2015/05/30 - 2015/05/30
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
今日は土曜日。日曜日になると移動が難しくなるイタリアなので、ボローニャ滞在最終日は市内に充てることにして、今日も近郊の町にお出かけです。行きたい場所が沢山あって迷いました。
午後をフェッラーラに充てることにすると、午前中はどうしたものか? パロマも考えたのですが、ちと遠い。結局近さを優先してモデナに決定。ボローニャから普通列車でわずか30分 片道3.75ユーロの距離でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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モデナ到着。のっけから道に迷いました。地図の読めない女とは言われたくないのですが、迷いましたぁ! 南に向かっているつもりで、南東方向に進んでしまったようです(汗)。目の前に現れた立派な寺院が地図に出ていないのはどうして?
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後で調べたら、こちらは、モデナ市所有の第一次大戦戦没者のための寺院でした。1923年12月、国王ヴィットリオ・エマニュエーレ3世列席の元、大司教ナターレ・ブルーニがその礎石を置き、建築家ドメニコ・バルバンティが1929年までかかって完成させました。地下室の壁にはモデナの戦没者7237名全員の名前が刻まれているそうです。
イタリアでは、第一次大戦の戦死者が124万、第二次大戦が45万で、第一次大戦の方がずっと多かったことを始めて知りました。 -
大司教ナターレ・ブルーニの名前がついた広場からあたりを見まわすと、ドゥカーレ宮殿の奥に、目指すドゥオモの塔ギルランディーナの白い塔を発見! よっしゃぁ。あの方向に参りましょう。
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ありゃりゃ〜 もしかしてこれが、1634年創建のエステ家の居城だったドゥカーレ宮殿? と思いましたが、後で確認したら違いました。まだ迷っているみたいですよ。
何故って途中からギルランディーナの塔が見えなくなってしまったからです。
私はこの工事中の代物が、かつてのドゥカーレ宮殿、現在は陸軍士官学校になっている建物と信じ、そのまま道を進みます。あぶねえ、あぶねえ・・・ -
ここはヴィットリオ・エマニュエーレ大通り。ちょうどこの辺りで、偶然同年輩の日本人女性二人組に会ったのが幸いしました。彼女らもモデナは初めてでしたが、少なくとも、悔しいことに私よりも地図が読めていたみたいです。で、暫くご一緒させて頂くことにしました。
モデナの町の印象は、このオレンジと黄色を組み合わせた建物が多い事。右手にある建物はパラッツォ・コッカパーニ。17世紀の建物で、ナポリから来た公爵アラゴン王家の血を引くパオロ・ランゴ・ダラゴーナの屋敷でした。 -
パラッツォ・コッカパーニの優美な入り口です。
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そうこうしているうちに、無事にドゥカーレ宮殿のあるローマ広場に到着です。こちらが、エステ家が2世紀に渡りその居城とした、本物のドゥカーレ宮殿でした(ポリポリ)。
エステ家と言えば、ローマ近郊のティヴォリにあるヴィッラ・デステしか知らないのですが、今日これから行くフェッラーラもかつてのエステ家の本拠地でした。エステ家は1196年以来フェッラーラの侯爵として君臨しますが、1598年教皇クレメンス8世にフェッラーラを奪取され、その後はモデナに本拠地を移したのです。
バロック様式の見事な城ですね。 -
所々工事中だった広場の中央には、19世紀のイタリア愛国者 チーノ・メノッティの銅像が立っていました。彼はオーストリア帝国の覇権からモデナを解放するために戦い、死刑に処されました。その後ガリバルデイ率いるリソルジメント運動が高まる中で、メノッティは愛国殉教者の理想像となっていきます。彼のモニュメントは1879年に建てられたそうです。
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ローマ広場の隣にあるドメニコ広場に立つ聖ドメニコ教会です。ここもオレンジと黄色の組み合わせでした。
教会は13世紀の創建。現在よりもっとドゥカーレ宮殿寄りに位置していました。エステ家にとってはあまりに近すぎることが目障りだったらしく、古い教会を壊した上で、1731年に現在の地に新しい教会を建てさせたのだそうです。 -
これは、聖ドメニコ教会と道を挟んで建つドゥカーレ宮殿の最西端の塔です。現在でも両者の隔たりは10mあるかないかですが、この距離より短かったということですね。
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聖ドメニコ教会前を南に折れると、おお〜ようやくギルランディーナの塔と再会です。もう逃しませんよ!
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まだボローニャの柱廊の町は歩いていませんが、ここモデナも、ご覧のようなポルティコ(柱廊)を町のあちこちで見ることが出来ました。
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ようやく、ギルランディーナの塔が目の前に迫ってきました。純白の大理石を多く使った高さ86.12mの鐘楼です。
じゃ〜ん! 初めまして。
町のどこからでも見える塔として有名らしいですが、そんなことはありません。事実、私は途中で見失ってしまいましたよ(笑)。 -
ギルランディーナの塔は1179年に5階建て(日本式には6階建てに見えるんですが・・・)の塔として建てられ、サン・ジミニャーノの塔と呼ばれていました。
その後ボローニャと塔の高さを張り合い、町は大聖堂の修復作業に携わっていたカンピオーネ(現在はスイスに属しているコモ近郊の町)出身の石工アッリーゴ・ダ・カンピオーネに塔の上に六角形部分と尖塔をつけるように依頼。1260年に第6層が完成。1319年にはアッリーゴの後継者エンリコ・ダ・カンピオーネが八角形の尖塔を完成させたのです。
肉眼では確認できませんが、塔のてっぺんに大理石でできた2つのギルランデ(クリスマスの時に使う緑色のリース)があることから、その名がつけられました。ロマネスクとゴシックの絶妙な組み合わせですね。
大聖堂の鐘楼として建てられた塔は、毎日市民に時を告げ、市の城門の開閉時刻を知らせ、危険が迫った時には警報の役割も果たしてきました。
塔に上れば町中を見下すことが出来ますし、内部にあるセッキアの間、トッレサニの間では15世紀のフレスコやダヴィデの柱頭と呼ばれている貴重な彫刻を見ることが出来るそうです。
柱頭マニアにもかかわらず、このことを後から知ったので、上りませんでした。大変後悔しています。 -
ここは、大聖堂の裏に当たるギルランディーナ広場です。塔の前に立つのは、モデナ出身の詩人アレッサンドロ・タッソーニ(1565年〜1635年)の彫像。ボローニャとの闘いをテーマにした風刺あふれる疑似英雄詩で一世を風靡した方だそうですよ。
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大聖堂の入り口が開いていたので、入ろうとしたら、隣に×マークが! 信者以外の入室不可ですって。それなら、正面ファサードに回りましょ。
この扉、近くに魚市場があったことからポルタ・デッラ・ペスケリア魚市場の扉 と呼ばれています。1110年〜1120年の間に作られました。
しかし、この扉の周りのフリーズ、実に興味深いですよ。両脇部分には唐草模様に様々な鳥や人間が見え隠れしています。扉の上のリンテルには、イソップのような寓話が4つ刻まれていました。
左から海馬に乗った少年、雄鶏2羽が狐の死骸を運ぶ「狐の葬式」、鶴と蛇の戦い、狼の喉から骨を奪う鶴 と言う4つの物語です。
その上のアーキヴォルトには、本国イギリスより早く「アーサー王物語」が描かれています。「アーサー王」の物語は、その騎士道精神が十字軍を髣髴させ、教会の守り砦の象徴として、中世の巡礼者たちによって、全ヨーロッパ大陸に広がっていったのだそうです。
小さな写真1枚しか撮らなかったのが残念でなりません。 -
大聖堂の横道を回って、グランデ広場に出て来ました。大聖堂の横にあるるこちらの建物は市庁舎です。
1046年に建てられた最初の市庁舎は、沢山の塔のある建物だったそうですが、その多くは16世紀の地震で崩落。現在の建物は主に17世紀から18世紀にかけての建物の寄せ集めです。 -
中央の時計塔は15世紀末の建造。地震の前には同じ形のものがもう1つあり、ペアの塔だったとか。
帰国してから調べたら、市庁舎の一番右端には「ボニッシマ」と呼ばれている女性の彫像があり、1286年に作られて以来、広場を見下しているそうです。写真の隅に写っているけれど、小さすぎ! -
こちらは、ボニッシマ(美しいの最上級かな?!)ではなく、市庁舎のバルコニーに立つ聖母です。
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広場の真ん中に立って、市庁舎の左側を見ると、これまた白大理石の大聖堂がギルランディーナの塔をバックに姿を現します。
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広場に面しているのはファサードかと思ったら、そうではありませんね。とても面白い建物です。右側に後陣の膨らみが見えているので、右側廊を広場に向けています。
大聖堂の歴史は5世紀に遡ります。ここには2つの教会が建っていました。町の守護聖人であるサン・ジミニャーノの聖遺物が見つかったことから、この聖遺物を収めるために2つの教会を壊し、建築家ランフランコの指揮の元、新たな大聖堂の建築を開始したのが1099年のこと。ランフランコ亡き後は、後継者たちに引き継がれ、大聖堂は1130年過ぎに取りあえずの完成を見ました。それから半世紀以上たった1184年に奉献されています。 -
大聖堂は、ひとまずの完成後も、ギルランディーナの塔の所で触れたように、カンピオーネの町からやってきた石工の棟梁たちにより、150年以上かけてコツコツと細部を含めて手直しを行っていきます。石工達も世襲で引き継がれたそうです。
中央に見えるピンクの扉はポルタ・レギア 王の扉です。こちらもカンピオーネ出身の棟梁の制作で、1209年〜31年にかけて作られました。外側に突き出しているピンク色の大理石が見事ですねえ。 -
ポルタ・レギアの屋根の上にいる十字架を持ったライオン。可愛〜いと言ったら、ライオンに怒られるかな?
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後陣付近の右側外壁のアップです。翼廊に見えますが、実はダミーで、大聖堂には翼廊はありません。
ピンクと白の大理石が効果的に配置されているのがわかります。アーチは一つ一つ形が微妙に異なっていて、面白〜い! 根性が曲がっているせいか、シンメトリーでない方が好みです。
1本1本形状や色が異なる柱(三角屋根の部分)、レリーフ(右下)、などを見ては、うんうん頷きながら楽しみましたよ。 -
フレスコがかすかに残るアーチ壁面と、その下にあった、トンドに人物像と鷲の像のある説教壇です。福音記者の聖ヨハネかしら?
何故説教壇が外にあるんでしょうね。1501年からここに置かれているそうです。バルコニー代わり? -
これはどこで写したのでしょう? 多分ヒエロニムスだと思いますが、大聖堂のファサードに向かう間のどこかで撮ったようです。
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グランデ広場から、大聖堂のファサードのある広場へと移動しています。やはり、モデナって町中が迷路みたいで、相性悪いみたいです・・・
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ふぅ〜 なんとか到着しましたよ。ようやく大聖堂の表玄関にやって参りました。
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ファサードは、ランフランコ亡き後、やはりカンピオーネからの職人アンセルモ・ダ・カンピオーネとその弟子たちによって装飾が加えられています。何世代にも渡り、ファサードはその姿を変え続けたようです。
目立つのは、中央にある素晴らしいバラ窓。これは13世紀のアンセルモの手によるものです。 -
バラ窓のアップです。スポークは全部で24本。それぞれにアカンサスのついた柱頭がついています。
バラ窓の上には、キリストを中心に左右に天使の像(右側の天使は半分崩落)、そしてライオン像が手前でにらみを利かせています。 -
扉は3つ。そのうち左右の2つの扉は、やはりアンセルモらによって13世紀に追加されたものだそうです。
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中央扉は、2頭のライオンの柱がアーチ部分を支えていました。このライオンたちはローマ帝国時代のもの。恐らく、最初の大聖堂建築工事の際に、古い教会から発掘されたものだろうと言われています。調達できた石材が不足がちだったこともあり、古い教会や付近にあったネクロポリスは建築資材の宝庫だったようで、その多くが現在の建物に再利用されています。
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中央扉に近づきました。ローマ時代のものとは思えない、毛並みがつやつやした、立派なライオンさん達です。
後ろの扉の周りのフリーズは、先ほど見た魚市場の扉同様、細かいレリーフが彫りこまれていました。一番下で、唐草を持ちあげている人がユニーク! -
この細かいレリーフは、作者がはっきりとはわかっていませんが、アンセルモと同時代のモデナ出身の彫刻家グリエルモ・ダ・モデナの作だという意見が多いそうです。
アーチの前に出っ張った部分には、鹿同士の戦いとライオンの番と蛇との闘いのレリーフがありました。いやあ 楽しくって、なかなか中に入れません! -
こちらは、ファサードに向かって左側の扉の上にあったレリーフです。左から右へ1枚続くレリーフのパネルは、グリエルモ・ダ・モデナの作品と判明しています。
ここには、創世記からの場面が描かれています。左から、最初に原罪あり。そして神が男性(アダム)を創造します。続いてアダムの肋骨から女性(イブ)を創造、そして、二人が知恵の実を食べるまでです。 -
ライオン像の左横の壁に続きます。少し遠いけれど、見えますでしょうか?
アダムとイヴは知恵の実を食べたことで楽園から追放され、右は二人で力を合わせて農作業(先祖の仕事)を始めた場面かしら? -
右側の壁は、カインとアベルが生贄を捧げる場面から始まります。衝撃なのはその横、人類初の殺人 カインがアベルを殺す場面です。こん棒で一撃ですね!
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最後は右側の扉。ここから入場しますよ。扉そのものは、ごく最近修復されたようで、石も綺麗です。
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物語は、再びカインの殺人? 確かに弓を射っている人と、その弓矢が胸に刺さった人がいますね。中央の重なったアーチは、なんとノアの方舟だそうですよ。その右隣はノアの一族の子孫になります。
アレッツォのピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会でで見たベネデット・アンテラーミの素朴な彫刻を思い出しました。ロマネスク時代の彫刻としてやはり共通点があるのだと思います。 -
高い場所にある墓碑は天才グリエルモ・ダ・モデナの葬祭モニュメントだそうです。
下のパネルも、グリエルモに捧げる墓碑で、預言者エノクとエリアが碑文の両脇に配置されています。そうそう、大聖堂の最初の建築責任者のランフランコの墓碑は、後陣の円筒形部分にその墓碑があったのだそうですが、見逃してしまいました。
さあ、それでは大聖堂の中に入ることにしましょう。 -
内部は三廊式でした。窓からの光が十分でなく、とても暗い印象を受けました。ロマネスクの世界です! ずっしりとした黒みがかったレンガのアーチが身廊と側廊を隔てています。
一番明るい部分は、古い教会の名残であるクリプト。今も町の守護聖人聖ジミニャーノの聖遺物が安置されています。
クリプトの上に、中2階のように見える部分が後陣で、その手前にアンセルモが制作した素晴らしい大理石のパラペット(欄干)が見えています。
屋根は、元々はトラス構造でしたが、15世紀にヴォールト天井に置き換えられています。 -
では早速、主祭壇に向かって右側から見て参りましょう。
右側廊にあったベッリンチーニ礼拝堂です。第二次大戦で爆撃を受け一部破損してしまった、あまり状態の良くないフレスコですが、今まで見たことのない風景が描かれていました。タイトルは多分「最後の審判」。
審判を司るキリストの下に描かれた中央の天使はミカエルで、雲に乗り、左手に天秤をぶら下げています。周りにいる天使たちもそれぞれ雲に乗っていて、手には箒のようなものを持っていますが、舟のオールのように漕いでいるように見えます。
下の部分の見上げている人間たちは、最後の審判のために這い上がってきた死者達でしょうか? ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵を髣髴させますね。
ちょっと気になりましたが、詳しいことが調べても分かりませんでした。クリストフォーロ・カノッツィの1475年頃の作だそうです。
大変素晴らしいローズ色をした大理石の聖水盤があるので、私は初めここは洗礼堂だと思い込んでいました。 -
身廊と側廊を隔てるアーチの上部には、方立のある連窓が並んでいて、ここにもフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂やラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂同様、既婚婦人用のギャラリーになっているように見えます。でも実は偽物なのだそうですよ。工事を行った気配は全くなし。雰囲気だけは廊下(ギャラリー)が続いているように見えますね。
身廊中程には、古い説教壇。エンリコ・ダ・カンピオーネの1322年の作品だそうです。周りには司教達の彫像が彫られていました。エンリコはギルランディーナの塔を完成させた人でもありました。 -
反対側から説教壇を見ると、こんな感じです。いつものことながら、曲線(カーヴ)が絶妙ですね。
欄干のフレスコは15〜17世紀になってから描かれたもので、「聖イニャッツァオ(イグナチオ)の生涯」がテーマだそうです。 -
イチオシ
こちらは、テラコッタで作られた「聖誕」です。こういうのもプレゼーピオと呼ぶのかしら? アントニオ・ベガレッリにより、1527年に制作されたものだそうです。
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幼子を上から覗き込んでいる牛の親子が特に素晴らしく、とても良い雰囲気を醸し出しています。
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右側廊を進んでいくと、正面に後陣へと上る階段が見えて来ました。半球部分が見えています。この大聖堂は3つの後陣を持っているのかしら?
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レンガの柱に残るフレスコは14世紀中ごろに描かれたようです。当時は壁と柱至る所がフレスコで覆われていたようですが、今は数少なく、どれも状態悪いですねえ。
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フランチェスコ・モルツィアの葬送モニュメントを過ぎると・・・
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目の前にクリプトとその上のパラペット、そして説教壇が姿を現しました。凄〜い!
アンセルモとそれに続くカンピオーネ出身の工房の職人達が1165年〜1225年までかけて制作した素晴らしい彫刻! 全てに彩色が施されています。ギルランディーナの塔を手掛けたアッリーゴ(彼はアンセルモの孫だそう)も後に活躍しています。一族郎党が遠く故郷を離れてモデナで生活をしたんですね。
その下、アーチが続いているのは眩いばかりのクリプトです。 -
そして、クリプトの上には、十字架とこれまた素晴らしい後陣が見えています。順番に見ていきましょうね。
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後陣に向かって右側から行きましょう。物語が逆になってしまうけれど、十字架を背負うキリスト・・・かと思ったら、キリストが途中で力尽き、彼に代わって十字架を背負って歩いたキレネのレオンと言う人だそうです。新約聖書の共観福音書に登場する人物です。
その左は捕らえられたキリスト、ピラトの判定、キリストの鞭打ちなどが一緒くたに描かれています。そして3枚目はユダのキスです。
最初木製かなあと思って近づいたのですが、大理石製と解説には書いてありました。本当かなあ?
パラペット(イタリア語ではポンティーレ)を支える10本の柱の柱頭にも注目! ここにも物語が展開していましたよ。 -
今見えている柱頭は、預言者ダニエルとライオン達。予言者ダニエルは陰謀でライオンのいる洞窟に投げ込まれたのですが、「神の力」により、食べられることはなかったという「奇跡」の人です。
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次の中央に白いカーテンのようなものが延々と続くのは「最後の晩餐」です。テーブルクロスだったんですね。
中央ではキリストが一人置いて座っている弟子の口に最後の晩餐を入れていますね。この人がユダ。上に名前が書いてありました。ユダは片方の手で財布?、もう片方の手で魚をつかんでいます。2人の間で、聖ヨハネはすっかり眠りこけています。キリストの右隣りにいるのがピエトロとその兄アンデレ。 -
「最後の晩餐」の左隣は、キリストが弟子達の「足を洗う」場面でした。これも有名な場面です。「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」と言う一節がヨハネによる福音書に出て来ます。
そしていよいよアンセルモが制作した説教壇です。
今見えている部分には、中央にキリスト、左右に福音記者達のシンボルが彫刻されています。 -
聖ヨハネ(鷲)と聖ルカ(牛)の右隣りには、ゲッセマネの園で、眠りこけていた使徒たちを起こすキリストが描かれていました。イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」聖ルカによる福音書の一節。
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聖マタイ(人、天使)と聖マルコ(ライオン)の左隣には、教会博士達が聖霊(鳩)または天使にインスピレーションを受けて記述を行っている場面が2面連続で描かれていました。
実はこの時点で、私の目はその下の柱頭に釘付け! 左側のアカンサス、右側の鷲。どちらもお初にお目にかかるデザインです。 -
柱頭シリーズを一生懸命写してはみたものの、結果はボロボロで、最初に紹介した「ダニエルとライオン」以外はまともに撮れていなかったので、再度ご紹介しますね。
素朴だけれど、大変味わい深い柱頭です。 -
最後に説教壇とパラペット全体をもう一度ご覧ください。説教壇の左側だけ欠落したのか、装飾がありませんでした。世界にまたとない、カンピオーネ出身の職人達の集大成です。
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美しい説教壇の下をくぐって、クリプトに下りて行きます。ここで初めてパラペットを支える柱の基盤部分と柱頭を一緒に撮った写真が出てきました。
今度は基盤部分にも釘付けです。ファサードにもあったライオンが背中で柱を支えるものが多かったですが、説教壇の出っ張り部分の柱の基盤は、人が背中で支えていました。 -
ほらっ! かなり窮屈そうな格好で前かがみになって、柱を背中に乗せています。よほど悪いことをした罰なのでしょうか?
イタリア語ではテラモーネと呼ばれている男性像で、空の柱を支えるギリシャ神話のアトラスと同義、男性版カリアティードというところでしょうか。 -
ライオン達も一頭ずつ表情が異なります。制作年は特定できておらず、あるものはグリエルモ・ダ・モデナより前の時代まで遡るそうです。
今こちらに顔を向けているライオンさんの頭の下には、子羊の角が見えますね。 -
クリプトの内部です。多くの柱が立つ空間で、九廊式になっているそうです。明るい光が灯された中央の聖ジミニャーノの墓のある部分は1700年に改修されていますが、そのほかの部分は1099年〜1106年にかけて建てられた時のままの状態だそうです。
柱は全て、色も長さも大きさも形状も異なります。右手前の柱は、大変目立つ青に白の筋が入った大理石でした。 -
中央の礼拝堂に置かれた聖ジミニャーノの墓は、強力ガラスケースで囲われていました。
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聖ジミニャーノは4世紀の人でモデナ生まれ、のちにモデナの司教となり、390年にはミラノの聖アンブロージョが開いた評議会にアペールという代議員を送ったという記録が残っています。現在のトスカーナ州サン・ジミニャーノで亡くなり、それがそのまま町の名前になっています。
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祭壇から見たクリプトの後陣です。
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祭壇上の天井も、おそらく1700年で改装された部分でしょうね。三位一体と丸の組み合わせは、絶対的な無限のパワーを表すのだそう。
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聖ジミニャーノの墓の周りにあった礼拝堂の一つです。地下なのに、光が結構入って来ていますよ。
左右の柱頭のデザインもお楽しみ下さい。 -
クリプトにあった「マドンナ・デッラ・パッパ」と呼ばれている聖母子の彩色テラコッタ像です。グイド・マッツォーニの1480年の作品です。
手前の男女はパトロンであるポッリーニ夫妻ではないかと言われています。 -
中二階の後陣で後程見ることになる素晴らしい寄せ木細工の背もたれのある椅子です。ここでは説明書きがありませんでしたが、中二階と同じなら、クリストフォーロとロレンツォ・カノッツィ兄弟の作品です。
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もう一度クリプト全体を眺めて、列柱とプレロマネスク時代の彫刻の数々を愛でます。中央やや右にある柱の柱頭には、羽の生えた牛が彫られていました。恐らく、他の三方には、残りの福音記者のシンボル、ライオン、鷲、天使が彫られていたと思われます。
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今度は中二階の後陣に向かう階段で、またおかしなものを見つけましたよ。
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階段の手摺に彫られた結構迫力ある顔です。犬かなあ? ライオンのようにも見えますね。
考えていても、誰も答えてくれないので、中二階に上がるとしましょうか。 -
中二階に上がったところにあった、大理石製の聖母子のレリーフ。聖母の目はうつろに見えますが、見上げる幼子の姿は愛くるしいです。
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確か3つの後陣のうちの左側にあった多翼祭壇画です。中央には「聖母戴冠」が、左右には聖ニコラ、聖クリストフォロス、聖ジミニャーノ、大アントニオの姿がありました。
セラフィーノ・デ・セラフィーニの1349年〜1393年の間に制作されたものだそうです。プラデッラには、キリストと12人の使徒が描かれていました。 -
壁にあった4枚の寄せ木細工のパネルは、後陣の聖歌隊席に背もたれの部分だと思われます。聖歌隊席には入れなかったので、実際に目で確かめることはできませんでした。
熟練した職人であり彫刻家・画家でもあるクリストフォーロとロレンツォ・カノッツィ兄弟が1461年〜77年の間に制作したものだそうです。最初に紹介したベッリンチーニ礼拝堂のフレスコはこのクリストフォーロの作品でした。
34枚の背もたれ付きの椅子の中から、ここにあるのは福音記者達を描いた4枚です。こちらは聖ルカ。 -
聖マタイ。分厚い本が実にリアリティあります。
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聖ヨハネ。パネルの一番下に作者の名前と制作年である1477年が刻まれていました。パネルの下半分には、観音開きの扉があり、それが半分開いていて中に球体の乗った王冠のようなものが見えています。4枚の中で一番デザイン的に凝った1枚でした。
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聖マルコ。顔の凹凸の表現が見事ですね。
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中二階からカウンターファサードを眺めます。随分と高い場所にいることを実感します。ここからの景色で、思わず見とれてしまったのが、正面のバラ窓です。
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実に美しいシルエットですね。外から見るよりこちらからの方がずっと印象的でした。
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中央の後陣にやって参りました。主祭壇の奥に、先ほど紹介した寄せ木細工の背もたれのある聖歌隊席が半円形に後陣を取り巻いているのが見えています。
一番奥には、ひときわ目立つ大きな背もたれのある椅子が2つ見えました。 -
先ほど見た左側の後陣同様、ここでもメインは「聖母戴冠」です。
キリストと聖母はソファのような3人掛けの玉座?に腰を下ろし、キリストが聖母の頭に王冠を授けています。二人を乗せた玉座は空に浮いているようで、左右の天使達が支えています。下に雲が見えていますね。
左側には聖ピエトロ、右側には聖パオロの姿がありました。 -
どうも、このキリストがあまり好きになれません。目つき悪くないですか?
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半球部分の下には、4人の福音記者達の姿がありました。両脇にはそれぞれ異なったヤシの木が描かれていましたよ。
ところで、大聖堂については、文献を色々と調べることが出来ましたが、この中央後陣のフレスコについては、不思議なほど記述が見つかりませんでした。というわけで、このフレスコに関しては、制作年も作者も??? です。
何故でしょうねえ・・・ -
アーチの外側の縁には、預言者イザヤ。紀元前8世紀頃の人で、旧約聖書のイザヤ書によれば、メシアに関する預言を告げています。
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反対側には預言者エレミア。紀元前7世紀末〜6世紀前半の、バビロン捕囚の時期に活躍したユダヤの人で、旧約聖書のエレミヤ書にその名前が出て来ます。
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アーチの縁には、トンドの中に聖人達の胸像が名前入りで描かれていますが、古い時代の人達らしく、知っている名前が見当たりません。
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神の子羊は、写さずにはいられない1枚でした。なかなかキュートでしょう。アップでどうぞ。
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後陣3つ目。向かって右側にあった祭壇です。ここの半球部分は、金地にお馴染みのアカンサスとブドウの蔓の渦巻き模様です。ローマの古い教会で何度か見かけましたね。
最近手直しされたものと見受けられます。 -
祭壇の右側に見える3つの窓は、グランデ広場に向いている窓です。
素晴らしく豪華な大理石の祭壇の上には6本の燭台が並んでいました。こちらは19世紀製の祭壇だそうです。 -
窓の一つに描かれていたフレスコは聖ルチアで、これは13〜4世紀のもの。一時、ドゥオモの壁や柱全体に描かれていたフレスコは、もうわずかしか残っていません。
手前の燭台は大変凝ったデザインでした。 -
祭壇にあった、木製と思われるキリスト像です。
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半球部分一番下のフリーズには、青い背景に神の子羊と12使徒の羊たち。
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そして、十字架部分の詳細画面です。黒十字架には全部で12羽の白鳩。画面にはそのほか、クジャクや鶴、水をついばむ小鳥達が沢山描かれていました。
中二階の後陣の後は、左側廊へと進みます。 -
ピンボケですが、中央祭壇の前に吊り下げられていた十字架です。これも残念なことに詳細わからず。
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左側廊で、大理石のアーチフレームの中にあった祭壇画は、16世紀の画家ドッソ・ドッシによる「聖セバスティアーノと聖人達」です。聖セバスティアーノは、洗礼者聖ヨハネと聖ヒエロニムスの間に、お馴染みのポーズで立っていますが、解説には「エクシタシーを感じた瞬間」とありました。恍惚状態であるようです。1518年〜21年。
その下の壁面には不思議なものが置かれていましたよ。まばゆいばかりの銀、金銅で作られたアンテペンディウム。祭壇を覆う物という意味だそうですよ。聖母マリア、聖ジミニャーノ、聖コンタルデステ、聖オモボーノが描かれているそうですが、この写真じゃあ良く分かりませんね。1806年〜07年の作品だそうです。 -
続いての素晴らしいテラコッタ製の祭壇は、ミケーレ・ダ・フィレンツェによる小立像の祭壇(アルターレ・デッレ・スタトゥイネ)です。1440年〜41年。
両脇に立つ唐草が絡みついた柱の間には、大小のニッチェが並んでいて、それぞれに彫像が置かれています。その上には7本の尖塔があり、その上にも聖人達が並んでいますよ。
中央には、上部にキリストの磔場面、下部には聖母子像がありました。
その下、祭壇の上に置かれた小さなフレスコは、「広場の聖母」と呼ばれているもので、元は大聖堂の壁に描かれていたものを剥したのだそうです。1345年頃の作品。 -
こちらは、町の守護聖人聖ジミニャーノの木製の彫像です。カンピオーネ出身の職人が14世紀前半に制作したものです。
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ローマ時代の柱頭の再利用の一例を発見しました。柱頭をくり抜いて、聖水盤として使われていましたよ。元祖リサイクルですね。
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流石に世界遺産の大聖堂。ここにしかないものが沢山見られて、充実した時間を過ごすことが出来ました。ロマネスク良いですねえ・・・
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再度ライオンさん達を撮ろうとしていた矢先に飛び込んできた珍客があまりに可愛いので、そのままパチリ!
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大聖堂ファサード前です。この時点で12時少し前。エステ家の至宝が収められているエステンセ美術館に行こうかどうか迷ったのですが、フェッラーラでもエステ家は見られそうなので、駅に戻ることにしました。
この時、大聖堂の外壁伝いにもう一周するんだったと悔やまれます。外側に大聖堂の見どころが点々としていたので、聖ジミニャーノのレリーフのある「王子の扉」や大聖堂の最初の設計者ランフランコの墓碑などを見損なったことに後で気づきました。 -
大聖堂のファサードに向かって右側の広場の光景です。風情ある建物が並んでいますね。
上に張られているのはトロリーバスの電線です。1台も見かけなかったけれど、あのアーチをどうやってくぐるのかしら? 無理ですよね。 -
大聖堂前の道コルソ・ドゥオモを駅方面に進むと、すぐにクーポラが特徴的なデル・ヴォート教会にぶつかります。
ペスト流行が納まったら教会を献上しますというモデナの人々の総意に則り、ペスト終焉後の1630年頃、建造された教会です。
ファサードは1階部分がイオニア式、2階部分がコリント式の柱が特徴ですね。クーポラの位置が中央線からずれているのはご愛敬?
現在一般公開はしていないようです。 -
デル・ヴォート教会前の道エミリア通りを少し北西方向に行ったところにあったのは洗礼者聖ヨハネ教会です。現在の建物は1723年の創建です。
典型的なネオクラシカル様式の建物で、設計者はジローラモ・ロベルティ。内部は円筒形をしていて、高さが22mもあるそうです。
先ほど大聖堂で見たようなテラコッタ製の非常にリアルなプレゼーピオ「死せるキリストへの人々の嘆き」があると聞いていたのですが、残念ながら閉まっていました。 -
駅までは洗礼者聖ヨハネ教会とデル・ヴォート教会の間に広がる気持ちの良い公園を通り抜けていきます。
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人の集まる場所には大抵あるカルーセルがここにもありました。今日は土曜日なので家族連れが多く歩いていました。
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行きにちらっと見て行った聖ドメニコ教会脇を通ります。
教会の手前は、ヴェントゥーリ美術学校の建物で、1階部分は彫刻のギャラリー(ガッレリア・デッレ・スタトゥエ)になっていました。1700年頃からの石膏で作った彫像がいくつか置かれていました。 -
駅のすぐそばにあったこちらは元たばこ工場で、今はモデナ市が再開発してMATAという文化空間、イヴェント施設になっています。展覧会や美術ギャラリーの会場としても使用しているそうで、とても良い雰囲気です。中央に見える大きな煙突がオシャレですね。
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黄色い駅舎のあるモデナ駅に戻って参りました。幸いにして帰りは迷うことはなかったですよ。
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おっと、忘れていました。モデナと言えば車好きの方にはたまらないフェラーリの故郷でした。駅のすぐそばにエンツィオ・フェラーリの生家があって、現在そこは博物館になっています。
この地図を見ると、マラネッロという町にフェラーリの博物館があり、生家のある博物館から巡回バスが出ているようです。
おお〜 バルサミコの工場も、このバスが連れて行ってくれるみたいです。最初に見ておけばよかったぁ!
モデナのキャッチフレーズ Slow Food Fast Cars ですって。な〜るほど! -
今更ですが、立派な観光案内図もございました。これを見てから歩き出せば迷うことなかったのに・・・
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イタリアに来てから初めてお目にかかるトレノ・ノッテ(夜行列車)の車両です。寝台車ですね。
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大聖堂だけのモデナになってしまいましたが、古い時代、ロマネスクやプレロマネスクの時代が好きな私にとっては大聖堂だけで十分満足な町でした。車や買い物が好きな方はフェラーリ博物館を利用すると面白そうですね。
ではこれからボローニャ経由でフェッラーラに向かいます。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その77 フェッラーラ1で。
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この旅行記へのコメント (2)
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- とし坊さん 2016/09/20 19:30:37
- いやらしい目つきですね
- キリストも男だったのですね(笑)
ちょっとおかしな目ですよね
でも ほんまに素晴らしいですね イタリアって
こんなにたくさんのモザイク画が残っているとはね(^O^)
モデナといえばフェラリーですよね フェラリー欲しいけど買えないので
DeAGOSTINIのフェラリー買いました NO1 NO2を2台買って満足してます
次の旅日記楽しみです。
今後ともヨロシクです(^O^)
- junemayさん からの返信 2016/09/21 21:07:55
- RE: いやらしい目つきですね
- とし坊さま こんばんは!
キリストが母を見る目がいやらしいって、キリスト教徒が聞いたら冒涜かもしれませんね。まずい・・・
車音痴なんで、フェラーリの博物館も行かずじまいで、価値もよくわかりません。私が住んでいる地域はどこに行くにも電車の方が早いので、我が家の車は2008年に廃車にしたきり、購入していません。もっぱら旅先でのレンタカーのみなので、ずっと怖い優良ドライバーです。てへっ!
あと残り1週間のイタリア。今後ともよろしくお願いいたします。
junemay
> キリストも男だったのですね(笑)
>
> ちょっとおかしな目ですよね
>
> でも ほんまに素晴らしいですね イタリアって
>
> こんなにたくさんのモザイク画が残っているとはね(^O^)
>
> モデナといえばフェラリーですよね フェラリー欲しいけど買えないので
>
> DeAGOSTINIのフェラリー買いました NO1 NO2を2台買って満足してます
>
> 次の旅日記楽しみです。
>
> 今後ともヨロシクです(^O^)
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