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「太陽の国」と賞賛されるスペイン。その中でも最もスペインらしい景観が広がるのが南スペインのアンダルシア地方のコスタ・デル・ソルです。果てしなく続く蒼い空と燦々と降り注ぐ太陽の日射し、陽光を浴びて輝く白い家並、碧さを湛えた地中海・・・。<br />コスタ・デル・ソルの一画を占めるミハスは、まるで絵本から飛び出してきたような丘の上の白い街です。ジブリ作品『魔女の宅急便』の挿入歌『やさしさに包まれたなら』(荒井由実)をつい口ずさんでしまいそうな街です。ミハス山麓の海抜420mの高さに位置し、眩い太陽光を反射して白く輝く家々をぼんやり眺めていると、改めて「スペインに来た!」という実感と、アラブのどこかの国に迷い込んだような錯覚が錯綜し、何とも奇妙な異国情緒に浸ることができます。<br />特にミハスは、海岸線に並ぶ数多あるコスタ・デル・ソルの「白い村」の中でも別格の存在です。地中海とミハス山に挟まれた地理的に恵まれた高所に位置するため、街の端の展望台からは好天時にはアフリカ大陸を望めるほどの素晴らしい眺めや、眼下に広がる地中海の紺碧の海と白い家並のコントラストが愉しめ、「天空に浮かぶバルコニー」と言えます。<br />シエラ・ネバダが北の冷気の盾となり、年間日照日300日以上を誇る温暖な気候のリゾート地です。<br /><br />ミハスの観光MAPです。<br />http://www.turismomijas.es/ja/map-jp/<br /><日程><br />1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)<br />    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)<br />    宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)<br />            ==ランチ:Marina Bay by Moncho&#39;s==カタルーニャ広場<br />            15:00?フリータイム<br />    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==<br />            カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル) <br />    ==カタルーニャ音楽堂<br />            宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--<br />    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)<br />            ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)<br />    バレンシア宿泊:Mas Camarena<br />4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)<br />            ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿<br />            --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos<br />           (洞窟フラメンコ)<br />            --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)<br />5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)<br />            フリー散策<br />            宿泊:Parador de Ronda<br />6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==<br />            コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅<br />    AVE:コルドバ→マドリード<br />    夕食:China City<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター<br />    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio<br />    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==<br />            ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、<br />    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮<br />    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)<br />    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)<br />9日目:関空着(7:20)

ときめきのスペイン周遊⑪ミハス

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2016/09/02 - 2016/09/10

17位(同エリア220件中)

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

「太陽の国」と賞賛されるスペイン。その中でも最もスペインらしい景観が広がるのが南スペインのアンダルシア地方のコスタ・デル・ソルです。果てしなく続く蒼い空と燦々と降り注ぐ太陽の日射し、陽光を浴びて輝く白い家並、碧さを湛えた地中海・・・。
コスタ・デル・ソルの一画を占めるミハスは、まるで絵本から飛び出してきたような丘の上の白い街です。ジブリ作品『魔女の宅急便』の挿入歌『やさしさに包まれたなら』(荒井由実)をつい口ずさんでしまいそうな街です。ミハス山麓の海抜420mの高さに位置し、眩い太陽光を反射して白く輝く家々をぼんやり眺めていると、改めて「スペインに来た!」という実感と、アラブのどこかの国に迷い込んだような錯覚が錯綜し、何とも奇妙な異国情緒に浸ることができます。
特にミハスは、海岸線に並ぶ数多あるコスタ・デル・ソルの「白い村」の中でも別格の存在です。地中海とミハス山に挟まれた地理的に恵まれた高所に位置するため、街の端の展望台からは好天時にはアフリカ大陸を望めるほどの素晴らしい眺めや、眼下に広がる地中海の紺碧の海と白い家並のコントラストが愉しめ、「天空に浮かぶバルコニー」と言えます。
シエラ・ネバダが北の冷気の盾となり、年間日照日300日以上を誇る温暖な気候のリゾート地です。

ミハスの観光MAPです。
http://www.turismomijas.es/ja/map-jp/
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
    ==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
    15:00?フリータイム
    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
    カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
    ==カタルーニャ音楽堂
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
    ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
    バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
    ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
    --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
    (洞窟フラメンコ)
     --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
    フリー散策
    宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
    コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
    AVE:コルドバ→マドリード
    夕食:China City
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
    ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
日本旅行

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  • グラナダを出発すると高速道路の左右は一面オリーブ畑で占められます。木の高さはオレンジと近いのですが、遠くから見分ける方法は葉の色と樹木同士の間隔です。オリーブは葉の色が白っぽく、間隔も広く取られています。<br />また、驚かされるのは、こうした山の斜面にも植樹されていることです。オリーブは、こんな不毛の地でも実を付けるど根性の持ち主です。<br /><br />車内では添乗員さん持参のCD「スペイン・ギター名曲集」が旅情を誘うメロディーを奏でています。スペインの代表的な楽器であるクラシックギターは、リュートと呼ばれる弦楽器が変化したものです。約200年前に現在に近い形になりました。14世紀まで続いたイスラム支配の時代には音楽を聴くことは禁じられていたため、ギターはありませんでした。しかし、イスラム文化の影響を芸術にしたギター曲は数多く残されています。その中でも、フランシスコ・タレルガの『アルハンブラの思い出』は、『禁じられた遊び』に並らぶ有名な曲です。

    グラナダを出発すると高速道路の左右は一面オリーブ畑で占められます。木の高さはオレンジと近いのですが、遠くから見分ける方法は葉の色と樹木同士の間隔です。オリーブは葉の色が白っぽく、間隔も広く取られています。
    また、驚かされるのは、こうした山の斜面にも植樹されていることです。オリーブは、こんな不毛の地でも実を付けるど根性の持ち主です。

    車内では添乗員さん持参のCD「スペイン・ギター名曲集」が旅情を誘うメロディーを奏でています。スペインの代表的な楽器であるクラシックギターは、リュートと呼ばれる弦楽器が変化したものです。約200年前に現在に近い形になりました。14世紀まで続いたイスラム支配の時代には音楽を聴くことは禁じられていたため、ギターはありませんでした。しかし、イスラム文化の影響を芸術にしたギター曲は数多く残されています。その中でも、フランシスコ・タレルガの『アルハンブラの思い出』は、『禁じられた遊び』に並らぶ有名な曲です。

  • マラガ近郊<br />マラガは、スペインの地中海沿岸では最大級の港町であると共に、ヨーロッパ諸国の主要都市と直行便で繋がる国際空港があり、世界に名高いリゾート地「コスタ・デル・ソル」の中心地となっています。<br />また、マラゲーニャという音楽・舞踊形式の発祥の地でもあり、ピカソ生誕の地としても知られています。ピカソは1881年にマラガで生まれ、10歳まで過ごした彼の生家が旧市街のメルセー広場の端にひっそりと建っています。<br /><br />マラガの歴史は古く、紀元前1000年頃にフェニキア人によって建設された港町で、古代には「マラカ」と呼ばれていました。「マラカ」とはフェニキア語で「塩」を意味し、港で魚が塩漬けにされたことが由来です。紀元前10~8世紀頃にはアラブ起源のタルテッソス王国人が支配し、往時の砦跡は現在の市壁の一部として遺されています。その後、古代ギリシアやフェニキア人が豊富な銀や錫を採掘しにやって来たことがプトレマイオス著『地理学(ゲオグラフィア)』に記されています。<br />やがて、古代ローマ帝国が支配して海岸線を見張る格好の地に要塞を築き、その地は「タミサ」と呼ばれて商業ルートとして栄えました。8世紀のモーロ人の支配下では「ミサ」と呼ぼれ、イスラム人とベルベル人からなる軍が南西115kmのアルヘシラスに上陸し、やがてイベリア半島を占領しました。この時代に現在のような白い家並みに統一されたそうです。<br />レコンキスタの最終期にフェルナンド王率いるスペイン王国軍は、ロンダを奪取した2年後の1487年にマラガを包囲攻撃し、長い激戦の末に陥落させました。こうしてグラナダ王国はマラガの陥落によって北アフリカとの輸送網を絶たれ、1492年についに降伏に至りました。

    マラガ近郊
    マラガは、スペインの地中海沿岸では最大級の港町であると共に、ヨーロッパ諸国の主要都市と直行便で繋がる国際空港があり、世界に名高いリゾート地「コスタ・デル・ソル」の中心地となっています。
    また、マラゲーニャという音楽・舞踊形式の発祥の地でもあり、ピカソ生誕の地としても知られています。ピカソは1881年にマラガで生まれ、10歳まで過ごした彼の生家が旧市街のメルセー広場の端にひっそりと建っています。

    マラガの歴史は古く、紀元前1000年頃にフェニキア人によって建設された港町で、古代には「マラカ」と呼ばれていました。「マラカ」とはフェニキア語で「塩」を意味し、港で魚が塩漬けにされたことが由来です。紀元前10~8世紀頃にはアラブ起源のタルテッソス王国人が支配し、往時の砦跡は現在の市壁の一部として遺されています。その後、古代ギリシアやフェニキア人が豊富な銀や錫を採掘しにやって来たことがプトレマイオス著『地理学(ゲオグラフィア)』に記されています。
    やがて、古代ローマ帝国が支配して海岸線を見張る格好の地に要塞を築き、その地は「タミサ」と呼ばれて商業ルートとして栄えました。8世紀のモーロ人の支配下では「ミサ」と呼ぼれ、イスラム人とベルベル人からなる軍が南西115kmのアルヘシラスに上陸し、やがてイベリア半島を占領しました。この時代に現在のような白い家並みに統一されたそうです。
    レコンキスタの最終期にフェルナンド王率いるスペイン王国軍は、ロンダを奪取した2年後の1487年にマラガを包囲攻撃し、長い激戦の末に陥落させました。こうしてグラナダ王国はマラガの陥落によって北アフリカとの輸送網を絶たれ、1492年についに降伏に至りました。

  • ミハス・プエブロ(村)<br />ミハス山の中腹に広がる「白い村」ミハス・プエブロの姿が見えてきました。アンダルシアのエッセンスと呼ぶに相応しい光景です。<br /><br />レコンキスタ後、キリスト教徒がこの地を「ミハス」と呼ぶようになりました。16~18世紀は、コスタ・デル・ソルでは神出鬼没の海賊に悩まされ、海岸沿いに監視塔を建てたものが今も遺されています。19世紀以降は、農業と畜産、製紙業が主産業でしたが、1936~39年のスペイン内戦後、ミハスは貧困に喘ぎました。仕事は無く、唯一の仕事は手編み民芸品に使う藁の収穫くらいでした。しかしそれも土地の乾燥のために長くは続きませんでした。そんな中、ミハスに突如観光ブームが訪れたのが1950年代のことでした。スペイン人のバカンス先として脚光を浴びたのです。やがてイギリスをはじめ、フランス、北欧からも観光客が訪れるようになりました。現在も夏場は多くの観光客で賑わいますが、一本中通りに入れば旧き佳き時代ののんびりした生活様式が垣間見れます。

    ミハス・プエブロ(村)
    ミハス山の中腹に広がる「白い村」ミハス・プエブロの姿が見えてきました。アンダルシアのエッセンスと呼ぶに相応しい光景です。

    レコンキスタ後、キリスト教徒がこの地を「ミハス」と呼ぶようになりました。16~18世紀は、コスタ・デル・ソルでは神出鬼没の海賊に悩まされ、海岸沿いに監視塔を建てたものが今も遺されています。19世紀以降は、農業と畜産、製紙業が主産業でしたが、1936~39年のスペイン内戦後、ミハスは貧困に喘ぎました。仕事は無く、唯一の仕事は手編み民芸品に使う藁の収穫くらいでした。しかしそれも土地の乾燥のために長くは続きませんでした。そんな中、ミハスに突如観光ブームが訪れたのが1950年代のことでした。スペイン人のバカンス先として脚光を浴びたのです。やがてイギリスをはじめ、フランス、北欧からも観光客が訪れるようになりました。現在も夏場は多くの観光客で賑わいますが、一本中通りに入れば旧き佳き時代ののんびりした生活様式が垣間見れます。

  • ミハス<br />内陸に位置するミハスの歴史地区は、ミハスという名の山々の麓に広がっています。ミハスの町は、まさに地中海を見下ろす雄大な白いバルコニーです。町並みにはイスラム教の影響が色濃く残され、迷路のような路地を歩けば至る所に風情ある一画が現れ、歴史が息づくアンダルシアの町並みが満喫できます。<br />世界最小の闘牛場や17世紀のラ・ペーニャ聖母礼拝堂、16世紀創建のコンセプシオン教会といった見所は勿論のこと、音楽ホールを訪ねたり、あるいは城壁沿いや庭園の回り、コスタ・デル・ソルの美しい眺めが見られる展望台をゆっくりと散策したりするのもお勧めです。<br />また、辺りには松並木が生い茂る山間や山頂へと続くのどかな田舎道が多数設けられ、ハイキングを愉しむには格好のルートとなっています。19世紀のカルバリオ礼拝堂や古い大理石の採石場へと続く道などがあります。

    ミハス
    内陸に位置するミハスの歴史地区は、ミハスという名の山々の麓に広がっています。ミハスの町は、まさに地中海を見下ろす雄大な白いバルコニーです。町並みにはイスラム教の影響が色濃く残され、迷路のような路地を歩けば至る所に風情ある一画が現れ、歴史が息づくアンダルシアの町並みが満喫できます。
    世界最小の闘牛場や17世紀のラ・ペーニャ聖母礼拝堂、16世紀創建のコンセプシオン教会といった見所は勿論のこと、音楽ホールを訪ねたり、あるいは城壁沿いや庭園の回り、コスタ・デル・ソルの美しい眺めが見られる展望台をゆっくりと散策したりするのもお勧めです。
    また、辺りには松並木が生い茂る山間や山頂へと続くのどかな田舎道が多数設けられ、ハイキングを愉しむには格好のルートとなっています。19世紀のカルバリオ礼拝堂や古い大理石の採石場へと続く道などがあります。

  • ミハス 羊毛の木(arbol de lana)<br />駐車場の先に珍しい木が植えられています。<br />幹の下の方が太鼓腹のように膨らんだユニークな形をし、その幹には鋭い棘が無数にあります。遠目にはボーリングのピンのような形にも見えます。花はハイビスカスを小振りにした感じで、楚々としています。原産地は、ボリビアやペルー、アルゼンチンといった南米諸国です。<br />学術名は「Ceiba insignis」、木の実は羊毛のようなふわふわの毛が詰まっているそうです。

    ミハス 羊毛の木(arbol de lana)
    駐車場の先に珍しい木が植えられています。
    幹の下の方が太鼓腹のように膨らんだユニークな形をし、その幹には鋭い棘が無数にあります。遠目にはボーリングのピンのような形にも見えます。花はハイビスカスを小振りにした感じで、楚々としています。原産地は、ボリビアやペルー、アルゼンチンといった南米諸国です。
    学術名は「Ceiba insignis」、木の実は羊毛のようなふわふわの毛が詰まっているそうです。

  • ミハス<br />ミハスは、スペイン南部にあるアンダルシア州マラガ県にあるムニシピオ(基礎自治体)です。地理的には、ここから西へ10数kmも行けばイギリス領ジブラルタル海峡に辿り着くという、スペイン南端部に位置しています。<br />地中海沿岸の観光地「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」には年間1750万人の宿泊客が訪れますが、その中でも屈指の人気観光地がミハスです。コスタ・デル・ソルを俯瞰するミハス山の中腹(標高420m)に貼り付くように真っ白な家々が集まった小さな街です。<br /><br />レコンキスタ完了により、スペイン領土の統一が達成され、更に宗教の統一を行なうため、異端審問によって異端者への過酷な処罰が断行されました。<br />異端審問の対象となったのは、主に「コンベルソ」と呼ばれるキリスト教に改宗したユダヤ人で、1480~1516年の間に7000人ものユダヤ人が社会不安の払拭という大義名分の下に各地で火刑に処されています。この処刑にはローマ教皇の許可があったというから吃驚ポンです。また同じ頃、「モリスコ」と呼ばれるイスラム教からキリスト教に改宗した30万の人達も宗教的迫害に遭い、スペインを追放させられています。<br />ユダヤ民族は、ホロコーストに代表されるナチスによる組織活動で大量虐殺されたのが知られていますが、実はヨーロッパ史の中では度々差別の対象となり、犠牲になってきたことが判ります。

    ミハス
    ミハスは、スペイン南部にあるアンダルシア州マラガ県にあるムニシピオ(基礎自治体)です。地理的には、ここから西へ10数kmも行けばイギリス領ジブラルタル海峡に辿り着くという、スペイン南端部に位置しています。
    地中海沿岸の観光地「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」には年間1750万人の宿泊客が訪れますが、その中でも屈指の人気観光地がミハスです。コスタ・デル・ソルを俯瞰するミハス山の中腹(標高420m)に貼り付くように真っ白な家々が集まった小さな街です。

    レコンキスタ完了により、スペイン領土の統一が達成され、更に宗教の統一を行なうため、異端審問によって異端者への過酷な処罰が断行されました。
    異端審問の対象となったのは、主に「コンベルソ」と呼ばれるキリスト教に改宗したユダヤ人で、1480~1516年の間に7000人ものユダヤ人が社会不安の払拭という大義名分の下に各地で火刑に処されています。この処刑にはローマ教皇の許可があったというから吃驚ポンです。また同じ頃、「モリスコ」と呼ばれるイスラム教からキリスト教に改宗した30万の人達も宗教的迫害に遭い、スペインを追放させられています。
    ユダヤ民族は、ホロコーストに代表されるナチスによる組織活動で大量虐殺されたのが知られていますが、実はヨーロッパ史の中では度々差別の対象となり、犠牲になってきたことが判ります。

  • ミハス ロバ・タクシー<br />歴史地区や町の周辺を案内してくれるミハス名物「ロバ・タクシー」です。<br />ロバに直接乗ることができる他、ロバの引くカートに乗って遊覧することもできます。<br />ロバ・タクシーの発祥秘話は次の通りです。<br />1960年代初頭、一日の仕事を終えてロバに乗って帰宅する労働者の姿が観光客の目に留まり、一緒に写真を撮ったり、乗せてあげたりしているうちにチップが本業の給与を上回ったため、ロバ・タクシーを本業にしたそうです。<br />町中を闊歩するため、動物園のような匂いがするのはご愛嬌です。しかし、ロバの糞は一つも見なかった気がします。ブラシ付きの清掃車が走り回っているようですが…。<br />この子は一仕事終えた後のようです。お疲れさまでした。何やら頭に札がついています。疲れた足取りですので、まるで売られて行く子牛の値札のようでもあります。「MIJAS BURRO TAXI No.014」とありますので、タクシーの登録証の鑑札(ナンバー・プレート)のようです。

    ミハス ロバ・タクシー
    歴史地区や町の周辺を案内してくれるミハス名物「ロバ・タクシー」です。
    ロバに直接乗ることができる他、ロバの引くカートに乗って遊覧することもできます。
    ロバ・タクシーの発祥秘話は次の通りです。
    1960年代初頭、一日の仕事を終えてロバに乗って帰宅する労働者の姿が観光客の目に留まり、一緒に写真を撮ったり、乗せてあげたりしているうちにチップが本業の給与を上回ったため、ロバ・タクシーを本業にしたそうです。
    町中を闊歩するため、動物園のような匂いがするのはご愛嬌です。しかし、ロバの糞は一つも見なかった気がします。ブラシ付きの清掃車が走り回っているようですが…。
    この子は一仕事終えた後のようです。お疲れさまでした。何やら頭に札がついています。疲れた足取りですので、まるで売られて行く子牛の値札のようでもあります。「MIJAS BURRO TAXI No.014」とありますので、タクシーの登録証の鑑札(ナンバー・プレート)のようです。

  • ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂<br />ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場の近くにあるコンパス展望台に隣接するラ・ペーニャ聖母礼拝堂は、1656~82年に敬虔なカルメル会修道士が天然の岩塊をくり抜いて建立した岩窟教会です。かつてこの場所に聖母マリアが現れたと言われています。祭壇には町の守護聖母とされる「ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ聖母像(祠の聖母)」が祀られています。

    ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂
    ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場の近くにあるコンパス展望台に隣接するラ・ペーニャ聖母礼拝堂は、1656~82年に敬虔なカルメル会修道士が天然の岩塊をくり抜いて建立した岩窟教会です。かつてこの場所に聖母マリアが現れたと言われています。祭壇には町の守護聖母とされる「ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ聖母像(祠の聖母)」が祀られています。

  • ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂<br />修道士の逝去後、望み通り彼はこの教会内に埋葬されましたが、墓だと判らないように印を付けないで欲しいとの遺志を今でも受け継いでいます。ただ、彼の遺灰は他の教会に移されたという説もあるそうです。<br />その後、1831年までは修道院やホスピスとして利用され、やがて宗教弾圧により閉鎖された後、文化破壊者たちによって壊され、家屋の建築資材として利用されたそうです。<br />因みに、この守護聖母ラ・ペーニャ像は、800年もの間隠蔽されていましたが、1586年に羊飼いの兄弟が鳩に導かれた場所から、父の石工職人によって発見されたとの伝説があります。<br />こうした歴史感を持ちながら拝観するとこの教会のイメージが強く湧くことでしょう。この教会には、ミハスの人々はもちろんのこと、他の地域からも人生の喜びや悲しみを聖母に告げに来るそうです。<br />また、ミハスの祭りは毎年盛大さを増しています。9月7日~12日には町の守護聖母ラ・ペーニャ祭が行われます。またラス・ラグーナスやラ・カラの祭り(7月25日)もよく知られています。

    ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂
    修道士の逝去後、望み通り彼はこの教会内に埋葬されましたが、墓だと判らないように印を付けないで欲しいとの遺志を今でも受け継いでいます。ただ、彼の遺灰は他の教会に移されたという説もあるそうです。
    その後、1831年までは修道院やホスピスとして利用され、やがて宗教弾圧により閉鎖された後、文化破壊者たちによって壊され、家屋の建築資材として利用されたそうです。
    因みに、この守護聖母ラ・ペーニャ像は、800年もの間隠蔽されていましたが、1586年に羊飼いの兄弟が鳩に導かれた場所から、父の石工職人によって発見されたとの伝説があります。
    こうした歴史感を持ちながら拝観するとこの教会のイメージが強く湧くことでしょう。この教会には、ミハスの人々はもちろんのこと、他の地域からも人生の喜びや悲しみを聖母に告げに来るそうです。
    また、ミハスの祭りは毎年盛大さを増しています。9月7日~12日には町の守護聖母ラ・ペーニャ祭が行われます。またラス・ラグーナスやラ・カラの祭り(7月25日)もよく知られています。

  • ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂<br />教会の脇の岩の上にも「聖母マリア像」らしきものが佇まれているのですが、逆光でお顔立ちが良く判りません。<br />実は、よく判らない方ががっかりせずに済むようなお顔をなされています。<br />風化でこのようなことになってしまっているのでしょうか?<br />

    ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂
    教会の脇の岩の上にも「聖母マリア像」らしきものが佇まれているのですが、逆光でお顔立ちが良く判りません。
    実は、よく判らない方ががっかりせずに済むようなお顔をなされています。
    風化でこのようなことになってしまっているのでしょうか?

  • ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂<br />扉が閉まっていて内部に入ることができません。<br />窓にレンズを押し付けて何とか撮影に成功しました。<br />それほど深い洞窟ではありませんが、固い岩塊をこれだけくり抜くのはさぞ大変だったことでしょうね!手作り感満載の小さな礼拝堂です。<br />

    ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂
    扉が閉まっていて内部に入ることができません。
    窓にレンズを押し付けて何とか撮影に成功しました。
    それほど深い洞窟ではありませんが、固い岩塊をこれだけくり抜くのはさぞ大変だったことでしょうね!手作り感満載の小さな礼拝堂です。

  • ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂<br />主祭壇のラ・ペーニャ守護聖母像の前には、日本の寺院の秘仏のように「お前立ち」ならぬ「聖具」が垂れかけてあります。ネットで見ると、美しい衣装を纏い、まるでフランス人形のような印象なのですが、お顔を拝見することができず残念です。

    ミハス ラ・ペーニャ聖母礼拝堂
    主祭壇のラ・ペーニャ守護聖母像の前には、日本の寺院の秘仏のように「お前立ち」ならぬ「聖具」が垂れかけてあります。ネットで見ると、美しい衣装を纏い、まるでフランス人形のような印象なのですが、お顔を拝見することができず残念です。

  • ミハス コンパス展望台<br />ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場の近くにあるコンパス展望台からは、地中海を背にしたリゾート地「フエンヒローラ」の町並が眺められます。

    ミハス コンパス展望台
    ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場の近くにあるコンパス展望台からは、地中海を背にしたリゾート地「フエンヒローラ」の町並が眺められます。

  • ミハス 郷土資料館<br />旧市役所の郷土資料館では、オリーブの圧搾機やワイン貯蔵庫、エスパルト細工(わら細工)、はちみつ等が展示されています。

    ミハス 郷土資料館
    旧市役所の郷土資料館では、オリーブの圧搾機やワイン貯蔵庫、エスパルト細工(わら細工)、はちみつ等が展示されています。

  • ミハス ene(エニェ)<br />日本人女性が経営されているショップです。<br />「ene」のロゴ入りオリジナルTシャツなど、洋服やアクセサリーといったファッション関係を扱われています。<br />

    ミハス ene(エニェ)
    日本人女性が経営されているショップです。
    「ene」のロゴ入りオリジナルTシャツなど、洋服やアクセサリーといったファッション関係を扱われています。

  • ミハス <br />色鮮やかな原色に彩られた、元気一杯の陶器たちです。<br />見ているだけでこちらも元気がもらえそうです。

    ミハス
    色鮮やかな原色に彩られた、元気一杯の陶器たちです。
    見ているだけでこちらも元気がもらえそうです。

  • ミハス <br />ロゴがポップです。

    ミハス
    ロゴがポップです。

  • ミハス コンスティトゥシオン(憲法)広場<br />駐車場から坂を上っていくと出合うのがこの広場です。長細い広場で、真ん中に噴水があります。この噴水とベンチは、大理石職人ガリアノが1884年に起こった洪水で流された石を使って造り上げたものだそうです。<br />ここでは、毎週土曜日にフラメンコショーが行われています。<br />

    ミハス コンスティトゥシオン(憲法)広場
    駐車場から坂を上っていくと出合うのがこの広場です。長細い広場で、真ん中に噴水があります。この噴水とベンチは、大理石職人ガリアノが1884年に起こった洪水で流された石を使って造り上げたものだそうです。
    ここでは、毎週土曜日にフラメンコショーが行われています。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />ここがミハスを世界的に有名にした白い家が連なる坂道です。町の中心から少し逸れたサン・セバスチャン通りは、コスタ・デル・ソルで一番絵になる通りと言われ、ガイドブックなどに写真が載る定番の撮影ポイントです。<br />山肌に沿って駆け上がるように真っ直ぐに伸びた石畳は、そのまま天空にまで続いているかのようです。<br />通り沿いには、手入れの行き届いたゼラニウムの青い鉢植えが整然と飾られ、白壁のアクセントにもなっています。ここは、瀟洒な白い家に似合った生活が映し出される、憧れの小径です。

    ミハス サン・セバスチャン通り
    ここがミハスを世界的に有名にした白い家が連なる坂道です。町の中心から少し逸れたサン・セバスチャン通りは、コスタ・デル・ソルで一番絵になる通りと言われ、ガイドブックなどに写真が載る定番の撮影ポイントです。
    山肌に沿って駆け上がるように真っ直ぐに伸びた石畳は、そのまま天空にまで続いているかのようです。
    通り沿いには、手入れの行き届いたゼラニウムの青い鉢植えが整然と飾られ、白壁のアクセントにもなっています。ここは、瀟洒な白い家に似合った生活が映し出される、憧れの小径です。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />アンダルシアは、壁が真っ白に塗られた家並みとその間を迷路のように縫う狭い路地が特徴です。今でこそ観光地として大人気ですが、元々はイスラムの人々が敵に方向感覚を失わせる目的で造った町です。実際、迷路のような路地は誰もが迷いそうになるはずです。<br />また、壁を白く塗っているのは、景観のためではありません。家の壁は蜂の巣状の穴が空いた煉瓦で造られており、その上を白い漆喰で塗り固めています。白色は強烈な太陽の日差しを反射させるため、室内の暑さを和らげると同時に壁の穴によって熱がこもらないようにしています。更には、漆喰を塗ると壁に虫がわきにくいそうです。現在はペイント仕上げが主流のようですが、少し前までは何処の家も漆喰を塗っていたそうです。まめな家は、毎年3回、家族総出で塗り直すそうです。そして、路地が狭いのも日陰をつくるための知恵です。<br />因みに、地域の条例でも壁を白く塗ることが義務付けられているそうです。

    ミハス サン・セバスチャン通り
    アンダルシアは、壁が真っ白に塗られた家並みとその間を迷路のように縫う狭い路地が特徴です。今でこそ観光地として大人気ですが、元々はイスラムの人々が敵に方向感覚を失わせる目的で造った町です。実際、迷路のような路地は誰もが迷いそうになるはずです。
    また、壁を白く塗っているのは、景観のためではありません。家の壁は蜂の巣状の穴が空いた煉瓦で造られており、その上を白い漆喰で塗り固めています。白色は強烈な太陽の日差しを反射させるため、室内の暑さを和らげると同時に壁の穴によって熱がこもらないようにしています。更には、漆喰を塗ると壁に虫がわきにくいそうです。現在はペイント仕上げが主流のようですが、少し前までは何処の家も漆喰を塗っていたそうです。まめな家は、毎年3回、家族総出で塗り直すそうです。そして、路地が狭いのも日陰をつくるための知恵です。
    因みに、地域の条例でも壁を白く塗ることが義務付けられているそうです。

  • ミハス サン・セバスチャン礼拝堂<br />「サン・セバスチャン通り」の名の由来は、ずばり入口にあるサン・セバスチャン礼拝堂です。この教会は、廃墟と化した教会を1674年に12人の王族のお布施によって改修したもので、白い壁と大きな時計のファサードが印象的です。<br />マラガ街道(現マラガ通り)の傍に建立され、ファサードには1902年に設置された時計が今も たゆまず時を刻み続けています。<br />中に入ってみると、村人たちが集う素朴でホッとする雰囲気の明るい教会です。荘厳かつ巨大なカテドラルもいいのですが、村人たちの心の拠り所として何百年も役割を担ってきた小さな教会に心惹かれます。白い家の人々の心に寄り添う、白い教会・・・。とても素敵です。

    ミハス サン・セバスチャン礼拝堂
    「サン・セバスチャン通り」の名の由来は、ずばり入口にあるサン・セバスチャン礼拝堂です。この教会は、廃墟と化した教会を1674年に12人の王族のお布施によって改修したもので、白い壁と大きな時計のファサードが印象的です。
    マラガ街道(現マラガ通り)の傍に建立され、ファサードには1902年に設置された時計が今も たゆまず時を刻み続けています。
    中に入ってみると、村人たちが集う素朴でホッとする雰囲気の明るい教会です。荘厳かつ巨大なカテドラルもいいのですが、村人たちの心の拠り所として何百年も役割を担ってきた小さな教会に心惹かれます。白い家の人々の心に寄り添う、白い教会・・・。とても素敵です。

  • ミハス サン・セバスチャン礼拝堂<br />サン・セバスチャンは、キリスト教がローマ帝国から弾圧を受けていた3世紀に殺害された人物です。植民地出身のローマ帝国軍人で近衛兵の隊長だったセバスチャンは、改宗してキリスト教徒になりました。しかし弾圧する側にもかかわらず熱心に布教したため、「裏切り者」と罵られてディオクレティアヌス帝の命で処刑されることになりました。何本もの矢を浴びせられても死なず、やがて聖カストゥルスの未亡人聖女イレーヌに介抱されて蘇り、その後再び皇帝に棍棒で殴り殺され、遺体は誰にも見つからないようクロアカ・マクシマという暗渠に放り込まれたとの伝承があります。<br />こうしたことから軍人の守護者とされ、更にはペストから命を守ってくれる霊験あらたかな聖人として人気が高く、アンドレア・マンテーニャやエル・グレコなど名だたる画家たちが競って描いています。ペストにかかると黒い斑点が全身に広がって最後は土気色になりますが、それが矢が刺さった後のように見えるそうです。一方、セバスチャンは矢で射抜かれても死ななかったとの言い伝えから、ペストの守護聖人にもなったのです。<br />図象では、柱に身を縛り付けられ、矢を射られた姿で描かれ、血を流しながら憂いに満ちた大きな瞳で天を仰いで苦悶する、腰布一枚を纏ったほぼ全裸の若い男性、もれなく美形・・・それが一般的なイメージです。<br />因みにサン・セバスチャンは主祭壇の左にいます。

    ミハス サン・セバスチャン礼拝堂
    サン・セバスチャンは、キリスト教がローマ帝国から弾圧を受けていた3世紀に殺害された人物です。植民地出身のローマ帝国軍人で近衛兵の隊長だったセバスチャンは、改宗してキリスト教徒になりました。しかし弾圧する側にもかかわらず熱心に布教したため、「裏切り者」と罵られてディオクレティアヌス帝の命で処刑されることになりました。何本もの矢を浴びせられても死なず、やがて聖カストゥルスの未亡人聖女イレーヌに介抱されて蘇り、その後再び皇帝に棍棒で殴り殺され、遺体は誰にも見つからないようクロアカ・マクシマという暗渠に放り込まれたとの伝承があります。
    こうしたことから軍人の守護者とされ、更にはペストから命を守ってくれる霊験あらたかな聖人として人気が高く、アンドレア・マンテーニャやエル・グレコなど名だたる画家たちが競って描いています。ペストにかかると黒い斑点が全身に広がって最後は土気色になりますが、それが矢が刺さった後のように見えるそうです。一方、セバスチャンは矢で射抜かれても死ななかったとの言い伝えから、ペストの守護聖人にもなったのです。
    図象では、柱に身を縛り付けられ、矢を射られた姿で描かれ、血を流しながら憂いに満ちた大きな瞳で天を仰いで苦悶する、腰布一枚を纏ったほぼ全裸の若い男性、もれなく美形・・・それが一般的なイメージです。
    因みにサン・セバスチャンは主祭壇の左にいます。

  • ミハス サン・セバスチャン礼拝堂<br />教会の内部にはサン・セバスチャンが大勢居るのかとドキドキしていましたが、聖母マリアとイエスが主体でしたので内心ホッとしました。<br />実はサン・セバスチャンの姿は、中世までは立派な顎ヒゲのある屈強な壮年の軍人として描かれていました。それがルネッサンスの頃、まだヒゲも生え揃わないような紅顔の美青年が服を剥ぎとられ、あられもない姿態で木に縛りつけられ、大きな瞳で天を仰ぐ構図に変わっていきました。<br />サン・セバスチャンは、中世以降に非常に信仰を集めた聖人で、19世紀末には同性愛者の守護聖人になります。オスカー・ワイルドも、ジェノヴァのパラッツォ・ロッソにあるセバスチャンの絵を「かつて見た中で最も美しい絵」と語ったほどです。キリスト教図像事典にも、セバスチャンは同性愛者の守護聖人だと書かれているほどです。三島由紀夫著『仮面の告白』では、作者自身を投影した13歳の主人公が「父の外国土産の画集」にあったパラッツォ・ロッソの『セバスチャン殉教図』を見て、初めてマスタベーションにおよぶシーンを描いています。因みにセバスチャンの絵を見て初めてこうした行為をするというのは、西洋では少なくない話だそうです。

    ミハス サン・セバスチャン礼拝堂
    教会の内部にはサン・セバスチャンが大勢居るのかとドキドキしていましたが、聖母マリアとイエスが主体でしたので内心ホッとしました。
    実はサン・セバスチャンの姿は、中世までは立派な顎ヒゲのある屈強な壮年の軍人として描かれていました。それがルネッサンスの頃、まだヒゲも生え揃わないような紅顔の美青年が服を剥ぎとられ、あられもない姿態で木に縛りつけられ、大きな瞳で天を仰ぐ構図に変わっていきました。
    サン・セバスチャンは、中世以降に非常に信仰を集めた聖人で、19世紀末には同性愛者の守護聖人になります。オスカー・ワイルドも、ジェノヴァのパラッツォ・ロッソにあるセバスチャンの絵を「かつて見た中で最も美しい絵」と語ったほどです。キリスト教図像事典にも、セバスチャンは同性愛者の守護聖人だと書かれているほどです。三島由紀夫著『仮面の告白』では、作者自身を投影した13歳の主人公が「父の外国土産の画集」にあったパラッツォ・ロッソの『セバスチャン殉教図』を見て、初めてマスタベーションにおよぶシーンを描いています。因みにセバスチャンの絵を見て初めてこうした行為をするというのは、西洋では少なくない話だそうです。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />お土産品のカラフルな陶器製の小物が白壁に映え、リゾート地に来たという実感がじわじわと湧いてきます。

    ミハス サン・セバスチャン通り
    お土産品のカラフルな陶器製の小物が白壁に映え、リゾート地に来たという実感がじわじわと湧いてきます。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />蒼い空に白い壁、赤いベコニア、青い鉢がここミハスのスタンダードです。<br />

    ミハス サン・セバスチャン通り
    蒼い空に白い壁、赤いベコニア、青い鉢がここミハスのスタンダードです。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />どこを歩いても真っ白です。しかし、よく見るとそれぞれの家は玄関ドアや窓枠がカラフルに塗装され、個性をアピールしています。<br />こちらは、深いマリン・ブルーでコーディネートされたお宅です。

    ミハス サン・セバスチャン通り
    どこを歩いても真っ白です。しかし、よく見るとそれぞれの家は玄関ドアや窓枠がカラフルに塗装され、個性をアピールしています。
    こちらは、深いマリン・ブルーでコーディネートされたお宅です。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />サン・セバスチャン通りでは、こうしたアスレホ(彩色タイル)も見られます。<br />お二人の背景は、このサン・セバスチャン通りです。

    ミハス サン・セバスチャン通り
    サン・セバスチャン通りでは、こうしたアスレホ(彩色タイル)も見られます。
    お二人の背景は、このサン・セバスチャン通りです。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />ライト・グリーンでコーディネートされたお宅です。

    ミハス サン・セバスチャン通り
    ライト・グリーンでコーディネートされたお宅です。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />サン・セバスチャン通りを登り詰め、最上部から通りを見下ろした様子です。

    ミハス サン・セバスチャン通り
    サン・セバスチャン通りを登り詰め、最上部から通りを見下ろした様子です。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />通りの高台にはこのように赤い花の鉢植えを沢山飾っているお店もあります。<br />この階段の先がちょっとした展望台になっています。

    ミハス サン・セバスチャン通り
    通りの高台にはこのように赤い花の鉢植えを沢山飾っているお店もあります。
    この階段の先がちょっとした展望台になっています。

  • ミハス サン・セバスチャン通り<br />可愛らしいとんがり帽子の換気口が並んでいます。<br />白色と錆朱色のツートンカラーもお洒落です。

    ミハス サン・セバスチャン通り
    可愛らしいとんがり帽子の換気口が並んでいます。
    白色と錆朱色のツートンカラーもお洒落です。

  • ミハス ラルガ・デル・パルマル通り<br />セクシーなアイアンワークの曲線の妙にも惹かれます。

    ミハス ラルガ・デル・パルマル通り
    セクシーなアイアンワークの曲線の妙にも惹かれます。

  • ミハス ピラール通り<br />サン・セバスチャン通りの隣のピラール通りです。<br />役に立ちそうもない、瓦屋根の短い庇が特徴です。<br />景観のアクセントのために取り付けているのでしょうか?<br />

    ミハス ピラール通り
    サン・セバスチャン通りの隣のピラール通りです。
    役に立ちそうもない、瓦屋根の短い庇が特徴です。
    景観のアクセントのために取り付けているのでしょうか?

  • ミハス ラルガ・デル・パルマル通り<br />ラルガ・デル・パルマル通りの端から見る景色です。随分果ての方まで歩いてきたようです。正面右側に見えるのがインマクラーダ・コンセプシオン教会です。その手前の白く丸い建物が闘牛場です。<br />

    ミハス ラルガ・デル・パルマル通り
    ラルガ・デル・パルマル通りの端から見る景色です。随分果ての方まで歩いてきたようです。正面右側に見えるのがインマクラーダ・コンセプシオン教会です。その手前の白く丸い建物が闘牛場です。

  • ミハス コイン通り<br />真っ白な壁にスペイン国旗が翻っています。<br />スペインの国旗は上から赤・黄・赤となっており、スペイン語では「ロヒグアルダ(Rojiguarda)」、通称「血と金の旗」と呼ばれています。赤は国を守るために流された鮮血、黄色は富や帝国を象徴しています。こうした派手な色が使われるようになったきっかけは、1785年にカルロス3世が白い旗が多くて見分けるのが難いという理由で、国章の入った白い海軍旗をカラフルなものに変えたことに始まります。<br />国章の柱(ヘラクレスの柱)に巻き付いたリボンには、国の標語であるラテン語「PLVS VLTRA(Plus Ultra(より彼方へ)」が記されています。新大陸発見以前は「Non Plus Ultra(ここは世界の果てである)」と記されていましたが、新大陸を発見した後、往時の国王が書き直させています。<br />上にある大きなスペイン王の王冠と柱の上の小さな王冠は同じもので、柱の上のものはカルロス1世の王冠を表しています。また、中央の盾には、左上から時計回りにカスティーリャ(城壁)、レオン(獅子)、アラゴン(赤と黄色のストライプ)、ナバラ(鎖)というかつてスペインを形成した王国の国章が並んでいます。盾の中央にある紋章は王制が再び始まった時に付けられた「ユリ紋」、盾の底にあるザクロの紋章はグラナダ王国を指しています。

    ミハス コイン通り
    真っ白な壁にスペイン国旗が翻っています。
    スペインの国旗は上から赤・黄・赤となっており、スペイン語では「ロヒグアルダ(Rojiguarda)」、通称「血と金の旗」と呼ばれています。赤は国を守るために流された鮮血、黄色は富や帝国を象徴しています。こうした派手な色が使われるようになったきっかけは、1785年にカルロス3世が白い旗が多くて見分けるのが難いという理由で、国章の入った白い海軍旗をカラフルなものに変えたことに始まります。
    国章の柱(ヘラクレスの柱)に巻き付いたリボンには、国の標語であるラテン語「PLVS VLTRA(Plus Ultra(より彼方へ)」が記されています。新大陸発見以前は「Non Plus Ultra(ここは世界の果てである)」と記されていましたが、新大陸を発見した後、往時の国王が書き直させています。
    上にある大きなスペイン王の王冠と柱の上の小さな王冠は同じもので、柱の上のものはカルロス1世の王冠を表しています。また、中央の盾には、左上から時計回りにカスティーリャ(城壁)、レオン(獅子)、アラゴン(赤と黄色のストライプ)、ナバラ(鎖)というかつてスペインを形成した王国の国章が並んでいます。盾の中央にある紋章は王制が再び始まった時に付けられた「ユリ紋」、盾の底にあるザクロの紋章はグラナダ王国を指しています。

  • ミハス コイン通り<br />赤いブーゲンビリアが白壁と蒼空に映えます。ここまで来ると生活の匂いが漂ってくるような気がします。狭い坂道や階段は強い日差しを遮り、その日影の中に風の流れる爽やかな生活路が伸びています。そして、眩いばかりの白壁に、窓辺の鮮やかな緑と花越しに望む紺碧の海と蒼い空は、アンダルシアを代表する情景です。 <br />ミハスは、イスラム支配の時代とその世界にタイムスリップしたような空間と情景の中に悠久の時が流れています。この村は、歴史に刻まれた無常感や孤高感が澱のように淀んでいるようにも感じられます。しかしここに暮らす人々の屈託のない笑顔には、苦難の時代を乗り越えてきた逞しさとそれゆえの優しさが滲み出ています。

    ミハス コイン通り
    赤いブーゲンビリアが白壁と蒼空に映えます。ここまで来ると生活の匂いが漂ってくるような気がします。狭い坂道や階段は強い日差しを遮り、その日影の中に風の流れる爽やかな生活路が伸びています。そして、眩いばかりの白壁に、窓辺の鮮やかな緑と花越しに望む紺碧の海と蒼い空は、アンダルシアを代表する情景です。
    ミハスは、イスラム支配の時代とその世界にタイムスリップしたような空間と情景の中に悠久の時が流れています。この村は、歴史に刻まれた無常感や孤高感が澱のように淀んでいるようにも感じられます。しかしここに暮らす人々の屈託のない笑顔には、苦難の時代を乗り越えてきた逞しさとそれゆえの優しさが滲み出ています。

  • ミハス 闘牛場<br />ぐるっと回って、コンスティトゥシオン(憲法)広場に戻ってきました。その広場を通り抜け、緩い坂を登って行くと正面に闘牛場が姿を見せます。<br />街の高台にあるのが、町の人たちの熱望によって1900年に創建された現存する世界最小の「四角い闘牛場」です。勿論、闘牛場のカラーもミハスでは白色です。1000人を収容する規模があり、年間を通して毎週日曜日に闘牛が行われています。闘牛場自体は、珍しく楕円形をしています。何故、こんな形になっているかと言うと、岩の上に建てられた城跡に造られたからです。闘牛場を建設するに当たり、その岩形に適応しなくてはならず、このような面白い形になった経緯があります。<br />エンシエロと言えばパンプローナの牛追い祭りが有名ですが、その歴史を辿ると、牛を移動させる際にその競技が始まったとされています。ミハスのエンシエロも同様、ミハス郊外の牛の休憩場から闘牛場まで移動させる際、従事していた若者の間で始まったそうです。<br />現在、ミハスではエンシエロは行われていないそうですが、かつては闘牛場までの坂道を蒼い空に向かって牛が駆け昇っていたかと思うとワクワクした気分にさせられます。<br />周囲にはイスラム時代の城跡に建立されたインマクラダ・コンセプシオン教会もあり、この辺りから眺める景色は、まるで角砂糖を積み重ねたかのように並ぶ白い家、紺碧の地中海、なだらかな坂に育つ緑を湛えた樹木と三拍子揃っています。

    ミハス 闘牛場
    ぐるっと回って、コンスティトゥシオン(憲法)広場に戻ってきました。その広場を通り抜け、緩い坂を登って行くと正面に闘牛場が姿を見せます。
    街の高台にあるのが、町の人たちの熱望によって1900年に創建された現存する世界最小の「四角い闘牛場」です。勿論、闘牛場のカラーもミハスでは白色です。1000人を収容する規模があり、年間を通して毎週日曜日に闘牛が行われています。闘牛場自体は、珍しく楕円形をしています。何故、こんな形になっているかと言うと、岩の上に建てられた城跡に造られたからです。闘牛場を建設するに当たり、その岩形に適応しなくてはならず、このような面白い形になった経緯があります。
    エンシエロと言えばパンプローナの牛追い祭りが有名ですが、その歴史を辿ると、牛を移動させる際にその競技が始まったとされています。ミハスのエンシエロも同様、ミハス郊外の牛の休憩場から闘牛場まで移動させる際、従事していた若者の間で始まったそうです。
    現在、ミハスではエンシエロは行われていないそうですが、かつては闘牛場までの坂道を蒼い空に向かって牛が駆け昇っていたかと思うとワクワクした気分にさせられます。
    周囲にはイスラム時代の城跡に建立されたインマクラダ・コンセプシオン教会もあり、この辺りから眺める景色は、まるで角砂糖を積み重ねたかのように並ぶ白い家、紺碧の地中海、なだらかな坂に育つ緑を湛えた樹木と三拍子揃っています。

  • ミハス 展望台(Mirador) <br />展望台からの眺望です。<br />右端のブルーのプールが見える屋敷は、主にドイツ人たちの別荘だそうです。<br />夏になると母国からバカンスでここまでやってきて、長期滞在するそうです。

    ミハス 展望台(Mirador)
    展望台からの眺望です。
    右端のブルーのプールが見える屋敷は、主にドイツ人たちの別荘だそうです。
    夏になると母国からバカンスでここまでやってきて、長期滞在するそうです。

  • ミハス 展望台<br />ここからは地中海を一望することができます。また気象条件によってはアフリカ大陸のモロッコやジブラルタル海峡が見えることもあります。海岸線に広がる白いリゾート地ミハス・コスタやフエンヒローラの街並と紺碧の地中海が見事なコントラストを織りなし、絵画のような素晴らしい眺めを創っています。<br />「思えば遠くへきたもんだ・・・」。感慨深く暫し地中海の彼方を見つめてしまいました。頭では理解しているものの、セビリアを都とするこのアンダルシアがアフリカ大陸とわずか14kmの海峡を挟んで向かい合わせだという実感を味わえたのは、この旅の収穫です。今吹いている乾いた風も、灼熱のアフリカ大陸から届けられた熱風だと思うと感慨深いものがあります。

    ミハス 展望台
    ここからは地中海を一望することができます。また気象条件によってはアフリカ大陸のモロッコやジブラルタル海峡が見えることもあります。海岸線に広がる白いリゾート地ミハス・コスタやフエンヒローラの街並と紺碧の地中海が見事なコントラストを織りなし、絵画のような素晴らしい眺めを創っています。
    「思えば遠くへきたもんだ・・・」。感慨深く暫し地中海の彼方を見つめてしまいました。頭では理解しているものの、セビリアを都とするこのアンダルシアがアフリカ大陸とわずか14kmの海峡を挟んで向かい合わせだという実感を味わえたのは、この旅の収穫です。今吹いている乾いた風も、灼熱のアフリカ大陸から届けられた熱風だと思うと感慨深いものがあります。

  • ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会<br />ミハスの町の高台に建ち、白壁が清楚な印象をもたらす、イスラム支配時代の城跡に建立された教会です。<br />レコンキスタ完了によってイスラム教徒を追放した後、要塞跡地にはいざという時に避難できる教会が必要になり、危険をいち早く知らせる鐘楼として16世紀半ばに建てられたデ・ラ・ベラの塔に隣接して16世紀後半に着工して1631年に完成した教会です。<br />16世紀半ばに建てられたデ・ラ・ベラの塔には、街中に響き渡る質量608kgもある鐘が備え付けられています。

    ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会
    ミハスの町の高台に建ち、白壁が清楚な印象をもたらす、イスラム支配時代の城跡に建立された教会です。
    レコンキスタ完了によってイスラム教徒を追放した後、要塞跡地にはいざという時に避難できる教会が必要になり、危険をいち早く知らせる鐘楼として16世紀半ばに建てられたデ・ラ・ベラの塔に隣接して16世紀後半に着工して1631年に完成した教会です。
    16世紀半ばに建てられたデ・ラ・ベラの塔には、街中に響き渡る質量608kgもある鐘が備え付けられています。

  • ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会<br />内部は外部の喧騒が遮断され、とても清らかな空間になっています。<br />当初は 3つの身廊と地下納骨堂のある礼拝堂で構成された教会でしたが、その後、地下納骨堂を備えたバロック様式の礼拝堂などが増設され、徐々に拡張されてきました。1992年の改修工事中、 中央身廊の円柱の上に1632年と記された8人の使徒を描いた絵画が発見されています。<br />

    ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会
    内部は外部の喧騒が遮断され、とても清らかな空間になっています。
    当初は 3つの身廊と地下納骨堂のある礼拝堂で構成された教会でしたが、その後、地下納骨堂を備えたバロック様式の礼拝堂などが増設され、徐々に拡張されてきました。1992年の改修工事中、 中央身廊の円柱の上に1632年と記された8人の使徒を描いた絵画が発見されています。

  • ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会<br />この教会についてはネット情報が少ないのですが、意外に興味深い教会でした。<br />このように生け花が置かれた主祭壇は珍しいと思います。<br />地域の人たちから愛されている証拠だと思います。

    ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会
    この教会についてはネット情報が少ないのですが、意外に興味深い教会でした。
    このように生け花が置かれた主祭壇は珍しいと思います。
    地域の人たちから愛されている証拠だと思います。

  • ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会<br />イエス像の下には小さな子が「Ave Maria」というプレートを掲げています。<br />生け花は巨大なカーネーションのようです。

    ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会
    イエス像の下には小さな子が「Ave Maria」というプレートを掲げています。
    生け花は巨大なカーネーションのようです。

  • ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会<br />身廊の左右に小さな礼拝堂が沢山あり、その礼拝堂のドームも豪奢です。

    ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会
    身廊の左右に小さな礼拝堂が沢山あり、その礼拝堂のドームも豪奢です。

  • ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会<br />パステルカラーでコーディネートされた礼拝堂のドームです。

    ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会
    パステルカラーでコーディネートされた礼拝堂のドームです。

  • ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会<br />ほのぼのとしたタッチの絵が描かれたドーム天井の礼拝堂です。

    ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会
    ほのぼのとしたタッチの絵が描かれたドーム天井の礼拝堂です。

  • ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会<br />ステンドグラスも現代風なデザインのものが多いように思います。<br />例によって、A:アルファとΩ:オメガで創世記の始まりと終焉を物語っています。

    ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会
    ステンドグラスも現代風なデザインのものが多いように思います。
    例によって、A:アルファとΩ:オメガで創世記の始まりと終焉を物語っています。

  • ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会<br />船の小窓を彷彿とさせる、可愛らしい丸いステンドグラスです。<br />右下の絵柄はお椀のように見えますが、たぶん聖杯なんでしょうね!<br /><br />

    ミハス インマクラーダ・コンセプシオン教会
    船の小窓を彷彿とさせる、可愛らしい丸いステンドグラスです。
    右下の絵柄はお椀のように見えますが、たぶん聖杯なんでしょうね!

  • ミハス<br />教会の前にはカラフルなペインティングがなされた噴水公園があります。<br />ミハス山は岩山ですので、おいしい水が飲めることでも知られています。町中にある「AGUA POTABLE」と表記された水飲み場は、誰でも新鮮な水を飲むことができます。数ヶ所ある広場には噴水があり、水が豊富な村だということが判ります。<br />

    ミハス
    教会の前にはカラフルなペインティングがなされた噴水公園があります。
    ミハス山は岩山ですので、おいしい水が飲めることでも知られています。町中にある「AGUA POTABLE」と表記された水飲み場は、誰でも新鮮な水を飲むことができます。数ヶ所ある広場には噴水があり、水が豊富な村だということが判ります。

  • ミハス 展望塔<br />ちょっとした展望塔が設けられ、そこに昇るとこうしたミハスらしい景色が見渡せます。

    ミハス 展望塔
    ちょっとした展望塔が設けられ、そこに昇るとこうしたミハスらしい景色が見渡せます。

  • ミハス 展望塔<br />パノラマ写真に加工してみました。<br />太陽の光が乏しくなる冬を憂鬱に思うヨーロッパ人から見れば、ピレネー山脈を越えればそこには別世界が広がっています。こうした眩いほどの陽光を求める気持ちと異国情緒に浸りたいという心理がない混ぜになり、「コルタ・デル・ソル(太陽海岸)」でのバカンスへと多くのヨーロッパ人の心をかきたてています。<br />フランスの哲学者パスカルは、著書『パンセ』に次のように記しています。「ピレネー山脈の彼方はヨーロッパではない。ピレネーのこちらで真理であることが、山の向こうでは誤謬だ」。<br />また、ヨーロッパ征服の野心を露にしたナポレオン1世が、スペインを手中にした後もスペイン国民の抵抗に散々手こずり、「ピレネーの南はアフリカだ」と悪態をついたのは有名な話です。<br />どちらも言い得て妙です。ピレネー山脈の北側に住むヨーロッパ人からすると「ピレネー」という言葉は、単なる地理的、地形的な要素だけではく、心理的にも大きく立ちはだかる衝立を意味しているように思えます。<br />その最大の理由は、歴史上、イベリア半島が長い間イスラムの支配を受けたことにあります。ピレネー以北の国々からすれば、「スペインは、由緒正しくキリスト教を保ってきたヨーロッパの世界観からはみ出した、異端の世界」という蔑みが込められています。一方、そのイスラムの影響が独特の文化を結実させたという点では、彼らの憧れの的ともなっています。このように「ピレネー」という言葉に込められたニュアンスは、意外に深く複雑です。

    ミハス 展望塔
    パノラマ写真に加工してみました。
    太陽の光が乏しくなる冬を憂鬱に思うヨーロッパ人から見れば、ピレネー山脈を越えればそこには別世界が広がっています。こうした眩いほどの陽光を求める気持ちと異国情緒に浸りたいという心理がない混ぜになり、「コルタ・デル・ソル(太陽海岸)」でのバカンスへと多くのヨーロッパ人の心をかきたてています。
    フランスの哲学者パスカルは、著書『パンセ』に次のように記しています。「ピレネー山脈の彼方はヨーロッパではない。ピレネーのこちらで真理であることが、山の向こうでは誤謬だ」。
    また、ヨーロッパ征服の野心を露にしたナポレオン1世が、スペインを手中にした後もスペイン国民の抵抗に散々手こずり、「ピレネーの南はアフリカだ」と悪態をついたのは有名な話です。
    どちらも言い得て妙です。ピレネー山脈の北側に住むヨーロッパ人からすると「ピレネー」という言葉は、単なる地理的、地形的な要素だけではく、心理的にも大きく立ちはだかる衝立を意味しているように思えます。
    その最大の理由は、歴史上、イベリア半島が長い間イスラムの支配を受けたことにあります。ピレネー以北の国々からすれば、「スペインは、由緒正しくキリスト教を保ってきたヨーロッパの世界観からはみ出した、異端の世界」という蔑みが込められています。一方、そのイスラムの影響が独特の文化を結実させたという点では、彼らの憧れの的ともなっています。このように「ピレネー」という言葉に込められたニュアンスは、意外に深く複雑です。

  • ミハス Wine Bar<br />ランチはサン・セバスチャン通りにあるマラガ・ワイン博物館内にある「Wine Bar」でいただきます。<br />有名な通りにありながら、白壁にせず、頑なに煉瓦造りをアピールしているお店ですのですぐに判ります。<br />

    ミハス Wine Bar
    ランチはサン・セバスチャン通りにあるマラガ・ワイン博物館内にある「Wine Bar」でいただきます。
    有名な通りにありながら、白壁にせず、頑なに煉瓦造りをアピールしているお店ですのですぐに判ります。

  • ミハス Wine Bar<br />以前は「Enoteca Museo Del Vino=ワイン博物館」と称していた所だと思います。<br />

    ミハス Wine Bar
    以前は「Enoteca Museo Del Vino=ワイン博物館」と称していた所だと思います。

  • ミハス Wine Bar「ソバ・デ・アホ」<br />ミハスの料理には郷土の伝統が色濃く残されていますが、特にこの地域ではコースの一皿目となるスープに並ならぬ情熱を注いでいます。例を挙げると、ソパ・デ・アホ(ニンニクと野菜のスープ)、カチョレーニャス(ジャガイモとタラとオレンジの果汁を使ったスープ)、 マイモネス(パン、にんにく、オリーブオイルのスープ)、そして忘れてならないのが有名なガスパチュエロ(じゃがいもとパンとマヨネーズのスープ)です。 <br />このソパ・デ・アホは冷スープで美味しかったです。

    ミハス Wine Bar「ソバ・デ・アホ」
    ミハスの料理には郷土の伝統が色濃く残されていますが、特にこの地域ではコースの一皿目となるスープに並ならぬ情熱を注いでいます。例を挙げると、ソパ・デ・アホ(ニンニクと野菜のスープ)、カチョレーニャス(ジャガイモとタラとオレンジの果汁を使ったスープ)、 マイモネス(パン、にんにく、オリーブオイルのスープ)、そして忘れてならないのが有名なガスパチュエロ(じゃがいもとパンとマヨネーズのスープ)です。
    このソパ・デ・アホは冷スープで美味しかったです。

  • ミハス Wine Bar「Arroz Negro」<br />メイン・ディッシュは、日本では俗に「イカスミのパエリャ」と呼ばれている「Arroz Negro」という米料理です。お歯黒になりますが、米もイカも味わい深くて美味しかったです。<br />イカの墨煮は、見た目がグロテスクなので初めは恐る恐る口にしましたが、思いの外美味でした。プリップリの小型のイカに、旨味たっぷりのイカ墨ソースが良く合います。量も程よい感じでしたし、外米も普通に食べられました。

    ミハス Wine Bar「Arroz Negro」
    メイン・ディッシュは、日本では俗に「イカスミのパエリャ」と呼ばれている「Arroz Negro」という米料理です。お歯黒になりますが、米もイカも味わい深くて美味しかったです。
    イカの墨煮は、見た目がグロテスクなので初めは恐る恐る口にしましたが、思いの外美味でした。プリップリの小型のイカに、旨味たっぷりのイカ墨ソースが良く合います。量も程よい感じでしたし、外米も普通に食べられました。

  • ミハス ロバ・タクシー<br />ミハスは小さな村ですので1時間もあれば一周できてしまうのですが、こうして名物のロバ・タクシーでのんびりと回るのも情緒があっていいかもしれません。<br />でもこのロバ君、結構しんどそうな表情に見えません???

    ミハス ロバ・タクシー
    ミハスは小さな村ですので1時間もあれば一周できてしまうのですが、こうして名物のロバ・タクシーでのんびりと回るのも情緒があっていいかもしれません。
    でもこのロバ君、結構しんどそうな表情に見えません???

  • ミハス ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場<br />駐車場の前のビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場は現在工事中です。<br />ここには天津甘栗を思わせる名物「アスキキ」の屋台があり、そのおじいさんがガイドブックに載ったことで有名だそうです。アスキキは地元ミヘーニョ(ミハス人)が使う言葉で、正式にはアルメンドロ・ガラピニャーダと言います。大鍋でアーモンドと黒砂糖を和えた甘いお菓子で、おやつやビールのおつまみにぴったりです。これが名物になったのは、昔、この辺りの人々はアーモンドとオリーブの栽培で生計を立てていたたことに発します。<br />工事中の現在は、コンスティトゥシオン(憲法)広場へ出張されているそうですが、生憎見かけませんでした。<br /><br />心の中まで純白に染め上げられ、リゾート気分にどっぷりと浸った余熱が冷めないうちに、バスは次の目的地「ロンダ」を目指して疾走します。<br />この続きは、ときめきのスペイン周遊⑫ロンダ(前編)でお届けいたします。

    ミハス ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場
    駐車場の前のビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場は現在工事中です。
    ここには天津甘栗を思わせる名物「アスキキ」の屋台があり、そのおじいさんがガイドブックに載ったことで有名だそうです。アスキキは地元ミヘーニョ(ミハス人)が使う言葉で、正式にはアルメンドロ・ガラピニャーダと言います。大鍋でアーモンドと黒砂糖を和えた甘いお菓子で、おやつやビールのおつまみにぴったりです。これが名物になったのは、昔、この辺りの人々はアーモンドとオリーブの栽培で生計を立てていたたことに発します。
    工事中の現在は、コンスティトゥシオン(憲法)広場へ出張されているそうですが、生憎見かけませんでした。

    心の中まで純白に染め上げられ、リゾート気分にどっぷりと浸った余熱が冷めないうちに、バスは次の目的地「ロンダ」を目指して疾走します。
    この続きは、ときめきのスペイン周遊⑫ロンダ(前編)でお届けいたします。

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