2016/04/15 - 2016/04/16
8位(同エリア390件中)
MechaGodzillaⅢ&703さん
- MechaGodzillaⅢ&703さんTOP
- 旅行記1805冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 4,026,310アクセス
- フォロワー326人
■熊本大地震に遭遇!旅先を急遽変更!九州大分県から山口・島根津和野へ
∇歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
津和野町は、島根県と山口県の県境にある小さな城下町です。町の中心部を津和野川が流れる細長い盆地です。
津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツにもつといわれています。遠い昔、山紫水明 のこの地に住みついた人々は、群生する「つわぶき」の可憐な花に目をとどめ、その清楚で高雅な風情に魅せられ、自分たちの住む里を「つわぶきの野」… 「つわの」と呼ぶようになったといいます。
石畳の通り養老館前のあたりは殿町と呼ばれ、かつて家老屋敷が隣接していたところです。なまこ塀と掘割りに泳ぐ鯉など、津和野のシンボル的スポットです。
・津和野の歴史
鎌倉幕府の命により、弘安5年(1282)この地に入った能登の豪族吉見頼行は、本拠の津和野城(三本松城)の築城を永仁3年(1295)からはじめ、実に30年という歳月を注いで、その子頼直の正中元年(1325)になって一大山城を完成させました。
津和野を城下集落として、政治・経済の中核としての体制を整え、そして14代約319年間に亙って吉見氏がこの地を治めました。その戦国争乱の世にあって、よく諸強豪の間で、外は臨機策謀よく、内は領民を安堵して郷土開発の基礎をつちかいました。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いには西軍に味方し、戦い敗れて津和野の領地を捨てて長門の萩に退転しました。戦いの後は坂崎直盛が入府し、わずか16年の治世の間に城の整備(織部丸築城)、近世的城下町形成(武家屋敷・町屋敷の町割り)、町内用水路の完成、産業振興等、後世に残した業績は偉大なものがあります。
しかし、有名な「千姫事件」で自刃し、元和3年(1617)因幡の鹿野(現在の鳥取県鹿野町)城主であった亀井政矩が、藩主として津和野に入府し、以後明治維新までの約250年にわたって津和野藩四万参千石のこの地を治め、城下町として栄えました。
嘉永4年(1851)の人数は家中5012人・町方2038人でした。
亀井政矩には兄弟がなく、藩政の相談相手として多胡真清を呼び寄せ、中老の列に加えました。真清は藩主を助け、産業の振興にその経済的才腕をふるって、藩財政を豊かなものにしました。今も町内に点在して残っている段々状の田畑は、主水畑(多胡主水の名をとってつけた名)と呼んでいますが、当時の多胡氏の産業振興のあとを偲ばせています。
また製紙原料の楮の増産を図り、製紙技術をひろく領内に普及し、紙の大量生産をはかりました。この紙を後に藩の専売制とし、売買を藩が一手に行って莫大な収入を得る道を開きました。このため四万三千石の津和野藩は、優に十五万石という経済実力を持つといわれるほどでした。
11代藩主の茲監は幕末の慶応2年(1866)第2回防長征討令が発せられた時、幕府の命に従うか、長州藩に味方するか重大な岐路にたたされました。茲監はよくその中立を保って津和野を戦禍から守るなど、その明敏な達見はみごとでした。
津和野は今に戦国時代から江戸初期の坂崎直盛の近代城下町の伝統を伝えています。津和野の古い町並みは、JR津和野駅の東南にあたる殿町を中心にして本町、祇園町、魚町、久保町、稲成町などへ広がっています。
祇園町から本町へかけて造り酒屋が三軒軒を並べています。どの家も伝統的な商家のたたずまいで、それぞれ杉玉を上げていて、華泉、魁龍、初陣と地酒の清酒を醸造し販売していました。
町並みは半数以上の家屋が伝統的な家の佇まいで、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。津和野の伝統的な民家は切り妻造り、中二階建又は二階建、平入りで石州瓦(桟瓦)の赤瓦葺、二階は白漆喰の袖壁があり、虫籠窓か格子窓が一般的のようです。
殿町では津和野川から引いた疎水が町中を流れ、かっての藩校「養老館」前では鯉が悠然と泳いでいます。
津和野藩校養老館(県史跡)は八代目藩主 亀井矩賢が先代矩貞の遺志を受け継ぎ創設したもので、天明6年(1786)に校舎が下中島堀内の空き地に落成しましたが、嘉永6年(1853)の大火で焼失し、安政2年(1855)に殿町の現在の地に再建されました。
殿町には多胡家老門(県文化財)と大岡家老門が残っています。多胡家老門は昭和28年県道が開通して門と本邸を切ってしまいました。大岡家老門の内側には現在津和野町役場があります。
【 手記 】
アップ時期が3か月半以上ずれてたいへん遅れております。季節に応じてリアルタイムに旅行記をアップしていきたいのですが、ここ最近なかなか時間も取れず作成意欲も湧かずで未だ手付かずの旅行記が山積しております。ご容赦のほど願いま〜す。(あと60ファイルくらい溜まっています。トホホ・・・)
4/15から九州大分方面へ旅行に出かけて行ったのですが、予想もしていなかった事態に遭遇しました・・1泊目の4/16深夜1時半ころ大分のホテルで今回の熊本大地震に遭遇したのです。
翌早朝、大分・熊本県内では繰り返し余震が続き高速道路も通行止め、阿蘇周辺は危険区域でもあり思うように行動できそうもない状況だったので本州へ向けて帰路につきました。この日は前日の地震でほとんど寝れなかった上に長距離走&歩く歩くの連続でホント疲れました。
当旅行記は九州大分県からの帰路途中、山口・島根津和野へ突発的に向かった訪問記です。このたびの車旅の最終編になります。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
■熊本大地震に遭遇!旅先を急遽変更!九州大分県から山口・島根津和野へ
〜山陰の小京都、津和野町並み散策編〜
アップ時期が3か月半以上ずれてたいへん遅れております。当旅行記は九州大分県からの帰路途中、山口・島根津和野へ突発的に向かった訪問記です。
-
▽歴史ある津和野の町並み・民宿星旅館前/島根県鹿足郡津和野町後田
SLやまぐち号編( http://4travel.jp/travelogue/11123716 )のつづきで、このたびの九州〜津和野車旅の最終編になります。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
何度も何度も訪れている津和野の地、さほど新鮮さはないのですが歴史ある古い町並みは魅力いっぱい、SLを追っかけてここまで来たのですから久しぶりに殿町通り辺りを散策してみました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・お食事処みやけ
津和野町は、島根県と山口県の県境にある、小さな城下町です。町の中心部を津和野川が流れる細長い盆地です。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・ちしゃの木
そば看板が横向きになっている。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・福屋
津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツにもつといわれています。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・吉永米穀店(鯉の米屋)
遠い昔、山紫水明 のこの地に住みついた人々は、群生する「つわぶき」の可憐な花に目をとどめ、その清楚で高雅な風情に魅せられ、自分たちの住む里を「つわぶきの野」… 「つわの」と呼ぶようになったといいます。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・吉永米穀店(鯉の米屋)
中庭に大きな鯉がうじゃうじゃいる米屋さんです。
昔の訪問記 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/10436177 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・郷土料理ふるさと
津和野の町を散策するのは久しぶりです。4年ぶりかな。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・葛飾北斎美術館
平成27年4月で閉館となったそうです。しかしなぜ、葛飾北斎の美術館が津和野町にあるのか。それは、初ずりの北斎漫画が津和野で発見されたことによるそうです。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・高津屋
石畳の通り養老館前のあたりは殿町と呼ばれ、かつて家老屋敷が隣接していたところです。なまこ塀と掘割りに泳ぐ鯉など、津和野のシンボル的スポットです。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
津和野の歴史・・・鎌倉幕府の命により、弘安5年(1282)この地に入った能登の豪族吉見頼行は、本拠の津和野城(三本松城)の築城を永仁3年(1295)からはじめ、実に30年という歳月を注いで、その子頼直の正中元年(1325)になって一大山城を完成させました。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・山田竹風軒本町店前
津和野を城下集落として、政治・経済の中核としての体制を整え、そして14代約319年間に亙って吉見氏がこの地を治めました。 -
▽歴史ある津和野の町並み・華泉酒造/島根県鹿足郡津和野町後田
・華泉酒造さん 享保15年創業
その戦国争乱の世にあって、よく諸強豪の間で、外は臨機策謀よく、内は領民を安堵して郷土開発の基礎をつちかいました。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・蔵元橋本本店
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いには西軍に味方し、戦い敗れて津和野の領地を捨てて長門の萩に退転しました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・蔵元橋本本店
戦いの後は坂崎直盛が入府し、わずか16年の治世の間に城の整備(織部丸築城)、近世的城下町形成(武家屋敷・町屋敷の町割り)、町内用水路の完成、産業振興等、後世に残した業績は偉大なものがあります。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・蔵元橋本本店
しかし、有名な「千姫事件」で自刃し、元和3年(1617)因幡の鹿野(現在の鳥取県鹿野町)城主であった亀井政矩が、藩主として津和野に入府し、以後明治維新までの約250年にわたって津和野藩四万参千石のこの地を治め、城下町として栄えました。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・三松堂本町店菓心庵 路地
嘉永4年(1851)の人数は家中5012人・町方2038人でした。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・山陰中央新報社津和野支局
亀井政矩には兄弟がなく、藩政の相談相手として多胡真清を呼び寄せ、中老の列に加えました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・殿町通り
真清は藩主を助け、産業の振興にその経済的才腕をふるって、藩財政を豊かなものにしました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・殿町通り
今も町内に点在して残っている段々状の田畑は、主水畑(多胡主水の名をとってつけた名)と呼んでいますが、当時の多胡氏の産業振興のあとを偲ばせています。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・古橋酒造さん
また製紙原料の楮の増産を図り、製紙技術をひろく領内に普及し、紙の大量生産をはかりました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・殿町通り
この紙を後に藩の専売制とし、売買を藩が一手に行って莫大な収入を得る道を開きました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・三松堂本町店菓心庵
このため四万三千石の津和野藩は、優に十五万石という経済実力を持つといわれるほどでした。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・三松堂本町店菓心庵
11代藩主の茲監は幕末の慶応2年(1866)第2回防長征討令が発せられた時、幕府の命に従うか、長州藩に味方するか重大な岐路にたたされました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・三松堂本町店菓心庵
茲監はよくその中立を保って津和野を戦禍から守るなど、その明敏な達見はみごとでした。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・アマツ絵画館
津和野は今に戦国時代から江戸初期の坂崎直盛の近代城下町の伝統を伝えています。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・殿町通り
津和野の古い町並みは、JR津和野駅の東南にあたる殿町を中心にして本町、祇園町、魚町、久保町、稲成町などへ広がっています。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・沙羅の木松韻亭
祇園町から本町へかけて造り酒屋が三軒軒を並べています。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・沙羅の木松韻亭
どの家も伝統的な商家のたたずまいで、それぞれ杉玉を上げていて、華泉、魁龍、初陣と地酒の清酒を醸造し販売していました。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・殿町通り路地
町並みは半数以上の家屋が伝統的な家の佇まいで、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・沙羅の木松韻亭
津和野の伝統的な民家は切り妻造り、中二階建又は二階建、平入りで石州瓦(桟瓦)の赤瓦葺、二階は白漆喰の袖壁があり、虫籠窓か格子窓が一般的のようです。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・沙羅の木松韻亭
殿町では津和野川から引いた疎水が町中を流れ、かっての藩校「養老館」前では鯉が悠然と泳いでいます。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野カトリック教会
石造りの美しい協会で、その高さで、武家屋敷の中の殿町を歩いても目立ちます。内部のステンドグラスが美しいです。(訪問記 http://4travel.jp/travelogue/10438002 ) -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野カトリック教会
昭和6年、ドイツ人ヴェケレーによって建てられたもので、城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物がひときわ目を引きます。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野町役場津和野庁舎 大岡家老門
武家屋敷のなまこ塀がならぶ、石畳の通りにある町役場です。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野町役場津和野庁舎
大岡家老門の内側には現在津和野町役場があります。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野町役場津和野庁舎
大岡家老門と木造の建物が歴史を感じさせます。現在も庁舎として現役で活躍しているとのこと。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野町役場津和野庁舎
人口 8,427人 世帯数 3,411世帯 (H22年国勢調査) -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野藩校養老館 津和野町民俗資料館
津和野藩校養老館(県史跡)は八代目藩主 亀井矩賢が先代矩貞の遺志を受け継ぎ創設したもので、天明6年(1786)に校舎が下中島堀内の空き地に落成しましたが、嘉永6年(1853)の大火で焼失し、安政2年(1855)に殿町の現在の地に再建されました。
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野藩校養老館 津和野町民俗資料館
全国に名を馳せた幾多俊才を輩出した藩校であり、現在残っているのは武術教場と書庫で建物自体県指定史跡の貴重なる文化財です。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野藩校養老館 津和野町民俗資料館
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野藩校養老館 津和野町民俗資料館
民俗資料館は平成28年4月より休館になっていました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野藩校養老館 津和野町民俗資料館
第13作 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ ロケ現場 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野町民俗資料館
古い武家屋敷やしっくいの土塀が、風情あるたたずまいを見せる殿町。大きな鯉がたくさん泳いでいるのですが、水が濁って見えません。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・旧津和野藩家老多胡家表門
殿町には多胡家老門(県文化財)と大岡家老門が残っています。多胡家老門は昭和28年県道が開通して門と本邸を切ってしまいました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・鷺舞広場
純白の羽根を広げるみやびやかな鷺舞(さぎまい)を模してのモニュメントです。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・鷺舞広場
「津和野の鷺舞」は国の重要無形文化財として指定されています。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・ベストフレンドショップ津和野店 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・稲成神社鳥居
白いツツジがきれい。通称「津和野おいなりさん」。全国で唯一「いなり」を「稲成」と表記するとされています。 -
▽JR山口線鉄橋/島根県鹿足郡津和野町後田
津和野川を跨ぐ鉄橋 ちょうど電車がやってきました。 -
▽弥栄神社/島根県津和野町稲成丁
津和野大橋から太皷谷稲成神社に通じる間に、大鳥居のある弥栄神社があります。7月の祇園祭の神事として奉納される「鷺舞」の舞台として知られています。 -
▽弥栄神社/島根県津和野町稲成丁
町の天然記念物である「弥栄神社の大ケヤキ」 -
▽太鼓谷稲成神社/島根県鹿足郡津和野町後田
太皷谷稲成神社は、安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞かめいのりさだ公が津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するために、三本松城(津和野城)の表鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。
-
▽太鼓谷稲成神社/島根県鹿足郡津和野町後田
鳥居という語源は「通り入る」のつづまったものとか、梵語から来たものと言われますが、一般には俗との境を示すものです。
2010太鼓谷稲成神社訪問記 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/10438002 -
▽太鼓谷稲成神社/島根県鹿足郡津和野町後田
ツルニチニチソウ(蔓日日草)
2007太鼓谷稲成神社訪問記 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/10191341 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・源氏巻き升風軒 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野温泉宿わた屋 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
テクテクと津和野駅方面へ向かう。結構疲れてきた。昨晩は大分で大地震に遭遇したのでほとんど寝ていないのです。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
路地へ入ってみました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
情緒ある家屋が並ぶ -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
-
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・山本風味堂
源氏巻の由来・・・源氏巻は歴史も長く、その由来は元禄の時代までさかのぼります。ときの津和野三本松城主・亀井能登守慈親公は公家吉良上野介義央に辱めを受け、余りの口惜しさに上野介を斬ろうと覚悟します。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・山本風味堂
この事を知った家老の多胡外記は大事に至らぬようにと、機転を利かせて上野介に取り入り、事なきを得たといわれています。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・山本風味堂
この時、家老の多胡 が上野介に取り入るために使った進物、「小判包みの形のお菓子」が 源氏巻の原型になったと言うことです。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・山本風味堂
お土産に源氏巻きを2つ買いました。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・みのや
ユニークな形の屋根ですネ。どこか江戸時代の茶店を思わせる造りの甘味処です。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・みのや
昔、うどんを食ったことがあったな。きな粉・小豆餡・醤油の3種の串だんごがあります。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野駅に停車中のSLやまぐち号 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野町立安野光雅美術館
カッチョイイ!ライダーが通過。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野町警察署 つわぶき安全センター鷺マーク
この日は前日の地震でほとんど寝れなかった上に長距離走&歩く歩くの連続でホント疲れましたー。 -
▽歴史ある津和野の町並み/島根県鹿足郡津和野町後田
・津和野町観光協会
「おー!これはええ写真やなあー!」と思ったところで今回の「熊本大地震に遭遇!旅先を急遽変更!九州大分・山口・津和野車旅編」を終了します。
≪ 完 ≫
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- 哈桑湖さん 2016/12/04 09:22:12
- 赤茶色の屋根
- MechaGodzilla?&703さま
津和野の綺麗なお写真、ありがとうございます。
私は大学3年時に萩・津和野に行きました。
萩の印象は薄かったのですが、津和野の町は屋根瓦の色が赤茶色に統一されていて美しく、本当に来て良かったと思いました。
源氏巻の由来 吉良上野介がかかわっていたんですね。
すごく興味深いお話ですね。
ところで、同じ大学学部に吉良出身の先輩がいました。
初めて挨拶に行くにあたって「あいつの前では吉良上野介の悪口はいうな」と周りからクギをさされたことを覚えています。
地元では上野介は名君で通っており、彼が治水のために築いた黄金堤が今でも残っています。
- MechaGodzillaⅢ&703さん からの返信 2016/12/04 14:31:56
- RE: 赤茶色の屋根
- 哈桑湖さん こんにちは。
お返事遅くなりました。先ほど九州から帰りました。車中泊でいい旅でした。
> 津和野の綺麗なお写真、ありがとうございます。
> 私は大学3年時に萩・津和野に行きました。
> 萩の印象は薄かったのですが、津和野の町は屋根瓦の色が赤茶色に統一されていて美しく、本当に来て良かったと思いました。
> 源氏巻の由来 吉良上野介がかかわっていたんですね。
> すごく興味深いお話ですね。
旅行記見ていただきありがとうございます。津和野へはときたま行きます。屋根瓦は石州瓦でしょうか、中国地方では赤い瓦をよく見かけます。
わたくしが初めて津和野へ行ったのは41年前です。哈桑湖さんが訪れられたのはもう少し前でしょうか?
あの頃の写真を見ると今のように町並みはきれいではないですね。あの頃の昔ながらの町並みこそ味わいがあるような気もしますが…それでは村興しにはならないのでしょう。
> ところで、同じ大学学部に吉良出身の先輩がいました。
> 初めて挨拶に行くにあたって「あいつの前では吉良上野介の悪口はいうな」と周りからクギをさされたことを覚えています。
> 地元では上野介は名君で通っており、彼が治水のために築いた黄金堤が今でも残っています。
吉良上野介はNHKかなんかでやっていましたが、名君・良君だったようですね。源氏巻きの裏話に出てくるとは思いませんでした。それではまたよろしくお願いいたします。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
MechaGodzillaⅢ&703さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
72