2016/09/14 - 2016/09/16
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駿河大納言さん
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以前は多種多数存在した海外の観光地のガイドブックも、今や「○○の歩き方」の独占状態となっているような気がします。そんな中、キプロスは、エジプトの「おまけ」として、30ページが割かれているだけです。しかし、行ってみると、素晴らしい観光地だと思います。
特に、北キプロス(国名は、北キプロス・トルコ共和国)は、日本と国交がないということで、疎遠になっているように思えます。実際に訪問してみると、表面上は、キプロスも北キプロスも変わりません。違いは、通貨としてトルコ・リラがメインの通貨になることと、トルコのエフェス・ビールが飲みやすくなること位でしょうか?
この旅行記では、北キプロスの都市、ファマグスタの素晴らしさと現時点での問題点を中心に書こうと思います。本当に素晴らしい街だと思いました。
個人でいくのは、難しい点もあるので、ラルナカからの1日のバス旅行でいきました。
EMAN社主催のもので、「Famagusta & Salamisツアー」で、1日のツアーなのに、24ユーロという安さでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ラルナカの出発は、朝8:00.まだ、朝日が上がっていく途中です。
ヤシの木通りのバス停で、ピックアップ。
途中で、ギリシャ語で解説のバスと英語で解説のバスに分かれます。 -
パンフレットには、まずは、聖バルナバス修道院、と書いてあったものの、この日は、サラミスの遺跡から。
サラミスというと、高校の教科書でも学んだサラミスの海戦が行われた場所と同じ名前の場所です。サラミスの海戦は、ペルシア戦争最中、ギリシア艦隊とペルシア艦隊の間で行われた海戦で、テミストクレスの鮮やかな采配で、ギリシャ軍が鮮やかに勝利するのですが、このサラミスは、もっとギリシャの近くで、このキプロスのサラミスとは違います。
これは、大理石の列柱。サラミス遺跡 史跡・遺跡
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ローマ人の大好きな浴場跡。蒸し風呂であったことがよくわかります。
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浴場への入口にあたります。
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浴場に今も残る壁画。後世の手が入っているものと思えます。
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ギリシャの劇場。きれいに残っています。
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ちょっと離れたところにある競技場の跡。
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サラミスを出ると、バスは、その近くにある聖バルナバス修道院へ。バルナバスは、新約聖書に含まれる「使徒行伝」のなかに「聖なる魂に満ち溢れる者」と賞賛される人で、『バルナバス聖書』で有名である(らしい)。
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反対側から見るとこんな感じ。
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修道院の中は、イコン博物館になっていて、さまざまなアイコンが飾られています。
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かなり傷んでいますが、一部には、壁画も残っています。
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回廊は、地中海に関する博物館になっています。
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こんな可愛いスフィンクスのあります。
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さまざまなテラコッタも飾られていました。
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いよいよ(私にとって)メインのファマグスタの街へ。この地図は、お土産物屋さんでもらったもの。
この地図を見ればわかるように、ファマグスタの旧市街は、一方(東側)が海で囲まれ、残り三方は、堀をもった完全な城郭都市。そして、この堅固な城壁(周囲約3.5km)は、16世紀ヴェネチア時代に建設されたものがほとんどそのまま残されています。入口は、今も、北と南の2箇所しかありません。
キプロス一の海洋都市栄えた街は、1571年、延べ20万人のトルコ軍に包囲された。包囲10ヶ月目にはついに陥落。進入したトルコ軍は、建物や教会を破壊し尽くしました。城壁内にはかつて300を越える教会があったと言われていますが、その多くが壊され、その多くの教会や建物が、今もそのまま廃墟となって残されているのです。 -
バスが留まったのは、このファウグスタの街でも偉容を誇る聖ニコラウス大聖堂の裏手。聖ニコラウス大聖堂のファサードは、こんな感じ。左側にミナレットが付け加えられ、今は、ララ・ムスタファ・パシャ・モスクとなって現役であす。ここではかつてキリスト教徒のキプロス王が「イスラエル王」としての戴冠式が行われたとか。これに値する素晴らしさだと思いました。
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後方から見ても偉大!
ここから、城壁の方へ! -
城壁に接して、すぐに、オセロの塔(オセロ城)。
1570年のオスマン軍の砲撃で唯一残った建物であり、EUのサポートで修復がされた。
入場料は、9トルコ・リラ(3ユーロ)でした。
塔の高さ15m 幅8mというサイズ感。
入口上のレリーフをアップで写すと。。。 -
こんな感じ。
モチーフは「有翼の獅子」、ヴェネチアの象徴。ヴェネチアの守護聖人サン・マルコは、いつもライオンを連れています。 -
立派な中庭。
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塔のかなたに、ヴェネチアンウォールを望む。
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そして、地中海はあくまでも碧く。
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しかし、一方では、軍艦の姿も、北キプロス問題の難しさの一端が。
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城外には、シェークスピアの像。戯曲オセロの舞台になったというだけで、もちろんシェークスピアは、ここまで来たことはないらしい。
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オセロの塔の主塔以外。というより、本当は、オセロ城のオセロの塔以外というのが正しいのだろうか?
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オセロの塔を出たところの廃墟は、ラテンの聖ゲオルグ教会(Church of St.George of the Latin)。道端の廃墟。
ここから、反時計回りで、1周! -
オセロの塔のすぐ北側にあるSignoria稜堡。
崩壊が進んでいる。 -
北東の角のDiamante稜堡。
原型は分かりにくくなっている。
。。。ということで、一応、登ってみる。 -
ちゃんと道がある!
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頂上(?)からの眺め。
見える入口は、2つの門の一つ「海の門」。
城壁は、2重になっている。大砲の発達によりそれまでの石塀のような城壁では足らなくなり、これだけの厚い城壁が必要な時代になったのであろう。
そして、遥かに見えるのが、Del Mezzo稜堡。
このDiamante稜堡とDel Mezzo稜堡で、海の門に押し寄せる敵を両側から攻撃するのだろう。 -
城外に出ることなく、西に進んでいくと、2つの教会の廃墟が見えてくる。今は、こんな感じであるが、教会が2つもあるということは、当時は栄えていたのだろうと推測。
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右奥の方に見えるのが、アメニアン正教会。比較的原型を保っている。
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左側は、Carmelite教会。
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北西の角を守るMartinego稜堡を城の内側から見たところ。
これだけではわからないものの、地図だと、槍の先のような形状をしている。 -
地図にもない廃墟。ですので、名称不明。
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Tannerモスク(だと思われる)。
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聖アン教会(だと思われる)。
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上の2つの「だと思われる」は、もう1つこの廃墟もあるから。
この3つの中の2つが、Tannerモスクと聖アン教会だと思われる。 -
西側の城壁を構成するMoratto稜堡。
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イチオシ
ここから東の方(城壁の真ん中の方)に向かう。とすぐにあるのが、ネストリアン教会。塔が特徴的。
もちろん、入ることはできない。 -
後ろからみたネストリアン教会。
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Venetian House/Chimney House Mansion。この煙突が、ヴェネチア方式なんだろうか?
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さらに行くと、ツイン教会。名前の通り。しかし、本当は、ちゃんとした名前があるだろうに。。。
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さらに進むと、Namik Kemal広場。
聖ニコラウス教会の前に出る。 -
振り返ると、Venetian Placeのアーチ門。
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そこには、大砲の弾が、ダンゴのように積まれていました。
もちろん、大砲もありました。 -
Namik Kemalの地下牢と博物館
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Venetian Palaceを左に見て進んでいくと、Aga Cafer Pasa浴場の跡。モッコリアーチがよく残っている。
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後ろからみると、いかにも浴場。
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浴場の隣は、フランシスコ教会(Franciscan Church)
なかなか勇壮。 -
反対側からみてもアーチがよく残っている。
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このまま道なりに城壁まで進むと、泉が。しかし、その名の通りDry Fountain!
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ここから再び、反時計回りに、城壁に沿っていくと、Scarlet浴場跡。
オスマン時代の遺跡。 -
さらに進むと、大きな石垣が。
このファマグスタ城壁の正門であるRivettina稜堡。
これは、城内からの写真。 -
そのメインアーチ。
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この中を覗くと、こんな風に通路が縦横に走っている。
入場券売り場があったので、ひょっとしたら中に入ることができるのかもしれないが、この日は入れず。 -
この脇にある山の門を抜けて、城外に出てみる。
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正面の見張り場所に続く橋。
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橋から、Rivettina稜堡を見ると、こんな感じ、重厚!
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更に進んで城外からみたところ。素晴らしい!
これをみると別な門(正面)があったような形跡も、 -
山の門の橋から、反対側を見たところ。
堀の様子と、その先の、Santa Napa稜堡。
今は水がないものの、当時は、海の水を引いていたと思われる。 -
再び、城内に入り、反時計回りに進んでいくと、聖Zoni教会。
よく原型を保っている。 -
反対側からみても、ちゃんとしている。
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聖Zoni教会から150m位のところに聖ニコラウス教会。
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再び中心部に向かうと巨大なChurch of St George of the Greeksの跡。
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反対側から見たところ。
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その単体側の壁を、教会の外から。
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塔に登る石段。
危ないので、もちろん登らない。 -
さらにセンターに近いところにある聖ペトロ聖パウロ教会。
これまた巨大。 -
違う角度から。
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横からみると肋骨のように教会の壁を支えている。
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そして、その脇には、Mehmet Emin Efendiのお墓。
形式はイスラムのものであるが、教会としか思えない形状の建物の脇に佇んでいる。 -
その隣にある小さな付属の教会の跡か?
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Canbulat稜堡と灯台を城外から。
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ファマグスタの滞在もここまでで、バスに。
昼食時間も含んで、2時間の滞在でありましたが、あまりの素晴らしさに、昼食抜きで歩き廻りました。若干、熱中症気味になってしまいましたが、その価値が十分にあると思いました。 -
最後は、ファマグスタ海岸で一泳ぎ。
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ここの海も素晴らしい。
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本当に素晴らしいビーチなのです。しかし、右の白いビーチホテルは営業していますが、左の大きなビル(元ホテル)は、廃墟。
1974年、トルコ軍が進撃してきました。いわゆるキプロス紛争です。この結果、今でもキプロス軍との停戦ライン上の地域は、30年前のまま時が止まったように放置されてます。
ファマグスタ中心部は、トルコ占領下の「北キプロス・トルコ共和国」に入り、ギリシア系市民と共にリゾートホテルも全て国境の南に引越しをせざるを得なくなり、分断された町はそれ以後、ゴーストタウンとなっています。
この左側の元ホテルはそのゴーストタウンの中にあります。 -
この1棟どころか、これらのビルもみんなゴーストタウンの中で、人ひとりいません。
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それどころか、こんな表示もあろ、本当は、撮影も禁止なのだそうです。
しかし、背景として写ってしまうのは仕方ありませんよね? -
このような1日で、検問所を通り、ホテルに帰りました。
城好き、宗教施設(教会やお寺など)好き、廃墟好き、海好き。。。の私にとっては、素晴らしい1日でした。しかし、今回のバスツアーで、日本人は私だけ、日本には知られていない観光地であることをしみじみ感じました。
次回は、1日かけて、ゆっくりと観光したいと思いました!
ということで、細かい旅行記にしてみました。
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