2016/07/30 - 2016/07/30
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びしゃりんさん
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ある程度、年齢が行くと死生観を思うようになる。
私が、死生観を思うようになったのは、祖母の死を契機にして、般若心経の「色即是空、空即是色」に出会ってからである。
我々の存在は、元々空であるが、他のものと影響しあいながら存在しており、我々が亡くなっても影響されたものがその存在を引き継ぎ、それにより、本来、空であることが否定され、その存在が残ると理解してる。
そして、以上のようなこと柄を、言葉で理解するのではなく、自然と体感できることが、悟りではないのか?と今は考えている。
色即是空、空即是色は二律背反することで、悟るとは二律背反の自己同一化であると、偉い先生が解説していた。
さて、仏教は、空の境地にたどり着くため、各宗派がそれぞれの方法を試みて、空の境地を目指している。
禅も、一つの方法(私はそう考えている)であり、その境地に至ることを、禅では、大悟するという。
大徳寺のを開山したのは、宗峰妙超、大燈国師であり、彼の禅問答の中に「億劫相別れて、須臾も離れず」という言葉がある。大意は、釈尊の教えが分かっていれば、既に釈尊は入滅しているが、実は私は釈尊と片時も離れていないのだよ。ということであろう。
先に触れた二律背反の自己同一化を大燈国師も言っている訳である。
大燈国師以降、大徳寺は、応仁の乱や戦国期において興廃を繰り返すが、その復興に力を貸したのは堺の商人であり、その中でも武野紹鴎、千利休ら、堺の茶人達と深く結びついて大徳寺の茶づらと言われるようになった。
戦国期の武将も、茶道と縁の深くなった大徳寺の発展に寄与し、他方で当時の絵師は、塔頭に将来国宝となる障壁画等を多数残した。
塔頭聚光院には、狩野派の障壁画が多数あり、特別公開に伴い大徳寺を訪ねてみた。
狩野派の絵師達は、既に、遠い昔に亡くなっているが、彼らが精根込めた作品を見て、彼らの絵に込めた気持ちを感じることが、まさに、億劫相別れて、須臾も離れずと思って、狩野派の絵を観賞した訳である。
まずは、金毛閣から
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- その他
-
金毛閣は利休が増築して完成させたことで有名である。
そもそも、金毛とは、金毛の獅子のことを指し、修行を積んだ高僧という意味を持つ。
獅子の吼える姿を、高僧の説法と捉え、獅子の中でも金毛は最高の獅子という考え方から、金毛が修行を積んだ立派な高僧という意味になる訳である。
この金毛閣の南に唐破風の立派な勅使門がある。 -
立派な勅使門であるが、建物全体の色は黒っぽい。
総じて大徳寺の建物は、この黒っぽい色で統一されており渋味を感じるが、色について見れば、朱塗りは、先の金毛閣のみとなり、その点においては、際立った建物になる。
利休は、建物の色において、大徳寺境内に金毛閣を配置することで、二律背反の自己同一化を試みたのではないかと考えさせられてしまう。
周知のことではあるが、利休は、金毛閣の二階に自己の雪駄をはいた像を配したことで、不遜であると秀吉の怒りを買い、利休は切腹となりその身は空に帰った。
秀吉が、利休に切腹を命じた理由は、金毛閣の二階の像であると一般的に言われてるが、私は、家康が、大阪の陣を起こすために方広寺の鐘の文字を以て豊臣方に因縁をつけたのと同様に金毛閣の利休像もただの因縁だと思っている。
既に、秀吉の側において、利休を排除する方針は決まっており、その理由を探していたところ金毛閣に利休の像がある事を聞きつけて「これだ」と因縁を付け、利休を排除したと考える方が自然ではないだろうか。 -
本朝無双禅苑の御朱印は大徳寺の宗務本所で頂ける。
読んで字のごとく、日本で随一の禅寺という
意味であり、大徳寺の気風を感じる。 -
宗務本所と書かれた門をくぐると
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宗務本所の建物が見えるが、建物の前の小さい砂利でさえ、整えらている。
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注目すべきは戸の桟に障子紙が貼られていないことである。
昔、中国の禅寺で冬に障子紙を貼っていない桟から雪が降り込み、部屋が雪に輝いたのを真珠が輝いているようだという方会雪屋の故事になぞらえて、宗務本所の戸にも障子紙を貼っていないだろうと思う。
更に、この方会雪屋の故事から一休禅師が命名した塔頭がある。 -
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それが真珠菴であるが、残念ながら普段は非公開である。
そろそろ拝観の予約時間が来たので、聚光院に向かうことにした。 -
拝観予約は、午前10時半から、既に、人が並んでいる。
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受付で予約時間のチェックを受けて、いざ聚光院へ。
一組は約20名程度。 -
ここから先は撮影禁止です。と案内の人が言ったので、ここから後になる聚光院修復図などを撮影した。
聚光院は、通常、障壁画のレプリカを配しているのだが、この期間は、美術館に展示している本物の返還を受け展示しているとのこと。
それゆえ振り返るときに肩にかけているバック等で絵が傷つくのを避けるため、全てのバック類は手荷物預り所に一時保管となる。
当然、障壁画は撮影禁止なので、以降はポストカードを買ったので、その撮影写真をアップする。 -
ますは、狩野永徳筆、花鳥図
床は漆塗り。 -
花鳥図の中の梅の木。ある意味粗く、ある意味力強さを感じる。
書でいう行書体をイメージしているとのこと(案内のお姉さんの説明より) -
琴棋書画図。絵には琴を奏でたり、碁を楽しむ姿が山水画風に描かれているが、実は、本来、彩りが施されていて、華やかな絵であったのが、400年の歳月を経て色落ちして、現在の色彩になっている。
花鳥図が行書体であるのに対して、琴棋書画図は、楷書体の作風と言われている(案内のお姉さんの説明)
なるほど、近くで見れば、岩や木の輪郭が太く描かれ、楷書という感じがする。 -
竹虎猿遊図の猿遊の部分。
私が一番気にいった作品である。
狩野派は、狩野元信、狩野松栄、狩野永徳と続くが、元信が、狩野派の画風の基礎を築き、松栄、永徳に引き継がれる。
特に、元信は、孫の永徳が持つ絵に対する天賦の才を見いだし、幼い頃から英才教育を施した。
猿遊図は、永徳の父にあたる松栄の作品である。
絵を見れば、木の上に白い猿がいるが、これを元信、左下の母親に抱かれた小さい白い子猿を永徳、そして左端のひがんだ顔している猿を松栄に見立ているのではないかと言われている。
つまり、父・元信、子・永徳の天才に挟まれて、自分はひがんでいるんだよとして、松栄が描いたものと伝わっている。
ひがんだ猿の顔が、凄くユーモラスで愛着がわく作品である。 -
最後は千住博先生による「滝」であるが、これはポストカードにもなかった。
千住先生が、滝という題材を選ぶのに、試行錯誤、紆余曲折があったらしい。
滝を選んだ理由は、茶に水を使う事と、青という色は、数百年経過しても色褪せず、いつまでも鮮やかな青が残るからだという事らしい。
案内係のお姉さんは、以上の説明をした後、本当に青が色褪せないか、皆さん数百年後にここで会いましょうと言って案内を締めくくった。
お姉さんの言葉は、二律背反の自己同一化を言ってるんだけど、彼女が、そこを分かって言ってるんなら、既に、大悟してる。
次に、細川家の菩提寺、高桐院に立ち寄った。 -
高桐院は、細川忠興が、父・幽斎を弔うため菩提寺としたもの。
門をくぐって、方丈に行くまでの間が凄く絵になる。 -
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拝観可能な塔頭で、玄関を入ってすぐの所に受付があるので、拝観料を払って中へ。
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中へ入ると塔主の書、茶碗とかを展示すると共に売っている。
お値段は、数万円。
喫茶去との書があるが、誰が来ても、どんな時でも、お茶を召し上がれと言った禅師の話から来た言葉。(お茶を飲んで去れと叱咤の意味もあるらしいが)
大意は、誰にでも、別け隔てなく平等に対するという事である。 -
塔頭内は、私の好きな茶掛けが沢山ある。
一鳥啼いて、山、更にしずかなり。 -
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開祖・大燈国師の書、「関」
悟りの境地に至る関門は、なかなか通過できないよ。心して臨みなさいという意味の「関」と理解してる。
間違ってるでしょうか? -
楓の庭、庭から細川忠興の墓に向かう。
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細川忠興と妻ガラシャの墓。
石灯籠は、千利休から貰ったもので、忠興の遺言で墓石の代わりに石灯籠を使っている。
忠興とガラシャが一緒に葬られているのにも興味が湧いた。
忠興の焼きもちは並大抵ではなく、庭師がガラシャを見たという事だけで、その庭師を斬り殺したという話がある。
真偽の程は分からないが、真実であれば焼きもちを通り越して、狂気としか言いようがない。
ガラシャは、明智光秀の娘で名を玉と言い、本能寺の変の後、天王山で秀吉が光秀に勝つと、細川家から丹波の地に幽閉された。
その後、秀吉の取りなしで、玉は、細川家に戻ることになり、忠興が、朝鮮に出陣した際に、キリスト教の洗礼を受けガラシャとなった。
しかし、関ヶ原の戦いの前に、西軍の人質になることを恐れた忠興が、大阪屋敷に残してきたガラシャに死を強要し、それを受け入れてガラシャは神に召される。
長々と書いてきたが、キリスト教に改宗するということは、神とガラシャ一個人が契約したということであり、更に、死を強要した夫と一緒に葬られるのは、キリスト教徒であったガラシャの本望であったのか疑問に感じ、この墓に興味が湧いた訳である。
余談が長過ぎた。実は、この石灯籠の傘の部分が壊れている。 -
まだ、千利休が、この石灯籠を所有していた時、秀吉が、石灯籠を所望した。
すると、利休は、わざと傘の部分を壊して、傷物を殿下に献上するわけには参りませんと断ってしまう。
そういう謂れのある石灯籠を見ていると、利休が、猿には風流が分からんとして、断ったように感じてくる。 -
おりつくばい。
加藤清正が、朝鮮の役において、門の礎石を持ち帰り、これを忠興に贈り、忠興は礎石をつくばいに改良して使ったもの。
先の石灯籠とつくばいは、忠興のお気に入りであり、参勤交代の際、江戸、熊本間を運ばせていたらしいが、風流を通り越して狂気を感じるのは私だけだろうか?
今、一企業の社長が、こんな事をすれば、取締役会、株主総会で叩かれ、部下からは「社長、そんな運搬に金を使うんなら、給料あげてくださいよ」と言われるのがオチではないか。 -
建物に戻って、忠興が愛用した茶室松向軒を見る。
最後に、高桐院を出る時、塔主直筆の色紙があった。 -
花かたらず
花は散るが、その一時の輝きが、永遠の命に繋がるとのこと、ここにも、二律背反の自己同一化があった。 -
次は、瑞峯院に向かった。ここは庭は波のようなうねりがあるので、それを見たさに来た。
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大友宗麟の菩提寺でもある。
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玄関を上がって進むと、一笑との額がかかっていた。
この一笑は、何から取ったんだろう。
一笑、千山、青し。かな? -
重森三玲作、独坐庭
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同じく独坐庭。
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重森三玲作、閑眠庭。
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御朱印を貰った。少々残念な字だが、独坐大雄峰は素晴らしい禅語。
和尚さん、和尚さん、この世で一番有難い事は何ですか?
和尚曰く「わしが、今ここで、どっしりと座っていることが一番有難いわい」とのこと
また、瑞峯院の塔主と少し話が出来た。
「あなた、暑いですか?かかとに体重をかけて背を丸めていてはいけません。爪先に体重をかけて、大きく息をしてごらんなさい。暑さは無くなりますよ」と教えてくれた。
坐禅の際の呼吸法も大きく息をするだったかな、普段から呼吸法にも気を配りなさいとの教えだなと思いました。 -
大徳寺塔頭で最後に訪れたのが、龍源院である。
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龍源院には、秀吉、家康が対局した碁盤などがある。
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それが、これ。
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方丈の一室には、達磨大師の日々是好日の茶掛けがあるし
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龍の襖絵もある。本当に、日々是好日を感じる。
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方丈前庭、一枝担。フランス人が縁側に座って庭を愛でた。
わかるんかな? -
そして、阿吽の庭。ただ、龍源院で最も、驚きかつ嬉しかったのは、庭、襖絵を見れたことではなく
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喫煙所。
えっ?大徳寺の古刹の中に喫煙所?
ベビースモーカーの私には、有りがたく、庭を見ながら煙草を吸わせて貰った。
考えれば、木造建築の古刹、その古刹内の喫煙所。
まさに、二律背反。
で、我を忘れて有りがたく煙草を吸うことが
自己同一化か?と考えながら煙草を吸った。
そして、腹が減って来たので、大徳寺から今宮神社に向かう途中にあるあぶり餅屋に立ち寄った。 -
しかし、暑い。あぶり餅を食うのには、少々暑いのではないか。
-
あぶり餅は旨いが、しかし、暑い、汗が止まらない。
ここにも、二律背反があった。
暑さを感じる事なく、ただ、ただ無心に美味しく頂くことが、自己同一化か?と思いながら、餅をほおばる。
おしまい
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