2015/05/25 - 2015/05/25
51位(同エリア146件中)
junemayさん
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- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 193,265アクセス
- フォロワー41人
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
いよいよオルヴィエートのドゥオモ(大聖堂)に入場します。ここに大聖堂が建てられた理由の一つに、「ボルセーナの奇跡」というお話があります。
1263年のこと、ローマへ巡礼に行った帰り道の(行きという説もある)ボヘミアの聖職者ピエトロ・ダ・プラガ(プラハのピーターさんという意味)がオルヴィエートの南西15km位の所にあるボルセーナ湖畔の町ボルセーナにある教会でミサを行い、”キリストの肉”の象徴であるパンを二つに割ったところ、中から血が滴って、パンを載せていた布(聖体布)が赤く染まるという出来事(奇跡!)が起こりました。これが後に聖体祭(コルプス・ドミニ祭)の起源となりました。そして、その奇跡の聖体布を聖遺物として収めるために、オルヴィエートに大聖堂が建設されることになったのです。
ファサードを穴のあくほど眺めていたので、時間を取られてしまいました。急がなくっちゃ!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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黒と白の縞々模様の列柱が左右に6本ずつ続く大聖堂内部です。大変シンプルな構造で、両側に小さな窪みのある祭壇が5つずつ。左右の翼廊以外に大きな礼拝堂はありません。
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身廊の天井も木造のシンプルなトラス構造。白一色に塗られていて、柱の縞模様によくマッチしていると思います。側廊の方は黒っぽい天井ですね。
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なぜか右側から見る癖があるので、右側廊に立って太陽が織りなす美しい光模様を楽しんでいます。半円形に仕切られたアーチも装飾が控えめで素敵!
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右側廊の礼拝堂に描かれたフレスコを見ていきます。最初の礼拝堂には聖セバスティアーノと聖母子が描かれていました。ピエトロ・ディ・ニコラ・バローニの作品で、碑文により制作は1474年となっています。
肝心の中央の白い服の聖人は判別がつかないほど傷んでいますね。 -
二番目の礼拝堂にあったのは、大アントニオスと聖ヤコブ。聖ヤコブはスペイン語ではサンティアゴ。ご存知サンティアゴ・デ・コンポステーラに祀られているキリストの最初の弟子の一人です。
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三番目の礼拝堂。左側は消えてしまっていますが、キリストの磔場面で、熱心に祈りを捧げているのは福音記者聖ヨハネ。右側の人物は、隠遁生活を送る洗礼者聖ヨハネです。
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四番目の礼拝堂。中央の女性聖人の名前はわかっていません。
右側にはキリストと思しき手が描かれていますが、何の場面なのかは判別つきませんね。左側の黄色い服の人物は、誰かが抱きかかえているので、聖母と幼子のように見えますが、詳細は不明です。 -
最後の五番目の礼拝堂だけ、綺麗に修復されていました。幾何学的な模様の壁となっています。両手で祝福のポーズを取っている男性がどなたなのか調べられず・・・
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さあ、早くもクライマックスがやってきてしまいました。ここは右翼廊にあるサン・ブリツィオSan Brizioの礼拝堂。1404年から1444年にかけて古い聖具室跡に建て増しされた部分なので「新しい礼拝堂」という意味のカペッラ・ヌオヴァと呼ばれることもあります。
サン・ブリツィオはスポレートやフォリーニョの最初の司教の一人で、オルヴィエートの人々に福音を宣べ伝えた方です。
礼拝堂に入ると正面にあるのが、こちらの「天使達のいる玉座の聖母子像」。マドンナ・デッラ・タヴォラと呼ばれています。パネルの周りの装飾は思いっきり後期バロック様式で、1715年のベルナルディーノ・カメッティの作品です。 -
絵の作者はわかっていませんが、チマブエの影響を受けたオルヴィエートの工房のマスターで13世紀末の作品と言われています。
おそらく誰もが、この絵を3秒以上見ることはないのではないかしら? なぜって、周りのヴォールトが気になって気になって、そして、誰もが口をあんぐり開けて、ぽか〜んと天井を見つめだすのです。 -
1447年にヴォールトの装飾が始まった時に、最初に請け負ったのはフラ・アンジェリコと弟子のベノッツォ・ゴッツォリ。47年から49年にかけて毎年3か月ずつ絵を描くという契約でした。
そして仕上げたのが、画面下に見える「キリストの裁き」とその右横の三角の部分「預言者達」の2枚。フラ・アンジェリコはその後ローマに発ちましたが、教皇ニコラウス5世の命による仕事に忙殺され、オルヴィエートに帰ることは叶いませんでした。
ゴッツォリとオルヴィエートの画家ピエトロ・ディ・ニコラ・バローニは、アンジェリコの仕事を引き継ぐよう申し出を受けましたが、二人とも辞退。その上、スポンサーのモナルデスキ家の人間が殺害されたり、亡命に追い込まれるという事件が続発し、作業は完全にストップしてしまいました。 -
「キリストの裁き」をアップでどうぞ。
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礼拝堂は長方形の形をしていて、クロスヴォールト二つ分の広さがあります。こちらが右壁。
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そしてこちらが左壁です。
フラ・アンジェリコ以降の話に戻ります。1449年に工事がストップしてから30年以上の間は、ほとんど進捗は見られないまま時は過ぎていきました。1480年ごろから亀のような歩みで、少しずつ工事が再開されましたが、肝心の画家がなかなか決まりません。そして最終的に白羽の矢がたったのが、コルトーナ出身のルカ・シニョレッリです。
1499年、彼はまずアンジェリコが残した祭壇に近いほうのヴォールトの三角形2つ分の完成を依頼されました。そして彼は、なんと! たった6か月で仕事を成し遂げたのです。 -
何枚か前のヴォールトの絵を逆さにしましたよ。「キリストの裁き」の下にあるのがシニョレッリの描いた、「キリストの受難に使われた道具を携える天使達」。そして、その右横が「使徒達と彼らを導く聖母」です。お見事! ようやくヴォールト天井1つ分完成です。
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大聖堂の理事たちは全会一致で、礼拝堂の第二ヴォールト(入り口に近いほう)の装飾をシニョレッリに依頼しました。それが1499年から1500年にかけてのことです。ここでは彼は、聖人をカテゴリー別に表現しました。
入り口のアーチの上から、「処女(女性聖人)達」、その右横が「司祭達」。 -
そして、第一ヴォールトと接している三角形部分には「殉教者達」、その右横には「大司教、教会博士達」を描きました。これで礼拝堂のヴォールト部分が完成しました。フラ・アンジェリコの描いた部分とも違和感はあまり感じられませんね。
1500年の早い時期、ヴォールト装飾の完成を間近に控えて、シニョレッリは残った6つのアーチ部分に描く彼のプランを理事らに提出しました。その提案は正式ではありませんでしたが受け入れられ、1500年から1504年までかかって、彼は残りの壁を仕上げました。 -
まず、礼拝堂入り口の上には、「世界の終わり」の時代に起こる出来事が表現されています。こちらの内容は残念ながらよく理解できませんが、終末には「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢餓や地震が起こる」とマタイ伝にはあります。
シニョレッリによって、この壮大なテーマが赤裸々に表現されました。 -
中央の天使はオルヴェート大聖堂の紋章を掲げ、世界の終わりの兆候を知らせています。
フラ・アンジェリコが仕事を引き受けた時に、テーマは「キリストの裁き」と決まっていました。「キリストの裁き」とは、「最後の審判」のことです。そして「最後の審判」とは、簡単に言うと次のようになるようです。
「キリスト教では、世界の終わりにキリストが再臨し、あらゆる死者を甦らせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に堕ちる者とに分ける」(ウィキペディアより)。 -
絵の左端部分。3Dのように画面から飛び出しているように見えます。何かの攻撃を受けていますね。
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右端部分。白い神殿の柱が途中で粉々に壊れて瓦礫となっています。どんなストーリーなのかがわからないのが辛い・・・
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そして二番目の絵は入り口のアーチに向かって右側の壁です。こちらの絵は「偽キリストの説教」と名付けられています。中央付近で壇上に立つ男性はキリストではありません。後ろに悪魔がいて、耳打ちされているのが見て取れます。現地ではあまりに遠くにあってよく確認できませんでしたが、写真をよく見ると、実に邪悪な目をしていますよ。
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前述したように、世界の終わりには、戦争、飢餓、地震が起こり、人心はすさみ、平気で人殺しをする輩も現れます。
遅ればせながら調べてみたら、マタイ伝の中にキリストがこう語る言葉がありました。(世界が終わりに近づくと)「ひとに惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう」。
まさに、キリストの言う通りの状況が描かれています。 -
上の絵ではよく見えないのですが、左端に重要な人物が二人並んで立っています。左のカメラ目線の男性がこの絵を描いた当人ルカ・シニョレッリ、そしてそして隣にいるのはフラ・アンジェリコ! この二人が、荒れ果てた町の様子を眺めています。画家は最後に自分自身と大先輩を絵の中に投入したんですね。
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三番目は「死者達の復活」。最も注目度の高い作品です。そうそう、すべての死者は裁きを受けるために蘇るのでした。もちろん、生きている者も裁きの対象です。
なんという筋骨隆々とした死者達でしょう! 人間の肉体を知り尽くした人でないと描けないリアルな描写です。口あんぐりの人たちはその殆どがこの絵を見つめていました。 -
やせ細ったゾンビというイメージはありませんね。
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次々と土の中から這い上がって来ていますね。彼らはこれから、死よりも恐ろしい審判を受けるのです。
1500年代の人々はどんな気持ちでこの絵を眺めたのでしょうか? -
四番目は、ずばり、「最後の審判」そのものがシニョレッリ風に表現されています。
こちらは礼拝堂の主祭壇の上のアーチ左側部分です。キリストの裁きによって、永遠の生命を与えられた者たち、つまり天国組です。一番下に描かれている男性は、まさに安堵のポーズですね。 -
そして地獄に落ちる者達・・・こちらの方が断然数が多そうです・・・
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五番目の絵は「地獄に落とされる者達への罰」。なんと恐ろしい絵なのでしょう! かのミケランジェロは、システィーナ礼拝堂の天井画「最後の審判」を描く前にオルヴィエートにやってきてこの絵を絶賛したと言われています。彼自身のフレスコにも少なからずの影響を与えたことは確かだと思います。
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あまり良い写真がありませんが、詳細部分です。人の数と同じ数の「鬼」達に次々と耳をかじられ、逆さづりにされ、髪の毛をむしられ、首を絞められ、羽交い絞めにされる人間たちの姿・・・
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生々しいですねえ・・・
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それにしても、なんという正確な肉体描写なのでしょう! 初めてシニョレッリに出会って、その場でノックダウンです。
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最後の絵 六番目は「神により選ばれし者達の集まり」。ここではほっと息がつけますね。相変わらずここでもムキムキマンが多いのが気になりますが、女性が多いのも特徴かな?
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頭上では天使たちの音楽隊が美しい音色を奏でています。
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こちらも、あまり良い出来の写真ではありませんが、詳細部分をどうぞ。
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それにしても、あまり皆表情がないように思いませんか? 選ばれし者なのに、ちっとも嬉しそうじゃありませんね。放心状態なのでしょうか・・・
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当方も放心状態ですが、さんざん天井付近を見上げて首に痛みを感じたので、まだ見ていない礼拝堂内を見て回ることにしました。
礼拝堂の壁の低い場所に描かれていたのは文学者達の肖像画です。これらもすべてルカ・シニョレッリの作品です。
左はダンテ。彼の書いた「神曲」は地獄編、煉獄編、天国編から構成されていますが、肖像画の周りのトンドには、煉獄編から採ったグリサイユ(モノクロームで描かれた絵画)が描かれています。
右側はプブリウス・パピニウス・スタティウス。1世紀のローマ時代の詩人で、ダンテの「神曲」煉獄編にガイド役として登場したことで知られています。 -
左側は紀元前1世紀のローマの詩人オウィデウス。アウグストゥスの時代に生きた人です。彼の代表作「変身物語」はギリシャやローマの神々が動物、植物、星座等いろいろなものに変身していくエピソードを綴ったもので、中世文学に多大な影響を与えたそうです。
右側は同じく紀元前1世紀のローマの詩人で、ヴァージルとも呼ばれるウェルギリウス。「牧歌」、「農耕詩」「アエネーイス」等の作品でこの人もラテン文学の重鎮です。 -
左側の男性は紀元前5世紀の古代ギリシアの自然哲学者兼医者兼詩人兼政治家のエンペドクレスだそうです。他の肖像画とは異なる後姿で、大変意味がありそうなポーズをしているのですが、シニョレッリに尋ねるほかないですね。
右側は、紀元前1世紀のローマの政治家兼歴史家のガイウス・サッルスティウス・クリスプスです。地獄や煉獄と関係あるのかは、??? -
そのほか、このグリサイユは礼拝堂内の主祭壇の両側でも見られました。なぜか、祭壇に一番近い下のトンドの中のみ何も描かれていません。
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祭壇右側も同じですね。つまらないところに気がついてしまった・・・一見浅浮彫に見えますが、すべてフレスコです。
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サン・ブリツィオ礼拝堂の右壁にあるこちらは、1468年に作られた礼拝堂の中の小さな礼拝堂カッペリーナ・デイ・コルピ・サンティです。コルピ・サンティとは神聖な体という意味だそうです。というのもここは、オルヴィエートの二人の守護聖人聖ファウスティヌスと聖ピエトロ・パレンツォの聖遺物を収めるために作られた礼拝堂だったからです。
ルカ・シニョレッリとの契約の中には、こちらのミニ礼拝堂の修復も含まれていました。 -
こちらが、ルカ・シニョレッリによって描かれたピエタ。嘆く聖母の傍にはマグダラのマリア、そして両側には、二人の守護聖人聖ファウスティヌスと聖バレンツォが立っています。
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石棺の表面には、聖ファウスティヌスの殉教の様子がグリサイユで表されています。彼はディオクレティアヌス時代のローマの人で、テヴェレ川に投げ込まれて殉教しました。彼とオルヴィエートの関連についてはわかっていません。
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そして聖ピエトロ・パレンツォは、オルヴィエートの執政長官(ポデスタ)だった人で、1199年、当時フランスとイタリアで勢力のあったカタリ派の支持者によって監禁され、殴打された末、暗殺されました。彼は死後、奇跡を行った人として聖人と認定され、オルヴィエートの町の守護聖人となりました。まあ、この話については諸説ありますが、今となっては確かめるすべもありませんね。
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サン・ブリツィオ礼拝堂内にもう一つあるミニ礼拝堂が、こちらのマグダラのマリア礼拝堂です。1491年頃の建造です。元々、ここは大天使サン・ミケーレに捧げる礼拝堂で、祭壇画のフレスコはすでに完成していたため、1500年にシニョレッリが交わした契約の中に、この礼拝堂の装飾は含まれていませんでした。ところが1504年にマグダラのマリアがオルヴィエートの守護聖人に指定されることになり、大聖堂はこの礼拝堂をマグダラのマリアに捧げることにし、シニョレッリに祭壇画の依頼をしてきました。
現在そのフレスコ画は、大聖堂付属美術館に所蔵されています。今祭壇を飾っている絵は1724年に描かれたドメニコ・マリア・ムラトーリによるもので、ローマで制作されました。登場人物はマグダラのマリアの他、福音書をしたためている聖ヨハネ、洗礼者聖ヨハネ、羊を抱えている聖アニェーゼ等です。 -
最後に、もう一度天井付近を見上げて、長い時間お邪魔したサン・ブリツィオ礼拝堂を後にしました。ルカ・シニョレッリに強烈なパンチを食らった30分間でした。礼拝堂の入り口には、「この礼拝堂には最大で15分しか滞在できない」と書かれていましたが、大幅に時間オーバーしてしまいました。それだけの価値は十分ある礼拝堂でしたよ。
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主祭壇の右側に位置しているこちらの礼拝堂は、東方三博士に捧げられています。ここは1500年ごろモナルデスキ家の礼拝堂となりましたが、1518年に当主が亡くなったのを機会に、大聖堂にその管理と設計が移譲されました。東方三博士の礼拝のレリーフには複数の彫刻家が関わっていますが、最初に手掛けたのはミケーレ・サンミケーリ。彼がオルヴィエートを去った後はサミーネ・モスカ、ラファエッロ・ダ・モンテルポなどが制作に携わりましたが、なんと完成までに32年もかかっています。聖母子の足元にいる犬が中々可愛らしいですよ!
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たまには床も観んかい! ということで主祭壇近くの床にある墓です。
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左翼廊の壁には、1538年から8年にかけて、ドゥオモ改修工事の一環として設置されたオルガンが鎮座しておりました。ちょうど左翼廊にあるコルポナーレ礼拝堂の手前に当たります。珍しい配置ですねえ。
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主祭壇にやってきました。ステンドグラスが明るすぎて、主祭壇全体の写真を撮ると、こんな写真になってしまいます。
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中央のキリスト磔像も壁一杯のフレスコ画も真っ黒になってしまうので、ここでは細切れの写真ばかりになってしまいました。
キリスト像はロレンツォ・マイターニ作で1320年の作品。 -
1334年に完成した目を見張るステンドグラスはアッシジ出身のガラス職人ジョヴァンニ・ディ・ボニーノの作品ですが、デザインはマイターニだと言われています。
テーマはキリストの生涯で、全部で44コマの中に預言者達、教会博士、福音記者達の姿もちりばめられています。当時としては最高水準の出来ばえだったと断言できそうです。 -
さて、主祭壇後ろの壁には、1370年から84年にかけて制作されたフレスコ画が、三方にびっしりと描かれています。こちらも当時のイタリアで最も大きく、かつ完成度の高い作品であると言われています。制作はウゴリーノ・ディ・プレテ・イラーリオが地元の画家達の総指揮をとりました。
まずはこちら左側の壁からご覧ください。 -
一番下の列はマリアの生涯(左から捧げものを拒否された上に、神殿から追い出されたヨアキム、マリアを授かる受胎告知、ヨアキムとアンナの再会、マリアの誕生)下から二番目はキリストの生涯の物語(聖誕、羊飼いの礼拝、キリストの割礼、東方三博士の礼拝)が綴られています。
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下から三番目、四番目は中央にバラ窓があり、四方に教会博士達の姿がありました。最上部のルーネット部分ははっきりとしませんが、左側に「キリストの洗礼」場面がありますね。14世紀当時の洗礼って、ほとんど「たらいで行水」に近いスタイルだったんだなと実感・・・
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続いて後ろ壁左側です。
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後ろ壁右側はこちら。写真が小さいので、下から2枚ずつ分けて撮ったのをお見せします。
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後ろ壁左側下半分です。一番下は、マリアの神殿へのお披露目、二番目はキリストの神殿へのお披露目かしら?
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物語は後ろ壁右側下半分へ。一番下はマリアの結婚。二番目は消えかかっていて詳細不明。養父ヨセフが家の中で大工仕事をしている姿、初めて見た気がします。
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右壁は傷みが激しく、これまでにも何度も修復を経ています。しかしながら、高名な画家達による修復もむなしく、もはや消えゆく運命のようです。
物語は右壁に先に続くようですが、もう私の理解を超えてきました。一番下の列は左から受胎告知、従妹のエリザベスの家への訪問、天使がヨセフにマリアの懐妊を伝える、一番右は???ですが、ここで注目はお腹の大きいマリアをヨセフが右端にある家に導いていること。妊娠中のマリアの絵というのは珍しいと思います。
二番目の列は、激しく傷んでいる左端は、エジプトへの脱出だそうです。その後は幼いキリストが神殿に入る場面、12歳の時神殿で学者たちと問答した場面だろうと思われます。 -
そして再び後ろ壁の左側下から三番目(画面下)に戻るようですよ。これは聖体拝領でしょうか? わっからねえ!!! この後、後ろ壁右側下から三番目に続くのですが、ややこしくなるので、下から四番目(画面上)を先に。これはマリアの葬儀ですね。
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後ろ壁右側下から三番目(画面下)「マリアの永眠」。そして、すぐ上の写真の「葬儀」の後、下から四番目(画面上)の「聖母被昇天」へと続きます。
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一番最後がこのヴォールトにある「聖母戴冠」でしょう。ふぅ〜疲れましたぁ。あくまでも私の想像の範囲であって、正確ではないので、参考程度になさってくださいね。
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ちなみに、ヴォールトの他の3枚はこんな状態でした。こちらは向かって左側に大きな損傷が見られます。ボケボケですねえ。
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右壁下から三番目、四番目はご覧のとおりかなりひどい状態です。大聖堂としても総力を尽くして修復をしてきたのですが、湿気等の抜本的な問題があるのだと思われます。
15世紀末に右側に見える赤い衣服をまとった、「福音書を書いている聖マルコ」、そしてその下の「書斎にいるミラノの大司教で教会博士の聖アンブローズ」を修復したのはかの、ピントゥリッキオです! -
ここでちょっと休憩。聖域からカウンターファサードを見ると、落ち着きますよ。日本人だからでしょうか? 派手な装飾の教会だとなんとなく居心地の悪さを感じます。静かで、人もいなくて、気が休まる瞬間です。
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カウンターファサードのバラ窓にズームイン!
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大聖堂のシンボルマーク(丸に十字S・M・P・Oサンタ・マリア・プリスカ・オルヴィエートの略。オルヴィエート大聖堂が11世紀に創建された当時の名前です)の文字を掲げた二人の天使達。
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さて、大聖堂の2つ目の重要な礼拝堂に入場しましょう。1350年から6年をかけて左翼廊に増設されたこちらがコルポラーレ礼拝堂Sacro Corporaleです。コルポラーレとは聖体布のこと。そう、こちらが冒頭で述べたボルセーナの奇跡にまつわる聖体布を聖遺物として収めている礼拝堂です。
先ほどのサン・ブリツィオ同様、こちらの礼拝堂もクロスヴォールト天井二つ分の広さ。サン・ブリツィオよりやや細長い気がします。 -
まずは一番奥の祭壇から見てみましょう。祭壇中央には、聖遺物箱が収められた幕屋タバナクルが置かれています。
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タバナクルは1358年にニコロ・ダ・シエナが設計したもの。中に置かれている1337年から8年にかけて作られた聖遺物箱は、キリストの生涯とボルセーナの奇跡のお話が青い七宝で描かれた美しいゴシック風デザインのものでしたが、今ある聖遺物箱とは異なるみたいです。今調べると礼拝堂入り口左側のケースに展示とありますが、見た記憶はありません(涙)。おかしいなあ・・・
壁のフレスコは、1356年にウゴリーノ・ディ・プレテ・イラーリオが中心となって、他の町の画家を率いて行われ、1364年に完成しました。大聖堂後陣の壁にフレスコを描いたのも彼ですが、こちらの礼拝堂の方がそれより13年も早く始まっています。
彼は祭壇の後ろ壁の一つに、「1364年6月8日 ウゴリーノ オルヴィエートの画家」という署名を残していますが、おりしもその日は、すべての装飾が完成した記念日だったようです。不幸にも、フレスコは1857年から60年に下手な修復をされていて、オリジナルの面影を残していない作品が多いそうですよ。
祭壇の後ろ壁には、異なった情景の磔図が3点描かれています。 -
左右に置かれたアゴスティーノ・コルナッキーニ作の白い天使像。1729年。こちらは大天使ミケーレ。
像の奥にも、フレスコが描かれていますが、下の方は見えにくいですね。 -
右の天使は大天使ラファエル。ミケーレ、ガブリエルとともに三大天使と呼ばれているんですって。〇大・・・ていうのは日本人が好きな表現ですよね。
ラファエルの背後に「キリストの復活」のフレスコがちらっと見えています。 -
礼拝堂、祭壇に向かって左側の壁です。所々フレスコがはげ落ちているのが見て取れます。
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あまりにフレスコの数が多すぎて、具体的な物語の内容が掴みきれずにおりますが、カトリック教会の教理「ミサにおける聖別で、パンとワインが完全にキリストの血と肉に変わること」=聖体変化に関わる教訓めいた話およびその歴史が展開されているようです。
右側上半分は殆ど消えてしまっていますね。 -
詳細部分です。碑文を読むことが出来れば、ストーリーがわかりそう。
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窪み部分の左上のフレスコには聖母子が登場。多分これはマリアが出現した奇跡のお話・・・なんて勝手に想像を膨らませます。
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祭壇に向かって左側奥の壁です。ご覧のとおりびっしり!
カトリックのミサで配られる白くてうすぺったい丸いパンがあちこちに描かれていることに気がつかれましたか?
中段右奥なのでわかりづらいですが、聖体拝領されたパンを食べてしまった息子を竈にいれて燃やしてしまったユダヤ人の男性が描かれています。その後聖母が現れ、無事に少年を炎の中から助け出します。反ユダヤのにおいもプンプン。 -
こ、こ、これは日本の日の丸! ・・・てなわけがないですね。
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続いて、祭壇に向かって右側の壁です。こちらの壁には、「ボルセーナの奇跡」のエピソードから大聖堂がここに建設されるに至った歴史が展開されています。
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一番右下のフレスコ。倒れている男性の首がもげて血が噴き出している場面ですが、正直、シニョレッリを見た後ではあまり食指が動きません。時代が異なるので、比べる気はないのですが・・・
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でも、とりあえず見ますか?
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教会奥へと通じる出入り口の上にある窪み部分。
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右側の壁で一番目立つのは、こちらの「推奨の聖母」madonna deiRaccomandatiです(慈悲の聖母とも呼ばれています)。1339年のシエナ派の画家リッポ・メンミの作品。
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ウンブリアの方々で、これに似た聖母像を見てきましたね。ペストなどの病気が流行すると、聖母のマントの下に保護されたいという欲求が高まり、各地で制作されたものとされています。元々はシエナで始まったスタイルで、この作品はそのもっとも初期のものの一つと言われています。
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続いて祭壇に向かって、右側奥の壁です。ここには、「ボルセーナの奇跡」の話から8つの場面が綴られています。
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中段右側は、教皇ウルバヌス4世(在位1261年〜1264年)が、聖体布とともにボルセーナから戻ってきて、キアロ川の橋のたもとで、オルヴィエートの司教に挨拶する場面。
そして下段左側は、教皇が彼の宮殿ロッジアからオルヴィエートの人々に、聖体布を見せている場面です。 -
礼拝堂入り口のあるアーチです。ここでも面白い絵を見つけましたよ。左下で聖体用のパンを使って、悪魔払いの儀式が進行中です。うまくいったのか悪魔が慌てて逃げだしていく姿が描かれています。これがエクソシストの原型か・・・
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一番上には、これぞ聖体変化及び聖体拝領のそもそもの始まりである「最後の晩餐」が描かれていました。この晩餐でキリストはパンを取り、「これは私の体である」、ワインの杯を取り、「これは私の血である」といって弟子たちに与えたんでしたね。
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最後にヴォールト部分です。ご覧のように、四分割クロスヴォールトの天井が二つ続いています。入り口側から撮っています。
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手前が入り口側です。このヴォールトの絵に関しても作者はウゴリーノとそのワークショップとあるものの、絵の詳細は調べても出てきませんでした。
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こちらが、祭壇よりのヴォールト。手前が祭壇側です。
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祭壇の真上にあるこちらのフレスコなんぞは、なかなか面白そうなストーリーが隠されていそうですが、深追いできずに終わりました。
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最後にもう一度全体を眺めて、礼拝堂を後にします。少々消化不良だけれど、いかんせん量が多い!
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長居をしすぎたようです。残っている左側廊の礼拝堂を回って、外に出ましょう。
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最初の方で触れましたが、大聖堂のフレスコは1300年代から1400年代に描かれたものですが、16世紀の大聖堂改修工事の際に、そのほとんどが上からスタッコで装飾されました。重要な作品については、切り取られ、別の幕屋(タバナクル)の中に入れられ、飾られてきました。
オリジナルのフレスコは、1890年の復元作業でようやく日の目を見たものです。 -
左上、白い馬に乗っているのは、聖ジョルジュ。その下に磔の部分、そして右には本を開いて見せている司教(名前は不明)が見えています。
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レリーフが施された石片を携えたこちらの女性も誰なのかわかっていません。
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大聖堂入り口入ってすぐの礼拝堂にあったこちらのフレスコは、作者がコーラ・ペトルッチオーニと判明しています。1380年頃の作品です。
よ〜く目を凝らしてみると、左端の十字架を抱きかかえた聖ヘレナと、右側に顔だけ奇跡的に残っている聖母を拝むことが出来ます。 -
入口近くまで戻ってまいりました。こちらが、元の礼拝堂の壁から剥されて、新たな幕屋をあてがわれたフレスコ ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ作「玉座の聖母子」です。オリジナルは1425年頃と言われています。
なるほど素晴らしい出来のフレスコで、大聖堂が16世紀のリフォーム工事の際に別扱いにしたわけがわかるような気がします。 -
ところが、その後、このフレスコには聖母の右側の、今半透明の天使が見える辺りの空いているスペースにアレキサンドリアの聖カタリナの姿が描き加えられたのだそうですよ。
描き加えられた部分は1894年から99年にかけて行われた大聖堂復元作業の際に除去され、その時下にあった半透明の天使の本来の姿が見つかったとのこと。聖母のローブの装飾はほとんど消えてしまっていますが、少なくとも顔の部分は復元作業がうまくいったようです。母子ともに実に和やかな表情をしていますね。 -
こちらも入り口近くにあった、大理石で作られた洗礼用ボウルです。台座の部分とそれを護るライオンたちは白大理石製。1390年にルカ・ディ・ジョヴァンニにより工事が始まり、16年後にサノ・ディ」マッテオが茶色っぽい大理石で八角形のボウルに彫刻を施して完成させました。
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上の大きなボウルより二回り以上小さいこちらは洗礼盤となります。アントニオ・フェデリッリの1456年の作品と言われています。南イタリア風な彫刻が私好みです。
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外に出たら、あんなに良い天気だったのに、すっかり雲が広がって薄暗くなっていました。大聖堂付属美術館は、時間がないので明日にしましょう。実は面白い組み合わせのチケットを購入したのです。大聖堂と付属美術館、エミリオ・グレコ(大聖堂の中央扉を作った彫刻家)の作品があるお隣のソリアーノ宮殿、そして教皇宮殿、アルベーリ図書館、聖アゴスティーノ教会に入場できるコンビネーション・チケットです。こんなに回り切れるかなあ・・・
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最後の最後に、ロレンツォ・マイターニによる大聖堂の太い柱の彫刻を近くから写していきましょう。大迫力!
こちらは、一番目の柱。創世記からの場面。イヴの創造やアダムとイヴが禁断の果実に手を伸ばす場面が実に鮮やかに描かれています。 -
二番目の柱は、贖罪の旧約聖書からの預言??? そうそう、さっぱりわからない言葉の羅列でした。
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三番目の柱は、マリアとキリストの生涯からの場面。これは少しわかりそう。ああ、左下から三番目に「受胎告知」が見えました!
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そして最後の柱四番目は「最後の審判」。右手下の方には恐ろしい場面が展開されていました。後で写真をじっくりと眺めよっと!
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大聖堂の正面向かって右手にある手前がファイーナ宮(市立考古学博物館)と奥がドゥオモ芸術宮(付属美術館)です。
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大聖堂 また明日ね!側面の縞々模様が素敵!
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来るときには、大聖堂に気を取られて気が付かなかったマウリツィオの塔が見えましたよ。あの時計、オリジナルは日時計だったそうです。
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屋上には大きな鐘が一つ、小さな鐘が二つ並んで置かれています。奥に見える人影は鐘つき職人かしら? 1348年に作られたこの像の名前がマウリツィオ。
この時計塔、最古の時計仕掛けで、いまだに現役です。大聖堂で必要な様々な作業を行うために建てられた建物で、仕事始めと終わりの時刻も当時から知らせていたとのこと。作業員の遅刻は問答無用で賃金から差っ引かれたようです。
鐘楼とは性格が異なりますが、大聖堂の付属の施設の一つとのことで、なかなかユニークなものとお見受けしました。 -
カーエン広場に戻る道を歩きながら、陶器のお土産屋さんにいちいち反応して立ち止まります。
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この町では、陶器はやはり大皿がメインなのかしら。
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こんな中世の佇まいも、今では土産物屋モードに変身しています。安物のお土産も(失礼!)、ここにあると格調高く見えるから不思議ですねえ。
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ドゥオモ通りが町の目抜き通りコルソ・カブールにぶつかるところにあるモーロの塔。13世紀に建てられました。
元々は教皇が所有していて、1515年に町に所有権が移るまでは「教皇の塔」Torre del papaと呼ばれていたそうです。高さ47mあり、オルヴィエートのどこからでも見つけられると言われましたが、初めてここで気が付いた私って??? さっきもここ通ったよね!
塔の名前は、16世紀にここに住んでいたラッファエロ・ディ・サンテ・グアルテリオ別名イル・モーロ に由来するものです。
狭い階段を伝って屋上まで行くことも可能です。360度パノラマヴューが楽しめそうです。 -
イノシシは町のあちこちでみかけました。実はオルヴィエートはイノシシ肉料理が有名なのです。前回の旅行記で紹介した サンタンドレア教会裏にあるトラットリア パロンバではイノシシ肉、それからこれもウンブリア名物の黒トリュフのパスタが看板料理だそうです。
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1844年に作られた、オルヴィエート出身の作曲家ルイジ・マンチネッリに捧げられたテアトロ・マンチネッリ。建築家ヴェスビニャーニの設計です。
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はい、お疲れさまでした。フニコラーレで帰りましょう! 今夜はシニョレッリの夢を見そう。うなされるかも!!
この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その63 オルヴィエート3 で!
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この旅行記へのコメント (4)
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- マリアンヌさん 2016/06/21 12:41:41
- ドゥーモ☆
- junemayさん、再び。
たまには、黙って見ようと思いつつ、いつも絵画の説明がすごすぎてコメントしてしまいます。
オルビエートのドゥーモってこんなだったなぁと感動の記憶が蘇ります。
美しい内装ですね☆
翌日、チヴィタ・バーニョレージョでイタリアの男性数名と片言でコミュニュケーションをとったら、一人が英語でルカ・シニョレッリがいかに素晴らしいかを説明してくれたんですが(日本人は英語がわかると思ったのか)全く理解できなかったなぁ(笑)
ところで、銀座の空中庭園は、銀座ファンケルビルの屋上です。
次回の日程、こちらで見れるかな?
無料ですから、是非!
https://area31.smp.ne.jp/area/table/10572/Ejz9JA/M?S=mdrjo2pgodl
国分寺によくいらっしゃるとのこと、よろしければカフェマリアンヌに遊びにいらして下さい。
続き楽しみにしています。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/06/21 15:44:48
- RE: ドゥーモ☆
- マリアンヌさま こんにちは
今回のオルヴィエートのドゥオモについては、私自身も忘れかけていた部分があったのですが、再度調べて見て、あの時の感動がさらに強まりました。写真が残っているというのは本当に良いですね。撮影禁止の場所だと、その時は素晴らしいと思っても、悲しいかな、すぐに忘れてしまうのです。特に最近はそれが激しく、旅先では仕方なく本を買いこんでしまい、重たい荷物と格闘という悪循環に陥っています。だからぼけた写真であっても、その時自分が何にこだわって撮っていたかということを思い出す手がかりを与えてくれるのでとても貴重です。マリアンヌさんのようにキチンと読んで下さっている方、コメントを下さる方は、私にとって大変張り合いになります。どうかこれからもお付き合いください。
銀座の情報ありがとうございます。さっそく次回、友人と健康的な胚芽米ランチを食べに行って、帰りに寄ることにいたします。
今アジサイが綺麗ですね。日本のアジサイは雨の日が良く似合うけれど、ヨーロッパのアジサイはカンカン照りの中で咲いていて、色も濃く、やはりお国柄を反映しているような気がしています。
junemay
> junemayさん、再び。
>
> たまには、黙って見ようと思いつつ、いつも絵画の説明がすごすぎてコメントしてしまいます。
> オルビエートのドゥーモってこんなだったなぁと感動の記憶が蘇ります。
> 美しい内装ですね☆
>
> 翌日、チヴィタ・バーニョレージョでイタリアの男性数名と片言でコミュニュケーションをとったら、一人が英語でルカ・シニョレッリがいかに素晴らしいかを説明してくれたんですが(日本人は英語がわかると思ったのか)全く理解できなかったなぁ(笑)
>
> ところで、銀座の空中庭園は、銀座ファンケルビルの屋上です。
> 次回の日程、こちらで見れるかな?
> 無料ですから、是非!
>
> https://area31.smp.ne.jp/area/table/10572/Ejz9JA/M?S=mdrjo2pgodl
>
> 国分寺によくいらっしゃるとのこと、よろしければカフェマリアンヌに遊びにいらして下さい。
>
> 続き楽しみにしています。
> マリアンヌ
-
- とし坊さん 2016/06/20 19:20:41
- 素晴らしいですね
- 外国の教会・寺院の壁画などは ほんまに素晴らしいですね・・
もう少しで ラヴェンナですよね
まってますので・・(^O^)
- junemayさん からの返信 2016/06/20 21:30:27
- RE: 素晴らしいですね
- とし坊さま
ご訪問ありがとうございます。
いつもお美しい「嫁はん」との旅行記楽しませていただいております。あともう少しお待ちくださいね。生きている限りは必ず更新いたしますから。がっかりされるかもしれませんので、あまり期待しないでくださいね。なにせ、ぼろいカメラですので・・・
> 外国の教会・寺院の壁画などは ほんまに素晴らしいですね・・
>
> もう少しで ラヴェンナですよね
>
> まってますので・・(^O^)
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