2017/07/24 - 2017/07/24
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首里城跡と園比屋武御嶽石門、玉陵が、世界遺産に登録されています。
首里城跡
世界遺産に登録されたグスクの中でもひときわ目立っているのが首里城
跡です。尚巴志が琉球を統一した頃には、すでに歴史の表舞台に登場し
ていました。その後、450年近くの王国の政治、外交、文化の中心地と
なりました。
首里城正殿は、沖縄最大の木造建築物ということだけではなく、日本
と中国の建築様式を見事に取り入れた当時の人々の知恵と、沖縄文化の
独自性をもっともよく表わしています。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
守礼門のわきにある石門と周辺一帯の森を「御嶽(うたき)」とよんで
います。 国王が首里城から出かける時は、ここ園比屋武御嶽石門で道
中の安全を祈願していました。
玉陵(たまうどぅん)
第二尚氏王統歴代の陵墓で、1501年頃、三代目の王、尚真(しょうし
ん)が創建したと伝えられています。周囲は石垣で囲まれ、墓室は東西
に連なる自然の崖壁に穴をあけ、連続した3つの室が造られ、東室は洗
骨後の王と王妃の遺骨を、中室は洗骨前の遺体を、西室にはその他の
家族の遺骨を安置しました。
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「玉陵(たまうどぅん)」は、世界遺産に登録されています。
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「玉陵奉円館(たまうどぅんほうえんかん)」の地下1階、玉陵資料館の展示風景です。
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玉陵の解説と尚円王(しょうえんおう)・尚真王(しょうしんおう)の御後絵(肖像画)です。
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墓室の平面図です。
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被葬者の一覧表です。
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「玉陵」に向かいます。
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玉陵前の拝所です。
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第二尚氏王統歴代の陵墓で、尚真王が1502年に創建したと伝えられています。
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墓陵内は琉球石灰岩の高い石垣によって囲まれており、すべての庭には珊瑚砂利が敷きつめられています。
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「玉陵」には、左から東室、中室、西室と並んでいます。
東室には;洗骨後の王と王妃の遺骨を安置、中室には;洗骨前の遺体を安置、西室には;その他の家族の遺骨を安置しています。 -
「東の御番所(あがりのうんばんしょ)」です。
法事や墓参りには、国王の休憩所として使用されました。 -
首里城案内図です。
首里城跡(しゅりじょうあと)は、世界遺産に登録されています。 -
「首里杜館(すいむいかん)」は、首里城公園のインフォメーションセンターです。総合案内、情報展示室、レストラン、売店、地下には駐車場が有ります。
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「守礼門(しゅれいもん)」です。
門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれています。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味です。 -
守礼門を裏から見ています。
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「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」は、世界遺産に登録されています。国王が外出するときに安全祈願をした「礼拝所」です。
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「歓会門(かんかいもん)」です。
首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門です。「歓会(かんかい)」とは歓迎するとい意味で、往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれましたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられました。 -
瑞泉門とその周辺の城壁です。
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「瑞泉門(ずいせんもん)」です。
門の手前右側にある湧水が「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれ、それにちなんで名付けられました。別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいいます。 -
「日影台(にちえいだい)」です。
日時計です。水時計の補助的な道具として使われていました。 -
「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」です。
鐘には「琉球国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国、日本との間にあって、船を万国の架け橋とし、貿易によって栄える国である。」という主旨の銘文が刻まれており、往時の海洋王国としての誇らしい心意気が示されています。 -
久慶門(右)・歓会門(左)と那覇市街が見渡せます。
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「広福門(こうふくもん)」です。
「広福(こうふく)」とは、「福を行き渡らせる」という意味です。別名「長御門(ながうじょう)」ともいいます。 -
「下之御庭(しちゅぬうなー)」です。
正殿前で行われる様々な儀式の控え場でした。右奥の灌木の茂った所が「首里森御嶽(すいむいうたき)」です。 -
「奉神門(ほうしんもん)」です。
「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいいます。 -
「正殿(せいでん)」と「御庭(うなー)」です。
正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物です。「御庭(うなー)」は首里城の中心部でり、 正面が「正殿」、向かって右(南側)が「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」、左(北側)が「北殿(ほくでん)」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」といいます。 -
正殿正面屋根の龍の彫刻です。
龍は国王の象徴です。 -
「番所(ばんどころ)」と「南殿(なんでん)」です。
「番所」は首里城へ登城してきた人々の取次を行った所で、「南殿」は日本風の儀式が行われた所です。 -
「北殿(ほくでん)」です。
王府の行政施設として機能し、表15人衆(大臣)や筆者、里之子(さとぅぬし)と呼ばれる役人等が働いていました -
「書院(しょいん)」です。
書院は国王が日常の執務を行った、御書院(ごしょいん)と言われる広間がある建物で、取次役や近習などの側近の者がその周囲に控えていました。 -
「奥書院(おくしょいん)」です。
奥書院は国王が執務の合間に休息した場所です。 -
奥書院の庭です。
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首里城の正殿2階は絢爛豪華です。
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「2階の御差床(うさすか)」です。
国王が座る玉座で、尚真王(在位;1477~1526年)の御後絵(肖像画)をもとに再現されました。 -
「玉御冠」です。
これは複製です。 -
「琉球国王印」です。
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「1階の御差床」と「おちょくい(階段)」です。
中央に政治や儀式の際に国王が出御(しゅつぎょ)する玉座があり、左右には国王の子や孫が着座した「平御差床(ひらうさすか)」があります。裏側には二階に通じる階段があり、国王はこの階段を降りて御差床につきました。 -
首里城正殿跡の遺構が覗けます。
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御庭の機能の説明です。
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朝拝御規式模型(正月儀式)です。
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冊封儀式模型(中国皇帝が琉球国王を任命する儀式)です。
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シーサーは、降魔除災の守護神です。
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「久慶門」と「歓会門」です。
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「久慶門(きゅうけいもん)」です。
別名「ほこり御門(うじょう)」ともいい、歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用していました。 -
久慶門とその周辺の城壁です。
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「円覚寺跡(えんかくじあと)」です。
円覚寺は1494年に創建された沖縄における臨済宗(りんざいしゅう)の総本山で、第二尚氏王統歴代国王の菩提寺でした。 -
「弁財天堂(べんざいてんどう)」と「円鑑池(えんかんち)」です。
「弁財天堂」は航海安全を司る水の女神・弁財天を祀っています。「円鑑池」は1502年に造られた人工池で、首里城や円覚寺からの湧水・雨水が集まる仕組みになっています。 -
「龍潭(りゅうたん)」です。
1427年に造られた人工の池で、庶民がくつろげる名勝の地でした。 -
アカギの大木です。
この周辺は戦前、高さ10m以上の鬱蒼としたアカギの林でした。
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