その他の観光地旅行記(ブログ) 一覧に戻る
5月26日(金):9日目<br /><br />午前中は、宝鶏を経て五丈原へ移動し、五丈原を観光(予定)<br />午後は、西安へ移動<br /><br />しかし、五丈原へ行く途中、バスが故障したため、五丈原に行くことができず、代替バスで漢中に戻り、深夜、タクシーで西安に移動。深夜、3時頃到着。

魏・呉・蜀の英雄の面影をたどり歴史のスケールを体感する三国志12日間の旅(その8)

9いいね!

2017/05/18 - 2017/05/29

74位(同エリア197件中)

0

31

ラブラー

ラブラーさん

5月26日(金):9日目

午前中は、宝鶏を経て五丈原へ移動し、五丈原を観光(予定)
午後は、西安へ移動

しかし、五丈原へ行く途中、バスが故障したため、五丈原に行くことができず、代替バスで漢中に戻り、深夜、タクシーで西安に移動。深夜、3時頃到着。

旅行の満足度
4.5
観光
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • 漢中の郵政大酒店からの市内の景色。

    漢中の郵政大酒店からの市内の景色。

  • 漢中は2000年前から有名な中国の町で、良く中国の歴史にも出てきます。<br />市内には大きなビルも建っています。

    漢中は2000年前から有名な中国の町で、良く中国の歴史にも出てきます。
    市内には大きなビルも建っています。

  • 東の空が明るきなってきました。<br />あの方向に日本があるのですね。

    東の空が明るきなってきました。
    あの方向に日本があるのですね。

  • 朝一番に、市内見学に行きましたが、まだ開いていませんでした。<br />

    イチオシ

    朝一番に、市内見学に行きましたが、まだ開いていませんでした。

  • ここは、劉邦が漢中にいた時に王府があった場所で、今は、博物館になっています。

    ここは、劉邦が漢中にいた時に王府があった場所で、今は、博物館になっています。

  • 市内をブラついていると、掃除のおばさんが道路を掃除していました。御苦労さま。<br />最近は、中国の地方都市でもきれいになってきました。

    市内をブラついていると、掃除のおばさんが道路を掃除していました。御苦労さま。
    最近は、中国の地方都市でもきれいになってきました。

  • 前日に見学予定だった、漢中博物館を見学しました。

    イチオシ

    前日に見学予定だった、漢中博物館を見学しました。

  • ここには、曹操が書いたと言われる拓本が展示されています。<br />

    ここには、曹操が書いたと言われる拓本が展示されています。

  • 博物館内は、庭園にもなっています。

    博物館内は、庭園にもなっています。

  • 博物館に入ります。

    博物館に入ります。

  • いろいろな拓本が展示されています。<br />

    イチオシ

    いろいろな拓本が展示されています。

  • 三国志演義では、曹操は、悪役として書かれていますが、文人としても有名だったのですよ。

    三国志演義では、曹操は、悪役として書かれていますが、文人としても有名だったのですよ。

  • この拓本の説明が日本語で書かれていました。

    この拓本の説明が日本語で書かれていました。

  • 漢中の旅行の名所が書かれていました。

    漢中の旅行の名所が書かれていました。

  • この後、岐山県にある五丈原にバスで移動(300km、約6時間)。<br />左の山の中腹の古桟道が見えます。<br />前方にはダムがあります。

    この後、岐山県にある五丈原にバスで移動(300km、約6時間)。
    左の山の中腹の古桟道が見えます。
    前方にはダムがあります。

  • 下にも古桟道が見えます。

    下にも古桟道が見えます。

  • こんな山の中にも高速道路を建設中です。<br />現代の新桟道ですね。

    こんな山の中にも高速道路を建設中です。
    現代の新桟道ですね。

  • すごいですね。<br />この高速道路ができたが、五丈原まで、6時間もかからないでしょうね。

    すごいですね。
    この高速道路ができたが、五丈原まで、6時間もかからないでしょうね。

  • 途中の道路工事のため約30分位足止め。

    途中の道路工事のため約30分位足止め。

  • 向こうの山をくりぬいて高速道路を2本造っています。<br />まだ、開通していないようです。

    向こうの山をくりぬいて高速道路を2本造っています。
    まだ、開通していないようです。

  • ここから約30分走った所で、12時頃にバスが故障し、止まってしまいました。<br />

    ここから約30分走った所で、12時頃にバスが故障し、止まってしまいました。

  • 周りは山の中で何もありません。<br />しかし、空は青空できれいです。

    周りは山の中で何もありません。
    しかし、空は青空できれいです。

  • すぐ近くには川も流れており、のどかな風景です。<br />

    すぐ近くには川も流れており、のどかな風景です。

  • バスはこの場所で約7時間止まっていたので、男性はこの河原で用足しをしました。2人の添乗員さんとガイドさんは歩いて戻り、途中のガソリンスタンドで昼食を仕入れて戻ってきました。<br />バスの運転手は、近くの町まで故障した部品の調達に行きましたが、部品は見つからず、代わりのバスを西安から呼び寄せました。そのためバスは、夕方6時頃到着し、漢中に戻り、西安に向うことになりました。旅行会社、ガイドさん、添乗員さんは苦労されたようです。そのため、今回は泣いて馬謖を切るとして有名な五丈原には行けませんでした。我々は、泣いて五丈原の観光を断念しました。

    バスはこの場所で約7時間止まっていたので、男性はこの河原で用足しをしました。2人の添乗員さんとガイドさんは歩いて戻り、途中のガソリンスタンドで昼食を仕入れて戻ってきました。
    バスの運転手は、近くの町まで故障した部品の調達に行きましたが、部品は見つからず、代わりのバスを西安から呼び寄せました。そのためバスは、夕方6時頃到着し、漢中に戻り、西安に向うことになりました。旅行会社、ガイドさん、添乗員さんは苦労されたようです。そのため、今回は泣いて馬謖を切るとして有名な五丈原には行けませんでした。我々は、泣いて五丈原の観光を断念しました。

  • 漢中で夕食をとり、夜中はバスが高速道路を走れないため、漢中からはタクシーで高速道路を使い西安に向いました。タクシーは午前3時頃、西安の古都文化大酒店に到着。タクシーの運転手さん御苦労さま。<br />ホテルは立派でしたが、朝6時にホテルを出発するので、約2時間の仮眠でした。<br />約5年前にも西安に来ていますが、今回は三国志とは関係ないので、兵馬陵等の見学はありません。<br />なお、五丈原に行けなかったので、後日、旅行会社からその説明と3万円が返金されました。<br />

    漢中で夕食をとり、夜中はバスが高速道路を走れないため、漢中からはタクシーで高速道路を使い西安に向いました。タクシーは午前3時頃、西安の古都文化大酒店に到着。タクシーの運転手さん御苦労さま。
    ホテルは立派でしたが、朝6時にホテルを出発するので、約2時間の仮眠でした。
    約5年前にも西安に来ていますが、今回は三国志とは関係ないので、兵馬陵等の見学はありません。
    なお、五丈原に行けなかったので、後日、旅行会社からその説明と3万円が返金されました。

  • 写真の本名、下の資料の10、13、19.<br />(三国志の資料)<br /><br /><三国志について><br /> 三国志は、約1800年前の中国の時代のことで、紅巾の乱が起こった西暦184年から晋が天下を統一し魏・呉・蜀時代が終了した280年までの約100年間を指す場合と、魏・呉・蜀が成立した221年からの約60年間を指す場合がある。<br /> 三国志には、3世紀の西晋の陳寿が書いた歴史書、「正史三国志」と14世紀に羅貫中が書いた歴史小説、「三国志演義」がある。日本では、江戸時代に書かれた湖南文山訳の「通俗三国志」と初和の時代に書かれた吉川英治著の「三国志」があるが、これらは、「三国志演義」を土台にしたものである。<br /> <br /><三国志のあらすじ><br /> 西暦180年頃、豪族の土地占有や飢餓などで、農民たちの生活は苦しい状況であった。そのような時、184年に張角が新興宗教・太平道を創設し、信者を集め「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」というスローガンを立て、漢に宣戦布告し、信者は黄色い頭布を巻いて暴徒化し、いわゆる黄巾の乱が起こった。漢は、反乱軍の鎮圧に討伐軍を結成し、後の三国志に登場する曹操や劉備もこの討伐軍に参加した。185年に張角が病死すると、反乱は鎮圧され、漢の時代から軍雄割拠の時代へと移って行った。<br /> 紅巾の乱の後、董卓は首都洛陽に入り、幼い献帝を擁立した。これに反対する袁招や袁術らは、反董卓の連合軍を作ると、190年に董卓は洛陽に火を放ち、長安(現在の西安)に遷都した。<br />191年に董卓軍と反董卓軍は虎牢関で戦い、192年に、王允と呂布は董卓を殺害した(連環の計)。董卓が殺害されると、連合軍は解散し、群雄割拠となる。<br /> 198年、呂布が刑死し、199年、袁術病死、200年に曹操と袁招の官渡の戦いが有り、少数の曹操が大勝利を挙げる。202年、袁招が死亡し、袁氏一族は滅亡した。<br />この間、紅巾の乱が起こった時、劉備は、関羽、張飛と出あい、「桃園の契り」を結び、義兄弟となり、これからの三国志を面白くしていくことになる。しかし、劉備らは、根拠地を持たないため、いろいろな武将の下で働くが、成功せず、劉張のいる荊州(現在の湖北省、襄樊市)に落ちのびた。207年、荊州の隆中には、諸葛孔明や龍統(ほうとう)士元らがおり、劉備は三顧の礼を尽くして、諸葛孔明を部下として迎えた。この時、孔明は、「天下三分策」を説いたとされる。<br />208年、劉表が病死し、後継ぎの劉宗は曹操に降伏し、劉備は長阪の戦いで大敗する。劉備は、孔明及び孫権の武将、周瑜・魯粛(ろしゅく)の策によって、劉備と孫権の同盟が成功する。華北を統一した曹操は、天下統一を夢見て大軍を率いて南下するが、赤壁の戦いで大敗し、魏に逃げ帰る。この時、関羽の軍に見つかってしまうが、関羽は一時曹操の下で庇護を受けていたため、見逃してしまう。209年に、劉備は、孫権の妹と結婚する。210年、呉の将軍、周瑜が若くして病死する。214年に劉備の軍師、龍統(ほうとう)が劉備の身代わりで戦死し、劉備は益州(蜀)を制圧した。216年に、曹操は魏王になり、219年、劉備は漢中王と称し、221年に蜀漢を建国した。また、219年には、関羽が荊州で、曹仁、呂蒙らとの戦いで負け、殺されてしまう。その時の首が魏の曹操に送られたが、曹操は、非常に悲しみ手厚く葬ったそうである。<br />220年に曹操が病死し、曹丕(そうひ)が劉協(献帝)から禅譲され、魏帝国を建国した。221年に孫権が呉王になり、これで、「天下三分策」の三国が成立した。<br />この年、張飛は、部下に暗殺されてしまう。222年、関羽を殺された劉備は、孔明から忠言を聞かず、「桃園の契り」を守り、関羽の敵を討つため、呉に出兵し孫権の陸遜と戦う(夷陵の戦い)が大敗し、白帝城に戻るが、223年に劉備は病死し、息子の劉禅が即位する。<br /> 225年、魏を攻める前に、南の蛮族を制圧するために諸葛孔明は南征を行う。<br />227年、蜀の諸葛孔明は第一次北伐を行う。228年第二次北伐(街亭の戦い)、229年第三次北伐、超雲病死、231年第四次北伐、234年第五次北伐(五丈原の戦い)で、諸葛孔明急死、238年、日本の卑弥呼が、魏に朝貢(魏志倭人伝)、247年蜀、北伐を再開、255年蜀、北伐、257年蜀、北伐、263年、蜀漢滅亡、265年、曹奐(元帝)、司馬炎に禅譲。晋帝国建国。280年、呉の孫皓が晋に降伏。晋が天下を統一し、三国時代が終わる。<br /><br /><三国志のビデオ及び参考書><br /><br /><ビデオ・DVD><br />1.	守屋 洋監修:三国志演技(ビデオ)、中国中央電視台製作<br />2.	三国志ノーカット版84集(上記のノーカット版):東京カルチャーセンター<br />3.	三国志、DVD&データファイル:講談社<br />4.	横山光輝:三国志(漫画)、㈱光プロダクション、販売元:紀伊国屋書店<br />5.ジョン・ウー版:レッドクリフ(講談社)⇒映画<br /><本><br />1.	人物 中国の歴史5、三国志の世界:集英社、1981年<br />2.	渡辺精一:三国志人物事典、講談社、1989年<br />3.	庄威著、岡田陽一訳:三国志、三一書房、1990年<br />4.	殷占堂編書、施勝辰画:三国志(中国伝説の中の英傑):岩崎美術社、1999年<br />5.	桐野作人:破・三国志(1)、学習研究社、1995年<br />6.	桐野作人:破・三国志(2)、学習研究社、1995年<br />7.	桐野作人:破・三国志(3)、学習研究社、1995年<br />8.	三好 徹著、村上 豊画:興亡三国志(1)集英社、1989年<br />9.	別冊宝島編集部編:あらすじで読む三国志、宝島社、2008年<br />10. 加来耕三著、横山光輝画:三国志裏読み人間学、実業之日本社、1994年<br />11. 渡辺精一監修:1冊でわかる イラストでわかる図解 三国志、成美堂出版、2010年<br />12.歴史人別冊:三国志の真実、KKベストシリーズ、2011年<br />13.原 虎彦著、横山光輝画:超意訳三国志、宝島社、2015年<br />14.狩野直禎:60分で名著解読 三国志:日本経済新聞社、2016年 <br />15.井波律子:史記・三国志英雄列伝、潮出版社、2015年<br />16.守屋 洋:三国志の英雄実説 諸葛孔明、PHP研究所、1991年<br />17.寺尾善雄:諸葛孔明の生涯、旺文社、1983年<br />18.中村 愿:三国志曹操伝、新人物往来社、2007年<br />19.坂口和澄:三国志検定、青春出版社、2006年<br />20.内田重久:それからの三国志(上)、文芸社文庫、2011年<br />21. 内田重久:それからの三国志(下)、文芸社文庫、2011年<br />

    写真の本名、下の資料の10、13、19.
    (三国志の資料)

    <三国志について>
     三国志は、約1800年前の中国の時代のことで、紅巾の乱が起こった西暦184年から晋が天下を統一し魏・呉・蜀時代が終了した280年までの約100年間を指す場合と、魏・呉・蜀が成立した221年からの約60年間を指す場合がある。
     三国志には、3世紀の西晋の陳寿が書いた歴史書、「正史三国志」と14世紀に羅貫中が書いた歴史小説、「三国志演義」がある。日本では、江戸時代に書かれた湖南文山訳の「通俗三国志」と初和の時代に書かれた吉川英治著の「三国志」があるが、これらは、「三国志演義」を土台にしたものである。
     
    <三国志のあらすじ>
     西暦180年頃、豪族の土地占有や飢餓などで、農民たちの生活は苦しい状況であった。そのような時、184年に張角が新興宗教・太平道を創設し、信者を集め「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」というスローガンを立て、漢に宣戦布告し、信者は黄色い頭布を巻いて暴徒化し、いわゆる黄巾の乱が起こった。漢は、反乱軍の鎮圧に討伐軍を結成し、後の三国志に登場する曹操や劉備もこの討伐軍に参加した。185年に張角が病死すると、反乱は鎮圧され、漢の時代から軍雄割拠の時代へと移って行った。
     紅巾の乱の後、董卓は首都洛陽に入り、幼い献帝を擁立した。これに反対する袁招や袁術らは、反董卓の連合軍を作ると、190年に董卓は洛陽に火を放ち、長安(現在の西安)に遷都した。
    191年に董卓軍と反董卓軍は虎牢関で戦い、192年に、王允と呂布は董卓を殺害した(連環の計)。董卓が殺害されると、連合軍は解散し、群雄割拠となる。
     198年、呂布が刑死し、199年、袁術病死、200年に曹操と袁招の官渡の戦いが有り、少数の曹操が大勝利を挙げる。202年、袁招が死亡し、袁氏一族は滅亡した。
    この間、紅巾の乱が起こった時、劉備は、関羽、張飛と出あい、「桃園の契り」を結び、義兄弟となり、これからの三国志を面白くしていくことになる。しかし、劉備らは、根拠地を持たないため、いろいろな武将の下で働くが、成功せず、劉張のいる荊州(現在の湖北省、襄樊市)に落ちのびた。207年、荊州の隆中には、諸葛孔明や龍統(ほうとう)士元らがおり、劉備は三顧の礼を尽くして、諸葛孔明を部下として迎えた。この時、孔明は、「天下三分策」を説いたとされる。
    208年、劉表が病死し、後継ぎの劉宗は曹操に降伏し、劉備は長阪の戦いで大敗する。劉備は、孔明及び孫権の武将、周瑜・魯粛(ろしゅく)の策によって、劉備と孫権の同盟が成功する。華北を統一した曹操は、天下統一を夢見て大軍を率いて南下するが、赤壁の戦いで大敗し、魏に逃げ帰る。この時、関羽の軍に見つかってしまうが、関羽は一時曹操の下で庇護を受けていたため、見逃してしまう。209年に、劉備は、孫権の妹と結婚する。210年、呉の将軍、周瑜が若くして病死する。214年に劉備の軍師、龍統(ほうとう)が劉備の身代わりで戦死し、劉備は益州(蜀)を制圧した。216年に、曹操は魏王になり、219年、劉備は漢中王と称し、221年に蜀漢を建国した。また、219年には、関羽が荊州で、曹仁、呂蒙らとの戦いで負け、殺されてしまう。その時の首が魏の曹操に送られたが、曹操は、非常に悲しみ手厚く葬ったそうである。
    220年に曹操が病死し、曹丕(そうひ)が劉協(献帝)から禅譲され、魏帝国を建国した。221年に孫権が呉王になり、これで、「天下三分策」の三国が成立した。
    この年、張飛は、部下に暗殺されてしまう。222年、関羽を殺された劉備は、孔明から忠言を聞かず、「桃園の契り」を守り、関羽の敵を討つため、呉に出兵し孫権の陸遜と戦う(夷陵の戦い)が大敗し、白帝城に戻るが、223年に劉備は病死し、息子の劉禅が即位する。
     225年、魏を攻める前に、南の蛮族を制圧するために諸葛孔明は南征を行う。
    227年、蜀の諸葛孔明は第一次北伐を行う。228年第二次北伐(街亭の戦い)、229年第三次北伐、超雲病死、231年第四次北伐、234年第五次北伐(五丈原の戦い)で、諸葛孔明急死、238年、日本の卑弥呼が、魏に朝貢(魏志倭人伝)、247年蜀、北伐を再開、255年蜀、北伐、257年蜀、北伐、263年、蜀漢滅亡、265年、曹奐(元帝)、司馬炎に禅譲。晋帝国建国。280年、呉の孫皓が晋に降伏。晋が天下を統一し、三国時代が終わる。

    <三国志のビデオ及び参考書>

    <ビデオ・DVD>
    1. 守屋 洋監修:三国志演技(ビデオ)、中国中央電視台製作
    2. 三国志ノーカット版84集(上記のノーカット版):東京カルチャーセンター
    3. 三国志、DVD&データファイル:講談社
    4. 横山光輝:三国志(漫画)、㈱光プロダクション、販売元:紀伊国屋書店
    5.ジョン・ウー版:レッドクリフ(講談社)⇒映画
    <本>
    1. 人物 中国の歴史5、三国志の世界:集英社、1981年
    2. 渡辺精一:三国志人物事典、講談社、1989年
    3. 庄威著、岡田陽一訳:三国志、三一書房、1990年
    4. 殷占堂編書、施勝辰画:三国志(中国伝説の中の英傑):岩崎美術社、1999年
    5. 桐野作人:破・三国志(1)、学習研究社、1995年
    6. 桐野作人:破・三国志(2)、学習研究社、1995年
    7. 桐野作人:破・三国志(3)、学習研究社、1995年
    8. 三好 徹著、村上 豊画:興亡三国志(1)集英社、1989年
    9. 別冊宝島編集部編:あらすじで読む三国志、宝島社、2008年
    10. 加来耕三著、横山光輝画:三国志裏読み人間学、実業之日本社、1994年
    11. 渡辺精一監修:1冊でわかる イラストでわかる図解 三国志、成美堂出版、2010年
    12.歴史人別冊:三国志の真実、KKベストシリーズ、2011年
    13.原 虎彦著、横山光輝画:超意訳三国志、宝島社、2015年
    14.狩野直禎:60分で名著解読 三国志:日本経済新聞社、2016年 
    15.井波律子:史記・三国志英雄列伝、潮出版社、2015年
    16.守屋 洋:三国志の英雄実説 諸葛孔明、PHP研究所、1991年
    17.寺尾善雄:諸葛孔明の生涯、旺文社、1983年
    18.中村 愿:三国志曹操伝、新人物往来社、2007年
    19.坂口和澄:三国志検定、青春出版社、2006年
    20.内田重久:それからの三国志(上)、文芸社文庫、2011年
    21. 内田重久:それからの三国志(下)、文芸社文庫、2011年

この旅行記のタグ

9いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 273円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP