2016/07/29 - 2016/08/09
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kazimさん
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トルコでは、メインの空港で大きなテロがあり、続けてクーデターが起きた。長年トルコ行きを繰り返す私も今年はさすがに訪問を迷ったが、現地の友達に「情勢はすでに落ち着き普通に暮らしている」と確約されて気持ちが動き、「甥っ子の婚約式に出よう」と加えられて完全にその気になった。結局、婚約式に出席した東北部のリゼから、さらに奥へアルトヴィンに入り、オルドゥでは20年ぶりの再会、初めて訪れたチョルムと、今年も充実した旅をした。友達の言う通り、国際情勢や国内の政治に関わりなく、人々は楽しく豊かに暮らしている。その庶民に混じるのが私の旅だ。
主な旅程は以下の通り。国内の移動はすべてバス。レートは1リラ35円。
7月29日 夜、成田発。
30日 早朝、イスタンブール着。昼、夜行バスに乗車。
31日 早朝、リゼ着。夕刻からの婚約式に出席。
8月1日 終日、リゼ滞在。
2日 リゼから昼過ぎアルトヴィン着、市内を歩く。
3日 アルトヴィンから夕刻オルドゥ着。旧友と20年ぶりの再会。
4日 終日、オルドゥ滞在。
5日 オルドゥから昼過ぎチョルム着、市内を歩く。
6日 チョルムから夕刻イスタンブール着。
7日 終日、イスタンブール滞在。
8日 夜までイスタンブールで過ごし、深夜便で出国。
9日 夕刻、帰国。
写真はアルトヴィンの街並み。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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成田からのトルコ航空が早朝4時にイスタンブール着。友人宅に直行して数時間を過ごし、昼12時半発の夜行バスに乗り、翌朝6時にリゼに着いた。「日本からトルコまで11時間は長いね」と友人は言うが、「イスタンブールからリゼは17時間半だよ」と私は返す。イスタンブールのウムラニエ地区に住む友人は、ここリゼの出身だ。街の中心から7キロほど南の山に入った彼のお姉さん宅に荷を解く。リゼはお茶の産地として有名で、この家の周りは写真のように一面の茶畑だ。
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彼のお姉さん(写真)の家には、すでに先客が何人かいる。婚約をする2人はイスタンブール在住だが、両家ともにリゼの出身で、親族の多いこの地で式を挙げる。そのために、この地在住の親族宅に式の出席者が分宿している。そのうえ、3年ぶりの帰郷の友人や日本人に会いに近くの知り合いも訪れてくる。
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写真は、友人のお姉さんに加えてその娘で、この3姉妹はいずれも結婚して近くに住んでいる。奥さん方、それぞれ色っぽい表情をなさっていると、私は思う。ほかにも一足早く到着している友人の奥さんや娘などがおり、疲れをとる暇もなく、そんな人たちと広いバルコニーでお茶を飲みながら雑談をして昼を過ごす。
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さらに数キロ南に入った先には、友人のお兄さんの夏の家がある(写真)。茶畑を持っており、夏はその収穫のために数週間を過ごすのだ。古くなった家だが、友人の生家でもあり、「ほんとはここの方がイスタンブールより暮らしやすい」と言う。リゼは涼しく湿気もあり、日本の高原のような気候で、逆に冬は雪が1メートルほども積もる。
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婚約式は夕刻7時からだ。日本から11時間、リゼまで17時間半、この日は早朝6時に着いて夕方を待つ間に、私は時間の感覚がおかしくなってきた。しかし、「日本製のいいカメラを持っているのだから」と写真係を命ぜらた。1本だけ持ってきたネクタイを用意するが、「そんなものを着るのは当人と親だけだ」と言われる。写真はお姉さん宅のベランダからの風景。
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2台の乗用車にぎゅう詰めで市内のサロンに移動し、いよいよ婚約式が始まる。定刻に新郎新婦(婚約の場合も「新郎新婦」でいいのか?)が入場した。新婦のドレスと、新郎のネクタイやチーフの色を合わせているのがおしゃれだ。
リゼ 散歩・街歩き
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入場してすぐに新郎新婦2人だけのダンスが行われた。洋風の曲で、出席者は温かい拍手を送る。スマホのフラッシュに囲まれるのは日本と同じだ。新婦が私の友人の甥っ子で、彼を幼い頃から知っている私も感慨深い。
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しかし、100人ほどの出席者がおとなしく座っているのはここまでだった。曲がトルコ風に変わると、輪になって踊り始める。
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30分ほどして、ケーキ入刀とファースト・バイトが行われ、さすがにその間、出席者は着席して拍手をするが、そのケーキが配られた時には、すでに踊りが再開されている。
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互いの両親からのプレゼント交換みたいなものもあったが、それも数分で終わり、あとはすぐに踊りになる。とはいえ、踊らない人もいる。私の知り合いでは、友人の奥さんと娘が踊らなかった。「なぜ?」と問えば「恥ずかしい」とのこと。そういう感覚もあるのだ。
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イチオシ
しかし、とにかく踊るのがお祝いということらしい。踊りにもいろいろある中で、黒海沿岸独特のものが多く、手をつないだり離したり、その手を上げ下げしたり、決まりがないようであるらしい。テンポの速い曲になると、大きな掛け声を挙げる人もいて、気持ちが高まっていく。
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席は決まっておらず、当初緩やかに男女別になっていた(写真は女性側)が、踊りが続くにつれて、それもまぎれていく。何となくやってきて、いつの間にか帰る人もいる。この人たちも関係者なのか。新郎新婦が全員を確認しているとは思えないアバウトさだ。
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通常、私のような外国人男性に写真を撮られることをためらう女性たちも、私が写真係であることを知ってか、気軽に撮らせてくれる。スカーフをしない若い女性たちは、式の数時間前に家を出て、美容室で髪を整えている。
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結局、夕刻7時に始まった式は、10時過ぎまでで、その間ほぼ踊りっぱなしだった。席にはジュースとクッキーが配られたのみで、あとは併設されているキオスクから出席者が勝手に買う。もちろん酒はなしで、ご祝儀も必要ない。
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そもそも婚約式というのが日本にない習慣だが、トルコでは珍しくなく、数ヵ月後さらに盛大に結婚式を挙げる予定だ。トルコの街には「ドゥユン・サロン」という式専用の施設があり、安く借りられるが、新郎によれば式の総額は約6000リラ(21万円)で、これは給料3か月分くらいか。新婦の衣装と指輪が大部分らしい。
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最後に改めて、新婦・新郎・新婦の妹をアップで。新婦もきれいだが、妹さんもなかなかの美人だ。お姉さんの婚約式に、とても嬉しそうにしていたのが印象的だ。また、この式のためだけに、わざわざイスタンブールから駆け付けた新郎の友人の気持ちも心にしみた。
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朝6時のリゼ到着から、婚約式が終わって帰り着いたのが夜12時。長い1日を過ごした私は翌日アルトヴィンへ旅立つ予定を立てていた。しかし、この国の人は休みとなると朝10時頃まで眠っている。遅い朝食をとり、街を見学した後にバスに乗ることにする。写真はリゼの商店街(ターリヒ・チャルシュ)。
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リゼは人口10万あまり、トルコに81ある県の県庁所在地の1つで、それなりの活気を見せる。お茶の収穫のために、夏は多くの人が滞在している期間らしい。街をしばらく歩いて、お姉さんの娘の嫁ぎ先で食事を呼ばれた。写真はその部屋から見た黒海。
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彼女の家は海沿いの高層マンションの上階で、景色も素晴らしく調度も豪華だ。エアコンも心地よく効いている。そこで供された食事のメインがムフラマ(写真)だった。この黒海沿岸独特の料理に私は目がない。溶けるチーズにトウモロコシの粉を混ぜ、バターの風味をきかせた鍋料理で、スイスのフォンデュと似ているが、イスラムだけにワインは入れない。それでも味に深みがあるのは、チーズがいいのだろう。パンと絡めて食べる。
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これをいただいた時点ですでに午後4時を回り、この日のアルトヴィン行きをやめた。「もう1日いるから、よろしく」と頼めば、彼らも快く受け入れてくれ、改めて翌8月2日、世話になった家を出る。友達はまっすぐイスタンブールに帰り、私は1人寄り道をしながら戻る。今度はしっかりバスを予約した。
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予約したのは「ゴールデン・トゥリズム」という初めて聞く会社だ。10時発のはずがオトガルにバスはない。係員に問えば、10分ほど遅れて到着したバス(トラブゾン発らしい)を指して「これに乗れ」と言う。しかし、車体のどこにも「ゴールデン」とは書かれておらず、「イェシル・アルトヴィン」とあるのみだ。チケットの指定された席には先客がおり「俺の席だ」と言い張る。どうやら「ゴールデン」は客が集まらず、「イェシル・アルトヴィン」に丸投げしたようだ。
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いわばバスの「コード・シェア」だ。係員に尋ねなければ私は乗り損なっただろうし、席は当然ダブル・ブッキング、そのうえ狭苦しい中型バスだ。後に友達に話したら、「田舎だからね」と笑うが、それでも席数は合っているらしく最後方に席を得た。海沿いを行くホパまでの2時間の後は南の山中に分け入り、巨大なダム(写真)とそのダム湖(上の写真)など、沿線風景は変化に富んでいた。リゼから3時間半、25リラ(875円)でアルトヴィンに到着する。
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アルトヴィンはジョージア(グルジア)と境を接するトルコ最北東端の県であり、この街はその県庁所在地だ。街の人口は2.5万人あまり。ここに至ると、はるか遠くまでやって来たという実感がある。
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バスが着くオトガルは、チョルフ川が流れる深い谷の底にある。見上げると、その谷の西斜面に家が段々に並び、街の中心は山のほぼてっぺんにある。
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ドルムシュを拾い、2.25リラ(約80円)で街に向かう。その道がとてつもなく急傾斜で、いろは坂のような、うねうねとしたヘアピンカーブを繰り返しながら登っていく。
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奇妙な街だ。なぜ、こんな山奥に、それも山のてっぺんに人が集まったのか、不思議でならない。私は約15年ぶりの再訪で、この街の奇妙さと景観を楽しみたくて、またやって来た。
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街の中心、すなわち山の上方に宿をとり、坂道を徒歩で下るとする。さいわい歩道が整備されているので歩きやすい。時にはカーブをショートカットする階段もある。
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谷を隔てた対岸の山並みの景観が見事だ。東斜面に家は少なく、切り立った山肌に、こちら側と同じようなうねうねした道がとりついている。
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イチオシ
この写真に、道のうねうね度が最もよく表れているだろう。アルトヴィンの町おこしをするなら、この坂道を利用して、あえて登攀競走をするか、逆にスケートボードで下り降りる競争をすればよいと思う。
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途中、道端の家から家がかかった。トルコでよくあるお茶のお誘いだ。ありがたくいただきながらしばしの休憩をとる。声をかけてきたのは写真左側の女の子だが、スカーフをしていない。
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今年の旅ではイスタンブールを含めて5都市を回ったが、宗教色の強弱が各都市にある。ここアルトヴィンはそれが弱い方で、女性のスカーフ着用率が低く、街で酒が求めやすい。この写真左側の青い看板は酒が買える店だ。
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イチオシ
夕刻、酒を求めて入ったバーには、女性が数人おり「一緒に座っていいか」と尋ねる。それで女性も飲み、こちらの酒も幾分か高くなるシステムだ。聞けば女性は全員ジョージア人とのこと。50キロも東に行けばジョージアであり、この街のトルコらしくない雰囲気は、こうした異国文化によるのかもしれない。ウィキペディアによれば、もともとアルメニア人が多く住んでいたらしい。ちなみに、私がビールをジョッキ2杯にピーナッツ、女性がウォッカ2杯で計65リラ(2300円)だった。そして、女性は全員がトルコ人の好きな横幅の広い方々である。
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当初この街には2泊する計画だったが、リゼで1泊多く過ごしたので叶わなかった。2泊できれば、ここからさらにジョージア方向の山中にあるカラギョルという湖に行きたかった。いつか再訪したときに出かけるとしよう。
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8月3日、10時半アルトヴィン発、黒海沿岸を西に戻り、リゼも越えて18時半オルドゥ着、40リラ(1400円)。ここに来たのは、旧友との20年ぶりの再会のためだ。写真は、途中のドライブインでのありがちな光景。
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私がトルコ旅行を始めた20年ほど前、初めて現地で友達になったのが、この街に住むМさんだった。その後2度ほど訪れたが、彼は引っ越したらしく連絡がとれなくなっていた。しかし、その息子のC君がfacebookで私の名前を探してくれ、今回の再会となったのだ。写真は、一家が営む靴屋の前でМさんと。
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20年の間に、Мさんは引退して年金生活、奥さんも健在で、当時大学生だった娘は結婚して2人の子持ち、デニズリで教員をしている。高校生だったC君がМさんの代わりに靴屋を切り盛りしており、彼らの家は街の中心から、海沿いの埋め立て地らしき住宅街に移っていた。その最上階の部屋で豪華な食事をいただき、20年間の積もる話をする。
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「Мさんとはビールを飲ませる酒場で知り合ったんだよね」とか、「お互い髪の毛がなくなったね」とかで大笑い。何しろ、前の写真で自撮りしているハゲオヤジが、当時高校生だったC君なのだ。食後、黒海沿いの遊歩道を散歩する。よく整備され、海からの風が気持ちよい。
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家が手狭なので、宿泊は彼らの店に近い安ホテルだ。翌朝、料金に含まれているはずの食事場所が見つからず(向かいのビルの2階と後に判明)、街のロカンタを探す。ここの朝食が旨かった。手前がターウク・スユ(鶏のスープ)、左奥のジョッキがアイラン、それにエクメキ(パン)。これにお茶を加えて8.5リラ(約300円)。
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朝の光の中で街の姿を確認して驚いた。20年前は近所でとれるピスタチオだけが名物の、何の変哲もない地方都市だった。ヘーゼルナッツ(トルコ語で「フンドゥク」)は相変わらずで、収穫真っ最中の今は、それに駆り出されて人が少ないというが、街全体の雰囲気が一変している。
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なんといっても街の背後にそびえるボズテペ山へのロープウェー(トルコ語で「テネフェリキ」)が目立つ。トルコでロープウェーといえば、イスタンブール金閣湾の奥と、同新市街のマチカにあるが、その他の都市では寡聞にして知らない。
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イチオシ
10時過ぎに彼らの靴屋に出向くと、すでに営業を始めており、仕事の合間を見つけたC君とともにロープウェーに乗る。往復で10リラ(350円)、8分ほどで海抜500メートルあまりの頂上へ一気に上がる。頂上付近には、アラブ系の観光客が多くみられた。アラブにはない、湿気と涼しさと緑を求めて、最近多くの人が訪れるようになったそうだ。「この後、南の山中の高原に行くんだよ」とのこと。
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20年前は、しこたまビールを飲んだ後の完全な酔っ払い運転で出かけたボズテペ。眼下に広がる黒海とオルドゥの街の絶景は変わらない。ただし、20年前より街が大きく拡がっている。15万人ほどの人が市街に住んでいるらしい。
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山頂でお茶を飲みながら靴屋の仕事について尋ねる。「店は何時から何時まで?」「だいたい10時から20時くらいまでかな」。「休みは何曜日?」「休みはない」。「そりゃ大変だ」「そんなことないよ。仕事しながら休んでいるから」。たしかに、客がいない時は路上に出てお茶を飲みながら近所の商店主らとおしゃべりをして、客が来ると店内に入り相手をする。こういった気楽さはいかにもトルコの個人事業者らしく、日本人が学びたいところだ。。「大変なのは、2か月に1回くらいイスタンブールに飛行機で行って商品の仕入れをする時」とのこと。
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朝食に続いて、この日は豊かな3食になった。ボズテペから降り、C君が案内したのは市内の繁盛するレストランで、トルコ風のピザであるピデを食べた。ひき肉と半熟卵のバランスが抜群だ。そして、夕食は彼の友達とともに海沿いのレストランに行く。
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ここで勧められたのが、写真のギュベチだ。日本語では「シチュー」と訳すしかないが、独特の器で供される。写真は、鶏肉をトマトスープで茹で、溶けるチーズを絡めている。C君が支払ってしまったのだが、12リラ(420円)と記憶している。羊の肉なら14リラ(490円)だったと思う。
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さらに海沿いのチャイ・ガーデンに移り、友との語らいは続く。ここではトルコ・コーヒーを頼んだら、美しい器で出てきた。さらにお茶や水を頼んで遅くまで話し、翌朝、いつかの再会を期して、オルドゥを後にした。この街では女性のスカーフ着用率が極端に低く、街頭では20%程度だったのも記憶に残る。「なぜ」とC君に尋ねても、「いろいろだから」くらいの答えしか返ってこなかった。
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8月5日、9時オルドゥ発、14時半チョルム着、55リラ(1925円)。チョルムを次の訪問地に選んだのは、イスタンブールに戻るのに夜行バスでは辛いために都合のよい中継地がほしく、通常ならアンカラだろうが、知らない街に行きたかったからだ。ここはボアズカレ遺跡への中継地だが私は興味がない。オルドゥのC君も「なぜチョルム? 何もないよ」と断言していたが、それでよい。
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バスはアンカラ行きで、チョルムのオトガルには入らず幹線道路沿いで降ろされた。英語が中途半端にできる車掌に、「Number○○(私の席番号)、Get out!」と言われて降りるのは、怒られているようで心外だった。道を尋ねながら1キロほどスーツケースを転がすと、街の中心の時計塔に出た。この派手な国旗による装飾は、クーデター以後のものと思われる。
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ホテルを見つけて、すぐに数時間の市内散歩に出る。さっそく古そうな商店街を見つけた。店の人に聞けば「ベデステン」だと言う。辞書には「貴金属を扱う囲いのあるマーケット」とあり、貴金属店が起源で店が集まったのだろう。日用雑貨を扱う商店も軒を並べている。
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歩行者天国の近代的な商店街も近くにあった。ところで、写真で分かるように、この街はスカーフ着用率が高く、黒ずくめの人が多い。つまりイスラム色が強く、ビールを売る店を探すのにとても苦労した。
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Googleの地図を頼りに公園を目指していると、印象的な建物に出くわした。手前には「チョルム音楽芸術ギャラリー」の標示があり、奥の塔の手前には「コジャテペ喫茶店」とある。どちらにしろ市営の施設なのだろう。人々の憩いの場になっている。
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公園にたどり着いて、噴水で戯れる子供たちを写した。人口23万の都市なりに整備されている。この日は32℃ほどの最高気温で、陽が高いうちはかなり暑さを感じたが、夕方になると風が涼しい。たしかに観光的には「何もない」が、いい街じゃないか。
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イチオシ
これでチョルム散策は終了。スィミットをかじりながら、やっと探し当てたビールを飲んで、ホテル室内で酔っぱらう。翌日、チョルム10時発、アンカラを経て、イスタンブールのアジア側のターミナル(ドゥドゥル)に20時着、75リラ(2625円)。
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イスタンブールでは長い友達とリゼ以来の再会をし、その家に2泊する。毎年の訪問なので、取り立てて何を見るのではなく、彼の住むウムラニエ地区を散歩し、何を食おうか考える程度だ。今年は写真のマンガル(バーベキュー)・レストランが印象に残る。肉屋のようなショーケースが入口にあり、肉の種類とグラムを指定すれば、バーベキューにして出してくれる。7人で3キロの肉を平らげた。
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ウムラニエ地区は間もなくユスキュダルからの地下鉄М5線が開通し、それを当て込んでか、街の変貌が激しい。特に地下鉄の駅と直結してCan Park(トルコ語では「ジャン・パルク」と読む)という大型ショッピングセンターができ、Hilton Hotelも併設でStarbucksもある。飲み物4杯、ケーキ2つで70リラ(2450円)は、日本並みの価格だ。
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これらに象徴されるように、トルコの発展と変貌は目覚ましい。巨大プロジェクトも続々と行われており、最近ではイズミット湾の長大橋(写真)や、オトルドゥ近くの海上空港が完成した。イスタンブールではヨーロッパ最大級の第3空港が建設中で、地下鉄網の拡がりも著しい。都市間の道路網も整備され、庶民の住宅環境も明らかに改善された。これはすべて大統領エルドーアンの就任以降のことだ。
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日本では、特にクーデター以降、彼の強権的政治姿勢が批判されがちだが、多くの国民が路上に出てクーデターに抵抗したように、庶民たちは、まず軍が政治に介入することに反対で、さらに、大部分がエルドーアンを支持している。彼の姿勢は、欧米的な視線からは非民主的に見えようが、庶民に向けた施策の数々は、この国なりのあるべき政治姿勢ともいえる。何も欧米的な民主主義ばかりが正しいのではない。
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この旅行記の後半には、トルコ国旗が映り込んだ写真が目立つ。クーデター以降、トルコ国民として国を愛し、エルドーアンを支持する姿勢が強まっている。どの街でも夕刻には中心の広場で、そうした立場の人々が集会を開いていた(写真はオルドゥの集会)。そして、8月7日には全国規模の集会が開かれ、イスタンブールのイェニカプでは、エルドーアン自身も出席して100万人が、全国では500万人が集まったという。ニュースの映像では、それが主催者発表とも言えないほどの尋常ならざる人数が集まっていた。
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テロとクーデターで、「トルコは危ない」という固定観念が日本人の中でできてしまった。しかし、シリアと国境を接する地域は別として、基本的に落ち着いている。クーデターは収まったが、ISなどによるテロはまだあるだろう。ただし、それは多くのヨーロッパの国と変わらない。特に、私の場合「外国人だからお金を儲けよう」とたくらむ(一部の)輩がいる観光地ではなく、「外国人だから安くしよう」と考える庶民と過ごすのが好きだ。だから、今後よほどテロがひどくならない限り私はトルコに行く。唯一の心配は、愛国的な集会に集まっている人が固定化し、過激化することだけだ。
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長距離バスとホテルについての情報をまとめる。なお、イスタンブールでは根拠としているアジア側で乗降しているので、エセンレルの大オトガルを使う場合は、1時間ほど余計にかかるはずだ。
・イスタンブール→リゼ Ulusoy社、100リラ(3500円)、17時間半
友人の姉の家に2泊
・リゼ→アルトヴィン (チケットを売ったのは)Golden Turizm社、25リラ(875円)、3時間半
ホテル Mersiven Otel 1泊80リラ(2800円)
・アルトヴィン→オルドゥ Artvin Ses社、40リラ(1400円)、8時間
ホテル Ordu Palas 2泊計90リラ(3150円)
・オルドゥ→チョルム Ulusoy社、55リラ(1925円)、5時間半
ホテル Sera Hotel 1泊85リラ(2975円)
・チョルム→イスタンブール Kamil Koc社、75リラ(2625円)、10時間
友人宅に2泊
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