2017/08/12 - 2017/08/13
133位(同エリア266件中)
むしころさん
この日はかみのやま温泉に泊まって
上山城見て、その後中山城跡見て、長井へ。
長井の総宮神社で兼続奉納の刀が見たかったのに、見られなかった!!!涙
しょんぼりしながら次の目的地へ向かったのでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
18:10
かみのやま温泉別室ふじや旅館に来ました
前日に宿泊の確認で電話がきた。お出迎えで人も出て来た。丁寧だなあ。
ほぼ満室っぽかった。かみのやま温泉 別館ふじや旅館 宿・ホテル
-
和室大好き。
-
誰もいなかったので撮ってみた!お風呂はこんなかんじです
無色透明無臭 -
成分は、
ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩温泉
循環ろ過・加水なし・加温・塩素系薬剤による消毒あり です
味は・・・しょっぱい! -
本場で「だし」買ってみた
悲しいことにお勤め品のトマトを買ったらほぼカビていた!!(旅館の近くのスーパーで買ったのに)
わざわざスーパーにもっていくのも恥ずかしいのと面倒くさいのとで捨てた。
「安物買いの銭失い」ってやつだな。
只今18:55
夜ご飯食べて又お風呂入って、部屋でオンラインゲームして、そのあと寝た。 -
朝。
駅に来てみた。
観光マップを入手してさあ探索だ。 -
とりあえずお城に行こう
-
お城到着!
駐車場完備
上山城は応永年間初期(1400年前後)に羽州探題の斯波兼頼の曾孫、里見満長が虚空蔵山(ここから西にある山)に築いたのが始まりといわれ、当時は高楯城もしくは亀ヶ岡城とも言われていたそうです。
永正11年(1514)に満長の子孫の武衛義忠が高楯城を廃してこの天神森という地に城を築いて上山城としました。愛称は月岡城。
のち城主は武衛氏が三代続いて、次に里見氏となり、元和8年(1622)最上家改易後に能見松平氏、蒲生氏、土岐氏となって
元禄5年(1692)土岐氏天封直後に幕命により破壊。
以後上山藩は金森氏、藤井松平氏と続いて、その間城は一部だけ修復しただけでした。周囲のお堀も明治5年に埋め立てられてしまって城の西側にちょっとだけ残っているだけだそうです。
今のお城は昭和57年に旧二の丸跡に城郭風の資料館を建てたものらしい。
本当はどんな姿だったのだろうか・・・ -
沢庵桜
本丸北の掘端の上にあった桜の古木を沢庵さんが眺めて配流の身を慰め、そのうちに領民たちが「沢庵桜」と呼ぶようになったそうです。
1700年代に残念ながら枯れ果ててしまったのですが、その根元から若い芽が出てきていたので(蘖(ひこばえ)っていうらしい)平成になって有志がその成木から苗木を育てて植樹したそうです。
寛永6年(1629)に沢庵禅師は上山に配流されました
(紫衣事件は学校で習って知ってたけど配流先はここだったのか)
藩主の土岐頼行公(22歳)は春雨庵を新築して手厚く待遇したそうです。
禅師の教えを仰いで、上山藩政史上格別の治績をあげたらしい。上山城も整備して奥羽の名城と称えられるほどにしたそうです。すごいな。 -
月岡神社
御祭神は藤井松平始祖の利長公と二代目の信一公
利長公は徳川宗家の松平信忠の弟、愛知県安城市の藤井村に住んでいたから藤井松平と呼ばれているそうです。
利長公は家康と信長に仕えて姉川の戦い・長篠の戦い・小牧長久手の戦いなど家康の主要な合戦は出陣していて勇将・猛将とし名をとどろかせたそうだ。 -
こっちは土岐桜だって。
平成12年の5月に有志が土岐氏の偉業を称え、土岐家19台の土岐實光氏から桜の苗木を寄贈を受けたのでそれを「土岐桜」として植樹したそうです。
ところで、土岐頼行が沢庵から教えてもらった教訓として大切にしていたのが「上中下三字説」だそうで、「上は君であり、下は民であり、中はその間を取り持つ臣である。上の字を逆さにすると下の字になる。下の字を逆さにすると上になる。上下はもともと別のものではない。また、上と下の字を逆さにすると一本の線で結ばれるが口の字を貫通すると中になる。口は言葉であり言論だから国を治めるもとの治められるものとは言論が自由に行き来しないといけない」というもの -
お城の中は資料館になってました
料金は410円 JAF会員だと50円引きです
上山の歴史や羽州街道のこととか、城主の変遷とか、とても勉強になりました。
蔵王は修験道の場所だったとか。
城の本丸の下には秘密の抜け穴が何本も掘られていたらしい
それからこの長谷堂合戦ゆかりの史跡図がとても気になった。
物見山の戦いとか、高楯城の跡とか、、気になるところがいっぱいだあ。
中山城跡は行く予定 -
一番上はお決まりの展望台
蔵王連峰がみえるらしい -
すごい雲があるな。
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北側。かつて三の丸とか、井戸があった
今は月岡公園があります -
南側 駐車場
むかしは米蔵とか侍屋敷があったようだ。
資料館がある場所はかつて二の丸で、月岡神社があるところが本丸
大手口はお城の東側。
上山城は戦国時代では最上氏の最南端の城砦でした
資料館のパンフレットに正保時代の上山城縄張り図が載っているのが非常に良かった!
見学を終えて、資料館で鉄の風鈴をお土産に買った。(地元の工房で作っているらしくて音がすごく良かった。) -
資料館から北へ。
共同浴場とかがある場所へ行ってみようと思う -
ここにも沢庵桜って書いてある。。。
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ここは共同浴場
風情があってよい
大人は150円
営業時間は6時から22時までって書いてある
6つある共同浴場のうち一番古くて、沢庵禅師も入浴したといわれているそうです下大湯公衆浴場 温泉
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そして観音寺
真言宗智山派だ -
そばにあった手洗鉢・洗心の湯
上山七不思議のひとつだって。何だそれは・・・
無色透明でしょっぱい。温泉の出てくるところに白い結晶ができていた -
西へ進んで 鶴の休石 に到着
長禄2年(1458)肥前出身の僧、月秀が沼地で傷ついた足を浸している鶴を見てそこに温泉が湧き出ていることを発見し、村人と協力して干拓。「湯の小路」と称されてかみのやま温泉の前身になったそうです。鶴が羽を休めた石が鶴の休石です。
このあたりが源泉地らしいです。 -
ここにも手洗鉢
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その前には足湯もあった。
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足湯から南下すると武家屋敷などが残るエリアへ
ここには藩校の明新館というのがあったそうです -
東へ、お城へ戻る途中
第三号の源泉の場所に温泉の詳しい解説があった
温泉のしょっぱい味は海水とかから溶け出た成分ではなくて、地下深部のマグマから塩化ナトリウム成分が上昇してきたものらしい。
マグマから上昇した成分が地下深くの地下水に反応して、食塩と同じ成分の熱水になって、断層に沿って上昇しながら地下水とどんどん混ざり合って、生成された温泉なんだって。なんだか壮大だ。 -
上山城西内堀
本当は本丸の南西角から北西角まであった
お堀の水は何処から水か補給されているのか謎らしい。 -
つぎは春雨庵に来ました
開館時間は8時から17時
料金は無料
定休日は第三日曜日 -
沢庵漬名発祥の地の碑
そうなのか?? -
中に入ったらいきなり居られたのでびびった。
ボタンを押すとVTR始まるらしいのだが、壊れていてだめだった。
沢庵さんは3年間だけ上山にいて家光の時代に赦免されて江戸に戻っています。春雨庵 名所・史跡
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11:30くらいに上山を出て、中山城址を探す。
で、見つけた。
13号線の横断歩道橋のところから細道に入っていくと行けます。 -
こっちは城跡の道反対にあった 前森山
中山城の防塞
初め最上領との堺に位置していたので南北朝時代末期に伊達氏が構築したと考えられているそうです。 -
この陸橋の向こう側が中山城です
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いちおうこの辺りに車を停められるようだ
中山城は永禄・元亀ごろ(1558~72)、伊達氏の家臣、中山弥太郎が伊達領を最上勢から守るために天守山につくったのが始まりです。
中世の城としては東北でも大きいほうだそうです -
それでは行くぞ
只今の時間は12:30 -
足元ふわふわしていて歩く足に優しいかんじ。
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中山城って書いてある棒がある
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ときどき草ぼーぼー
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もうすこしだ
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本曲輪
天守山大神ってかいてある石碑がある
10分かからないでここまで来られた -
景色はこんなかんじです
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石垣も少し残ってた
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つぎは中山城の近くにあるお寺にも行ってみた。
龍雲寺
慶長6年(1601)中山城主横田旨俊が前年の最上合戦時に戦死した兵の追善供養のために開基、建立したそうです -
本堂
大正時代に再建したためかな?モダンだ
曹洞宗のお寺です -
隣にあったお寺
光勝寺
信玄の家臣、松下右近が武田家滅亡後に仏門に入り、諸国をまわり、羽後国(秋田県)の亀田に居住。のち文禄2年(1593)、中山の地に移住してこのお寺を建立したそうです。
明治34年(1901)に火災で焼けてしまい今の本堂は昭和49年に建てられたそうです。
浄土真宗本願寺派でご本尊は阿弥陀如来さま
(浄土真宗は山形南部の置賜地方では数が少ないらしい。)
今の時刻は12::56
次はここから西へ、長井市に向かいます -
長井市に来た
観光マップを確認。。
目的地は總宮神社だ -
かねたんだ・・・
上杉の地に来たことを実感。 -
杉の古木がとてもよい。
總宮神社は、平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷地へ征討の際に、日本武尊の神徳を追悼して白鳥の社を創建したのが始まりと言われています。
鎌倉時代以後に長井・伊達・蒲生・上杉と歴代領主が信仰しました
文禄2年に米沢城主だった蒲生氏郷が長井郷44か村の神社をここに合祭して、長井郷總鎮守とし、社号は「總宮」となったそうです
今の本殿はは天明2年(1782)に米沢藩主の上杉鷹山が宮材を寄進して、さらに郷民みんなが浄材を寄進して建てたものだそうです。 -
本殿横に明治44年製のおみくじ自販機があった。
東北で一番最初に納入された、当時最先端の技術で作られたものらしい。
*触ってはいけない。
白いところに一銭入口ってのがあって、横に
「このきかいへ一せんどうかを入るれば神のめぐみのおみくじがいでます」
って書いてあった -
境内には直江兼続が植えた杉が何本かそびえております。
一、二本かと思っていたら九本あった。
幹周りは3~4mで樹高は25~30mあるらしい -
注連縄がついているのは全部直江杉なんだって。
慶長3年(1598)上杉景勝が越後から会津へ移封され、兼続が米沢城に入った際にここに参拝し、杉を植え、剣刀を奉献したそうです。
それと、兼続さんは最上氏との戦いのときは加谷村(今の山辺)、長谷堂近辺の神仏を集めてここの神社に合祀しているらしい。 -
神社のお隣にあった
普門坊本堂
こちらの本尊は馬頭観世音菩薩さま
宗派は真言宗豊山派だ -
兼続さん奉納の刀剣を見たかったのですが何処にもなさそうだから、巫女さんに聞いてみたら、あ、こっちですって案内してくれた(やった~!)
ところが、刀剣がいつものところに出てなくて、宮司が帰ってこないとだめだのこと。ぐうじ~~~!!!
巫女さんが「ほんとうにすみませんでした折角来てくださったのに・・・」って、言ってくれた。いやあ、あなたのせいではないです。バイトだろうに、なんていい人なんだ。
まあ直江さんとはご縁が無かったということで
これより米沢へ向かう。今の時刻は・・・14:20
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