2017/04/03 - 2017/04/04
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xiaomaiさん
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2017年春の中国旅行
3月31日~4月2日、5日:北京
4月3日~4日:天津
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天津2日目。前の晩早めに就寝したせいか、早く目が覚め、CCTVで婺劇『白蛇伝』を楽しんだ。婺劇とは、浙江省金華地区の戯曲。
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そして、朝食をとるため、朝7時半ごろホテルを出た。
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目指したのは津湾広場にある「狗不理」。でも、営業時間は10時半からで食べられず。
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早朝は観光客が疎らでいい。
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心地よい散策ができた。
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昔は車ではなく、馬車が何台も停まっていたのかな。
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往時はどのようだったのだろう。
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天津も北京同様、空気品質が悪いけど、朝はやはり清々しい。
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これはホテルだったような気がする。
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そして、津湾広場駅から地下鉄に乗って、鞍山道駅へ。
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その駅の向かいにあるのは日本時代の建物である「演武館」で、1941年に日本武徳会天津支部により建てられた。外壁には「日本の中国侵略の物的証拠」という説明書きがあった。
この近辺は日本の租界地であったけれど、イタリア風情区のように多くの日本の建物が残されているわけでない。 -
溥儀が天津滞在中に住んだ「静園」に向かう途中で出会ったコリー。
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8時前に静園に着いたものの、開演時刻は9時だった。それで、旧日本疎開地を散策してみることにした。
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万全道で会った犬。気の弱そうな顔をしていると思ったけど、吠えられた。
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万全道は地元民の生活を支える店が多く並ぶ市場通りだった。
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ハラール処理がされている肉を売る店
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麺の販売
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野菜の販売
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粽など
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野菜と果物
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朝食を求める人々
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魚屋さん
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これはなんだろう?
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朝から何も食べていなかったから、何かを食べようと思い、ひっきりなしに客が来ては長い列を成していたこの店で、前日イタリア風情区でも食べた天津名物の煎餅を買うことにした。前日のはあまり口に合わないと思ったんだけど、もしかしたらホントはもっとおいしいのかもしれないと思い、また挑戦してみた。
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観光客の多いイタリア風情区では10元だったけど、地元民しか来そうにないこの店では5元で売られていた。
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作る時間を測ってみたら、45秒だった。早速食べてみたけど、前日と同じ感想を持った。頑張って食べたけれど、3分の2を捨ててしまった。
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静園に戻ってみると、開園を待つ観光客が列を成していた。
静園は北洋政府駐日公使の睦宗興の私邸として、1921年に建てられた。そして、1929年から31年まで溥儀が住居した。溥儀は1931年に天津を脱出し、その翌年に満州国の皇帝となった。 -
9時の開園とともに入園。建物の前にあるのはラストエンペラーの溥儀とラストエンペラスの婉容の人形。
注意:
ガイドブックやネット上には8時半開園と書かれているものが多いですが、9時の開園が正しいです(2017年4月4日)。 -
議事庁
溥儀はここで復権することを老臣とともに計画していたが、意見が一致しなかった。そこへ子爵(旧紀伊新宮藩藩主の家柄)水野勝邦が密かに訪れ、溥儀は復権を果たすため、天津を秘密裏に出た。 -
ダイニングホールは2つあり、これは小さいほうで、溥儀と婉容が西洋料理を食すのに普段使用した。
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溥儀の妃であった文繍(淑妃)も静園に住み、部屋は1階に設けられた。文繍は溥儀が日本と行動をともにするのをよしとせず、何度も溥儀を説得した。その結果、溥儀に疎んじられるようになり、また皇后婉容からも嫌われ、日々読書の日々を過ごしたらしい。1931年8月に静園を飛び出し、溥儀に対し、離婚を申し立てた。中国史上唯一、皇帝に離婚を申し立てた女性。離婚は裁判所により認められ、溥儀から慰謝料55000元を得て、私立学校の教師になるも、退職後は貧しい生活を送り、餓死に近い状態で死去。
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文繍の化粧台
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2階へと続く階段
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溥儀の寝室。位置的に文繍の部屋の真上に当たる。
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溥儀の寝室
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溥儀の書斎
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婉容の寝室
元皇后の使うベッドにしては簡素。 -
婉容が着用した毛皮のコート
西洋式の自由な生活スタイルを好んだ婉容。最後はアヘン中毒に苦しみながら死去。 -
婉容の居室
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2階正面中央に位置する、先祖を祀る祠堂
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3階は回廊のみがあり、ボディガードがここで待機していた。
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1階廊下にあるガラス
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スペイン式回廊
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溥儀の生涯を紹介する展示室。狭いところに多くの人がいて、ゆっくり見られる状況ではなかった。
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映像による紹介
こちらもすし詰め状態。 -
入園券と溥儀のキーホルダー(10元)
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京劇のパロディ絵はがきも購入。
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溥儀が天津を離れたあとの1932年、ここは日本の特務機関本部となった。そして、戦後の1945年には国民党に接収され党の機関として使われて、1948年には国民党天津警備総司令陳長捷の私邸となった。その翌年、人民政府が接収し、主楼は天津市総工会の事務室となり、それ以外は職員宿舎として使用された。その後、民間人が住む時期もあったが、時が流れ、2005年になり、天津市歴史風貌建築整理会社が建物の修築を開始し、2007年にそれが完成し、一般公開されるに至った。
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静園を出て、歩いているときに見かけた男の子。
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そして、散歩中の犬。
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鞍山道の駅に車を停め、天津っ子の好物「煎餅」を食す青年。天津の人はホントに好きなんだなぁ。
(天津(4)に続く)
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