2016/06/11 - 2016/06/12
46位(同エリア539件中)
ベームさん
6月11日、18日目。6月12日、19日目。
11日、ジュネーヴ市内街歩き、一旦ホテルに戻り休んだ後再開です。
12日は帰国の日。チューリヒ空港からの飛行機です。ジュネーヴ空港からですとスイス一周になりません。チューリヒまで行くことにより一周完結です。チューリヒイン、チューリヒアウト。
ようやく最終回。5月の25日にチューリヒに到着しスイス旅行を始めたのが随分前の事のように思われます。連泊を多くしてなるべく疲れないようにしたつもりですが、やはり生来の欲深さで連日朝から動き回り昼にはもう足が痛くなってしまう毎日でした。旅の後半は帰国の日を指折り数えるようになりました。
ドイツ、フランスそしてスイスと関心のある国を十分愉しんだので体力的にも気力的にも、また好奇心の減退からもこれで海外旅行は打ち止めかなと思っています。
写真はレマン湖とモン・ブラン橋と渡し船。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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地図中央上のチューリヒからほぼ時計回りでスイスを一周しました。
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ホテルで一休みしてまた出かけます。
まずジュネーヴ駅の横にあるノートルダム聖堂に寄りました。 -
聖母聖堂。
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身廊。
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主祭壇。
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主祭壇は聖母マリアです。
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聖母マリアのアトリビュート三日月を踏んでいます。
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大きな聖堂です。
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周りの祭壇。
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綺麗なステンドグラス。
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キリストの生涯を描いているようです。
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駅前からトラムに乗ってイル橋を渡りデュフール広場まで行きました。
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観光ミニトレイン。
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広場に建つアンリ・デュフール将軍像。
アンリ・デュフール:1787~1875年。ジュネーヴ出身の軍人、政治家、都市計画家。1840年代、自由主義カントン(州)と保守派カントンが対立しスイス盟約同盟は分裂の危機にあった。自由主義派はデュフール将軍のもと武力で保守派を抑えスイスの分裂は免れた。分離同盟戦争という。のち赤十字の設立にも寄与した。 -
広場を囲む建物。
ラート博物館。 -
同。
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コンセルヴァトワール・ド・ムジーク/音楽学校。
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同。
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コンセルヴァトワールのポスター。
東洋と西洋の十字路。 -
音楽学校の裏はサクレ・クール教会です。
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サクレ・クール/聖心教会。
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祭壇です。
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聖心。
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後方。
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バスティオン公園。
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バスティオン公園に入ります。
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公園の入り口。
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路上チェスを楽しむ人たち。
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バスティオン公園の並木。
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公園内の胸像。
ジャン・ピアジェ。
スイスの心理学者。1896~1980年。 -
日本語で書かれたプレート。
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ギュスターヴ・モアニエ。1826~1910年。
スイスの法律家。アンリ・デュナン、アンリ・デュフールらと共に赤十字の設立者の一人。 -
公園には長さ100mの宗教改革記念碑があります。
1909年カルヴァン生誕400年を記念して造られました。 -
ジュネーヴというかフランス語圏の宗教改革運動の出来事が描かれているようです。
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中央には四人の宗教改革者。
左からファレル、カルヴァン、ベーズ、ノックス。 -
1598年4月13日ナヴラ公アンリ4世ナントの勅令発布。
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コリニー提督。1519~1572。
1572年8月18日のサン・バルテルミーの虐殺で殺されたユグノー派の首領。 -
オリバー・クロムウエル。1599~1658。
イングランドの軍人、政治家。17世紀半ばのピューリタン革命の際ピューリタンが中心の議会派を率い、王権神授説を振りかざし議会と対立するすチャールズ1世の王党派を破り、国王チャールズ1世を処刑する。 -
ロジャー・ウイリアムス。1603~1683。
17世紀イギリス生まれの神学者。のちアメリカ、ニュー・イングランドに移住。
プロテスタントの一派バプテスト教会のアメリカでの創立者。 -
ルネ・ルイ・プラショー通り。
宗教改革記念碑の裏側から坂を登れば旧市街地に続いています。 -
古い街なみです。
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古い建物が狭い道の両側にひしめいています。
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リュー・ド・ロテル・ド・ヴィル/市庁舎通り。
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市庁舎通り。
左の門のあるブロックがギュスターヴ・アドール生家。
右の出っ張ったブロックはアグリッパ・ドービニエが亡くなった住まい。 -
ギュスターヴ・アドール生家。1845~1928年。
スイスの人道主義者、政治家。永年赤十字国際委員会の会長を務める。 -
アグリッパ・ドービニエのジュネーヴでの住まい、1630年ここで死去。
1552~1630年。 -
「アグリッパ・ドービニエ。ここに住み亡くなった。ユグノーの将軍、詩人、信仰の擁護者。1552~1630年」。
子供のころから熱烈なカルヴァン主義に染まる。アンリ・ド・ナヴァール(のちのアンリ4世)の盟友でユグノー戦争を通じ行動を共にする。
カトリック批判、新教徒の勝利を詠った長編詩「悲愴曲」が代表作。 -
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ジュネーヴ市庁舎。
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中庭。
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市庁舎内のアラバマ・ホール。
1864年8月22日、ここで赤十字国際委員会が提唱した戦傷病者の状態改善に関する条約、第1回「ジュネーヴ条約」が締結されています。 -
アラバマホール。
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市庁舎の回廊。
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市庁舎の向かい、15世紀の穀物貯蔵所、のち兵器庫。後ろの壁画はジュネーヴの3大事件が描かれています。
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ここら辺りジュネーヴの最も古い一角です。
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旧市街地は高台にありレマン湖までずっと下っています。
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プチ・サン・ピエール通りというほんとに狭い通りにタヴェル館がありました。
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タヴェル館入口。
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メゾン・タヴェル。
12世紀のジュネーヴ最古の個人の館。14世紀に再建。名前は当初の持ち主の名に由来しています。現民族博物館。 -
入りました。
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昔の淫売宿の客引き風景。
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館内。
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ジュネーヴの宗教改革者。
カルヴァン。 -
ベーゼ。
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代々のサヴォワ公。
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グラン・リュ/大通り。
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昔はこれで大通りだったのです。
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グラン・リュのルソーと文学の家。
ジャン・ジャック・ルソーの生家です。 -
「ジャン・ジャック・ルソーはこの館で1712年6月28日に生まれた」
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この女性、家の前を往ったり来たり、中を覗いたり、ついに意を決したように中に入って行きました。私も入ります。釣られたわけではありません。
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ルソーと文学の家。
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建物の前の案内板には日本語の説明もありました。
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ジャン・ジャック・ルソー。1712~1778年。
ジュネーヴ生まれの哲学者、作家、作曲家。主にフランスで活動する。
著書で「人は生まれながらにして自由である・・・」と主権在民を主張。フランスの絶対王政を支えてきた君主主義に対立するルソーの人民主義はその後のフランス革命の勃発に大きな影響を与えたとされる。1778年パリ近郊で死去。
ルソーをスイス出身としている文書も有りますが、ルソーの生きていた時代ジュネーヴはスイス同盟に加入していなく、ルソー自身私はジュネーヴ人、と言っています。 -
館内。
主な著書。
「人間不平等起源論」、「ヌーヴェル・エロイーズ」、「エミール」、「社会契約論」、「告白」、「孤独な散歩者の夢想」等。
日本では明治時代中江兆民が「社会契約論」を翻訳した「民約訳解」を出し、自由民権運動に影響を与えた。森鴎外も「告白」を「懺悔録」として翻訳している。 -
マダム・ド・ヴァランス。
ルソーの保護者で愛人。 -
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ゲーテ、ロベスピエール、バイロン、トルストイなどのルソー評がそれぞれの写真の下に書かれています。
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島崎藤村の写真もありました。
藤村はルソー、特に「告白」に大きな影響を受けました。姪(兄の娘、島崎こま子)との不倫を告白した自伝的小説「新生」とか「破戒」にその影響がみられると言われます。
姪との関係を清算するため藤村は1913年(大正2年)逃げるように日本を脱出しパリに住まいます。第1次世界大戦勃発により1916年(大正5年)帰国。しかし帰国後こま子との関係が再燃したと云いますから人間の業の深さに驚きます。
帰国後の1918年にその告白の書として発表されたのが「新生」です。 -
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ゲーテ。
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ロベスピエール。
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バイロン。
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トルストイ。
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ヴォルテール。フランスの啓蒙主義哲学者、作家。1694~1778年。
ルソーの論敵。両者は互いに相手の思想、著作を激しく非難し合った。しかし両者の自由主義思想は共にフランス革命の精神的支柱となり、奇しくも同じ年に亡くなっています。 -
エミールまたは教育について。
ルソー代表作の一つ。 -
「エミール」。
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「告白」。
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焚書。
「エミール」は社会秩序を乱しキリスト教の教えを破壊するものとしてパリで禁書となり、逮捕状も出されたのでルソーは一時ジュネーヴに亡命しています。
お土産にハーブの種入りの栞を買いました。土に埋めて水を遣れば芽が出ます。私の海外旅行の土産はいつもこの程度で金もかからず荷物にもなりません。 -
ルソーの家の少し先にサン・ジェルマン教会があります。
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サン・ジェルマン教会。
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アジア・アフリカ博物館。
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レマン湖の方に降りていきます。
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マルシェ通り。
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リュー・デュ・マルシェ。
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モラール広場。
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広場の花屋さん。
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モラール門。
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レマン湖まで降りてきました。
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モン・ブラン橋。
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湖岸のジェネラル・ギザン通りとベルグ橋。
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大噴水。
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風は弱いようです。
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ホテルに帰る途中、モン・ブラン通りのレストランでスイス最後のビールと夕食。
どうしても西洋の料理に馴染めなく毎日食べ物には苦労しました。食事探しの時は中華の店を世界的に展開している中国人に感謝です。 -
6月12日。
ジュネーヴ駅。
帰国の日です。チューリヒ空港からのフライトです。 -
7:42のICで空港まで乗り換えなし。
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ビジネス客で混むといけないと思い座席予約をしましたが始発でがら空きでした。
後で今日は日曜日だったと気が付きました。 -
ローザンヌ、フリブール/フライブルク、ベルン経由で、ベルンまで先日の逆コースです。それらの駅でたくさん乗ってきて座席はほぼ満席になりました。
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レマン湖、ブドウ畑とお別れです。
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フリブール/フライブルク駅。
先日降り立った駅です。 -
チューリヒ空港駅到着10:42。
ジュネーヴから丁度3時間でした。 -
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自動チェックインの機械の操作に苦労しました。何とか発券できると後ろの客が拍手してくれました。まごついている人も結構いて行列が出来ていました。空港側も案内係りを増やすなどもう少し配慮があればと思います。
スイスフランはもう使うことが無いと思い土産などに使い切りました。 -
チューリヒ空港13:00発スイスエア、LX160便。
成田空港着翌13日7:50です。空港バスで横浜まで。
スイスに来てチーズもチーズフォンデュも食べず、人気の氷河急行にも乗らず、ユングフラウ、モン・ブランにも行かず美術館や著名人の痕跡などを探してうろついている、いささかへそ曲がり者のスイス旅行でした。 -
都市ごとに発行しているトランスポートカード類。ホテルに泊まれば貰えます。
右上からバーゼル、ジュネーヴ、ローザンヌ、インターラーケン。
市内公共交通機関が無料になります。 -
左上:ゴルナーグラート登山鉄道切符。
右上:チューリヒカード。
下:チェントヴァッリ鉄道、パノラマ車乗車券。 -
左上:ザンクト・ガレン、テキスタイル博物館入場券。布です。
右上:ミュスタイア、聖ヨハネ修道院入場券。
中:チューリヒ美術館。
下:バーゼル市美術館。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
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- frau.himmelさん 2016/09/07 20:10:22
- スイス一周の旅、お疲れさまでした。
- 20日間にも及ぶスイス一周の旅、本当にお疲れさまでした。
ジュネーブからではスイス一周にならない、チューリッヒから帰国しないと・・!?
こだわっていますね〜。まさにスイス一周でしたね。
>帰国の日を指折り数える・・
私も一人旅の時はそうでした。そのくせ帰国が近くなるともっといたいと思ったり・・・。
でも海外旅行は打ち止め、なんておっしゃらないでください。
ベームさんがヨーロッパにお出かけにならなかったら、私が寂しくなります。
旅行記を拝見して、参考にさせていただいたり、コメントで旅程の相談をさせていただいたりと、いろいろお世話になりましたもの。
と、言いつつ、私も今回ばかりは参っています。まだ足が本調子ではなく、来年の旅はいまだ白紙状態です。
ベームさんの旅は私の旅(同じような年齢で、旅先で考えることも似たようなこと)と思っております。
お互いにもう少し頑張りましょう。
himmel
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