南国・土佐山田・香南旅行記(ブログ) 一覧に戻る
夏のよさこい祭りに続いて、改めての高知の旅は、四日間。足摺の方に向かうか室戸の方に向かうか迷ったのですが、四日間だと足摺の方はちょっと無理。普段は運転していない私ですから、道が狭い四国では時間にしっかり余裕がないと危険でもあるでしょう。<br /><br />高知はかつて2年半暮らしたことがあるので、それなりに土地勘はあるのですが、意外に分かっていなかったのはむしろ高知市郊外。初日から目いっぱいのスケジュールでしたが、こんなに見どころあったんだなあという新鮮な思いになりました。長宗我部が滅んでからでも、もう400年以上経つのにここまで残っているのは、地元でも引き続き大事にされてきた証ですね。<br /><br />せっかくなので、長宗我部関係の情報を少し紹介すると。<br />長宗我部氏が滅んだ直接のきっかけは関ヶ原の戦いで西軍に付いたこと。しかし、心がはっきりと西軍にあったわけではなくて、その辺りは流れの中というか、弾みというかそれくらい。真偽のほどは分かりませんが、敢えてあげれば、仮説としてある人質の問題。石田三成に妻子を人質に取られていた当主、長宗我部盛親は、長宗我部元親の四男。しかし、長宗我部元親は、大友氏を援ける秀吉の九州征伐の前哨戦、戸次川の戦で島津氏に討たれた長男信親を溺愛していたため、その信親の娘を盛親の妻にしていたんです。つまりは、盛親はワンポイントで、信親の娘の生んだ子が跡を取ると正嫡に戻るということではなかったかという説です。その妻子を取られたのでは、細川忠興がガラシャ夫人を見捨てたようにはいかないということなんですね。<br /><br />しかし、それにしても西軍が敗れた、たったそれだけで改易となるなんて盛親は思ってもいなかったのではないでしょうか。家康に恨みはないし、関ヶ原では毛利の陣の背後にあって吉川広家が通せんぼをしたので、ほとんど戦ってはいないのですから。むしろ、それなのになぜ家康がこれほど長宗我部に厳しくあたったのかはちょっと謎のように思いますが、結果論としてみると長宗我部氏の情報収集力に問題があったのは否めない。その延長で田舎大名と侮られた可能性もなくはないでしょう。<br /><br />しかし、いずれにしても、一時は実質的に四国の統一を果たした名家、長宗我部氏が忽然と歴史の舞台から消えてしまう。その事実に変わりはありません。

なんでもかんでも高知県東部の旅(一日目)~高知市郊外は長宗我部氏ゆかりのスポットがあちこちに。定番の桂浜に四国霊場ほか、武市半平太や濱口雄幸の生家なども巡ります~

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2016/10/08 - 2016/10/08

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たびたび

たびたびさん

夏のよさこい祭りに続いて、改めての高知の旅は、四日間。足摺の方に向かうか室戸の方に向かうか迷ったのですが、四日間だと足摺の方はちょっと無理。普段は運転していない私ですから、道が狭い四国では時間にしっかり余裕がないと危険でもあるでしょう。

高知はかつて2年半暮らしたことがあるので、それなりに土地勘はあるのですが、意外に分かっていなかったのはむしろ高知市郊外。初日から目いっぱいのスケジュールでしたが、こんなに見どころあったんだなあという新鮮な思いになりました。長宗我部が滅んでからでも、もう400年以上経つのにここまで残っているのは、地元でも引き続き大事にされてきた証ですね。

せっかくなので、長宗我部関係の情報を少し紹介すると。
長宗我部氏が滅んだ直接のきっかけは関ヶ原の戦いで西軍に付いたこと。しかし、心がはっきりと西軍にあったわけではなくて、その辺りは流れの中というか、弾みというかそれくらい。真偽のほどは分かりませんが、敢えてあげれば、仮説としてある人質の問題。石田三成に妻子を人質に取られていた当主、長宗我部盛親は、長宗我部元親の四男。しかし、長宗我部元親は、大友氏を援ける秀吉の九州征伐の前哨戦、戸次川の戦で島津氏に討たれた長男信親を溺愛していたため、その信親の娘を盛親の妻にしていたんです。つまりは、盛親はワンポイントで、信親の娘の生んだ子が跡を取ると正嫡に戻るということではなかったかという説です。その妻子を取られたのでは、細川忠興がガラシャ夫人を見捨てたようにはいかないということなんですね。

しかし、それにしても西軍が敗れた、たったそれだけで改易となるなんて盛親は思ってもいなかったのではないでしょうか。家康に恨みはないし、関ヶ原では毛利の陣の背後にあって吉川広家が通せんぼをしたので、ほとんど戦ってはいないのですから。むしろ、それなのになぜ家康がこれほど長宗我部に厳しくあたったのかはちょっと謎のように思いますが、結果論としてみると長宗我部氏の情報収集力に問題があったのは否めない。その延長で田舎大名と侮られた可能性もなくはないでしょう。

しかし、いずれにしても、一時は実質的に四国の統一を果たした名家、長宗我部氏が忽然と歴史の舞台から消えてしまう。その事実に変わりはありません。

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  • 夜の便で、羽田から高知空港に到着。<br />晩飯は葉牡丹へ。<br />

    夜の便で、羽田から高知空港に到着。
    晩飯は葉牡丹へ。

  • ひと昔前だと高知では場末で葉牡丹なんてという時代もあったように思いますが、今では観光客にも知られるメジャーな居酒屋になりました。

    ひと昔前だと高知では場末で葉牡丹なんてという時代もあったように思いますが、今では観光客にも知られるメジャーな居酒屋になりました。

  • そんなこともあって、久しぶりにここにしたわけですが、こんなおいしかったかなあと見直した次第。串焼きの盛り合わせとか、ちょっと手元の危ないおばちゃんが焼いてくれましたが、火の加減とかいい感じ。

    そんなこともあって、久しぶりにここにしたわけですが、こんなおいしかったかなあと見直した次第。串焼きの盛り合わせとか、ちょっと手元の危ないおばちゃんが焼いてくれましたが、火の加減とかいい感じ。

  • ウスターソースの掛かった千切りキャベツとかも郷愁を誘います。

    ウスターソースの掛かった千切りキャベツとかも郷愁を誘います。

  • 今夜の宿は高知ビジネスホテル。ここって、風俗街みたいなエリアにあるので、そこはちょっとという感じです。

    今夜の宿は高知ビジネスホテル。ここって、風俗街みたいなエリアにあるので、そこはちょっとという感じです。

  • 部屋も安っぽいんですが、応対はしっかりしているし、ロビーから廊下などはそれなりの広さがある。割り切れれば気持ちよく泊まれると思います。 

    部屋も安っぽいんですが、応対はしっかりしているし、ロビーから廊下などはそれなりの広さがある。割り切れれば気持ちよく泊まれると思います。 

  • 翌朝の朝はケイズカフェへ。ここは高知駅の北側すぐなんですが、入口がほぼ反対側なので、駅から向かうとちょっと見つけにくいでしょう。コンビニの隣りにあってこれが広くてとってもきれい。びっくりするくらいスタイリッシュな喫茶店です。<br />

    翌朝の朝はケイズカフェへ。ここは高知駅の北側すぐなんですが、入口がほぼ反対側なので、駅から向かうとちょっと見つけにくいでしょう。コンビニの隣りにあってこれが広くてとってもきれい。びっくりするくらいスタイリッシュな喫茶店です。

  • モーニングをいただきましたが、クルミの乗ったトーストにハチミツを垂らしたりして。変な話、ここは本当に高知なんだろうかというような喫茶店です。

    モーニングをいただきましたが、クルミの乗ったトーストにハチミツを垂らしたりして。変な話、ここは本当に高知なんだろうかというような喫茶店です。

  • ここからはレンタカーを使っての旅になります。<br />筆山は下から眺めるだけだったのですが、レンタカーだし筆山公園まで登ってみました。

    ここからはレンタカーを使っての旅になります。
    筆山は下から眺めるだけだったのですが、レンタカーだし筆山公園まで登ってみました。

  • 行き着いた先は駐車場のある展望所。眼下に高知市街と鏡川の流れが見えました。けっこうなくねくね道でしたが、車でも問題なし。歩いて登ったらけっこうしんどいかもしれません。

    行き着いた先は駐車場のある展望所。眼下に高知市街と鏡川の流れが見えました。けっこうなくねくね道でしたが、車でも問題なし。歩いて登ったらけっこうしんどいかもしれません。

  • 続いての種間寺は、四国八十八か所の第34番札所。

    続いての種間寺は、四国八十八か所の第34番札所。

  • 空海が唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから種間寺です。<br />

    空海が唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから種間寺です。

  • 高知の八十八か所はとんでもない山道の寺があったりしますが、ここは平地。何の心配もありません。駐車場からも登りはなし。そのまま本堂まで歩いて、これもあっという間です。<br />

    高知の八十八か所はとんでもない山道の寺があったりしますが、ここは平地。何の心配もありません。駐車場からも登りはなし。そのまま本堂まで歩いて、これもあっという間です。

  • そして、本堂手前に鐘楼かと思ったら、これは子安観音堂。

    そして、本堂手前に鐘楼かと思ったら、これは子安観音堂。

  • 安産祈願の寺とされているようです。

    安産祈願の寺とされているようです。

  • ちょっと雨がきつくなってきましたね。

    ちょっと雨がきつくなってきましたね。

  • 春野町は、高知市に広域合併された町。ただ、今でも高知市民にとっては春野は何か高知市とは別だし、豊かな地区というイメージがあるように思います。この高知市春野郷土資料館にも改めてそんな印象を持ちました。企画展は、「野中兼山の利水・治水事業」。こういうテーマに目を付けること自体、ちょっと違うなという感じです。<br />高知市春野市民図書館も、春野郷土資料館と併設された施設で、つまり、これは昔の春野町役場かなにかなのでしょう。春野町の文化ゾーンと言った位置づけでしょうか。そして、地元の人がけっこう出入りしていてそれなりに活気がある。普通の図書館ではあるのですが、街の中心施設という意識もあるようです。

    春野町は、高知市に広域合併された町。ただ、今でも高知市民にとっては春野は何か高知市とは別だし、豊かな地区というイメージがあるように思います。この高知市春野郷土資料館にも改めてそんな印象を持ちました。企画展は、「野中兼山の利水・治水事業」。こういうテーマに目を付けること自体、ちょっと違うなという感じです。
    高知市春野市民図書館も、春野郷土資料館と併設された施設で、つまり、これは昔の春野町役場かなにかなのでしょう。春野町の文化ゾーンと言った位置づけでしょうか。そして、地元の人がけっこう出入りしていてそれなりに活気がある。普通の図書館ではあるのですが、街の中心施設という意識もあるようです。

  • 近くの春野総合運動公園では、陸上競技の大会が行われていました。

    近くの春野総合運動公園では、陸上競技の大会が行われていました。

  • まだ準備の最中だったのでトラックとかにも入ってみましたが、スタジアムも含めてこれは本格的。中学生とか高校生の大会でしたが、こんなところで競技したら、体も軽くなるでしょう。昔から高知ではよく知られた運動公園ですが、こんなにいい環境が整っていることは初めて知りました。素晴らしいと思います。

    まだ準備の最中だったのでトラックとかにも入ってみましたが、スタジアムも含めてこれは本格的。中学生とか高校生の大会でしたが、こんなところで競技したら、体も軽くなるでしょう。昔から高知ではよく知られた運動公園ですが、こんなにいい環境が整っていることは初めて知りました。素晴らしいと思います。

  • これは、高知競馬場。この日はお休みでしたが、無料で入場できました。

    これは、高知競馬場。この日はお休みでしたが、無料で入場できました。

  • ハルウララで一気に有名になったのですが、どうせ地方の競馬場だしたいしたことはないだろうと思いつつ入ってみると、メインスタジアムとかは巨大で、ガラス張りの観覧席なんかも立派そう。

    ハルウララで一気に有名になったのですが、どうせ地方の競馬場だしたいしたことはないだろうと思いつつ入ってみると、メインスタジアムとかは巨大で、ガラス張りの観覧席なんかも立派そう。

  • 想像とは違ってリッチな施設であることにちょっと驚きました。

    想像とは違ってリッチな施設であることにちょっと驚きました。

  • 春野地区から長浜地区に移動して。<br />まず訪れた若宮八幡宮は、長宗我部元親ゆかりの地の一つ。元親が初陣にあたって当社の馬場先に陣を構え、見事、長浜城を攻め落したという縁起のいい神社で、以来、当社は戦勝祈願の第一社とされました。<br />

    春野地区から長浜地区に移動して。
    まず訪れた若宮八幡宮は、長宗我部元親ゆかりの地の一つ。元親が初陣にあたって当社の馬場先に陣を構え、見事、長浜城を攻め落したという縁起のいい神社で、以来、当社は戦勝祈願の第一社とされました。

  • 社殿の姿が一風変わっていますが、出蜻蛉式という様式。変わっていますが、独特の美しさもあるような。これを見ても高知の美的センスは侮れません。<br />なお、駐車場もあるし、境内はまあまあの広さ。おみくじ所などもありました。

    イチオシ

    社殿の姿が一風変わっていますが、出蜻蛉式という様式。変わっていますが、独特の美しさもあるような。これを見ても高知の美的センスは侮れません。
    なお、駐車場もあるし、境内はまあまあの広さ。おみくじ所などもありました。

  • ここから元親初陣の像まで行く途中に、どろんこ祭りの行われる田んぼがありました。この祭りは、田植えを終えた早乙女が周囲にいる男性の顔や手に泥を塗って無病息災を願うというお祭りだそうです。<br />

    ここから元親初陣の像まで行く途中に、どろんこ祭りの行われる田んぼがありました。この祭りは、田植えを終えた早乙女が周囲にいる男性の顔や手に泥を塗って無病息災を願うというお祭りだそうです。

  • ところで、向かいに立派な相撲場があって、裸になって練習をしている人たちがいましたが、これは関係あるんでしょうか。まあ、体を使って何かをするという意味ではつながるイメージはあるかもしれません。

    ところで、向かいに立派な相撲場があって、裸になって練習をしている人たちがいましたが、これは関係あるんでしょうか。まあ、体を使って何かをするという意味ではつながるイメージはあるかもしれません。

  • 長宗我部元親初陣の像は、歩いて5分。<br />写真では知っていましたが、実物もとってもかっこいいですね。

    長宗我部元親初陣の像は、歩いて5分。
    写真では知っていましたが、実物もとってもかっこいいですね。

  • 元親が初陣を迎えたのは22歳。当時としては遅い方だったようですが、顔つきとか若々しくて、雰囲気がよく伝わってきます。元親は初陣で見事な活躍を見せたことで、「姫若子」(ひめわこ)の評価は一転。「鬼若子」と呼ばれ、四国の覇者へと上り詰めることになります。

    イチオシ

    元親が初陣を迎えたのは22歳。当時としては遅い方だったようですが、顔つきとか若々しくて、雰囲気がよく伝わってきます。元親は初陣で見事な活躍を見せたことで、「姫若子」(ひめわこ)の評価は一転。「鬼若子」と呼ばれ、四国の覇者へと上り詰めることになります。

  • 近くの雪蹊寺は、四国八十八か所の第三十三番札所ですが、ここも長宗我部元親ゆかりの寺。

    近くの雪蹊寺は、四国八十八か所の第三十三番札所ですが、ここも長宗我部元親ゆかりの寺。

  • 廃寺となっていたものを元親が再興し、長宗我部家の菩提寺になりました。<br />

    廃寺となっていたものを元親が再興し、長宗我部家の菩提寺になりました。

  • 長浜市街の中にあって、アクセスは簡単。駐車場は限られますが、境内もさほどではないので、参詣に時間はかからない。回転が速いので待っていても知れています。

    長浜市街の中にあって、アクセスは簡単。駐車場は限られますが、境内もさほどではないので、参詣に時間はかからない。回転が速いので待っていても知れています。

  • 本堂裏手に長宗我部信親の墓所があります。長宗我部信親は、長宗我部元親の嫡男で、元親も将来を大いに期待していた人物だったのですが、前述のとおり、秀吉の九州攻めにあたって、島津軍と戦った際、討ち取られてしまいます。少し、短慮のところもあったと言われますが、とはいえ、敗戦の原因は軍艦、仙石秀久の無謀な決断。望まない戦いでの無念の死だったし、そこからが長宗我部家の凋落の始まりだったことを思うと感慨深いものがあります。ちなみに、仙石秀久はこれが元で秀吉の怒りを買い、改易になりますが、その後、家康・秀忠に取り入ることで復活。小諸藩の初代藩主となっています。<br /><br />墓は威厳はそこそこありますが、大名の墓としてみると粗末なものです。<br />

    本堂裏手に長宗我部信親の墓所があります。長宗我部信親は、長宗我部元親の嫡男で、元親も将来を大いに期待していた人物だったのですが、前述のとおり、秀吉の九州攻めにあたって、島津軍と戦った際、討ち取られてしまいます。少し、短慮のところもあったと言われますが、とはいえ、敗戦の原因は軍艦、仙石秀久の無謀な決断。望まない戦いでの無念の死だったし、そこからが長宗我部家の凋落の始まりだったことを思うと感慨深いものがあります。ちなみに、仙石秀久はこれが元で秀吉の怒りを買い、改易になりますが、その後、家康・秀忠に取り入ることで復活。小諸藩の初代藩主となっています。

    墓は威厳はそこそこありますが、大名の墓としてみると粗末なものです。

  • 秦神社は、雪蹊寺の奥隣り。<br />この神社は、長宗我部元親を祀る神社。明治になって、雪蹊寺が廃仏毀釈で一時廃寺になったことから造られたものということで、そういう意味では歴史はさほどありません。

    秦神社は、雪蹊寺の奥隣り。
    この神社は、長宗我部元親を祀る神社。明治になって、雪蹊寺が廃仏毀釈で一時廃寺になったことから造られたものということで、そういう意味では歴史はさほどありません。

  • ちょっと寂しい境内ですが、本殿横には、長宗我部の最後の当主で、元親の四男、盛親の墓もありました。NHK大河の「真田丸」でもあった、大阪五人衆のひとりです。<br />そして、この辺り一帯は長浜城跡。秦神社の敷地も長浜城の一部だったようです。しかし、それと分かるようなものはほとんど残っていないような。。<br />唯一、秦神社の門前に説明板があって。元々この城は土佐郡、吾川郡を支配していた本山氏の支城だったものを長宗我部元親の父、国親が攻略したということ。この時、両軍の決戦となったのが戸ノ本の戦いです。

    ちょっと寂しい境内ですが、本殿横には、長宗我部の最後の当主で、元親の四男、盛親の墓もありました。NHK大河の「真田丸」でもあった、大阪五人衆のひとりです。
    そして、この辺り一帯は長浜城跡。秦神社の敷地も長浜城の一部だったようです。しかし、それと分かるようなものはほとんど残っていないような。。
    唯一、秦神社の門前に説明板があって。元々この城は土佐郡、吾川郡を支配していた本山氏の支城だったものを長宗我部元親の父、国親が攻略したということ。この時、両軍の決戦となったのが戸ノ本の戦いです。

  • また少し移動して。<br />その戸ノ本古戦場跡は、ごちゃごちゃした住宅地の中に小さな公園のような空地があって、そこにひなびた石碑がポツンとありました。しかし、ここを探し当てるのはちょっと苦労するかもしれません。傍らに説明板があって、けっこう詳しい説明がありました。<br />この戦場は、長宗我部氏とライバル関係にあり、土佐郡・吾川郡を支配していた本山氏との決戦場。元親の父国親の下で、元親は初陣として活躍した戦い。両軍合わせて3500が激突したということですが、長宗我部家はここから以降、四国統一に向けて快進撃をしていく。歴史的な戦場となりました。

    また少し移動して。
    その戸ノ本古戦場跡は、ごちゃごちゃした住宅地の中に小さな公園のような空地があって、そこにひなびた石碑がポツンとありました。しかし、ここを探し当てるのはちょっと苦労するかもしれません。傍らに説明板があって、けっこう詳しい説明がありました。
    この戦場は、長宗我部氏とライバル関係にあり、土佐郡・吾川郡を支配していた本山氏との決戦場。元親の父国親の下で、元親は初陣として活躍した戦い。両軍合わせて3500が激突したということですが、長宗我部家はここから以降、四国統一に向けて快進撃をしていく。歴史的な戦場となりました。

  • また少し移動して。<br />長宗我部元親の墓は国道から細い枝道を入った先。<br />

    また少し移動して。
    長宗我部元親の墓は国道から細い枝道を入った先。

  • 枝道は細いですが、駐車場はまあまあ広いので心配なし。

    枝道は細いですが、駐車場はまあまあ広いので心配なし。

  • そこから石段を少し登った石垣の上に墓がありました。意外に小さなものですが、宝篋印塔形式。すっきりした姿のお墓です。

    そこから石段を少し登った石垣の上に墓がありました。意外に小さなものですが、宝篋印塔形式。すっきりした姿のお墓です。

  • 長浜地区を終えて、今度は桂浜のエリアに移動します。<br />一領具足供養の碑は、浦戸の海岸沿いに走る道を少し入った場所。お地蔵さんとかもあって、ちょっとおどろおどろしい荒れた場所です。<br />

    長浜地区を終えて、今度は桂浜のエリアに移動します。
    一領具足供養の碑は、浦戸の海岸沿いに走る道を少し入った場所。お地蔵さんとかもあって、ちょっとおどろおどろしい荒れた場所です。

  • この碑は、関ヶ原の合戦で破れた長宗我部氏が浦戸城明け渡しを求められたのに対し、これを受け入れようとした重臣たちとそれを拒もうとする一領具足たちの戦い浦戸一揆で、討ち取られた一領具足たち273名を供養するもの。<br />長宗我部盛親が帰国を許されない中での混乱ですが、既に山之内一豊に土佐を与えることは決まっていて、結局はお家再興の可能性もなかった状況。なんとか円滑に城を渡し長宗我部の存続を探ろうとした重臣たちの苦渋の決断だったのに、あっさり騙されてしまった恨みも深いように思います。

    この碑は、関ヶ原の合戦で破れた長宗我部氏が浦戸城明け渡しを求められたのに対し、これを受け入れようとした重臣たちとそれを拒もうとする一領具足たちの戦い浦戸一揆で、討ち取られた一領具足たち273名を供養するもの。
    長宗我部盛親が帰国を許されない中での混乱ですが、既に山之内一豊に土佐を与えることは決まっていて、結局はお家再興の可能性もなかった状況。なんとか円滑に城を渡し長宗我部の存続を探ろうとした重臣たちの苦渋の決断だったのに、あっさり騙されてしまった恨みも深いように思います。

  • 坂本龍馬記念館までやってきましたが、今回はここはパスして。

    坂本龍馬記念館までやってきましたが、今回はここはパスして。

  • その向かいにある浦戸城跡をチェックします。

    その向かいにある浦戸城跡をチェックします。

  • ちょっとした説明板の横に登り口があって、少し登るともうてっぺん。天守閣のようなものも建っていたとかありましたが、あまりにも限られた範囲なので、拍子抜け。長宗我部最後の当主、盛親はここを明け渡して改易となるのですが、山之内一豊は今の高知城を築く。はかない歴史しかないお城です。

    ちょっとした説明板の横に登り口があって、少し登るともうてっぺん。天守閣のようなものも建っていたとかありましたが、あまりにも限られた範囲なので、拍子抜け。長宗我部最後の当主、盛親はここを明け渡して改易となるのですが、山之内一豊は今の高知城を築く。はかない歴史しかないお城です。

  • 高知灯台は桂浜からだとよく見えるのですが、坂本龍馬記念館の方から回って、そばまで行ってみました。車道から荒れた道を入るのですが、けっこう分かりにくい。それに灯台の周辺も草ぼうぼうであまり気持ちよくない。これなら、わざわざ行くこともない。桂浜から眺めるだけで十分かと思います。

    高知灯台は桂浜からだとよく見えるのですが、坂本龍馬記念館の方から回って、そばまで行ってみました。車道から荒れた道を入るのですが、けっこう分かりにくい。それに灯台の周辺も草ぼうぼうであまり気持ちよくない。これなら、わざわざ行くこともない。桂浜から眺めるだけで十分かと思います。

  • 桂浜の方に降りて行って、これは冨久美味。ここの伊勢エビ料理は高知では昔から有名で、知らない人はいないくらいだと思います。<br />

    桂浜の方に降りて行って、これは冨久美味。ここの伊勢エビ料理は高知では昔から有名で、知らない人はいないくらいだと思います。

  • お昼にいただこうと思って訪ねました。一人でしたが、

    お昼にいただこうと思って訪ねました。一人でしたが、

  • 一番乗りだったので海を見渡せる広間に通されて、悠々のランチ。<br />このもてなしはさすが老舗です。<br />

    一番乗りだったので海を見渡せる広間に通されて、悠々のランチ。
    このもてなしはさすが老舗です。

  • 薄い塩味でゆでただけの伊勢海老二匹にかぶりつきました。

    薄い塩味でゆでただけの伊勢海老二匹にかぶりつきました。

  • 伊勢海老の足は細くても身がしっかり入っているので、それもきちんと食べるのが作法なんですが、

    イチオシ

    伊勢海老の足は細くても身がしっかり入っているので、それもきちんと食べるのが作法なんですが、

  • しかし、これはやっぱり時間がかかる。<br />忙しい現代人にとってはその手間がなかなかやっかい。人気が衰えているのもやむを得ないかなあと思います。

    しかし、これはやっぱり時間がかかる。
    忙しい現代人にとってはその手間がなかなかやっかい。人気が衰えているのもやむを得ないかなあと思います。

  • 今回は桂浜は寄る予定はなかったんですが、天気がよくなってきたので、やっぱり行ってみましょうか。<br />とさいぬパークは、土佐犬が見れる施設。昔はガラス越しにちょこっと見ることができたはずなんですが、今は有料のエリアじゃないと見れません。<br />

    今回は桂浜は寄る予定はなかったんですが、天気がよくなってきたので、やっぱり行ってみましょうか。
    とさいぬパークは、土佐犬が見れる施設。昔はガラス越しにちょこっと見ることができたはずなんですが、今は有料のエリアじゃないと見れません。

  • また、お土産物類のセンターでもあって、桂浜ではここが一番大きな施設。土佐犬のぬいぐるみもたくさんあってちょっと楽しめます。

    また、お土産物類のセンターでもあって、桂浜ではここが一番大きな施設。土佐犬のぬいぐるみもたくさんあってちょっと楽しめます。

  • とさいぬパークを過ぎて、松林の道です。

    とさいぬパークを過ぎて、松林の道です。

  • 田中桃葉記念碑は、桂浜の龍馬像に向かう途中の松林の道の脇。ちょっと傾き加減の石に特徴のある字が書いてあって、すぐにそれと分かりました。<br />碑にはプレートがあって。本名は田中貢太郎。明治から昭和にかけての時代に活躍した作家。大町桂月らとも交わり、土佐近代文学の系譜に位置付けられるという人物だということです。

    田中桃葉記念碑は、桂浜の龍馬像に向かう途中の松林の道の脇。ちょっと傾き加減の石に特徴のある字が書いてあって、すぐにそれと分かりました。
    碑にはプレートがあって。本名は田中貢太郎。明治から昭和にかけての時代に活躍した作家。大町桂月らとも交わり、土佐近代文学の系譜に位置付けられるという人物だということです。

  • さて、龍馬像です。

    さて、龍馬像です。

  • 三連休中は龍馬像の横に足場が組まれて、真横から龍馬像を見れるという仕掛けがありました。それが龍馬に大接近。<br />

    三連休中は龍馬像の横に足場が組まれて、真横から龍馬像を見れるという仕掛けがありました。それが龍馬に大接近。

  • 足場は覆いに囲われていて、初めはっきり分かりませんでしたが、中に入ると工事現場の足場と同じ。倒れることはないんでしょうが、ちょっとぐらぐらのところもあってスリルがなくはない。<br />で、肝心の龍馬像の横顔の方ですが、まあ悪くはないです。ただ、特にいいというほどでもないかなあ。

    足場は覆いに囲われていて、初めはっきり分かりませんでしたが、中に入ると工事現場の足場と同じ。倒れることはないんでしょうが、ちょっとぐらぐらのところもあってスリルがなくはない。
    で、肝心の龍馬像の横顔の方ですが、まあ悪くはないです。ただ、特にいいというほどでもないかなあ。

  • 料金は100円だし、話の種というくらいかなと思います。

    料金は100円だし、話の種というくらいかなと思います。

  • 龍馬像のそばの旧制高知高校歌碑。自由の空に・・で始まる歌詞を刻んだ四角い石碑は、雰囲気のある草書体の文字が涼しげです。ちなみに、旧制高知高校は、大正12年の設立。全国各地から生徒が集まったとも書かれていました。

    龍馬像のそばの旧制高知高校歌碑。自由の空に・・で始まる歌詞を刻んだ四角い石碑は、雰囲気のある草書体の文字が涼しげです。ちなみに、旧制高知高校は、大正12年の設立。全国各地から生徒が集まったとも書かれていました。

  • 椿の小径は、桂浜の龍馬像の辺りから坂本龍馬記念館まで続く遊歩道。

    椿の小径は、桂浜の龍馬像の辺りから坂本龍馬記念館まで続く遊歩道。

  • 桂浜を大きく迂回するようなコースなので、その景色を眺められるロケーションではあるのですが、ここから見ないとダメかと言われればそうでもない。しんどい道だし、あまりお勧めはできません。

    桂浜を大きく迂回するようなコースなので、その景色を眺められるロケーションではあるのですが、ここから見ないとダメかと言われればそうでもない。しんどい道だし、あまりお勧めはできません。

  • それより、浜の方に出て行きます。

    それより、浜の方に出て行きます。

  • うーん、いい天気じゃないですか。

    うーん、いい天気じゃないですか。

  • 太平洋の荒波を直接受けていて、

    太平洋の荒波を直接受けていて、

  • 実際はさほどのスケールはないんですが、ここは確かに太平洋の広さを感じさせる特別なものがあるんですよね。

    イチオシ

    実際はさほどのスケールはないんですが、ここは確かに太平洋の広さを感じさせる特別なものがあるんですよね。

  • 桂浜の海に向かって右奥が竜王宮。桂浜をそぞろ歩く人は、たいていここを目指すことになると思います。

    桂浜の海に向かって右奥が竜王宮。桂浜をそぞろ歩く人は、たいていここを目指すことになると思います。

  • これは海津見神社「わたつみじんじゃ」とも言いまして、通称が竜王宮なので、海津見神社と竜王宮は同じです。小さな祠のような建物は、白い壁に赤い柱がとても鮮やか。海上安全に恋愛成就神様でもあるようで、狭い足場を伝って建物の回りを確かめる人が多いですが、あまり意味はないように思います。<br /><br />岩場の上にあって、振り返ると少し見下ろすような形で桂浜の全景が視界に入ります。一方で、眼下の岩場に打ち寄せる波もここじゃないと味わえない景色ですね。<br />

    これは海津見神社「わたつみじんじゃ」とも言いまして、通称が竜王宮なので、海津見神社と竜王宮は同じです。小さな祠のような建物は、白い壁に赤い柱がとても鮮やか。海上安全に恋愛成就神様でもあるようで、狭い足場を伝って建物の回りを確かめる人が多いですが、あまり意味はないように思います。

    岩場の上にあって、振り返ると少し見下ろすような形で桂浜の全景が視界に入ります。一方で、眼下の岩場に打ち寄せる波もここじゃないと味わえない景色ですね。

  • そこからそのまま龍王岬展望台へ。ここまで来ると、桂浜の反対側の土佐湾の海岸もよく見えます。

    そこからそのまま龍王岬展望台へ。ここまで来ると、桂浜の反対側の土佐湾の海岸もよく見えます。

  • ただ、天気が良くても逆光になってしまうと海の青はよく見えない。条件によって、ここの印象はかなり変わってくるのではないかと思います。

    イチオシ

    ただ、天気が良くても逆光になってしまうと海の青はよく見えない。条件によって、ここの印象はかなり変わってくるのではないかと思います。

  • 桂浜から種崎海岸へも寄ってみます。ちょっと懐かしいですね。冨久美味からもここは対岸。部屋からはよく見えていました。<br />

    桂浜から種崎海岸へも寄ってみます。ちょっと懐かしいですね。冨久美味からもここは対岸。部屋からはよく見えていました。

  • 高知市内からも近いので、子供の海水浴場としてはかなり一般的な場所。

    高知市内からも近いので、子供の海水浴場としてはかなり一般的な場所。

  • この日は季節外れではあったのですが、以前のイメージからすると砂浜も少なくなったし、ちょっと汚くなったような感じ。海岸端の松林は健在ですが、少し寂しく思いました。

    この日は季節外れではあったのですが、以前のイメージからすると砂浜も少なくなったし、ちょっと汚くなったような感じ。海岸端の松林は健在ですが、少し寂しく思いました。

  • ここから、今度は南国方面に移動します。<br />禅師峰寺は、四国八十八か所32番札所。

    ここから、今度は南国方面に移動します。
    禅師峰寺は、四国八十八か所32番札所。

  • 駐車場からでも見晴らしはいいですね。

    駐車場からでも見晴らしはいいですね。

  • 駐車場から本堂までの石段はさほどでもありませんが、

    駐車場から本堂までの石段はさほどでもありませんが、

  • 途中は岩山。

    途中は岩山。

  • 風雪に耐えた険しい山の風情があって、意外に見応えがあると思います。

    イチオシ

    風雪に耐えた険しい山の風情があって、意外に見応えがあると思います。

  • そして本堂に到着。

    そして本堂に到着。

  • 風雪に耐えた感がすごいですね。

    風雪に耐えた感がすごいですね。

  • 境内からは海岸線が長く続く土佐湾が見下ろせるロケーション。山内一豊ほか歴代藩主が参勤交代で出航する際、航海の無事を祈願した寺でもあるということですが、確かにここから船を見送るにはちょうどいい感じ。そんな気分もしてきます。

    境内からは海岸線が長く続く土佐湾が見下ろせるロケーション。山内一豊ほか歴代藩主が参勤交代で出航する際、航海の無事を祈願した寺でもあるということですが、確かにここから船を見送るにはちょうどいい感じ。そんな気分もしてきます。

  • 禅師峰寺のほど近くにある石土池です。カーナビだと禅師峰寺に向かう道沿いに見えたのですが、やはりちょっと脇道に入らないと池にはいきません。<br />ただ、池の周辺には水草が茂るし、それなりに水鳥も遊んでいる楽園風の景色なので、車をひたすら走らせている途中にこの景色を見るとけっこうほっとする。禅師峰寺に行ったならついでに寄ってみる価値は十分あると思います。

    禅師峰寺のほど近くにある石土池です。カーナビだと禅師峰寺に向かう道沿いに見えたのですが、やはりちょっと脇道に入らないと池にはいきません。
    ただ、池の周辺には水草が茂るし、それなりに水鳥も遊んでいる楽園風の景色なので、車をひたすら走らせている途中にこの景色を見るとけっこうほっとする。禅師峰寺に行ったならついでに寄ってみる価値は十分あると思います。

  • そして、これが武市半平太の旧宅。山すそののどかな田園地帯といったエリアです。

    そして、これが武市半平太の旧宅。山すそののどかな田園地帯といったエリアです。

  • 近くの道路沿いに申し訳程度の駐車場があって、そこから歩きました。

    イチオシ

    近くの道路沿いに申し訳程度の駐車場があって、そこから歩きました。

  • 旧宅は人が住んでいるので外から覗くだけですが、犬にほえられてちょっと残念。テンションが下がったまま、墓の方に回りましたが、

    旧宅は人が住んでいるので外から覗くだけですが、犬にほえられてちょっと残念。テンションが下がったまま、墓の方に回りましたが、

  • こっちには資料館があって、

    こっちには資料館があって、

  • 半平太の足跡をコンパクトに紹介しています。<br />最期は吉田東洋の暗殺の嫌疑で切腹させられたのですが、土佐勤王党を立ち上げた力は間違いなく大きなもの。

    半平太の足跡をコンパクトに紹介しています。
    最期は吉田東洋の暗殺の嫌疑で切腹させられたのですが、土佐勤王党を立ち上げた力は間違いなく大きなもの。

  • 勤王党への参加者はこの通り、土佐の全域に及んでいます。いかに新しい時代への期待が高かったかということなんでしょうが、メディアのなかった時代になぜこれほど隅々まで浸透していたのかは考えてみれば不思議なこと。やはり人の行き来によって広まったとしか考えられませんが、江戸時代は意外に人の移動が自由だったのでしょうか。そうした時代背景も気になるところです。

    勤王党への参加者はこの通り、土佐の全域に及んでいます。いかに新しい時代への期待が高かったかということなんでしょうが、メディアのなかった時代になぜこれほど隅々まで浸透していたのかは考えてみれば不思議なこと。やはり人の行き来によって広まったとしか考えられませんが、江戸時代は意外に人の移動が自由だったのでしょうか。そうした時代背景も気になるところです。

  • これが半平太の墓。資料館の裏手の小高い山の上です。

    これが半平太の墓。資料館の裏手の小高い山の上です。

  • ついでに回った新宮神社は、行き方が分からなくて迷いましたが、幼稚園の裏の駐車場から歩いて登りました。

    ついでに回った新宮神社は、行き方が分からなくて迷いましたが、幼稚園の裏の駐車場から歩いて登りました。

  • こんな辺鄙な場所にある神社なのですが、境内から本殿は立派。隣りには人が住んでもいるような。ちょっとびっくりです。<br />子授け・安産祈願の神社として有名なようです。

    こんな辺鄙な場所にある神社なのですが、境内から本殿は立派。隣りには人が住んでもいるような。ちょっとびっくりです。
    子授け・安産祈願の神社として有名なようです。

  • 今度は濱口雄幸生家記念館です。ここは、山あいの小さな集落。

    今度は濱口雄幸生家記念館です。ここは、山あいの小さな集落。

  • その集落の一番奥のちょっとびっくりするくらいの山蔭にありました。

    その集落の一番奥のちょっとびっくりするくらいの山蔭にありました。

  • 狭い敷地いっぱいに建てた母屋に土蔵を改良した勉強部屋など、

    狭い敷地いっぱいに建てた母屋に土蔵を改良した勉強部屋など、

  • こんなところで生まれて幼少時代を過ごしていた時期は、誰も首相になるなんて思いもしなかったでしょう。

    イチオシ

    こんなところで生まれて幼少時代を過ごしていた時期は、誰も首相になるなんて思いもしなかったでしょう。

  • まるで、ここは時が止まったよう。その感慨が実感となって感じられます。

    まるで、ここは時が止まったよう。その感慨が実感となって感じられます。

  • そして、その業績は、昭和5年の金解禁や緊縮政策の断行。城山三郎「男子の本懐」に描かれたライオン宰相は、日本の難局に真正面から立ち向かいます。<br />結果は、翌年に起きた世界恐慌の影響をまともに受けることとなり、失敗策であったと烙印を押されることになりますが、忘れてならないのは軍部との関係です。<br />

    そして、その業績は、昭和5年の金解禁や緊縮政策の断行。城山三郎「男子の本懐」に描かれたライオン宰相は、日本の難局に真正面から立ち向かいます。
    結果は、翌年に起きた世界恐慌の影響をまともに受けることとなり、失敗策であったと烙印を押されることになりますが、忘れてならないのは軍部との関係です。

  • ちなみに、前任の田中義一は張作霖爆殺事件の責任を取って総辞職したのですが、その田中義一は長州閥の最後の重鎮とも言うべき人物。

    ちなみに、前任の田中義一は張作霖爆殺事件の責任を取って総辞職したのですが、その田中義一は長州閥の最後の重鎮とも言うべき人物。

  • つまり、薩長ですら軍部の抑えが効かなくなって、お鉢を回された感もしなくはない。土佐から出た濱口が心を砕いたのも軍部の動きをいかに抑えるかであり、金解禁・緊縮政策はその視点でも理解する必要があるでしょう。<br /><br />なお、濱口とタッグを組んだ井上準之助の生家は日田市にあります。参考まで。<br />http://4travel.jp/domestic/area/kyushu/oita/kuju/hita/tips/10832761/#each_tab

    つまり、薩長ですら軍部の抑えが効かなくなって、お鉢を回された感もしなくはない。土佐から出た濱口が心を砕いたのも軍部の動きをいかに抑えるかであり、金解禁・緊縮政策はその視点でも理解する必要があるでしょう。

    なお、濱口とタッグを組んだ井上準之助の生家は日田市にあります。参考まで。
    http://4travel.jp/domestic/area/kyushu/oita/kuju/hita/tips/10832761/#each_tab

  • 続いては鹿児神社。こちらは、高知電鉄の線路を越えたところ。入口は不便ですが、駐車場は広々していて、そこから長い石段を登った先に本殿がありました。<br />

    続いては鹿児神社。こちらは、高知電鉄の線路を越えたところ。入口は不便ですが、駐車場は広々していて、そこから長い石段を登った先に本殿がありました。

  • 鹿児のかこは、水夫(かこ)のこと。紀貫之ゆかりの場所でもあり、土佐日記にある紀貫之が帰京の際に別離の宴をひらいた鹿児の崎はこの社の境内。ここも高知を語れるなかなかの歴史を持っています。

    鹿児のかこは、水夫(かこ)のこと。紀貫之ゆかりの場所でもあり、土佐日記にある紀貫之が帰京の際に別離の宴をひらいた鹿児の崎はこの社の境内。ここも高知を語れるなかなかの歴史を持っています。

  • ここから土佐神社に向かうのですが、その途中にあるのは高知市旧関川家住宅民家資料館。<br />国道沿いにちょっとした空地があって、そこに車を止めて訪ねました。

    ここから土佐神社に向かうのですが、その途中にあるのは高知市旧関川家住宅民家資料館。
    国道沿いにちょっとした空地があって、そこに車を止めて訪ねました。

  • 国道から立派な蔵が見えたりしていましたが、敷地に入ると想像以上に家屋の保存状態がいいですね。

    イチオシ

    国道から立派な蔵が見えたりしていましたが、敷地に入ると想像以上に家屋の保存状態がいいですね。

  • 母屋に納屋や蔵など付属の建物がそっくり残っていて、当時の住居の様子がよく分かります。

    母屋に納屋や蔵など付属の建物がそっくり残っていて、当時の住居の様子がよく分かります。

  • 裕福な家だったのだと思いますが、めったにないほどの特別な家でもないような。

    裕福な家だったのだと思いますが、めったにないほどの特別な家でもないような。

  • 高知が意外に豊かな地方であったことが想像されました。

    高知が意外に豊かな地方であったことが想像されました。

  • 土佐神社に到着。こちらは文句なく高知を代表する神社ですよね。<br /><br />

    土佐神社に到着。こちらは文句なく高知を代表する神社ですよね。

  • なんといっても、長宗我部元親が再建したという社殿が印象的。

    なんといっても、長宗我部元親が再建したという社殿が印象的。

  • 入蜻蛉形式というのですが、正面の向拝が異様に長い。

    イチオシ

    入蜻蛉形式というのですが、正面の向拝が異様に長い。

  • 両翼の幣殿と合わせると全体が十字形。

    両翼の幣殿と合わせると全体が十字形。

  • 大きさもかなりあるし、このデザインがより威厳を高めてもいるのですが、<br />

    大きさもかなりあるし、このデザインがより威厳を高めてもいるのですが、

  • それにしても、どこからこんな着想が出てきたのか。

    それにしても、どこからこんな着想が出てきたのか。

  • 若宮神社もそうでしたが、土佐の文化は独特です。

    若宮神社もそうでしたが、土佐の文化は独特です。

  • なお、奥の本殿は普通です。

    なお、奥の本殿は普通です。

  • 土佐神社の隣りは善楽寺。四国八十八か所の第30番札所です。<br />

    土佐神社の隣りは善楽寺。四国八十八か所の第30番札所です。

  • 空海が土佐神社の別当寺として創建したのが始まり。入口に大きな観世音菩薩の石像が立っていて、まだ新しい感じの本堂まではすぐ。隣りに大師堂が建っています。

    空海が土佐神社の別当寺として創建したのが始まり。入口に大きな観世音菩薩の石像が立っていて、まだ新しい感じの本堂まではすぐ。隣りに大師堂が建っています。

  • 全体として、街中の寺といった感じ。険しい霊場のイメージはありません。気軽な気持ちで寄れる寺です。

    全体として、街中の寺といった感じ。険しい霊場のイメージはありません。気軽な気持ちで寄れる寺です。

  • 時間が押してきて、だんだん焦ってきましたが、高知県立歴史民俗資料館も外せないところ。<br />

    時間が押してきて、だんだん焦ってきましたが、高知県立歴史民俗資料館も外せないところ。

  • ここは、長宗我部氏の居城であった岡豊城のふもとです。

    ここは、長宗我部氏の居城であった岡豊城のふもとです。

  • メイン展示も、長宗我部関係のオンパレードと言った感じ。細川管領の力が衰えるとともに、四国は群雄割拠の時代に突入。高知でもいくつかの有力豪族の一つにすぎなかった長宗我部氏がライバルを倒して、最後はほとんど四国統一を成し遂げるという快進撃の経過を詳しく解説しています。高知でここまでまとまったものは他にはないような。展示品や展示の仕方も美しい。一方でこれだけの内容は高知でもあまり知られていないように思います。とても残念です。

    メイン展示も、長宗我部関係のオンパレードと言った感じ。細川管領の力が衰えるとともに、四国は群雄割拠の時代に突入。高知でもいくつかの有力豪族の一つにすぎなかった長宗我部氏がライバルを倒して、最後はほとんど四国統一を成し遂げるという快進撃の経過を詳しく解説しています。高知でここまでまとまったものは他にはないような。展示品や展示の仕方も美しい。一方でこれだけの内容は高知でもあまり知られていないように思います。とても残念です。

  • 岡豊城跡へは、資料館からそのまま登り口があります。<br />

    岡豊城跡へは、資料館からそのまま登り口があります。

  • 四の段から三の段、二の段、詰(つめ)下段、本丸にあたる詰まで、順序良くきれいに整備された石段を登ります。

    四の段から三の段、二の段、詰(つめ)下段、本丸にあたる詰まで、順序良くきれいに整備された石段を登ります。

  • さほど登った感じはしませんが、

    さほど登った感じはしませんが、

  • 周囲は360度よく見渡せる。浦戸城跡に比べれば、こっちの方がずっと城としての実感が湧きますね。<br />

    周囲は360度よく見渡せる。浦戸城跡に比べれば、こっちの方がずっと城としての実感が湧きますね。

  • 管領、細川氏の衰退により、土佐では長宗我部氏、本山氏、山田氏、吉良氏、安芸氏、大平氏、津野氏の土佐七雄が乱立する時代。長宗我部氏は、元親の祖父、兼序、父、国親の時代に、この岡豊城で力を蓄え、まずは土佐の有力大名に成長することとなります。

    管領、細川氏の衰退により、土佐では長宗我部氏、本山氏、山田氏、吉良氏、安芸氏、大平氏、津野氏の土佐七雄が乱立する時代。長宗我部氏は、元親の祖父、兼序、父、国親の時代に、この岡豊城で力を蓄え、まずは土佐の有力大名に成長することとなります。

  • さて、ここからがラストスパート。もう一つ大事なところにかかってきます。<br /><br />この紀貫之邸跡は、田んぼの中のくねくね道を行ったところ。大丈夫かなあと心細くなりましたが、到着してみると駐車場は広いし、邸跡もけっこうな広さ。

    さて、ここからがラストスパート。もう一つ大事なところにかかってきます。

    この紀貫之邸跡は、田んぼの中のくねくね道を行ったところ。大丈夫かなあと心細くなりましたが、到着してみると駐車場は広いし、邸跡もけっこうな広さ。

  • 日本庭園のようにきれいに整備されていました。

    日本庭園のようにきれいに整備されていました。

  • 紀貫之は48代目の土佐国司なんですが、やはり有名なのは土佐日記。古今和歌集の和歌32首にちなんだ作庭に多くの歌碑も。あくまで雅な邸跡です。

    紀貫之は48代目の土佐国司なんですが、やはり有名なのは土佐日記。古今和歌集の和歌32首にちなんだ作庭に多くの歌碑も。あくまで雅な邸跡です。

  • 比江廃寺は、紀貫之邸跡からすぐの小さな都市公園のような場所。中央に、真ん中にまあるく穴の開いたかつての塔の礎石があって、それが当時を偲べる唯一の遺構でしょう。説明板はありますが、そのほか寺の全景を想像した絵もあって、なんとか想像をたくましくしてもらうよう工夫をしています。

    比江廃寺は、紀貫之邸跡からすぐの小さな都市公園のような場所。中央に、真ん中にまあるく穴の開いたかつての塔の礎石があって、それが当時を偲べる唯一の遺構でしょう。説明板はありますが、そのほか寺の全景を想像した絵もあって、なんとか想像をたくましくしてもらうよう工夫をしています。

  • これも近くの国分寺。四国八十八か所の第29番札所で、天平時代、聖武天皇の勅願により行基が創建した官寺です。<br />

    これも近くの国分寺。四国八十八か所の第29番札所で、天平時代、聖武天皇の勅願により行基が創建した官寺です。

  • 豪壮な仁王門から参道を少し歩いた先が境内。重要文化財に指定されたこけら葺きの金堂がけっこうな迫力。長宗我部国親・元親親子が再建したものということです。

    豪壮な仁王門から参道を少し歩いた先が境内。重要文化財に指定されたこけら葺きの金堂がけっこうな迫力。長宗我部国親・元親親子が再建したものということです。

  • かつての土佐国分寺跡は、聖武天皇の勅願で建てられた官寺の時代の礎石が発掘されています。境内の参道は最低限の敷石。

    かつての土佐国分寺跡は、聖武天皇の勅願で建てられた官寺の時代の礎石が発掘されています。境内の参道は最低限の敷石。

  • 無造作に土がむき出しになった状態の場所が多いので、その分、古代の当時が想像しやすいように思います。

    無造作に土がむき出しになった状態の場所が多いので、その分、古代の当時が想像しやすいように思います。

  • そして、いよいよ最後は土佐国衙跡。紀貫之邸も細い道でしたが、こっちは田んぼの中を走る本当の農道です。車の行き違いも難しいような道なので気を付けますが、そして、最後はその農道から田んぼのあぜ道を通っていく。

    そして、いよいよ最後は土佐国衙跡。紀貫之邸も細い道でしたが、こっちは田んぼの中を走る本当の農道です。車の行き違いも難しいような道なので気を付けますが、そして、最後はその農道から田んぼのあぜ道を通っていく。

  • あぜ道の途中に国衙跡の石碑が建っていました。国衙自体は行政府だったわけでかなり大きな規模だったのでしょうが、どっちにしても今あるのはこの石碑だけ。これで当時を偲ぶしかありません。<br />もう日が暮れかかっていますが、なんとか本日の予定終了です。

    あぜ道の途中に国衙跡の石碑が建っていました。国衙自体は行政府だったわけでかなり大きな規模だったのでしょうが、どっちにしても今あるのはこの石碑だけ。これで当時を偲ぶしかありません。
    もう日が暮れかかっていますが、なんとか本日の予定終了です。

  • 晩飯は、旅館かとり。近くの人にここのレストランがおいしいと聞いて訪ねました。この日も泊り客だけでなく、地元の家族連れとかが大勢やってきて、大賑わい。

    晩飯は、旅館かとり。近くの人にここのレストランがおいしいと聞いて訪ねました。この日も泊り客だけでなく、地元の家族連れとかが大勢やってきて、大賑わい。

  • 私は野菜炒め定食をいただきましたが、シャキシャキした元気のいい野菜をふんだんに使って、これはとってもうまいですね。国道沿いに看板も大きく出ていて、すぐのそれと分かります。

    私は野菜炒め定食をいただきましたが、シャキシャキした元気のいい野菜をふんだんに使って、これはとってもうまいですね。国道沿いに看板も大きく出ていて、すぐのそれと分かります。

  • そして、今夜の宿はしおや宿。国道から少し入ったところですが、周りには何もありません。それでも、利用者がそこそこいるし、この施設がそれなりに大きいので安心感はあるような気がします。

    そして、今夜の宿はしおや宿。国道から少し入ったところですが、周りには何もありません。それでも、利用者がそこそこいるし、この施設がそれなりに大きいので安心感はあるような気がします。

  • 部屋は和室。ここも殺風景なものでしたが、ただ寝るだけのこと。何の問題もありません。<br /><br />さて、明日は、野市、赤岡、芸西、安芸。室戸に向かって、少しづつ移動します。まだまだ先は長いです。

    部屋は和室。ここも殺風景なものでしたが、ただ寝るだけのこと。何の問題もありません。

    さて、明日は、野市、赤岡、芸西、安芸。室戸に向かって、少しづつ移動します。まだまだ先は長いです。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • nasunoさん 2017/08/13 19:01:26
    懐かししい
    たびたび様

     はじめまして、このたびは訪問、投票ありがとうございます。
    旅行記を初めて訪問しましたが、詳しい高知旅行記に感心しました。
    私は愛媛の出身ですが、高知は会社の転勤で約7年過ごし、毎年5月に郷里帰った際は
    高知に立寄っています。
    現在、歩き遍路(区切り打ち)をしており、88ヵ所札所も懐かしいです。その際、夜須町のサイクリングロードのしおや宿に泊まりました。

    続きの旅行記を拝見します。

    nasuno

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2017/08/17 15:17:56
    RE: 懐かししい
    私は松山にも3年住んだことがあります。同じ四国でも高知とは全然違いますよね。

                             たびたび
  • シマリスさん 2017/07/04 15:42:53
    懐かしいです
    たびたびさん、はじめまして。

    私も昔2年ほど、高知に住んでいました。
    桂浜に五台山、伊勢海老のお店など、何もかもが懐かしいです。伊勢海老は三重が有名ですが、私の中では一番美味しかったのは高知です。高知市内では飽き足らず、須崎に伊勢海老を食べにわざわざ行ったりもしました。
    たびたびさんの旅行記を読んで久しぶりに高知へ行きたくなりました。

    また、今回は私の拙い旅行記にいいねをありがとうございました。



    たびたび

    たびたびさん からの返信 2017/07/05 11:19:05
    RE: 懐かしいです
    須崎の伊勢海老って、横浪も有名ですよね。この前、和歌山の白浜の人気店で伊勢海老を食べましたが、あまりの小ささにびっくりしてしまいました。高知の伊勢海老がずっといいですね。

    近々、高知はまた行く予定にしています。高知は知れば知るほどいいところ。新たな魅力を発信できればと思います。

                                 たびたび

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