2014/10/19 - 2014/10/19
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hide-bachさん
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(平泉駅)
藤原三代の栄耀を誇った平泉へ、
(一関学院高等学校 郷土史文化研究会企画)の芭蕉がたどる奥の舗装道)
奥の細道ならぬ奥の(ほそうみち)を高校生の案内で歩く企画。
打ってつけの企画だ。
ぐずるカミさんを連れて行くことにした。
そそっかしいボクのこと、何も見ずに申し込んでしまった。
申し込んでから気が付いたが、集合時間は平泉駅 朝8:45~9:15分。
東京の板橋から乗り物はどうする?
早速、時刻表を調べたら東北新幹線は、平泉駅には行かないことが分かった。
一ノ関駅で乗り換え、平泉に到着する。
- 交通手段
- タクシー 新幹線 JRローカル
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-
(一ノ関駅)
午前9:15分までに平泉駅集合となると、
(東京駅発6:04発やまびこ号→一ノ関駅8:36着、
一ノ関駅発9:00→平泉駅9:09着)
集合時間に間に合うギリギリセーフの時間だ。
東京駅に六時前に到着するには、地下鉄の一番電車5:08発しかない。
そのように計画した。
考えると西村京太郎の推理小説のような計画であった。
所が当日、朝4時起きのはずが、30分遅れてしまい東京駅には間に合わず、
急きょ大宮駅で計画と同じやまびこに乗るよう変更した。
東京から大宮に列車は6:30分に到着するからだ。
埼京線下り5:24分発の電車で大宮に到着、
余裕でやまびこを待った。
所がなんと、列車は、工事車両の故障で30分遅れになるという。
当然、一ノ関駅に30分遅れで到着するし、
一時間に一本しかない一ノ関駅から平泉駅に行く電車に乗り換えることが出来ない。 -
(平泉駅方面行の臨時電車)
仕方がない、高校生のガイドはなくても、地図さえあれば一人で歩くことはできる。
一ノ関駅に到着したら、改札口の駅員さんが、
「平泉方面行きの臨時列車を9:42分に出すことにしていますから、
その便をご利用ください。」という。 -
(駅からハイキングの面々)
平泉駅には行くことが出来るが、
JRの「駅からハイキング」には予約がしてあるから、
事情を話して「時間に間に合わない」連絡をしようと、
駅員さんに平泉駅の電話番号を聞いて電話すると、
平泉では、
「新幹線の遅れは承知していますので、
係りの人を待たせておきます」との返事。
思わぬハプニングに一関学院高校郷土史文化研究会の面々に迷惑をかけることになったが、
ありがたい対応であった。 -
(弁慶と)
自虐的に題名をつけたに違いない(奥の細道)ならぬ(芭蕉がたどる義経の道、奥の舗装道)は、
JRの「駅からハイキング」の題名である。
平泉駅に着くと、列車で遅れた人が十数人いて、
駅前には、のぼり旗と一関学院高校のガイド数人が待っていた。
参加手続きを終えて見渡すと、
「弁」の字の白旗を持った「弁慶」に扮した生徒と、
「秀」ののぼり旗を持った「秀衡(ひでひら)」に扮装した生徒がいるではないか。
聞く所によれば、遅れたボク達にはこの「弁慶」と「秀衡」が待っており、
9:15分に集まった人たちには、「義経」と「芭蕉」が同行したという。 -
(秀衡と) -
(伽羅之御所跡と柳之御所史跡公園を訪ねる)
駅を背に最初の路地を右に曲がり、しばらくすると踏切に出る。
踏切を渡ってすぐの場所が「伽羅之御所跡(きゃらのごしょあと)」である。
「奥の細道」で芭蕉は、
「秀衡が跡は田野(でんや)に成りて、金鶏山のみ形を残す」
と記しています。
ここには歴史的建物は残っておらず、
今では民家の生け垣と案内説明板が建っているだけである。
(案内説明板) -
(柳之御所史跡公園)
一関学院の女子生徒が、緊張のあまりか、たどたどしく説明をする姿が可愛い。
「伽羅の御所は「無量光院」の東門にあたり、秀衡が常の居場所でした。
みなさんは香木の伽羅をご存知でしょうか?
良い香りがする木でこの屋敷は造られていたそうです。
火事にあって今は跡かたもありませんが、
燃えた時は、あたり一面に良い香りがしたということです。」と解説の女子生徒。
藤原氏、「三代の栄耀一睡のうちにして・・・」と芭蕉が書いたように、
ここから北東にかけて、その「三代の栄耀」である藤原氏一門の屋敷があった。
今では「柳之御所史跡公園」として広大な屋敷跡があり、
その屋敷跡には、「吾妻鏡」に記された往時の政庁(平泉館)があった場所と思われている。
当時を思わせる泉水があり、礎石が点々と残され背景には、
京都五山の大文字山よろしく、「大」の字が見える東北の大文字山ー束稲山(たばしねやま)が緑深く黒々とそびえている。 -
(柳之御所史跡公園2) -
(柳之御所史跡公園3) -
(柳之御所史跡公園の礎石が見える) -
(柳之御所史跡公園の泉水) -
(柳之御所史跡公園背景の束稲山) -
(左手に大の字が見える大文字山の束稲山) -
(束稲山) -
(柳之御所史跡公園4) -
見学を終えて、一関学院の生徒が雑談で、
「史跡あとばかりで、建物が無くてピンと来ないでしょう。
説明のし甲斐がありません」と嘆く。
そこでボクは
「皆さんの案内説明があって、聞く観光客は往時に思いをめぐらせ、
頭の中に想像の世界を広げているのです。
気にすることはありません。」と応えた。
「この公園は広いですね。五千坪くらいあるのかしら」と尋ねると、
「五千坪と言うことはないでしょう、もっとありますよ」と返事。
建物はなくとも気にすることはない、広大な敷地があるのだから。
「次は世界遺産の(無量光院跡)へ参ります。」と言う。 -
(世界遺産、無量光院跡)
世界文化遺産の無量光院跡は柳之御所史跡公園の西、
田んぼの中を抜けて出た所にある。
そもそも世界文化遺産に登録されたのは、
平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群で、
無量光院跡、金鶏山、金色堂・覆堂・経蔵を含む中尊寺、
毛越寺、観自在王院跡、である。
「藤原秀衡が、宇治の平等院の鳳凰堂ににならい建立した寺院跡で、
遺跡のほとんどが水田化し、池跡、中島、礎石のみが残っている。
南北に長い伽藍の中心線には東門・中島・本堂を貫いて、
その先の金鶏山と直線で結ばれます。
春秋の年二回、その稜線上本堂の後ろの金鶏山の頂上に朝日が昇り、
逆に、本堂前面には、夕刻となると日輪が下がり、
一日で一番荘厳な落日の一瞬が観られます。
平等院とは違った、極楽浄土を体感できるよう計算された空間である。」
(岩手県教育委員会)
現在も発掘調査が進められており、
将来は池を中心に修復整備される予定だそうです。
(想像される無量光院の絵図) -
(無量光院の池)
池の向こうに、今も発掘調査中の人が見え、
美しい松林の背景に、
これまた世界遺産に登録された金鶏山が美しさを引き立てています。
「金鶏山は奥州藤原氏によって山頂に大規模な経塚が営まれた信仰の山で、
中尊寺と毛越寺のほぼ中間地点にあり、
平泉を守るため雌雄一対の黄金の鶏を埋めたと言われて、金鶏山と呼ばれる。」
(岩手県教育委員会)
松尾芭蕉も「金鶏山のみ形を残す」と、
平泉には金鶏山だけが形を残していると、
その印象を「奥の細道」に記しています。
-
(無量光院の池2) -
(松の間に見える小山が世界遺産の金鶏山)
松尾芭蕉は、悲劇の武将 源義経を慕っており、
次に「高館義経堂」を訪ねています。
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