2017/08/14 - 2017/08/14
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dimeizaさん
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2017年8月に行ってきた、主に史跡巡りをテーマにした旅行記です。
出雲(島根)、備中、備前(岡山)、安芸(広島)、周防(山口)と回ってきました。
足立美術館→(出雲大社)→松江城→備中松山城→(頼久寺)→後楽園→岡山城→(閑谷学校)→原爆ドーム→広島城→(縮景園)→宮島→錦帯橋→岩国城。
以前から行きたかった中国地方の史跡をピックアップしたのですが、旅の途中で行きたいところ(括弧で括った場所)が増えてしまい、とても忙しい旅でした。
前回同様、記憶から記録に起こすことで、改めて旅を追体験し、思い出にしておこうかと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さて2日目。
この日は鉄道で長旅をした後、今回の旅最大の山場に挑まなければなりません。
素早く起床して朝食を済ませると、ホテルの方に松江駅まで送ってもらい、再び特急やくもに乗車します。松江駅 駅
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宍道湖畔の松江を離れ、列車は山深くへ。
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2時間ぐらいシートに身を沈めていると、到着のアナウンスが聞こえてきました。
最初はどう読むのかわからなかったんですが『備中高梁(びっちゅうたかはし)』駅です。
降りたら、まず荷物をコインロッカーに預けて、コンビニまで水と氷を買いに走ります。買ったらそれらを用意していたキャメルバック(Camelbak)に流し込んで、冷却兼給水装備は準備完了。
キャメルバックをご存知のない方のために説明しておくと、登山なんかに使用する給水システムで、平たく言うとリュック型の水筒です。
http://www.camelbak.jp/
1.5リットル以上の大量の水を運びながら、ハンズフリーで水分補給することができる優れもの。
キャメルバックに入らなかった水をマジクールのネッククーラーにかけて、さらに冷却装備を追加。
http://www.magicool.jp/neck-cooler/
この日は曇天で、盛夏というほどの快晴ではなかったのですが、事前にぬかりなく備えた熱中症装備を整えた後、目的地へ向かいました。備中高梁駅 駅
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目的地には徒歩で行くか、途中までバスで行くことも、まぁ可能なんですが、ほぼほぼ登山になってしまって負荷が大きい上に、何より時間がかかってしまいます。
備中高梁から目的地に電車で行く場合、調べると分かりますが乗り合いタクシーをオススメされます。私は旅に出る前にこのタクシーの予約をしていて、駅に着いたら図書館内の観光案内所に来るように言われていました。
観光案内所に行ったらちょうどタクシー乗客の点呼をしている所で。私が来て人数が揃ったのですぐ出発となりました。 -
これは帰ってきたあとに撮った写真ですが、こんな感じの車が、図書館の逆側の出口で待っています。
私が乗った時は1台だけで、大体5,6人ぐらいの乗客を乗せていました。備中高梁駅 駅
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確かタクシーに乗る前でしたかね。
駅から見るとこれぐらいの風景を指差されて、『あそこに行くんだよ』と運転手さんが。
…見えますかね? 信用金庫じゃないですよ。
よく見ると、山林に紛れて小さい建造物が見えます。私はこの段階ですぐに分かったので、『あぁ見えます見えます』って答えたのを覚えています。備中高梁駅 駅
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だいたい20分弱ぐらいタクシーに揺られていくと、ふいご峠駐車場というところまで連れてこられます。
ここからは一切の車が入れないので徒歩で登ります。
さて、そういうわけで今回の目的地はここです。
『日本一高い山城』備中松山城。備中松山城 名所・史跡
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鎌倉時代からこの場所は砦があったそうですが、創建以来、この山城は備中制覇の拠点として幾度も攻防の舞台となったそうです。
ここにも書いてありますが、戦国時代の備中兵乱では、山(臥牛山)全体を要塞化した上で8万の毛利軍を迎え撃ったのだとか。
備中兵乱とは、当時この地を治めていた三村元親と、毛利家、宇喜多家との衝突のことです。
三村家は毛利に臣従していましたが、宇喜多家に予てから遺恨を持っていて、主家である毛利家が宇喜多と同盟すると、それを嫌って、当時勢力拡大中の織田家と密かに結びます。
これを知った毛利輝元は、叔父の小早川隆景に8万という大軍を預け、三村元親を攻めることとなります。
8万という大軍を持ってしてもこの城を力攻めするのは難しかったのか、隆景は持久戦に持ち込んで、守兵の戦意喪失を待ち、内応を誘って陥落させたのだとか。彼らしいですね。
ここで三村元親は切腹し、その後三村家は滅亡するのですが…。
備中兵乱を調べていくと、『これ一番悪いのは(例によって)直家のやつだよね』って気がしてならないんですよねぇ。こいつが暗殺とかしなければ、三村家は毛利譜代として長続きし、信長も中国征伐に結構手こずったんじゃないかしら…と。
直家という人物、誰のことか分からない方は、この日のうちに再び触れる機会があるのでそのときにでも。備中松山城 名所・史跡
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さて、じゃあ行きましょうか。
こんな感じで遊歩道入口には看板があります。
実はもう一つ、途中まではコンクリート舗装の道を歩くこともできる(トイレのそばを上がっていく)のですが、攻城気分を味わいたい方はこっちの方がいいでしょう。
足腰に自身がない場合は舗装道もありですが、どのみち途中から合流して山道を歩くことになります。備中松山城 名所・史跡
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この城の遊歩道で面白いのは、こんな感じで城主が登城心得の立て札を立てて、登城者に注意喚起してくれるところです。
これはふいご峠の最初の立て札ですね。
殿、万事遺漏ございませぬ。備中松山城 名所・史跡
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遊歩道入口には『善意の杖』が置いてあります。
ある程度足腰に自身がある方も、一応借り受けておいたほうが良いでしょう。登る時はさほどでもないんですが、降りる時は砂や水で滑りやすくなっていることがあるので。
…私は前回安土城を登った時に杖の必要性を体感したので、今回は持っていくことにしました。備中松山城 名所・史跡
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というわけで、ふいご峠から登城開始です。
この札、よく見ると遊歩道登城口まで900mって書いてある…。
乗り合いタクシーで来なかったら1Km近くの登山を余儀なくされるのか…そりゃあきついな…。備中松山城 名所・史跡
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こんな感じの山道を登っていきます。
備中松山城 名所・史跡
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備中松山城 名所・史跡
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よし、100m。
備中松山城 名所・史跡
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階段とかあると、結構早足で登ってしまうクチなんですが。
備中松山城 名所・史跡
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アッハイ、ゆっくり登ります。
備中松山城 名所・史跡
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基本ですね。これができていない人に史跡を歩む資格はありません。
備中松山城 名所・史跡
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この写真もスマホのカメラで撮っているんですが、キャメルバッグでハンズフリーとは言え、片手に杖を持っているのでスマホをどうホールドするかは悩ましくて。
今回の旅にあたっては、スマホを入れられる胸ポケは必須と判断して、そういう服で旅をしていたので、頻繁にポケットからスマホを出し入れしながら撮影と歩行を繰り返していました。備中松山城 名所・史跡
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まだ200m。
備中松山城 名所・史跡
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乾燥していると砂で滑るんですよねぇ。
備中松山城 名所・史跡
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ん?
なんか右手はコンクリートっぽいな…。備中松山城 名所・史跡
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しばらく行くと右手に階段が。
ここで入口から続く舗装道に出ることができます。備中松山城 名所・史跡
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舗装道から見た山腹。見晴らし、というほどではないですが、結構高いですね。
備中松山城 名所・史跡
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遊歩道に戻って階段を登っていくと、石垣の高台が。
備中松山城 名所・史跡
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中太鼓の丸跡、だそうです。
ここに、先日の松江城にもあったような太鼓櫓が建てられていて、音で有事発生を連携する中継所だったようですね。備中松山城 名所・史跡
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そこからの眺め。
木々に遮られていますが、高梁市街を一望できる場所ですね。
2,3階建ての櫓があれば、見通しも随分違うかもしれません。備中松山城 名所・史跡
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もう少し登っていくと、中間地点を示す立て札が。
お疲れの方は一息ついてから行かれるがよろしかろうと存じまする。
と言いつつも、私はそんなに疲れていなかったので、『せっかくの殿の仰せながら、速やかに参りまする』とか何とか言いながら登城を再開しました。備中松山城 名所・史跡
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もう少し登っていくと、また高台に出ます。
備中松山城 名所・史跡
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あー、ここは見晴らしが良い。
備中松山城 名所・史跡
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あまり柵の丈も高くないので、気をつけましょう。特に子供連れで来ている方は要注意です。
そうそう。この城、一見して結構な山道なんですが、割とちっちゃい子を連れて登っている家族連れはそこそこ見かけました。
こういう場所って大人子供の体力差とか割と吹き飛んでしまうところがあって。
戦国野郎=子供>(城に興味のない)成人男性>(城に興味のない)普通の成人女性
体力的にはこういうヒエラルキーになります。
大抵一番早く歩いているのは私のような戦国野郎か、お城や自然が大好きな子供でして。一番遅れてしまうのはお姉ちゃんとかお母さんとかですよね。そういう光景を非常に多く見かけました。
戦国野郎として逸る気持ちはわかるのですが、ご家族連れの方は(今後の城巡りのためにも)家族に配慮しておいたほうが幸せかもしれません。備中松山城 名所・史跡
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まだまだ上りは続きます。手すりがあるだけマシってもんです。
備中松山城 名所・史跡
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タクシーやバスの時間制限がない方はそれほど急がずに行けば、まぁ誰でも着けるとは思います。
備中松山城 名所・史跡
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お、あと300m。
備中松山城 名所・史跡
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階段を登りきっても、まだ山道は続きます。
備中松山城 名所・史跡
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もう少し進むと、下り階段と合流する場所が。
備中松山城 名所・史跡
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あぁ、ここで舗装道と合流するのか、と。
登城心得を見るにはまだ早いですが、帰りは左の階段を使うと決めて、登り続けます。備中松山城 名所・史跡
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猿がいるらしい、って話は聞いてましたが、今回は特にお目にかかりませんでした。
備中松山城 名所・史跡
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程なくして。
到着したようです。備中松山城 名所・史跡
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ここから大手門へ。
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無骨な石垣が見えてきました。
備中松山城 名所・史跡
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門は残ってないんですが、高低差と急峻な石垣のせいで、遺構だけですごい威圧感を放ってきます。
備中松山城 名所・史跡
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実はこういう使われ方をしていました。実際は備中松山城と真田には関係はないのですが。
昨日の松江城といい、真田丸縁の地がちらほら出てきますねぇ。備中松山城 名所・史跡
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岩盤と並行させながら石垣を築き、岩盤の上にも石垣と土壁を組んだ、まさに天然の要害と呼ぶに相応しい威容です。
狭間の形は完全に真田丸のオープニングのそれですね。備中松山城 名所・史跡
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大手門に入ると道は左に折れます。
『この要塞が兵の直進なんて許す作りになってるわけねぇよ、当然だろ』と、城の声が聞こえてくるかのようです。備中松山城 名所・史跡
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大手門の右側には足軽箱番所。
備中松山城 名所・史跡
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この辺に兵を籠める番所があったんですね。
備中松山城 名所・史跡
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大手門の左手に折れて進むと、さもありなん、という城壁と狭間。
備中松山城 名所・史跡
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城壁に沿って進む前に左手を見ると、大手櫓跡が。
備中松山城 名所・史跡
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更にもうひとつ、ニノ手櫓跡。
この城門、私が見た城の中では最強クラスの城門かもしれません。寄せ手を絶対止めるという鉄の意志を感じます。備中松山城 名所・史跡
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城壁に沿って城を登っていきます。狭間の模様がいい感じですね。
備中松山城 名所・史跡
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右手の崖上はこんな感じ。
備中松山城 名所・史跡
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足軽番所跡。
備中松山城 名所・史跡
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上番所跡。
ここにも相当の兵を籠められるようです。備中松山城 名所・史跡
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で、ここから大手門を見下ろすとこんな感じになるわけです。
寄せ手が完全に丸見えです。
ここに来るまでの通路の敵は見下ろし放題で、しかも通路の幅はさほど広いわけではないので、鉄壁の大手門を仮に破ったとしても、雨あられの援護射撃が降り注ぎ、容易にここにはたどり着けないでしょう。備中松山城 名所・史跡
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通路を挟んで足軽番所、上番所跡の対面には三の平櫓跡。
どこまでも実戦を想定した構成になっています。備中松山城 名所・史跡
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国指定史跡、重要文化財。つまりここは現存天守です。
昨日出てきた現存12天守の一つに数えられます。備中松山城 名所・史跡
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登りはまだまだ続きます。
備中松山城 名所・史跡
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途中に黒門跡。
ここから中枢に入る感じですかね。備中松山城 名所・史跡
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対面に厩門。
備中松山城 名所・史跡
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厩門の先には厩曲輪。
備中松山城 名所・史跡
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それほど広くはなかったので、小規模だとは思いますが、一応騎馬の運用を想定した作りというわけです。戦の主力というよりも斥候、伝令といった連絡手段がメインだったのかもしれません。
とはいえ、ここまでの急峻を考えると、馬で来ること自体もなかなか大変そうです。備中松山城 名所・史跡
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厩曲輪からの見下ろし。
備中松山城 名所・史跡
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近くには四の平櫓跡。
備中松山城 名所・史跡
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ここらで一つ石垣でも。
備中松山城 名所・史跡
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城内で最も長い石垣だそうです。
野面積み、って書いてあるんですが、意外に整ってますね。備中松山城 名所・史跡
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階段を上がりきると広場に出ます。
二ノ丸に入りました。備中松山城 名所・史跡
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このへんまで来ると高梁市街がよく見えます。
備中松山城 名所・史跡
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こんな感じの城だったようです。
結構頻繁に主人が変わっていますね。
一時期浅野内匠頭が城を受取り、大石内蔵助が在番していたこともあったとか。備中松山城 名所・史跡
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流石にこのあたりは内部というべきか、本丸にはもう一段登る必要がありますが、先程までのような圧倒的な威圧感はありません。
備中松山城 名所・史跡
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本丸の外周には通路が。あとで行ってみるとしましょう。
備中松山城 名所・史跡
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さて、では本丸に上がります。
備中松山城 名所・史跡
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備中松山城は天守ではなく本丸に入場料がかかります。
備中松山城 名所・史跡
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入場料を払ったら、杖を置いて本丸の中へ。
備中松山城 名所・史跡
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天守は比較的小規模な作りです。
備中松山城 名所・史跡
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本丸にも櫓が。六の平櫓。
備中松山城 名所・史跡
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八の平櫓。
どんだけ櫓あったんだ、という感じですね。備中松山城 名所・史跡
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じゃあ、そろそろ天守に入ってみますか。
備中松山城 名所・史跡
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天守は靴を脱いでスリッパで歩きます。
入ると階段があるんですが、ここは天守内ではなく廊下である、と。
さっき見た八の櫓跡からここまで廊下が伸びていたということですね。今の本丸はただの広場ですが、建造物がいろいろあって、かつては複雑だったと見えます。備中松山城 名所・史跡
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当然のように石落しはあります。
備中松山城 名所・史跡
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囲炉裡。
天守で見るのは珍しいような気もします。
今回は夏なので全くピンときませんでしたが、よく考えると山上の要塞、冬は結構寒いんでしょうね。備中松山城 名所・史跡
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急な階段を上がっていきます。
天守といえども、どこまでも敵を警戒した作りです。備中松山城 名所・史跡
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階を上がるとここが最上階。
社壇があって、神を祀ってあります。備中松山城 名所・史跡
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天守は低い上に格子窓なので、眺望的にはそれほど。
備中松山城 名所・史跡
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それでもこんな感じで見通すことができます。
天守ではなく周囲の櫓や塀、石垣に投資していることからしても、この城は政務の中心ではなく、どこまでも実戦志向に設計された軍事要塞であることを印象づけられます。備中松山城 名所・史跡
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天守を出た後、天守に向かって右側に行くと、本丸東御門。ここは閉門されています。
備中松山城 名所・史跡
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左側の階段を登っていくと、何やら天守を回り込むかのように道が。
備中松山城 名所・史跡
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裏門ですね。ここも閉門されています。
まだ先があるので進んでみると。備中松山城 名所・史跡
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見事な櫓が建っています。
備中松山城 名所・史跡
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重要文化財、二重櫓です。
裏側の守りを一手に引き受けるかのように、立ちはだかっていました。備中松山城 名所・史跡
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二重櫓側から見た天守。
備中松山城 名所・史跡
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天守前まで戻ると、お茶がサーバーで提供されているのを見かけました。ここまでにのどが渇いた方はお飲みになると良いでしょう。
幸か不幸か、この日は曇天だったので、汗はかいたもののそれほど水分は消耗しておらず、キャメルバックの残量にはかなり余裕があったので、私は一口だけ貰って次へ進みました。備中松山城 名所・史跡
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本丸から出て、本丸外周の道を進んでいくと、本丸東御門を外から見ることができます。ここは正門と違って門自体は簡素な作りです。
備中松山城 名所・史跡
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まだ先があります。
備中松山城 名所・史跡
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ちょっと見づらいですが、ここが搦手門です。
裏口があるにはあるんですが、ここから先歩けるのか、ってぐらい道が見えない作りになっています。備中松山城 名所・史跡
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階段を上がっていくと、再び櫓跡(十の平櫓跡)。
備中松山城 名所・史跡
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ここからさらに歩くともう少し城跡があるらしいのですが、タクシーの時間もあるので今回はパスしました。
備中松山城 名所・史跡
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さらに石垣で作られた高台があって。
備中松山城 名所・史跡
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ここにも番所跡。
備中松山城 名所・史跡
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このあたりが後曲輪ということで、城の後方の守りだったようです。
備中松山城 名所・史跡
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ここまで来ると、先程の二重櫓を逆側から見ることができます。
備中松山城 名所・史跡
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二重櫓のそばにあった門への階段もあって。
備中松山城 名所・史跡
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腕木門跡。
本丸には3箇所入口があって、何となく入りやすそうで弱いんじゃないかなぁと思ったのですが、搦手や他の建物との行き来を考慮すると、人の出入りの便とのバランスを取った設計にしたのかもしれません。備中松山城 名所・史跡
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帰り際、二ノ丸で撮り忘れていた遺構があったので。
雪隠跡ですね。備中松山城 名所・史跡
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二の丸跡から1枚。
この辺が一番見通しが良かった気がします。備中松山城 名所・史跡
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よし、そろそろ下城しましょう。
11:20の高梁駅発タクシーに乗って、13:10のふいご峠発タクシーに乗る、というのが今回の旅程で、行き帰りの遊歩道でそれぞれ20分要するとなると、城を見て回れるのは1時間程度。
いわゆる小松山城(今回見たところ)を見るのであれば十分な時間ですが、中世城郭である大松山城など、更に奥を見るには到底時間が足りません。
いずれは行ってみたいものです。その折にはもう少しのんびりと見て回ることにしましょう。備中松山城 名所・史跡
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というわけで、本日の登城大儀でございました。
備中松山城 名所・史跡
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左側の階段はこんな感じになっていて、暫く歩くと舗装道に合流します。そこにたどり着くまでには見ての通り砂道なので、滑らないよう、適宜杖を使いながら進みましょう。
備中松山城 名所・史跡
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さて、これで備中松山城を踏破して、高梁駅に帰ろうかな、と思ったのですが。
乗り合いタクシーでふいご峠に行く間に、運転手さんが観光案内をしてくれまして。
『庭園が見事な寺です』ってフレーズが引っかかってましたね。
帰り道、高梁駅まで行かずに途中で降ろしてもらうことにしました。頼久寺 寺・神社・教会
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頼久寺、というお寺です。
国指定名勝の庭園がある他、先程の備中松山城主だった、三村一族の墓があるのだとか。頼久寺 寺・神社・教会
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門構えからも古刹感があります。
頼久寺 寺・神社・教会
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名勝 頼久寺庭園。
小堀遠州の若い頃の作品として伝わっています。頼久寺 寺・神社・教会
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庭園は中の建物に入って座って鑑賞します。
建物に入って庭園の方へ歩いていくと、左手に灯籠。頼久寺 寺・神社・教会
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いい感じですね。既に枯山水が始まっています。
頼久寺 寺・神社・教会
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水に浮かぶ小島と灯籠、という雰囲気がよく出ています。
頼久寺 寺・神社・教会
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メインの庭園を鑑賞する前に、ふと奥を覗き込むと、もう一面、こちらは蓮の庭園がありました。
頼久寺 寺・神社・教会
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踵を返して後ろを見ると、見えてきました。
頼久寺 寺・神社・教会
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正面から見るとこんな感じに見えます。
と思っていたら、ここで美声のアナウンスが聞こえてきました。
『この庭園は座観式庭園ですので、どうぞおすわりになって、ゆっくりとご覧ください』と。頼久寺 寺・神社・教会
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というわけで座って耳を傾けます。
このアナウンスの声がまた良いのです。某大塚明夫を連想させるような、非常に落ち着いた声で、この頼久寺の縁起と庭園の意味を説明してくれます。元RSKアナウンサーの浜家輝雄さんの声だとか。頼久寺 寺・神社・教会
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かつて安国寺と呼ばれた寺だったそうです。その後、備中松山城主となった上野頼久がこの寺を立て直し、彼が亡くなった後、その名を取って安国頼久寺、としたとか。
その後、小堀遠州の父、小堀正次がこの地に封じられ、彼が逝去した後、遠州は頼久寺を居館としつつ、この庭を作庭したそうです。
続いて庭園の説明が始まりました。
蓬莱式枯山水庭園という様式で、不老不死の仙人が住まう伝説上の島、蓬莱島をモチーフとした庭園です。
ここで、『後ろの大きな山は愛宕山です。この山を借景として…』と言われたので、あ、正位置はここじゃないな、と立ち上がって少し移動します。頼久寺 寺・神社・教会
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うん、こんな感じかな。
頼久寺 寺・神社・教会
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これぐらいがちょうどいいかもしれませんね。
愛宕山を借景とし、中央の島は鶴島。鶴島のやや左側に位置する2つの丸い石を用いて、亀の形に表現されているのが亀島。左手のサツキの刈り込みで大波を表現。
こんな話をアナウンスしてくれました。
言うまでもなく砂は水、砂の前の小石はおそらく州浜(浜辺の表現)ですね。
この風景を見て『この庭園、たった一面の庭園だけど、足立美術館のそれよりもずっと力があるな』と私は感じました。
何が違うんだろう、と座って庭園の美しさを愛でながらずっと考えていたんですが、ふと閃きました。
この庭園には『世界観』がある。
何を表現したいか、何を情念として鑑賞者に伝えたいか、作庭者の思いと意図が明確に存在している。
そしてその情念を庭全体で、あらゆる技巧を凝らし、全力で表現している。
が、足立美術館の庭園には、そうした確固たる情念がない。これこそが差なのだと。
足立美術館で見た大観の言葉を思い出しながら、日本庭園は単なる庭ではなく、芸術なのだ、ということをはっきりと体感した一瞬でした。頼久寺 寺・神社・教会
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実に良い学びを与えてもらいました。
鑑賞していたら、私と同じく観光していたおばちゃんが、『サツキが咲いていたらもっと綺麗だったのにねぇ』と残念そうに言っていましたが、私は緑一色のこの方が好みですね。
サツキの赤は絢爛と彩りを添えていい味を出してくれます。ただ、この庭園の世界観は、緑によって海や波を表現するのが正の姿ではないかな、という気がしました。
その後、10分近く座っていたような気がします。立ち上がるのに少し意志力を必要としました。去りがたき庭園というのは良いものです。頼久寺 寺・神社・教会
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頼久寺を後にする前に、たしかお墓があるとか言っていたので寄ってみることに。庭園は門を入って右側の建物ですが、左側の建物の裏手の方に行くと、墓地があって、その奥にこんな場所があります。
左から、上野頼久、三村家親、三村元親。頼久寺 寺・神社・教会
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元親の子、勝法師丸の墓でした。
頼久寺 寺・神社・教会
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よし、これで備中高梁の旅は終わりです。
城好きと庭園好きを同時に満足させる、非常に見応えのある地でした。
時間の関係上見きれなかった場所も何箇所かあり、数時間の滞在だけでは足りなかったですね。機会があれば改めて来たいものです。
さて、再び特急やくもに飛び乗って、次の地へ。
…事もあろうにこれだけ写真を撮っておいて、まだ2日目は終わってないんですが、ここで一旦切りましょうか。流石に長いですからね。
私を乗せた特急やくもは備中を離れ、備前へと疾走していきました。以下次号。備中高梁駅 駅
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旅行記グループ 城と神と庭を巡り歩く、中国地方5カ国の旅路
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