2017/08/16 - 2017/08/16
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dimeizaさん
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2017年8月に行ってきた、主に史跡巡りをテーマにした旅行記です。
出雲(島根)、備中、備前(岡山)、安芸(広島)、周防(山口)と回ってきました。
足立美術館→(出雲大社)→松江城→備中松山城→(頼久寺)→後楽園→岡山城→(閑谷学校)→原爆ドーム→広島城→(縮景園)→宮島→錦帯橋→岩国城。
以前から行きたかった中国地方の史跡をピックアップしたのですが、旅の途中で行きたいところ(括弧で括った場所)が増えてしまい、とても忙しい旅でした。
前回同様、記憶から記録に起こすことで、改めて旅を追体験し、思い出にしておこうかと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さて最終日。
ロフトの布団から起き上がった私も、さすがの強行軍で結構疲れていたようで、(いつもより)多少遅めに起きて朝食を摂り、荷物の宅配を宿にお願いして歩き出します。 -
昨日の夜はよく見えなかったお方にお目にかかれました。
平清盛。宮島とは切っても切り離せない人です。
そもそも、平清盛との関係に惹かれて、私はこの宮島に来ることにしたのでした。宮島桟橋 乗り物
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特別史跡及び(特別)名勝、厳島。
宮島桟橋 乗り物
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というわけで、昨夜同様浜辺伝いに歩いていきます。
宮島 紅葉
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鳥居に近づいてみると流石に結構な人が。
…お? ひょっとして鳥居下まで歩いていける?厳島神社 寺・神社・教会
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中央こそ水が残っているものの、土台からは水が引いています。
ここの扁額は、昨日見たとおり『伊都岐島神社』。厳島神社 寺・神社・教会
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というわけで近寄ってみました。
厳島神社 寺・神社・教会
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木造なのによく保ちますよねぇ。
厳島神社 寺・神社・教会
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足元はこんな感じ。
これが自重で建っている、というのもすごいものです。厳島神社 寺・神社・教会
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本土から見るとこんな感じ。
こっち側は『厳嶋神社』。厳島神社 寺・神社・教会
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というわけで、昨日説明してもらった『島側と本土側で扁額の文字が違う』をこの目で確かめることができました。
厳島神社 寺・神社・教会
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振り返ると、厳島神社まできれいに水が引いて地続きになっています。
そのまま行けそうだなぁ、と思ってしまいますが、海から上がってしまうと怒られるのでやらないようにしましょう。厳島神社 寺・神社・教会
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とは言え海側から厳島神社を撮影する、という機会でもあるので、水辺を避けながら周りを歩いていきます。
灯籠には沢山の人が順番待ちをしていますね。厳島神社 寺・神社・教会
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はるか五重塔を望んで。
厳島神社 寺・神社・教会
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海上の能舞台。重文です。
雅というかなんというか。潮が満ちた状態で船上から見るとしたら、最高の贅沢でしょうね。厳島神社 寺・神社・教会
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内陣は後で見学させてもらうとして、私は厳島神社を左手に、浜辺から上がって先へ進みます。宮島のすべてを歩ききることは今回の旅程では無理だろうと思いつつ、一応見ておこうと思った場所へ。
鳥居は工事中でしたけどね。清盛神社 寺・神社・教会
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清盛神社。
厳島を神社として高名にした清盛もまた神になって祀られていた、と。
没後770年記念として、戦後に建てられたのだそうです。清盛神社 寺・神社・教会
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西の松原、と呼ばれる松原の中に静かに佇んでいました。
この辺は人もまばらでしたね。清盛神社 寺・神社・教会
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厳島神社への帰りの道すがら、宮島歴史民俗資料館に寄ってみました。
外見は古い商家という印象。
実は登録有形文化財で、豪商と言われた江上家住宅なんだそうです。宮島歴史民俗資料館 美術館・博物館
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中では宮島の民具だとか杓子だとかが展示されていましたね。
平清盛を特集したフロアもあって、大河ドラマ『平清盛』で使用された宋剣が飾ってあったりしました。
ただ、この資料館、外見からだとほとんど分かりませんが、実は庭園を内包した作りになっていたりします。宮島歴史民俗資料館 美術館・博物館
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落ち着いた趣のある庭園です。
宮島歴史民俗資料館 美術館・博物館
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小じんまり感を漂わせつつ、水をめぐらし、上品な緑とともに演出する。
宮島歴史民俗資料館 美術館・博物館
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作庭者の思想を芸術表現した庭園も、のびのびと自由な回遊式庭園も好きですが、篭りの中に自然の美を凝縮したかのような、こういう庭園も好きです。
何というか、自宅に作るならこういう庭園のほうが落ち着く気がします。宮島歴史民俗資料館 美術館・博物館
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さて、限られた時間の中で見ておくべき所は見ておこうと、高台にあるこんなところに来てみました。
多宝塔 名所・史跡
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多宝塔。重文。
1523年ということは室町期の建立ですね。多宝塔 名所・史跡
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多宝塔、というのは仏塔の建築様式らしく、四角錐の二重塔をそう呼ぶのだとか。ただ、この宮島に"多宝塔"がある、というのはなかなか深い意味があるなぁと。
実は私はこの前後に宝物殿に行っていて、平清盛が厳島神社に法華経を納経したという話を聞いていたのです。いわゆる平家納経、というやつですね(経典のレプリカとかも展示されてましたが、なかなか絢爛でした)。
実は法華経には、釈迦という仏以外に、"多宝如来"という仏が出てきます。
釈迦が霊鷲山という山で法華経を説法している最中、突然大地から巨大な塔が湧き上がって来るという(訳の分からない)シーンがあって。
中に入ってみると多宝如来という仏がいて、釈迦の説法を賛嘆して正しさを証明した後、二仏が座って法華経の説法を続けた、という話があったりします(見宝塔品)。この話が"多宝塔"の名前の由来。
というわけで、法華経を由来に持つ多宝塔が、法華経が納経された厳島に建っている、というのも面白い関連だなぁ、と思いながら歩いていました。多宝塔 名所・史跡
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多宝塔から降りてきた後、後2つほど見たいものがあるというので、せっかく降りてきたのにまた次の階段を登ります。
五重塔 名所・史跡
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まずはこれ。
先程浜辺から見ましたが、近づいてみるとなかなかの威容です。五重塔 名所・史跡
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五重塔。これまた重文。
これも室町期ですね。五重塔 名所・史跡
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一方、振り返るとこれまた大きな木造建築が。
豊国神社(千畳閣) 名所・史跡
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千畳閣。重文。
かつて戦没将兵のために秀吉が建立した建物で、857畳分の広さがあることから千畳閣と呼ばれるようになったとか。
ここにある通り、建設中に秀吉がなくなったので未完成なのだそうです。
今は秀吉と加藤清正を祀っているのだとか。豊国神社(千畳閣) 名所・史跡
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で、入ってみたのですがまぁたしかに広いです。
豊国神社(千畳閣) 名所・史跡
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廊下はこんな感じで、どこかの時代劇にも出てきそうな佇まいです。
豊国神社(千畳閣) 名所・史跡
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そしてこの廊下の下を歩くこともできました。
豊国神社(千畳閣) 名所・史跡
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たくさんの杓子とともに拝殿がありました。
豊国神社(千畳閣) 名所・史跡
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天井には色々な額がかかっているのですが、見ての通り上部は無骨な骨組みがむき出しになっていて、太閤殿下の見果てぬ夢だったことをうかがわせます。
派手好きの殿下のことですから、この建物が完成していたら、本殿や大鳥居をも上回る絢爛豪華さで、参拝者に『さすがは太閤はんや』と言わせるような、見事な建築であっただろうなぁ、と。豊国神社(千畳閣) 名所・史跡
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さてそろそろ本命に行かなければ、と思ったら、それはそれは結構な人手でして。先に行っておいたほうが良かったかしら。
しばし並んで入ります。厳島神社 寺・神社・教会
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というわけで、今は世界遺産となった、
厳島神社 寺・神社・教会
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国宝 厳島神社です。
厳島神社 寺・神社・教会
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赤が目を引きますね。
厳島神社 寺・神社・教会
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厳島神社の中には本殿以外にも、いくつか祭神を祀っているところがあって。
厳島神社 寺・神社・教会
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客神社。
天忍穂耳命は天孫降臨の瓊瓊杵尊の親御さんでしたっけね。厳島神社 寺・神社・教会
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歩いていくとこんなところもありました。
鏡の池。
干潮時にしか見えない場所で、きれいな円形のくぼみに水が溜まっています。これ湧き水らしいですね。厳島神社 寺・神社・教会
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もう一つ、これも満潮時には沈んでいるようですが。
卒塔婆石。
鬼界ヶ島に流された流人が書いた卒塔婆の一本がここに流れ着いたことで名付けられた、という曰くの石。
卒塔婆を流したのは清盛打倒のための謀略(鹿ヶ谷の陰謀)に加わった平康頼だったそうですが、卒塔婆の内容を知らされた清盛は、彼を赦したのだとか。厳島神社 寺・神社・教会
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内陣を歩いていきます。
赤の彩りは鮮やかですが、やはりここは満潮時のほうが見栄えするでしょうね。厳島神社 寺・神社・教会
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大鳥居を臨む灯籠の前には、多くの人が長蛇の列を作っていました。
思い出になるでしょうからね。厳島神社 寺・神社・教会
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振り返ってみると本殿の正面でした。
厳島神社 寺・神社・教会
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灯籠一つとってもなかなか見事なものです。
厳島神社 寺・神社・教会
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本殿の前を通り過ぎていきます。
厳島神社 寺・神社・教会
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厳島神社 寺・神社・教会
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奉納された数多の酒。
厳島神社 寺・神社・教会
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本殿を過ぎると売店が。盛況でしたね。
厳島神社 寺・神社・教会
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いくつ重文があるんだ、というぐらい重文が。
大国主命、といえば、初日の出雲大社もそうでしたっけね。厳島神社 寺・神社・教会
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裏手に回ると、平安きっての賢者であるところの天神も祀られていました。これも重文。
よく見ると、これ建立したのは毛利隆元ですね。
毛利の覇業を確立した元就、不肖の孫輝元は有名ですが、毛利隆元は三矢の教え(まぁ逸話ではありますが)を受けた一人でありながらも、どちらかと言うとあまり知られていない人ではないかなぁと。
早死にするには惜しい人でしたね。厳島神社 寺・神社・教会
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もうそろそろ出口。
厳島神社 寺・神社・教会
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内陣から臨む能舞台。
厳島神社 寺・神社・教会
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厳島神社を出て鳥居を見てみると、先程まで歩いていけた鳥居の足元に潮が寄せてきていました。
厳島神社 寺・神社・教会
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まだこの辺までは来れましたが、ここからさらに満ちていくんでしょうね。
潮汐の力を強く感じる、という意味でも、パワースポットといえるのかもしれません。厳島神社 寺・神社・教会
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よし、とりあえず今回はこんなところかな。
というわけで、日本三景、宮島でした。
が、こうしてみると干潮時の宮島しか見ていないので,三景の半分しか見ていない、という印象でしたね。次は満潮の好天時に見てみたいものです。宮島 紅葉
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宮島口に戻って、こんな電車に乗って次の目的地へ。
宮島口駅 駅
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電車の終点まで乗った後、バスに乗り換えて20分。
こんな場所にいました。
錦帯橋。せっかくこのへんまで来たのだから、最後に見て帰るか、と。錦帯橋 名所・史跡
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たかが橋とかどうでも…と思っていたんですが、こうしてみてみるとなかなか趣のある光景です。
錦帯橋 名所・史跡
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錦帯橋は通行料を徴収される橋です。この通行料は錦帯橋の保全に使われているとか。
錦帯橋の先には岩国城があって、岩国城に行くためにはロープウェイに乗る必要があるんですが、これら全ての施設を使えるセット券を売っていて、私はこれを買って橋を通りました。錦帯橋 名所・史跡
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外から見るときれいなアーチ。
渡ってみるとアーチに応じたアップダウンがあって、波の上を歩いているかのような渡り心地でした。錦帯橋 名所・史跡
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歩きながら川辺を観ると結構人も出ていて。
錦帯橋 名所・史跡
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中腹で釣をしている人もいましたね。
しかしこの錦帯橋、橋単体だけではなく、周辺の景観もセットとして観るべきですね。錦帯橋 名所・史跡
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橋を渡りきったところにこんな松が。
錦帯橋 名所・史跡
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槍倒し松、というのだそうです。
岩国藩が小藩だったため、大藩の大名行列が、儀礼通り槍を倒さない事に憤った藩士たちが、槍を倒さなければ通れないように、松を橋の頭に植えて、無理やりやりを倒させるようにした、という逸話の松なのだとか。錦帯橋 名所・史跡
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あと、こんなのも。
柳が佐々木小次郎の燕返しを生み出す手助けをしたんですね。錦帯橋 名所・史跡
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錦帯橋を渡りきって真っ直ぐ進むと、こんな武士の像に出くわします。
吉川広嘉。岩国藩三代目にして、錦帯橋をかけた人ですね。吉香公園 公園・植物園
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更に先に進むと、吉香公園という一帯に出ます。
何となく景観がよかったですね。吉香公園 公園・植物園
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堀の向こうに目を引く建物があったので行ってみました。
吉香公園 公園・植物園
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錦雲閣というそうです。
ここに櫓があったんですね。ということはこの辺は岩国城の縄張りだったのか…。吉香公園 公園・植物園
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じゃあそろそろそれを見に行くとしましょうかね。
というわけでロープウェイに乗って山頂へ。岩国城ロープウエー 乗り物
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ロープウェイを降りて歩きだすと、分岐が。
こっちは舗装されて広い道。岩国城 名所・史跡
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一方こっちは狭い山道。
どっちも城に通じているなら、行きは攻城気分でこの道を行って、帰りは広い道から返ってくるかな、とこの道を進みました。岩国城 名所・史跡
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暫く行くとまた分岐。左は平坦路、右は階段。
右に進むことにしました。岩国城 名所・史跡
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こんな感じで山道が続きます。
岩国城 名所・史跡
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暫く行くと、左手に石垣が見えてきました。
岩国城 名所・史跡
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もはや城であることを隠そうともしません。
岩国城 名所・史跡
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木漏れ日の中を登っていきます。
岩国城 名所・史跡
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城壁の内側に続いている階段が。らしくなってきました。
ここで内部へ続く階段と、外周を回る道が分岐しているんですが、とりあえず階段を登っていくことにしました。岩国城 名所・史跡
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最後にこんな階段が。
岩国城 名所・史跡
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この門を抜けて、ようやく到着です。
岩国城 名所・史跡
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やっと到着しました。
岩国城 名所・史跡
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この旅最後の城、岩国城です。
岩国城 名所・史跡
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白亜で美しい佇まいですが、この天守は復元天守です。
まぁ、様にはなっていますね。岩国城 名所・史跡
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中にはこれでもか、と言わんばかりに刀が大量に飾ってありました。
岩国城 名所・史跡
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さて、では天守からの眺め。
岩国城 名所・史跡
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吉香公園、錦帯橋を始め、城下一望の光景です。
岩国城 名所・史跡
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岩国城 名所・史跡
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天守から降りて少し歩くと、こんな看板がありました。旧天守台。
ちょうど岩国城の由来が書いてあります。
吉川広家が山上に築いたものの、完成後からわずか2年で破却。
吉川広家。良く言えば毛利家を関ヶ原後の改易から守った人。悪く言えば毛利を西軍のために動かさず、毛利を徳川の天下に売った人。いずれにせよ、岩国藩の基礎を築き、今日の岩国の発展の礎を作った人です。
関ヶ原前後のこの人の動きはドラマでもあり、ifを考えさせる動きでもあります。
三成嫌いだった広家は、関ヶ原で主家の毛利が西軍に加担することになった後も東軍とのやり取りを続け、内々で毛利領安堵の約束を取り付けます。関ヶ原本戦でも南宮山に毛利本軍を足止めし、家康の勝利に貢献する形となりました。
が、関ヶ原後、西軍の書状に毛利輝元の花押があったことから、毛利家が能動的に西軍に加担したとみなされ、毛利家は所領没収、改易の危機を迎えます。その上で広家には功ありとみなし、毛利家の所領から周防、長門の2カ国を与える、という飴まで出ました。
ここで主家を売り渡せば、彼は2カ国の太守となったのでしょうが、 このとき広家は起請文を出して決死の弁明をします。『毛利が徳川に弓を引くなら、主家といえども首を取って差し出す』とまで言って。
この時きっと、彼の脳裏には毛利両川の結束を言い聞かせた元就のことが頭にあったんだろうなぁ、と。
この嘆願により、毛利家は存続を許され、広家が貰う予定だった周防、長門に減封されつつ、命脈を保つことになります。
広家が家康はじめ幕府に高く評価されていたのは、岩国藩は毛利からは支藩ではなくと家臣として扱われたのに対して、家康から岩国築城許可、幕府から大名扱いされる、と特別に取り扱われた点からも分かります。
と、ここまで考えて思うわけです。
なぜ、この岩国城は江戸時代の平城時代にあって、あえて戦闘を意識した防備堅固な山城にしたのだろう、と。
ロープウェイで登ってきたのであまり意識はしませんでしたが、この登り、一昨日行った備中松山城に次ぐ勢いです。
広家は敵の存在を意識してこの城を建てたのだとしたら、その"敵"とは果たして誰だったのだろうか…?
彼が関ヶ原で東軍ではなく西軍に与していたら、果たして歴史はどう動いたのだろうか…?
と、ここに立った時、様々な思いがifとして浮かび上がってきたのは、なかなか印象的でしたね。岩国城 名所・史跡
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話が長くなりましたが、旧天守台の石垣はこんな感じです。
角が優美ですね。岩国城 名所・史跡
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本丸から出てあるきだすと、唐突にこんな看板を見かけました。
空堀…。
江戸期の山上城郭、かつ防衛目的の空堀は珍しいとありますね。
鉄砲が常識化したのは、城が平山化し始めた織豊時代で、そもそも江戸期に山城を建てようとした意図が、今となっては非常に珍しい遺構を作る原因となったのでしょうが…。
これだけ実戦志向の城をこの時期に作る、やはり並々ならぬ意図があったようにも思えます。岩国城 名所・史跡
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こんな感じです。そこ、ただの窪みだとか言わない!
岩国城 名所・史跡
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空堀を後にして先に進むと、遊具付きの公園っぽい場所に出ます。
誰も遊んでなさそうですけどね。岩国城 名所・史跡
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ここから細めの舗装道が続いていて。
岩国城 名所・史跡
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しばらく行くと、最初に通った城内への階段と合流します。一周してきたような格好ですね。
岩国城 名所・史跡
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よし、じゃあ帰るか、と思っていたら、何やら妙な階段が。
岩国城 名所・史跡
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降りていったらこんなところが。
岩国城 名所・史跡
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大釣井。
何だ井戸かぁ、水大事だもんな…と思って立札を読んでみると、非常時の武器弾薬倉庫かつ脱出路という、ガチの実戦設備。
広家さん、ホント、あなた一体何と戦おうとしてたんですか…。岩国城 名所・史跡
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中を撮ろうとしてみましたが、正直なにも見えませんでしたね。
岩国城 名所・史跡
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そろそろ時間もあるし帰ろうかな、とロープウェイに戻ると、ロープウェイ待ちの行列が。
行列に並びながら景色を収めてみましたが、ここからでも市街が見渡せました。岩国城 名所・史跡
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帰り際に一つ寄り道を。
旧目加田家住宅 名所・史跡
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重文、目加田家住宅。
170石取りの中級武士の家なのだそうです。旧目加田家住宅 名所・史跡
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ふむ。庭はあるものの庭園という感じではなく普通の庭ですね。
旧目加田家住宅 名所・史跡
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この頃また雨がぱらついてきたので、傘をさしながら玄関を撮影。
旧目加田家住宅 名所・史跡
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中には入れませんが、障子を開け放ってあって、中の様子をうかがうことができます。
現在の住宅事情から推察するのも野暮な話ですが、まぁそれなりの広さですね。
暮らしには困らなかったのだけど裕福と言うほどでもない、そんな印象を抱きました。旧目加田家住宅 名所・史跡
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帰り道の噴水。
よく見たら石垣を模していたんですね。
夏場なので噴水そばで水遊びしている子どもたちも見かけました。吉香公園 公園・植物園
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あと、鵜さんが大量にいました。
錦帯橋付近では鵜飼をやっているそうですね。出番までのんびりしているようでした。機会があれば観るのも一興かもしれません。吉香公園 公園・植物園
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よし、これで全旅程完了。
錦帯橋まで来てしまうと、もう新岩国駅まで言ったほうが早いので、岩国駅まで戻らずにそのまま来てしまいました。新岩国駅 駅
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新幹線を待っていたらこんなものを見つけました。
エヴァ新幹線いいなぁ。東日本在住の人間にはちょっと乗りづらいダイヤですね。新岩国駅 駅
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と、待っていたら来ました。
新岩国駅 駅
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新岩国から広島までこだまで戻り、広島からのぞみを捕まえて東京まで。
このシートに座ったとき、ようやく五体の力を抜くことができました。
いや~、長くて密度の濃い旅でした。
東日本の人間としては、西に行くのは結構大変なので、ついつい欲を出して色んな所に回ってしまうんですよね。
いつもは知識を思い出し感慨に浸る、という体験が主だったのですが、今回は旅の中で実際に見聞を深め、新たな認識と価値観を獲得するという、ちょっと珍しい体験をした旅でした。
望外の史跡を歩き回ったりと、得るものも多かったのですが、いかんせん余裕がなさすぎて、あまり余韻に浸れなかったのがちょっと失敗でした。
次の旅路は自分自身の心のゆとりを考慮して、もう少しゆっくりと歩き回るようにしたいと思います。
さて、次はどの城を攻めましょうかね。広島駅 (JR) 駅
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旅行記グループ 城と神と庭を巡り歩く、中国地方5カ国の旅路
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