない。
視界の大半を占める、遠くの地平までを覆った深く青い空の下で深呼吸。
ここ黒河市(今の人口は170万人で98%が漢族)にはかつて、対岸のロシアのブラゴヴェシチェンスク(今の人口は20万人。ロシア極東の軍事の要衝。) と対峙して満洲国の対ソ連防衛の拠点があったとか。 -
(【写真】は、黒河市内の”ロシア商品街”入口。)
河畔から公園を抜けたところが”ロシア商品街”。【写真】 -
(【写真】は、黒河市内の”ロシア商品街”の魚屋さん。)
この時間帯(7:00 前)は店舗はまだ開いていなくて、道を挟んで通りの先まで露店がぎっしりと並んでいる。売り物は野菜などの食料品が中心で、中にはスイカや金魚も。また、鮒をはじめ川魚と思しき大ぶりの魚がごろっと横たわっているのは、川辺の街の市場らしい。【写真】
朝食後(7:20)、黒龍江の中州の中国領”黒河島”へタクシーで向かう。風が強く、薄手の上着だと寒い。
いそいそと”中ロ自由貿易城”の向いの市場へ入る。(8:00)
ビルの中には小さな店が犇めいているけれど、どの店もほぼ同じような品揃え。朝早く、客も疎らだったせいか「今日の最初の客だから勉強するよ。ここじゃ領収証は無いよ。」といわれた一軒で、羊皮(と聞こえた)のベルトを購入。(50元)
電子ライタ(50元前後)は、ガスライタのように航空機に搭乗するたびに没収されることはないので中国で人気があるとか。
買い物終了後、市内へのバス(1路)で、市役所前の構えの大きな通り(通江街)を経てホテル近くの”東市場”バス停で下車(9:30)。(1元) -
(【写真】は、黒河市内の”黒河博物館”の展示品。)
午後のハルビンへの航空便(14:50出発)までの時間を利用して”黒河博物館”へ。入館は無料だったけれど人気薄のようで、入ると、若い女性の館員がつきっきりで、次々に照明をつけながらアテンドしてくれました。
展示品はロシア作家の油絵、清時代の陶磁器が主体で、地元のものはオロチョン族の木製の工芸品(注:ほんとは、これ以外にも、ここしかないという発掘品の神像、太陽、月、動物などの像、もあったようです。) が若干【写真】と特別展の李五という地元作家の絵画(白樺の皮を画底にした立体感ある油絵)でした。
館員「日本のどこから来たんですか?」→「東京・・・」→「じゃ、これ知ってますか?」とスマホでみせてくれたのが、小さな女の子が対になった人形の写真。よくみると”小樽”の店のようなので、「小樽へは行ったことがあるけれどこの人形は覚えていないな。東京じゃなくて北海道だよ。」「え。」といったやりとりで、日本の文化への関心、netの力を実感。中国にいても外国の情報は(旅行者を通じて)結構はいるんですね。
http://baike.cang.com/view/13157.html
一休み後の昼食はホテルのすぐ前の食堂へ。
持ち帰り弁当が人気のチェーン店のようでしたが、壁にある写真つきメニューのなかから値段の手ごろな牛肉麺(8元)を選択。(11:20) -
(【写真】は、黒河市内、東市場ちかくの路上で遭遇した猫。)
黒河、ハルビンいずれでも犬の散歩は日本以上、と感じる頻度で見かけましたが、猫はほんとうに久しぶりです。 -
(【写真】は、黒河空港離陸前。)
空便の出発には少し早いけれど安全をみて空港へ。
足は、予約しておいた朝に使ったタクシー。運転は予約時のおじさんではなくて整った顔立ちの若い女性に変わったけれど、料金の方は約束どおりに60元。
空港までの道路にはほかの車が殆ど無くて、路縁に綺麗に植えられたコスモスや周りの玉蜀黍畑を見ながら快適に走り、30分ほどで到着。(12:10)
ハルビンへの便(東方航空)は機材遅れからか、目の前で着陸【写真】するのを見てから30分ほどであわただしく搭乗。 少しばかり暖かいハルビンを目指して出発。
今夜のハルビンの宿は中央大街と交差する上游街のホテル。
空便でまたしても没収となったライターを改めて調達にホテル前のコンビニ(便利店)へ。
「ライターをください」→「?」→発音の「d」に力が入っていなかったようで、言い直しの「ライターをください」(da huo ji)でようやく「そうだろ。ライターだろ。」→「はい」といって再度副唱。やっと発音の先生から購入完了。
ライターの値段は1元で、今回の旅行中に購入した3個の中で最安値、と良心的でした。(ちなみに最高値は、黒河の空港の売店での3元。以前の大連での経験と同じだったので空港相場は3元のようです。)
その日、金曜日の晩の中央大街は若い人を中心に人で溢れている。
水餃子を食べたファストフードの小さな店でも仲良くカップ麺を前にしたカップルが目立つ。(カップ麺(杯麺)は袋入り麺よりも値段が高いのでよそ行きのものなのかも。)
ホテルでは部屋が一階で、部屋の窓のすぐ外の暗い路地から通行人の話声が聞こえるような環境だったので不安を感じながら、それでも就寝。 -
(【写真】は、佳木斯駅・バスステーション前。)
第四日目:ハルビン→佳木斯
晴。土曜日。起床(6:00)、食事後、ホテルに手配して貰ったタクシーで40分ほどで空港へ。(170元の請負。)
土曜日のせいか道は空いていて、増築中のハルビン空港国内線出発口までは順調・・・。
佳木斯行きの便への搭乗手続きに幸福航空のカウンタへ。 受付の人が画面に入力を始めると、すぐに別の担当者のところへ行って何やら相談。結果、
「この便は欠航になっています。」
との返事が返ってきた。
→「何?この旅行会社(中国桂林)に電話して情況を確認して貰えませんか?」と言うと、丁寧に手持ちの携帯電話で繋いでくれて私に電話を寄越した。
旅行会社に聞くと、「この便は集客不足で欠航となったので、3日前に日本のメールアドレスへ連絡したんです。既に料金の払戻手続きをとっています。」→「わかった」というほかない。(せめてホテル出発時に旅行会社に確認しておけばよかった。これまでの中国国内の経験ではこうしたことが皆無だったんですが、海外旅行では鉄則なんだそうですね。)
→「夕方の便もありますけれどチケットを買いますか?」
→ 売り場までアテンドまでしてくれるという別の係りの人へ 「また、欠航になることはないですか?」 と水を向けると、
→「それは無いです。」
とのこと。だろうね。それにしてもかなりの待ち時間があるので、航空便はあきらめてバス便で行くことに決定。(10:00)
タクシーで向かったハルビン駅東口は工事中のせいか(?)、停車可能場所を探すうちに駅前の同じ道を二回回って漸く下車。(185元のメータ料金。運転手の肩章の星はひとつ。このときは経験不足なのかも、とも感じたが。)
降りた途端、待っていたかのように白タクの客引きが現れ「佳木斯へはひとり150元、4人乗りで。そのうちから私の手数料20元でどうか?」
つまり約400kmの行程で一台借りる料金が600元。安いが、念のため「どんな車なのか見せてくれ。」というと5分ほど歩いた駅東側の路上に停車中のセダン(車種不明)へ案内される。
何とか乗れそうなので 「残りの客はいつ来るんだ?」
→「それが、会議が終わったらここへくることになっているんだが、今、電話が通じない。」 土曜日でも仕事のある人がいるらしい。
まあ少し待ってもいいか、と一服しようと車の外へ出ようとすると、煙草をすすめながら話しかけたりして出させない。(逃がさない。)
話のなかで ”黒河→ハルビン→佳木斯”の行程のことをいうと、「それだったら、”黒河→佳木斯”のルートで車でも行けるんじゃないか。2000元だろう。」とのこと。
この料金は、黒河のタクシーの運転手から勧められたときの料金と同額だったので、なぜか感心したけれど、それほど”ハルビン→佳木斯”が不便ということなのか。(実際に今回の旅でも、バスで5時間、タクシーでも4時間を要した。)
そのうち、待っても残りの客はやはり来そうもないし、運転手も平然と電話連絡の素振りすらしないのでそのまま出発。
”ハルビン→佳木斯”の行程の約1/3のところのサービスエリア(確か、「得莫利」服務区の前)で給油。これをきっかけに運転手から 「ここで代金(580元)を全部払ってくれ。」 と常識外れの、強気の要求。
→「は?まだ目的地に着いてない。」
燃料代を払ったとかなんとかのやりとりを経て、中間金300元を握らせて何とか出発させる。
しばらく走って、方正という町(”ハルビン→佳木斯”の中間点近く)の手前、高速道路の路肩に別の(白)タクシーが停車しているのが見えると、そこに合流。
その、佳木斯から来たらしき車から客4人が降車してきて、当方の乗ってきた車に乗り込んで客の入れ替を行うという。?。
それが終わるとそれぞれの方向を目指して出発したが、運転手は平然と「いつもこうなんだよ。」。事前に全く聞かされていない取引だ。
乗替え後の車がホンダで社内が広くなったのが救いだが、逆に交換相手の車の乗客には体格の大きい黒人の客もいたし、どうなるんだろう・・・。
目的地の佳木斯市の高速道路降り口の料金所。
なにやら揉めている様子だったけれど、最後は、料金所の担当の女性に10元札を何枚か押し付けて強硬突破。(これでも何とかなる?)
(白)タクシーの動きからすると、高速道路のこの降り口は入ったところと同じで、途中で引き返して戻ってきた、ということなんでしょう。
スマホ、煙草、ハンドルを同時に手にする若い運転手だったけれど、約束どおり、目的地のホテル前へ無事に到着。
料金の残金と中間金との合計は当初約束したとおりの額で、乗継システムは統制がとれているようでした。
ホテル入宿後、翌日のハルビン行きの長距離バスの切符を手配するために、列車駅前にあるバスステーションへ。
入口の荷物検査場の前、通りの側に切符売りが大勢、持っている切符の行き先を告げているのを横に見ながら屋内の切符購入窓口の行列に並ぶ。
(後で理解できたのですが、長距離バスの切符は、ダフ屋から購入すると身分証が不要、そして、列車と違って乗車の際にも切符と身分証との照合もしっかりとされていないので「便利」。結局、ダフ屋から購入する結果となってしまいましたが。)
順番がきて、切符購入窓口にパスポートを預けていざ発券、と思いきや、何と 「身分証(パスポート)番号を端末に入力できないので発券できない。」とのこと。
→「?。何とかならないの?」の押し問答の末、あなたができないんだったらほかの、入力できる人に替わってくれ!とも言いたくなったんですが、行列の後ろが騒ぎ出したので、立て直しのためにいったん転進。
すると・・・、中年の男性が前に現れ、本人とも異なる人の身分証をトランプのカードのように何枚も見せながら、「これで替わりに買ってあげよう。手数料10元でどうだ?」 との親切な提案があったので、切符代(112元)、手数料に足りる現金を握らせる。
男気のある「代理人」はそこからが素早かった。
電光石火、行列の最前、窓口に柵を乗り越えて強引に割り込んで、あっという間に切符を手にして戻ってきた。
行き先、発車時間は代理人へ告げた覚えはないのに、なぜか、先刻購入しようとしたものと合致していて問題ないが、切符表面には見知らぬ人の名前が刷り込んであるのにはとても不安な気がする。
ただ、ダフ屋の商いが成り立っているようなので、この切符に賭けることにした。代理人へ「助かりました。」。
ほっとして、市内を南北に縦断する目抜き通りの中山街を松花江辺のホテルへ向けて徒歩で帰る。
途中、新中国建国時の功労者の名を冠した(孫)西林公園(注:満洲開拓にゆかりの東宮鐵男氏の名を冠した旧、東宮神社。)を巡る。
列士紀年塔の前に配された二基の狛犬の基石らしき石造物が、このロシア国境に近い東北地方由来のものでないとすれば、やはり80年前の神社の痕跡か。
佳木斯の街は市役所の建物がロシア風であったりするのを除くと、概ね華北以南の街と同じ趣である。ビジネスホテルの全国チェーン店もあるが、駅前の立派な公衆トイレ【写真】の威厳は印象に残った。 -
(【写真】は、佳木斯市内の松花江河畔。)
松花江のほとりに立って左側の上流の大陸に日が沈むのを眺めるていると、見えるわけでもないけれど、その先はハルビンで、かつての往来の主役が船であったことを思い出す。【写真】
黄昏の時間、河畔に沿った公園では散歩の人の波が途絶えず、ダンスの広場は北国の夏に盛り上がっていました。
さて、ホテルへ担保金を納めたので手持ちの人民元も残り少なくなってきた。
最悪、明日朝に中国銀行で両替が可能だけれども、もしかすると、日本料理店だったら日本円で清算できるかも・・・という淡い期待を胸に、”耕海日本料理”(通江街)へ。
大連にある大和日本料理店のグループ店とのことで、久しぶりの母国料理だったからだけではなくて、豆腐の上にいくらをのせた和え物、大阪焼きは意外と美味しかった。
客に日本人らしき人は見えず、地元の人に受け入れられているように見えました。
ただ、日本から持参のクレジットカード(UC/Master)はやはり使用不可、日本円での清算も女性の責任者曰く「微妙な話」で、かつ周りの客の耳に入ってしまったせいか、結局は不首尾。(常連客、または1万円近い支払い、であったら可能だったかも?。)
明朝のバス(8:00発)に無事に乗車できるのを願いつつ就寝。
中国へ入ってから4泊目。この間、部屋に電話がかかってこないのがどうにも不思議で、時代の変化を実感。 -
(【写真】は、佳木斯からハルビンへ向かう高速道路の「得莫利」サービスエリア。)
第五目:佳木斯→ハルビン→長春
晴れ。日曜日。ホテル出発時、バスに乗れないことも想定してハルビンまでのタクシーの情報を尋ねたところ、
「長距離バスの方がいい。30分に1本はでているし安い。」
→「中国の身分証を持たない外国人でもバスの切符は買えるんですか?」
→「問題無いよ」
とのことで、キズのある切符のことも忘れてバス乗り場へ。
別人の名前の入った切符を手に、バス乗車場前の検票場の行列に気合を入れて並ぶ。結局、検票担当が気まぐれに身分証の提示を求めるといったこともなく、無事に乗車。
このときはさすがに「ほっ」としました。
その後に、ハルビン西駅でパスポートを提示して新幹線の切符を購入し、乗車時に身分証との照合を受けた、のとは異なる発券・検査システムがこの地方都市では働いているんだな、と感じました。(あるいは、窓口などの担当によって扱いが異なるのかもしれません。) -
(【写真】は、ハルビン西駅のプラットホーム。)
”ハルビン西駅→長春西駅”の移動は新幹線で1時間ほど。(109.5元)
日本の新幹線での移動との間での違和感はありませんでした。
切符購入の行列で、「急いでいるんです」という割込みの人に順番を譲った後で、運よく、すぐ次に発車する列車の最後近くの席が購入できました。 -
(【写真】は、長春西駅へ向かう車窓から。)
ハルビン西駅から長春西駅までの新幹線の車窓からは、写真のような眺めが延々と続きます。(少し離れて、これと並行する在来線でも同様であった記憶があります。)
長春西駅は長春駅や市内から離れていて、ホテルへはタクシーで。(8kmで27元) -
第六日目:長春
晴。月曜日。
今日は市内の歴史建造物を探索。
宿泊したホテル(南湖公園近く)から徒歩約10分のところに駅(動植物公園)のある地下鉄1号線は真新しく、構内は明るくてホームドアも設置、市内の中心部を南北に縦貫する通り(人民大街) の下を走っていて便利でした。(2元)
ただ、午後に偽満皇宮陳列館を訪れたとき、この1号線の長春駅北から4号線へ乗り換えましたが1号線からの通しの切符が無く、いったん改札を出て再度切符を購入する必要がありました。
午前は地下鉄を利用せず、まず徒歩で、かつて新京と呼ばれたここ長春の、新京時代の旧官庁街のあった新民大街(”中国歴史文化名街”)へ向けて散策。
途中の街路樹の多い通りで偶然に見かけたのが、「深夜食堂」という、日本でも聞いたことのある名前のお店。(【写真】)
新民大街の中央には松などの樹木に覆われた遊歩道が設えられ、昔は順天大街といわれたように、突き当りは、帝宮の建設予定地であった、今は文化広場という名前の広大な公園です。
この日、旧満州国の国務院、司法部、の建物は現存しているものの改修工事中で、今回は、近くの旧軍政・治安部(現、吉林大学第一病院)を見て終了。
旧宮内府 (皇帝の仮住まいであった”偽満皇宮陳列館”) をはじめ、80年以上も前の都市建設当時の姿が維持され、文化革命さえも経て後世へと伝え続けられてきているのには考えさせられます。 -
次は市内電車【写真】です。
現在の吉林大学第一病院の旧建物(現在は”国家重点文物保護単位”)と、それに隣接する新たな壮大な医院の建物を左に見ながら西へ約1kmの市内電車(軽軌。新京時代にあった路面電車の西に、南長春駅までは鉄道に沿って走っています。)の解放橋駅へ徒歩で移動。
電車に乗って市の南に位置する長春大学 (旧、”建国大学”の辺りに位置。) の近くの”衛星広場” 駅で下車。 -
(【写真】は、長春市内の飲食店での”過橋米線”。)
昼食は雲南の”過橋米線”。【写真】(12元)
なぜか、長春ではこの、米が材料のうどんに似た麺の店が多くて不思議です。 入った店では”過橋米線”の逸話が掲げられてはいましたが、学生らしき若い客には赤い色の辛醤をかけたものが人気のようでした。
こうした米文化とは別に、日本料理店も地元の客に受け入れられて根付いているように感じた経験もあって、全般に、華北より南の地方の街とは異なった趣と歴史とが感じられました。 -
(【写真】は、長春市内の南湖公園畔。)
1930年代につくられたおおきな人工湖。
いまでは周辺に高層の建物が立ち並んでいますが、都市のなかの貴重な自然となっていて、南畔の南湖賓館もかつてのリゾートホテルの趣を保っているようにみえます。水面越しの風も心地よい。(写真の空からは想像しにくいですが、以前、夏の晴れた午後に滝のようなゲリラ豪雨に遭遇したこともありました。) -
(【写真】は、長春市内の青果店前のうさぎ。)
長春南湖公園近くの青果店前の一こま。
店の品揃えとは違っているので食用ではないと思います。(香香?) -
(【写真】は、長春市内の地下鉄1号線の動植物公園駅構内。)
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第七日目(9/12)長春→東京
本日の航空便(南方航空)の離陸が 8:15 であったことと安全をみて、日の出前の起床(4:00)。
ホテル出発(5:00)後、空港への道は空いていて、約30kmの行程を日の出を見ながら約40分で到着。(131元)
なお、市内から空港への足で最も早くて安いのは吉林方面と連絡する都市間高速鉄道で、長春駅→龍嘉(空港隣接)の乗車時間は約14分間、31.5元なのですが、始発(C1201 )が7:15なので今回はタクシーとなりました。
http://huochepiao.114piaowu.com/changchun-jilin.html
長春空港の国際線出発便数は非常に少ないようで、案内のボードを見た限りでは、その日の出発便はバンコク2便、東京1便ほか計5便。
国内線に比べて圧倒的に少ない利用者数なんですが検査の方はより厳重で、国内線とは異なりチェックインカウンタに入る前から第一次荷物検査があって行列ができています。
はじめは1列に整然と並んでいたものの、いつの間にか割込みの流れの方が勢いを増してきて確固たる地歩を築いてしまいました。
そんなわけで渋滞、チェックインまでに約1時間。
その後の流れが順調だったので、全般に客の流れをよくするための工夫が必要なんでしょうね。
空路は、朝鮮半島を掠めたかどうかはわかりませんでしたが、無事、日本海を超えて予定時刻どおり東京(成田)到着。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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