2016/10/28 - 2016/11/06
75位(同エリア99件中)
Nanaさん
南インドを周遊する旅に出てきました
今回の登場人物
●王子:インド(チェンナイ)駐在。夫。
●玉右衛門:宮崎在住の監督。
●ヘンティ:へんな傭兵。元隊員。
●なな:わたくし
-
②バーダーミ→ハンピ
10月31日(月) 晴れ
今日は昨日来た道を戻り、半日だが世界遺産の村ハンピを観光する予定だ。 -
ハッピーディワリによる寝不足もあるが、昨日買った洋服がどれも細身すぎて着れなかったというショックもあった。
玉右衛門の買った派手なオレンジシャツは、着られはしたが着た瞬間にボタンが吹っ飛んだ。
そんなショックを引きずりながら朝食会場に行くと、まだ準備中で後30分ほどかかるという。
試しに朝食会場をのぞいてみると、「オール飲み会のあと」的な雰囲気になっており、我々はいざというときのために持って来た日本食で朝食を取り、このホテルを後にした。 -
車はひた走り、昨日見かけた山賊も数を増やして営業中であった。
すでにインドの車窓からの風景にもすっかり慣れた我々は、特に突っ込むこともなくハンピに到着した。 -
ハンピの中央街であるハンピバスターミナル駐車場に車を停め、後は夕暮れまで自由に過ごす予定だ。
まずはお昼ごはん、と我々は近くのハンピバザール目指して歩き出した。 -
ハンピバザールにはたくさんの小さなお土産屋さんや飲食店が並んでおり、いかにも観光地だが可愛らしくて絵になる。
地球の歩き方にも載っている「マンゴーツリー」というところで昼食を取った。 -
中は椅子席と珍しい座敷席があって、我々は日本人のためか座敷席に案内された。
座敷席には、すでにぐったりした白人集団が物憂げにいたり、明らかに食べ終わってからだいぶ経つであろう人がぼーっと座っていたり、旅の沈没が感じらてそれもいい。
ここもインド料理であったが、ミールスやシズラーやチーズバターカレーなど、気になっていたものを食べられて満足であった。 -
満腹になって表に出ると、すぐ隣にお土産屋さんがあった。
ちょっと見ていると、中からやけにテンションの高いおねえさんが飛び出てきて、恐ろしい勢いで営業を始めるのであった。
私は我が子と我々のチームの子供たち(通称ずっこけ3人組)にお土産を買う予定ではいたが、おねえさんのセールストークは凄まじく、あれよあれよという間にお土産を積まれてしまった。 -
おねえさんに押されて他の人も全員服を購入することになり、おねえさんは真顔で「サンキュー」と言いながら凄まじい力で握手してきた。
その力は強大で、元隊員のヘンティですら敵わない状況であった。
我々もその後色々な店で買い物をしたが、ここ以上のおねえさんにはついに巡り合わなかった。 -
さて、いきなり大量の買い物をした我々は、まず荷物を車に置いて、さっそく遺跡に繰り出すことにした。
しかし右も左もわからない遺跡、トゥクトゥクのようなオートリキシャー(小型3輪客乗せ付き)の誘いだけは激しかったが、とりあえず歩いてみようということになった。 -
地図をながめていると、どこからともなく厳かなばあさんが現れた。
ばあさんはおもむろに我々の額に「インドでよく見かける赤い印」をつけると、厳かに両手を合わせ、祈りを捧げた。
我々も厳かにそれに倣ったのだが、ばあさんは即座に「20ルピー」と言って全員から金を回収するのであった。 -
ばあさんは昨日の子供と同様、勝手に祈りを捧げておいて勝手に金を請求する、という断りづらい新手の金儲けを考えたようなのであった。
昨日で学んでいたはずの我々だが、今回もまた同様の手口にかかってしまったのである。
さて、額に赤の印をつけた我々は炎天下を歩き出した。
歩いていても、いろんな人が声を掛けてくる。
リキシャー?アイス?タクシー? -
それらをかわしていると、目の前に「ライムソーダ」なる飲み物の屋台が現れた。
暑くて辟易していた玉右衛門と私は、このライムソーダを注文してみることにした。
ライムソーダのイメージは、コカコーラやスプライトのように「そういった既製品」だと思っていたのだが、なんとおっさんの手作りであった。
おっさんは注文を受けるとコップ(汚い)に素手でライムを激しく絞り、よくわからない粉を入れ、最後に炭酸を入れて、さあ飲め、というのだった。
コップはいまいち信用ならないし、なんだか黒い粒々が浮いてるし、でも目の前でコップを返却しなきゃいけないし…で我々は覚悟を決めて飲み干した。
まぁ炭酸は既製品だし大丈夫だろう、と思ってのことだった。これも後から新事実が判明するのであった。 -
道沿いをしばらく歩き、今度は遺跡の中に突入して歩きながら散策することにした。ここから南の王宮地区を目指すのだ。
ハンピは広く、遺跡と自然が融合していて、その景色が壮大だ。
キレイに整備されているメイン遺跡もあるが、ほったらかしの遺跡もあったりして、どちらもそれぞれ良さがあって面白い。 -
王宮地区に抜けるまでにある遺跡はほったらかしだが、ドラクエ風に歩いて散策するのは楽しかった。
ただし暑いのであまり体力は持たない。
本当ならば、もっと拾えるところもあったかもしれないと思う。 -
そういう意味では、最近ハンピにはまっている人の言う「1週間くらいいないとダメです」というのは分からなくもないが、我々の出したハンピ最適日数は半日×2or1.5日であった。
なんせ遺跡は途中で飽きる。 -
ドラクエ遺跡から、さらに横のほったらかし遺跡に入ってみる。
中は「兵どもが夢のあと」でなかなか良く、東屋風の部分があったので入って休憩し、また歩き出した。 -
舞台風遺跡を見ていると、後ろからしずかにおばあさんが付いてきた。
おばあさんは派手なサリーを着こなしていて、それが遺跡や山の茶色と相俟ってとても素敵だ。
おばあさんは、しずかに我々を見つめ、あるときしずかに「スクールペン」と言うのであった。 -
これは主にこの地方で聞かれる(ような気がする)言葉で、「学校に行くためのペンがほしい(というか金がほしい)」という意味である。
我々は持っていなかったのでそう言うと、おばあさんはしずかにうなずき、しずかに遺跡に腰を掛けて我々を見送るのであった。
とても絵になるおばあさんで、スクールペンと引き換えに写真を撮らせてもらえばよかったと悔いの残る出来事だった。 -
その後観光客が増えてきたハザーラ・ラーマ寺院を抜け、王宮地区メインとなる部分(王妃の浴場や階段池)を観光した。
ここには観光客がたくさんいる。 -
ガイドをつけた日本人観光客までいた。
彼らはガイドをつけてはいるが、暑さでだいぶ参っているようで、ガイドの説明にも「ふーん…」「まだ歩くんだ…」「遠いんだ…」とぼやくのであった。 -
ここのメイン関係もさることながら、今までの遺跡では珍しく、地下通路があった。
またもや登場のドラクエ風四角い下方向階段入口を入って、中庭のようなところをぐるっと一周する造りになっている。 -
とっても楽しくてキャーキャー騒いでいたのだが、出てみれば単なる四角い通路である。
このようなところは他にもないのだろうか、と探してみたが、ここ以外に見つけることはできなかった。 -
無駄歩きした我々の体力は限界となり、ついにオートリキシャーを探すことにした。
しかし、拠点となるハンピバザールならともかく、ここまで来ると新規のリキシャーはほとんどいない。
大抵はすでに観光客を乗せて、貸切営業をしている。 -
あきらめかけたその時、少し離れた物陰に、なぜか停まっているリキシャーを発見した。
恐る恐る近づいてみると、おっさんがリキシャーを停めて何か作業中であった。
おっさんは我々を見つけると、「こっちに来い」と手招きをした。 -
おっさんの足元には緑色に変色した水タンク(汚い)があり、そのタンクの水をコーラとかスプライトとかの各種ビン(汚い)に移し替え、炭酸注入器(ボロい)にて炭酸を注入したのち、封をしていた。
これは紛れもなく、我々が先ほど飲んだライムソーダのソーダであった。
あれは既製品ではなく、こうやっておっさんが作っていた自家製だったのだ。
「インドではミネラルウォーターの水が詰替えられていることがあるので注意すること」とどこかで聞いたが、それがまさにこれだったのだ。
またどこかで、「炭酸水は封がしてあるので、信ぴょう性が高くてだいじょぶ」ということを聞いたような気がするが、それは嘘だったことになる。
実際、玉右衛門と私はだいじょぶでない炭酸水を飲み干していたのだ。 -
おっさんは「こうやって炭酸水作ってんだけどさ、機械もぼろいわけよ、買い換えたいわけよ、協力してよ」
と言っていたが、今までセーフティファーストでやっていた私は激しくショックを受けるのであった。
「我々は炭酸水でなくリキシャーを探している」というと、おっさんはうなずき、いとも簡単にリキシャーを準備してくれた。
これに乗って、反対側のヴィッタラ寺院まで行くことにする。 -
ヴィッタラ寺院に行くためには、遺跡の1キロほど手前でリキシャーを降りて、公共の電気自動車で行かなくてはならない。
ここまであまりインド人の環境へのこだわりを見ることはなかったのだが、ここに来てなぜか黒部ダムばりのこだわりを見せたのだった。
ただし、その意味は今でもわからない。 -
ヴィッタラ寺院に着いたときには16:30、遺跡は17:00に閉まるのだが、入場に250ルピー(約400円)もかかる。
本当に行くのか、と聞かれたが、行かないわけにもいかないので、中に入ることにした。
ここも大きなスポットで、たくさんの観光客がいる。
メインは石造の戦車型ガルダ堂で、車輪と車軸が別になっているため本当に回転する(らしい)。 -
ここですでに陽が傾いていた。
本当は、山賊が出るというマータンガ丘で夕日を見たかったが、すでにタイムアウトだ。
我々はまだここから歩いて、車のあるハンピバスターミナルまで戻らなければならない。 -
アイスを食べて元気をつけ、我々は歩き始めた。
この帰り道がとっても良かった。 -
陽が弱くなり歩きやすくなったのもあるが、目の前に絶景が広がっている。
道すがらにも小さな遺跡がいろいろとあるのだが、自然の方が凄すぎてあまり目に入らない。
確かに、ここも時間があったらもっとゆっくり見たい場所だ。 -
道のようなところを歩き、つるつる滑りそうな岩の上を歩き、我々は家路を急いだ。
あたりは夕暮れに包まれている。 -
と、そのとき、目の前に楽しそうなものが出現した。
大きくて平べったいザルに乗って川を渡れる通称「一寸法師」だ。 -
「ここにいたのか!!」玉右衛門はこの存在をすでにリサーチしていたようなのだった。
どうしても乗りたい、ということで、我々は乗り場に急いだ。
すでに陽が傾いている。営業時間は大丈夫だろうか。 -
お兄さんに確認すると、悠長に「1時間コースと30分コースがあるけどどっちがいい?」ととんでもないことを言い出すのだった。
ここで1時間も一寸法師していたら帰るころには山賊時間になっていること間違いない。30分でも危険なのだ。
「よし15分だ!!」我々は言い、急いで準備をして急いで一寸法師に乗り込んだのであった。
一寸法師は案外安定して走行し出した。 -
「わーすごい!!」「おもしろーい!!」と最初は騒いでいた我々だが、慣れてくると段々と落ち着いてきた。
特に向こう側に渡るでもなく、目的があるわけでもない我々はただひたすら漂うしかない。
あたりはどんどん暗くなっていく。
これ以上ここにいると、どんどん山賊タイムになってしまう。
「よし、もういいのでありがとうございました。」
というようなことを言うと、船頭のお兄さんは「ぐるぐる回る?」と言って、OKするとぐるぐる回ってくれた。
もう思い残すことはない。 -
大急ぎで着岸して、大急ぎで家路を急ぐ。
一寸法師からすぐのところに、少しトンネルのようになっている部分があった。
中には地元インド人が数人タムロしている。
我々はスルーして通り過ぎたのだが、なぜかインド人は後ろからついてくる。
「すわ、山賊か!」と思った我々は歩調を速めたのだが、王子はつかまってしまった。 -
暗闇の中にうっすら見える王子は、なんとインド人に囲まれて自撮りされている。
「自撮りかよ!!」
と思ったが、インド人は自撮りが終わってもさらに付いてくる。
そして途中に置いてあったバイクのエンジンを入れて、そのライトの光でさらに自撮りを試みているのだ。
「暗すぎたのかよ!!」
と思ったが、我々も時間がないので王子を置いてずんずん進むと、先ほどのバイクに1台に全員乗り込んだインド人が
「サンキュー、バイバーイ」と言ってさわやかに通り過ぎて行った。
案外いいやつだったのだ。 -
尚、一寸法師は案外ハンピバスターミナルに近く、我々はすぐに車を見つけることができた。
こうして、半日のハンピの旅はギリギリまで粘って終了したのだった。
→③につづく
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
39