2016/05/11 - 2016/05/11
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frau.himmelさん
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ビートルズがまだ無名だったころ、ハンブルクのレーパーバーンで演奏活動していました。
レーパーバーンは世界的に有名な歓楽街。赤線地帯もあります。
ビートルズ世代のシニアたちは、彼らの足跡を探しに妖しい街中に潜入しました。
(以下本文より)
次にストリップ劇場の入り口で店番をしていたおじいさんに聞いてみます。
おじいさんはわざわざ立ち上がって
「ほら、あそこに白いタクシーが停まっているだろう?その前だよ。ちゃんと見えるじゃないか」。
ビックリするほど親切に丁寧に教えてくれました。
お礼を言ってそちらに向かおうとすると「サヨウナラ!」って日本語が返ってきました。
K氏がぼそり
「日本の男性はお得意様なんだね」。
「どうして?」
「だってこの界隈に日本人の男性が大勢来ているから、日本語を覚えたんでしょう。」
さっきの強面のおにいさんにしろ、あのおじいさんにしろ親切でいい人たちでした。
風俗店で働く人だからおっかない人、と決めつけていた私が恥ずかしい。
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奇妙な形のドックラントの船着き場で定期船を降りました。
これもどう見ても船の形ですよね。
オフィスビルだそうです。 -
この坂道を登って高台に行きます。
この上がアルトナー・バルコニーです。 -
ここにも坂道沿いに風変りな形のビルが並んでいます。
-
つづら折の坂道と階段・・、フー登るのがきつい。
特に膝を痛めている私は・・・。 -
でも、登ってよかったー。
丘の上に群生している白い花の向こうには、エルベ川とコンテナ・ターミナルが見えます。 -
右側には、ミニチュアワンダーランドで見たハンブルクで一番長いケールプラント橋も見えます。
本当に長〜〜い。 -
目の前のコンテナも色とりどりで可愛い。
まるで積み木細工のようです。 -
丘の上にはこんなモニュメントがありました。
びっしりと押し合いへし合いしている人々。
ドイツでこういうのを見ると、またホロコースト?
って思うのですが、これは人々の服装からしてもっと前のものようです。 -
興味を持ったら調べずにはおれない私のこと、どういうモニュメントなのか調べてみました。
このモニュメントの題名は「auswanderer」、移民のことです。
最近ドイツに大勢の移民が押しかけて問題になっていますが、こちらはドイツ人が移民として出ていったほうです。 -
よく見ると、前面は船の形をしています。
19世紀半ばから20世紀初めにかけて、国内の不況に見切りをつけて、大勢のドイツ人が新天地を目指してアメリカに旅立ちました。
その数1000万人とも言われています。
人々はこのハンブルクとブレーマーハーフェンの港から希望をもって出発しました。
その記念の像らしいです。 -
頂上にいる人たちの表情は、大きな野望を胸に秘めつつ、意を決してハンブルクの港に別れを告げているように見えます。
アメリカで成功した人の名前を見ると、ドイツ名の人が多いと思いますよね?
当時移民した人たちの子孫なのでしょうね。
日本でも明治時代、新天地を求めてブラジル・ハワイ・アメリカなどへ移民した人は多かったし成功した人も多かったですものね。 -
こういう青銅の像もあります。
ドイツの彫刻家ゲルハルト・ブランデスの作品「漁師」。
それにしても周りの人々の寛いだ雰囲気・・・。 -
あ、失礼!
裸で寝そべっているのかと思った・・・。
私達は「アルトナ市庁舎」と表示があるほうに向かいます。 -
上を見上げるとなんと桜の花・・・。
I女史と「ほらほら、桜の花よ、見てみて!」 -
「この像はどなたかしら?」
なんて盛り上がっていると、一人の女性が私たちに話しかけました。
「あそこに教会が見えるでしょう?素敵だから見たほうがいいわよ」と。 -
鮮やかな可愛い十字架。
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木々の中にちょっと古い教会が見えます。
Christians kirche。
バロック様式のクリスティアンス教会です。
調べてみたら1783年に建てられた大変古い教会です。 -
ただいま工事中です。
せっかくさっきの女性が薦めてくれた教会ですから、中に入ろうと思いましたが、入り口は鍵がかかっていてびくともしません。
残念! -
「Eine Altonaer Familie」。
文中にJueden(ユダヤ人)やHolocaust(ホロコースト)の文字を見つけると反射的に写真を撮ってしまう私。
1584年にユダヤ人がアルトナに始めて入ってから、ホロコーストまで、成功したユダヤ人の家族のようです。
後ほど触れますが、アルトナはユダヤ人が多く住んでいた地域でした。 -
それでは先ほどから気になっていたあの白亜の城に参りましょう。
アルトナ市庁舎です。 -
ここは1843年にアルトナとキールを結ぶ鉄道駅として建てられました。
今でこそアルトナはハンブルク市の一員ですが、1640年〜1864年の間はデンマーク領でした。
19世紀に入ると、アルトナ市はコペンハーゲンに次ぐ第二の都市に発展したほど栄えました。 -
ドイツに比較して自由な空気があったデンマーク領アルトナには、さまざまな人々がやって来ました。
その中には多くのユダヤ人もいました。
先ほどのパネルのように成功したユダヤ人も多かったようです。 -
市庁舎の前にはドイツ初代皇帝ウィルヘルム1世の銅像。
ところがシュレスヴィッヒ=ホルシュタイン戦争(1863-64)で、プロイセン・オーストリア軍に破れてからはオーストリア領に、1867年からはプロイセン領、ドイツ領となり今に続くのです。 -
さあ、次に行きましょう。
バス通りのマックス・ブラウアー通りに出たら、アルトナ市庁舎がやっとこの大きさで写真に入りました。
これでもまだ切れていますから、どれほどの大きさか・・・。
やってきたバスが運よくレーパーバーン駅行き。 -
レーパーバーン。そうです!
世界的に有名な歓楽街。
いかがわしい風俗店や「飾り窓」などもあり、女子供は立ち入りさえ許されない赤線地帯もあるとか。
今回は男性のK氏もいますし昼間だし、好奇心旺盛なシニアたちはものともせずにやってまいりました。
と言っても私達の目的はそんな妖しげ系ではありません。 -
ありましたー!
そうです、私達の目的はビートルズなのです。
ビートルズは、まだ下積み時代、世に出ることを夢見てハンブルクのこの歓楽街で頑張っていた時期があったのです。
ビートルズ世代のシニアたちはそれを知って、行ってみたいね〜と。 -
このお店には、たくさんのミュージシャンのポスターが所狭しと貼られています。
いかにもビートルズの縁の地レーパーバーンらしい。
この近くにビートルズのモニュメントがあるはずなのですが・・・、
それを探してもう少し潜入します。 -
ここは「グローセフライハイト通り」。
ビートルズはこの通りにあったライブハウスで演奏していたそうです。 -
もう少しだけ奥に・・・。
「テーブルダンス」とか「ドールハウス」・・、名前もちょっと凄い!
お店の前でタムロしている人もなにやらちょっと・・・。 -
ここはレーパーバーン通り。
この通りはセックスショップやストリップ劇場、そのほかいわゆる風俗産業が並んでいます。
長い航海を終えてハンブルク港に上陸した船員達が、女性とのひと時を求めてやってきた歓楽街なのです。
港から続くこの通りのことを「世界で最も罪深い1マイル」と呼ばれているそうです。 -
うわっ、凄い!
でもビートルズのモニュメントは何処にあるんだろう?
ちょっとビクビクしながら、ピンクのどぎついハウスから出てきた強面おにいちゃんを捕まえて尋ねます。
このおにいちゃん、顔に似合わずやさしく普通に「あっちだよ!」って私達が来たほうを指差します。
え〜〜、私達あっちから来たんだけどなかったわよね。 -
次にストリップ劇場の入り口で店番をしていたおじいさんに聞いてみます。
おじいさんはわざわざ立ち上がって「ほら、あそこに白いタクシーが停まっているだろう?その前だよ。ちゃんと見えるじゃないか」と。
ビックリするほど親切に丁寧に教えてくれました。
お礼を言ってそちらに向かおうとすると「サヨウナラ!」って日本語が返ってきました。
K氏がぼそりと
「日本の男性はお得意様なんだね」。
「どうして?」
「だってこの界隈に日本人の男性が大勢来ているから、日本語を覚えたんでしょう。」 -
それにしても、さっきの強面のおにいさんにしても、あのおじいさんにしても親切でいい人たちでした。
風俗店で働く人だからおっかない人、と決めつけていた私が恥ずかしい。
あ、ビートルズのモニュメントが見えました。 -
演奏をしているビートルズのかたどりをしたモニュメント。
イギリスのリバプール出身のビートルズ、
まだ有名でない頃、彼らはハンブルクのライブハウスにたびたび巡業で来ていました。
メンバーは4人。
ジョン・レノン(ギター)、ポール・マッカートニー(ベース)、ジョージ・ハリスン(ギター)、リンゴ・スター(ドラムス)。 -
一人ひとりの足元に名前のプレートが付いています。
-
先日ビートルズ来日50年記念の番組をやっていましたね。
ハンブルク時代のビートルズも見ることが出来るかなと思いましたが、残念ながら出ませんでした。
ビートルズが来日したのは1966年6月27日。
世界中にビートルズ旋風が吹き荒れていました。
その頃は、私達シニアもまだうら若き頃。
私達の青春時代はまさにビートルズと共にありました。
(ネット画像をお借りしました) -
ハンブルクのビートルズ下積み時代は、彼らの来日より6年前の1960年から2年間くらい。
1962年10月にレコードデビューをすると、世界中で爆発的な人気を博しました。
それからのビートルズの飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍は、皆様もよくご存知ですね。 -
4人と離れたところで一人だけ立っているモニュメントは?
実は5人目のビートルズがいたのです。
スチュアート・サトクリフ。
絵の才能があった彼は、ハンブルク巡業の後、ビートルズを脱退して恋人がいるハンブルクに残りました。 -
モニュメントの足元のプレート。
しかし彼は1962年4月10日に脳出血により死去しました。
巡業のためにビートルズがハンブルクを訪れる前日のことでした。 -
地面に目をやれば、ビートルズの代表曲がプレートに記され埋め込んであります。
「イエスタディー」、ここには「イエロー・サブマリン」!。 -
ここには「ロックンロール・ミュージック!」。
知っている曲を見つけるたびに、ビートルズ世代のシニアたちは大喜び。
誰からともなく口ずさんだり・・・。
だって私達の青春時代でしたものね。 -
ビートルズ・プラッツ。
下のプレートには、「リバプールから来た世界的に有名なポップグループは、1962年ハンブルクの「スター・クラブ」から有名になった」みたいなことが書いてあります。 -
4+1のビートルズに別れを告げて、次に移動します。
「飾り窓」のほうにも行ってみたいと思いましたが、最も興味津々の私の足がそろそろ疲れてきました。 -
Sバーンのレーパーバーン駅入り口。
地下鉄の入り口のアート。すごい! -
駅舎もド派手!
赤と青の原色の妖しい色使い。
やっぱり夜は近づかないほうがよさそうね。 -
中央駅に到着。
駅前には道路に寝そべっている酔っ払い。
心配して声をかけている女性は治安係?風紀係?
おそろいのブルーの上着をつけています。
ボランティアでしょうか。 -
駅のライゼ・ツェントルムでジャーマンレイルパスを購入します。
I女史がトイレに行ってくると言うので、昨年に引き続きここでもジャーマンレイルパスの検証をしてみます。
本人が不在でもパスポートを預かっていればジャーマンレイルパスは発行してもらえるか。
結果、「ツインパスのもう一人はトイレに行っている」と言ったら発行の手続きを進めてくれました。
ところがそれを受け取る前に彼女が戻ってきたので、正確には出来るかどうか確認できませんでした。
係員は彼女の顔を見たので渡してくれたのかもしれませんし。 -
中央駅で立っていたハンブルクっ子のアイドル「水汲み男フンメルさん」
この後、朝から歩きっぱなしでヘトヘトに疲れたシニアたち。
いったんホテルに戻り一休みして、1時間後に出直します。 -
1時間後に集合して、Sバーンで「シュタットハウス・ブリュッケ駅」へ。
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駅近くの広場にこの方の像が。
手に持っているものは違いますが、台座のあのマークはたしかカール大帝のサインだった・・。
市庁舎のバルコニーにも彼の像はありましたし、「ハンブルク」の基礎を作った人ですから、間違いないでしょうね。 -
ここには、メンデルスゾーンの名前が。
この近くにメンデルスゾーンが生まれた家があったそうです。
こんな素晴らしいビルが・・。
もちろん戦争で焼けましたので新しく立て替えられたのでしょうが、メンデルスゾーン家は、ハンブルクの裕福な銀行家でしたので不思議ではありません。 -
「メンデルスゾーン姉弟坂」とでも言うのでしょうか。
メンデルスゾーン家は優秀な家系で、有名な学者や実業家、音楽家など輩出しています。
しかしユダヤ人の家系だったため、いろいろ言われなき迫害は受けたようです。 -
メンデルスゾーン。
彼が2歳のときに一家はベルリンに移り住みます。、 -
姉ファニーも有名なピアニストでした。
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目の前には高さ132メートルの塔を持つ聖ミヒャエルス教会。
港町ハンブルクの何処からでも目にすることの出来る高い塔。
ハンブルクのシンボルです。 -
教会の前にはマルチン・ルターの像。
-
ここにも水汲み男フンメルさん。
-
聖ミヒャエルス教会。
受付でまず塔に上るチケットを買って・・・。 -
エレベーターのチケット。
シニア割引で一人4ユーロでした。 -
エレバーターで塔に上ります。
エレベーター内の表示。
上空の温度は15.6度。風力3.5メートル。
その他今どの辺を登っているかがわかるようになっています。 -
展望台の上からエルバ川を臨みます。
今日何回も見たコンテナ・ターミナル。
お天気がいいので遠くの風景も望めます。 -
アルスター湖にはヨットが何艘も浮かんでいます。
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エルプフィルハーモニー。
あれ、レンガの上のガラス、あんな色だったかしら? -
世界遺産の倉庫街方面。
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市庁舎と聖ヤコビ教会
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この捩れた奇妙な建物はダンシングタワー。
ラジオ局やナイトクラブ、ホテル、オフィスなどが入る複合ビルだそう。 -
では、教会の中を見せていただきます。
主祭壇。 -
パイプオルガン。
教会の内部は白を基調とした美しいバロック様式、
北ドイツで最も美しいバロック建築と言われています。 -
説教壇の上には天使が一人。
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1933年〜1945年の戦争犠牲者の碑
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長い航海を終えて帰ってきた船乗りたちが最初に目にするのが、このミヒャエル教会の塔です。
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竜(悪者)を退治している聖ミヒャエル
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食事はガイドブックを見てここに行きたいと思っていました。
そのために1日の観光の最後を、聖ミヒャエル教会に持ってきたのです。
ハンブルク名物「ラプスカウス」のおいしいオールド・コマアーシャル・ルーム。
1648年創業の有名店です。 -
ところが係員に「予約はありますか?」。
予約がないと今日はいっぱいでお席が取れません、と。
ガッカリ!
同じように入り口で断られている人が何組もありました。 -
これから新しいレストランを捜し歩くなんてもう無理!
私の足が悲鳴を上げています。
駅の近くで適当に探しましょう。
ちょうど大通りを走っている中央駅行きのバスに乗ったら、このチケットは使えませんと言われました。
1人2ユーロのチケットを買わされました。
どうも急行バスは、ターゲスカルテ(1日チケット)では乗れないようです。
これからハンブルクに行かれる方、お気を付けくださいね。 -
中央駅に着いて、ホテルに向かう道すがら、ミュンヘンのパウラナーのレストランを見つけました。
ここに入りましょう。 -
では、パウラナーのビールで乾杯!
1日お疲れ様でした。
私は小さいビール。このあとワインをいただきたいと思っていますので、これでいいんです。 -
お料理は、I女史と私は白身のお魚を
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K氏はサーモン。
ハンブルクですから、やっぱりお魚料理よね。 -
もう少し食べたい!
ニュルンベルガーソーセージを1皿とってみんなでいただきました。
もちろん、ワインもそれぞれいただきました。
食欲旺盛なシニアたちです。
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