2016/05/12 - 2016/05/12
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frau.himmelさん
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ハンブルクから日帰りで世界遺産の街リューベックにやってきました。
前編ではリューベックの有名な観光処、ホルステン門・市庁舎・マリエン教会などを中心とした街歩きをして、
昼食は、まさにハンザ都市らしい船乗り同業者組合のシッファーゲゼルシャフトでお魚料理をいただきました。
ところで、リューベックは3人のノーベル賞受賞者を輩出した街だったのですね。
その3人の受賞者とは、
トーマス・マン ノーベル文学賞受賞(1929年)
ヴィリー・ブラント ノーベル平和賞(1971年)
ギュンター・グラス ノーベル文学賞(1999年)
この3人、それぞれの立場でナチスと深いかかわりがあったことはとても興味深いことでした。
後編では3人のノーベル賞受賞者と、中世の街並みの中の迷路のように入り組んだ通路と言うか、リューベック特有の『ガング』をご紹介します。
このガングのことは4トラ会員のutamiumiuさんの旅行記でその存在を知り、行ってみたいと思っていました。
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まず3人のノーベル受賞者から。
時間を少し戻しまして、さきほどマリエン教会の後にトーマス・マンの博物館「ブッデンブロークハウス」を訪れました。
トーマス・マンがこの家を舞台にして執筆した小説「ブッデンブローク家の人々」はノーベル文学賞の対象作品になっています。 -
ファサードには、この家の歴史が刻まれています。
トーマス・マンは1875年リューベックの裕福な豪商の家系に生まれました。
この家は祖父によって建てられたものです。
祖父も父もリューベックの名士で、兄ハインリッヒ・マンは著名な作家です。 -
現在、この家は、トーマス・マンとハインリッヒ・マン兄弟の博物館になっています。
-
ここが入口です。
中に入るのはやめました。
こういうところに入ると時間を忘れてしまうシニアたちですから。
それに恥ずかしながら私は彼の小説を読んだことはありません。
ただ、昔々、私がまだ幼かった頃、祖父の書棚に「魔の山」の立派な装丁の本があったことは覚えています。てっきり冒険小説かと思っていました。
それと、ヴィスコンティ監督の有名な映画「ヴェニスに死す」は見ました。マーラーの音楽が今でも耳に残っています。
それくらいかな・・・。 -
ショーウィンドーに飾ってあった書籍。
「マン家の人々 〜ある家族の歴史」(私の拙訳)。
トーマス・マンが16歳の時父親が死亡しマン商会は解体。
一家はミュンヘンに転居します。
一足遅れてミュンヘン入りしたマンは働きながら小説の執筆を続け、認められるようになります。
そして1901年発表した「ブッデンブローク家の人々」がベストセラーになり、これがのちにノーベル文学賞の受賞理由として挙げられたのです。 -
マンは1905年にユダヤ人の女性と結婚し、6人の子どもに恵まれました。
政治的にはヴァイマル共和国を積極的に擁護していましたが、1933年にナチスが台頭すると反ナチスを唱えます。
1936年、ドイツ国籍及び財産を奪われスイスに亡命しました。
その後も国外からドイツ国民に向けてナチスへの不服従を訴え続けました。
そして1955年80歳で亡くなりました。
彼の葬儀ではヘルマン・ヘッセが別れの言葉を述べたそうです。 -
ここにもナチスの被害者が。
ブッデンブロークハウスの前で「躓きの石」を見つけました。
ERICH MUESAM。
調べてみたら、彼はユダヤ人の家系としてこの家の近くで生まれました。
ドイツの作家、及びアナーキストだったそうです。
1934年オラニエンブルクの強制収容所で亡くなっています。
結構早い時期ですから、ユダヤ人としてでなく政治犯として収容され、処刑(?)されたのでしょうね。 -
リューベックが生んだ2人目のノーベル賞受賞者はヴィリー・ブラントです。
まだ私たちの記憶に新しい政治家です。
冷戦の緊張のさなか、その中心都市ベルリンで、1957年から西ベルリンの市長を務め、のちに西ドイツの連邦首相になった人物です。 -
1971年ノーベル平和賞を受賞しています。
受賞理由:東ドイツを含めた東欧諸国との関係正常化を目的とした、彼の東方外交に対して。
実は、今回の旅で、ベルリンでもヴィリーブラント記念館を訪れています。
彼のベルリン時代、その後のことはベルリン編で報告します。
ここでは彼の幼少時代・青年時代のことを。 -
ブラントは1913年リューベックで私生児として生を受けました。
本名はヘルベルト・フラーム。
キリスト教会は私生児には冷たかった。
近くの教会では洗礼も受けさせてもらえず、母親は市内の離れた教会まで行き洗礼を受けさせたそうです。 -
育ての親である母方の祖父がドイツ社会民主党(SPD)の党員であったため、ブラントもその影響を受け、17歳でSPDに入党します。
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しかし血気盛んな彼は急進左派に属し、SPDと決別して、ドイツ社会労働者党(SAP)に入党しました。
SPDの奨学金を受けるはずだった彼は、それが受け取れなくなり進学をあきらめます。 -
地元の造船所で働きながら、政治活動は続けておりました。
-
1933年にナチスが政権樹立。
リューベックの街もハーケンクロイツの旗一色に染まりました。
ナチスによりSAPの活動が禁止されたため、ブラントは地下で反ナチス活動を続けました。 -
しかし、SAP指導者の指示により、ブラントはノルウェーに渡ります。そこでは、政治活動の傍らジャーナリストとしても活動していました。
1938年にはナチスによりドイツ国籍をも剥奪されたためノルウェーの国籍を取得します。
しかし1940年にドイツ軍がノルウェーを占領したとき、スウェーデンに亡命します。
写真はヴィリー・ブラント著「KRIEG in Norwegen」(ノルウェーの戦争)。 -
1945年ドイツの敗戦。
リューベックの街も甚大な被害を受けました。
写真は終戦当時の市庁舎とマリエン教会。
敗戦後、ブラントはスウェーデンの記者としてドイツに帰国。
1946年に故郷リューベックでSPDの再建を知り、1948年にドイツ国籍の再取得。 -
舞台をベルリンに移してからのブラントは、ドイツ連邦議会議員・ベルリン市会議員などを経て1957年には西ベルリン市長となります。
時はまさに世界が真っ二つに別れていた冷戦時代。
西ベルリン時代のことは、この後、ベルリンでヴィリーブラント記念館を訪れる機会がありましたので、ベルリン編で報告します。 -
写真は初代西ドイツ首相コンラート・アデナウアーとヴィリー・ブラント。
1961年ブラントは連邦首相候補としてSPDより出馬します。
政敵のキリスト民主同盟(CDU)のアデナウアーは、選挙戦の最中、ブラントが私生児であることや、大戦中はスウェーデンに亡命中であったことなど、彼の過去を暴露します。
しかしブラントは一切動じませんでした。 -
1969年、ブラントはSPD初の西ドイツ首相となります。
そして1970年12月7日、ワルシャワを訪れワルシャワゲットーの英雄記念碑前でひざまずき、ナチス・ドイツが起こしたユダヤ人虐殺について謝罪の意を表しました。
この写真はあまりにも有名ですよね。
状況は違えど、先ごろオバマ大統領が広島の原爆の碑を訪れたのと同じものを感じました。 -
1971年、ブラントはノーベル平和賞を受賞します。
受賞理由は、
『東ドイツを含めた東欧諸国との関係正常化を目的とした彼の東方外交に対して』というものです。 -
ブラントと交流があった人々の写真。
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1974年、ブラントの個人秘書だったギュンター・ギョームが、実は東ドイツのシュタージから送り込まれたスパイだったことが発覚し、連邦首相を辞任します。(ギョーム事件)
写真はブラントと、矢印のサングラス男がギュンター・ギョーム -
中庭に出ると、ベルリンの壁が置かれていました。
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ブラントが亡くなったのは、ベルリンの壁が崩壊して3年後の、1992年のことでした。
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見学を終えて外に出たら、中学生くらいの大勢の子供たちが集まっていました。
これから社会科の課外授業でもあるのでしょうか。 -
次はノーベル賞受賞者3人目のギュンター・グラスです。
ケーニッヒ通りからみえるこの教会は聖カタリーネン教会です。
そうだ!
この教会にはあれがあったんだった!
今頃気が付いても遅い。 -
教会の壁には、エルンスト・バルラッハの「聖人の集い」の彫像があったのでした。
2008年の写真より。 -
ギュンターグラス・ハウスの場所が分からなかったので、通りがかりの人に尋ねると、ヴィリーブラント・ハウスと聖カタリーネン教会の間を入ったところにありました。
ヴィリーブラント・ハウスとは裏庭がくっついているくらいの近さです。
この家がノーベル文学賞受賞者ギュンターグラスが晩年まで住んでいた家なのです。 -
ギュンターグラス。
小説家でもあり、劇作家でもあり、版画家でもあり、彫刻家でもあり、それにこの通りのイケメン。
恥ずかしながら私は彼のことを知りませんでした。
ただ映画化された「ブリキの太鼓」は知っていました。 -
1927年、彼は食料品店を営むドイツ人の父とスラブ系の母の間にダンツィヒ(現ポーランド・グダニスク)に生まれます。
17歳のとき、自ら志願して武装親衛隊(ヒトラーを護るナチスの部隊)に入隊しますが、間もなく敗戦。半年間の捕虜生活を送ります。
しかし、長い間このことを彼は封印してきました。 -
その後、働きながら美術学校へ通い、詩や戯曲なども書き、認められて行きます。
そして1959年に発表した「ブリキの太鼓」で一躍有名作家の仲間入り。
批評家としても活躍し、政治家との交流も多く、ドイツ社会民主党(SPD)の応援などで積極的な政治活動でも知られています。 -
そして1999年、ノーベル文学賞受賞。
受賞理由は、『遊戯と風刺に満ちた寓話的な作品によって、歴史の忘れられた側面を描き出した』というもの。
しかし2006年78歳のとき、60年間封印してきたナチスの志願兵であった過去を自ら明らかにして大きな反響を呼びました。
ノーベル賞を返還すべきだとか、生まれ故郷グダニスクの名誉市民の称号を剥奪すべきだとの声も上がりました。
グラスは2015年4月(昨年ですね)、このリューベックで87歳でなくなりました。 -
私達がギュンターグラスの家でワイワイ言っているのを、ニコニコとして見守っていたおじいさんがいました。
彼を見てI女史が叫びました。
「あら!お店の中のお人形、この方と同じ顔をしているっ!」
光が反射してかなり酷い写真ですが、隣のワイン屋さんの店内に立っているお人形、お判りになれますか? -
あらほんと!。
同じ方なのですか?って聞いたら、ニコニコ笑って頷かれました。
一緒に写真を撮ってもいいですか?って聞いたら、ご自分の定位置の椅子に座って快くOKしてくださいました。 -
ネットより拝借した画像。
中央がギュンターグラス・ハウス、その左側ぶどうの看板のお店がおじいさんのお店です。
何か心の中に、ぽっと明かりがともったような出来事でした。 -
次に私達は「ガング:Gang」を探しにやってきました。
4トラベル会員のutamiumiuさんが旅行記でガングのことを書いていらっしゃいまして、次回リューベックに行く機会があったら、絶対行ってみたいと思っていました。
その後、NHKの街歩きでも取り上げていて、ますますその気持ちは強くなりました。
あちらに見える塔は聖ヤコビ教会。 -
Fischergrubeに入ります。
-
表通りは大きな建物が多いです。
ガングってどこにあるんだろう。
NHK街歩きの説明では、
『ガングとは、土地が狭いリューベックでは商人たちは通りに面して大きな館を建てた。その端にトンネルを造り、奥に小さな長屋をいくつも建てて従業員達に住まわせた。』とあります。 -
あれがそうではない?
「Kettner's Gang」って読むのかしら。
ちゃんと表示があります。 -
ここがトンネルの入り口なんだけど、関係ないものが自由に入っていいのかしら。
不法侵入とか・・・。 -
でも入れるようなので行って見ます。
ほんと、狭い路地に小さな長屋がいくつもあって、ひょっこりご隠居さんが出てきそうな、そんな東京の下町のような感じです。 -
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ここにもあります。
なんて書いてあるのか読めない・・・。
ここは自由に入れそう。 -
生活に密着しているというか、よそ様の裏側を覗き込んでいるような申し訳ない感じ。
-
かわいい花壇が造ってあります。
子供が大事に育てている花壇なのかしら。 -
この路地をずっと進むと、向こうの大通りに出るようです。
-
確かに、ガングの入り口がいくつもあります。
NHKの街歩きによりますと、時とともに長屋の数は増え続け、新しいガングが次々に出来ていったのだそうです。
今も街には80箇所以上のガングが残っているとか。
さて次は、グリューナーガングNo.44。 -
でもさすがにここは鉄の柵も閉まっているし、見ず知らずの私達が入ったらまずいわよね。
躊躇していたらちょうど一人の奥様が通りかかりました。
私「ここの中には入れるのですか?」
奥さま「ヤー、ナチューリッヒ!(もちろんですとも)、ここもステキだけどもあちらにもっと大きなガングがあるわよ」
って教えてくださいました。 -
恐る恐る鉄の柵をあけて、細いレンガのトンネルをくぐります。
なんだか迷路みたいで、あちら側には一体何があるのだろうって期待が高まりますね。 -
緑が絡まるステキな空間が広がっています。
この先にはどんな世界が広がっているのか、冒険したい気持ちはヤマヤマなれど、私の足が悲鳴を上げ始めました。
奥様が教えてくれた素敵なガングはK氏I女史にお任せして、私は少しどこかに座ります。 -
私は、地元のお爺ちゃま二人が座っているベンチを少し空けてもらって、一緒に座ります。
カタコトドイツ語でお二人とお喋りしました。
私達も日本のRentner(年金者)なんですよ〜。
お二人とも朴訥なのんびりとしたしゃべり方のおじいちゃま。
な〜〜んにも気を遣わなくていいし、同じベンチに座っているだけで癒されます。 -
リューベックってきれいな街ですね〜と私が言うと、お二人ともとても嬉しそう。
わが町をとても愛しているのね。
なんてお喋りをしていると、日本のシニア二人が戻ってきました。
私は、「チュース!」お別れを言って立ち上がります。 -
リューベックでこんなのんびりとした時間が持てたのも、無理をしてノイエンガンメ強制収容所に行かなかったお陰ね。
ここがさっきおじいちゃまたちが教えてくれたテアターです。
裏側になるようです。 -
さあて、ベンチに座って二人のおじいちゃまとお喋りして少し元気になったところで、もう1箇所行きたいところがあります。
聖ヤコビ教会。
船乗りと漁師のための教会です。 -
この教会は、戦争で破壊されなかったリューベックで数少ない建物の一つです。
私の興味は、ここには歴史的なパイプオルガンが二つも残っていること。 -
K氏が気になる写真を撮っていました。
これは何だと思って調べたら、面白いことが判りました。
1957年に沈没した練習用帆船「パミール号」の救命ボートなのだそうです。
パミール号に乗っていた86名の乗組員のうち、助かったのはわずかに6名だけ。
このボートに乗り込んで助かりました。
再びそういう悲惨な海難事故が起きないようにと、追悼記念碑として残されているとのこと。 -
教会の祭壇は黒と白が基調となった落ち着いた雰囲気。
黒の大理石でも使ってあるのでしょうか、とても豪華に見えます。 -
さて、歴史的なパイプオルガンは、ここにあるみたいです。
案内版があります。 -
これです、これです!
重厚な大きなオルガンです。
このオルガンは1466/1504年作、戦災にも遭わなかったオリジナルのオルガンなのです。
もちろん修復は何度か施されていますが。 -
面白いのは、音の出るパイプの穴は人の口(くち)になぞらえてあること。
また細部の装飾の素晴らしいこと。 -
オルガンを取り巻く多くの聖人達。
-
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もう一台の小さいほうのオルガン。
1467年/1515年に造られたもの。
ドイツの有名なパイプオルガン奏者がこのオルガンでバッハの曲を演奏してレコードを出したことから、広く知られるようになりました。 -
黒が基調の説教壇。
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見事なシャンデリア。
消えかけた柱のオリジナルフレスコ画。 -
リューベックの旧市街中心ですが、十分観光いたしました。
そろそろ帰りましょうか。
でもこれから徒歩で駅まで行くのはさすがに無理。
ブライテ通りからバスに乗ります。
バス代もシュレスヴィッヒ・ホルシュタインチケットでカバーできます。 -
リューベックZOB行き。
-
ZOBとは中央バスターミナルのことです。
リューベックZOBはリューベック中央駅の近くにあります。 -
5時ごろハンブルクに到着。
それから世界遺産のチリハウスを見て、夕食はハンブルク駅前で。 -
ビールはハンブルク産のホルステン。
軽い喉越しは疲れた身体にク〜〜ッと浸み渡ります。 -
-
お料理は、I女史が、「最後の晩餐で、この世の最後に食べたいものを挙げなさい」と言われたらこれ!と言ったシュパーゲル。
そのためにこの時期の旅行にしたのです。
今回初めてのシューパーゲル。
ところが・・・、これが美味しくない。
まるで1回茹でた物を冷凍したみたいなフニャフニャした残念な味。
写真でもそんな感じが伝わってくると思います。
ちょっとこのお店は失敗でした。
まだこれからチャンスは何度でもあるわよと、I女史を慰める。
さて、明日はブレーメンを観光した後フランクフルトに移動します。
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この旅行記へのコメント (7)
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- ハッピーねこさん 2016/08/26 22:09:26
- 奥深い街、リューベック
- himmelさん、こんばんは。
ずい分遅れてリューベック記にコメントさせていただきます。
3人のノーベル賞受賞者の軌跡、美しい教会、そしガング・・・。
2泊しましたのにさらーっとした街歩きしかできなかった私には
うらやましい限りの濃密なお歩きです。
私が見ることのできなかったリューベックの魅力を存分に楽しませていただきましたし、
再訪の意欲もふつふつと沸いてきました。
そう大きくもない街ですが、魅力的な街ですよね。
次への大切なバイブルとさせていただきます。
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2016/08/27 10:26:46
- RE: 奥深い街、リューベック
- ハッピーねこさん、おはようございます。
わーー、たくさんのコメント、ありがとうございます。
最近ハッピーねこさんの旅行記がアップされないので、どうなさったかなーと思っていました。
暇人の私と違って現役でいらっしゃるから、きっとお忙しいのだろうなーと思っておりました。
さて、リューベック、お恥ずかしい限りです。
2泊なさったハッピーねこさんと違ってほんの中心だけの散策で、朝夕のリューベックの街の風情なども経験していませんし、川のほうにも近づいていませんし、宿泊なさったハッピーねこさんが羨ましいです。
> 次への大切なバイブルとさせていただきます。
いやいや、何をおっしゃいます。
チラシ裏の落書きくらいにしておいてください。
himmel
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- ペコリーノさん 2016/08/12 10:01:43
- リューベックのガング
- frau.himmelさん、こんにちは。
北ドイツの旅行、楽しませていただいています。
リューベックは半日ぐらいでさくっと観光して、別な街へ移動しようかと思っていたのですが、なかなか奥が深いのですね。
「ガング」と聞いて思い出すのは、ウィーンの「ベートーベン・ガング」ですが、そういう感じではなく、なかなか入るのに勇気がいる「知る人ぞ知る」というものなんですね。
「マジパン」と「ホルステン門」ぐらいしか知識が無かったのですが、さすが、himmelさん、素敵な旅をされています。
お仲間のお二人も、満足されているのは無いでしょうか。
この後の旅行も楽しみにしています。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2016/08/12 11:45:38
- RE: リューベックのガング
- ペコリーノさん、こんにちは。
暑いですね〜〜〜。
次の旅行の計画策定で、忙しい時ですね。
リューベックにもいらっしゃるのですね。
当たり前ですね、北ドイツに行ってリューベックに行かないなんて。
> 「ガング」と聞いて思い出すのは、ウィーンの「ベートーベン・ガング」ですが・・・
ヘタレな私が諦めた「ベートーベンの小路」のことですね。
あそこも行きたかった〜。
>なかなか入るのに勇気がいる「知る人ぞ知る」というものなんですね。
いえいえそんな大層なものではなく、ガイドツアーでも回っているようです。
ちょっと躊躇してしまう入り口もありますが、何の問題もなく入れるようです。ただ、あの長屋の中では人が生活しているわけですから、大きな声を出すのは・・・と言うことくらいでしょうか。
私は街歩きで紹介していたガングに行きましたが、もっといろいろ素敵なガングがいっぱいあるようです。80か所もあるということですから。
ところで旅行記の中で奥様が教えてくれた「もっと素敵な大きなガング・・・」を調べてみると、私たちがいたグリューナーガングのちょっと先だったのですが、残念ながら私はダウンしてしまって・・・。
今調べると、Baecker Gangのことだったようです。
リューベックに行かれてガング探索をなさるようでしたら、ぜひここにも寄ってくださいね。
自分でできなかったリベンジを人に頼むってどうなのよ、ですね(笑)。
暑さ厳しき折、お身体にはお気を付けください。
himmel
- ペコリーノさん からの返信 2016/12/07 03:05:12
- Re: リューベックのガング
- frau.himmelさん、今晩は。
今、ハンブルクのホテルからです。
今日、リューベックへ行って、Baecker Gangへ行って来ました。メッセージに写真をつけられないのが残念です。
WiFiを使って地図アプリで「BaeckerGang」と入れると、すぐに場所行き方が出ます。そのまま歩くとナビをしてくれます。
Gangと言うのは通り抜けは出来ないのですね。近くのGangを全部見て、戻ったら旅行記にまとめようと思います。
なかなか面白い体験でした。
frau.himmelさんの旅行記のお陰で、リューベックの楽しみ方が増えました。
ありがとうございました。
私はこれからベルリンに移動します。
ご報告まで。
ペコリーノ
-
- ぶどう畑さん 2016/08/11 21:29:24
- またまたタメになりました
- himmelさん
ぶどう畑です。
himmelさんの旅行は、奥が深いですねー。
3人のノーベル賞受賞者所縁の場所を訪れ、詳しい説明に、またまたフムフムと拝見しました。
私もむかーし、「世界ふれあい街歩き」で見て、ガングに行ってみたいと思ってたんです。でも、そんな余力はなくなって、ま、いっか。
船で通った時、とても雰囲気の良かった大聖堂の辺りに行くのも忘れて帰って来てしまいました。(^^;
その番組に出てきた、クルーズ船に乗れて、満足でしたけど。
私の見たリューベックとは違うリューベックをご紹介いただき、ありがとうございました!
- frau.himmelさん からの返信 2016/08/12 10:39:07
- RE: またまたタメになりました
- 毎日暑いですね〜〜(、、、)
いつもコメントありがとうございます。>
> himmelさんの旅行は、奥が深いですねー。
ぶどう畑さんにお褒めいただき恥ずかしいです。
種を明かしますと、撮ってきた写真を見ながら詳しいことは調べているので、現地では何も判っていないのです(汗)。
でも、写真を見ながら改めて調べる作業って楽しいですね。
テレビの街歩きをみると、ほんとに同じ軌道を歩きたくなりますよね。
今回は「ガング」に行けてよかった。
でも後で調べてみると、もっと素敵なガングがいろいろあったのに、テレビで紹介していたところしか行けなくて勿体なかったと思っています。
私たちは旧市街だけを歩いて、十分リューベックの街を観光したつもりになっていましたけど、皆さんのリューベック旅行記を拝見して、やっぱり船に乗ればよかったなーと思います。
毎日暑くて私の旅行記は停滞していますが、これから頑張らなければ・・・。
9月のご旅行、楽しんでくださいね。
himmel
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