2011/03/09 - 2011/03/23
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kenichi291さん
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あれから6度目の3月11日がやって来ました。報道特集が組まれ、盛んに放送しています。もう一度あの日を確認してみたいと思います。つまらない話題ですがお付き合いください。3月9日朝、義母が天に旅立ち私は家内の一関市内の実家に向かいました。そして通夜の打ち合わせ中の11日午後2時46分大きな揺れに見舞われる事に。その瞬間から3月14日(月)早朝まで三日三晩、電気、電話、暖房の無い生活に。電話・ガスヒーター・風呂釜は電気で動くと言う事を思い知らされました。ただ被災当日夕刻に義母の黒電話が鳴るではありませんか。黒電話は電気が無くても使えるんですね。凄い発見でした。同じ市内でも、地域によってはガス、水道も断たれた状況になりました。写真は被災から一週間にも拘らず、3月18日多くの人達が墓参りに。何事も無かったかのような青空。墓石の倒れた中をお墓参りに。営業を再開したお店には花束が並び、どこのお寺さんの入り口にも、お花屋さんが立つ。めちゃくちゃの我が家の片付けよりもご先祖様の供養が優先らしい。以前から小さなスーパーでも立派な花コーナーがあるのを不思議に思っていました。そーなんだ。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JALグループ 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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かつての、気仙沼港、魚市場3階屋上からの眺め。ここまで、津波がせまったらしい。地上からは20メートル位あるのに。恐ろしかっただろうな。
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2008年(平成20年)6月14日(土)午前8時43分頃に起きた岩手・宮城内陸地震で崩落した祭畤(まつるべ)大橋。一ヵ月後に岩手県沿岸北部地震が、2008年7月24日午前0時26分頃、岩手県沿岸北部で発生した。この日夕刻、私と家内は一関での墓参りを終えて帰京していたので被災を免れた。しかしいつか地震に見舞われそうな予感がこの時から頭を離れなかった。崩落した橋はその当時のまま保存されています。
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通夜の打ち合わせ中の11日午後2時46分大きな揺れに見舞われる。予備知識では揺れは長くても1分間。それにしても1分て長いと思っていました。そりゃそうだよ6分を超える揺れだったんだそうですからね。でも日本の木造家屋は丈夫。一関市で家屋の全壊は一棟のみ。死者はゼロでした。
お寺の本堂は屋根が一部倒壊。青空の見える中で13日(日)葬儀。火葬場は使用不能となっていましたが、一関の慣習として亡くなった翌日に火葬するので事なきを得たという状況。葬儀の会場を予約していたのですが、屋根が崩落して使用不能。料理のケータリングも水とガスが止まってしまい不能。新幹線は仙台でホームが崩落し不通。青森方面も北上で架線が倒壊して不通。正に八方塞がりの状況。交通手段を絶たれて、親戚の参列もない、ないない尽くしの葬儀となりました。
とは言え、葬儀をやりましょうという住職も立派なら、暖房も無い本堂まで足を運んでくれるご近所さんも立派です。 -
実家の前は、東北道一関インターと気仙沼市を結ぶ幹線道路。3月11日夜中は闇の中自衛隊の車両の移動する音が続きました。3月12日朝には新潟市消防、続いて長野県消防が続々と気仙沼に向かいます。午前 9時 頃には東京消防庁水難救助隊 56台が走り過ぎて行きました。何で台数までとお思いでしょうが、停電でテレビが無い訳で、通過車両の台数を数えるぐらいしか出来なかったと言う事。引切り無しの余震でテーブルの下から出られない状況が続く。停電の為、信号機が停止しているので道路は危険。警官が手信号でなど到底出来ないわけで、災害救助が優先されて手が回らないようです。市内の病院は全て気仙沼から救急搬送された怪我人でいっぱい。待合室も廊下も運び込まれた人たちで溢れていました。正に野戦病院の状況。3月15日、給油待ちする乗用車の列。
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左車線を走れば50分程度で気仙沼市内に入れます。義弟は連絡の取れない友人を心配してラヂオの避難先を伝える放送に耳を傾け続けていました。
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ガソリンが無いので給油所の作業員も自転車で移動。
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実家の前は、コンクリート舗装道路なので、地割れが目立たない。アスファルト舗装の道路は地割れが凄い。割れ目に落ちたら、怪我をしそう。
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3月15日、実家の前を駅に向かう、陥没した道路を見る。被災から5日目。14日に電気が通り落ち着いて周囲を見る余裕が出来たので。14日の早朝義弟が北の方角に電気のともった地区が見えると言うので程無くと思っていましたがテレビの電源がはいるのがとても嬉しく感じられました。
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一関市民会館には立ち往生した新幹線の乗客が寝泊まりしていました。外国人観光客の姿もかなり見られます。駅前を歩く外人さんが目立ちました。することなしだから仕方ないよね。数日後JRの用意したバスで新潟方面に脱出したようです。
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14日午前8時から駅前のスーパーが営業を再開。開店前に並ぶ人達。引切り無しに余震。電線がその度に大揺れ。写真は15日に撮ったもの。この町では8時開店と言ったら8時丁度に並ぶ約束らしい。決して早くやって来て先にならぼうとしない。毎日この調子だからきっとそうなんだ。ゆうちょ銀行のカードを持って来たけど念の為現金を20万ほど用意して来ました。助かりました。ATMは一週間位利用できませんでした。停電が続いたので仕方がないですね。当該店の預金通帳を持っている人だけ数日後におろせるようになったらしいですが、どこでも下せる郵貯もこの事態には通用しないと言う事です。
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裏口からお客を入れる。入口の屋根と壁が崩落している。こんな平和な町でも風評被害があるのに驚かされる。一つは大手家電店が乾電池一個を1000円で売ったという話。レジが停電で動かないのだからお釣りは後でと言う事もありそうだが怖い話です。もう一つはスーパーの列に並んでいた母娘がトイレに行きたい娘を連れて列を離れるので隣の人に席の確保を依頼して戻ってみると並んでいる他の人達から割り込むなと言われ、席の確保を頼んだ人に頼みましたよねと言っても知らないと言われて最後尾に回されたと言うもの。義理も人情も廃れたものだと声高に話す人達がいるわけで何か意図があるのかと考えさせられました。
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自転車で町に出て見る。壁の崩落した酒屋さん。
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一関信用金庫地主町支店。屋根と壁が崩落。この辺りは駅前の中心部です。駅前の東横イン横の飲み屋街、フィリピンパブの前ではフィリピーナ達が不安げに店前に座り込んでいました。
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一関の郷土料理、もち料理の店として度々旅番組で紹介される、世嬉の一の蔵も崩落が見られる。本来は造り酒屋さんです。
蔵元レストラン せきのいち グルメ・レストラン
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ブロック塀の倒壊が目立ちます。強度の問題か、鉄筋の不足か分かりませんが。
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給油は緊急用車輌の指定を受けた車輌のみ。
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給油は緊急用車輌の指定を受けた車輌のみの看板を出す給油所。
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パン工房「アップル・ハウス」。壁の崩落にめげず営業を再開。
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3月16日、パンを買うので並ぶ人達から気仙沼に救援物資を届ける車が出ると聞く。付近の保育園の音頭取りらしい。園児達がスーツケースを引いて歩いて行く。集積所の「蔵ホテル」に義母の洋服を被災者の皆さんに着て貰いたいと思い届ける。
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3月17日、雪の中給油を待つ乗用車、我々も6時間並んで20L給油する。
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2008年の宮城内陸地震(震度5強)には耐えた墓石も倒壊しました。震度6には耐え切れ無いようです。
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3月23日早暁花巻空港に。パソコンでの予約が出来たので、Eチケットで帰れる事になりました。旅行代理店は営業を再開できてい無いので、Eチケット頼みの状況です。
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空港は暖房が出来ないので駐車場の車の中で搭乗時間を待つ。搭乗手続きの時間が近付くと中から続々と降りてくる。そして空港入口で抱き合って別れを惜しむ。
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花巻空港に着陸したJAL臨時便。この瞬間被災者から都会人モードに切替った。不思議で複雑な感覚。被災者意識をすっかり忘れてしまうんだから現金な話。
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大槌町から帰途につくお医者さんと同じ便に。沖縄から医療活動に向かう方法など考えられない時期ですから、たまたまこの事態に遭遇して二週間救急医療に努めて来たんだと思われます。背中に沖縄県医師のゼッケンがついている。ご苦労様でした。被災地から避難するたくさんの乗客と共に福島県上空を避けて北周りで羽田に向かう。
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今日は良い天気、岩手山の方角も晴れて良く見渡せる。
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