2016/09/09 - 2016/09/16
740位(同エリア1830件中)
白い雲さん
ロシアについての初心者が、ツアー旅行の印象を記しました。
モスクワからウラジミール、スーズダリ、セルギエフ・パサードを経てサンクトペテルブルグを旅しました。
写真(サンクトペテルブルグのスパース・ナ・クラヴィー大聖堂)のような葱坊主型のドームを持ったロシア正教の教会もたくさん見ました。
楽しみの一つがエルミタージュ美術館の昨品鑑賞でした。
そんな旅からロシア帝国の歴史が少しでも理解できたらと思っての参加でした。
80枚の写真を掲載しています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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-
モスクワのシンボル・聖ワシリー寺院です。
モスクワは、ロシア連邦の首都です。
1561年にはイヴァン4世によって聖ワシリー大聖堂が建設されました。
1613年にはミハイル・ロマノフがツァーリに選出されてロマノフ朝が成立しました。ロマノフ朝時代は国土の拡張にともないモスクワも成長を続けましたが、ピョートル1世が1712年にロシア北西端のネヴァ川河口にサンクトペテルブルクを建設したことで首都の座を譲りました。
ロシア連邦は、1991年12月25日、ソビエト連邦崩壊により、ロシア共和国が連邦から離脱しロシア連邦として成立、エリツィンが初代大統領に就任しました。
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クレムリンは、ロシア連邦政治の中心です。
写真は、大統領府の建物です。
モスクワのクレムリン観光の中心は、聖堂広場(サボールナヤ広場)です。
この周辺に、大クレムリン宮殿、グラノヴィータヤ宮殿、ウスペンスキー大聖堂、アルハンゲリスキー大聖堂、イワン大帝の鐘楼などがあります。
ちなみに、「クレムリン」とは「要塞」という意味で、モスクワ以外の町にも存在することを今回の旅行で初めて知りました。 -
ウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)です。
1547年に、イヴァン4世の、ロシアで最初のツァーリとしての戴冠式がここで行われました。ロシア正教会の首座たる府主教・総主教の着座式もここで行われました。1917年にロシア革命が始まると、クレムリン内での宗教行事は一切禁止されました。1990年になってウスペンスキー大聖堂は、教会に戻され、現在はロシア正教の宗教活動が行われているそうです。 -
大クレムリン宮殿です。
グラノヴィータヤ宮殿、テレムノイ宮殿を合わせてクレムリン大宮殿と呼ぶことが多いようです。現在は外国政府の要人との会見や国家祝典などに利用されます。 -
「鐘の皇帝」です。
ロマノフ朝第4代のロシア皇帝・アンナ・イヴァノヴナの命で製作が始まりました。1735年には重さは約200トンの巨大な鐘がほぼ完成していました.ところが、火災に遭ってひび割れ。写真のように11トンあまりの部分が落ちてしまったのです。
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「大砲の皇帝」も見ることができます。
1586年にロシアの鋳造職人アンドレイ・チョーホフが製作しました。重量約18トン、全長5.34メートル、口径890ミリメートルという巨大なもので世界一の口径としてギネスブックにも載っているそうです。
実際に使用されたことは一度もなく、当初から誇示が目的であったといわれています。 -
衛兵の交代です。
クレムリンの城壁の外側、アレクサンドロフスキー公園の一角に「無名戦士の墓」が在ります。
1時間おきに、衛兵2名が交代します。交代の時間は7~8分だったと思います。 -
レーニン廟です。
クレムリンの城壁、北北東の赤の広場の一角に「レーニン廟」があります。
1924年1月21日に亡くなったレーニンの遺体が安置されています。
その後、スターリンの遺体も安置されました。
遺体を納める場所が何カ所かあって、そのうちの1カ所、壁の中に片山潜も納められているという事でした。 -
グム百貨店です。
赤の広場の北北東側にある巨大な百貨店です。内部はアーケード状になっていて、通りが二つあります。通りの両側には商店が並んでいます。1階は、ルイ・ヴィトン、グッチ、エルメスなどの店が目につきました。2階は、リーバイス、アグなどのシューズの店やカジュアルブランドの店が多く並んでいるようでした。
3階は雑貨、陶器の店が入っているというのですが、サムスン、アップル、ソニーなどの店が人気のようです。また、フードコートがあるので買い物客の休憩場所にもなっていました。 -
グム百貨店のアーケード街です。
ここには、アイスクリームを売る店があって、買い物客や観光客に人気です。 -
モスクワの地下鉄です。
市内見学を予定していた9月10日は土曜日でした。モスクワ赤の広場周辺や各通りで「スパスカヤ音楽祭」が催されるようで入場規制がされていました。なかなか赤の広場に近づけません。添乗員が我々を地下鉄に乗せていろいろな入り口に行きましたが、14時までクレムリンにも近づけませんでした。
地下鉄に何度か乗車して、立派なモスクワの地下鉄を堪能しました。 -
スパスカヤ音楽祭が催されているモスクワの街中です。
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ノヴォデヴィチ修道院です。
16世紀にヴァシリー3世が建てた女子修道院です。
クレムリンの出城として、モスクワ川を渡って攻めてくるタタール人を食い止めたり、ポーランド・リトアニア連合軍を打ち破るなどの歴史があるとの説明でした。
手前の湖は、チャイコフスキーが散策して「白鳥の湖」のイメージをわかせたといわれているそうです。 -
ウラジーミルのメインストリートです。
モスクワの北東百数十キロメートルにあるロシアの古都群を「黄金の輪」と呼んで
います。
ウラジーミルもその一つです。1169年キエフのルーシ王朝が弱体化すると首都がウラジーミルに移されました。しかし、1238年モンゴル軍に町は破壊されてしまいました。
写真は「黄金の門」と呼ばれる町を囲んでいた城壁に設けられた5つの門のうちの一つです。 -
ウスペンスキー大聖堂です。
ウラジーミルの町外れのプーシキン公園にあります。5つの丸屋根を持つ堂々としたロシア正教の教会です。14世紀までは、ロシア大聖堂の最高位にあったということです。 -
ドミトリエフスキー聖堂です。
ウスペンスキー大聖堂を反時計回りに進むと、外壁一面に聖人や英雄そして動植物が刻まれた小柄な教会があります。この壁の彫刻から「石の詩」とか「石のカーペット」と呼ばれるそうです。目立つ浮き彫りは、中央部の窓の上にダビデ王、ほかにアレクサンダー大王やソロモン王それにヘラクレスなどが見られました。 -
ドミトリエフスキー聖堂の彫刻です
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プーシキン公園の展望台からのロシア平原です。
地平線が見えます。
写真の左から右に向かって走っているのはシベリア鉄道だそうです。 -
スーズダリです。
「黄金の輪」の一つの古都です。 -
観光客用の馬車です。
スーズダリのクレムリン(要塞)に入ると、といっても城壁であったところにわずかに土塁のようなものがある程度。
ここからスーズダリの目玉となっているスパソ・エフフィミエフ修道院まで貴族の時間を過ごしました。
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スパソ・エフフィミエフ修道院の城壁です。
城壁の中には、スパソ・プレオブラジェーンスキー聖堂、鐘楼、ブラゴヴェシチェンスカヤ教会、ウスペンスカヤ教会、ニコーリスカヤ教会、修道院の懲罰室などがあります。 -
スパソ・プレオブラジェーンスキー聖堂です。
スパソ・エフフィミエフ修道院の中心となる建物です。 -
スパソ・エフフィミエフ修道院の鐘楼です。
木々に囲まれた鐘楼では、1日数回カリヨンの演奏があります。
17時の演奏を聴きましたが、なんと一人の演奏者が十数個の鐘を何本もの紐など手足を巧みに使って打ち鳴らすのでした。カリヨンはほかでも聴きましたが、機械式ばかりでした。ここの鐘楼は、人間の手足を使って演奏するのでいかにも宗教活動という感じがしました。 -
トロイツェ・セルギエフ大修道院です。
モスクワから1時間ほどの距離にあるので多くの観光客が訪れるセルギエフパサードの一大観光地になっております。
この修道院は、聖セルギウスが1345年に僧庵を建てたのが始まりだそうです。彼は、モンゴルの襲来に対抗するべく諸公のまとめ役ともなりロシアの勝利を引き出しました。その後も彼にまつわる奇蹟が続きました。そのため現在、ロシアの守護聖人となっているようです。さらに,修道院内には250人の修道僧が生活しているそうです。 -
ウスペンスキー聖堂です。
1585年、イワン雷帝の命令で建設されました。
トロイツェ・セルギエフ大修道院の中心となる聖堂です。
金色のドームを4つの青地に金の星を散らした4つのドームが取り囲んでいます。 -
イコノスタスが見えます。
ウスペンスキー聖堂内には、内陣と信者がお祈りをする場所を隔てる壁が設けられ、多くのイコンが掛けられていました。この壁をイコノスタスといいます。
聖堂内は、壁、柱、天井と一面にフレスコ画が描かれて独特の雰囲気です。 -
僧院食堂付属のセルギエフ聖堂です。
修道僧たちの食堂ですが、皇帝などの迎賓館としても使われたという豪華な造りで、柱の無い広い空間となっていました。また、教会としての機能も有していて、キリストの板絵をはじめとして宗教画が飾られていました。聖櫃も安置されていました。 -
マトリョーシカの工房です。
セルギエフパサードは、民芸品のマトリョーシカの産地です。
訪ねた工房では、職人が樺の木などを削り、瞬く間に頭の部分と胴体の部分を作り上げました。腕前は確かで、頭部が胴体部にピタリと収まりました。
別棟では、マトリョーシカの絵付けもできます。 -
「コストロマ」の鑑賞でした。
セルギエフ・ポサートからモスクワへ戻り、寝台特急に乗車する時間帯を利用しての鑑賞でした。
「コストロマ」は、キリスト教化されたロシア帝政時代やソビエト連邦時代の極北地域、南方ステップ地方、カフカース山脈やロシア中央部に生活する人々の様子が50名のダンサーによって、15のシーンに構成されていました。
上演時間は、2時間でした。 -
レニングラード駅です。
ロシアの鉄道駅は、列車の目的地名を駅名にしてあります。モスクワからサンクトペテルブルグへ行く寝台特急列車はレニングラード駅から出発しました。レニングラードは、サンクトペテルブルグの旧名です。 -
寝台特急グランドエキスプレスです。
写真は、15両編成の9号車・4号室です。
このコンパートメントは、「ソフトクラス(1等車)」で、2両連結されていました。1車両9部屋です。中央に小さなテーブル、両側に幅90センチメートルのベッド、その下にスーツケースが収納できました。アメニティセットがついていて、朝食も部屋まで運んでくれました。便所と洗面書は各車両に1カ所設けられていました。 -
寝台特急グランドエキスプレスの編成です。
ほかにグレードの高いプレミアムクラス(2両)、グランドクラス(2両)、グランドデラックス(2両)があることを後ほど知りました。グレードが高くなるに従って、洗面台やTVが設けられ、さらにベッドの幅が120cmになったりトイレ・シャワーがつくというようになるようです。
23:40にレニングラード駅を出発して、サンクトペテルブルグのモスクワ駅に8:35に着きました。 -
ロストラの灯台柱です。
サンクトペテルブルグの大ネヴァ川と小ネヴァ川の分岐点に立っています。
かっては、頂で薪を燃やして航行する船の安全を図ったそうですが、今は観光資源のみの働きです。
この柱は2本あって、ストリェールカという海浜公園にあります。 -
ペトロパブロフスク要塞です。
ピョートル大帝は、当時強国だったスウェーデンと戦う足がかりとして建設したとの説明でした。 -
青銅の騎士像です。
サンクトペテルブルクの元老院広場に立つロシア皇帝ピョートル大帝の騎馬像です。1833年にアレクサンドル・プーシキンがこの騎馬像を題材にた長編叙事詩『青銅の騎士』を発表、この像自体もこの名で呼ばれるのだそうです。 -
冬宮です。
ロシア皇帝の冬季の王宮です。エカテリーナ大帝が最初に使用しました。白と綠の石材を用いたロココ調の建物です。
宮殿の北側はネヴァ川に面し、南側には宮殿広場が広がっています。現在はエルミタージュ美術館の中心の建物です。
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スパース・ナ・クラヴィー大聖堂です。
この教会は、「血の上の救世主教会」ともいわれるように、ニコライ1世の後を継いだアレクサンドル2世が暗殺された場所に建っています。したがって、建設が1907年と新しい教会です。でも、葱坊主のドームをいくつも持ち存在感は十分です。 -
全能者ハリストスです。
スパース・ナ・クラヴィー大聖堂(血の上の救世主教会)の丸天井に描かれた全能者ハリストスと天子です。 -
スパース・ナ・クラヴィー大聖堂(血の上の救世主教会)の内陣です。
この教会は、1970年に管理権が聖イサアク大聖堂に譲渡されました。しかし、ロマノフ家の慰霊施設であったことから公的な神礼はほとんど行われず、内部のモザイクが美しいモザイク博物館として観光客で賑わっているようです。 -
オーロラ号です。
ロシア帝国時代の巡洋艦です。バルチック艦隊に属して1905年5月27日の日本海海戦にも参戦しましたが、難を逃れサンクトペテルブルグに帰港しました。
1917年の二月革命では、乗組員が反乱を起こし艦内に革命委員会が設けられました。10月25日には、外洋への命令を拒み、9:45主砲が砲撃を始めて十月革命の火蓋を切ることになりました。 -
エカテリーナ2世の銅像です.
エカテリーナ2世は、何人もの恋人を持っていたといわれます。
その人たちが彼女の銅像の台座部分に刻まれています。
真実の恋人といわれたのがポチョムキンで、台座部の中央が彼のようです。 -
モスクワ市内の土産物店です。
ユーロで支払えば2割引、カードで支払えば1割引ということでした。 -
モスクワ市内の市場です。
生花がずいぶんとたくさん売られていました。これまで訪れたどの町の市場でも、花がこんなに多く売られているのは見ませんでした。 -
フォークロアディナーショーです。
サンクトペテルブルグ市内での夕食です。
アコーデオン1、歌手1名、ダンサー2名でした。
賑やかに雰囲気を盛り上げるため、我々もダンスに誘われました。 -
ピョートル大帝夏の宮殿です。
サンクトペテルブルグより南西30kmにペテルゴーフという町が在り、ここのフィンランド湾に面してピョートル大帝の夏の宮殿があります。
庭園は「上の庭園と「下の庭園」の2つに分かれており、宮殿などの建造物は主に下の庭園に配置されています。 -
夏の宮殿の噴水です。
上の庭園と下の庭園を結ぶエリアに、噴水があります。宮殿に向かって右側の「フランス噴水」、左側の「イタリア噴水」の間に、「カスケイド」と呼ばれる傾斜の付いた階段状の噴水があり、所々に黄金に光り輝く彫像が配置されています。カスケイドの中で一番大きな噴水は「サムソンの噴水」と呼ばれ、ポルタヴァの戦いでのロシア軍の勝利を記念して1735年に造られたそうです。彫像のライオンは スウェーデンのシンボルになっているようです。 -
夏の宮殿からフィンランド湾を見たところです。
下の庭園には、噴水が至るところに設けられています。
1710年にピョートル大帝は、水を生かした宮殿を建てることを命じました。
ポンプの使用が無い時代ですので、22km離れた水源から水を引き、16mの高低差を利用した噴水が作られたのでした。 -
チェス山です。
3匹の竜から流れ出る水が、チェス盤模様の土台の上を流れます。 -
エカテリーナ宮殿です。
サンクトペテルブルグの中心から南東に25kmの郊外にある避暑地ツアールスコエ・セローにあります。
第6代皇帝となったエリザヴェータ(在位:1741ー1762)は、母のエカテリーナが建設させたものを抜本的に造り直すことにし、壮麗なロココ調建築にしました。1756年には、現在の規模325mの宮殿が完成しました。 -
エカテリーナ宮殿内部です。
この見学で決められていたコースの最初の部屋です。床には見事な絨毯が敷かれ、壁には楕円の鏡と独特のモチーフの壁飾りがつけられていました。 -
「大広間」です。
ここは井上靖の「おろしや国酔夢譚」で知られる大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に拝謁した場所といわれています。
エカテリーナ宮殿の一番の見所は、2003年に修復された「琥珀の間」です。写真撮影はできません。 -
「綠の食堂」です。
他の部屋が金色の装飾をふんだんに使っていかにも豪華であるのに対し、この部屋は淡い緑色が多く使ってあり落ち着いた雰囲気です。公務ではロシアの流儀を貫かなければならなかったドイツ出身のエカテリーナ2世が私的な生活の空間として心を休めた場所との説明がありました。 -
女帝の衣装です。
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正面玄関の階段です。
階段の上の東西の窓辺には「目覚めのキューピット」「眠りのキューピット」の像もあります。 -
天井のだまし絵技法による絵です。
宮殿内のどの部屋も、天井は平面です。天井を高く見せようとだまし絵の技法が使われて、観光客の錯覚を誘っています。 -
ポクロフスカヤ教会です。
サンクトペテルブルグからずいぶん離れたキジー島にある木造の教会の名前です。
この写真は、同じ名前なのですがサンクトペテルブルグの西に新しく造った教会のようです。
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ポクロフスカヤ教会の外観です。
木片で葺かれた玉葱型のドームは十数個、外壁はログハウスのように丸太を積み重ねています。 -
ポクロフスカヤ教会の祭壇です。
祭壇も設けられて、お祈りの場所として使われている様子でした。説明に何度も暖房設備が整っていることが強調されました。冬には教会であっても寒さの余り使えないことがあるのがロシアなのでしょう。 -
アレクサンドルの円柱です。
宮殿広番の中央に立っています。
周りがかって冬宮と呼ばれていたエルミタージュ美術館の建物です。 -
ピョートル大帝の間です。
かってロマノフ朝の政治が行われた冬宮だけあって、その面影を残す部屋があります。「小さい玉座の間」とも呼ばれます。ピョートル大帝の間という名前ですが、実際にピョートル大帝(在位1682~1725)がここに座ったことは無かったそうです。両側の大理石で囲まれた壁のくぼみにはピョートル大帝の肖像画が描かれています。 -
ゲオルギーの間です。
ヨルダン階段から近い歴代皇帝による謁見の間です。玉座の上部にはロマノフ朝の守護神、聖ゲオルギーのレリーフが飾られています。 -
クジャク時計です。
パヴィリオンの間の孔雀時計です。エカテリーナ2世の最愛の愛人・ポチョムキンが贈ったイギリス製です。今でも動きます。 -
「コネスタビレの聖母」
ラファエロ作 1504年 -
「聖家族」
ラファエロ作 1506年 -
「聖セバスチャン」
ピエトロ・ペルジ-ノ作 ( 1448年頃 - 1523年) -
「うずくまる少年」
ミケランジェロ作 (1475~1564年) -
「懺悔するマグダラのマリア」です。
ティツィアーノ作 1565年 -
「 使徒ペトロとパウロ」
エル・グレコ作 1587 - 1592年 -
”Roman Charity(Cimon and Pert) ”
Pieter paul Rubens作 1612年 -
「大地と水の結合」
ルーベンス作 1618年 -
"Descent from the Cross"
Rembrant Harmensz,van Riji作 1634年 -
「ダナエ」
レンブラント・ファン・レイン 作 1636年 -
”Yang Woman with Earring”
レンブラント作 1654年 -
放蕩息子の帰還
Rembrant Harmensz,van Riji作 1666~1668年頃 -
「アントニア・サラテの肖像」
ゴヤ作 1810 - 1811年 -
”Portrait of the Actress Jeanne Samary"
August Renoir作 1878年 -
「果実を持つ女」
ゴーギャン作 1880年 -
「Woman Arranging Her Hair」
オーギュスト・ルノワール作 1887年 -
”Portrait of Madame Trabuc”
ビンセント・バン・ゴッホ作 1889年 -
”Portrait of Genevieve"
パブロ・ピカソ作 1902~1903年
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