2017/03/26 - 2017/03/26
3144位(同エリア10333件中)
Tomさん
2017年3月20日~4月1日、私たち夫婦と友人2人(計4人)でバンコクを経由してロンドンへ。帰りにバンコクで3泊4日ストップ・オーバーしたときの旅行記です。
ロンドン6日目(3月26日)、この日は2手に分かれて、私たち夫婦はハンプトン・コートに行きました。他の2人は午前中ホテルでのんびりした後、ハロッズへショッピングに行ったということでした。
ハンプトンコート宮殿へは何回か(夫婦では2回目)来ていますが、その都度時間の関係上、全部を見ることができなくて、今回もチュダー・キッチン、中世のテニスコート、迷路、東側庭園に足をを踏み入れることができませんでした。チャンスがあれば1日全部を使って訪れたい場所です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ホテルから最寄の地下鉄駅(アールズ・コート駅)へ向かいます。
3月の最終日曜日のこの日からイギリスは夏時間へ変わりました。 -
駅が見えてきました。
夏時間と冬時間の切り替えは冬時間での午前1時が夏時間の午前2時へと一瞬で切り替わります。 -
地下鉄駅です。午前8時頃ですが、夏時間の初日で日曜日とあってほとんど人がいません。
アールズコート駅 駅
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まずはディストリクト線に乗ってウィンブルドンを目指します。
朝の時間帯に郊外に出る列車なので、この通りガラガラでした。 -
ウィンブルドン駅に着きました。
ここで地下鉄から普通鉄道に乗り換えます。
このゲートをくぐり、National Rail の表示に従って進みます。 -
階段を上り下りしてハンプトン・コート行きの列車が来るプラットフォームに来ました。
目的地まで行く列車が来るまでまだ時間があるということが分かりました。 -
少し戻って階段を上ったところに売店が数件ありました。
開いているのは1・2件でした。 -
ハンプトン・コート行きの列車が入って来ました。
この列車に乗って約30分、終点で降ります。 -
終点のハンプトン・コート駅です。
駅員は誰もいませんでした。
ここまで、オイスター・カードが有効です。このことは日本からの旅行者にはあまり知られていないことだと思います。 -
9時半頃に着きましたが、駅構内はこのとおり、人がまばらでした。
店もほとんど開いていませんでした。ハンプトンコート駅 駅
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駅の外への出口です。
ここを抜けて真直ぐ進むとハンプトン・コート宮殿へ徒歩数分です。ハンプトンコート駅 駅
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駅を出たらすぐに橋が見えてきます。
中央右奥の褐色の建物が入場券等を扱う宮殿関係の施設です。 -
橋から東側(ロンドンの方角)を撮りました。逆光になっていますが、中央に小さく見えるのがハンプトン・コート宮殿、中央の大きな川はテムズ川です。
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ロンドン・パスを提示し、入場手続きを済ませ正面入り口に向かいます。
逆光なので良い画像とは言えません。 -
正面入り口を抜けると見えてくるのがクロック・タワーです。手前の広場はベース・コートという空間です。
これも逆光になっています。ハンプトン コート パレス 城・宮殿
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クロック・タワーの近くから正面入り口を振り返ったところです。こちら側は東に面しているので朝日を存分に受けています。
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ベース・コートにはこんなものもありますが、何だったか忘れました。
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クロック・タワーと棟続き、ヘンリー8世時代の建物です。ひときわ高い屋根の下にグレート・ホールがあります。
地上に小さく看板が見えますが、そこを入ると、オーディオ・ガイド貸出所です。 -
ここが、ヘンリー8世時代に使われていた部分への入り口です。
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ヘンリー8世時代に使われていたグレート・ホールがここです。
下級家臣たちと食事をしたりダンス等の催し物をしたということです。
見事なタペストリーが掛けられていました。
確か30年以上も前にこの場所は火事になったはずですが、タペストリーの色は中世の時代からそのまま残っているような色です。修復作業によって劣化した色合いがそのまま再現されたのでしょう。 -
グレートホールの天井です。
見事な装飾が施されています。
これも約30年前に修復されたもののはずです。 -
グレート・ホール脇の階段を上がっていくと見えてくるのがこれ、鹿の角です。奥のドアを入ると謁見室へ続きます。
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謁見室に入って来ました。
ここにも当時のタペストリーがありました。 -
謁見室の天井です。
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この部屋は謁見室の隣にある当時のトイレです。
今では、トイレがあった場所は壁になっていて、当時の様子を描いた絵(?)が描かれているだけです。(画像左端に穴が描かれています。) -
これは王とその家族が個人的に使用した食堂です。
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ピンボケですが、ウルジー枢機卿の部屋とチェストです。
ハンプトン・コート宮殿は元々ウルジー枢機卿の持ち物でしたが、ヘンリー8世に献上されました。
というよりヘンリー8世が献上させたということのようです。 -
これはヘンリー8世の5番目の妃、キャサリン・ハワードの直筆とされる手紙です。
陰謀に関する身の潔白と助命を訴える内容だそうです。
しかし、聞き入れられず彼女はロンドン塔で処刑されました。
これが展示されているギャラリーとそこに通じる階段付近に彼女の幽霊が出るといわれています。
右端の写真は彼女を演じた女優の1人です。 -
ここがそのギャラリーの一部ですが、昼間だったせいか幽霊が出るような雰囲気ではありませんでした。
左端の肖像画はホルバイン作ヘンリー8世像、中央の人物は残念ながら失念しました。 -
ヘンリー8世と6番目の妃、キャサリン・パーとの結婚の儀式で新郎新婦が聖書の前にひざまづくために用意されたもののようです。
レプリカだとは思いますが。 -
ヘンリー8世の家族の絵です。
左から赤いスカート姿がメアリー1世(長女)、次にエドワード6世(長男)、ヘンリー8世、3番目の妻でエドワード6世の生母ジェーン・シーモア、少し離れてエリザベス1世(2女)です。
この絵は1543年頃に描かれたということです。
ピンボケで残念。 -
エドワード6世の肖像画です。
彼はヘンリー8世の後を継いで9歳でイングランド王になりましたが15歳で世を去りました。
彼の後は「9日間の女王」と呼ばれるジェーン・グレイ、次にメアリー1世(ブラディー・メアリー)、そしてエリザベス1世(チュダー朝最後のイギリス君主)と続きます。 -
クロック・コートに出て来ました。
これからベース・コートに戻ります。 -
ベース・コートに戻って来ました。
これを正面に見て左へ折れて進むと -
ヘンリー8世の若かりし頃を中心にした展示へと進みます。
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1番目の妃、キャサリン・オブ・アラゴンと結婚していた頃のヘンリー8世は各国の間を取り持つなど外交手腕を発揮したこともありました。
この絵は1513年のフランスにおける戦いの様子です。 -
こちらの絵は1520年のヘンリ8世とフランス王フランソワ1世との会見の様子を描いたものです。
この会見では、2人の親交を深めるため大規模な宴会や音楽会、騎馬試合やゲームが行われました。 -
キャサリン・オブ・アラゴンとヘンリー8世との間には6人の子(男女各3人)ができましたが、5番目の子(後のメアリー1世)以外は死産だったり出生後すぐに死んだりしました。
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キャサリン・オブ・アラゴンの子供たちが夭逝したことで彼女の立場は悪くなっていきます。
35歳を過ぎて、もう(男の)子供が期待できないという当時の状況が説明されています。 -
階段を下りるとこのような花が置かれていました。
この小さな区画全体で個人の作品のようです。 -
こんな具合にガーデニング・レイアウトの一部を作品として展示しています。
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写真はありませんが、近くの部屋ではガーデニングの講習みたいなものが行われていました。
階段下のスペースにもこのような花が展示されていました。
17~18世紀のハンプトン・コートは常にこんな飾りつけがされていたのでしょう。 -
スチュアート朝後期(名誉革命1688年以後)のメアリー2世とウィリアム3世によって使用された区分に足を踏み入れました。
ここはガード・チェンバーと呼ばれる衛兵控室です。 -
同じく衛兵控室です。
様々な武器が展示されています。
この控室を含めた区分は、セント・ポール大聖堂を設計したクリストファー・レンの設計によるものです。 -
なぜこのようなものが展示されているのか理解できません。
この部屋は1689年~1702年頃に使用された宮殿の一部ですが、このオブジェはマリー・アントワネット(1755~1793年)のイメージと表示されていました。
時代区分がかなり異なっています。
でも、もしかしたら、こちらの誤解なのかもしれません。 -
確か謁見室だったような・・・
そしてメアリー女王の王座だったような・・・・ -
記憶が正しければ、ここは女王へ謁見するための控室です。
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スチュアート朝第2代チャールズ1世(1625~1649)の肖像です。
清教徒革命で処刑された王として有名です。 -
暖炉の上にあるのはステュアート朝第5代のメアリー2世(在位1689~1694年)の肖像画です。
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記憶が正しければクィーンズ・ギャラリーです。バロック芸術が盛んな頃の彫像が展示されていました。
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プライベートな食事の場所だったようです。
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クィーンズ・ステアケースです。
ウィリアム3世とメアリー2世の時代にクリストファー・レンによって設計されましたが、完成前にメアリーが死んだ(1694年)ため長らく放置されていて、1734年にようやく完成したのでした。
この階段を上るとハノーバー朝初期に使われた王宮部分を見ることができます。 -
ハノーバー朝(1714~1901)で使用した部屋の中に、それ以前の君主たちの肖像画が掲げられていました。
これは王政復古によって王位に就いたステュアート朝第3代のチャールズ2世(在位1660~1685年)です。 -
ハノーバー朝初代、ジョージ1世(1714~1727年)です。
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スチュアート朝の最後(第6代)、アン女王(在位1702~1714年)です。
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ハノーバー朝初期の頃のプライベートなダイニング・ルームのようです。タオル等で動物を象っています。
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控室です。ここで国王の謁見を待ちます。
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同じ部屋を別な角度から撮影したものです。
絵の中の人物はジョージ1世だと思われます。 -
ジョージ2世(在位1727~1760年)の妃、キャロラインのベッドということらしいです。
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外に出ました。正面入り口の反対側、メアリー2世とウィリアム3世の時代(在位1689~1702年)に増築された部分の東口から見た庭園です。
イチイの木はメアリー2世が植えさせたものです。 -
南正面から南側を見ると、プリヴィー・ガーデンが見えます。
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南正面から更に西に向かうと左側にこのような庭が見えてきます。
ここはポンド・ガーデンというところで、ヘンリー8世時代には池があったところです。 -
右奥に一部だけ見えている建物はバンケット・ハウス(宴会用の建物)です。公開されていません。
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東口からベース・コートに戻り、時計塔を振り返ったところです。
午後2時半頃の撮影なので、逆光にはなっていません。 -
メイン・エントランス(正面入り口)を出て振り返ったところです。
これでハンプトン・コート宮殿とお別れ。約4時間半の滞在でしたが、見なかったところがいくつもあります。
以上で3月26日のレポートは終了です。
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