2016/10/26 - 2016/10/26
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morino296さん
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秩父札所巡り第1回目、友人Iさんと自転車を借りて札所1番から17番まで巡りました。
(その3)では札所12番~17番を紹介します。
実際に巡った順序は、12番→13番→14番→16番→17番→15番です。
この6寺は、秩父市の中心街に集中しているので比較的巡りやすいです。
秩父札所のおこりは、遠く文暦元年(1234)開創と伝えられ、室町時代後期には定着し、江戸時代になると観音信仰は庶民の心の支えとして流布し、隆盛を見るようになったそうです。
札所1番から34番まで静かな山村と美しい自然の中を一巡すると約100Kmとなります。
果たして、34ヶ所すべてを巡れるのはいつになるでしょうか。
(旅行記のコメントは、秩父札所連合会の公式サイトを参照しています。)
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄
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札所12番 野坂寺 山門(楼門)
住所:秩父市野坂町2-12-25
交通:西武秩父駅から徒歩12分、秩父鉄道・御花畑駅から徒歩15分。十一番から徒歩25分。(1.5km)
ゆるい登り坂の参道の両側には桜並木、正面には白壁が美しい黒い楼門があります。仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 山門の左手にある駐車場の入り口に座るお地蔵さん
仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺の解説
この札所は山門が重層入母屋造りで左右の花頭窓の内に十王像が安置され寛保寺間の建立である。観音堂(白華殿)は正面八間半奥行七間の向拝をふした入母屋造りで観音堂と本堂を兼備した形式のもので昭和48年に改修されたお堂である。
ご本尊は聖観世音菩薩立像で杉の一本造り像高156糎の等身大で藤原時代の造りといわれる。
その昔、甲斐の商人種々の具を商い来て秩父の山路に至り賊に遭い、命も危ない時に一心に観世音を唱えるに不思議や賊難を免れたという。商人は、後、観音の利益を敬い甲斐より秘仏の聖観世音五尺の立像を当所に安置し、この寺を建立したという縁起があります。仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 山門(右側)の花頭窓の中に安置さる十王像
仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 山門(左側)の花頭窓の中に安置さる十王像
仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 山門の中央に祀られる「あずかり観音」
苦しみをあずかるといわれる観音様です。、
右側は怒り、腹立ちを観音様にあずけて平常心にもどりましょう。
中央は病い痛みを観音様にあずけて楽しい毎日を過ごしましょう。
左側は煩い悩みを観音様にあずけて安らぎの心にもどりましょう。仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 山門の右側に安置される牛と十牛観音
怪力柳生の牛の説明がありました。
この牛は昭和6年頃より戦後にかけてトラックの代わりに、米や麦、薪や炭を引いて芦ヶ久保ー横瀬ー秩父間を往復し大活躍した有名な牛である。
当時普通の牛の3倍を超す一千貫(3.75トン)の荷車を引く様子は「あたかも山が動くがごとくの様子であった」。
戦後の復興期の人々の暮らしを支えた怪力牛であった。また、気性が大変荒く飼い主以外の者は側に近づけなかった。
秩父出身の彫刻家高橋敬秀氏が昔の記憶を頼りに苦心を重ね一年余をかけて昔の雄姿を忠実に再現したもの。平成8年作、重さ2トン、総欅材仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 山門の左側に安置される風神雷神などの木造
なんだか賑やかな山門です。仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 本堂前の境内
境内は広く、季節ごとに草花が咲き、一遇に花塚も立っています。
盆送りの行事である8月16日の灯篭供養が有名だそうです。
秩父札所12番寺の桜並木の参道の正面100mほど前方に城門を思わせる黒塗りの楼門が見えます。明治末期の火災で寺は焼失してしまったが、幸いに山門だけは残りました。入母屋二重垂木の八脚門で、左右に火灯窓(花頭窓)を配し、自然木の丸太を柱として上層・橡・勾欄をまわした簡潔で重厚なところは禅寺に似つかわしい風格を保つ。楼上には阿弥陀・釈迦像・十三仏像が安置され、階下両脇には十王をまつっております。秩父札所12番の本堂は六間四面で、内陣にまつられている本尊は、一木造りの藤原時代の作と言われている聖観世音で、優しい顔立ちをした豊麗な美人を思わせるような立像であります。昔、甲斐の国の絹商人がここを通りかかったとき、山賊に襲われもはや叶わぬ命と一心に南無観世音を唱え続けた。すると肌のお守りが光明雷のごとく輝き、賊どもは眼を射られて逃げ去った。観音の功徳に感泣、後にこの地に堂宇を建て、観世音を勧請してまつったのが秩父札所12番寺の草創だと言われております。
秩父札所12番寺本堂の正面に童顔の六地蔵が立っております。お地蔵様に刻み文字!
動ー直心 人の為に動く無畏の心
友ー思心 思いやりの心、人と共に生きる心
優ー温心 穏やかな心、灯のある心
?ー無心 無策の心子供のいたずら心の如し
願ー祈心 喜んで人の為に祈る心
空ー佛心 虚空の如く広く深く明るい心仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 本堂
寺名:仏道山(ぶつどうさん) 野坂寺(のさかじ)
本尊:聖観世音菩薩、宗派:臨済宗南禅寺派
明治39年(1906)に火災で焼失し、昭和49年(1974)に復元、再建されたもの。
立派な龍の彫刻が目を引きます。仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 本堂前のふれあい観音
仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 札所絵巻
仏道山野坂寺
此の地にて甲斐の商人山賊に襲われた 守袋の観音像から光が出て山賊の目を射った 以来山賊たちは仏道に精進する様になったという仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 本堂裏の庭園
大きくはないが綺麗に手入れの行き届いた庭園です。
寺務所の方に許可を頂き、見せていただきました。仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所12番 野坂寺 本堂の天井画
格天井に綺麗な花の絵が描かれています。
次は、札所13番へ向かいます。15:32頃仏道山 野坂寺 (札所十二番) 寺・神社・教会
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札所13番 慈眼寺 15:42頃到着
住所:秩父市東町26-7
交通:西武秩父駅から徒歩5分、秩父鉄道・御花畑駅から徒歩2分、12番から徒歩15分。(1.4km)
秩父市街の中心部にあり、西武秩父駅、御花畑駅からも近いです。
黒塗りの薬医門様式の山門があります。旗下山 慈眼寺 (札所十三番) 寺・神社・教会
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札所13番 慈眼寺の経蔵
石造りで火災にも焼けずに残ったもの。旗下山 慈眼寺 (札所十三番) 寺・神社・教会
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札所13番 慈眼寺
経蔵の中には、輪蔵形式の経庫があり一切経1630巻が納められています。
また、秩父札所を創建したという十三権者像が祀られております。旗下山 慈眼寺 (札所十三番) 寺・神社・教会
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札所13番 旗下山慈眼寺の解説
この札所のご本尊は聖観音菩薩で、お堂は三間四面、表軒唐破風つきの流れ向拝をふして、入母屋造りの屈指の建物です。明治11年3月の秩父大火に類焼し、再建されました。うす肉彫りの枝輪、絵画のある格天井は壮観です。県指定旧跡で文政明治のころの徳行家井上如常の墓も境内にあります。
街の中心の一角にあるこの地は、昔より霊地とその名も高く、日本武尊東奥征伐の折、この地に旗をたてさせた故、ハタノ下といわれ、年を経てハケノ下と呼ぶようになったという。
また、薬師如来は「あめ薬師」といい、眼病平癒に功徳あらたかで、7月8日の縁日は、境内外に二百余軒の露店が並び、ブッキリ飴が売られ、多くの参詣者で賑わい、夏の秩父の風物詩となっている。旗下山 慈眼寺 (札所十三番) 寺・神社・教会
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札所13番 慈眼寺
寺名:旗下山(きかざん) 慈眼寺(じげんじ)
本尊:聖観世音菩薩、宗派:曹洞宗
本尊は行基作といわれ、脇仏は阿弥陀三尊。
本堂は、明治11年(1878)の秩父大火で焼失したが、明治34年(1901)に一番札所の本堂を模して再建されたもの。
5月8日の花まつり、7月8日の飴薬師と有名な行事が行われ賑わいます。旗下山 慈眼寺 (札所十三番) 寺・神社・教会
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札所13番 慈眼寺 本堂の軒下
彩色された鶴の彫刻があります。旗下山 慈眼寺 (札所十三番) 寺・神社・教会
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札所13番 慈眼寺
経蔵の隣には薬師堂(写真なし)があり、薬師瑠璃光如来が祀られています。
この如来は目の健康に御利益があるとされ、「め」の文字を入れた絵馬がたくさん奉納されています。
7月8日の縁日には「め」と書いた絵馬が奉納され、境内では黒ごまの入ったぶっかき飴が売られ、多くの露店が門外にまでならび、大勢の人で賑わうそうです。旗下山 慈眼寺 (札所十三番) 寺・神社・教会
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札所13番 慈眼寺 山門の右隣にある地蔵堂
慈眼寺の塀の外からお参りできるようになっています。
子育地蔵で、水難、疫病除けの御利益があると信仰されております。
もともとは地蔵川のほとりにあったそうで、今は慈眼寺に安置されております。
次は札所14番に向かいます。15:47頃旗下山 慈眼寺 (札所十三番) 寺・神社・教会
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今宮神社
札所14番の100mほど手前に、龍神をまつる今宮神社があります。
ここは、秩父エリアの中で風水の力が最強の地といわれるそうです。
龍神様が祀られるには「三つの条件」があるそうです。
一つには、霊山があること(秩父は武甲山)
二つめは、近くに岩洞または樹洞があること(今宮神社では大欅の樹洞)
三つめは、湧き水のある所(今宮神社の龍神池)
(秩父今宮神社のコメントはパンフレット参照)秩父今宮神社 寺・神社・教会
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今宮神社 樹木に祀られている龍上観音
近くにあった説明によれば、
救いを求める相手によって様々な姿に姿を変えて、大慈悲と智慧で人々の苦しみを取り除き、さらに幸運をもたらす観音さまです。
古来より、観音菩薩が「富貴吉祥」のシンボルである龍神に乗り人々を救いに来られる姿のことを龍上観音とよび、愛情・財産・出世の運を運び込む開運に導いてくれるといわれています。秩父今宮神社 寺・神社・教会
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今宮神社 境内の聳える大欅の龍神木
この境内には県指定天然記念物の樹齢500年余の巨木があります。
幹まわり8.7m、樹高25.4m、枝張り34.3m。秩父今宮神社 寺・神社・教会
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今宮神社 龍神木の由来
縁起によれば、当社には奈良時代より八大龍王神と宮中八神が祀られていました。
この大欅には空洞があり、昔から「洞木(どうぎ)」と呼んで龍神の棲み家であるといわれていました。
平成3年12月30日、氏子たちが社殿の清掃をしていたとき、奉安してあったご神体の龍の彫り物がにわかに動き出し、周囲に突風が舞い起りました。
風は竜巻となって大空を駆け上り、大欅の空洞のあたりに消えていきました。
永い眠りから醒められた八大龍王神が、この社に奉仕する人々に対して歓喜を顕したに違いないと思い、この不思議な出来事を目の当たりとした宮司と氏子たちは、このことを記録に残しました。
それからこの大欅を龍神木と呼んでいます。秩父今宮神社 寺・神社・教会
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今宮神社 本殿
水を司どり「生命のおおもと」を守るとされる神仏習合の八大龍王神や、「修験道」の開祖とも言われる秩父霊場開祖役行者(えんのぎょうじゃ)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)、宮中八神等を祀る神社です。秩父今宮神社 寺・神社・教会
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今宮神社 清龍の滝
環境省指定 平成の名水百選に選ばれている武甲山の伏流水。秩父今宮神社 寺・神社・教会
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今宮神社 龍神池
武甲山の伏流水が湧き出ている秩父最古の泉。
毎年4月4日には龍神祭と水分祭(みまくりまつり)が行われ、水乞いに参詣の秩父神社に今宮神社から水幣(水の神徳)が授与され、秩父神社では御田植祭が斎行されて秩父地方の一年の祭が始まります。
秋の収穫を終えて、この水幣を武甲山に返すお祭りが12月の秩父神社の例大祭(秩父夜祭)であると伝えられています。秩父今宮神社 寺・神社・教会
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今宮神社 馬頭観音
清龍の滝の後ろに立つ大きな観音様です。
パワースポットを後に、札所14番へ向かいます。16:03頃秩父今宮神社 寺・神社・教会
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札所14番 今宮坊 16:05頃到着
住所:秩父市中町25-12
交通:西武秩父駅から徒歩15分、秩父鉄道・御花畑駅から徒歩10分、13番から徒歩8分。(0.6km)
今宮神社からは直ぐです。
江戸時代は、今宮坊が観音堂と今宮神社の別当を兼ねていたが、明治初年の神仏分離と修験道廃止によって今宮神社と観音堂が分離されました。
かつては修験道の本山で有名な聖護院の直末寺で、長岳山正覚院金剛寺といい、橋立堂(現二十八番)や神戸山長生院(現十八番)は金剛寺の末寺で、修験道の道場だったそうです。
現在の観音堂は、宝永6年(1709)に再建。
長岳山 今宮坊 (札所十四番) 寺・神社・教会
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札所14番 今宮坊
寺名:長岳山(ちょうがくさん) 今宮坊(いまみやぼう)
本尊:聖観世音菩薩、宗派:臨済宗南禅寺派長岳山 今宮坊 (札所十四番) 寺・神社・教会
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札所14番 今宮坊 境内左奥にある勢至堂
午年生まれの守り本尊勢至菩薩が祀られています。長岳山 今宮坊 (札所十四番) 寺・神社・教会
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札所14番 今宮坊のお地蔵様
本堂の前の左手に信者が奉納したというお地蔵様が立っておられます。
子供の無事生長、無病息災のご利益があると信仰をあつめているそうです。
そろそろ日没も近いたので、先を急ぎます。
次は、帰り道の駅に近い15番を飛ばして、16番へ向かいます。16:10頃長岳山 今宮坊 (札所十四番) 寺・神社・教会
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札所16番 西光寺 山門 16:18頃到着
住所:秩父市中村町4-2-21
交通:秩父鉄道秩父駅から徒歩12分、西武鉄道・西武秩父駅から徒歩25分。15番から徒歩15分。(0.8km)
山門は江戸期の建物で当時の匠の技が随所に見られます。無量山 西光寺 (札所十六番) 寺・神社・教会
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札所16番 西光寺
寺名:無量山(むりょうさん) 西光寺(さいこうじ)
本尊:千手観世音菩薩、宗派:真言宗豊山派
禅宗の多い秩父札所では珍しい真言密教の寺です。
山門をくぐると正面に宝永7年(1710)に建てられた本堂があります。
右手には四国八十八ヶ所霊場の本尊模刻が並ぶ回廊堂が建っている。無量山 西光寺 (札所十六番) 寺・神社・教会
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札所16番 西光寺 境内右手にある金毘羅堂(右)と札堂
札堂は、かつては巡礼する人達が木製の納札を釘で打ちつけたそうで、柱には釘や釘の跡が数多く残っています。
札所めぐりの「打つ」という表現はここに由来するそうです。
札堂が残るのはここだけで、秩父札所で最古の遺構だそうです。無量山 西光寺 (札所十六番) 寺・神社・教会
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札所16番 西光寺 回廊堂の入り口
本堂の横にある弘法大師関東八十八ヶ所特別霊場の入り口です。
時間もないので中に入るのは止めました。無量山 西光寺 (札所十六番) 寺・神社・教会
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札所16番 西光寺 本堂
無量山 西光寺 (札所十六番) 寺・神社・教会
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札所16番 西光寺 本堂
本堂正面の欄間には、釈迦の涅槃像の彫刻があります。
その両脇は、十大弟子の彫刻です。無量山 西光寺 (札所十六番) 寺・神社・教会
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札所16番 西光寺 本堂
本堂正面の欄間、釈迦の涅槃像と十大弟子の彫刻です。無量山 西光寺 (札所十六番) 寺・神社・教会
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札所16番 西光寺 境内にある酒樽大黒天
閉門時間も近くなり、寺の方が片づけを始めていらっしゃいました。
次の札所17番へ向かいます。16:25頃無量山 西光寺 (札所十六番) 寺・神社・教会
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札所17番 定林寺 16:31頃到着
住所:秩父市桜木町21-3
交通:西武秩父駅から西武観光バス「小鹿野車庫・栗尾ゆき(相生町経由)」、「皆野駅ゆき(寺尾経由)」、「黒谷駅循環」バス13分「札所十七番入口」下車徒歩3分。16番から徒歩20分。(1.3km)実正山 定林寺 (札所十七番) 寺・神社・教会
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札所17番 実正山定林寺の解説
この札所は四間四面の簡素で均整の取れたお堂です。
内陣は古風な阿弥陀堂のように念仏回廊が廻っています。
本尊は十一面観世音菩薩立像で像高55糎の寄木造り、願主武州国郡法印元暁の銘があり、文禄2年3月23日開眼の墨書があります。
梵鐘は、日本百番観音霊場の本尊とご詠歌を鋳出した珍しいもので、工芸品として昭和39年3月県指定の文化財となっています。
また、安政、明治の徳行家、井上如常の父青岳の描いた狩野風の絵の掲額もあります。
縁起には、壬生の良門の忠巨林太郎定元は、主の無道を諫めかえって家財を没収され、当地に来て没しました。その遺子空然はこの地に養われ成人の後、父の菩提のため当寺を建立したとあります。実正山 定林寺 (札所十七番) 寺・神社・教会
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札所17番 定林寺
寺名:実正山(じっしょうさん) 定林寺(じょうりんじ)
本尊:十一面観世音菩薩 宗派:曹洞宗
少し市街地を外れた場所に立つ趣のある寺。
別称を「林寺」といい、林家の持寺として開創されました。
観音堂は吹放しの回廊があります。実正山 定林寺 (札所十七番) 寺・神社・教会
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札所17番 定林寺 観音堂正面の欄間の透かし彫り
実正山 定林寺 (札所十七番) 寺・神社・教会
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札所17番 定林寺の札所絵巻
壬生良問の家臣
林 太郎定元
定元は良問に追放され 定元の子林源太良元は空照という僧に育てられ
父の為 堂宇を建立して定と林をとり定林寺とした実正山 定林寺 (札所十七番) 寺・神社・教会
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札所17番 定林寺 百観音の梵鐘
西国、坂東、秩父の百観音の本尊を浮き彫りにした梵鐘は、県指定有形文化財に指定されています。
鐘の音のすばらしさから、秩父三名鐘の一つといわれ、お参り前につくとお金が入ってくる「入りかね」とも呼ばれているそうです。
(鐘を突くのを忘れてしまいました)
それでは、この日、最後となる札所15番へ向かいます。 16:35頃実正山 定林寺 (札所十七番) 寺・神社・教会
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札所15番 少林寺 16:45頃到着
住所:秩父市番場町7-9
交通:西武秩父駅から徒歩8分、秩父鉄道・秩父駅から徒歩5分、御花畑駅から徒歩4分。14番から徒歩12分。(0.7km)
寺名:母巣山(ははそさん) 少林寺(しょうりんじ)
本尊:十一面観世音菩薩 宗派:臨済宗建長寺派
本堂(観音堂)が、白漆喰塗りの耐火構造で土蔵造りなのは、明治11年(1878)の秩父大火で焼失した教訓を活かして再建されたため。
本堂の欄間には、信者達により観音経を絵解きした16枚の彩色彫刻があります。母巣山 少林寺 (札所十五番) 寺・神社・教会
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札所15番 母巣山少林寺の解説
15番札所は、もと秩父神社の傍らにあった蔵福寺でしたが、明治維新の際に廃寺となり、この少林寺が札所を受け継いだものです。
本堂は入母屋造りで、前は千鳥破風つきの向拝をふして総体を漆喰込めで洋風が加味されています。
本尊は十一面観世音です。
境内には秩父事件で殉職した警官二人の墓もあります。
その昔、近江の賢田の商人、湯尾峠を通りし折、怪者数人語り合うを聞くと「今年は江州に疾病流行させんとしたが、定朝の十一面観音に阻まれてそのことならず、東に行き彼の地を荒さん」とさては疫神ならんと恐れ、定朝自作の十一面像を授かり、仏意の霊験によりこの地に堂を建立し祭りたため疫難を免れたという縁起があります。母巣山 少林寺 (札所十五番) 寺・神社・教会
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札所15番 少林寺 山門
山門は建て替え工事中でした。
春さきには、五千株を超える福寿草が花を咲かせるそうです。
観音経に「福聚海無量」とあるが、「福聚海」と「福寿草」とだぶらせて、巡礼の人々は本堂の名を「福寿殿」と呼んでいるそうです。母巣山 少林寺 (札所十五番) 寺・神社・教会
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札所15番 少林寺 境内にある「秩父事件」の碑
明治17年11月1日、吉田町の椋神社に白だすき、白鉢巻の農民たちが、刀、火縄銃、竹槍などを手に持ち約3千名が集結し蜂起した。
国民軍集団は、作戦目標、きびしい軍律5か条を設け、吉田町から小鹿野町に入り高利貸を襲いつつ、2日に大宮郷(現秩父市)に入った。この時国民軍は約1万人の集団になっていたといわれ、各地域で戦闘が展開されたが、軍隊の出兵によって鎮圧された。しかし国民軍の一部は活路を求め、7日には上州、信州へと侵入して、9日には信州野辺山にて完全に解体した。(中略)
当時は耕地の狭さを養蚕で補い生活をたてていたが生糸相場の暴落や繭の不出来によって現金収入の途は断たれ、農民たちの中には、夜逃げする者、家屋敷を取られる者などもあった。このような中で、自由民権運動の影響を受けた国民軍集団が組織され、蜂起に至ったのである。人々を驚かせた一大蜂起事件も、これまで秩父暴動、暴徒、騒動と呼ばれてきたが、近年徐々に「秩父事件」としての性格が掘り起こされこの呼名が定着しつつある。
なお、ここ札所15番少林寺には、この戦闘で殉死した二人の警部補に対し、山縣有朋内務大臣から贈られた碑文が建立されている。
、この静かな山里に秩父事件がおこりました。
生活に苦しむ農民約1万人が蜂起し、各地で戦斗が展開されました。
この戦斗で殉職した警官二人に対して山縣有内務大臣から贈られた碑文が建立されております。母巣山 少林寺 (札所十五番) 寺・神社・教会
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札所15番 少林寺 境内の地蔵堂
このお地蔵様は子育ての御利益があるといわれます。母巣山 少林寺 (札所十五番) 寺・神社・教会
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札所15番 少林寺の境内から望む武甲山
貸し自転車の返却時限の17:00も近づいたので、そろそろ西武秩父駅へ戻ります。16:50頃母巣山 少林寺 (札所十五番) 寺・神社・教会
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西武秩父駅 16:56頃
無事、貸し自転車を返却。
スタート時に68Km分あったバッテリーの残量が38Kmに減っていました。
正確かどうかは分かりませんが、バッテリー残量からみると約30Kmを走ったことになります。
駅舎の改造工事中で、売店がなく、少し離れた場所にあるコンビニまで行ってビールを購入。西武秩父駅 駅
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西武秩父駅 17:30発の特急レッドアロー号で帰路につきました。
1回目の秩父札所巡りは、素晴らしいお天気にも恵まれ、34札所の内、半分の17札所を巡ることが出来ました。
久々に乗った自転車でしたので、ちょっと足とお尻が痛くなりましたが、無事に帰ることが出来ました。
秩父札所巡り1回目、最後までご覧いただき有難うございます。
この続きは、いつになるか分かりませんが、また計画したいと思っています。
(おしまい)西武秩父駅 駅
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