2017/06/30 - 2017/06/30
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belleduneさん
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初めて沼津御用邸を訪れて、西付属邸内部を見てきました。沼津御用邸は、明治26年(1893)に大正天皇(当時は皇太子)のご静養のための造営されました。御用邸とは、皇室が主として保養のために用いる別邸です。当時この辺りは、楊原村という漁村でした。駿河湾に面しており、富士山が望める風光明媚な場所であることから、別荘地として注目されました。明治政府の高官(大山巌陸軍大臣、川村純義海軍大臣、大木喬任文部大臣、西郷従道陸・海軍大臣)もこの辺りに別荘を持っていたので、治安などの面からこの地が御用邸造営になったと考えられています。皇孫殿下(昭和天皇、秩父宮殿下)の養育係として、川村純義伯爵が任されたことからもこれら4人の存在が大きかったのだそうです。敷地面積が約3030坪の川村大臣別邸が明治23年頃に木造平屋建で(建築面積は約266坪)建てられていました。明治38年にこの別荘を宮内省が買い上げて、御用邸としたそうです。現在の西付属邸の東部分、つまり謁見所、御食堂などのある部分に当たります。表紙の写真が、謁見所の隣の御食堂で、その椅子に御紋が印されています。
- 旅行の満足度
- 4.0
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小雨が降ったり、止んだりの天候でした。
昭和20年7月の空襲で、本邸は焼失しましたが、東西付属邸は、火災を免れ、昭和44年まで御用邸として使用されていました。昭和45年から沼津市管理となり、記念公園として整備されています -
明治25年末から明治26年にかけて、最初の新築工事が行われ、7月に完成しました。御座所(居間)、御寝室、御食堂、湯殿、臣下詰所など1200平方m(約370坪)の木造平屋建の和風建築でした。
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明治28年から29年にかけて、最初の新築工事が行われ、御座所が100坪ほど増築され、以前の御座所は、旧御殿に、新しい御座所が新御殿と区別されています。
その他、従医の詰所、女官室、御玉突所、牛舎、厩舎、馬場など建築面積も当初の2倍担っています。 -
明治33年1月に、260坪ほどの増築工事が行われ、11月に新御殿の東側に230平方m(約70坪)の初めての洋館が新築されています。木造平屋建て、下見張り、スレート葺きで、全体がルネッサンス様式を基調としているそうです。設計は、明治期の宮廷建築家・宮内省の片山東熊と河面徳三郎が担当しています。
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西付属邸玄関です。
昭和天皇は、天皇になられてからも日常のおくつろぎやお休みになれる時は、ここをよく利用され、本邸は面会などの公務に使われていたそうです。昭和20年、本邸が焼失した後は、西付属邸が本邸の役目を果たすようになり、昭和44年12月6日に沼津御用邸が廃止になるまで、昭和天皇をはじめ、皇室の方々に利用されていたということです。 -
玄関から右手を見ています。
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順路に沿って、見て廻ります。
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入ってすぐの中庭です。
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入れないところが各所にあり、うまく写真が撮れないところがありましたが、維持管理の面から当たり前のことですね。
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所々に草月会の生け花が設えてありました。
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先ほどの土砂降りで、ガラス戸や雨戸が少し閉められていましたが、少し小降りになった庭の風景です。
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先ず、右手が女官応接、左手が警衛内舎人(警衛係の部屋)となっています。
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女官応接の床の間方向。
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女官応接の中庭方向
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物置となっています。
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主膳室です。この平屋は、部屋の採光として、このような天窓が設えてあります。
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主膳室
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この自転車は、大正3年に昭和天皇が小学生の頃に乗っておられたものの複製です。
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その前の廊下部分
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調理室
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ここも、天井に明り取りがあります。
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洗面所
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奥は御不浄。
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洗面所から右手に進むとお風呂場だったところ。
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主厨(料理を作る人の部屋)
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内玄関です、後程外から見ます。
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次の部屋に展示してあった全景
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侍従候所に展示したある当初の各所部材
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カナダ発祥のボードゲーム『クロックノール』で、昭和天皇が幼少期に熱中して遊ばれたものだそうです。
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これがかの「さざれ石」です。
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侍従候所の部屋の欄間、廊下など
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御日拝室で、お祈りなどをされた部屋です。
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欄間
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部屋の内部
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床の間方向
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廊下廻り
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硝子も昔のものなので、歪みがたまらない...
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鴨居に付けられた御紋
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窓から見た主務官室ですが、入れません。
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主務官室から続く侍従候所前の廊下部分です。
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これがその廊下です。
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供進所(皇族の食事や盛付けや肺炎をした部屋)
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ピーナッツか、銀杏を3粒ですか。
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お蕎麦がお好きだったんですね。日本人は大多数がお蕎麦好きかな。
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御食堂。椅子は革張りで、御紋章が入っています。
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隣が謁見所になっています。謁見所は所謂応接間で、来客の面会に使った部屋です。
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謁見所
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御座所(居間)
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御座所の廊下部分
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並びの御寝室
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手前が御着替所です。
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傍にある洗面所
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1直線に並んだ御座所、御寝室、お着替え所の明かりのスイッチボタン
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珍しいですね。
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御玉突所への廊下
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ご玉突所内部
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御料浴室(湯殿)で浴槽はありません。外にある湯沸室からお湯を運んで体を洗っていたそうです。
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天井部分
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女官室にあった当時としては珍しいデジタル磁石卓上電話機です。明治30年(1897)、エポックを画し田母野と言われ、電話の実用価値と供に、デザイン面に細かい装飾が施されています。主として市内通話用だったようです。
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女嬬室(部屋の清掃、衣類の繕いをした女の人たちの部屋)
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ひと回りしてきました。
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中庭の皐月。品種は大盃、樹齢110年ほど。
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