2017/05/06 - 2017/05/06
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mistralさん
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当初ベルリンに5泊する予定で、ホテルの予約を済ませていた。
しかしドイツの地図を眺めながら、どこかへ行ってみようかと
思い始めた。
あれこれ回ることは難しそうだったので、ゲーテ街道沿いの街
ライピツィヒへ行ってみようかと考えはじめた。
ICE特急だと1時間少しの時間で行けることも魅力だった。
ライプツィヒの名前の由来は、7世紀にここに村を造ったという
ソルブ人の言葉「リプツィ(菩提樹}」に由来するというガイド
ブックの説明にも惹かれた。
1409年創立のライプツィヒ大学で学んだゲーテ、ニーチェ、森
鴎外などの存在、
生涯の後半をこの町のトーマス教会の音楽監督として過ごした
バッハの存在などなど
更には1989年、東ドイツの民主化を求める運動が、ここにある
ニコライ教会に集まった人々のデモから始まったという。
東西を隔てていた壁の崩壊への先駆けとなった街だったのだ。
(表紙写真はトーマス教会)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月6日
ホテルを一旦チェクアウト。
ポツダムからフリードリッヒ・シュトラッセまで、
乗り換えた後、中央駅までやってきた。
ベルリン到着時、エアポートからバスに乗って
たどり着いた駅。
何時の列車でライピツィヒに向かうのかは
決めていなかった。
駅に着いて、その上で列車を検討しようと、、、
これは夫の流儀。
駅の案内表示によると
切符の購入は、ツーリストセンターでとあるが、
その場所がなかなか見つからず
駅構内を何度もぐるぐる歩き回った。 -
思いがけない場所にその窓口があって
気づかずに何度か通り過ぎていた。
行き帰りともに
指定席をとって一安心。
6日 ベルリン発 11:41 ライプツィヒ着 13:43 ICE1511
7日 ライプツィヒ発 14:15 ベルリン着 16:23 ICE2560
直前の購入なので割高になっていると思うが
指定代 往復で18ユーロを含めて
二人で211.75ユーロだった。
事前に調べていた時刻表では
出発時間によって所要時間にも色々な
変動があったようだ。 -
ライプツィヒ中央駅に到着
ヨーロッパで最大級の面積を誇る駅とのこと。 -
-
-
行き止まり式の駅とガイドブックに書かれていたが
その意味がここまできてわかった。
一旦構内に乗り入れ、その後は反対向きに
駅から出ていくことになる。 -
構内にはショッピングセンターが
併設されている。 -
駅のほぼ正面に位置する
シーサイド・パルクホテルにチェックインをして
荷物を部屋に置き
すぐ街歩きに出かけた。
ホテル横からニコライ通りをまっすぐ
進むと -
歴史がありそうな建物が
次々に現れるが -
-
ひたすらまっすぐ進み
-
ニコライ教会の前の広場を
通り過ぎる。
この塔はあとで気づいたが
ニコライ教会内部にある
シュロの木のイメージと
繋がるものだったのかもしれない。 -
-
パッサージュと書かれた
建物も横目に見て。
世界ふれあい街歩きの
ライピツィヒ編によると
このようなパッサージュ、100近く
あるらしい。 -
-
-
目指していたのは
トーマス教会。 -
教会のホームページから
6日、土曜日、15時から
トーマス教会少年合唱団による
モテット、カンタータ演奏があるとの
情報を得ていた。
開場は45分前からなので
少しでも早く到着したかった為。 -
入り口でプログラム代として、一人2ユーロをお支払する。
入り口に立っているのは合唱団のメンバーと思われる少年と
年配の女性の方。
教会でのパイプオルガンのコンサートなどの折りに経験していたが
本来の座席は、礼拝の為に祭壇方向を向いているため
演奏者は後方の席に陣取っていることが多く、それを見るためには
振り向いて上方を見上げる姿勢となるので、かなり不自然な
形となる。
地元の方と思われる方々は、当然のように祭壇方向を
見つめておられる。
私たち観光客は演奏中に時々振り返ったりしているので
すぐにそれとわかってしまう。 -
開場開始の時間よりは大分遅くなっての到着だったため
予想はしていたけど
合唱団、ゲヴァントハウス管弦楽団が陣取る席が
見渡すことのできる中央の席はすでにびっしりと
参加者で埋め尽くされていて
空いている席は横手の柱の陰の席などしか
残されていなかった。
次のYou Tubeからの動画は
2012年11月にアップされているバッハのカンタータBWV79
Gott der Herr ist sonn und Schild です。
教会での演奏会の様子が伝わるかと思いますので
よろしかったらお聴きください。
特に10:53分ごろからのボーイソプラノの少年のソロと
ヴァイオリニストの演奏のやり取りが素晴らしいです。
https://m.youtube.com/watch?v=AHhzAx5ZkzA -
演奏会終了後、祭壇近くまでやって来た。
後方の上方に管弦楽団、合唱団が陣取っていた。
当日の演目は
メンデルスゾーン・バルトルディ Allegro con brio
ハインリヒ・シュッツ Ich bin ein rechter Weinstock
Motette SWV 389
ヨハン・セバスチャン・バッハ Singet dem Herrn ein neues Lied
Motetto BWV 225 (主に向かいて新しき歌を歌え)
アーネスト・ペッピング Mit Freuden zart zu dieser Fahrt
ヨハン・セバスチャン・バッハ Wir mussen durchi viel Trubsal
Kantate BWV 146
演奏会が終わっても、すぐに立ち去る人は少なく
誰もがしばらくはその余韻に浸っていた。 -
1723~1750年まで
トーマス教会の音楽監督を務めたバッハは
聖ヨハネ教会に埋葬されたが
没後200年にあたる1950年になって
ここトーマス教会に墓が移された。
(翌日、教会近くにあるバッハ博物館を
訪問予定。) -
ステンドグラスの中に
バッハのステンドグラスがある。 -
バッハはここトーマス教会でトーマスカントール
(ライプツィヒ教会音楽の統括者でもある)として
ライプツィヒの主要教会(トーマス教会とニコラス教会)
の礼拝用音楽を作曲し、上演を担当していた。
一時期は毎週のようにカンタータを書き、教会の聖歌隊に
歌わせていたという。
現存するカンタータの数は200曲にものぼるという。 -
メンデルスゾーンも。
-
教会横にある
バッハの銅像。 -
バッハが活躍し、そして今では眠っている
ここトーマス教会で
当時の雰囲気のままにモテットやカンタータを
聞くといった体験は
もしかしたらもう二度と出来ないことかもしれない。
教会内部に響きわたる管弦楽団の演奏とトマーナの
一端に触れることができた素晴らしい体験となった。
(トマーナ:ライプツィヒ最古の文化団体。トーマス教会
とトーマス教会合唱団、トーマス学校からなっている。
2012年に創立800年を迎えた。) -
-
この後
ゲヴァントハウスへと
向かった。 -
途中
いわくありげな銅像を横目にみながら -
この銅像は由来がわかった。
Tの形の上に5人の像が乗っている。
バーンド・ケーベル氏の1990年の作品。
「友時代的な同時代」という作品らしい。
教育学者、診断医、合理化の被害者
都市計画家、芸術理論家の5人が立っているというが
それにしても難解な作品?? -
-
ゲヴァントハウスにやってきた。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地であり、
管弦楽団は250年を超える歴史を誇っている。
もともとはライプツィヒの商人たちが資金を出し合って
発足をさせたコンサート愛好会にさかのぼるようだ。
民間のオーケストラとしては世界最古のようだ。
メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ワグナーなど
錚々たるメンバーが活躍した舞台でもある。 -
1944年の大空襲により壊滅的なダメージを受けたが
市民は廃墟のようなホールを使い続け
1968年には爆弾により破壊されたが、約30年近くの間
仮説会議場でコンサート活動を続けた。その後
1981年、現在の地に再建された。
このオーケストラは、地元ライプツィヒだけで
1シーズンに70近くものグランド・コンサートを行っており、
200年以上もの間、
ライプツィヒ・オペラの歌劇場付きのオーケトトラとして、
また毎週行われる聖トーマス教会でのバッハのカンタータ
演奏会も行い、更に世界各地での公演もこなしている。
ベルリンで聴いた、ウィーンフィルを指揮した
ヘルベルト・ブロムシュテット氏は
1998年から2005年までここで首席指揮者を務めた。
(現在は名誉指揮者) -
17:00から
パイプオルガンのコンサートがあるとのことで
on-line での予約をしてあった。
管弦楽団の演奏会があれば良かったが
内部だけでも見学できればと
一人7ユーロだったので予約してあった。
シュッケ・パイプ・オルガンの奏でる
荘厳な曲目の数々を聞くことができただけでも
満足だった。 -
ゲヴァントハウス ロビー内部
外光がふりそそぐ明るいロビーには
名演奏家の銅像が飾られていたようだが
見損なったまま、外へ出てしまった。 -
外からホール内部を見ている。
-
アウグストゥス広場にある
メンデの泉と -
メンデの泉をはさみ
反対側にあるのが
オペラハウス -
-
ライプツィヒ大学の現代的な佇まい。
1409年、フリードリヒ4世により創設された。
ドイツではハイデルベルグ大学に次ぐ歴史を持つ。
ゲーテ、ニーチェ、シューマン、メルケル首相ら
数多くの卒業生が名を連ねる。
森鴎外、朝永振一郎など日本からの留学生も多い。 -
-
-
もと来た道を
引き返してあるお店を目指している。 -
メードラーパッサージュという名の
アーケード地下にあるお店の看板が
見えてきた。 -
-
Auerbacks Keller(アウアーバッハス・ケラー)
という1525年創業の
ワイン酒場兼レストラン。 -
ここはゲーテもよく通っていたという。
また「ファウスト」にも登場するので
観光名所ともなっている。
パッサージュ入り口から見ている。 -
-
地下に下りる入口近くにある銅像。
悪魔メフィストフェレスと右手はファウスト博士。
黒魔術師ファウスト博士が、地下酒場から
悪魔メフィストの力を借りて
大きなワイン樽にまたがって表通りまで出たという
昔の言い伝えに興味を抱いたゲーテが、
ファウスト第一部で登場させたようだ。
このファウスト像の左足をなでると
ライプツィヒに戻ってこれるということだが
その時には、そんな噂は知らなかった。 -
-
-
中に入ってみると
かなりの賑わい。
19:45からの予約席があるが
それまでに食事が終わるようだったら
構わないので、と -
席に通された。
-
席にあった紙ナプキン
-
-
-
-
壁には「ファウスト」の場面が
描かれている。 -
ライプツィヒ大学に留学した
森鴎外は
ここを訪れ、友人とともに「ファウスト」の
翻訳の構想を語りあったとされている。 -
日本に初めてファウストを翻訳
紹介した功績を讃えるため
どこかに彼の絵があるということを
読んでいたので
店内を捜していて
奥の方にあるのを見つけた。 -
近くまで行って
写真を撮らせていただいた。
左から
悪魔メフィストフェレス、留学中の森鴎外
ファウスト博士、同行した中村哲次郎、
日本でファウストの翻訳を終えた森鴎外
が描かれている。
(このケラーについて重要な情報があります。
ここはカードが使えないのです。
最初は半信半疑だったけど
あらかじめ調べていたとおりでした。) -
外に出てもまだまだ暗くはなっていないので
しばらく周囲を散策して
ホテルへ戻った。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- willyさん 2022/09/09 13:04:57
- ファウストの足
- mistralさん
こんにちは。魅力的な記事ばかりのなかでどれを先に読もうかと苦労しながら拝見していますが、ここに到達しました。
なんとうらやましいことにトマーナコアとゲヴァントハウスの時に行かれたのですね。わたしは散々調べたのに当日変更で撃沈、涙をのみました。
まずはとりあえず行くこと!が第一目標のあわただしい旅で、ファウスト像にも近寄れず、もちろん足に触って再訪などは知りませんでしたが、触ってなくても絶対また行かねば!との決意を新たにさせていただきました。
ありがとうございました。
willy
- mistralさん からの返信 2022/09/09 15:16:55
- RE: ファウストの足
- willyさん
コメントをありがとうございました。
私も、この午後はしばしwillyさんのドイツの旅行記を再読させていただきました。
一度拝見していて、その折にいいねの投票をしていたのに、そのことをすっかり失念していました。
> こんにちは。魅力的な記事ばかりのなかでどれを先に読もうかと苦労しながら拝見していますが、ここに到達しました。
> なんとうらやましいことにトマーナコアとゲヴァントハウスの時に行かれたのですね。わたしは散々調べたのに当日変更で撃沈、涙をのみました。
これで大丈夫と思って現地まで辿り着いたのに、肝心のトマーナコアの歌声が聞かれないとわかった時の落胆ぶり、想像に余りありますね。
> まずはとりあえず行くこと!が第一目標のあわただしい旅で、ファウスト像にも近寄れず、もちろん足に触って再訪などは知りませんでしたが、触ってなくても絶対また行かねば!との決意を新たにさせていただきました。
わかります、わかります。
旅行記を書く折に、色々調べていくと、見落としてきた事柄の多さに驚き、
これでは再訪せねばならない、と決意を新たにします。
私もwillyさんの魅力的な旅行記の数々を、タイトルだけですが拝見してきました。
後々のお楽しみに致します。
mistral
-
- しょうちゃんさん 2017/08/11 11:49:20
- RE: ライプチッヒ
- 今日は!
その怪しげな像は
右手:右手をあげるローマ式挙手〔ナチスの時代)を
左手: こぶしと作業靴〔社会主義の時代)2つの全体仕儀の時代を表してきている。
なお、左の建物は、その時代を記した博物館。
なお、広場などで、右手を上げたポーズをとると罰金が科せられるので注意。
市庁舎と駅に戻る途中の左手に、シュタージ〔東ドイツの秘密警察)の建物(博物館)がある。
その入り口の右手に、1945年4月米軍の歩兵師団(28だったか)が市を解放したことを記したプレートがある。
また、市の北東にトラムで10分ほど行けば〔駅から)、
1814年ナポレオン戦争勝利〔ライプチッヒの戦い)の記念碑(92メーター)がある(100周年記念・1914年製作)がある。
同様の記念碑〔100周年)はポーランド・ブレスラウ(現ブロツワフ・当時ドイツ領)にもある。
- mistralさん からの返信 2017/08/12 11:28:00
- RE: RE: ライプチッヒ
- しょうちゃん様、
こんにちは。
メッセージをいただきまして、ありがとうございました。
> その怪しげな像は
> 右手:右手をあげるローマ式挙手〔ナチスの時代)を
> 左手: こぶしと作業靴〔社会主義の時代)2つの全体仕儀の時代を表してきている。
> なお、左の建物は、その時代を記した博物館。
> なお、広場などで、右手を上げたポーズをとると罰金が科せられるので注意。
怪しげな像!その通りでした。
でも、何か意味ありげで、ネットで検索してみましたが、探し方が悪かったのか
とうとうわからずじまいでした。
お教えいただきましてありがとうございました。
右手を上げたポーズは罰金の対象となるんですね。気をつけないといけないですね。
> 市庁舎と駅に戻る途中の左手に、シュタージ〔東ドイツの秘密警察)の建物(博物館)がある。
> その入り口の右手に、1945年4月米軍の歩兵師団(28だったか)が市を解放したことを記したプレートがある。
>
> また、市の北東にトラムで10分ほど行けば〔駅から)、
> 1814年ナポレオン戦争勝利〔ライプチッヒの戦い)の記念碑(92メーター)がある(100周年記念・1914年製作)がある。
> 同様の記念碑〔100周年)はポーランド・ブレスラウ(現ブロツワフ・当時ドイツ領)にもある。
まだまだ多くの未訪問の施設、記念碑(ここは事前に知っていましたら、是非とも行ってみたいと思いました。)があったようですね。
もし再訪する機会がありましたら、今度こそは見落としのないようにしたいです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
mistral
-
- toyonakayamadaさん 2017/08/05 23:35:31
- 素晴らしい旧東ドイツの街並み
- 行ってみたかったライプチヒの街を散策されて羨ましいです。
今年の2月に、プラハからドレスデン・ライプチヒ経由してベルリンへ行く計画でしたが、ドレスデンの街に長居をしてしまったので、ライプチヒには立ち寄れませんでした。
貴殿の写真・コメント参考に来年ゆっくり訪問したくなりました。
旧東ドイツの街と大自然の山とスキー場があれば、2週間程度ぶらぶら散策したいものです。
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