1996/09/05 - 1996/09/05
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itaruさん
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聖書でソロモン王と知恵比べをしたとされるシバの女王。その都がどこにあったのか、判明していないけれど有力な説は2カ所、イエメンとエチオピア。標高が高いサヌアとは違い、乾燥していてほとんど植物も育っていない。不毛の地とも思えるような場所にはダムがあり、緑が生い茂り、豊かな生活があった。信じられない思いで遺跡を見つめたものです
9月2日 成田15時55分発KE1便→ソウル19時40分発KE801便→バーレーン
バーレーン泊(トランジットホテル)
9月3日 バーレーン8時15分発GF540便→アブダビ13時15分発IY853便→サヌア
サヌア泊
9月4日 シバーム&コーカバン、スーラ観光
9月5日 マーリブ観光(タクシーチャーター)
9月6日 サヌア→タイズ(乗合タクシー)
タイズ泊
9月7日 タイズ→イッブ→サヌア
サヌア泊
9月8日 ワディダハール観光 サヌア18時30分発→アブダビ
9月9日 アブダビ1時50分発GF152便→バンコク(観光)22時30分JL718便→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- ガルフ航空 イエメニア JAL 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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マーリブにはバスと乗り合いタクシーが出ているという。まずは乗り場(ターミナルなど上等なものはありません)に行ってみよう。歩いていると「どこに行くんだい」と、タクシーのドライバーから声をかけられた。最初はその気はなかったのだけれど、話しているうちに6000リアル(当時のレートで50㌦程度)で交渉成立。詰め込みの乗り合いではなく、お気楽にチャーターで砂漠に向かいます
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当時のガイドブックにはマーリブより東が部族の影響が強く、旅行者が自由気ままに旅するのはお薦めできない旨が記されていました。外国人旅行者の誘拐事件などもちらほら起きていた。誘拐といっても、道路を作れなどといった要求を政府につきつけるため。誘拐された人も危害を加えられることはほとんどなかったようです。とりあえずマーリブまでは問題なく移動。ただ、ここからは現地の部族の4WDに乗り換えての観光となります。カラシニコフ銃を肩に提げた現地ガイドには20ドル払います
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マーリブの街からしばらく走ると廃虚が目に入る。オールドマーリブ
オールド・マーリブ 史跡・遺跡
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ここには1960年代まで人々が普通に暮らしていた。それが内戦(当時の北イエメン)時に破壊され、このような廃虚だけが残ることに
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内戦以前、どんな暮らしがあったのだろうか。実は廃虚とされるこの街にも人がいた。住むところがなく、インフラもないような場所で生活せざるを得ない人々が。現在進行形でこの国では内戦が行われている。新たな廃虚、家をなくした人々が増えなければいいのだけれど
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オールドマーリブからほど遠くない場所に遺跡が見えてきます。太陽の神殿(マハラム・ビルキス)
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8本の柱が特徴的な太陽の神殿は、紀元400年頃に造られたもの。ということは紀元前10世紀頃とされている聖書の年代とは合いません。シバの女王は関係ない!
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いまでは発掘もだいぶ進んだようですが、当時は砂漠に柱がたっているだけ。分かってはいたのだけれど、拍子抜けという感じがあったのは確か(笑)
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月の神殿アルシュ・ビルキス。こちらは女王の神殿ともいわれています
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こちらは発掘が進んでいるようで、まさに古代の遺跡という雰囲気を醸し出す
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当時は自由に遺跡内を動きまわれた。管理が甘かったというか、おおらかな時代だったというべきか
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紀元前8世紀につくられたというマーリブのオールドダム。このダムのおかげで灌漑農業が可能となり、シバ王国は豊かな実りを享受し、繁栄することができたわけです
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ダムは近代以前では最大といわれる規模でマーリブに住む3万とも5万ともされる人々の暮らしを支えた。しかし、6世紀にたびたび決壊、その後マーリブは繁栄を取り戻すことができずに衰退することに。
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ダムの保存状態は予想以上に良好。その一方でこの場所に水が蓄えられていたことが想像できない。近年、UAEの援助で完成したニューダムも訪れれば良かった
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一通りマーリブの観光を終えて帰路につく際、ドライバーから「バラケシュに行かないか」との誘い。料金は+2000リアル。今回訪ねなければバラケシュに行く機会など2度と訪れない。それじゃあ、行こうか
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この写真、当時のカメラに備えられていたなんちゃってパノラマ。ただ単にフィルムの上と下を切って横長にしただけ。撮影している部分は少ないのにプリントすると横長で大きくなるから粒子の粗い写真になったなあ
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紀元前4世紀に栄えた王国の廃虚。バラケシュ訪問に際し、途中で兵士が護衛ということで乗り込んできた。まもなく城塞のようなものが目に入ってくる。バラケシュだった
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バラケシュ遺跡はフェンスで囲まれていた。発掘調査中、それとも盗難防止のため
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そして兵士には500リアルの護衛料?を渡すことに
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サヌアからチャーターしたタクシーのドライバーと護衛
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遺跡は整備とはほど遠い状態。瓦礫がそこら中に転がっているという感じでまさに廃虚
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非常に興味深いのだけれど、予備知識に乏しく、ガイドもいないので遺跡のこの場所がどういったものか、ほとんど分からない。それが何だか物足りない
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とはいえ、かなり自由に歩き回ることができた。もちろん遺跡を傷つけないようにだけど
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それにしても、個人で自由にマーリブをまわれたのは幸運だったと思う。1年後にイエメンを訪れた友人は個人では行けず、旅行会社の手配のもと、コンボイを組んで装甲車の護衛付きだったという。しかもバラケシュには行くことができなかったというのだから
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バラケシュで使われていた古代文字。なんて書かれているのだろうか
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