2016/12/20 - 2016/12/23
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鯨の味噌汁さん
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三日目はマカオ最南端、コロアン地区へ出かけることにした。
一番南にザビエル教会があるそうな。とりあえずそこまで行ってみよう。
もともとマカオは中国本土とつながった「半島部」、その南の「タイパ島」「コロアン島」の総称らしいのだが、島と半島は三つの橋でつながり、かつふたつの島の間は埋め立てられてホテル街になっている。
電車のたぐいはないから、移動はバスかタクシーになる。が、マカオパスを持っているから、ここは意地でもバスだ。
前日ツーリストインフォでもらった地図をじっくり眺め、ホテルのすぐ近くのバス停からコロアン地区まで走っているのを確認。
路線番号も確認して乗り込む。すばらしい。ヒトは学習する生き物なのだ。
が、またもやバスは真逆の北に向かうのであった。
ぎょぎょぎょ。主よ、われを見捨てたもうや。
が、見捨てられたわけではなく、上り下りを間違えただけだった。メンゴメンゴと主に謝りつつ、終点で折り返しのバスに乗る。
結局、最北端から最南端までマカオ領を縦断する「マカオ最長路線バスの旅」を完乗することになってしまった。テレビ東京かよ、蛭子さんかよ。ケツが痛いがな。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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バスは橋を渡ってタイパ地区に入る。
マンションと繁華街が交互に続き、やがて新興ホテルの一群を抜ける。なるほどここが埋立地だな。浦安みたいなもんか。
イタリア風の塔が建っているのは ガイドブックにデカデカ載っている「ベネチアン・リゾート」だろう。
どのホテルも馬鹿でかくてデザインが奇抜だ。
新種の観葉植物がにょきにょき生えてるようにも見える。ほとんどSF映画の世界だな。 -
ホテル街を抜けるとようやく景色が変わった。
菩提樹の並木の向こうは深い森になっている。
なるほどー、と感心しながら見入っていると、目の前をコロアン地区が通り過ぎていく。
しまった、降り損ねた。 -
で、10分ばかり走ると終点だった。
黒沙海灘。南支那海に大きく開けた砂浜が広がっている。そこにぽつぽつと散歩する人たちがいる。意外ときれいな場所だ。ちょっと江ノ島みたい。何があるわけでもないけど、ぶらぶらと散歩してみる。 -
12月だからさすがに泳いでる人はいないけど、地元の若者のデートコースになっているらしい。
構成比はカップル50%、家族連れ20%、同性の友人29%、日本人の中年ハゲが1%である。
そのハゲは売店で豚肉サンド(⇒名物らしい)と焼きイカ、それにコーラを買う。 -
学校がクリスマス・ブレイクなのか、高校生くらいのカップルが多い。
みんな揃いも揃って嬉しそうにスマホで写真を撮る。ペタペタくっついている。
ううう。
おじさんはね、おじさんはね。
君たちが羨ましいのだよ。 -
若いからお肌なんてツヤツヤだ。
男女とも健康なフェロモンが発散され、ワシなんてそれだけでゴハンを三杯くらいおかわりできそうだ。
若いっていいなぁ。
最近のワシらの呑み会の話題って、尿漏れとかへーけーとか介護とか、ドドメ色の話題が満載だものなぁ。
・・・などとオヤジな感想を漏れ漏れさせつつ、やってきたバスに乗り込み、今度こそ教会のある村で降りる。 -
家並みが海沿いに細く続いており、対岸の中国本土との間には狭い水路があるだけだ。
観光客は多いけど、市内と違ってのんびりしたムードが漂っている。 -
南に歩くとザビエルの教会があった。
教会は西向きの海峡に向かって建っていた。
小さくて黄色に塗られ、なんともちんまりしている。 -
やはり海に向かったカテドラルの周りはカフェになっていた。
カフェとゆっても、そこはそれ、マカオであるから、お客さんが食べているのは青菜のオイスターソース炒めだったりするが。
それでもエスプレッソをメニューに見つけたので、風通しのいい席を選んで一服する。 -
ザビエルが死んだのは、この島からすぐ南の上川島、とゆうところだ。死因は「熱病」とされた。日本に上陸してわずか3年後だった。
インドもマラッカ海峡もはるばる越えて日本に来た超人ザビエルが、たかが熱病ごときで死ぬとも思えないが、46歳だからもう体力にオツリがなかったのかもしれない。
死後50日だか100日だか、遺体が腐らずにそのままだったから大騒ぎになった。
その後ローマ法王が、聖人に列するから右腕だけ送れ、なんて無体な事を言ってきたので、右腕をちょん切られてしまう。死んだあとも聖人は何かと大変なのである。 -
その右腕は、回り回って昭和24年、ザビエル上陸400年記念、なんてイベントがあり、京都に展示された。
そのとき産経新聞の京都支局に福田とゆう若くてオタクな宗教担当記者がいて、このイベントで忙殺されていた。
福田くんは、のちに司馬遼太郎とゆう名前で小説を書き、売れっ子になる。
司馬遼太郎はザビエルが好きだったが、彼を主人公にした小説はついに書かなかった。
かわりに「街道をゆく・南蛮のみち」とゆう長い紀行文を書いている。
体裁はスペイン・ポルトガルの旅行記なのだが、その前半はほとんどザビエルの一代記になっている。
前にも書いたが、鉄砲とキリスト教はほぼ同時に日本に伝わった。
他の東アジア諸国にも同じようにもたらされたが、さっさと構造を調べ、堺の工場で大量生産し、いくさに化学変化を起こしたのは日本だけだ。
種子島にたどり着いた二丁の鉄砲は、その32年後、長篠で武田の騎馬軍団を壊滅させる。
たった32年だ。
歴史上から見れば、ほとんど一瞬のうちに日本人は鉄砲の能力を見抜き、戦法を編み出し、戦国時代を終わらせたわけだ。
中米には、鉄砲を持った小隊が上陸しただけで、滅んびてしまう文明もあったのに。
なぜ日本だけが違ったんだろう。
どうにもそこが分からない。
だれか教えてほしい。
ザビエルは日本人を意外に評価していた。
「この国の民は、私が今まで接してきた中でもっとも傑出している」
なんてことを手紙で報告している。 (⇒缶コーヒー・ボスのコマーシャルみたいだ)
--日本人は、今までの連中と違うな。ヤバいな。
--兵は強く、領主は賢いぞ。
--植民地化しようとしたら、国が亡びるまで抵抗するんじゃないか。
そんなことを思っていたのかもしれない。 -
さて。
滞在したホテルはセドナ広場から一本入った通りにある。
日本風にいえば6階建て、客室数40、星2つ。中級というよりエコノミーホテルに近い。シャワーはあるけれどバスタブはない。
フロントはよく似た3人の若い男女が交代で座っていた。おそらく一族経営なのだろう。
愛想はないが、どの若者もワシのメタクソな英語に辛抱強く付き合ってくれるのはありがたい。
値段が安かったから眺望は期待していなかったが、4泊するせいか、あてがわれた部屋は最上階で、窓からは裏町の屋根が見渡せた。
よい眺めかと言われれば大したことはないんだけど、壁しか見えないよりはずっとマシだ。
ときどきネコが屋根で寝ていたから、地元のネコ程度には快適に過ごせたとゆうことだ。 -
ホテルの正面に粥の専門店がある。まぐち2間、4人掛けのテーブルが12席。朝は8時から11時、夜は7時から0時半までの営業だ。
-
店主は40代、小柄で瘦せぎす。入り口横の小さな厨房でひたすら粥を作る。作業は単純で、大鍋から粥を小鍋にオタマで移し、カネのしゃもじでぐるぐるかき回してあっためるだけ。下ごしらえは店の奥でやってるらしい。
店主と奥さん、お母さん、さらにはオバーチャンの三世代、4人で店を切り盛りしている。 -
めでたいことに、店は繁盛している。一杯400円の粥が飛ぶように売れていく。
朝の開店と同時に近所の常連さん、観光客、向かいのホテルからは日本人の兇悪ハゲがやってくるから、店主はすぐにカシャカシャ小鍋をかき回し始める。
客が途切れることはないから、そのカシャカシャと言う音も途切れることがない。
さらに客はとっとと食ってとっとと出て行くから、回転が早い。そもそも粥以外のメニューがない。 -
おばあちゃんはおそらく80代半ば。入口横のレジに座り、なぜかいつもお弁当を開き、もぐもぐ食べている。スターウォーズのヨーダみたいだ。ヨレヨレ感はあるものの、お客さんの会計はできるからボケているわけではない。
接客は60代のお母さんがやる。お粥を運ぶのはこの人。声が大きい。いつも怒ったような顔をしている。
奥さんは、店の奥で下ごしらえをしていることが多く、表にはあまり出て来ない。ケツのでかい静かな女性。子供は見なかった。大学生くらいになって家を出ているのかもしれない。
開店前と閉店後、それにごくたまに客筋が途絶えたとき、店主は狭い厨房から這い出してきて、路上の灰皿で一服をつける。
手首をコキコキさせ、無表情でタバコを一本だけ吸うと、黙って厨房に戻っていく。店は年中無休のようだ。
「中国人は休まず働く。歳を取って恒産が出来たら、あとは死ぬまで悠々と遊ぶ」
阿佐田哲也だったか、そんなことを書いていた。
この主人も休みなく働いて恒産を作り、年を取ったら死ぬまで遊ぶんだろうか。
キッパリしてていい。ワシにはとてもできないけど。 -
中国人の人生の目標は福・禄・寿の三つだと聞いたことがある。
福は子宝に恵まれること、
禄はオカネをもうけること、
寿は健康で長生きすること。
なんとゆうわかりやすさ。
現世のしあわせってみっつくらいでちょうどいい。みっつの実現が無理ならふたつ、ふたつが無理ならひとつだけでもいい。
中国には儒教とゆう、親孝行強制、格差上等、序列当然、なんて七面倒くさい教えがいっぽうにある。
でも、庶民が人生で目指すホンネは福禄寿。
それにむかってまっしぐら、みんな文句言わずに働く。 -
雨の日はいくつかある博物館をハシゴした。マカオの歴史はおもしろい。中国とポルトガルがいたるところで交差するが、なぜか戦争にはならない。いつも政治決着。
9年前、リスボンの軍事博物館を訪ねたとき、ポルトガル軍の装備があまりにしょぼくてびっくりした記憶がある。
戦車なんかブリキのオモチャみたいだった。ドイツの機甲師団が攻めてきたら3日で占領されそうだ。
じっさい18世紀あたりからポルトガルは世界史の舞台から消え、すっかり過去の国になってしまった。
ヨーロッパという公園のベンチで、海に向かってウトウトしている、老人のような国。
第二次大戦で中立の立場をとったのは、スイスみたいな誇り高い武装中立ではなく、もはや老境で軍事に回すオカネがなかったからだ。
だから松山展望台に設置された大砲も、それを守る塹壕も、最後に使われたのはオランダが攻め入った17世紀だろう。
つまりこの地で戦争は300年以上起こっていないのだ。
お隣の香港では、日本軍が攻め入ったときにいちおう抵抗したのに。 -
戦後も本土の革命の火の粉を浴びることもなく、カジノを成功させ経済を回し、中国が豊かになると観光客として受け入れ、また繁栄する。
カジノの収入があるから税金は安い。だから観光客は大事にされる。警官は辻々に立っているし、公衆トイレは完璧に整備され、トイレごとにお掃除のおばさんが張り付き、いつもピカピカだ。ヨーロッパみたいにチップもいらない。 -
町をぶらぶら歩いていると、不動産屋が目立つ。「移住相談」なんてあるから、中国から移ってくる人も多いらしい。
70平米の中古マンションが4000万、150平米の新築は2億、なんて価格で売りに出ていた。平和が続いて経済が回ると、不動産が高騰するのはしかたないんだろう。
半島部も島部も、高層マンションがボコボコ建設中た。バカ高い不動産もまた、福禄寿の具現化したものなのかもしれん。
結局カジノに行かず、タワーに登らず、香港にも行かず、毎日バスに乗り、町を歩いて帰ってきた。
マカオに下宿してた感じの5日間だった。 -
ぺちゃんこになったリュック一つで成田に帰国したら、税関で止められた。
「マカオに5日? 観光? ひとりで行ったの?」
次第に係官の表情が厳しくなり、手持ちバッグの中まで徹底的にチェックされてしまう。二人のときはほぼスルーなのに。
なにしろあやうく「では別室でじっくりケツの穴まで」のイキオイである。
そんなに人相悪いのか。われながらびっくりだ。
当然ながら、リュックの中では5日分のおぱんつと靴下が、もあもあと瘴気を発していたが、ワシのせいではない。スニーカーもいれときゃよかった。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- mistralさん 2017/06/01 10:00:37
- ザビエル
- 鯨の味噌汁さん
おはようございます。
久しぶりにアップされていました旅行記も
拝見いたしました。
年末はマカオへ、それもお一人での旅を決行されて
いたんですね。
お一人での旅、
いつもと微妙にクジラ節に変化を感じました。
ザビエルさんについての考察、
鉄砲伝来後、わずか32年の間に自国の戦法まで
変化させてしまった日本という国、
ふ〜ん、そうなのね、など
興味深く拝読致しました。
mistral
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2017/06/02 01:32:09
- RE: ザビエル
- mistralさん、
こんにちは、ご無沙汰しております。
>いつもと微妙にクジラ節に変化を感じました。
おおそうでしたかー。確かにピンの旅行記ははじめてですものね。
今後は増える予定です、だって彼女の定年は4年後。
デブなのにヒモ、みたいなー(笑)
> 鉄砲伝来後、わずか32年の間に自国の戦法まで
> 変化させてしまった日本という国、
これは幕末も同じで、薩長も旧幕軍も、最新式の元ごめ銃を揃えまくり、でもって数を揃えた方が勝つ、なんてことが起こりました。やってることは変わらんです。不思議です。
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旅行記グループ ザビエルと鉄砲とマカオ
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