2017/07/03 - 2017/07/03
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miharashiさん
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ドロミテは夏だけで7回も訪れているので、もうおしまいにしようかと思っていたが、峠一さんのブログでロッレ峠の存在を知り、ぜひ行きたいと思っていました。さらにスイスのベルザスカの谷とイタリア・リグーリア州のチンクエテッレの村も行ってみたいということで、今回の旅行を計画。それぞれの場所が離れているので、旅程を立てるのに、天気予報も考慮に入れながらの試行錯誤の繰り返し。結局、出発の10日前に航空券を購入して、途中の旅程は一部未定のまま出発することになりました。本編は、リミニから列車で移動し、古都ボロ―ニャに一泊して日本に帰国するまでの旅行記です。(表紙写真は、旧ボローニャ大学内の図書館)
今回の旅行の全旅程は以下の通り。
6月22日 成田22時ー(エミレーツ航空、ドバイ経由)ーベニス(23日13時)
空港でレンタカー借りだし->サンマルチーノ(泊)
6月24日 ロッレ峠トレッキング
ロッレ峠->モルベーノ湖->アンダーロ(泊)
6月25日 アンダーロ->ステルビオ峠->サンモリッツ->シルバプラナ(泊)
6月26日 シルバプラナ->コルバッチロープウェイ駅
中間駅のムルテルからスールレイ峠を越え、ロゼック谷までトレッキング
ロゼック谷->(馬車)->ポントレジナ->(バス)->
コルバッチロープウェイ駅->ソーリオ->コモ湖畔(泊)
6月27日 コモ湖->ルガノ-> ベルザスカ谷(泊)
6月28日 ベルザスカ谷->ルガノを経て再びコモ湖畔(泊)
6月29日 コモの町でレンタカー返却
コモ->(鉄道)->ラパッロ(泊)
6月30日 ラパッロからポルトフィーノまでバスで往復
6月30日 ラパッロからポルトフィーノまでバスで往復
ラパッロ->(鉄道)->ラ・スペツィア
ラ・スペツィアからチンクエ・テレまで鉄道で往復
(ラ・スペツィア泊)
7月1日 ラ・スペツィア->(船)->ポルトベーネレ->(バス)->
ラ・スペツィア->(鉄道)->リミニ(泊)
7月2日 リミニからサンマリノまでバスで往復
リミニ->(鉄道)->ボローニャ(泊)
7月3日 ボローニャ->(エミレーツ航空、ドバイ経由)->羽田着(4日深夜)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7月2日、サンマリノとビーチリゾートリミニの見学を終え、2時44分発の列車で最終目的地古都ボロ―ニャに向かった。前日ギネスブックにも掲載されるような22万人動員のイタリア人ロック・シンガーソング歌手のコンサートが開催されたモデナを再び通り、ボロ―ニャには4時20分に到着。まだ日ざしが強烈だった。(写真はリミニのアウグストゥス凱旋門)
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駅で明日の空港行きのバスの発着場所をチェック。駅を背にして広場の左側にあった。チケットも買っておこうと思ったが、自動販売機の横にジプシーの女性が張り付いて、勝手にアドバイスし、日銭を稼いでいる様子が見てとれたので、やめて、ホテルに向かった。ミュンヘン空港の地下鉄乗り場にも同じような人達がいたのを思い出した。親切の押し売りは嫌なものだ。すこし迷って遠回りしたので20分ほど歩いて、今夜のホテル(Nuovo Hotel Del Porto)に到着。
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サンマリノでも歩いたし、その後列車での移動とハードなスケジュールだったので、ホテルに着いた時はほっとした。なかなかきれいな部屋で満足。しばらく部屋で休憩し、部屋で軽い夕食後さっそく夜景を見に町に出かけた。
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ホテルのあるところから旧市街の中心部に向かう建物の壁には落書きがひどかった。この落書きで町の印象が悪くなるのに。
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メインストリートでは家族連れのデモ隊に出会った。垂れ幕によるとEUからの離脱を訴えるデモのようだ。
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メインストリートを行くと2つの塔(Le Due Torri)が見えてきた。アジネッリ塔とガリゼンダの塔だ。
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傾いているというがどうだろう?実際は低いガリゼンダの塔のほうが傾いているという。以前は高さ60mあったのが、傾いて危ないので、削られ現在は48mの高さだそうだ。
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サン・ペトロニオ大聖堂. なんだかへんてこな形だと思ったら、ファサードの上半分が未完のまま。予算がつかなかったため、未完のままだそうだ。
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スクリーンを使う催しもの(Sattole stelle del Cinema)があるようで、多くの人達が開始を待っていた。
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途中きれいなショッピングモールのようなものの前を通過。
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アジネッリ塔の真下に到着。見上げるほど高い。高さは97mあり、498段の階段を登って上までいけるそうだが、今は階段が封鎖されていて、上には登れない。
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これらの塔は、12世紀から13世紀に作られた100本もの塔のうち、現存する塔のうち代表的な塔で、ボローニャのシンボルになっている。それぞれ所有者の名前がつけられ権力と資力を誇示するために作られたという。
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一方に夕日が当たり始めたところ。
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夕日が当たり、まわりが暗くなるまで、広場の椅子に座って待つことに。その前に今回の旅行最後と思ってアイスを買って食べる。
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私のアイスはココナッツと上のは何だったか忘れてしまった。
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完全に夕日が当たった塔。これは曲がって見える写真。
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塔のそばに立つボロ―ニャ出身でボロ―ニャ大学を卒業、さらにボローニャ大学の法学部の教授をして、後教皇になったグレゴリオ13世の像。
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夕日も沈み暗く成って来たので、ホテルに戻ることに。時刻は9時過ぎ。
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振り返って。
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エンツォ王宮殿の立派な建物の前を通り、
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再びマッジョーレ広場に戻ってきた。市庁舎はすっかり陰になってしまっていた。
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市庁舎入り口の上にもグレゴリオ13世の像。
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市庁舎の横の広場では、先ほどのデモ隊が、灯りを点して集まっていた。
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市庁舎から駅に向かうメインストリート沿いには、見上げるほどりっぱな大聖堂(Cattedrale di San Pietro)が立っていた。来るときは下の方が陰になっていたが、この時間には順光で美しかった。
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もうすっかり灯りがともされたメインストリート。
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7月3日、今日も欲張って食べきれないほど皿にとってしまった。日本に帰った時体重計にのるのが恐怖だ。
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チェックアウト後バックをホテルに預け、再度旧市街へ。夕方通り過ぎるだけだった立派なサンピエトロ大聖堂の中を見学。白を基調にしたシックな内装。
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正面。
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レンガ色の美しいアーケードが続くメインストリートを歩き、旧市街中心部へ。
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今日は塔も順光で影もなくきれいに見えた。
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広場の観光名所のネプチューンの噴水は工事中で、中ものぞけない。これだけが心残りだった。
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上からの眺めを撮影したポスターが貼ってあった.教会のテラスから撮影されたものかと思われるが、登ってこの目で見たかった。残念。
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青空に赤いレンガ色の市庁舎の建物も美しかった。
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今日はまだ人もまばらな広場。左手にサン・ペトロニオ大聖堂。
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サン・ペトロニオ大聖堂から見たマッジョーレ広場。
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サン・ペトロニオ大聖堂の正面入り口上の彫刻。これは初期ルネサンスの傑作の一つで、ヤコポ・デッラ・クエルチャが12年もかけて彫り上げたものだそうだ。聖母マリアとキリストを聖ペテオニオと聖アンブロージュが守っているという。
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大聖堂内部。ゴシック様式で建てられている。内部は一応撮影禁止になっているが、実際には撮影料(たぶん2ユーロ)を払えば、撮影することができる。
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天井や壁の装飾はない。
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美しいステンドグラス。
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祭壇の拡大。
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色のきれいなステンドグラス。
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同上。
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太い柱に圧倒される。
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天蓋が素晴らしい。
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側面。
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一部剥げかかった壁画も。
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大聖堂の見学を終えてから、ポロ―ニャ大学へ。どこにあるのか場所がわかりにくかった。うろうろしたとき通りかかったアーケードのきれいな建物。ボロ―ニャはアーケードが美しい。
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天井部分が美しいアーケード街。
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同上。
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何度か人に聞いて、探すことができた。なんとサン・ペトロニオ大聖堂の裏手にあった。この赤い旗が目印。旧ボロ―ニャ大学があったアルキジンナージオ宮殿だ。表示にはアルキジンナージオ宮殿の図書館とあった。
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宮殿入り口。
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入り口の天井部分。
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中庭を囲む柱廊部分の天井。
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柱廊部分の天井絵を拡大して。
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ボロ―ニャ大学は、1088年創立のヨーロッパ最古の大学で、ここは旧ボロ―ニャ大学。1562年から1563年にアルキジンナージオ宮殿が建設されたという。中庭を美しい柱廊が取り囲んでいる。
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同上。
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ここが2階にある解剖学教室に向かう階段の入り口。ここから階段への装飾がすごかった。
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階段内部の装飾その1。
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その2.
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その3.
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階段を上がった後の廊下には、学生たちの紋章が一面に飾られていた。
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同上。
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隙間もないくらい飾られた紋章。
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10時からの開場が何かの撮影で遅れ、入り口で少し待たされた。ようやく入場料を払って入場できた人体解剖室。教室内部は木で作られていた。観光客は皆階段状の椅子に腰かけ、当時の学生になったつもりで見学していた。
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当時使われた大理石の解剖台。ここで世界で最初に人体解剖が行われていたのだ。
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正面の教壇。階段状になった椅子に座って撮影。
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天井には木彫りの像。
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天井に施された木彫りの像の一つ。
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教壇と周囲の木彫りの像。
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皮を剥がれた人の立像の一つ。
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もう一つの皮を剥がされた人の立像。
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展示されていた解剖の本。
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図書館の入り口。私達観光客は入れなかった。
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ここホールだけは入場券を提示すれば入れた。
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壁一面に紋章。
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こちらの壁にも紋章。
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同上。
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同上。
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図書室。入れないので隙間から撮影。
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同上。
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破壊された宮殿の写真。ナチス軍が拠点にしていたので、連合軍の爆撃によるものだろう。よくぞここまで修復したものだ。
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コムナーレ宮だったところ。今は市庁舎。
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市庁舎の中には自由に入れた。入ったところはモダンな内装で、モダンなイタリア家具が置かれていた。この中で美術展が開催されていたが、今回はパス。
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部屋のひとつに飾られた絵画。
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上階の窓から見えた中庭。
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中庭の周りの柱。かなり太く、美しい。
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だいぶ歩き回ったので、アイスで一服。これが本当の最後になった。
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アイスですっかり疲労回復。5分ほど歩いてホテルへ。バックを受け取り、涼しいロビーで休憩してから、駅へ向かった。今度はメインストリートを歩いたので、10分程で駅に着いた。
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駅前から出る空港行きバスにぎりぎり間に合った。前日自動販売機でチケット売場に張り付いていたジプシーと思われる女の人は幸いにもいなかったが、出発時間が気になったので、車内で購入。なんとか二人とも座れたが、ぎりぎりで来た人達は座れず、1時間近く立っぱなし。この路線は混むので、早めに来て、席を確保しておいたほうがいいと思う。
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ボロ―ニア空港にはプライオリティパスで入れるラウンジがあり、けっこうゆったりしていた。エミレーツ航空での飛行で、ドバイでの乗り継ぎ時間が8時間。ホテルに泊まるにはいそがしすぎるということで、ラウンジで過ごすことに。この場合受付時にパスポートを預けなければならず、4時間後に再受付。その時にはパスポートを返してもらえた。パスポートが人質になっているので、ゆっくり寝ていられず、おちつかなかった。なんとか時間をつぶし、時間通り羽田へ。羽田に着いたのが 夜の10時40分ごろで、その日のうちに最寄り駅まで行きつけるかどうか不安だった。バゲージクレームではなかなか荷物が出て来ず、30分以上も待って最後の方で出てきた。税関申告のところでも長蛇の列で、到着ロビーに出てバスのチケット売り場に着いたのが、12時近く。あきらめかけていたらなんとまだ最寄り駅手前の駅まで行く最終バスがあった。夜で道が空いていたので、予定より早く駅に着き、だめもとで電車の改札口まで行ってみたら、最終が出るところだからチケットを持たずに乗るようにと言われ、ホームに駆け込んで、無事最寄駅まで乗ることができた。タクシーで家に着いたのが真夜中の1時。今度この便に乗るときは、機内持ち込みだけにしようと心に誓ったのだった。最後はばたばただったが、全体としてはいい旅だった(終わり)。
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