2016/09/25 - 2016/09/25
14260位(同エリア29200件中)
ゆずのはさん
2016年9月24日から26日の夫婦旅。
こちらでは、9月25日第2日目の高崎観音から松代城、城下町観光についてを記します。
【日程】
第1日目
9月24日(土)
6時過ぎ地元発→宇都宮二荒山神社→佐野厄除け大師→足利フラワーパーク→日本最古の学校・足利学校→足利織姫神社→世良田東照宮→群馬県高崎市・高崎ココ・グラン宿泊。
第2日目
9月25日(日)
9時ココ・グラン→高崎観音→小諸→布引観音→松代城、松代城下→新潟県妙高市・赤倉観光ホテル宿泊。
第3日目
9月26日(月)
9時赤倉観光ホテル→苗名滝→信濃追分→旧軽井沢→軽井沢アウトレット→19時過ぎ地元着。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
9月25日朝9時に高崎ココ・グランをチェックアウトし、5月の旅行の際にも観光した高崎観音に再びやって来ました。
今回の目的は、前回、時間が早過ぎて頂けなかったご朱印を頂くためです。 -
正式には、高崎白衣大観音というそうです。
高野山真言宗慈眼院の境内にあります。
1936年、実業家井上保三郎氏が建立した鉄筋コンクリート製の観音像ですが、41、8メートルの高さは、建立当時、世界最大の観音像だったそうです。
2000年、登録有形文化財に登録。 -
ご朱印を頂くだけでなく、もちろんお参りもしました。
-
こちらが頂いたご朱印です。
-
それにしても、立派な観音様です。
前回は素晴らしい快晴の下に、白衣のお姿が映えていましたが、今回は少し曇っていて残念。
では、県境を越えて、長野県に向かうとしましょう! -
高崎をあとに、長野県へと(ボロ)愛車は快調に走って行きます。
彼方に見える山並み、あれは妙義山。
空もいつの間にか晴れて来ました。 -
-
妙義山がバッチリ見えるエリアを見つけたので、駐車してパチリ☆
カメラ小僧夫はというと、おとなしくしているはずもなく、ありとあらゆる角度でシャッターを切りまくっていました(笑) -
-
長野県に入りました。
-
軽井沢、前回行った海野宿も通り過ぎ、小諸市に到着。
小諸といえば懐古園ですが、何回か行ったことがあるし、混んでいたので、駐車場でUターンをし、布引観音に向かうことにしました。 -
布引観音手前にあった、明治時代の遺構・大久保橋。
-
布引観音こと布引山釈尊寺、天台宗のお寺です。
『牛に引かれて善光寺参り』伝説発祥の地。
本尊は聖観世音。
724年、行基の開基により、聖徳太子が作った聖観音を祀ったと伝わる古くからのお寺です。
ここから本堂までが、なんとも過酷な山登りとなりました。
私の観光予定にはもちろん入っていなかったのですが、人知れぬ観光地を見つけ出すことが趣味でもあるカメラ小僧夫が探し出してしまったため、トホホな気持ちでお付き合い(^_^;) -
岩あり苔ありの階段や山道を登ること23分、
ようやく本堂到着。
本堂から見える観音堂。
絶景ではありますが、観音堂へは、やたら元気なカメラ小僧夫のみが行きました。
カメラ小僧夫、1500メートルくらいの山なら、一人でも軽く登ってしまう元自然児ですが、私は都会育ちのため(?)無理~~~!! -
布引観音から松代に向かう途中に寄った東部湯の丸SAには、真田幸村コーナーがあり、六文銭グッズもたくさん!
-
名物のアトリエ・ド・フロマージュのプリンズでも食べて、布引観音で疲れた体を癒しましょう。
-
こちらが、アトリエ・ド・フロマージュのプリンズ、360円。
卵の味が濃く、こっくりとクリーミーなプリンでしたが、そんなに味わう間もなく完食。
旅行中は、なるべくお昼ご飯は食べないように気をつけてはいるものの、こうしてすぐに間食してしまうため、昼抜きの効果はほとんどありません…(笑) -
松代に向かう途中の千曲川をパチリ☆
カヌーの練習でしょうか。 -
『ようこそ 歴史の町 松代へ』の看板発見。
真田幸村の兄である真田信之の居城のあった松代に到着。
5月の旅行では、時間の都合で通り過ぎてしまったため、今回はゆっくり観光する予定。 -
駐車場に停め、松代城や城下町を観光開始!
-
まずは松代城へ。
-
松代城についての説明板。
-
松代城本丸。
松代城は、(別名・海津城)1560年武田信玄によって築城されたといわれる輪郭式平城。
1622年に真田信之が城主となって以降、廃藩置県まで真田氏の居城となりました。
1711年、海津城から松代城と名称が変わり、1876年、廃城令により廃城。
2004年、太鼓門、堀、石垣、土塁が復元されました。 -
-
-
復元された太鼓門。
-
太鼓門を潜ったら、建築物は何もありませんでした。
-
-
裏側から見る太鼓門。
-
逆光ですが、海津城の碑をパチリ☆
-
石垣の上から本丸跡を臨む。
-
松代の城下町が微かに見えました。
-
外に出てみましたが、何も無し。
また門を潜り、本丸跡を通って、今度は松代の城下町を散策してみることにしました。
NHKの大河ドラマの影響か、観光客がたくさんいらっしゃいました。 -
-
真田邸に向かう途中に実がたくさん生っていた石榴の木。
我が家にも昔は植えてあったね、とカメラ小僧夫も懐かしがっておりました。 -
旧真田邸に到着。
1864年、真田家9代目当主・真田幸教が義母貞松院のために建てた屋敷であり、その当時は新御殿と呼ばれていました。
その後は幸教の隠居所として、また明治維新後、伯爵となった真田氏の私邸として、代々の当主が居住し、1966年に12代目当主真田幸治氏により、真田家所蔵の宝物などとともに、当時の松代町(現・長野市)に寄贈され、現在に至っているそうです。
真田邸、文武学校、宝物館三館共通の見学料金は800円でした。 -
-
史跡 新御殿(真田邸)の説明板。
-
真田邸の庭園。
-
次は真田宝物館へ。
-
-
松代藩文武学校方面へ向かいました。
-
松代藩文武学校。
三館共通券を購入したので、もちろん内部も見学しました。
文武学校は松代藩の藩校として、江戸時代後期に創設され、1978年に史跡に認定されました。 -
-
史跡 文武学校の説明板。
-
-
-
-
-
文武学校を出たところの城下町の町並み。
-
-
ここにもさりげなく六文銭。
-
-
小布施の本店は有名ですが、こちら竹風堂松代店。
-
店内。
栗強飯の文字が…!
竹風堂名物のあれですね? -
竹風堂に入ったら、ついつい買ってしまう名物の栗おこわ。
おこわは強飯とも書きますね。
これで一人前ですが、ホテルでの夕食を控えているため、半分ずつ頂くことに。
蒸したてなので、さらに美味。 -
旧松代藩鐘楼。
-
松代藩士であり、兵学者、朱子学者、思想家であった佐久間象山を祀った象山神社を松代観光の最後にし、今宵のお宿、新潟県妙高市の赤倉観光ホテルへと向かいました。
赤倉観光ホテル宿泊記と、その後の長野県観光はまた後程。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
58