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 松本へ出張しても売れないので、神頼み!客先廻りの途中で、神社へ寄り道。心は癒され、気分でリフレッシュで次の客でも撃沈。。。神社3社も廻ってしまいました。

松本出張のついでに神社巡り

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2017/01/25 - 2017/01/25

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しゅいぐー

しゅいぐーさん

 松本へ出張しても売れないので、神頼み!客先廻りの途中で、神社へ寄り道。心は癒され、気分でリフレッシュで次の客でも撃沈。。。神社3社も廻ってしまいました。

  • 宮村宮と天満宮の創祀は、信濃国守護・国司であった小笠原氏の信仰と深く関わります。<br /> <br />社伝によると、宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。<br /> <br />その後、永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移るに及んで産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神とされました。<br />

    宮村宮と天満宮の創祀は、信濃国守護・国司であった小笠原氏の信仰と深く関わります。

    社伝によると、宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。

    その後、永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移るに及んで産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神とされました。

  • 武の神である諏訪明神への信仰に始まり、のち城下町の形成とともに地域の守り神(産土神・うぶすなかみ)として展開し、特に天満宮は学問の神として崇敬され、人々から「深志(深き志し)の天神さま」と敬いと親しみをこめて称され、篤い信頼と祈り・願いが寄せられてきました。

    武の神である諏訪明神への信仰に始まり、のち城下町の形成とともに地域の守り神(産土神・うぶすなかみ)として展開し、特に天満宮は学問の神として崇敬され、人々から「深志(深き志し)の天神さま」と敬いと親しみをこめて称され、篤い信頼と祈り・願いが寄せられてきました。

  • 天満宮は、小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていましたが、のち江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)、後裔である小笠原秀政公が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。

    天満宮は、小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていましたが、のち江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)、後裔である小笠原秀政公が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。

  • そののち、両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、お城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12年(1841)に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。

    そののち、両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、お城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12年(1841)に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。

  • 社格は明治5年に郷社、昭和3年には御大典記念昇格により県社に列格しました。また昭和41年には神社本庁別表神社に加列しました。

    社格は明治5年に郷社、昭和3年には御大典記念昇格により県社に列格しました。また昭和41年には神社本庁別表神社に加列しました。

  • 城下町松本のまちは、中央を流れる女鳥羽川をはさんで、江戸時代には北に武家屋敷地、南は町人地と分かたれ、その川南である南深志の地を守護されている氏神さまが深志神社です。

    城下町松本のまちは、中央を流れる女鳥羽川をはさんで、江戸時代には北に武家屋敷地、南は町人地と分かたれ、その川南である南深志の地を守護されている氏神さまが深志神社です。

  • 深志神社のご朱印

    深志神社のご朱印

  •  明治天皇御親政に当り、惟神の大道を中外に宣布し給う思召しを以て、明治7年2月 筑摩県庁の所在地である松本に神道中教院(宮村町長松院跡、後神道事務分局)が設立 され、院内に天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照大神の四柱の大神が奉斎されてきましたが、新たに一社を興し、四柱神社として明治12年10月1日、現在地に厳かに鎮斎され、隣接して神道事務分局も新築されました。その経費は、中南信全域(旧筑摩県)の神職、県庁、その他諸官衙・一般篤志家の浄財と奔走によりました。 <br /> 翌13年6月、当地方に初めて行幸があり新築新装になったばかりの神道事務分局を行在所に定められ、同月24日松本に陛下をお迎えしたのでありました。

     明治天皇御親政に当り、惟神の大道を中外に宣布し給う思召しを以て、明治7年2月 筑摩県庁の所在地である松本に神道中教院(宮村町長松院跡、後神道事務分局)が設立 され、院内に天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照大神の四柱の大神が奉斎されてきましたが、新たに一社を興し、四柱神社として明治12年10月1日、現在地に厳かに鎮斎され、隣接して神道事務分局も新築されました。その経費は、中南信全域(旧筑摩県)の神職、県庁、その他諸官衙・一般篤志家の浄財と奔走によりました。
     翌13年6月、当地方に初めて行幸があり新築新装になったばかりの神道事務分局を行在所に定められ、同月24日松本に陛下をお迎えしたのでありました。

  • 御祭神の天之御中主神は御名の示します通り、天の中央に坐します主の神として産霊神の御はたらきを統一される神様です。<br /> 高皇産霊神・神皇産霊神は宇宙創造の根元の神様で、御神名の「むすびの神」は実をむすぶ、苔がむす等と同様に生産し、果実し、調和させる力を示します。<br /> 造化の三神とも申し上げるこの神々の御力によって、天地万物が生成されたと言われております。<br /> 天照大神はこの造化の三神の御神意を地上に顕現される神様で伊勢の神宮、宮中賢所にも奉斎される最高至貴の大祖神様です。このような大変に高い御神徳の神様を主祭神としてお祀り申し上げる神社は全国でも珍しく当四柱神社は、全ての願いが相叶うという意味で「願いごとむすびの神」として全国各地より御崇敬を頂いております。

    御祭神の天之御中主神は御名の示します通り、天の中央に坐します主の神として産霊神の御はたらきを統一される神様です。
     高皇産霊神・神皇産霊神は宇宙創造の根元の神様で、御神名の「むすびの神」は実をむすぶ、苔がむす等と同様に生産し、果実し、調和させる力を示します。
     造化の三神とも申し上げるこの神々の御力によって、天地万物が生成されたと言われております。
     天照大神はこの造化の三神の御神意を地上に顕現される神様で伊勢の神宮、宮中賢所にも奉斎される最高至貴の大祖神様です。このような大変に高い御神徳の神様を主祭神としてお祀り申し上げる神社は全国でも珍しく当四柱神社は、全ての願いが相叶うという意味で「願いごとむすびの神」として全国各地より御崇敬を頂いております。

  • 四柱神社のご朱印

    四柱神社のご朱印

  • 昭和13年、県民の総意によって本件の中央であり旧陸軍歩兵第50連隊に隣接する現在地に仮殿が創建され、同年11月鎮座祭を斎行し、長野県招魂社として鎮座。

    昭和13年、県民の総意によって本件の中央であり旧陸軍歩兵第50連隊に隣接する現在地に仮殿が創建され、同年11月鎮座祭を斎行し、長野県招魂社として鎮座。

  • 昭和14年には長野県護国神社に改称し、内務大臣指定を受け同17年に現在の御社殿・斎館が竣工された。昭和21年神道指令により宗教法人として発足し、昭和32年神社本庁より別表神社に指定。

    昭和14年には長野県護国神社に改称し、内務大臣指定を受け同17年に現在の御社殿・斎館が竣工された。昭和21年神道指令により宗教法人として発足し、昭和32年神社本庁より別表神社に指定。

  • 長野県護国神社のご朱印

    長野県護国神社のご朱印

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