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[はじめに]<br />シバの女王の遺跡があるマーリブへは機関銃搭載の護衛車付で行ってきました。<br /><br />2013年追記:98年当時、地球の歩き方 アラビア半島(97-98版)にはマーリブの解説が詳しく載っており、観光も可能でした(最新版ではイエメンのガイドはサナア周辺のみ)。<br /><br />[経路]<br />成田-シンガポール-ドバイ-サナア<br />サナア-ドバイ-シンガポール-成田<br /><br />[手配]<br />JAL+エミレーツ航空のジョイントチケット(シンガポールまではJAL、その先はエミレーツ航空)。手配先は西遊旅行(海外航空券ホテル&ガイドという雑誌に掲載されていた)、165,000円。<br /><br />[日程]<br />7月31日 成田-シンガポール-ドバイ-<br />8月01日 サナア ☆サナア旧市街<br />8月02日 ☆シーバーム・コーカバン<br />8月03日 ★マーリブ遺跡<br />8月04日 ☆ハジャラ<br />8月05日 ☆ワディ・ダハール(ロックパレス) サナア-<br />8月06日 ドバイ-シンガポール-成田<br /><br /><br />[レート]<br />1$=132YR=約1円<br /><br /><br />8月3日<br /> 98年当時、マーリブへ向かう道路では旅行者を誘拐する事件がたびたび起きていました。ツーリスト誘拐の理由は地域の部族が政府に対して公共事業の優先権を交渉するためのカードとして誘拐しているとのことでした。「早く道路を舗装しろ!」だの、そう言った要求だそうです。この背景には政府が公共事業を行う十分な予算がないことが原因らしい(イエメンは石油が出ないためアラビア半島でも貧しい国)。<br /><br /> そのため、誘拐されても旅行者に危害が加わることは少なく、逆に誘拐してすみませんという感じで厚遇を受けた旅行者もいるとのことでした。現に当時の外務省の海外危険情報にも「人命に危険が及ぶことが少ないので相手方をむやみに刺激することなく冷静沈着に行動して下さい。」とのコメントが載っていました。<br /><br /> サナアに到着後、旧市街に入ってオールド・サナア・パレスにチェックインし、マーリブへの最新情報を得るため、ホテルのフロントで日本人が泊まっていないか聞くと泊まっているというので、その部屋を教えてもらいました。訪ねてみると、今、マーリブから帰ってきたと言う。日本を出発する時点では現地に行ってみないとマーリブへは行けるかどうかわからなかったので詳しく話を聞きました。彼が言うには、昨日旅行会社に申し込んで今日行ってきたと言う。早速その旅行会社を教えてもらいましたのが、今日はもう夕方なので明日朝一に訪ねることにしました。<br /><br /> 翌朝、朝食後に旧市街にあるその旅行会社を訪ねましたが入口は鉄の扉で閉まっていました。とりあえず、郊外のシバーム・コーカバンに観光に行ってから再び旅行会社を訪ねました。すると入口の扉が開いており、従業員にマーリブ行きのことを(英語で)告げると、丁寧に対応してくれました。マーリブへは明日でもOKというので、すぐに許可書を取る為の書類を作成して管轄へFAXしてくれました、有難い。とにかく仕事の手際がよい旅行会社でした。<br /><br /> FAXの返答待ちの間、カウンターの前の椅子でくつろいでいると、従業員はみな、カートタイムらしく、カートで頬を膨らませていました。私がカートに興味を示すと少し分けてくれ、同じように噛んで口に含んだままにしてみましたが、ほろ苦いだけで私には単なる葉っぱでした。しばらくして明日のマーリブ行きの許可が下りたと言われたので、待ち合わせ場所を確認しホテルに戻りました。ちょっぴり不安だが明日が楽しみです。<br /><br /> 翌朝、朝食を食べてから旅行会社前でマーリブ行きのドライバーと合流、参加者は私一人だけ。4WDのトヨタ製の車ですぐにマーリブに向けて出発しました(現地語のドライバーだけでガイドはいません)。<br /><br /> 市内を抜けてしばらくすると車は検問所の横の空き地に停まりました。ここで許可書の確認を行い、マーリブ行きの他のツアーの車と合流しました。単独で行くと襲撃のターゲットにされる危険があるからだそうです。<br /><br /> 本日のツアーは車6台、さあ、出発です。私の車の後部座席には警官が乗り込み、最後列で出発しました。嫌がおうにも緊張が高まります。まあ、例え襲撃されても、警官が後ろにいるので安心と自分に言い聞かせました。6台の4WDは徒党を組んでマーリブに向けて出発しました。<br /><br /> サナアからマーリブまでの道は本当にダイナミックな風景が広がり、景色を見ていて退屈しませんでした。断崖絶壁の谷を抜けたり、グランドキャニンのような渓谷を見れたりと見応えがありました。山間を抜けるとひたすら荒涼とした大地を走り、2時間ほど走ったのち、休憩所がある検問所に到着しました。<br /><br /> ここには自動小銃を持った地元の部族たちが大勢たむろしていました。こちらは丸腰なので銃で脅されたらそれこそアウト。運転手にチャイをご馳走になりくつろいでいると、近くでパーンという銃声がなり響きました。銃の試し撃ちをしていたみたいです。心臓に悪く、生きた心地がしませんでした...<br /><br /> 出発時、銃を持った地元の兵士がなにやら運転手と話し、運転手がお金を渡していました。どうやら、ここからは兵士が護衛をしてくれるらしいです。最前列の方を見ると、トラックの荷台に機関銃のよう武器が装着されている車がやってきました。すごい!<br /><br /> 襲ってきたらあれで迎え撃つのだろうか。さらにその荷台には数名、自動小銃を持った兵士が乗り込みました。想像以上に物騒な感じになってきました。でも、運転手は大丈夫!大丈夫!みたなことを言っていました(英語がしゃべれないのでジェスチャーで)。なので、心配するのは止めることにしました。<br /><br /> ここからは護衛車を先頭に一列になって進みました。車が進む道は見通しのよい荒野。私も荒野の遠くの方に目をやり、不審な車が出てこないか一応見回しました。車は猛スピードで荒野のハイウェイを突き進み、何事もなく2時間ほど走ると、無事マーリブの街の到着しました。少しほっとしました。<br /><br /> ちょうどお昼前なので街一番の高級ホテルのレストランで昼食をとりました。食べ終わった後、ロビーで休憩していると、運転手さん達が暇そうな私を見つけて、今からカートを買いに行くので一緒に行こう!というので一緒に市場に行くことにしました。しかし、市場の近くで地元の人と運転手さんが話をしたあと、私のところにやってきて、「つい2、3日前に部族同士で抗争があって物騒ので歩き回らない方がよい」と言われたので、私はホテルに戻りました。やはり本当に危険みたいです。<br /><br /> 昼食後、いよいよマーリブ遺跡の観光に出発。観光は私とスペイン人6人のグループ、自動小銃を持った若者2人が私の後部座席に乗り込んできました。マーリブ近郊は危なくないと聞いていましたが、なんで兵士が乗り込んでくるのかな。<br /><br /> 砂漠の都マーリブのシバ王国は紀元前10世紀頃、東西の中継貿易で栄えた国です。シバ王国の王は女性でシバの女王として有名だそうです。だが実際はどのような人物だったかは謎につつまれ、詳しくはわかっていないそうです。<br /><br /> もともと、シバの女王が有名なのは、旧約聖書に書かれてあるエピソードによるものらしいです。東西のラクダの隊商(キャラバン)ルートの確保の為に、当時イスラエルの王だったソロモン王に莫大な貢ぎ物をしたとして記述されているため、有名なんだそうです。謎の女王に莫大な富で栄えた古代王国。なんだかとっても興味をそそる遺跡ですね。<br /><br /> 最初に訪れたのは Mahram Bilqis(太陽の宮殿)呼ばれる遺跡。ここの遺跡の大部分は砂の下に埋まっており全容を見ることが出来ません。砂の上には、在りし日の宮殿の石柱の上部4、5mだけ、砂の中から伸びており、哀愁を感じます。<br /><br /> このように野ざらしにされているのは、どうも発掘調査をする費用やノウハウがないためらしいです。残念ですが、まだ発掘してみないと分からない部分があるというのに古代のロマンを感じました。さらに、砂の中からわずかに見えている石壁の石に、暗号のようなマーリブ文字が刻み込まれていました。この文字もいまだ解読されていないそうです。ますます、古代のロマンを掻き立てられますね。残念ながら遺跡の周りは鉄さくあり、中に入ることができませんでした。<br /><br /> 次に訪れたのは、Arsh Bilqis(月の宮殿)と呼ばれる遺跡であす。ここは一応、宮殿というか神殿風な造りがわかるほど発掘はされていますが規模は小さいです。莫大な富で繁栄した王国の宮殿としては物足りない気がします。遺跡は高さ15mほどの石柱(正方形)が5本、途中で折れた柱が1本、一列に並んでいます。<br /><br /> 遺跡を見学していると向こうの空一面が茶色になっているのが見えましあた。砂嵐みたいです。しかも、我々の方に向かってきているように見えます。急いで車に乗り込み、窓を閉めて待ちました。砂嵐が来るとあたり一面茶色の景色で何も見えなくなりました。外にいてたら、砂まみれになっていたと思うと車に避難出来て助かりました。でもこんな体験も砂漠の国ならではなので面白かったです。<br /><br /> 次にオールドマーリブという、昔のマーリブの首都があったところに行きました。今は当時の建物ではないと思いますが、いくつか建物が残っており、その廃虚に人が住んでいてびっくりしました。<br /><br /> 最後にマーリブダムに行きました。ここマーリブは乾燥地帯にあるので水を確保することがとても重要でした。シバの女王の繁栄をもたらしたのも、立派なダムを建築できた為らしいです。遺跡はダムというより、堰止め用の石の土手みたいな感じでした。<br /><br /> マーリブダムを見学する頃には、車に乗っている少年兵士とも随分仲良くなりました。試しに彼らの持っている銃を持たせてもらいましたが、ものすごく重かったです。少年と言えども、持っている銃は本物でした。<br /><br /> マーリブダムで本日の観光は終了です。遺跡自体はすごい!とうなるほどではなかったですが、なんだか哀愁をそそる古代のロマンを感じる遺跡でした。<br /><br /> 帰りは休憩なしでサナアまで戻りました。サナアまでは180kmあるのでぶっ通しでも結構きつく、3時間はかかりました。車酔した私はホテルに戻り、すぐに倒れるように眠りにつきました。ちなみに帰りは護衛なしだったはなんでなんだろうか。

幸福のアラビア イエメンへの旅 マーリブ編

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1998/07/31 - 1998/08/06

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12

ポコ

ポコさん

[はじめに]
シバの女王の遺跡があるマーリブへは機関銃搭載の護衛車付で行ってきました。

2013年追記:98年当時、地球の歩き方 アラビア半島(97-98版)にはマーリブの解説が詳しく載っており、観光も可能でした(最新版ではイエメンのガイドはサナア周辺のみ)。

[経路]
成田-シンガポール-ドバイ-サナア
サナア-ドバイ-シンガポール-成田

[手配]
JAL+エミレーツ航空のジョイントチケット(シンガポールまではJAL、その先はエミレーツ航空)。手配先は西遊旅行(海外航空券ホテル&ガイドという雑誌に掲載されていた)、165,000円。

[日程]
7月31日 成田-シンガポール-ドバイ-
8月01日 サナア ☆サナア旧市街
8月02日 ☆シーバーム・コーカバン
8月03日 ★マーリブ遺跡
8月04日 ☆ハジャラ
8月05日 ☆ワディ・ダハール(ロックパレス) サナア-
8月06日 ドバイ-シンガポール-成田


[レート]
1$=132YR=約1円


8月3日
 98年当時、マーリブへ向かう道路では旅行者を誘拐する事件がたびたび起きていました。ツーリスト誘拐の理由は地域の部族が政府に対して公共事業の優先権を交渉するためのカードとして誘拐しているとのことでした。「早く道路を舗装しろ!」だの、そう言った要求だそうです。この背景には政府が公共事業を行う十分な予算がないことが原因らしい(イエメンは石油が出ないためアラビア半島でも貧しい国)。

 そのため、誘拐されても旅行者に危害が加わることは少なく、逆に誘拐してすみませんという感じで厚遇を受けた旅行者もいるとのことでした。現に当時の外務省の海外危険情報にも「人命に危険が及ぶことが少ないので相手方をむやみに刺激することなく冷静沈着に行動して下さい。」とのコメントが載っていました。

 サナアに到着後、旧市街に入ってオールド・サナア・パレスにチェックインし、マーリブへの最新情報を得るため、ホテルのフロントで日本人が泊まっていないか聞くと泊まっているというので、その部屋を教えてもらいました。訪ねてみると、今、マーリブから帰ってきたと言う。日本を出発する時点では現地に行ってみないとマーリブへは行けるかどうかわからなかったので詳しく話を聞きました。彼が言うには、昨日旅行会社に申し込んで今日行ってきたと言う。早速その旅行会社を教えてもらいましたのが、今日はもう夕方なので明日朝一に訪ねることにしました。

 翌朝、朝食後に旧市街にあるその旅行会社を訪ねましたが入口は鉄の扉で閉まっていました。とりあえず、郊外のシバーム・コーカバンに観光に行ってから再び旅行会社を訪ねました。すると入口の扉が開いており、従業員にマーリブ行きのことを(英語で)告げると、丁寧に対応してくれました。マーリブへは明日でもOKというので、すぐに許可書を取る為の書類を作成して管轄へFAXしてくれました、有難い。とにかく仕事の手際がよい旅行会社でした。

 FAXの返答待ちの間、カウンターの前の椅子でくつろいでいると、従業員はみな、カートタイムらしく、カートで頬を膨らませていました。私がカートに興味を示すと少し分けてくれ、同じように噛んで口に含んだままにしてみましたが、ほろ苦いだけで私には単なる葉っぱでした。しばらくして明日のマーリブ行きの許可が下りたと言われたので、待ち合わせ場所を確認しホテルに戻りました。ちょっぴり不安だが明日が楽しみです。

 翌朝、朝食を食べてから旅行会社前でマーリブ行きのドライバーと合流、参加者は私一人だけ。4WDのトヨタ製の車ですぐにマーリブに向けて出発しました(現地語のドライバーだけでガイドはいません)。

 市内を抜けてしばらくすると車は検問所の横の空き地に停まりました。ここで許可書の確認を行い、マーリブ行きの他のツアーの車と合流しました。単独で行くと襲撃のターゲットにされる危険があるからだそうです。

 本日のツアーは車6台、さあ、出発です。私の車の後部座席には警官が乗り込み、最後列で出発しました。嫌がおうにも緊張が高まります。まあ、例え襲撃されても、警官が後ろにいるので安心と自分に言い聞かせました。6台の4WDは徒党を組んでマーリブに向けて出発しました。

 サナアからマーリブまでの道は本当にダイナミックな風景が広がり、景色を見ていて退屈しませんでした。断崖絶壁の谷を抜けたり、グランドキャニンのような渓谷を見れたりと見応えがありました。山間を抜けるとひたすら荒涼とした大地を走り、2時間ほど走ったのち、休憩所がある検問所に到着しました。

 ここには自動小銃を持った地元の部族たちが大勢たむろしていました。こちらは丸腰なので銃で脅されたらそれこそアウト。運転手にチャイをご馳走になりくつろいでいると、近くでパーンという銃声がなり響きました。銃の試し撃ちをしていたみたいです。心臓に悪く、生きた心地がしませんでした...

 出発時、銃を持った地元の兵士がなにやら運転手と話し、運転手がお金を渡していました。どうやら、ここからは兵士が護衛をしてくれるらしいです。最前列の方を見ると、トラックの荷台に機関銃のよう武器が装着されている車がやってきました。すごい!

 襲ってきたらあれで迎え撃つのだろうか。さらにその荷台には数名、自動小銃を持った兵士が乗り込みました。想像以上に物騒な感じになってきました。でも、運転手は大丈夫!大丈夫!みたなことを言っていました(英語がしゃべれないのでジェスチャーで)。なので、心配するのは止めることにしました。

 ここからは護衛車を先頭に一列になって進みました。車が進む道は見通しのよい荒野。私も荒野の遠くの方に目をやり、不審な車が出てこないか一応見回しました。車は猛スピードで荒野のハイウェイを突き進み、何事もなく2時間ほど走ると、無事マーリブの街の到着しました。少しほっとしました。

 ちょうどお昼前なので街一番の高級ホテルのレストランで昼食をとりました。食べ終わった後、ロビーで休憩していると、運転手さん達が暇そうな私を見つけて、今からカートを買いに行くので一緒に行こう!というので一緒に市場に行くことにしました。しかし、市場の近くで地元の人と運転手さんが話をしたあと、私のところにやってきて、「つい2、3日前に部族同士で抗争があって物騒ので歩き回らない方がよい」と言われたので、私はホテルに戻りました。やはり本当に危険みたいです。

 昼食後、いよいよマーリブ遺跡の観光に出発。観光は私とスペイン人6人のグループ、自動小銃を持った若者2人が私の後部座席に乗り込んできました。マーリブ近郊は危なくないと聞いていましたが、なんで兵士が乗り込んでくるのかな。

 砂漠の都マーリブのシバ王国は紀元前10世紀頃、東西の中継貿易で栄えた国です。シバ王国の王は女性でシバの女王として有名だそうです。だが実際はどのような人物だったかは謎につつまれ、詳しくはわかっていないそうです。

 もともと、シバの女王が有名なのは、旧約聖書に書かれてあるエピソードによるものらしいです。東西のラクダの隊商(キャラバン)ルートの確保の為に、当時イスラエルの王だったソロモン王に莫大な貢ぎ物をしたとして記述されているため、有名なんだそうです。謎の女王に莫大な富で栄えた古代王国。なんだかとっても興味をそそる遺跡ですね。

 最初に訪れたのは Mahram Bilqis(太陽の宮殿)呼ばれる遺跡。ここの遺跡の大部分は砂の下に埋まっており全容を見ることが出来ません。砂の上には、在りし日の宮殿の石柱の上部4、5mだけ、砂の中から伸びており、哀愁を感じます。

 このように野ざらしにされているのは、どうも発掘調査をする費用やノウハウがないためらしいです。残念ですが、まだ発掘してみないと分からない部分があるというのに古代のロマンを感じました。さらに、砂の中からわずかに見えている石壁の石に、暗号のようなマーリブ文字が刻み込まれていました。この文字もいまだ解読されていないそうです。ますます、古代のロマンを掻き立てられますね。残念ながら遺跡の周りは鉄さくあり、中に入ることができませんでした。

 次に訪れたのは、Arsh Bilqis(月の宮殿)と呼ばれる遺跡であす。ここは一応、宮殿というか神殿風な造りがわかるほど発掘はされていますが規模は小さいです。莫大な富で繁栄した王国の宮殿としては物足りない気がします。遺跡は高さ15mほどの石柱(正方形)が5本、途中で折れた柱が1本、一列に並んでいます。

 遺跡を見学していると向こうの空一面が茶色になっているのが見えましあた。砂嵐みたいです。しかも、我々の方に向かってきているように見えます。急いで車に乗り込み、窓を閉めて待ちました。砂嵐が来るとあたり一面茶色の景色で何も見えなくなりました。外にいてたら、砂まみれになっていたと思うと車に避難出来て助かりました。でもこんな体験も砂漠の国ならではなので面白かったです。

 次にオールドマーリブという、昔のマーリブの首都があったところに行きました。今は当時の建物ではないと思いますが、いくつか建物が残っており、その廃虚に人が住んでいてびっくりしました。

 最後にマーリブダムに行きました。ここマーリブは乾燥地帯にあるので水を確保することがとても重要でした。シバの女王の繁栄をもたらしたのも、立派なダムを建築できた為らしいです。遺跡はダムというより、堰止め用の石の土手みたいな感じでした。

 マーリブダムを見学する頃には、車に乗っている少年兵士とも随分仲良くなりました。試しに彼らの持っている銃を持たせてもらいましたが、ものすごく重かったです。少年と言えども、持っている銃は本物でした。

 マーリブダムで本日の観光は終了です。遺跡自体はすごい!とうなるほどではなかったですが、なんだか哀愁をそそる古代のロマンを感じる遺跡でした。

 帰りは休憩なしでサナアまで戻りました。サナアまでは180kmあるのでぶっ通しでも結構きつく、3時間はかかりました。車酔した私はホテルに戻り、すぐに倒れるように眠りにつきました。ちなみに帰りは護衛なしだったはなんでなんだろうか。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
3.0
ショッピング
1.0
交通
4.0
同行者
一人旅
旅行の手配内容
個別手配

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  • マーリブへの道中の風景

    マーリブへの道中の風景

  • マーリブへの道中の風景

    マーリブへの道中の風景

  • 襲撃に備えて徒党が組んで進むツアー車

    襲撃に備えて徒党が組んで進むツアー車

  • 先頭のトラックの荷台に機関銃が搭載

    先頭のトラックの荷台に機関銃が搭載

  • マーリブ遺跡 月の神殿 砂に埋もれている

    マーリブ遺跡 月の神殿 砂に埋もれている

  • マリーブ遺跡 月の神殿のフェンス(地元の人は中に入っている)

    マリーブ遺跡 月の神殿のフェンス(地元の人は中に入っている)

  • マーリブ遺跡 月の神殿

    マーリブ遺跡 月の神殿

  • マーリブ遺跡 私の護衛

    マーリブ遺跡 私の護衛

  • マーリブ遺跡 月の神殿の一部 マーリブ文字が刻まれている

    マーリブ遺跡 月の神殿の一部 マーリブ文字が刻まれている

  • マーリブ遺跡 砂嵐

    マーリブ遺跡 砂嵐

  • マーリブ遺跡 マーリブ・ダム

    マーリブ遺跡 マーリブ・ダム

  • マーリブ遺跡 古代マーリブ文字 

    マーリブ遺跡 古代マーリブ文字 

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