2017/05/26 - 2017/05/26
864位(同エリア17021件中)
ベームさん
引き続きルーヴル美術館です。
閉鎖中のブロックがあり、また途中足が引き攣ってきてしばらく休むなど時間をロスしたため、見られなかったものを多く残して3時過ぎルーヴルを後にしました。
休むと少し元気が回復したのでパレ・ロワイヤルなど付近を歩き、地下鉄でトロカデロまで行きパッシー墓地、エッフェル塔を眺めてきました。
最初の1日が終わりました。
写真はプシケを連れだすメルキュール。ブロンズ。1593年。
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引き続き彫刻部門です。
グレゴール・エーアハルト:マグダラのマリア。
1520年頃。アウクスブルク。シナの木。 -
アウクスブルクの修道院にあったものだそうです。
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娼婦だった昔の生活を悔悛し冥想する髪の長い美女。
長い髪だけで身を覆った姿は官能的です。 -
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アルブレヒト・デューラー:マグダラのマリア。
1504年頃。木版。 -
悲しみの聖母マリア/ピエタ。
15世紀末。ブルゴス。 -
ミケランジェロの大作のある部屋です。
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ミケランジェロ:瀕死の奴隷。
1513~1515年。大理石。高さ209㎝。 -
ミケランジェロ:抵抗する奴隷。
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アドリアン・デ:フリース:プシケを連れだすメルキュール/メルクリウス。
1593年。ブロンズ。
神の使いメルキュールはプシケを愛の神キューピッドと結婚させるべく天上へ連れて行く。
表紙の写真のすこし角度を変えたもの。 -
アントニオ・カノーヴァ(1757~1822):アモールの口づけで蘇るプシケ。
1793年。ローマ。大理石。 -
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窓外。
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サテュロス
2世紀頃。ローマ。 -
男性の肖像画。
3世紀中頃。蝋画。エジプト。 -
少年の肖像。
2世紀末から3世紀初め頃。蝋画。エジプト。
ミイラとともに埋葬されていたミイラの肖像画。 -
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ペタメノフィスの墓の埋葬品。
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拡大。
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逆さピラミッドのあるホール。
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昼になったのでカルーゼル・デュ・ルーヴルのフードコートで訳の分からないものを食べました。ショーケースに色んな具材が並んでおり、これとこれとこれと指し示すと合せて炒めてくれます。1664はアルザス地方のビールです。
予定ではここで一旦ルーヴルを切り上げ後日再訪するつもりでしたが、また並ばなければいけないので、午後もルーヴルに費やし1日で終えることにしました。 -
ナポレオンホール、リシュリュー翼入口。
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ガラスのピラミッド。
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リシュリュー翼。
マルリーの中庭。 -
再び絵画部門へ。
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フランドルの画家の絵が展示されています。
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ピーテル・デ・ホーホ(1629~1684):二人の男と酒を飲む女。
1658年。ロッテルダム。
遊女と客、後ろの女は取り持ち女です。
ホーホはフェルメールとほぼ同時代のデルフト派の画家。 -
ピーテル・デ・ホーホ:オランダ風の家の居間で野菜を調理する女。
1657年頃。 -
ヤン・ステーン(1626~1679):ふしだらな集まり。
1670年頃。 -
バーソロミュー・ファン・デア・ヘルスト(1613~1670):アムステルダムの市民衛兵の長たち。
1653年。 -
ヘラルト・ファン・ホントホルスト(1592~1656):コンサート。
1624年。 -
チュイルリー公園方面の眺め。
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レンブラント(1606~1669):ダヴィデ王の手紙を持つ水浴のバテシバ。
1654年。
水浴中の人妻バテシバを盗み見たダビデ王は彼女に横恋慕してその夫を戦地に追いやり戦死させてしまう。そしてバテシバを手紙で宮廷に召しだす。手紙を見てどうすべきか思い悩むバテシバ。
古来多くの画家の好むモチーフです。 -
レンブラント:画架のそばの自画像。
1660年。 -
レンブラント:エマオの巡礼者たち。
1648年。
キリストが復活した日、エマオへ向かう二人の巡礼者に一人の男が加わった。宿で男がパンを裂き祝福を与えたのを見て巡礼者たちはその男が復活をしたキリストであることが分かった。
同じ場面でカラヴァッジオの「エマオの晩餐」という絵があります。 -
フレデリック・デ・ムシュロン(1633~1696):狩りの出発。
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フランス・ハルス(1581頃~1666):気まぐれなオランダ女、通称ジプシー女。
1626年頃。 -
ヤーコブ・ヨルダーンス(1593~1678):酒を飲む王様、または王の祭りの日の家族の食事。
1640年。 -
ヤーコブ・ヨルダーンス:山羊にえさを与える子供のジュピター。
1635年頃。 -
ドミニコ・ザンピエーリ:花輪の中のアモールの勝利。
1627年頃。 -
拡大。
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ルーベンス(1577~1640):ヘレーネ・フールマンの肖像。
1639年頃。 -
ルーベンス:画家の妻ヘレーネ・フールマンと二人の子供。
1636年頃。 -
ルーベンス:ソドムを逃れるロトとその家族。
1625年。
ノアの末裔ロトはソドムに住んでいた。悪の町ソドムとゴモラを滅ぼそうとした神は善人ロト一家だけは助けてやろうと事前にソドムを脱出させる。途中でロトの妻は、決して振り返ってはならぬ、という天使の言葉に背き焼け落ちるソドムを振り返り塩の柱になってしまう。
残ったロトと二人の娘。このままでは子孫が絶えてしまうことをおそれたロトの娘は父を誘惑し父の子を儲ける。 -
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シャルル9世の盾。
模作。1555年頃。 -
シャルル9世の兜。
模作。1555年頃。 -
モーゼの生涯の壁掛け。
ゴブラン織り。1685~1689年。 -
同。
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フランス絵画です。
フランソワ・ブーシェ(1703~1770):ポンパドール侯爵夫人の肖像。 -
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593~1652):聖母マリアの教育。
1650年頃。
マリアの母アンナがマリアに聖書を見せて教えている。 -
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:炎の前のマグダラのマリア、通称悔悛するマグダラのマリア。
1640~1645年頃。 -
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:大工の聖ヨセフ。
1642年頃。
聖母マリアの夫ヨセフとキリスト。 -
同。
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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:聖イレーヌの介護を受ける聖セバスティアン。
1649年頃。 -
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:羊飼いの礼拝。
1645年頃。 -
これは後日レンヌ美術館で見た「新生児の誕生/キリスト降誕」です。
ローソクを持つマリアの母アンナ、マリア、イエス。
ラ・トゥールの代表作です。 -
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:ダイヤのエースを持ったいかさま師。
1638年頃。
同じ画家とは思えないテーマです。左の3人がいかさまグループ、右がペテンにかかる若者。 -
ジャック・リナール:五感と四つの元素。
1627年。 -
ウースタッシュ・ル・スール(1616~1655):ミューズ ウラニア。
1655年頃。
ギリシャ神話の文芸の女神。 -
テオドール・シャッセリオー(1819~1856):アハシュエロス王に謁見するため化粧するエステル、通称エステルの化粧。
1841年。
ユダヤの娘エステルはその美貌ゆえバビロニア王アハシュエロスに召しだされます。王妃となったエステルはその美で王を籠絡しユダヤ人奴隷を助け出しました。 -
テオドール・シャッセリオー:水から上がるヴィーナス。
1838年。
日本でも今年国立西洋美術館でシャッセリオー展がありました。女性の官能美を描くのが得意のようですね。 -
テオドール・シャッセリオー:水浴のスザンナ。
1839年。 -
ドラクロワ:ショパンの肖像。
1838年頃。 -
ドミニク・アングル:トルコ風呂。
1859年。
なんとアングル82歳の作品です。老いてますます盛ん。 -
ドミニク・アングル:ヴァルパンソンの浴女。
1808年。 -
ドミニク・アングル:小さな浴女。通称ハーレムの中。
1828年。 -
ピエール・ポール・プリュードン:水浴のヴィーナス。
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ダヴィッド:マラーの暗殺。
1794年。
マラー:1743~1793年。フランス革命の指導者の一人。ロベスピエールなどのジャコバン派に属し恐怖政治を行う。対立するジロンド派のシャルロット・コルディーに自宅の浴槽で暗殺される。コルディーは断頭台で処刑された。
ダヴィッドはジャコバン派で、マラーの死を美的、悲劇的に描いている。 -
ルイ・ゴーフィエ(1762~1801):ラバンの娘たちに会いに来たヤコブ。
1787年。 -
ヨーゼフ・ヴェルヌ(1714~1789):夜、月明かりの港。
1771年。 -
ジャン・バプティスト・グルツェ(1725~1805):壊れた水差し。
1771年。
可憐な少女です。花束を抱え右手にかけた水差しは割れています。悲しそうな顔をして何を思っているのでしょう。親から水汲みを言いつかり、途中でお花畑で夢中に花を摘んでいて水差しを壊してしまったのかも知れません。
今日見たルーヴルの中で一番好きな絵です。 -
ユベール・ロベール(1733~1808):ルーヴル、グランド・ギャラリーの改造計画。
1796年。 -
フランソワ・ジェラール(1770~1837):プシケとアモール、またはアモール(キューピッド)から初めてのキスを受けるプシケ。
1798年。 -
館内風景。
アングルの「トルコ風呂」のある部屋です。 -
フラゴナール(1780~1850):ナヴァル女王の部屋のサン・バルテルミーの殺戮。
1836年。 -
カミーユ・コロー(1796~1875):ヴォルテッラ、町。
1834年。 -
カミーユ・コロー:シャルトルの大聖堂。
1830年。 -
カミーユ・コロー:ティヴォリ、エステ荘の庭園。
1843年。 -
カミーユ・コロー:モルトフォンテーヌの思い出。
1864年。
風景画家コローの傑作です。 -
カミーユ・コロー:真珠の女。
1870年頃。
よくダ・ヴィンチのモナ・リザと対比されます。 -
カミーユ・コロー:タンバリンを持つジプシー女。
1870年頃。 -
カミーユ・コロー:ハイディ。
1872年頃。 -
ルーヴル美術館を終わりました。よくぞこれほどの作品が集まったもの、感動です。ルーヴルにしろオルセーにしろ古今の名作を手の触れるような間近で、しかも写真も撮れるなんて素晴らしいことです。
地上に出る通路。 -
ちょっと付近を散策。
リヴォリ通りの向かいにコメディ・フランセーズがあります。
ここを本拠地とする劇団コメディ・フランセーズの名をとった劇場。フランス古典演劇の殿堂。ラシーヌ、モリエールなどフランスの古典からシェークスピア、チェーホフなど外国作品まで上演する。 -
ゲームの法則、シラノ・ド・ベルジュラックなど。
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パレ・ロワイヤル。
当初はルイ13世の宰相リシュリューの邸宅。死後王家に寄贈されルイ14世が住んだことから王宮/パレ・ロワイヤルと呼ばれるようになった。 -
その庭園。
その後オルレアン家の所有となり、店舗、住宅が建てられ、フランス革命前後はパリ随一の歓楽街だったそうです。 -
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市民の憩いの場となっています。
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中庭、250本のストライプの円柱。
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ルーヴル美術館。
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ルーヴル宮の一番東の部分、クール・カレ/方形宮。
ルーヴル美術館のシュリー翼になっています。 -
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クール・カレと向かい合うパリ1区区役所とその鐘楼。
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1区区役所のベフロア/鐘楼。
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並んで建つサン・ジェルマン・ロクセロワ教会。
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サン・ジェルマン・ロクセロワ教会。
ユグノー戦争の最中、1572年8月24日に起こったサン・バルテルミーの虐殺(カトリック派によるプロテスタント派虐殺)はこの教会の鐘の音を合図に始まったと云われる。 -
入口両側の石像。
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踏みつけらあれている怪人、怪獣?が面白い。
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身廊。
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主祭壇。
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側廊。
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側廊の祭壇。
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香油の壺を持つマグダラのマリアでしょうか。
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ピエタ。
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ジャンヌ・ダルク像がありました。
この付近はジャンヌ・ダルクが失敗に終わったパリ攻撃を仕掛けた所です。イギリス軍が固めるサン・トノレ通りの城門を攻撃し、負傷して退却しています。 -
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受胎告知の場面。
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地下鉄1号線でパッシー墓地に向かいました。
パリの地下鉄は駅の数が多くても駅と駅の間隔が短く時間が掛かりません。 -
ルーヴル・リヴォリ駅。
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ルーヴル美術館最寄りの駅らしくホームには収蔵品のレプリカが建っていました。
狩りの女神アルテミス。 -
芸術の神アポロン。
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瀕死の奴隷。
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パッシー墓地。
1号線からフランクラン・ローズベルト駅で9号線に乗換えトロカデロで下車。
歩いて5分ほどです。
管理事務所で墓地の地図を借りましたが(返さないといけない)分かりにくい地図でした。パリの3大墓地モンパルナス、モンマルトル、ペール・ラシェーズと違って墓マイラーもあまり来ないので親切でないのでしょう。 -
マネの墓。
ここにはマネ、ジャン・ルイ・バローとマドレーヌ・ルノー夫妻、ジャンヌ・サマリー、フランソワ・ペリエ、ジロドー、フォーレ、イベール、ドビュッシー、フェルナンデル、マルセル・ダッソーの墓もありますが、見つけられたのはマネとフェルナンデルだけ。 -
エドゥアール・マネの墓。
1832~1883年。 -
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エドゥアール・マネ
1832~1883 -
ここにはマネの弟ユージーヌ・マネと、その妻ベルト・モリゾー(1841~1895年)も葬られています。
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フェルナンデル。
喜劇俳優、歌手。1903~1971年。
フランス最大のコメディアンの一人とされる。レジオン・ドヌール勲章受章。 -
マルセル・パニョル、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画に多く出演。
舞踏会の手帳、陽気なドン・カミロ他ドン・カミロシリーズ、フランス式十戒、禁断の木の実など。 -
「ドン・カミロ頑張る」で牧師カミロに扮するフェルナンデル。
1953年(昭和28年)、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督。
イタリアの小さな田舎町の牧師カミロと共産党町長ペポネの対立と友情。互いに憎まれ口をききながら町のために尽くす2人。
中学生の頃見たときのパンフレットが残っていました。 -
次に歩いてエッフェル塔の良く見えるシャイヨー宮方面へ。
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シャイヨー宮より。
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アーチの奥に見えるのはシャンド・マルスと陸軍士官学校。
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左にパンテオンのドーム教会。
暑い暑い、30度はあるでしょう。もう疲れました、これにてホテルに引き揚げます。 -
ホテルの近くのノートルダム・デ・シャン教会。
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夕食はレオン・ド・ブリュッセルでムール貝。
これ全部食べて夜中に気持ち悪くなり、はや胃腸薬を飲む羽目になりました。
後日懲りずにまた食べてもっとひどい目に遭いました。ムール貝はこりごりです。
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この旅行記へのコメント (4)
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- frau.himmelさん 2017/07/10 20:05:48
- やはりベームさん、早いーー!
- ベームさん、こんばんは。
早速旅行記アップなさってますね。
ベームさん、早い!
私がスランプで1か月間何も書けなかった間に4冊ですものね。
今回の旅は美術館が主なのですか。それは楽しみです。
やはりルーブルはすごいですね。
あの絵も、この絵も、えっルーブルだったの?、
なんて、いろんな美術館を渡り歩いているともうゴッチャになってしまって。
でも、さすがのルーブルですね。
今回は墓マイラーもしていらっしゃったのですね。
あれ、疲れますよね。墓地って結構広いから。
表題の「最後の海外旅行となるか・・」、私も身につまされます。
元気でないと旅も楽しめませんからね。
私も9月からのチケットは取れているのですが、足が本調子ではないもので、スケジュール作成も消極的です。
お互いに齢ですね。
himmel
- ベームさん からの返信 2017/07/11 09:40:28
- RE: やはりベームさん、早いーー!
- himmelさん、
お早うございます。旅行記見て頂き有難うございます。
いまだに夜眠られない日が続いていますが、旅行記仕上げないと落ち着かないので頑張っています。
今回パリは美術館巡りを主にして街歩きは従としました。凱旋門、エッフェル塔、オペラ座、ノートルダム大聖堂は外から見ただけ、好きなモンマルトルにも行きませんでした。行きたくなかったわけではありませんが、やはり体力です。何回か行っているのでまあいいか、となってしまいます。地方でも極力美術館、博物館に足を向けました。
絵の写真を沢山撮りました。記憶力の減退で見ただけでは忘れてしまいます。写真を見ると絵だけでなくその時の状況、気持ちなどを思い出すことが出来ますから。また画家や絵の来歴を調べることで自分の勉強になります。
himmelさんも足をよく痛めておられますがご夫君とか3人組の旅で、同伴者がいるという事は心強いことでしょう。私の場合、足もそうですが一番のネックは食べ物です。日本の洋食は好きですが本場の洋食はどうも口に合いません。外国に行ってその地の食べ物が食べられないというのは外国に行く資格なしです。
ぼちぼち御輿を上げてベルリンの続きを載せてください。
ベーム
>
- ベームさん からの返信 2017/07/11 10:13:51
- RE: やはりベームさん、早いーー!
- 追伸。
今日のフォートラを見ていたらhimmelさんの旅行記が出ていました。失礼しました。
フランクフルト・オーダーに行かれたのですね。滅多に旅行記に現われない町で、私も数年前に訪れた所で嬉しく拝見しました。
両替所/KANTORとか国境の橋も思いだしました。ヤコブス・ヴェーグには気が付きませんでした。あの時は雨模様のうっとおしい日でした。
街なかを見られなかったのは残念でした、がhimmelさんの目的は歩いての国境越えですから一応目標達成ですね。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2017/07/11 21:01:54
- オーダー編はベームさんの旅行記を参考にさせていただきました。
- ベームさんの旅行記が引き金になり、オーダーに行きたいと思ったのではなかったかしら。
でも、町の観光はほとんどできず散々でした。
体力・気力・財力がないと旅はできませんね。
一番重要なのは体力。
ここのところ、ちょっと歩くと足が痛くなり、そんな状態だと旅の気力も減退しますね。
今は9月からの旅行に備えて、水中歩行で足を鍛えています。
ベームさんは食事ですか。
幸い私はドイツ料理は嫌いではないですからいいのですが、あの量がね〜。
お食事が合わないのはつらいですね。
himmel
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