2016/10/28 - 2016/11/06
8位(同エリア12件中)
Nanaさん
南インドを周遊する旅に出てきました
今回の登場人物
●王子:インド(チェンナイ)駐在。夫。
●玉右衛門:宮崎在住の監督。
●ヘンティ:へんな傭兵。元隊員。
●なな:わたくし
PR
-
①成田→バンガロール→ホスペット→バーダーミ
10月28日(金)、29日(土) 晴れ
「インドに行こう!」と思うことは少ない。
カレーしかなさそうだし、みんなお腹壊すらしいし、水は危ないし、病気だって怖い。
ニュースを開けば物騒なことばかり起きているし、象さん大暴れで村が壊滅していたりする。
いろいろ検討している内に、「まあ、またの機会に」となり、結局は行かれない場所である。
しかし去年の年末、王子が突如インドに単身赴任してしまった。
引越、アパート引き払い、実家戻り、子供(2歳)と父の別れ、と慌ただしく時は過ぎ、ふと落ち着いたときに、「そうだ、インド行こう」と思い立ったのである。
こんな機会は人生に二度とないに違いない。
行って人生観変えてみよう。まだ見ぬ景色を見に行こう。
怖いから子供は安全な日本のじいさんばあさんに任せて、旅の仲間を探そう。
その結果、いつもの玉右衛門と傭兵ヘンティが釣れたのであった。 -
10月28日、18:30。玉右衛門、ヘンティ、私の3人は成田空港に集合した。
これからマレーシア・クアラルンプール経由で インド・バンガロール空港に入る予定だ。
王子は赴任先のチェンナイから直接バンガロールに飛び、現地で合流することになっている。
海外で電話も通じない中、果たして合流できるのだろうか。
さらに、物騒な話が絶えないマレーシア航空は大丈夫だろうか。
不安いっぱいで日本を出国したが、結果はあっさりしたものだった。
バンガロール空港にて入国を終えた我々が最初に見つけて陣取ったベンチが、ちょうど国内線の到着口だったのである。
王子とはあっさりと合流してしまい、特に再会の喜びもなく、10月29日12:30、我々は淡泊に昼食を取ることにしたのだった。 -
この日のスケジュールは2パターンを考えていた。
①そのまま空港目の前の超高級ホテルTaj Bangaloreに泊まり、ラグジュアリーなひとときを過ごしたのち、翌日今話題のハンピ遺跡に向けて約7時間車に乗るか。
②そのまま車に乗り込んで約7時間ハンピ遺跡に向けてひた走り、翌日さらにひた走りさらに奥地のバーダーミを目指すか。
我々のファイナルアンサーは②であった。
最後の文明的な食事ということで、我々は空港前のサブウェイにて昼食を取った。 -
サブウェイは日本のものとほぼ同様のシステムだが、ベジタリアン用がちゃんと別カウンターになっている。
いきなり生野菜、という試練にひるんだ私は、オニオンとオリーブのみ選択したが、他は全員全野菜をはさんでいる。
「だいじょぶかな」と不安だったが、王子曰く、サブウェイで腹を下したことはない、とのことだった。
パンがカサカサではあるが、ちゃんとサブウェイしていておいしい。
こうして我々は、13:00過ぎに本日の宿ホスペットに向けて出発したのであった。 -
ホスペットはハンピ遺跡の宿泊拠点として知られている。
そしてハンピ遺跡は、日本人に今とっても話題!! インドで一番良かった!! というホットな場所なのだ。
しかし、その交通の便はとても悪く、このようにバンガロール空港から車で7時間もかかってしまう。
我々は覚悟を決め、王子が現地で手配してくれた車に乗り込んだのであった。
上空から見た通り、インドは全体的に赤茶けていて、砂ぼこりが舞っている。
車が走り出すと、すぐにヤギが見えた。
「ヤギだ!!」と最初ははしゃいでいたが、車窓から見える動物は何でもありで、ヤギも羊も牛も犬も猫も猿もリスも何でもいる。 -
車はとっても車間距離が狭い。
そもそも車間距離、という概念がなく、その代わり運転手は自らの車幅を完璧に知っている。
クラクションもひっきりなしに鳴っていて、日本人は落ち着かないのだが、トラックの後ろには大抵「BLOW HORN」「SOUND HORN」とか書いてあり、むしろ追い抜き際に鳴らすことが礼儀のようだ。
電柱はどれも傾いていて、よく見ると「なぜそこまで」というほどに細い。
街のあちこちに廃墟があり、普通に地元民がタムロしている。
足場が組んであるのだが、竹でできている手作り感が恐ろしい。 -
王子曰く、こっちの工事はとっても時間がかかるため、ようやく建物が出来上がったときにはすでに補修が必要な段階だったりするようだ。
なので、これが廃墟なのか、建設途中なのか、それとも取り壊し途中なのかよくわからないとのことだった。
王子は全てが物珍しげな我々を冷めた目で見ている。
王子はすでにインドに飽きていて、ヒマさえあれば日本に帰りたいと思っているようなのであった。
今回の1週間強の旅行も、できることなら日本で過ごしたいと思っていたようであった。 -
その後、おやつ時間くらいに一度休憩となった。
道端のSAのような場所で、小さなキヨスク状の売店が2つ、地元的なレストランが1つある。
一応レストランに入り、お茶のみ注文したのだが、「Tea」と言うとチャイが出てきた。
ここはインドだったのだ。ミルクティーが飲めない私は、その後は必ず「Black Tea」と注文するようにした。 -
見事な夕日を見ながら車は進み、20時頃、本日の宿であるホスペットの「Hotel Malligi」に到着した。
-
ここにチェックインしたあと、我々は手軽にホテル内のレストランにて夕食を取ることにした。
レストラン「Temptations1」のメニューは文字だらけでよくわからなかったので、とりあえず王子オススメであれこれと注文していく。
現地で食べる初めてのインド料理はどれもそれなりにおいしかった。
特にカリフラワーでできた「Gobi65」はたいていどこでも外れなかった。 -
ただし、どれもものすごく辛い。そして炭水化物の量が半端なく多い。
主に米とパン、鶏肉でお腹いっぱいになり、久しぶりのベッドに横になったのだった。 -
10月30日(日) 晴れ
本日は、いよいよハンピ観光…と思いきや、そうではない。
これからさらに奥地のバーダーミに向かいつつ遺跡を拾っていき、バーダーミで一泊するのだ。 -
朝からまた昨日と同じホテルレストランで朝食バイキングを取った。
朝食は、まずくもないが美味しくもない、そんな感じだ。バナナは日本と変わらずおいしい。
氷入りのスイカジュースがあり、王子が迷うことなく持って来ている。
それを見た玉右衛門やヘンティも氷入りのスイカジュースを飲んでいる。
「生野菜」「氷」という「インドでやってはいけないこと」2大巨頭にいきなりチャレンジする猛者共を眺めつつ、平穏主義の私はブラックティーを飲む。 -
ホテルの前では、何やら女性たちにより絵が描かれている。
後から調べたところでは、これはコーラムと言って、ヒンドゥー教のおまじないのようなものであるらしかった。
今後の街歩きでもかなりの数を目にしたが、その出来栄えは家によって様々なのであった。
車に乗り込み、いよいよ出発だ。 -
昨日はフライトの疲れもあり、夕方以降はあまり景色が見られなかったのだが、今日は天気も良くいろいろなものが見える。
朝っぱらから町に活気があり、みんな外に出ている。
たくさんの花を売る人、各種野菜や果物を売る人、家畜を連れている人、または何もしてない人。 -
インドの道は、たまーーーーにしか信号がないのだが、代わりに道路にぼっこしがある。
このぼっこし部分に来ると、ドライバーはなるべく速度を落とし、慎重にぼっこしを乗り越えるのであった。
インド人のメイン移動手段はバイクのようで、老若男女みんなバイクに乗る。 -
2歳くらいの子供がタンクに乗せられ、お父さんが運転し、子供を挟んでさらにお母さんが乳児を抱えて乗っている。
こんな大所帯でぼっこしを越えなければならないのに、お父さんはギア付を裸足で運転してるし、お母さんはサリーで横乗りだ。
大丈夫だろうか、と見ていてヒヤヒヤしたが、今まで「ぼっこしに高速で突入してしまい宙を舞っているバイク」は一度も見なかった。
その代わり、「タンデムで後ろに乗りながら腕を組んだまま全く動かず表情も変えずぼっこしを超えるおっさん」は見た。
インド人のバイク技術は目を見張るものがある。 -
道すがらのぼっこし集中部分で、いきなり車に近寄ってきた男がいた。
男は山賊風の出で立ちで、手には大量の武器が握られている。
我々は動揺して早く過ぎ去ってしまったのだが、あれはれっきとしたお土産売りなのだった。
シャレにならない商売方法はやめてもらいたい。
王子もインド生活で見たことは初めてだったらしいし、窓を開けて「くーださーいなー♪」と言うに言えないお土産売りなのであった。 -
そうこうしている内に、我々は最初の目的地「パッタダカル」に到着した。
ここは世界遺産にも登録されているちゃんとした遺跡なのであった。
遺跡は塀で囲われていて、入場料(500ルピー約800円)が必要になる。
また、カメラも1台につき25ルピー(約40円)取られる。
中はとってもキレイで広い公園風で、とってもキレイな感じで寺院群が並んでいる。 -
今回見た遺跡は大体同じような造りになっていて、様々な様式の石造りの寺院の中にリンガ(シヴァ神の性器)が祀られている。
寺院の中で、教養の高そうなインテリインド人家族が写真を撮ったりしていた。
インテリ子供が土足で遺跡に入ると、インテリ父さんが諌め、インテリ子供は靴を脱いで中に入り直している。
「なるほど神聖な遺跡を汚してはならないのだな」と我々もそれに倣ったが、後々から判明したことは他にそんなことしてる人は一人もいなかった、ということであった。 -
冒険度低めの遺跡のため、「ふーん」と一通り見ていたら、可愛い女の子が走り寄ってきて、「名前はなあに?」と聞いてきた。
外国人が珍しいのかな、と思い、「ななだよ」と答えると、そのまま無言で踵を返して走り去ってしまった。 -
これも後々から判明したのだが、ここのインド人は外国人とやたら写真を撮りたがるのであった。
-
その後、写真を撮っていたらおっさん集団に囲まれ写真を撮り、兄ちゃん集団に囲まれて写真を撮り、結局さっきの女の子とも写真を撮り、帰ろうとしたら親族ご一行的インド家族とも写真を撮ることになった。
-
次に着いたのは、遺跡の中の村アイホーレにある「ドゥルガー寺院」で、やはり要入場料、高い塀あり、中はキレイな公園風、といった冒険度低めの遺跡であった。
その遺跡を散策していると、上の方に気になる遺跡のようなものを発見した。 -
「行けるのではないか」我々は運転手に言って、その遺跡まで行ってもらうことにした。
車は村を縫って走り、牛がつないである場所の前に停車した。
なぜか牛がピンク色に塗られている。 -
ここから上につながる階段があり、それを登ったところに例の遺跡があるらしい。
後から判明したのだが、この遺跡は「メーグティ寺院」というらしかった。今回の旅では、やたら後から判明することが多いのだ。 -
登ろうとしたら、近所の男の子が走り寄って来た。
「インディジョーンズ魔宮の伝説」に出てくる男の子みたいだと思ったが、彼は英語でベラベラここのことを話してくる。
「この階段は何段ある」とか「あっちに見えるあの遺跡はナントカだ」とか、こっちはもっと静かに登りたいのだが、彼はのべつくまなく話しかけてくるのだ。 -
「この子は一体どこまで付いてくるんだ?」と思ったが、ある程度説明が済んだところで彼は「じゃあガイド料で20ルピー」と金を請求してくるのであった。
仕方ない、と思って20ルピー払うと、今度は王子の傍に飛んでいき、先ほどと同じ説明を繰り返し、「じゃあ20ルピー」
彼は勝手にガイドをして勝手にガイド料を請求する、という断りづらい新手の金儲けを考えたようなのであった。 -
例の遺跡は、野趣溢れる遺跡でとっても趣があって良かった。
天空の城のような解放感があり、奥の方では牛がのんびり草を食んでいる。
「こういうの、求めてたんだよね」 -
我々は多いに満足して下山した。
帰り際、村の出口付近にさっきの男の子がいた。
ちゃんと見送りまでしてくれて、きちんと合わせて40ルピー分の仕事はしているのであった。 -
この後は、本日の宿地バーダーミに行き、そこの石窟寺院群を見つつ、夕日を見てチェックインという流れであった。
バーダーミは周りを岩山で囲まれており、その光景が壮観だ。 -
石窟寺院群は、やはり入場料ありのちゃんとした遺跡だが、自然のスケールが大きい。
たくさんの猿を従えた岩山をくり抜いて石窟がある。
石窟は第1~4窟まであり、それぞれの造りは大体同じである。
また、奥まで繋がっているというわけではなく、どれも同じくらいの場所で行き止まりになっているのであった。 -
人工物も確かにすごいが、自然の造形が上回っていて圧倒されてしまった。
しかし、夕日を見るポイントはここではないようだった。
池を挟んでざっくり「向こう側」にあるあの出っ張りの部分で夕日を見よう、ということになった。
そう運転手に伝え、我々はさらに車を走らせることになったのだった。 -
ここで今回の紳士的な運転手について話さねばなるまい。
彼はイマドキ風に言うと「プロすぎる運転手」なのであった。
我々のアバウトな要望から、彼は村の狭い道路を縫うようにして走った。
狭い生活路に突如出現した車に、村人たちは若干迷惑そうにしている(気がする)。 -
T字路にじいさんが座っていて、彼は道を尋ねた。すると、「この先には行けないよ」とドラクエの村人風に答えるのであった。
そこで普通ならば「車が入れないようなので、ここから歩いて行ってください」となりそうなもんだが、彼は違った。
その後も人に聞きまくり、見事激しく狭い遺跡入口に車を付けたのだった。 -
我々は遺跡に登り、夕日を見ようとしたが、その日は案外雲があり、案外見えなかった。
もうそろそろここも閉まる、ということで我々も下山したが、彼は苦も無く先ほどの狭い道を通って我々をホテルに送り届けてくれた。 -
本日の宿「Hotel Rajsangam International」
「International」に騙されはいけない。バスターミナル目の前で交通の便はいいようであったが、今回はこれが裏目に出た。
本日は、「ディワリ」というインドのお祭りのようだった。 -
町は爆竹と花火と鼓笛隊で溢れており、小心な日本人はただただ驚くばかりだ。
驚いてはいたが、ホテルの近くにある洋服屋がやたら安かったので、買いにでかけることにした。
そこはインドの町でよく見かけるタイプの洋服屋で、色とりどりの服が吊るしてあり、200ルピー(320円)くらいあればたいてい買える。
最近ボードゲームにはまっているヘンティは、ボードゲームは7個も持って来たのに、シャツは3枚しかなかった。 -
使い回すよりもここで仕入れた方がいいということで、結局全員何かしら買ってしまった。
私も故郷の子供2歳を思い、よくわからないパジャマセットを仕入れてしまった。
全員がお買い物を済ませ、うるさい町を通って夕飯を取ることにした。
小心な日本人だが、地元の洋服屋で買い物できたことで、少しインド慣れしてきたのだ。 -
ホテルの目と鼻の先にあるレストランは、地元風だが中庭があり、半テラス席は涼しくて心地よい。
またまたインド料理一式を食べ、ノンアルコール派な我々はコーラで乾杯し、表の喧騒もしばし忘れ、のんびり心地よいひと時を過ごしたのであった。ここまでは… -
さて、我々にはどうしても解決しなければならない問題があった。
それは「部屋交換問題」だ。
玉右衛門・ヘンティの部屋はツインではなくダブルであった。
部屋の真ん中にでかでかとキングベッド(汚い)が置かれており、しかも部屋は表通りに面している。
表通りでは、今も「ハッピーディワリ!」という掛け声あり、鼓笛隊の突然の演奏あり、そして爆竹が激しく鳴っている。
これはいつまで続くのか。
2人はフロントにて「部屋を換えてくれ」「今日は満室だから無理」「でもツインではなくダブルだ!」「キングベッドが入っている。何が不満だ」「我々は男だ!」
というやりとりを2回ほど続けた結果、部屋交換ではなくエキストラベッド追加ということで落ち着いた。
しばらくして持って来たエキストラベッドは、こんなもんどこで製造してんですかと言いたくなるような小さくて薄い煎餅布団(汚い)であった。
それにシーツ(汚い)を掛け、薄い上掛け(汚い)をつけて、おっさんはなぜか少し誇らしげに帰って行った。
床に敷かれた貧相な布団一式(汚い)は、どう見ても使用人のものだ。
結局この日は、夜中までハッピーディワリに悩まされながら、キングと使用人として2人は眠ったのであった。
→②に続く
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
バーダーミ(インド) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
41