2017/09/19 - 2017/09/19
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ゆずのはさん
2017年9月15日(金)から19日(火)の四泊五日の夫婦旅の続きです。
いよいよ旅も最終日、ポピースプリングス&スパをチェックアウトし、和気清麻呂出身地の和気町、この旅7県目の兵庫県は赤穂市の大石神社、赤穂城跡、岡山県に戻り備前市の閑谷学校を観光し、岡山空港に着くまでを記します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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9月19日(火)朝10時、ポピースプリングス&スパをチェックアウトし、兵庫県赤穂市へと向かいました。
吉井川に架かるゆ~らぎ橋の噴水を車窓越しに眺めました。 -
吉井川の流れ。
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吉井川の流れに沿ってドライブし、和気清麻呂出身地・和気町のJR和気駅へと向かう途中で見かけたキムラヤのパンの看板発見。
…パン好きとして見逃せません(笑) -
銀座木村家の流れを汲む岡山県地方のパンのチェーン店の和気店だそうです。
置いてあるパンは種類豊富ですが、コッペパンが売れ筋のようです。
木村家の代名詞・桜あんパンもあり、バナナクリームをサンドしたコッペパンが特に人気らしいです。
バナナクリーム、マーガリン、コーヒー、ブルーベリークリーム、黒豆のパンなどを購入しましたが、確かに、バナナクリームのパンはおいしかったです。
調べたら、ネット通販もできるようなので、そのうちバナナクリームのパンを購入してみようかな。 -
JR山陽本線和気駅。
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和気駅駅舎内にあった和気駅の木製の古い看板。
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和気駅から県境を越えて、兵庫県赤穂市へと向かいました。
忠臣蔵で知られた赤穂四十七士を祀った大石神社と赤穂城跡を観光します。 -
赤穂城跡へ到着。
江戸城松の廊下での吉良上野介に対する刃傷沙汰により、即日切腹を言い渡された浅野内匠守…お家は取り潰しとなり、元禄15年12月14日に起こった大石内蔵助率いる赤穂浪士の吉良邸への討ち入りの話はあまりにも有名ですね。 -
赤穂城跡の一部に建つ、大石内蔵助他、討ち入りに参加した四十七士を祀った大石神社。
四十七士一人一人が石像になっているのですが、なぜか中国の兵馬俑を連想してしまいました。 -
堀部安兵衛の像。
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こちらは大石内蔵助こと大石良雄。
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大石神社神門。
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明治33年(1900年)創建。
大石内蔵助他四十七士、萱野重実(三平)、浅野家三代、森家七将を祀っています。
森家とあるのは、浅野家断絶の後、転封してきた森家が明治維新まで赤穂藩を治めたため、森家の遠祖である七将も祀られており、城外にかつてあった赤穂神社のご朱印も頂けるようになっています。
うちの夫(カメラ小僧)、私は大石神社のご朱印を頂いたのに、なぜか赤穂神社のご朱印を頂いていたので、「どうしてわざわざ赤穂神社のご朱印をもらうかなぁ?普通は大石神社でしょ。」というと、「えぇ、そういうものなの?赤穂神社の方が名前がカッコいいかと思って」ですって。
どちらを書いてもらうのも本人の自由ですが、私のイメージでは赤穂神社は森家、大石神社は赤穂義士と思っていたので、当然、どちらか一つを選ぶとしたら大石神社のご朱印を書いて頂くのがスタンダードかなと。
で、結局は社務所に慌てて戻り、大石神社も書いて頂いていた夫(カメラ小僧)なのでした…(笑) -
本殿。
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赤穂城の櫓が見えました。
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左が社務所(こちらでご朱印を頂きます)、右が義士宝物殿。
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大石内蔵助良雄の像。
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大石神社から赤穂城跡へやって来ました。
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国史跡赤穂城跡の石柱。
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お堀。
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反対側のお堀。
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大手門。
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天守台跡の石垣。
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【赤穂城について】
別名:加里屋城、大鷹城
城郭構造:変形輪郭式平山城
天守:建造されず
築城主:岡光広
築城年:1466年(文正元年)~1483年(文明15年)
主な改修者:池田長政、浅野長直
主な城主:池田氏、浅野氏、森氏
廃城年:1873年(明治6年)
遺構:石垣、堀
国の指定・名勝:本丸庭園、二の丸庭園
再建物:櫓、門、庭園 -
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大石内蔵助良雄の長屋門。
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再建の櫓。
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街中にある井戸。
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赤穂市の看板。
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再び、岡山県に戻り、備前市にある旧閑谷学校を観光しました。
以下、パンフレットより。
【閑谷学校について】
閑谷学校は江戸時代前期の寛文10年(1670年)に岡山藩主池田光政によって創設された庶民のための公立学校です。
初めて閑谷の地に来観した池田光政は、「山水清閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛、地方のリーダーを養成する学校の設立を決めたのです。
この学校の永続を願う藩主の意を受けた家臣津田永忠は、約30年かけて、元禄14年(1701年)に現在とほぼ同様の外観を持つ、堅個で壮麗な学校を完成させました。
平成27年(2015年)4月、「近世日本の教育遺産群」として特別史跡旧弘道館(茨城県水戸市)、史跡足利学校跡(栃木県足利市)、史跡咸宜園跡(大分県日田市)などとともに最初の日本遺産に認定されました。 -
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閑谷学校についての詳しい説明板がありましたが、寛文10年(1670)備前藩主池田光政公が創設した庶民教育の殿堂である、と入場券の裏側に記載されていました。
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受付で見学料400円を支払って中に入ります。
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『日本遺産決定!旧閑谷学校』の看板が掲げられていますね。
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学校を取り囲む300年前に築かれた堅牢な石塀は、765mにも及び、旧閑谷学校に独特な景観を生み出しています。
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校門(鶴鳴門)。
屋根には備前焼の本瓦葺き、棟には鯱を乗せた正門。 -
校門を真正面から。
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閑谷神社。
池田光政公を祀っているそうです。
本殿内には御神体として、光政公の座像が安置されています。 -
右側に見えるのが講堂で、元禄14年(1701)備前藩主綱政公(光政公の子)が完成したもので、備前焼の屋根瓦が美しい建物です。
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閑谷神社本殿を門から望む。
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国宝の講堂。
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講堂内。
入母屋造り、しころ葺きの大屋根に火灯窓の荘厳な雰囲気の外観、この建物の屋根は創建当時は茅葺きだったとか。
その後、改築により現在の堅牢な備前焼瓦に葺き替えられ、内部は、10本の欅の丸柱で支えられた内室、その四方を囲む入側とで構成されているとあります。
ピカピカに磨かれた床に火灯窓が映りこんでいました。 -
講堂と繋がった習芸斎(農民たちも学んだ教室)、飲室(教師と生徒が湯茶を喫した休憩室)。
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文庫。
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資料館。
明治38年(1905年)に学房跡に『私立中学閑谷校』の本館として建設され、その本館部分を資料館として公開しています。 -
沖縄や九州南部を思わせる独特な石塀は何度見ても見事です。
足利学校にも昨年行きましたが、この閑谷学校は庶民のために藩主が創建したというのがまた特筆すべき点だと思います。
ここにも以前から来たいと思っていたので、今回の旅で念願を叶えることができました。 -
夫(カメラ小僧)は時間があれば他にも寄りたいところがあったみたいですが、4時55分岡山空港発のANAに乗らないとならないため、そろそろこの旅も終了となります。
そういえば…尼子十勇士の一人で、尼子氏再興のため『願わくば我に七難八苦を与え給え』と三日月に祈った逸話で知られ、奮戦虚しく毛利方に捕らえられ、高梁川の阿井の渡しで処刑されてしまった山中鹿之助の墓にも寄るのをすっかり忘れていました。
次回、いつ来れるかわかりませんが、またいつか岡山県をゆっくり観光できればと思います。 -
午後2時55分、岡山空港に到着。
ガソリンを満タンにし、トヨタレンタカーに返却して、空港まで送って頂きました。
空港の売店で、岡山銘菓大手まんじゅうを買おうと思っていたら、火曜日は工場が休みで販売もお休みなんだそうで。
大手まんじゅうは日本橋高島屋でも手に入るけど、やっぱ岡山で買いたい…仕方ないから、次回のお楽しみにしようと思います。
そんなこんなで、四泊五日で慌ただしく四国4県と広島県、岡山県、ちょこっと兵庫県を巡った旅は終わりとなりました。
これで、4トラの地図上、本州は山梨県を除いて制覇?(実際に国内で行っていないのは鹿児島県のみ、海外も環太平洋地域のみだけど行ったことはあるんだけどなぁ…)
これからもせっせと塗り潰せるように頑張ります☆
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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