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 「大和の国に出雲を訪ねて」の第二弾です・・・今回は、大和平野の南と北、一日では無理ですので、二日に分けての旅となります・・・最初の日は「御所市」の外れ、大和平野の南の果ての、そのまた南の外れにある「高鴨神社」を目指します・・・この神社は、京都にある有名な「上賀茂神社」「下鴨神社」等、日本全国に散らばる「鴨・賀茂・加茂」系神社の総本社なのだとか・・・勿論、出雲系氏族「鴨氏」の「氏神」。<br /><br /> 次に、日を改めて訪れたのが、大阪・河内地方との県境、生駒山の麓「富雄」に在る「添御県坐神社(そうのみあがたいますじんじゃ)」(表紙の写真)・・・なんと、この神社は、記紀神話における「神武」の大和侵入のおり、神武軍と幾度も戦い、最後まで抵抗した、この地の英雄「長脛彦(ながすねひこ)」が、今も「主祭神」として祀られているのだとか・・・天皇家の始祖である「神武」に抵抗したことが怪しからんとかで、明治時代に、「長脛彦」の名は消され、「武乳早命(たけちはやのみこと)」と、何だかよく解らない名前に成ってますけど・・・ホント、長州カルトのやることは、馬鹿げてます・・・<br /><br /> 以下は、今回の旅の先だって、過去にi読んでみた関連本。<br /> 「出雲と大和」 村井康彦 岩波新書<br /> 「天智朝と東アジア」 中村修也 NHK出版<br /> 「なぜ日本書紀は古代史を偽装したか」 関裕二 実業之日本社<br /> 「神道とは何か」 伊藤聡 中公新書<br /> 「国家神道と日本人」 島園進 岩波新書<br /> 「神々の明治維新」 安丸良夫 岩波新書 等々

日本・歴史と本の旅・・・大和の国に出雲を訪ねて その2 大和の国の南(高鴨神社)と北(長脛彦の神社) 

42いいね!

2017/07/12 - 2017/07/19

81位(同エリア449件中)

4

78

ももんがあまん

ももんがあまんさん

 「大和の国に出雲を訪ねて」の第二弾です・・・今回は、大和平野の南と北、一日では無理ですので、二日に分けての旅となります・・・最初の日は「御所市」の外れ、大和平野の南の果ての、そのまた南の外れにある「高鴨神社」を目指します・・・この神社は、京都にある有名な「上賀茂神社」「下鴨神社」等、日本全国に散らばる「鴨・賀茂・加茂」系神社の総本社なのだとか・・・勿論、出雲系氏族「鴨氏」の「氏神」。

 次に、日を改めて訪れたのが、大阪・河内地方との県境、生駒山の麓「富雄」に在る「添御県坐神社(そうのみあがたいますじんじゃ)」(表紙の写真)・・・なんと、この神社は、記紀神話における「神武」の大和侵入のおり、神武軍と幾度も戦い、最後まで抵抗した、この地の英雄「長脛彦(ながすねひこ)」が、今も「主祭神」として祀られているのだとか・・・天皇家の始祖である「神武」に抵抗したことが怪しからんとかで、明治時代に、「長脛彦」の名は消され、「武乳早命(たけちはやのみこと)」と、何だかよく解らない名前に成ってますけど・・・ホント、長州カルトのやることは、馬鹿げてます・・・

 以下は、今回の旅の先だって、過去にi読んでみた関連本。
 「出雲と大和」 村井康彦 岩波新書
 「天智朝と東アジア」 中村修也 NHK出版
 「なぜ日本書紀は古代史を偽装したか」 関裕二 実業之日本社
 「神道とは何か」 伊藤聡 中公新書
 「国家神道と日本人」 島園進 岩波新書
 「神々の明治維新」 安丸良夫 岩波新書 等々

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  •  7月12日 橿原神宮<br /><br /> 今日は、奈良県の南部、「御所市」の、更に南部にある出雲士族「鴨氏」の氏神「高鴨神社」を捜しに行きます・・・その前に、その手前にある、天皇家の神社「橿原神宮」を見ておきます・・天皇家の神社と言うよりも、明治政府の神社と言った方が実情に近いかも・・・ともあれ、昔、小学校の頃に、遠足で、一度くらいは来たことが有るはずのところ・・・でも、記憶に有りません・・・面白くなかったんだと思いますけどね・・・

     7月12日 橿原神宮

     今日は、奈良県の南部、「御所市」の、更に南部にある出雲士族「鴨氏」の氏神「高鴨神社」を捜しに行きます・・・その前に、その手前にある、天皇家の神社「橿原神宮」を見ておきます・・天皇家の神社と言うよりも、明治政府の神社と言った方が実情に近いかも・・・ともあれ、昔、小学校の頃に、遠足で、一度くらいは来たことが有るはずのところ・・・でも、記憶に有りません・・・面白くなかったんだと思いますけどね・・・

  •  案内板 橿原神宮<br /><br /> 橿原神宮は、大和三山の一つ「畝傍山」の麓にあって、森林公園と言う感じの、野球場も有るほどの、大きな森の中にあります・・・他にも「神武天皇稜」や「古墳」など、様々な「史跡?」が有りますけど・・・「史跡」と言っても、「橿原神宮」自身が、明治時代(1980年)に造られたもので、史跡の「捏造」と言うべきかも?・・「古墳」は別として、「神武天皇領」もマア、「捏造」ですね・・ハハ・・あんまり有難く無いし、骨董品としてのお値打ちも、あまり?無い・・ハハ・・・

     案内板 橿原神宮

     橿原神宮は、大和三山の一つ「畝傍山」の麓にあって、森林公園と言う感じの、野球場も有るほどの、大きな森の中にあります・・・他にも「神武天皇稜」や「古墳」など、様々な「史跡?」が有りますけど・・・「史跡」と言っても、「橿原神宮」自身が、明治時代(1980年)に造られたもので、史跡の「捏造」と言うべきかも?・・「古墳」は別として、「神武天皇領」もマア、「捏造」ですね・・ハハ・・あんまり有難く無いし、骨董品としてのお値打ちも、あまり?無い・・ハハ・・・

  •  一の鳥居 橿原神宮<br /><br /> 鳥居は三つ、参道は広くて長い・・・明治の「天皇教」の信者の薩長政府が、威信をかけて作ったので、広い事は広いし、デカい事はデカい・・・でも、なんとなく見栄っ張りと言う感じです・・・大神神社の様な、古びた味わいは皆無・・・当然と言えば、当然ですけど・・・

     一の鳥居 橿原神宮

     鳥居は三つ、参道は広くて長い・・・明治の「天皇教」の信者の薩長政府が、威信をかけて作ったので、広い事は広いし、デカい事はデカい・・・でも、なんとなく見栄っ張りと言う感じです・・・大神神社の様な、古びた味わいは皆無・・・当然と言えば、当然ですけど・・・

  •  二の鳥居 橿原神宮<br /><br /> 鳥居ばかり撮っても仕方ないので二つ目でお終い・・・明治政府が、この神社を作ったのは、この地が、記紀神話における、初代天皇「神武」の即位の場所だからだとか・・・勿論、「作り話」ですね・・・また、大和族の最初の都「橿原の宮」が置かれた場所だと言われているのですけれど・・・まあ、神武は架空の人物ですし、大和族が、この土地に侵入したという事実が有ったとして、それは、紀元4世紀初頭の頃の事だそうで、実際に、この地に「宮」が有ったかどうかは、確認されていないとか?・・あくまで、八世紀に完成した「神話」。

     二の鳥居 橿原神宮

     鳥居ばかり撮っても仕方ないので二つ目でお終い・・・明治政府が、この神社を作ったのは、この地が、記紀神話における、初代天皇「神武」の即位の場所だからだとか・・・勿論、「作り話」ですね・・・また、大和族の最初の都「橿原の宮」が置かれた場所だと言われているのですけれど・・・まあ、神武は架空の人物ですし、大和族が、この土地に侵入したという事実が有ったとして、それは、紀元4世紀初頭の頃の事だそうで、実際に、この地に「宮」が有ったかどうかは、確認されていないとか?・・あくまで、八世紀に完成した「神話」。

  •  深田池 樫原神宮<br /><br /> 神宮の建物に向かって左側に「池」が有ります・・・神宮が作られるより以前から在ったのでしょうね・・・因みに、すでに齢90を超えているワタクシの母親は、神武天皇と言う人を、実在の人間であると・・・ワタクシが「作り話」だよと教えるまで信じてたようです・・・「騙されていただけだよ』と言われて、かなり、怒ってました、マア、田舎者ですのでね、政治向きの事など、あまり真面目に、考えたことも無いのです・・・今も、ワタクシの言ったことなと℃忘れて、頑なに、信じてるかも・・?・・恐るべし教育勅語、恐るべし皇国教育・・・一生、騙されたまま終わるかも・・?

     深田池 樫原神宮

     神宮の建物に向かって左側に「池」が有ります・・・神宮が作られるより以前から在ったのでしょうね・・・因みに、すでに齢90を超えているワタクシの母親は、神武天皇と言う人を、実在の人間であると・・・ワタクシが「作り話」だよと教えるまで信じてたようです・・・「騙されていただけだよ』と言われて、かなり、怒ってました、マア、田舎者ですのでね、政治向きの事など、あまり真面目に、考えたことも無いのです・・・今も、ワタクシの言ったことなと℃忘れて、頑なに、信じてるかも・・?・・恐るべし教育勅語、恐るべし皇国教育・・・一生、騙されたまま終わるかも・・?

  •  長山稲荷神社 樫原神宮<br /><br /> 「お稲荷さん」が有ります・・・これも、「橿原神宮」より以前に存在した神社ですね・・・一つ前の旅行記でも書きましたけど、元々は五穀豊穣の「自然神」であった稲荷神社ですけど・・・室町時代に、総本山である『伏見稲荷』に、祭神として、古事記の「宇迦之御魂大神」(うかのみたまのおおかみ)等の神々が当てられて、記紀神話系の神道と混淆します・・・おかげで、かろうじて、明治の廃仏毀釈の荒波を生きのびたのかも?・・・因みに、仏教の本馳垂迹説によれば、自然神としてのお稲荷さんは、インドのヒンズー教の「荼枳尼天(だきにてん)」・・・裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女(夜叉)とされているのだとか。

     長山稲荷神社 樫原神宮

     「お稲荷さん」が有ります・・・これも、「橿原神宮」より以前に存在した神社ですね・・・一つ前の旅行記でも書きましたけど、元々は五穀豊穣の「自然神」であった稲荷神社ですけど・・・室町時代に、総本山である『伏見稲荷』に、祭神として、古事記の「宇迦之御魂大神」(うかのみたまのおおかみ)等の神々が当てられて、記紀神話系の神道と混淆します・・・おかげで、かろうじて、明治の廃仏毀釈の荒波を生きのびたのかも?・・・因みに、仏教の本馳垂迹説によれば、自然神としてのお稲荷さんは、インドのヒンズー教の「荼枳尼天(だきにてん)」・・・裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女(夜叉)とされているのだとか。

  •  南神門 橿原神宮<br /><br /> こちらが「神宮」の、建物群の入口です・・・わりとシンプル・・・祀られている祭神は勿論、「神武天皇」と、その妻「媛蹈鞴五十鈴媛命 (ひめたたらいすずひめ) 」だとか・・・「神武」の名前くらいは知ってるけど、奥方は知らんなあ・・・

     南神門 橿原神宮

     こちらが「神宮」の、建物群の入口です・・・わりとシンプル・・・祀られている祭神は勿論、「神武天皇」と、その妻「媛蹈鞴五十鈴媛命 (ひめたたらいすずひめ) 」だとか・・・「神武」の名前くらいは知ってるけど、奥方は知らんなあ・・・

  •  橿原神宮<br /><br /> 中は広々・・・玉砂利が、敷き詰められています・・・司馬遼太郎氏によれば、「神道」と言うのは、基本的に「聖典」や「経典」と言うものが無く、「倫理」や「道徳」に類する教えというものは、何もありません、神々は「穢れ」を嫌う「清浄なるもの」と言う信仰が有るだけでなのだとか・・・玉砂利なんてのは、多分、この「清浄」を装う「演出」と言う側面が有るのかと推察しますけど・・・一説によれば「賽銭泥棒対策」と言う、せちがらい側面もあるとか・・?

     橿原神宮

     中は広々・・・玉砂利が、敷き詰められています・・・司馬遼太郎氏によれば、「神道」と言うのは、基本的に「聖典」や「経典」と言うものが無く、「倫理」や「道徳」に類する教えというものは、何もありません、神々は「穢れ」を嫌う「清浄なるもの」と言う信仰が有るだけでなのだとか・・・玉砂利なんてのは、多分、この「清浄」を装う「演出」と言う側面が有るのかと推察しますけど・・・一説によれば「賽銭泥棒対策」と言う、せちがらい側面もあるとか・・?

  •  外拝殿 樫原神宮<br /><br /> 今年の干支が、未だに飾られてます、お正月用だと思うけれど、マア一応、一年中「酉年」ですから良いのかも? 向こう側には、内拝殿や本殿が有るらしい?<br /><br /> 明治時代に「神道」の国教化「国家神道」を推進した人々が、この、「聖典」や「経典」が無いという、神道の欠陥を補うために、造った代物が「軍人勅諭(1883)」とか「教育勅語(1891)」と言うシロモノ・・・故に、其処には、元々神道とは関係の無い、中国大陸起源の「儒学」や「朱子学」の「道徳律」が入っております・・・けれど、この「軍人勅諭(1883)」や「教育勅語(1891)」に於ける「道徳律」には、世界中の宗教には普通に有る「殺すなかれ」「盗むなかれ」「姦淫するなかれ」の、普通の「道徳律」が有りません・・・これ、ポイントですね・・・

     外拝殿 樫原神宮

     今年の干支が、未だに飾られてます、お正月用だと思うけれど、マア一応、一年中「酉年」ですから良いのかも? 向こう側には、内拝殿や本殿が有るらしい?

     明治時代に「神道」の国教化「国家神道」を推進した人々が、この、「聖典」や「経典」が無いという、神道の欠陥を補うために、造った代物が「軍人勅諭(1883)」とか「教育勅語(1891)」と言うシロモノ・・・故に、其処には、元々神道とは関係の無い、中国大陸起源の「儒学」や「朱子学」の「道徳律」が入っております・・・けれど、この「軍人勅諭(1883)」や「教育勅語(1891)」に於ける「道徳律」には、世界中の宗教には普通に有る「殺すなかれ」「盗むなかれ」「姦淫するなかれ」の、普通の「道徳律」が有りません・・・これ、ポイントですね・・・

  •  内拝殿 回廊 橿原神宮<br /><br /> お参りに来たわけではないので、神武天皇なんて、勿論、拝みません・・・見るだけ・・・この向こうには「本殿」が隠れてます。<br /><br /> 「軍人勅諭」に「殺すなかれ」が無いのは当然でしょうけれど、「盗むなかれ」も「姦淫するなかれ」も有りませんし、「教育勅語」にも、それは有りません・・・代わりに在るものは、朱子学に基づく「権力=天皇」の絶対化と、儒学に基づく「長幼の序」「男女差別」「家父長制」による「序列」と「支配」の固定化と、権力や権威への「隷従」です・・・そこには、平等も無ければ、自由も有りません・・・そもそも、明治日本の義務教育制度とは、兵隊を養成する為のシステムだったのです・・・ランドセルは背嚢(はいのう)だし、運動会は軍事訓練 etc.・・・:現在の、きわめて好戦的な「デンデン政権」が、「教育勅語」の復活を目論んでいる理由が、良く解りますね。

     内拝殿 回廊 橿原神宮

     お参りに来たわけではないので、神武天皇なんて、勿論、拝みません・・・見るだけ・・・この向こうには「本殿」が隠れてます。

     「軍人勅諭」に「殺すなかれ」が無いのは当然でしょうけれど、「盗むなかれ」も「姦淫するなかれ」も有りませんし、「教育勅語」にも、それは有りません・・・代わりに在るものは、朱子学に基づく「権力=天皇」の絶対化と、儒学に基づく「長幼の序」「男女差別」「家父長制」による「序列」と「支配」の固定化と、権力や権威への「隷従」です・・・そこには、平等も無ければ、自由も有りません・・・そもそも、明治日本の義務教育制度とは、兵隊を養成する為のシステムだったのです・・・ランドセルは背嚢(はいのう)だし、運動会は軍事訓練 etc.・・・:現在の、きわめて好戦的な「デンデン政権」が、「教育勅語」の復活を目論んでいる理由が、良く解りますね。

  •  神武天皇量 橿原神宮<br /><br /> 橿原神宮の森の中には、他にも、イロイロな「天皇陵」やら「古墳」が有ります・・・勿論、「神宮」とは別に、「神武天皇」の墓も・・・本人は、歴史上、実在しませんけれど・・・お墓は有ります・・・?

     神武天皇量 橿原神宮

     橿原神宮の森の中には、他にも、イロイロな「天皇陵」やら「古墳」が有ります・・・勿論、「神宮」とは別に、「神武天皇」の墓も・・・本人は、歴史上、実在しませんけれど・・・お墓は有ります・・・?

  •  神武天皇量 橿原神宮<br /><br /> お墓はわりと「ショボイ」ですね・・・一応、鳥居は三つあります・・・鳥居が何時、どのようにして出来たのかについては諸説あるようで、確かな事は、解っていないのだそうですけれど・・・「木と木を縄で結んで、その先を、神聖なる結界(神域)としたことが、鳥居の起こり」との説が有力だそうですけど、だとすれば、神社の建物が作られる以前の、古代より存在した「聖域」の名残りなのかも?・・・神社建築が作られるようになってから、それが「鳥居」として形になったのでしょうか?・・・でも、それが何故三つあるのかは、調べたけれど、良く解りませんし、稲荷神社は「鳥居」だらけですしね・・?

     神武天皇量 橿原神宮

     お墓はわりと「ショボイ」ですね・・・一応、鳥居は三つあります・・・鳥居が何時、どのようにして出来たのかについては諸説あるようで、確かな事は、解っていないのだそうですけれど・・・「木と木を縄で結んで、その先を、神聖なる結界(神域)としたことが、鳥居の起こり」との説が有力だそうですけど、だとすれば、神社の建物が作られる以前の、古代より存在した「聖域」の名残りなのかも?・・・神社建築が作られるようになってから、それが「鳥居」として形になったのでしょうか?・・・でも、それが何故三つあるのかは、調べたけれど、良く解りませんし、稲荷神社は「鳥居」だらけですしね・・?

  •  畝傍山 橿原市<br /><br /> 橿原神宮の裏山で、大和三山の一つ「畝傍山」です・・・大和三山の中では、一番、姿の良い小山ですね・・・天野香具山なんて、崩れていて、山なのか、タダの森なのかも解りませんよね・・・?

     畝傍山 橿原市

     橿原神宮の裏山で、大和三山の一つ「畝傍山」です・・・大和三山の中では、一番、姿の良い小山ですね・・・天野香具山なんて、崩れていて、山なのか、タダの森なのかも解りませんよね・・・?

  •  御所市<br /><br /> 天理市からは約25kmで、御所市に到着・・・ラーメン屋の看板が、日本の町っぽくて、昭和の匂い・・・

     御所市

     天理市からは約25kmで、御所市に到着・・・ラーメン屋の看板が、日本の町っぽくて、昭和の匂い・・・

  •  案内板 御所市<br /><br /> 駅前に在った、周辺の観光図です・・・葛城山と金剛山の麓、古代より「鴨氏」や「葛城氏」などの古代豪族の土地であり、「修験道」の開祖「役小角」の故郷でもあるところ・・・役小角は、葛城山系で修業し、後には吉野の金峯山で「蔵王権現」を体得したとか、因みに「蔵王権現」とは、インドに期限を持たない、日本独自の「仏」なのだとか・・・葛城山系には、今も、たくさんの神社や寺が残ってますし、、古墳なども残ってます・・・目的地の「高鴨神社」は、古代豪族「鴨氏」の「氏神」。

     案内板 御所市

     駅前に在った、周辺の観光図です・・・葛城山と金剛山の麓、古代より「鴨氏」や「葛城氏」などの古代豪族の土地であり、「修験道」の開祖「役小角」の故郷でもあるところ・・・役小角は、葛城山系で修業し、後には吉野の金峯山で「蔵王権現」を体得したとか、因みに「蔵王権現」とは、インドに期限を持たない、日本独自の「仏」なのだとか・・・葛城山系には、今も、たくさんの神社や寺が残ってますし、、古墳なども残ってます・・・目的地の「高鴨神社」は、古代豪族「鴨氏」の「氏神」。

  •  鴨都波神社 (かもつばじんじゃ) 御所市<br /><br /> 御所市市内の神社です、出雲系「鴨氏」一族が、葛城山系から、平地に降りてきて、「葛城川」の畔に造ったと言われる旧い神社 (下鴨社)・・・祭神は、積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのみこと)(事代主)と下照姫命(したてるひめのみこと)が主祭神・・・いずれも、大国主命の子で、出雲系の神様なのだとか。

     鴨都波神社 (かもつばじんじゃ) 御所市

     御所市市内の神社です、出雲系「鴨氏」一族が、葛城山系から、平地に降りてきて、「葛城川」の畔に造ったと言われる旧い神社 (下鴨社)・・・祭神は、積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのみこと)(事代主)と下照姫命(したてるひめのみこと)が主祭神・・・いずれも、大国主命の子で、出雲系の神様なのだとか。

  •  狛犬さん 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)<br /><br /> これも、座り獅子ですね・・・出雲系かどうかは解りません・・・

     狛犬さん 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)

     これも、座り獅子ですね・・・出雲系かどうかは解りません・・・

  •  拝殿 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)<br /><br /> 社伝によれば、崇神天皇(四世紀初頭)の勅命により、太田田根子の孫の大賀茂都美命 (おおかもかもすみのみこと) が創建した神社なのだとか・・・太田田根子は、三輪山の大物主の命の娘と言われる、桜井市の、大神神社の神主・・・「鴨氏」の祖先なのだとか・・・

     拝殿 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)

     社伝によれば、崇神天皇(四世紀初頭)の勅命により、太田田根子の孫の大賀茂都美命 (おおかもかもすみのみこと) が創建した神社なのだとか・・・太田田根子は、三輪山の大物主の命の娘と言われる、桜井市の、大神神社の神主・・・「鴨氏」の祖先なのだとか・・・

  •  祓戸神社 (はらえどじんじゃ) 鴨都波神社<br /><br /> 境内にある「祠」です・・・「祓戸神社」の「祓戸」とは、神道における「お祓い」をする場所の事・・・祭神は「瀬織津比売(せおりつひめ)」等の4神で、汚れをはらう神様・・・記紀神話に依れば、イザナミを探して黄泉の国へ赴いた、イザナギが、黄泉のケガレを清めるために禊ぎをした時に、それを司った神々・・・因みに、この時に、さまざまな神々が生まれ、天照大神(日の神、高天原を支配)・月読命(月の神、夜を支配)・須佐之男(海を支配)なども、この時に生まれたとか・・・まあ、小さな祠なので、お祓いの神様の「出張所」と言う感じでしょうか・・? 出雲系とは、特に関係は無いけれど、良く観察すれば、いろんな神社に在る「祠」かも・・?

     祓戸神社 (はらえどじんじゃ) 鴨都波神社

     境内にある「祠」です・・・「祓戸神社」の「祓戸」とは、神道における「お祓い」をする場所の事・・・祭神は「瀬織津比売(せおりつひめ)」等の4神で、汚れをはらう神様・・・記紀神話に依れば、イザナミを探して黄泉の国へ赴いた、イザナギが、黄泉のケガレを清めるために禊ぎをした時に、それを司った神々・・・因みに、この時に、さまざまな神々が生まれ、天照大神(日の神、高天原を支配)・月読命(月の神、夜を支配)・須佐之男(海を支配)なども、この時に生まれたとか・・・まあ、小さな祠なので、お祓いの神様の「出張所」と言う感じでしょうか・・? 出雲系とは、特に関係は無いけれど、良く観察すれば、いろんな神社に在る「祠」かも・・?

  •  鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)<br /><br /> 「火産霊神社(ひむすびじんじゃ)」「猿田彦神社」「天神社=菅原道真」等の小さな「祠」が並んでます・・・イロイロな神様の出張所ですね・・・典型的な「出雲系神社」になると、「大物主命」「大国主命」「大己貴命」「八千矛神」など、大国主の異名となる「七神」の祀られていることも有るらしい(京都・下鴨神社)けれど、この神社は、それほど拘って無さそうです。

     鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)

     「火産霊神社(ひむすびじんじゃ)」「猿田彦神社」「天神社=菅原道真」等の小さな「祠」が並んでます・・・イロイロな神様の出張所ですね・・・典型的な「出雲系神社」になると、「大物主命」「大国主命」「大己貴命」「八千矛神」など、大国主の異名となる「七神」の祀られていることも有るらしい(京都・下鴨神社)けれど、この神社は、それほど拘って無さそうです。

  •  本殿入口 鴨都波神社<br /><br /> 江戸時代の末、天保12年(1841)の建立なのだそうですけれど、わりと雰囲気の有る建物です・・・

     本殿入口 鴨都波神社

     江戸時代の末、天保12年(1841)の建立なのだそうですけれど、わりと雰囲気の有る建物です・・・

  •  本殿 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)<br /><br /> 「正一位鴨大明神」と書かれてます・・・「正一位」とは、神社の格式における「最上位」の事なのだとか・・・「お稲荷さん」もそうですね・・・「明神」とは、神仏習合の思想にのっとり、仏教サイドから、日本の神々を指す場合の「尊称」であり、中でも格式の高い神社の神を「大明神」と言ったとか・・・そののち、仏教の「本馳垂迹説」の影響のもと、日本の神々は、仏教やヒンズーの神の垂迹(化身)と考えられるようになり、「大明神」などは、「釈迦仏」の垂迹とみなされることも有ったとか・・・本来、これら「明神」を名乗る神社は、日本古来の神をまつる神社であったけれど、平安時代以降1000年間、仏教とともに、共存してきた証しとも言えるようです・・ご利益が有るなら、庶民としては、どちらでも良し、ですね・・・明治の「神仏分離令」の影響のもと現在は、「明神」を名乗る神社は少なくなっているけれど、「神田明神」「鹿島大明神」「稲荷大明神」等と、地元に根付いた神社は、今も、「明神」の名を残しています・・・そういえば、桜井市の「大神神社」も、昔は「三輪明神」と呼ばれてました・・・

     本殿 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)

     「正一位鴨大明神」と書かれてます・・・「正一位」とは、神社の格式における「最上位」の事なのだとか・・・「お稲荷さん」もそうですね・・・「明神」とは、神仏習合の思想にのっとり、仏教サイドから、日本の神々を指す場合の「尊称」であり、中でも格式の高い神社の神を「大明神」と言ったとか・・・そののち、仏教の「本馳垂迹説」の影響のもと、日本の神々は、仏教やヒンズーの神の垂迹(化身)と考えられるようになり、「大明神」などは、「釈迦仏」の垂迹とみなされることも有ったとか・・・本来、これら「明神」を名乗る神社は、日本古来の神をまつる神社であったけれど、平安時代以降1000年間、仏教とともに、共存してきた証しとも言えるようです・・ご利益が有るなら、庶民としては、どちらでも良し、ですね・・・明治の「神仏分離令」の影響のもと現在は、「明神」を名乗る神社は少なくなっているけれど、「神田明神」「鹿島大明神」「稲荷大明神」等と、地元に根付いた神社は、今も、「明神」の名を残しています・・・そういえば、桜井市の「大神神社」も、昔は「三輪明神」と呼ばれてました・・・

  •  本殿 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)<br /><br /> まるで、ロマネスクかゴシックの様な「柱頭彫刻」が付いてます・・・お獅子と象さんですね・・・あまり、他の神社では、見たことないですけれど・・・お神輿の飾りには、よくこういうのが付いてますけど・・・象さんはユニーク。

    イチオシ

     本殿 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)

     まるで、ロマネスクかゴシックの様な「柱頭彫刻」が付いてます・・・お獅子と象さんですね・・・あまり、他の神社では、見たことないですけれど・・・お神輿の飾りには、よくこういうのが付いてますけど・・・象さんはユニーク。

  •  本殿 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)<br /><br /> 欄干には、木彫りの狛犬がいました・・・しめ縄を首にかけて、なかなかに精悍ですね・・・左甚五郎とまでは行かないけど、ひょっとしたら、名のある名工の作品かも・・?

     本殿 鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)

     欄干には、木彫りの狛犬がいました・・・しめ縄を首にかけて、なかなかに精悍ですね・・・左甚五郎とまでは行かないけど、ひょっとしたら、名のある名工の作品かも・・?

  •  鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)<br /><br /> 境内には、お稲荷さんもついてます・・・珍しくも無いけど・・・祭神は勿論「宇迦之御魂大神」(うかのみたまのおおかみ)・・・ご利益は、お稲荷さん(自然神)本来の「五穀豊穣」にプラスして「商売繁盛」も付いてるのだとか・・・

     鴨都波神社 (かもつばじんじゃ)

     境内には、お稲荷さんもついてます・・・珍しくも無いけど・・・祭神は勿論「宇迦之御魂大神」(うかのみたまのおおかみ)・・・ご利益は、お稲荷さん(自然神)本来の「五穀豊穣」にプラスして「商売繁盛」も付いてるのだとか・・・

  •  国道24号線 風の森峠 御所市郊外<br /><br /> 御所市から南へは、だらだらの上り坂・・・久しぶりの自転車旅行なので、ちょっとバテバテ・・・もう少し行けば、奈良県の最南端「五条市」・・・その手前に「風の森峠」と言う峠あります・・・変な「オブジェ」は、「風神」さんなのだとか・・・因みに、この地には、葛城山系の水を使った、「風の森」と言う「地酒」が有るのだとか・・・この変なオブジェは、一種のコマーシャルでしょか・・?

     国道24号線 風の森峠 御所市郊外

     御所市から南へは、だらだらの上り坂・・・久しぶりの自転車旅行なので、ちょっとバテバテ・・・もう少し行けば、奈良県の最南端「五条市」・・・その手前に「風の森峠」と言う峠あります・・・変な「オブジェ」は、「風神」さんなのだとか・・・因みに、この地には、葛城山系の水を使った、「風の森」と言う「地酒」が有るのだとか・・・この変なオブジェは、一種のコマーシャルでしょか・・?

  •  風の森峠 御所市郊外<br /><br /> 「地酒」と言っても、侮るなかれ、江戸時代の享保四年(1719年)より、すでに300年の歴史が有るのだとか・・・でもまあ、ワタクシは、あの匂いが苦手なので、日本酒は飲みませんけどね・・・でも、ユニークなコマーシャルですね・・・酒瓶を持ってないので、違うかもしれないけど・・?

    イチオシ

     風の森峠 御所市郊外

     「地酒」と言っても、侮るなかれ、江戸時代の享保四年(1719年)より、すでに300年の歴史が有るのだとか・・・でもまあ、ワタクシは、あの匂いが苦手なので、日本酒は飲みませんけどね・・・でも、ユニークなコマーシャルですね・・・酒瓶を持ってないので、違うかもしれないけど・・?

  •  御所市郊外 鴨神町<br /><br /> 御所市から南、だらだらとした上り坂を、約八キロ前後、漸くにして、到着した感じ・・・このあたりは、金剛山系の東山麓にあたるのだとか・・・

     御所市郊外 鴨神町

     御所市から南、だらだらとした上り坂を、約八キロ前後、漸くにして、到着した感じ・・・このあたりは、金剛山系の東山麓にあたるのだとか・・・

  •  一の鳥居 高鴨神社 鴨神超 御所市郊外<br /><br /> 道路からすぐ鳥居・・・もう少し、空間が欲しいですね・・・この神社は、京都にある「上賀茂神社」「下鴨神社」など、日本全国にある「鴨・加茂・賀茂」系の神社の総本社なのだとか・・・その割には、地味に見えますけど・・・京都の「鴨」系神社は、ヤマト族の支配に対し、潔しとしなかった「鴨」系の一族のものが、今日の、京都の地に移動した事を示すものなのだとか?・・・因みに、織田信長で有名な「尾張」と言うのも、この地にあった、出雲系の「尾張氏」が、ヤマト族に服属することを潔しとせず、移動した土地と考えられるのだとか・・・証拠としては、古い神社に伝わる「系図」と言うものが有り、「尾張氏」も「鴨氏」も、出雲系「物部氏」の血を引いている事から、そう考えられるのだそうですけど・・・マア、神社に伝わる系図なんてものが、どこまで当てになるかは、ワタクシには解りませんけれど・・有り得ない事では無いかも?

     一の鳥居 高鴨神社 鴨神超 御所市郊外

     道路からすぐ鳥居・・・もう少し、空間が欲しいですね・・・この神社は、京都にある「上賀茂神社」「下鴨神社」など、日本全国にある「鴨・加茂・賀茂」系の神社の総本社なのだとか・・・その割には、地味に見えますけど・・・京都の「鴨」系神社は、ヤマト族の支配に対し、潔しとしなかった「鴨」系の一族のものが、今日の、京都の地に移動した事を示すものなのだとか?・・・因みに、織田信長で有名な「尾張」と言うのも、この地にあった、出雲系の「尾張氏」が、ヤマト族に服属することを潔しとせず、移動した土地と考えられるのだとか・・・証拠としては、古い神社に伝わる「系図」と言うものが有り、「尾張氏」も「鴨氏」も、出雲系「物部氏」の血を引いている事から、そう考えられるのだそうですけど・・・マア、神社に伝わる系図なんてものが、どこまで当てになるかは、ワタクシには解りませんけれど・・有り得ない事では無いかも?

  •  楠正成像 高鴨神社 (たかかもじんじゃ)<br /><br /> 参道を入って右側、いかにも「場違い」と言う感じで建てられてます「楠正成」の騎馬像・・・南北朝時代の南朝・後醍醐天皇方の武将ですね・・・出雲とは全然関係は有りません・・・楠正成が英雄として崇められたのは、江戸時代の水戸学により「忠臣」とし持ち上げられたことによります、それは、そのまま、長州の「尊皇派・カルト」勢力にも受け継がれ、明治となって後、「南朝正当論」となってフィーバー・・・やがて「大楠公」と呼ばれ、もてはやされることとなります・・・明治の天皇は、北朝の血をひいてるはずなのですけど、このあたりは訳が解らない・・・ともあれ、出雲系「鴨氏」の総本山に、侵略者・ヤマト族系の、天皇家の忠臣の像が有るという事は、遠い昔の事とはいえ・・・一寸、ショック。

     楠正成像 高鴨神社 (たかかもじんじゃ)

     参道を入って右側、いかにも「場違い」と言う感じで建てられてます「楠正成」の騎馬像・・・南北朝時代の南朝・後醍醐天皇方の武将ですね・・・出雲とは全然関係は有りません・・・楠正成が英雄として崇められたのは、江戸時代の水戸学により「忠臣」とし持ち上げられたことによります、それは、そのまま、長州の「尊皇派・カルト」勢力にも受け継がれ、明治となって後、「南朝正当論」となってフィーバー・・・やがて「大楠公」と呼ばれ、もてはやされることとなります・・・明治の天皇は、北朝の血をひいてるはずなのですけど、このあたりは訳が解らない・・・ともあれ、出雲系「鴨氏」の総本山に、侵略者・ヤマト族系の、天皇家の忠臣の像が有るという事は、遠い昔の事とはいえ・・・一寸、ショック。

  •  参道 高鴨神社<br /><br /> ともあれ、神社自体は、いかにも「聖域」と言う感じもして、古びた感じが、悪くない雰囲気です・・・本殿は、突き当りの、高台にあります。

    イチオシ

     参道 高鴨神社

     ともあれ、神社自体は、いかにも「聖域」と言う感じもして、古びた感じが、悪くない雰囲気です・・・本殿は、突き当りの、高台にあります。

  •  二の鳥居 高鴨神社<br /><br /> 途中で、折れてる跡が見えます、どうして繋いでるんでしょうか?・・・<br /><br /> 祭神は、「阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)」を主祭神とし、「下照比売命」「天稚彦命を配祀」するとか・・・「阿治須岐高日子根命」は「記紀神話」だけでなく、「出雲風土記」にも登場する神で「大国主命」の子供なのだとか・・・「農業神」でもあり「雷神」でもあるとか、・・・「雷神」は空を駆けるとともに、水(雨)にもかかわることから、古来より「製鉄の神」として祀られてきたとか・・・このことから、、「鴨氏」とは、出雲の製鉄の技を伝える者たちの集団であったことが、考えられるのだとか・・・

     二の鳥居 高鴨神社

     途中で、折れてる跡が見えます、どうして繋いでるんでしょうか?・・・

     祭神は、「阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)」を主祭神とし、「下照比売命」「天稚彦命を配祀」するとか・・・「阿治須岐高日子根命」は「記紀神話」だけでなく、「出雲風土記」にも登場する神で「大国主命」の子供なのだとか・・・「農業神」でもあり「雷神」でもあるとか、・・・「雷神」は空を駆けるとともに、水(雨)にもかかわることから、古来より「製鉄の神」として祀られてきたとか・・・このことから、、「鴨氏」とは、出雲の製鉄の技を伝える者たちの集団であったことが、考えられるのだとか・・・

  •  本殿 高鴨神社<br /><br /> 石垣の上に本殿が有ります。<br /><br /> 葛城山系を駆け巡り、後の世に「修験道」の開祖として有名の「役小角」 (役行者)は、この「高鴨神社」の神官を父とし、物部氏の娘を母とした、「鴨一族」の者であったとか・・・山に分け入って、鉄の鉱脈を捜し歩いた、そんな「山師」の一人だったのですね・・・それがいつの間にやら「行者』となり、「魔術師」となり、「修験道」の開祖となったとか・・?

     本殿 高鴨神社

     石垣の上に本殿が有ります。

     葛城山系を駆け巡り、後の世に「修験道」の開祖として有名の「役小角」 (役行者)は、この「高鴨神社」の神官を父とし、物部氏の娘を母とした、「鴨一族」の者であったとか・・・山に分け入って、鉄の鉱脈を捜し歩いた、そんな「山師」の一人だったのですね・・・それがいつの間にやら「行者』となり、「魔術師」となり、「修験道」の開祖となったとか・・?

  •  高鴨神社<br /><br /> 本殿は工事中で、近づけませんでしたけど・・・石垣の上からの眺めは良いです・・・池の向こうからの本殿の眺めは、良さそうですけど・・・今日は出発が遅かったので…だんだん陽が暮れてきました・・・あんまりノンビリしてられない・・・

     高鴨神社

     本殿は工事中で、近づけませんでしたけど・・・石垣の上からの眺めは良いです・・・池の向こうからの本殿の眺めは、良さそうですけど・・・今日は出発が遅かったので…だんだん陽が暮れてきました・・・あんまりノンビリしてられない・・・

  •  彼方此方の神様の出張所 高鴨神社<br /><br /> 境内に玉砂利は引いてあるけど、あまり「清浄」と言う感じのしない神社ですね、「清浄」よりも、庶民的な感じの神社です・・・境内もチマチマしてるし、神様だらけで、込み合ってる感じ・・・マア、ワタクシは、あまり「清浄」等と言うのは、胡散臭くて好きじゃないので、こんなものでいいですけど・・・そういえば、「イエス・キリスト」は、「清浄」等という事には、拘らなかったですね・・・その後継者どもは別として・・・イエスは、常に、病人や身障者や娼婦など、常に、穢れているとして、差別されている人々の側にいた・・・「清浄」等と言う、怪しげなシロモノを装うなど・・・その神主どもが「清浄」であるはずもないし・・・このあたり、ワタクシが「神道」を、好きになれないし、胡散臭いと思う理由かも・・?

     彼方此方の神様の出張所 高鴨神社

     境内に玉砂利は引いてあるけど、あまり「清浄」と言う感じのしない神社ですね、「清浄」よりも、庶民的な感じの神社です・・・境内もチマチマしてるし、神様だらけで、込み合ってる感じ・・・マア、ワタクシは、あまり「清浄」等と言うのは、胡散臭くて好きじゃないので、こんなものでいいですけど・・・そういえば、「イエス・キリスト」は、「清浄」等という事には、拘らなかったですね・・・その後継者どもは別として・・・イエスは、常に、病人や身障者や娼婦など、常に、穢れているとして、差別されている人々の側にいた・・・「清浄」等と言う、怪しげなシロモノを装うなど・・・その神主どもが「清浄」であるはずもないし・・・このあたり、ワタクシが「神道」を、好きになれないし、胡散臭いと思う理由かも・・?

  •  磐座? 高鴨神社<br /><br /> 出雲系に特有の「磐座」でしょうか・・・「大黒天」と言う文字が彫られてるし・・・確か、「大黒天」は、本地垂迹説によれば「大国主命」の「本地」だったですね・・・神仏習合時代の、名残の磐座でしょうか・・?

     磐座? 高鴨神社

     出雲系に特有の「磐座」でしょうか・・・「大黒天」と言う文字が彫られてるし・・・確か、「大黒天」は、本地垂迹説によれば「大国主命」の「本地」だったですね・・・神仏習合時代の、名残の磐座でしょうか・・?

  •  東神社 高鴨神社<br /><br /> 境内の東側にある神社です、祭神は「天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天照大御神・住吉三前大神」なのだとか・・・この三神は、出雲系とは関係の無い神様で、大和族系の神様のようです、社殿が新しいしいし、明治以降になってから、作られたのかもしれませんね・・・楠正成の像と同じころに、作られたのかも知れません・・?

     東神社 高鴨神社

     境内の東側にある神社です、祭神は「天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天照大御神・住吉三前大神」なのだとか・・・この三神は、出雲系とは関係の無い神様で、大和族系の神様のようです、社殿が新しいしいし、明治以降になってから、作られたのかもしれませんね・・・楠正成の像と同じころに、作られたのかも知れません・・?

  •  西側の参道 高鴨神社<br /><br /> 「大物主の命」の「祠」です・・・本殿に向かって西側の参道に在ります・・・「大物主の命」は勿論、「大神神社」の主祭神であり、出雲系です。<br /><br /> この神社を見ていると、神社における「清浄さ」と言うものに拘るのは、大和系の神社の傾向ではないかと感じます・・・橿原神宮なんて、その典型ですね・・・聖域ですので、静けさは有りますけれど・・・出雲の神様は、特に「清浄さ」には拘っていないような、そんな気がします・・・大国主の命とか、素戔嗚尊(スサノオ)なんてのも、「清浄」なんて言うイメージは、あまりないような、ずいぶん彼方此方に女を作って、子作りしてるし・・・まあ、あくまでワタクシの「感じ」・・?

     西側の参道 高鴨神社

     「大物主の命」の「祠」です・・・本殿に向かって西側の参道に在ります・・・「大物主の命」は勿論、「大神神社」の主祭神であり、出雲系です。

     この神社を見ていると、神社における「清浄さ」と言うものに拘るのは、大和系の神社の傾向ではないかと感じます・・・橿原神宮なんて、その典型ですね・・・聖域ですので、静けさは有りますけれど・・・出雲の神様は、特に「清浄さ」には拘っていないような、そんな気がします・・・大国主の命とか、素戔嗚尊(スサノオ)なんてのも、「清浄」なんて言うイメージは、あまりないような、ずいぶん彼方此方に女を作って、子作りしてるし・・・まあ、あくまでワタクシの「感じ」・・?

  •  西側参道 高鴨神社<br /><br /> 参道の脇には、いくつもの神様の出張所が有ります・・・

     西側参道 高鴨神社

     参道の脇には、いくつもの神様の出張所が有ります・・・

  •  西祭神 高鴨神社<br /><br /> 主祭神は「多紀理毘売命(たぎりひめ)」など四神・・・「多紀理毘売命」とは、北九州に存在した「宗像大社(むなかたたいしゃ)」に祀られていた「宗像三美神」の一人・・・宗像三美神とは、天照大神と素戔嗚尊(スサノオ)の誓約の際、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれたのだとか・・・その後の三美神は、アマテラスに従い、皇孫ニニギノミコトを助けたとか・・・どちらかと言えば、出雲系と言うよりは、記紀神話によって造られた「大和族」系の女神のようです?・・・それにしても、せっかくの出雲系の神社なのに、相当に、ヤマト族に浸食されているのが、ちと哀れ・・・

     西祭神 高鴨神社

     主祭神は「多紀理毘売命(たぎりひめ)」など四神・・・「多紀理毘売命」とは、北九州に存在した「宗像大社(むなかたたいしゃ)」に祀られていた「宗像三美神」の一人・・・宗像三美神とは、天照大神と素戔嗚尊(スサノオ)の誓約の際、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれたのだとか・・・その後の三美神は、アマテラスに従い、皇孫ニニギノミコトを助けたとか・・・どちらかと言えば、出雲系と言うよりは、記紀神話によって造られた「大和族」系の女神のようです?・・・それにしても、せっかくの出雲系の神社なのに、相当に、ヤマト族に浸食されているのが、ちと哀れ・・・

  •  西参道 高鴨神社<br /><br /> 陽が暮れてきたので、そろそろ帰ります・・・天理から此処まで、往復・約60~70km・・・久々の遠出で、チョット疲れました・・・帰る途中では、足が攣りました・・・鈍ってます・・・

     西参道 高鴨神社

     陽が暮れてきたので、そろそろ帰ります・・・天理から此処まで、往復・約60~70km・・・久々の遠出で、チョット疲れました・・・帰る途中では、足が攣りました・・・鈍ってます・・・

  •  7月19日 平城京跡(再建中)<br /><br /> 今日は、大和の国・生駒山の麓にある富雄の街を目指します・・・神武天皇と戦い、これを打ち負かした「長脛彦」と言う武人が祭られていたという「添御県坐神社(そうのみあがたいますじんじゃ)」です・・・でもまあ、そのついでに、手前の奈良市の外れにある「平城京」の復元遺跡を見物・・・西暦710年(和銅3年)、元明天皇(女帝)の時代に始まる「奈良時代(~794)」の都です・・・シュールな風景ですね・・・原っぱの真ん中に、古代の「城門」が立ってます・・・ワタクシの子供の頃には、こういう建物は有りませんでしたので、初めて拝見・・・過っての「平城京」は、20万人の人々が住んでいたのだそうですけど・・・今の処、この地の人間は、警備員とか、少数の観光客とか、博物館の館員しかいませんし、お土産屋さんさえも無し・・・完全復旧には、かなり時間がかかりそうですね・・・

     7月19日 平城京跡(再建中)

     今日は、大和の国・生駒山の麓にある富雄の街を目指します・・・神武天皇と戦い、これを打ち負かした「長脛彦」と言う武人が祭られていたという「添御県坐神社(そうのみあがたいますじんじゃ)」です・・・でもまあ、そのついでに、手前の奈良市の外れにある「平城京」の復元遺跡を見物・・・西暦710年(和銅3年)、元明天皇(女帝)の時代に始まる「奈良時代(~794)」の都です・・・シュールな風景ですね・・・原っぱの真ん中に、古代の「城門」が立ってます・・・ワタクシの子供の頃には、こういう建物は有りませんでしたので、初めて拝見・・・過っての「平城京」は、20万人の人々が住んでいたのだそうですけど・・・今の処、この地の人間は、警備員とか、少数の観光客とか、博物館の館員しかいませんし、お土産屋さんさえも無し・・・完全復旧には、かなり時間がかかりそうですね・・・

  •  朱雀門 平城京跡(再建中)<br /><br /> 平城京(710年)の前は・・飛鳥宮(6世紀末)・・白村江の戦い(662年)・・大津宮(667年)・・壬申の乱(672年)・・飛鳥宮(673年)・・・藤原京(694年)・・・と、外戦と内戦を挟み、「王都」は、目まぐるしく変わってます・・・なぜこのように「王都」が変わり、内乱までが起きたのか・・・「天智朝と東アジア」(NHKブックス)によれば、実は、この王都の移動と、日本の古代世界最大の内乱(壬申の乱)には・・・日本が、半島の「百済」に肩入れして、「唐」と「新羅(しんら)」の連合軍と戦い、「唐」によってコテンパンに敗れた「白村江の戦いの(662年)」の「敗戦処理」問題が絡んでいるとか・・・つまり、倭国の敗戦後の、唐の「進駐軍」(郭務宋の来日 664年)の受け入れと、「唐」による「命令」が有ったと考えるのが自然とか?・・・新説ですけど、かなり信憑性は高いと思う・・・

     朱雀門 平城京跡(再建中)

     平城京(710年)の前は・・飛鳥宮(6世紀末)・・白村江の戦い(662年)・・大津宮(667年)・・壬申の乱(672年)・・飛鳥宮(673年)・・・藤原京(694年)・・・と、外戦と内戦を挟み、「王都」は、目まぐるしく変わってます・・・なぜこのように「王都」が変わり、内乱までが起きたのか・・・「天智朝と東アジア」(NHKブックス)によれば、実は、この王都の移動と、日本の古代世界最大の内乱(壬申の乱)には・・・日本が、半島の「百済」に肩入れして、「唐」と「新羅(しんら)」の連合軍と戦い、「唐」によってコテンパンに敗れた「白村江の戦いの(662年)」の「敗戦処理」問題が絡んでいるとか・・・つまり、倭国の敗戦後の、唐の「進駐軍」(郭務宋の来日 664年)の受け入れと、「唐」による「命令」が有ったと考えるのが自然とか?・・・新説ですけど、かなり信憑性は高いと思う・・・

  •  朱雀門 平城京跡(再建中)<br /><br /> 「朱雀門」から、遥か彼方に「大極殿」が見えます・・・白村江(はくそんこう)の敗戦(662年)後は・・・唐の役人・郭務宗(進駐軍)の来日(664年)・・・大津宮遷都(667年)・・・天智の死(671年)・・・郭務宗の帰国(672 5月)・・・壬申の乱(672 6月)・・・天武・飛鳥浄御原宮で即位(673年)・・・天武天皇・律令制定を命ずる詔(681)・・・藤原京遷都(持統帝・694年)・・・大宝律令(701年)・・・奈良遷都(710年)と続きます・・・大津宮遷都(667)には、唐(進駐軍)の命令が有り、それまでの首都の飛鳥は、進駐軍が占拠していたものと考えられるとか?・・・また、その後の、壬申の乱の対立には、「白村江の戦い」において九州にあり、敗戦の責任者として「進駐軍」に従った「天智天皇」や「大友皇子」に対し、畿内にあって、白村江の「敗戦」を直接体験しなかった「大海人皇子(天武)」や、畿内の豪族たちとの、敗戦と、唐の支配の受け止め方に対する、微妙な「温度差」が有ったとか・・・因みに、郭務宗(進駐軍)の帰国(672 5月)は、朝鮮半島において、新羅(しんら)が唐に対して反旗を翻し、自国の足元に火がついた為・・・幸運にも、倭国は、朝鮮(新羅)によって、唐の支配から救われたのだとか・・・

     朱雀門 平城京跡(再建中)

     「朱雀門」から、遥か彼方に「大極殿」が見えます・・・白村江(はくそんこう)の敗戦(662年)後は・・・唐の役人・郭務宗(進駐軍)の来日(664年)・・・大津宮遷都(667年)・・・天智の死(671年)・・・郭務宗の帰国(672 5月)・・・壬申の乱(672 6月)・・・天武・飛鳥浄御原宮で即位(673年)・・・天武天皇・律令制定を命ずる詔(681)・・・藤原京遷都(持統帝・694年)・・・大宝律令(701年)・・・奈良遷都(710年)と続きます・・・大津宮遷都(667)には、唐(進駐軍)の命令が有り、それまでの首都の飛鳥は、進駐軍が占拠していたものと考えられるとか?・・・また、その後の、壬申の乱の対立には、「白村江の戦い」において九州にあり、敗戦の責任者として「進駐軍」に従った「天智天皇」や「大友皇子」に対し、畿内にあって、白村江の「敗戦」を直接体験しなかった「大海人皇子(天武)」や、畿内の豪族たちとの、敗戦と、唐の支配の受け止め方に対する、微妙な「温度差」が有ったとか・・・因みに、郭務宗(進駐軍)の帰国(672 5月)は、朝鮮半島において、新羅(しんら)が唐に対して反旗を翻し、自国の足元に火がついた為・・・幸運にも、倭国は、朝鮮(新羅)によって、唐の支配から救われたのだとか・・・

  •  大極殿 平城京跡(再建中)<br /><br /> 大極殿と朱雀門の間には、電車(近鉄)が走ってます・・・踏切の番をしていたおじさんに「無粋ですね」って言ったら・・・現在、路線の変更を準備中なのだとか・・・十年くらいかかるらしいですけど・・・その前に、日本経済が崩壊するかも・・・十年が何十年になるか・・・気の長い話です・・・

     大極殿 平城京跡(再建中)

     大極殿と朱雀門の間には、電車(近鉄)が走ってます・・・踏切の番をしていたおじさんに「無粋ですね」って言ったら・・・現在、路線の変更を準備中なのだとか・・・十年くらいかかるらしいですけど・・・その前に、日本経済が崩壊するかも・・・十年が何十年になるか・・・気の長い話です・・・

  •  朱雀門 平城京跡(再建中)<br /><br /> 踏切を渡って、反対側からの「朱雀門」の眺め・・・シュール・・・<br /><br /> 古事記と日本書紀の編纂(681~720)は、壬申の乱(672)の勝者・天武天皇により命じられたものですけど、これがなされた「動機」こそ、この「白村江の敗戦」以降の、倭国にとって都合の悪い歴史を抹殺し、全く、別の歴史を捏造する必要にあったと言えるでしょう・・・「天皇」の称号が、新しく創られたのも、歴史を捏造し、これまでとは別の、統治の正当性を捏造する為、全ては、同じの意図の下にあります・・・郭務宗等の指示による、唐の「律令制度」に倣いながらも、巧妙に、唐の影響と、白村江の敗戦の記憶を消すために、血統を重視する、独特の「神聖国家」を創作したのですね・・・

     朱雀門 平城京跡(再建中)

     踏切を渡って、反対側からの「朱雀門」の眺め・・・シュール・・・

     古事記と日本書紀の編纂(681~720)は、壬申の乱(672)の勝者・天武天皇により命じられたものですけど、これがなされた「動機」こそ、この「白村江の敗戦」以降の、倭国にとって都合の悪い歴史を抹殺し、全く、別の歴史を捏造する必要にあったと言えるでしょう・・・「天皇」の称号が、新しく創られたのも、歴史を捏造し、これまでとは別の、統治の正当性を捏造する為、全ては、同じの意図の下にあります・・・郭務宗等の指示による、唐の「律令制度」に倣いながらも、巧妙に、唐の影響と、白村江の敗戦の記憶を消すために、血統を重視する、独特の「神聖国家」を創作したのですね・・・

  •  大極殿 平城京跡(再建中)<br /><br /> 広々しすぎですね・・・何も無し・・・空しい・・・確か、奈良のドリームランドも無くなったし、新しい遊園地でも作ったらどうかな・・?

     大極殿 平城京跡(再建中)

     広々しすぎですね・・・何も無し・・・空しい・・・確か、奈良のドリームランドも無くなったし、新しい遊園地でも作ったらどうかな・・?

  •  平城京跡(再建中)<br /><br /> 手前が「朱雀門」で、向こう側が「大極殿」なのだとか・・・現在建っているのは、中央の二つの建物だけ・・・全部建ったとしても、だだっ広いのは変わりがなさそうですね・・?

     平城京跡(再建中)

     手前が「朱雀門」で、向こう側が「大極殿」なのだとか・・・現在建っているのは、中央の二つの建物だけ・・・全部建ったとしても、だだっ広いのは変わりがなさそうですね・・?

  •  平城京跡(再建中)<br /><br /> 広い土地に、二つの建物以外、他に何にもなしの「シュール」な空間なので・・・歩いて観光するのは、まだまだ面倒・・・自転車で良かった・・・日陰もないし、カフェも無い・・・お土産屋さんも有りません・・・缶コーヒーくらいなら、「博物館」の建物で売ってたかな・・・?

     平城京跡(再建中)

     広い土地に、二つの建物以外、他に何にもなしの「シュール」な空間なので・・・歩いて観光するのは、まだまだ面倒・・・自転車で良かった・・・日陰もないし、カフェも無い・・・お土産屋さんも有りません・・・缶コーヒーくらいなら、「博物館」の建物で売ってたかな・・・?

  •  平城京跡(再建中)<br /><br /> 平城京の全体図のようです・・・ソコソコ広かったのですね・・・20万人が住むには、建物が少ないような・・・貧民は、場外に住んでたのかも・・?

     平城京跡(再建中)

     平城京の全体図のようです・・・ソコソコ広かったのですね・・・20万人が住むには、建物が少ないような・・・貧民は、場外に住んでたのかも・・?

  •  大極殿 南側 平城京跡(再建中)<br /><br /> 色鮮やかな、出来立てのほやほや・・・本物が、こうだったかは解らないですよね・・?・・まあ、精一杯、研究したのだろうとは思うけど・・・あくまでも゜イメージ」ですね・・・<br /><br /> 「あおによし 奈良の都は咲く花の 匂うがごとく いま盛りなり」と、歌われる、仏教を基礎とした「天平文化」の時代ですね・・・それ以前の、「大王」を中心としながらも、「豪族」たちとの「合議制」で運営されていた国家が、「律令制度」と言う法制度のもとに、「天皇」と言う、新しい地位の下に、中国に倣い「中央集権」と「官僚性」の国家体制を志向した時代ですね・・・ある意味、明治政府が「王政復古」の名のもとに目指した時代ですけれど・・・実際のこの時代の中央集権と言うものは、それほど上手くは行かなかったとか・・・多数の「官僚」を養うに足る「税金」が、あまり集まらなかったのだとか・・・まあ、いくら集まっても、現在の自公政権のように、無駄遣いをし、盗人のように、お仲間の内で掠め取っていたら、いくら有っても足りませんけれどね・・・

    イチオシ

     大極殿 南側 平城京跡(再建中)

     色鮮やかな、出来立てのほやほや・・・本物が、こうだったかは解らないですよね・・?・・まあ、精一杯、研究したのだろうとは思うけど・・・あくまでも゜イメージ」ですね・・・

     「あおによし 奈良の都は咲く花の 匂うがごとく いま盛りなり」と、歌われる、仏教を基礎とした「天平文化」の時代ですね・・・それ以前の、「大王」を中心としながらも、「豪族」たちとの「合議制」で運営されていた国家が、「律令制度」と言う法制度のもとに、「天皇」と言う、新しい地位の下に、中国に倣い「中央集権」と「官僚性」の国家体制を志向した時代ですね・・・ある意味、明治政府が「王政復古」の名のもとに目指した時代ですけれど・・・実際のこの時代の中央集権と言うものは、それほど上手くは行かなかったとか・・・多数の「官僚」を養うに足る「税金」が、あまり集まらなかったのだとか・・・まあ、いくら集まっても、現在の自公政権のように、無駄遣いをし、盗人のように、お仲間の内で掠め取っていたら、いくら有っても足りませんけれどね・・・

  •  大極殿 北側 平城京跡(再建中)<br /><br /> 奈良時代と言うのは、当初は、未だ「白村江」の敗北の名残の残る時代で、「唐」とも「新羅」とも、常に緊張関係の残る時代であり、天皇の近くには、亡命百済人なども数多くいたとか・・・関祐二氏の本「なぜ日本書紀は古代史を偽装したか」に依れば、天智天皇の懐刀とされる「中臣鎌足」とは、人質として「百済」から日本に送られていた「豊章(ほうしょう)」ではないかとの事・・・また、持統天皇に仕え、日本書紀の編纂に力を尽くした「藤原不比等」とは、その子孫であるのだとか・・・彼「不比等」にとっての一番の目的は、彼ら「亡命百済人=藤原氏」が大和政権内で生き延びられるよう、歴史を書き換える事で在ったとか・・・日本書紀は漢文で書かれており、当時、まともな漢文を書ける日本人が、其れほどいなかったことを考えても、有りそうな話です・・・大和朝廷に対しても、一生懸命「ゴマ」を擦ったのでしょうね、特に、持統天皇に対し「ゴマ」を擦ったとか・・・だから、天皇が神の血を引くなどと言う、有り得ない、ゲテモノの歴史書と成り、持統天皇が「アマテラス」のモデルとなったのだとか・・?

     大極殿 北側 平城京跡(再建中)

     奈良時代と言うのは、当初は、未だ「白村江」の敗北の名残の残る時代で、「唐」とも「新羅」とも、常に緊張関係の残る時代であり、天皇の近くには、亡命百済人なども数多くいたとか・・・関祐二氏の本「なぜ日本書紀は古代史を偽装したか」に依れば、天智天皇の懐刀とされる「中臣鎌足」とは、人質として「百済」から日本に送られていた「豊章(ほうしょう)」ではないかとの事・・・また、持統天皇に仕え、日本書紀の編纂に力を尽くした「藤原不比等」とは、その子孫であるのだとか・・・彼「不比等」にとっての一番の目的は、彼ら「亡命百済人=藤原氏」が大和政権内で生き延びられるよう、歴史を書き換える事で在ったとか・・・日本書紀は漢文で書かれており、当時、まともな漢文を書ける日本人が、其れほどいなかったことを考えても、有りそうな話です・・・大和朝廷に対しても、一生懸命「ゴマ」を擦ったのでしょうね、特に、持統天皇に対し「ゴマ」を擦ったとか・・・だから、天皇が神の血を引くなどと言う、有り得ない、ゲテモノの歴史書と成り、持統天皇が「アマテラス」のモデルとなったのだとか・・?

  •  平城京跡(再建中)<br /><br /> 平城京の敷地内にあったと思われる・・・古代の「池」・・・?<br /><br /> ところで、一説によれば、現在日本人の25%は、遺伝子的には朝鮮人であり、他の25%は、中国人であるのだとか(以下、縄文系、沖縄系、ポリネシア系 etc,)・・・「朝鮮憎し」の、今に残る源流は、「白村江」の敗北と「新羅」によって、半島を追い出された「亡命百済人」の怨念が、今に残っているのかもしれませんね・・・見方を変えれば、「百済人」と「新羅人」の、半島系の人々の争いです・・・本来の日本人には、あまり関係が無いかも?・・・ただし、日本人と言うものが、存在すればの話ですけれど・・・因みに、遺伝子学的には、日本人であるという、この日本列島に特有の遺伝子を持つ人々は、今のところ「4%」程度なのだとか・・・要するに、遺伝学的には、日本人と言う民族は、未だに完成されていないという事に成ります・・・ともあれ、政治的に「日本」と言う国が出来るのは、せいぜい「平安時代」からと言うのが、最近の定説であるのだとか・・・「日本人」と言う意識が出来るのは、多分「明治時代」以降でしょうけれどね・・・

     平城京跡(再建中)

     平城京の敷地内にあったと思われる・・・古代の「池」・・・?

     ところで、一説によれば、現在日本人の25%は、遺伝子的には朝鮮人であり、他の25%は、中国人であるのだとか(以下、縄文系、沖縄系、ポリネシア系 etc,)・・・「朝鮮憎し」の、今に残る源流は、「白村江」の敗北と「新羅」によって、半島を追い出された「亡命百済人」の怨念が、今に残っているのかもしれませんね・・・見方を変えれば、「百済人」と「新羅人」の、半島系の人々の争いです・・・本来の日本人には、あまり関係が無いかも?・・・ただし、日本人と言うものが、存在すればの話ですけれど・・・因みに、遺伝子学的には、日本人であるという、この日本列島に特有の遺伝子を持つ人々は、今のところ「4%」程度なのだとか・・・要するに、遺伝学的には、日本人と言う民族は、未だに完成されていないという事に成ります・・・ともあれ、政治的に「日本」と言う国が出来るのは、せいぜい「平安時代」からと言うのが、最近の定説であるのだとか・・・「日本人」と言う意識が出来るのは、多分「明治時代」以降でしょうけれどね・・・

  •  平城京跡(再建中)<br /><br /> ズームアップ・・・鳥さんがいます・・・青サギでしょうか・・・ヨーロッパでも、良く見かけた鳥さんです、日本でも最近、良く見かけます・・・調べたら、ユーラシア全域に住んでるのだとか・・・ペリカン目だそうです・・・では、平城京を後にして・・・本日の目的地へ・・・

     平城京跡(再建中)

     ズームアップ・・・鳥さんがいます・・・青サギでしょうか・・・ヨーロッパでも、良く見かけた鳥さんです、日本でも最近、良く見かけます・・・調べたら、ユーラシア全域に住んでるのだとか・・・ペリカン目だそうです・・・では、平城京を後にして・・・本日の目的地へ・・・

  •  添御県坐神社 (そうのみあがたにいますじんじゃ) 奈良市 富雄<br /><br /> 本日の目的地「添御県坐神社」は、近鉄「富雄」駅から、歩いて10分ほど、富雄川の近く・・・平城京の跡地から、少し道に迷って、辿りつきました・・・記紀神話によれば、生駒山の麓から、大和侵入を計った「神武軍」と戦い、これを打ち破り、追い払った「長脛彦」が、明治時代以前までは「主祭神」として祀られていたという由緒ある神社です・・・

     添御県坐神社 (そうのみあがたにいますじんじゃ) 奈良市 富雄

     本日の目的地「添御県坐神社」は、近鉄「富雄」駅から、歩いて10分ほど、富雄川の近く・・・平城京の跡地から、少し道に迷って、辿りつきました・・・記紀神話によれば、生駒山の麓から、大和侵入を計った「神武軍」と戦い、これを打ち破り、追い払った「長脛彦」が、明治時代以前までは「主祭神」として祀られていたという由緒ある神社です・・・

  •  添御県坐神社 奈良市 富雄<br /><br /> 小高い丘の上・・・背後は古墳風の小山・・古墳では無いようですけど・・古代からの「聖域」の、雰囲気在ります・・・なかなか良い神社・・・<br /><br /> でも、神武軍を追い払った「長脛彦」は、結局は、この地の大ボスで「饒速日命(にぎはやひのみこと)」と言う人に裏切られ、殺されてしまいます・・・その後、この「饒速日命」により、この土地は「神武」に譲られ、同族の豪族たちは、大和族に服属する事となったとか・・・「出雲と大和」では、この「饒速日命」による「大和族」に対する帰順が・・・記紀神話における、大国主に依る天孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」への、「国譲りの神話」の原型ではないかとの事・・・

     添御県坐神社 奈良市 富雄

     小高い丘の上・・・背後は古墳風の小山・・古墳では無いようですけど・・古代からの「聖域」の、雰囲気在ります・・・なかなか良い神社・・・

     でも、神武軍を追い払った「長脛彦」は、結局は、この地の大ボスで「饒速日命(にぎはやひのみこと)」と言う人に裏切られ、殺されてしまいます・・・その後、この「饒速日命」により、この土地は「神武」に譲られ、同族の豪族たちは、大和族に服属する事となったとか・・・「出雲と大和」では、この「饒速日命」による「大和族」に対する帰順が・・・記紀神話における、大国主に依る天孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」への、「国譲りの神話」の原型ではないかとの事・・・

  •  境内 添御県坐神社<br /><br /> 本殿の背後には、こんもりと茂った丘が有ります・・・<br /><br /> それにしても、「大和族」の侵略に対し、懸命に戦った「長脛彦」は憐れです・・・では何故「饒速日命」は身内を殺してまで「大和族=神武」に帰順したのか?ですけれど、それについては、「神武」が、同じ「天神」であることが解ったからと、記紀神話では述べられているとか・・・勿論、記紀神話における「天神」云々は、後世の「嘘話」ですけれど・・・もしこれが、この地における歴史の一端を語っているとすれば、それは、「饒速日命」が「神武」を、同族系の「渡来人」であることを認めたということかもしれません・・・此処から、日本における「出雲系」も「大和系」も、「弥生時代後期」に大陸から渡ってきた、同じ「渡来人」の子孫であったのかも?と、ワタクシは推測します・・・まあ、古代は「SF」の世界ですのでね・・・科学的に考えれば「天神の血」なんて言うよりは、マトモな論考だと思う・・・

    イチオシ

     境内 添御県坐神社

     本殿の背後には、こんもりと茂った丘が有ります・・・

     それにしても、「大和族」の侵略に対し、懸命に戦った「長脛彦」は憐れです・・・では何故「饒速日命」は身内を殺してまで「大和族=神武」に帰順したのか?ですけれど、それについては、「神武」が、同じ「天神」であることが解ったからと、記紀神話では述べられているとか・・・勿論、記紀神話における「天神」云々は、後世の「嘘話」ですけれど・・・もしこれが、この地における歴史の一端を語っているとすれば、それは、「饒速日命」が「神武」を、同族系の「渡来人」であることを認めたということかもしれません・・・此処から、日本における「出雲系」も「大和系」も、「弥生時代後期」に大陸から渡ってきた、同じ「渡来人」の子孫であったのかも?と、ワタクシは推測します・・・まあ、古代は「SF」の世界ですのでね・・・科学的に考えれば「天神の血」なんて言うよりは、マトモな論考だと思う・・・

  •  拝殿 添御県坐神社<br /><br /> 社殿は、南北朝の時代に建てられた「重要文化財」なのだとか・・・<br /><br /> 後の世の捏造である「記紀神話」や、平安時代の「先代旧事本紀」に依れば、この「饒速日命」とは、神武に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり、「天の磐船」に乗って河内国(大阪府交野市)に天降り、その後、大和に移ったとか・・・ひとつ前の旅行記にも書きましたけれど、これらは、「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」の天孫降臨とは別系統の神話で、より古くからあり、記紀神話に採用されたものと考えられます・・神武以前に「天孫」がいたというのも、変な話ですし、同じ天孫なら、何も九州になど降りて、侵略者の真似などせず、直接大和へ降りて挨拶をすれば良いモノをと思いますけれど・・・「出雲と大和」に依れば、「記紀神話」が、「国譲りの神話」と共に、「饒速日命」や「長脛彦」の名を記さざるを得なかったのは、大和族の支配以降も「饒速日命」を祖先とし、氏神とする「物部氏」など、多くの出雲系有力氏族が存在し、大和朝廷と言えど、彼等の信仰を無視出来なかった為とか・・・辻褄は合いますね・・・ホントは、無視したかったんだろうけど・・・

     拝殿 添御県坐神社

     社殿は、南北朝の時代に建てられた「重要文化財」なのだとか・・・

     後の世の捏造である「記紀神話」や、平安時代の「先代旧事本紀」に依れば、この「饒速日命」とは、神武に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり、「天の磐船」に乗って河内国(大阪府交野市)に天降り、その後、大和に移ったとか・・・ひとつ前の旅行記にも書きましたけれど、これらは、「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」の天孫降臨とは別系統の神話で、より古くからあり、記紀神話に採用されたものと考えられます・・神武以前に「天孫」がいたというのも、変な話ですし、同じ天孫なら、何も九州になど降りて、侵略者の真似などせず、直接大和へ降りて挨拶をすれば良いモノをと思いますけれど・・・「出雲と大和」に依れば、「記紀神話」が、「国譲りの神話」と共に、「饒速日命」や「長脛彦」の名を記さざるを得なかったのは、大和族の支配以降も「饒速日命」を祖先とし、氏神とする「物部氏」など、多くの出雲系有力氏族が存在し、大和朝廷と言えど、彼等の信仰を無視出来なかった為とか・・・辻褄は合いますね・・・ホントは、無視したかったんだろうけど・・・

  •  案内板 (由緒書き) 添御県坐神社<br /><br /> この神社の名前「添御県坐神社(そうのみあがたいますじんじゃ)」とは、「大和の国の添郡に設置された県に鎮座する神社」と言う意味なのだとか・・・「県(あがた)」とは、大化の改新(645)以前に、大和政権の支配下にあった地方組織の事・・・祭神は三人ですけれど、平安時代に造られた「延喜式神名超」に於いては、元々の「神名」は、一人であったとか・・・案内板には、「武乳速命」と言う、何処の誰だか解らない名前が有りますけれど、「当地の県主(古代の領主)の祖先神」と書かれています・・・多分これが「長脛彦」の事ですね・・・「出雲と大和」に依れば、明治以前は「長脛彦」の名が、普通に記されていたのだとか・・・明治政府の「天皇教カルト」達にとっては、たとえ神話と言えど、天皇に抵抗したことは、「怪しからぬこと」となるらしい・・・

     案内板 (由緒書き) 添御県坐神社

     この神社の名前「添御県坐神社(そうのみあがたいますじんじゃ)」とは、「大和の国の添郡に設置された県に鎮座する神社」と言う意味なのだとか・・・「県(あがた)」とは、大化の改新(645)以前に、大和政権の支配下にあった地方組織の事・・・祭神は三人ですけれど、平安時代に造られた「延喜式神名超」に於いては、元々の「神名」は、一人であったとか・・・案内板には、「武乳速命」と言う、何処の誰だか解らない名前が有りますけれど、「当地の県主(古代の領主)の祖先神」と書かれています・・・多分これが「長脛彦」の事ですね・・・「出雲と大和」に依れば、明治以前は「長脛彦」の名が、普通に記されていたのだとか・・・明治政府の「天皇教カルト」達にとっては、たとえ神話と言えど、天皇に抵抗したことは、「怪しからぬこと」となるらしい・・・

  •  境内 添御県坐神社<br /><br /> 「磐座」が有りました・・・出雲系の名残・・?<br /><br /> 祭神の、他の二神は、この神社の主催神とされている「建速須佐之男命(すさのおのみこと)」と、その妻「稲田姫(いなだひめ)」・・・何時、追加されたのかは解りませんけれど、一応は出雲系です。

     境内 添御県坐神社

     「磐座」が有りました・・・出雲系の名残・・?

     祭神の、他の二神は、この神社の主催神とされている「建速須佐之男命(すさのおのみこと)」と、その妻「稲田姫(いなだひめ)」・・・何時、追加されたのかは解りませんけれど、一応は出雲系です。

  •  境内 添御県坐神社<br /><br /> 何故か「恵比寿神社」が有ります、「恵比寿神」は、七福神の一人でおめでたい神様、いつも、タイを小脇に抱え、釣竿を持ってます、七福神の中では唯一の日本古来の神様とする説も有れば、「恵比寿」を「戎」と書き、異邦の者、外来の神とする説も有るとか・・・海の神様であり、漁業の神様であり、出雲との関係で見れば、大国主の子供である「事代主神(ことしろぬしのみこと)」とされることも有るとか・・・いつもにこにこしてる神様ですけど、謎も多いのですね・・・

     境内 添御県坐神社

     何故か「恵比寿神社」が有ります、「恵比寿神」は、七福神の一人でおめでたい神様、いつも、タイを小脇に抱え、釣竿を持ってます、七福神の中では唯一の日本古来の神様とする説も有れば、「恵比寿」を「戎」と書き、異邦の者、外来の神とする説も有るとか・・・海の神様であり、漁業の神様であり、出雲との関係で見れば、大国主の子供である「事代主神(ことしろぬしのみこと)」とされることも有るとか・・・いつもにこにこしてる神様ですけど、謎も多いのですね・・・

  •  狛犬 添御県坐神社<br /><br /> なかなか、「出雲系」とひと目見てわかるほどの狛犬には出会えませんね。大和には「構え獅子」と言うのは無いのかも・・・<br /><br /> 最後に、この神社の裏の、小山の脇道を通って先へ行くと、その先には「竜神」を祀る神社が有るのだとか・・見るのを忘れましたけど・・「出雲と大和」に依れば、「竜神」とは「蛇」の事で、「大神神社」の祭神「大物主」も、元々「蛇」であり、出雲大社で神在月において、八百万の神々を先導するものもまた「蛇」なのだとか・・・この辺りも、この神社が「出雲系」であることを示しているのだとか・・・

     狛犬 添御県坐神社

     なかなか、「出雲系」とひと目見てわかるほどの狛犬には出会えませんね。大和には「構え獅子」と言うのは無いのかも・・・

     最後に、この神社の裏の、小山の脇道を通って先へ行くと、その先には「竜神」を祀る神社が有るのだとか・・見るのを忘れましたけど・・「出雲と大和」に依れば、「竜神」とは「蛇」の事で、「大神神社」の祭神「大物主」も、元々「蛇」であり、出雲大社で神在月において、八百万の神々を先導するものもまた「蛇」なのだとか・・・この辺りも、この神社が「出雲系」であることを示しているのだとか・・・

  •  添御県坐神社<br /><br /> 神社の横には「石仏」でしょうか・・・この神社も明治以前は、仏教と共存していたのでしょうね・・・すぐ隣には寺社が有りますし、江戸期には「午頭天王社」と呼ばれていたとか、天理市櫟本町の「和邇下神社」なんかと同じですね・・・因みに「午頭天王」とは、釈迦の生誕地、祇園精舎の守護神で、薬師如来の事でもあり、スサノオの本馳でもあるとか(wIKIに依る)・・・この石仏が、薬師如来(五頭天王)かどうかは良く解りません・・・江戸時代からこう呼ばれていたとすれば、スサノオは、だいぶ昔から祀られていたのかも・・?<br /><br /> 今回の旅行記は此処まで・・・次は遠出して「岩船街道」を北上、出雲族が、機内への入口としたと思われる「丹後半島」を目指します・・・真夏のサイクリングです・・・

     添御県坐神社

     神社の横には「石仏」でしょうか・・・この神社も明治以前は、仏教と共存していたのでしょうね・・・すぐ隣には寺社が有りますし、江戸期には「午頭天王社」と呼ばれていたとか、天理市櫟本町の「和邇下神社」なんかと同じですね・・・因みに「午頭天王」とは、釈迦の生誕地、祇園精舎の守護神で、薬師如来の事でもあり、スサノオの本馳でもあるとか(wIKIに依る)・・・この石仏が、薬師如来(五頭天王)かどうかは良く解りません・・・江戸時代からこう呼ばれていたとすれば、スサノオは、だいぶ昔から祀られていたのかも・・?

     今回の旅行記は此処まで・・・次は遠出して「岩船街道」を北上、出雲族が、機内への入口としたと思われる「丹後半島」を目指します・・・真夏のサイクリングです・・・

  •  5月26日<br /><br /> では恒例の、子猫たちのその後・・・小さなラグドール種のオスが来ました、名前は「ペトロ二世」、愛称(呼び名)は先代と同じ「ピート」「ピーター」「ピートン」「ピーちゃん」イロイロ呼んでます・・・先住猫の「マリー」の遊び相手に成ってくれるかどうか・・ちょっと不安・・?

     5月26日

     では恒例の、子猫たちのその後・・・小さなラグドール種のオスが来ました、名前は「ペトロ二世」、愛称(呼び名)は先代と同じ「ピート」「ピーター」「ピートン」「ピーちゃん」イロイロ呼んでます・・・先住猫の「マリー」の遊び相手に成ってくれるかどうか・・ちょっと不安・・?

  •  5月30日<br /><br /> こんな顔してます、男の子ですね・・・でも、このころは、まだまだ、ラグトールと言う感じには、ほど遠かったですね・・・ペットショップの暮らしが辛かったのか、毛も抜けて、わき腹が剥げてたし、ラグドールとしては、少しやせてる感じでした・・・

     5月30日

     こんな顔してます、男の子ですね・・・でも、このころは、まだまだ、ラグトールと言う感じには、ほど遠かったですね・・・ペットショップの暮らしが辛かったのか、毛も抜けて、わき腹が剥げてたし、ラグドールとしては、少しやせてる感じでした・・・

  •  6月4日<br /><br /> 遊ぶというよりは、持て余すという感じ・・・マリー逃げてます・・・この頃はまだ、ピートは「キャットタワー」には登れなかった・・・

    イチオシ

     6月4日

     遊ぶというよりは、持て余すという感じ・・・マリー逃げてます・・・この頃はまだ、ピートは「キャットタワー」には登れなかった・・・

  •  6月5日<br /><br /> それでもまあ、時々はレスリングしてます・・・長毛種と短毛種なので、一寸感じが違う感じですけど・・・

     6月5日

     それでもまあ、時々はレスリングしてます・・・長毛種と短毛種なので、一寸感じが違う感じですけど・・・

  •  6月5日<br /><br /> 二匹で仲良く?エサを食べてます・・・このころはまだ、マリーの方がデカかった・・・

     6月5日

     二匹で仲良く?エサを食べてます・・・このころはまだ、マリーの方がデカかった・・・

  •  6月5日<br /><br /> なかなか「キャットタワー」に登れないピート・・マリーはひょいひょいと、簡単に飛び乗るのですけれど、ピートは、ジャンプ力が有りません・・・しがみ付きながら登るという感じ・・・腕力は結構あります。

     6月5日

     なかなか「キャットタワー」に登れないピート・・マリーはひょいひょいと、簡単に飛び乗るのですけれど、ピートは、ジャンプ力が有りません・・・しがみ付きながら登るという感じ・・・腕力は結構あります。

  •  6月5日<br /><br /> このころは、レスリングをしても、マリーが圧倒してます・・・

     6月5日

     このころは、レスリングをしても、マリーが圧倒してます・・・

  •  6月7日<br /><br /> ペロペロ・・・発情期が近づくと、マリーも優しくなります・・・賑やかな方が好きなので、一度くらい、子供を作らせようかなあ~などと思案中・・・獣医さんには、不妊手術を勧められますけど、なかなか、マリーの不妊手術をする踏ん切りがつかない・・・でもまあ、ラグドールと言う種類は、完全な成猫になるまでに四年かかるとか・・・成長が遅いのですね・・・マリーが誘っても、ピートはウロウロするばかり・・・まだまだ、当分、今年中は無理ですね・・・直ぐ秋になるし、子作りのシーズンも終わる・・・ピートにマーキングが始まったら、来年までは、ほっとけない・・・

    イチオシ

     6月7日

     ペロペロ・・・発情期が近づくと、マリーも優しくなります・・・賑やかな方が好きなので、一度くらい、子供を作らせようかなあ~などと思案中・・・獣医さんには、不妊手術を勧められますけど、なかなか、マリーの不妊手術をする踏ん切りがつかない・・・でもまあ、ラグドールと言う種類は、完全な成猫になるまでに四年かかるとか・・・成長が遅いのですね・・・マリーが誘っても、ピートはウロウロするばかり・・・まだまだ、当分、今年中は無理ですね・・・直ぐ秋になるし、子作りのシーズンも終わる・・・ピートにマーキングが始まったら、来年までは、ほっとけない・・・

  •  6月27日<br /><br /> ピート隠れてます・・・ブルーアイが可愛い・・・顔がラグドールらしく、ふっくらしてきた・・・

     6月27日

     ピート隠れてます・・・ブルーアイが可愛い・・・顔がラグドールらしく、ふっくらしてきた・・・

  •  6月28日<br /><br /> マリー・・・パソコンの裏で、気持ちよさげにスヤスヤ・・・

     6月28日

     マリー・・・パソコンの裏で、気持ちよさげにスヤスヤ・・・

  •  7月5日<br /><br /> 漸く「キャットタワー」の上まで登れるようになったピート・・・しがみ付いて、よじ登る感じ・・・それでもやっぱり猫は猫…高いところは好きなのです。

     7月5日

     漸く「キャットタワー」の上まで登れるようになったピート・・・しがみ付いて、よじ登る感じ・・・それでもやっぱり猫は猫…高いところは好きなのです。

  •  7月9日<br /><br /> だいぶデカくなってきたピート・・・だんだん、ラグドールらしくなってきました・・・走り方もドカドカ・・・不器用ですけど、とにかく愛嬌が有ります・・・最初は猫らしくないなあ~なんて感じてましたし・・・やっぱり、猫らしくない猫なのですけど・・・たまらなく愛嬌モノなのですね・・・

     7月9日

     だいぶデカくなってきたピート・・・だんだん、ラグドールらしくなってきました・・・走り方もドカドカ・・・不器用ですけど、とにかく愛嬌が有ります・・・最初は猫らしくないなあ~なんて感じてましたし・・・やっぱり、猫らしくない猫なのですけど・・・たまらなく愛嬌モノなのですね・・・

  •  7月11日<br /><br /> 黒猫の「ピートⅠ世」の時は、いつも抱き合って寝るほどの仲良しでしたけど・・・とりあえず、この二匹は、あまり抱き合わない・・・夏ですし、長毛種は、暑いのかも・・・?

     7月11日

     黒猫の「ピートⅠ世」の時は、いつも抱き合って寝るほどの仲良しでしたけど・・・とりあえず、この二匹は、あまり抱き合わない・・・夏ですし、長毛種は、暑いのかも・・・?

  •  7月15日<br /><br /> マリーの寝顔は可愛いけど・・・ピートのタヌキ顔もなかなか、捨てがたい・・・

     7月15日

     マリーの寝顔は可愛いけど・・・ピートのタヌキ顔もなかなか、捨てがたい・・・

  •  7月31日<br /><br />  ピートがマリーを追い越した・・・あっという間に、4kg越え・・・ピートは、いったいどこまで大きくなるのやら・・・ちょっと楽しみ・・・<br /><br /> 続きは、次回の旅行記で・・・お楽しみ頂けたら幸いです・・・

    イチオシ

     7月31日

      ピートがマリーを追い越した・・・あっという間に、4kg越え・・・ピートは、いったいどこまで大きくなるのやら・・・ちょっと楽しみ・・・

     続きは、次回の旅行記で・・・お楽しみ頂けたら幸いです・・・

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この旅行記へのコメント (4)

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  • milkさん 2017/10/01 23:06:53
    大きくなりましたね!
    ももんがあまんさん、こんばんは。

    ピート2世くん、見る見るうちに大きくなりましたね!
    初めはあどけなかったお顔も、しっかりして来ましたし、もふもふが可愛いです。
    まりーちゃんは美人さんですね。

    旅行記も、興味ある神話のお話など楽しく拝見させて頂きましたが、やっぱり「最後にまた猫ちゃん日記があるのかな?」と、楽しみにしてしまいました(笑)

    続きもまた楽しみにお待ちしております。

    milk

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2017/10/02 00:19:10
    Re: 大きくなりました!
     今晩は、milkさん。

     あっという間に大きくなりました、ピートが、我が家に来たころは、2kgも無かったのですけど、毎週100g以上増えて、あっという間に、4kg超え、最近は少し、増えるペースも落ちてますけど、それでも只今 (九月末) 4.5kgです。

     ラグドールと言う種類の猫は、完全な成猫になるまでには、四年くらいかかるとか言われていて、大きいのは8kg以上にもなるのだとか、個体によっては、10kgと言う記録も有るらしいです・・・猫の中でも、大型種なのだとか・・・あんまり太って、糖尿病にならないよう、気をつけねばですね・・ハハハ・・

     マリーは、もうほぼ成ネコで、3.4kg前後で安定してます、アメショーの血が入っているらしいキジトラなんですけど、標準よりも小さいですね・・・顔も小顔で、まんまる目の、おちょぼ口・・・とても美人さんです・・ハハ・・親の欲目・・?

     またよろしく、お願いしま~す。

                     by ももんがあまん
  • pacorinさん 2017/09/28 09:53:35
    成長が楽しみ♪
    ももんがあまんさん、こんにちは

    ピート2世、あっという間に大きくなりましたね。
    マリーもすっかりおねえさんになってます。
    次回の丹後半島の旅行記も楽しみですが、2匹の成長記も楽しみにしています。

    pacorin

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2017/09/29 00:00:41
    RE: 成長が楽しみ♪
     今晩は、Pacorinさん。

     コメント有難うございます。

     生き物を育てるって、大変ですね・・・ピートにしても、連れて帰った翌日に、40度の高熱を出したり、 咳やくしゃみが止まらなかったり・・・今はマア、順調に大きくなってますけれど・・・マリーにしても、結構、吐きやすい猫だし、発情期には体重が減るし・・・不妊手術した方が良いのかななんて・・・年中、心配させてくれます・・・何とか、元気に育てて、少しくらい留守にしても大丈夫と思えるくらいになれば良いのですけどね・・・

     今後とも、お見守り下さい。

               by ももんがあまん

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