2017/05/06 - 2017/05/07
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mistralさん
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たまたまベルリンから一泊での旅に適当な距離ということで選んだ街、ライプツィヒ。
現在の街の佇まいは、多くの若者で賑わい、観光客が行き交っていて、ここライプツィヒがドイツ現代史において大きな転換点の舞台となったことは、その歴史を深く知るまでは全く気づかないほどだった。
トーマス教会と並び、ライプツィヒの主要教会であるニコライ教会。
商都として発展したライプツィヒで、商業の守護聖人・聖ニコラウスに捧げられた教会であり、外観は後期ゴシック様式、内部に入るとシュロの木の列柱が目に飛び込んでくる。
そんなニコライ教会は、ドイツの激動の歴史を見続けてきているに違いない。
1945年、ライプツィヒは敗戦によりソ連占領区からドイツ民主共和国、いわゆる東ドイツとして独立した。そうはいっても、ソ連の影響下にあって社会主義統一党による圧政が続くこととなった。
そのような中、国民が自由に意見を交わすことのできる唯一の場として、国内の各教会では対話の場を提供するようになっていった。
ニコライ教会でも1982年9月、「平和の祈り」という集会が毎週月曜に開かれるようになり、次第に東ドイツの市民運動の拠点となり、1989年からは集会後に「月曜デモ」と呼ばれるデモ活動が、教会外でも始まった。
10月9日月曜には、教会周囲にデモに参加すべく集まった人の数は7万人にもなった。
デモ鎮圧の為に駆り出されていた軍隊・警察は、非暴力と平和を訴えて集まった市民たちに心を動かされ、ただただ傍観することしか出来なかった。
この大規模デモが発端となり、東ドイツ全土で反体制デモが頻発、国家最高首脳ホーネッカーは9日後に失脚、11月9日にはベルリンの壁が崩壊することとなった。
そんな背景のある街、ライプツィヒを一泊して歩いてみた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
(5月6日の旅行記に続いています。)
夕食がすんでもまだ明るいので
この時期、充分に街歩きができる。
ナッシュマルクト広場の
学生時代のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ像
(カール・ゼフナー制作、1903年除幕) -
1765年、16歳の時、ライプツィヒ大学で
法学を学ぶため
この街へやって来た
若かりし頃のゲーテ。 -
体調を壊したために
3年で大学を中退、故郷のフランクフルトへ
帰ることとなった。 -
ゲーテ像の後にあるのは旧交易会館。
17世紀後半、初期バロック様式で建設された
商人たちの集会所。
現在は音楽会、講演会、会議、交歓会など
多彩な用途に使用されている。 -
すぐそばにある
旧市庁舎のあるマルクト広場へとやって来た。
毎週火・金曜日には市がたち
クリスマス、イースターの折りには
メイン会場ともなっている。 -
旧市庁舎は1556~57年に
当時の市長ピロニムス・ロッターによって
建設された。
ドイツ・ルネッサンス建築でも
最も美しい建造物の一つと数えられている。
第二次世界大戦では屋根部分が損壊したが
戦後元通りに修復されている。 -
旧市庁舎はライプツィヒ市歴史博物館として
旧市庁舎、諸国民戦争記念碑、シラー旧宅などから
構成されている複合型文化史博物館とのことだが
内部は残念ながら時間がとれず見学できなかった。 -
トーマス教会のすぐ横手にある
Commerzbank。 -
黄金の飾りが
銀行のイメージとちょっと
かけ離れた印象。 -
前日、トーマス教会到着時は
コンサートに間に合うように
慌てて入場していったので
改めて教会の周囲をぐるりと廻ってみた。 -
教会周囲にある彫刻群。
-
-
-
-
-
教会前に広がる
緑溢れる芝生と -
すぐそばにたたずむ
メンデルスゾーンの像。 -
カフェ・リケーという名のコーヒー店。
後で調べてわかったが
リケー社は1745年に東アジア、オリエント圏との交易を始めた。
この異文化がミックスしたような建築物は
入口両側には象が、中国風の塔の下には日本の桜と孔雀、花魁が
描かれたモザイク画があるそうだ。
内部で休憩をしてみたかった。 -
ライプツィヒ駅前まで
戻ってきた。 -
当日の宿泊は
シーサイド・パルク・ホテル。
駅前の広場に面している。
(宿泊した部屋は内部がアール状にカーブ
していたので、丁度コーナー部分に位置した
部屋だったようだ。) -
1913年オープン当時の
ユーゲント・シュティール様式の
ファサードは
文化財保護指定されているようだ。 -
外部にもタツノオトシゴがあったが
どうやらこのホテルのシンボルらしい。 -
右手のドアの向こうに
入口ドアとリビング空間があり、
そこからは
カーブしてベッドルームが続いていて、 -
更に進むと水回りがある。
入口から水回りまでは
かなりの距離を歩くことになる。 -
暮れなずむ
ライピツィヒ中央駅。 -
遅くまで賑わっていた。
-
翌5月7日
まだひと気の少ない朝の広場。 -
近くにあるホテルの
カラフルな壁面が目をひく。 -
朝食後
駅まで出かけてみた。
内部はショッピングセンターとなっていて
朝は食料品のスーパーが開いていた。 -
お馴染みとなった
アンぺルマンの信号。 -
チェックアウト後
荷物を預かっていただき
再び、トーマス教会近くまで
やってきた。
目的は教会そばにあるバッハ博物館の見学の為。 -
ヨハン・セバスチャン・バッハの家系には
多くの音楽家を輩出しているといる家系図が
入ってすぐのところにある。
アイゼナッハに生まれたバッハは
ライプツィヒに赴任する前は
教会や宮廷に仕える音楽師として
活動していた。 -
宮廷に仕える楽長という特権的な身分から
市民相手の音楽監督への転身は
バッハにとっては当初は悩んだ決断だったようだが
1723年5月5日、市庁舎にて
トーマスカントルとしての雇用契約書に
署名をしている。 -
トーマスカントルという役職は
ライプツィヒにおける、教会音楽・市参事会音楽・
大学音楽の3つを統括する、市の音楽総監督といった役職。
最初の5年間に300曲近くのカンタータを作曲
ヨハネ受難曲、マタイ受難曲、クリスマス・オラトリオ
など有名な曲の多くがここで生まれた。
当時バッハがオルガン奉献式で演奏を担当した際に
使用したパイプオルガンの演奏台。 -
バッハの全作品を試聴できるというコーナー。
思う存分聴いていることが出来るのだろうが、
時間に限りがあるのが旅行者の辛いところ。 -
家族の肖像や
当時の風景などが展示されているコーナー -
窓からは
間近にトーマス教会がみえる。 -
自筆の楽譜と思われる。
-
バッハ家に伝わる家具として、2009年に認められた
唯一の品。
長い間マイセンのカテドラルで寄付品を
入れるためのチェストとして使用されていたもの。 -
蓋の裏側に描かれた
ふたつのJSBのモノグラムが絡み合って
いるデザインは -
バッハが使用していた封書に使うシールと
おなじデザインであることから
チェストの特定に繋がった。 -
当時のトーマス学校校舎・兼寄宿舎、
更に音楽監督であったバッハとその家族の住居も
兼ねていた建物は
トーマス教会隣に建っていたが
1902年に取り壊されている。 -
-
-
バッハ像
-
木立に囲まれた
お庭に出てしばらく休憩。 -
アンティークショップが
近くにあったが
オープン前だった。 -
-
すぐそばにある
カフェ・カンドラーで
小休止。 -
モカ風味のバッハ・トルテを
コーヒーと共に。 -
もう一つが、ライプツィガー・レアヒェ。
レアヒェはひばりを意味していて
かつては盛んに食されていたひばりだったが
19世紀、禁猟令が出されたのに合わせ
菓子職人がアーモンドとナッツを練り込んだ
焼き菓子を作りだした。
形はひばりの巣を模したようだ。
想像以上においしかった。 -
カンドラー内部。
このカフェでは、ドイツでは珍しく
紅茶の種類も豊富に取り揃えているようだ。 -
次に目指したのは
フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディが
暮らし、亡くなった家。 -
ゲヴァントハウス・コンサートホールの前を
更に進んでいくとたどり着く。
(前日から、この辺りは何度も往き来している。)
1835年から1847年まで、彼はそこでの
楽長(常任指揮者)を務めた。 -
メンデルスゾーンハウスに着き
二階へと上がっていく。
階段室は1845年以来のオリジナルのもの。
注意深く歩くよう貼り紙がある。 -
このようなペン型のもので
赤い印の部分をこすると
解説の音声が流れてくる。 -
2階の住居部分は
床材は当時のままで
東西ドイツ統一後に
後期ビーダーマイヤー様式の内装が
再現された。
家具の大部分はかつて一家が実際に使用して
いたものらしい。 -
左は
妻 セシル (1847年) -
コンサートの行われるホール
-
38歳で亡くなった
彼を描いたスケッチ画 -
-
19世紀ロマン派時代そのままの
雰囲気が感じられる書斎と家具。 -
-
絵の才能にも恵まれていたようだ。
-
彼の遺した
水彩画の数々。 -
同
ルツェルンの風景(1847年作) -
メンデルスゾーンの家を後にし、駅方向に
向かうと、
1409年、フリードリヒ4世が1409年に創設した
ライプツィヒ大学の特徴的な姿が目に留まる。
ドイツではハイデルベルク大学につぐ歴史と
伝統を持っている。
東ドイツ時代はカール・マルクス大学ライプツィヒ
と呼ばれていた。 -
講堂と教会を兼ねた建物の前には
かつてあったと思われる教会の模型が。 -
ライプツィヒ観光の最後に訪問したのが
ニコライ教会。 -
内部に入ると
シュロの木をかたどった列柱が聳え
その色彩に
こころが鎮まる。 -
この教会で毎週月曜日行われていた
「平和の祈り」がきっかけとなって
大規模なデモへ
更にはベルリンの壁の崩壊へと
繋がっていった、という
意味深い地。 -
教会わきの広場にあるニコライ記念柱。
(アンドレアス・シュテッツナー製作、1999年除幕)
内部のシュロの列柱をかたどった柱は
革命の記念碑として制作された。
(ライプツィヒ観光局のホームページより拝借しました。) -
デモ隊がうめつくした
アウグストゥス広場の隅にあるという
「民主主義の鐘」
(2009年10月除幕)
この鐘は毎週月曜、18時35分(この時刻はデモ隊が、1989年、ニコライ教会からアウグストゥス広場に到着した時間とされる)、また毎日不定期に、その音を響かせているようだ。
(残念なことに、この鐘のことは旅行記を書いている折に知った。
写真もライプツィヒ観光局のページより拝借しました。) -
わずか一泊しただけの
ライプツィヒ滞在だったけど
充実した気分でベルリンに向かった。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- さるひこさん 2017/09/16 07:13:16
- 何度読んでも勉強になります。
- mistral様
こんにちは
さるひこと申します。
ドイツから日帰りでいけるという理由で選択されたライプツィヒ。
私は、綺麗な教会写真の表紙にひかれてお邪魔しました。
偶然とはいえ、こんなに歴史のある場所だとは思っていませんでした。
旅をすることで初めて知るその土地の歴史や食文化がありますが、禁止されているからお菓子にしてしまう、そしてそれがその土地の名産として残っていく。
綺麗な教会がベルリンの壁崩壊につながっていった。
とても感慨深いものがあります。
ライプツィヒを旅行するときには、mistralさんの旅行記を参考にさせていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
さるひこ
- mistralさん からの返信 2017/09/16 14:36:27
- RE: 何度読んでも勉強になります。
- さるひこさん
更にメッセージをありがとうございました。
> ドイツから日帰りでいけるという理由で選択されたライプツィヒ。
> 私は、綺麗な教会写真の表紙にひかれてお邪魔しました。
> 偶然とはいえ、こんなに歴史のある場所だとは思っていませんでした。
そうなんです。
私もライプツィヒが、重要な歴史を担っていた地ということは
訪問を決めた時点では全く知りませんでした。
> 旅をすることで初めて知るその土地の歴史や食文化がありますが、禁止されているからお菓子にしてしまう、そしてそれがその土地の名産として残っていく。
旅行記を丁寧にお読みいただき
ありがとうございます。
今に残っているお菓子でも、その一つ一つに意味がある、
ということを知ることは、旅の醍醐味でもありますね。
> 綺麗な教会がベルリンの壁崩壊につながっていった。
> とても感慨深いものがあります。
>
> ライプツィヒを旅行するときには、mistralさんの旅行記を参考にさせていただきたいと思います。
少しでもご参考になりましたら
嬉しく思います。
mistral
-
- あの街からさん 2017/08/06 18:11:14
- 今回はライプツィヒの街を学習させていただきましたヽ( ̄▽ ̄)ノ
- お久しぶりです。 ご無沙汰しておりました。
でも、でもデス。
Mistralさんの旅行記は毎回楽しみに楽しみに拝見させていただいております。
今回は、ライプツィヒの街を。
私も2013年のベルリンまで行きましたが
ライプツィヒの街は(;´ェ`)素通りしてしまいました。
とりわけメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」が
大好きな`あの街から´は興味深々楽しませていただきました。
ありがとうございます。
あの街から
- mistralさん からの返信 2017/08/06 19:49:21
- RE: 今回はライプツィヒの街を学習させていただきましたヽ( ̄▽ ̄)ノ
- あの街からさん
こんばんは。
メッセージをありがとうございました。
前回もライプツィヒの旅行記へのコメントを!
メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲をおかけになって
旅行記を楽しんで下さったとの、嬉しいコメントを。
ご家族のお具合も少しずつ良くなりつつあるのでしょうね。
来年度の旅に備えて、今はエネルギーチャージの時なのでしょう。
しばらく、あの街からさんの、こころが洗われるような
山の旅行記を拝見しておりません。
まだまだ未発表の分もきっとおありなことと思います。
そのうちに登場されることとお待ちしておりますね。
mistral
> お久しぶりです。 ご無沙汰しておりました。
> でも、でもデス。
> Mistralさんの旅行記は毎回楽しみに楽しみに拝見させていただいております。
>
> 今回は、ライプツィヒの街を。
> 私も2013年のベルリンまで行きましたが
> ライプツィヒの街は(;´ェ`)素通りしてしまいました。
> とりわけメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」が
> 大好きな`あの街から´は興味深々楽しませていただきました。
> ありがとうございます。
> あの街から
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