
2015/08/05 - 2015/08/05
14位(同エリア132件中)
ももんがあまんさん
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今回は、「ブザンソン」を出て「ディジョン」まで・・・正味、三泊四日の短い「フランシュ・コンテ地方」の旅を終えて、「ブルゴーニュ地方」に戻ります・・・途中「フランスの美しい村」、「ペスム」を経ての、比較的、短い旅です。
「ブルゴーニュ」の名前は、西ローマ帝国の崩壊前後の5世紀〜6世紀に、この地域を支配した、ゲルマンの一部族「ブルグンド族」に発するとか・・・その最盛期の支配地は、北は、ドイツの「ヴォルムス」あたりから「スイス」の一部を含み、南は、イタリア北部から「プロヴァンス」辺りまで、今日の「ブルゴーニュ」よりはかなり広く、その版図は、今日の「ブルゴーニュ」とは、必ずしも、一致しないらしい・・・「王国」としては、何度か分裂を繰り返し、弱体化するとともに、やがて「フランク族・メロヴィング朝」の配下となり、吸収されていったそうな・・・多分?、一番の有名人は、故郷を追放された、ブルグンドの王女で、メロヴィング朝・初代の王「クローヴィス」の妃となった「聖クロチルド」・・・熱心なキリスト教・アタナシウス派で、旦那の「クローヴィス」を感化したと言われる女人・・・パリの「リュクサンブール公園」で、その姿を見ることが出来ます・・・
現在の、ブルゴーニュ地域圏は、1031年から1361年には、カペー家傍系のブルゴーニュ家が支配し、1363年から1477年にはヴァロワ家傍系のヴァロワ=ブルゴーニュ家が支配した「元・公爵領」、100年戦争の間には、時として「王家」と対立したことも有り、一時は「王家」をもしのぐ大貴族であったものの・・・シャルル突進王(豪胆公、無鉄砲公、猪突公、軽率公などとも呼ばれるとか)が、スイスの傭兵隊との戦いで「戦死」して後(1477年)、フランスからネーデルランドに至る、その巨大な所領は、フランス王家とハブスブルグ家により、分割して、吸収された・・・
表紙の写真は、その過っての「ブルゴーニュ公国」の首府「ディジョン」・・・「ノートルダム教会」の、ゴシックの「怪人たち」・・・王や貴族、人間たちの振る舞いに、呆れているようにも、嘆いているようにも、見えないことも無い・・・
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 船 自転車 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
8月5日(水) Foyer le Oiseaux ブザンソン
宿の窓からの朝焼けです・・・今日は、フランシュ・コンテ地方としては、最後の「フランスの美しい村」である「ペスム」の村を目指します、その後は、ブルゴーニュ地方に入って「ディジョン」を目指す予定。 -
ブザンソン
「城塞都市・ブザンソン」の「城壁」に別れを告げて・・・出発です・・・ -
D 70号線 フランシュ・コンテ
風景はまだまだ「フランシュ・コンテ」が続きます・・・だいぶ。なだらかになってきた気もしますけど・・・ -
D 70号線 フランシュ・コンテ
昨日の雨が、嘘のような「快晴」ですね・・・最近は、だいぶ涼しい日が続きましたけど、今日は、久々に、暑くなるかも・・・? -
D 29号線 Marnay フランシュ・コンテ
川のある村「マルネー」。 -
マルネー フランシュ・コンテ
だいぶ、ブルゴーニュ地方に近ずいて来ましたけれど、まだまだ山国、フランシュ・コンテ地方らしい、素朴な村・・・ホテルも有ります。 -
マルネー フランシュ・コンテ
無名ではありますけど、わりと雰囲気の良い、水辺の村です。 -
D 15号線 フランシュ・コンテ
道端に、花が咲いてます・・・そろそろ、秋の気配でしょうか・・・? -
D 15号線 フランシュ・コンテ
こんな花です・・・コスモスにしては、背が低いですね・・・まだ八月だし・・・? -
Montagnay D 15号線
道端の教会・・・何処だったか、忘れてしまった・・・多分?「モンタネー」の村。 -
D 14号線
変わらず続く、シュラ山麓の゜ジェット・コースター道路」・・・森の中を抜けて走ってます・・・ -
Chaumercenne フランシュ・コンテ
森を抜けての、「ショメルセンヌ」の村・・・その向こうには、また森が有ります。 -
D 12号線 フランシュ・コンテ
森を抜けると、広々とした平原・・・ -
Pesmes フランシュ・コンテ
「フランスの美しい村」136ケ村目「ペスム」に到着・・・ -
イチオシ
ペスム フランシュ・コンテ
万国旗のぶら下がる、村の広場・・・教会の屋根は「ブルゴーニュ風」ですね・・・だいぶ、近くなってきたし・・・ -
ペスム
広場の家並・・・良く似た家屋が並んでますね・・・統一感が有って、それなりに美しくは有るけれど・・・オランダやフランドル地方あたりとは、だいぶ違うような・・・オランダやフランドルの、勝手気ままな「破風」の家並みも、それなりに美しい・・・ -
ペスム
中世の「城門」の跡ですね・・・ -
ペスム
あまり派手さは無い「美しい村」ですけど・・・それなりに味は有ります。 -
ぃglise Saint-Hilaire ペスム
村の教会・・・「サン・ティレール教会」・・・12世紀の「ロマネスク」? -
ペスム
村の路地・・・ -
ペスム
「美しい村」としては、あまり、見どころは無いようなので、カフェで「ビール」・・・なかなか、美味しそうな「グラス」ですね・・・グラスは、食べないけど・・・ -
ペスム
「カフェ」のお客さんが連れていた「ワンちゃん」・・・とても可愛い・・・犬種を聞いたのですけど、フランス語の為、聞き取れず・・・ -
イチオシ
ペスム
ちょっと太めの「ボーダーコリー」でしょうか?・・・「オーストラリアン・シェパード」かも・・・?・・・無茶苦茶、可愛い・・・
追記です スイス原産の「バーニー・マウンテンドッグ」なんだそうです、NOAHさんに、教えて頂きました・・・すぐ隣が「スイス」だし、地元の子なんですね。 -
ペスム
「Office de Tourism」前の広場です・・・露店市が開かれていて、街並みは、上手く撮れない・・・ -
ペスム
村の印象 ★★★ 地図で見ると、川のほとりの村のようです・・・残念ながら、気が付かなかったです・・・川のサイドから見ると、とても「美しい村」だったようです・・・★一つくらいは、増えたと思う・・・Wikipediaの写真は、この川の方角から撮られてます・・・なかなか、美しい・・・残念!
https://fr.wikipedia.org/wiki/Pesmes -
D 15号線 〜 D 20号線 ブルゴーニュ
ペスムの村を過ぎて、D 20号線からは、ブルゴーニュ地域圏になります・・・風景は、だいぶなだらかになってきたような・・・気のせいか・・・? -
ペリニー・シュル・ロニョン ブルゴーニュ
無名ですけど、美しい村・・・ -
D 20号線 〜 D 959号線 Pontaillier sur Saone
「ポンテリエ・シュル・ソーヌ」と言う村に到着、「ソーヌ」と言う名がついてます、と言う事は、「トゥルヌス」の町のわきを流れて、「リヨン」の町で「ローヌ」川と合流する川、その上流と言う事になります。 -
ポンテリエ・シュル・ソーヌ ブルゴーニュ
橋を渡って、村の中へ・・・ -
ポンテリエ・シュル・ソーヌ ブルゴーニュ
もう一つ「橋」が有りました・・・ -
イチオシ
ポンテリエ・シュル・ソーヌ ブルゴーニュ
川岸の風景・・・ -
ポンテリエ・シュル・ソーヌ ブルゴーニュ
「ソーヌ川」の支流の「ベズ川」だそうです・・・ -
D 961号線
そろそろ、「ディジョン」まで、あと20kmですけど・・・また、「森」が有りました・・・また「鹿」の看板が有りましたけど、もうだいぶ、平地に降りてきたしろ・・ホントに、「鹿」が居るのでしょうか・・・? -
D 961号線 ブルゴーニュ
ブルゴーニュは、農業国家フランスの中でも、かなり有名な「農業地域」なのですね・・・土地が広い・・・ -
ディジョン近郊
何処をどう走ったか、やや不明ですけれど・・・自転車で、都会に入るのは、いつも苦労いたします・・・高速道路やら、車がガンガン走る幹線道路を離れて、田舎道ルートから入ります・・・ -
Dijon ブルコーニュ
どうやら到着したようです・・・「ディジョン」の町の端、・・近代・的な新市街ですね・・・何処だか、解りませんけれど・・・? -
ディジョン
標識を確認しながら、とにかく、町の真ん中の「旧市街」を目指します・・・ -
Place de la Republique ディジョン
「共和国広場」です・・・だいぶ歩雰囲気が、良くなってきました・・・まだまだ、町の真ん中の「旧市街」ではないけれど・・・ -
ディジョン
そろそろ「旧市街」らしき街並みになってきました・・・観光客らしき人々も、ゾロゾロ・・・ -
イチオシ
旧市街 ディジョン
断然、良い感じになってきた・・・ -
旧市街 ディジョン
フランスの町・・・と言う感じの「木組みの家」・・・フランスでは「コロンバージュ」、イギリスだと「ハーフ・ティンバー」と言うそうです・・・アルザスやノルマンディーやブルターニュなど、フランス各地にある「木組みの家」ですけれど、其々の土地で、ビミョーに違う気がします・・・アルザスあたりだと、カラフルですけど、ブルゴーニュは「単色」で「渋め」・・・? -
旧市街 ディジョン
町の中心部・・・ブルゴーニュ公の宮殿に向かう道・・・カラフルな旗が並んでます・・・20年前に来たときにも、たなびいておりました・・・まさか、20年間、そのママってことは無いでしょうね・・・汚れるだろうし・・・たまには、洗濯するのか、取り換えるのか・・・? -
Place Francois Rude ディジョン
「フランソワ・リュード広場」と言うそうです、15世紀ころからの、古い建物の多く残る、ディジョン観光の中心、「オフィス・ド・ツーリズム」も、この広場の一角に有ります。 -
ディジョン ブルゴーニュ
「アート」ですね・・・葉っぱ柄の人の顔・・・歴史的な街並みに、似合ってるかどうかの感想は、人それぞれ・・・? -
イチオシ
Eglise Notre-Dame デイジョン
この町で、多分、一番、有名な、13世紀「ゴシック教会」・・・ -
ノートルダム教会
正面「ファサード」に施された、無数の怪人・怪物の「ガーゴイル」が、この教会の特徴・・・どちらかと言えば、平面的な「ロマネスク」のアートに比べ、彫刻は立体的に、建築は、より巨大になってます・・・この教会は、それほど大きくは無いけど・・・ゴシック様式の特徴は、きっちりと現れてます・・・ノートルダム教会 寺院・教会
-
ノートルダム教会
ズームアップ・・・ゴシック教会の建築は、ほぼ12世紀後半から、15世紀辺りまでの中世後期と言われる時代・・・この時代は、ある意味で、ヨーロッパがヨーロッパとしての、独自の文明を作り出した時代とも言われています・・・近代の歴史観から言えば、今日のヨーロッパ文明は、15世紀以降の「ルネサンス」に始まるとされていますけれど・・・現在、そうした見方は、見直されつつあります・・・つまり、12世紀から15世紀の、ロマネスク後半からゴシックと言われるこの時代は、ヨーロッパ文明の、長い長い「助走期間」であり、「ルネサンス」は、その「果実」に過ぎないのだとか・・・ -
ノートルダム教会
ヨーロッパが、この時代に体験したもので、最も重要な事件は、全ヨーロッパ的な「十字軍運動」ですけれど、その意味するものは、より進んだ「イスラム文明」との接触にあったとか・・・但し、それに先んじて、スペインでは「レコンキスタ」の、長い長い戦いが戦われており・・・1085年には、「トレド」が解放されます・・・そして、その「トレド」で発見されたものが、イスラムによって保存されてきた、古代ギリシャの哲学「アリストテレス」だったのだとか・・・ -
イチオシ
ノートルダム教会
6世紀から7世紀ころに造られたと伝えられる「黒い聖母」像。
「トレド」における「アリストテレス」の発見は、全ヨーロッパの知識階級にとっては、大いなる「衝撃」であったとか・・・と言うのは、当時キリスト教世界の知識人たちは、人間の理性と神との関係とか、自然や宇宙に法則は有るか、人間のの自由意思と、その法則の関係は?・・・等々に思い悩んでいたものが・・・発見された「アリストテレス」の書物の中に、すでに、その「回答」が有ったからなのだとか・・・
追記 黒い聖母は、あまり黒くないけれど・・・wizさんによれば、最近、綺麗に掃除されたとか・・・汚れてただけなのね・・・ハハ・・ -
ノートルダム教会
但し「アリストテレス」の多くの学説は、神が無くとも、世界を説明し得る、極めて「理性的」で「科学的」」なものであり、これは、当時の、教会の支配層にとっては、きわめて「危険」な思想でもありました・・・けれど、やがて、キリスト教会は、大いなる「決断」をすることになります・・・つまり、この時代の新思潮である「アリストテレス」と「神」との「結婚」・・・こうした意図のもとに、トマス・アクィナスの「神学大全」が生まれ、中世の「スコラ学」が生まれたのだとか・・・けれど、当時、より先進的文化を持ちながら、イスラムの指導者たちは、ついに、それが出来なかった・・・このことが、両文明の、その後の明暗を分けることになります・・・ -
ノートルダム教会
「アリストテレス」と言えば、プトレマイオスの宇宙論(天動説)を思い出し、ヨーロッパ中世を作り上げた「哲学」と言う「イメージ」が有ったのですけれど・・・それはあくまで、「神」と「アリストテレス」の「結婚」を目指した、キリスト神学と、堕落した「スコラ学者」たちの責任で・・・「アリストテレス」自身の方法論は、あくまで「理性的」「実証的」「科学的」なものであり、15世紀以降の「ルネサンス」を準備したものと言えるのだとか・・・ -
ノートルダム教会
扉口の「ノッカー」・・・これは悪趣味だと思いますけど、面白い事は、面白い。
ともあれ、「アリストテレス」を、決して拒否しなかった「ローマ・キリスト教会」のおかげで、「ルネサンス」と、近代の「文明社会」が生まれたとも言えます・・・キリスト教会にとっては、肝心の「神」との「結婚」の方は、あまり上手く行かなかったようで・・・現在は、別居中か?、離婚したのか?・・・和解は有るのか・・・? -
身廊 ノートルダム教会
「アリストテレス」は、「プラトン」の弟子ではありますけれど、感覚的な現実世界を「混沌」とみなし、超越的で、アプリオリな「イデア」を想起する師匠とは異なり・・・「感覚」によって知覚される、この「現実」の世界は・・・人間が、どれほど、他の世界を欲しようとも、人間が存在することの出来る唯一の場所であり・・・それ自身の内に「理解の可能性」と「価値」を含んでいると、確信していたとか・・・・但し、外面に現れているものは、当てにはならず、「真実」は、常に「隠されており」、人間の知恵は、その隠された、事物の本姓を探り当てるためにあるという点では、師匠「プラトン」に、同意していたとか・・・
因みに、参考文献は、リチャード・E・ルーベンスタイン著「中世の覚醒」(アリストテレス再発見から知の革命へ)、紀伊国屋書店より・・・ -
ノートルダム教会
教会の角に彫られている「フクロウ」の彫刻、「幸福のフクロウ」と言うのだそうなのですけれど、みんなが触っていくので、ツルツルになってます・・・「幸福」はもう、在庫切れかも・・・?・・・因みに、キリスト教会では、こうした「迷信」を信じることは「罪悪」ですので、本来は「告解」すべき対象と成るはずなのですけど・・・・それにしても、ツルツルですね・・・キリスト教と言うのは、「アリストテレス」に限らず、いざとなったら、何でも飲み込む・・・相当に融通無碍な宗教だったのですね・・・ -
ノートルダム教会
教会の天井に「時計台」が有ります・・・有名らしい・・・?
考えてみれば、イタリアの「ルネサンス」において、ローマ教会が果たした役割は、小さくないし、何故、メディチ家のレオ10世が、ミケランジェロやラファエロを保護し、支援したのかの「謎」も、こうした「キリスト教」と「アリストテレス」との「結婚」と言う文脈で見たとき、頷ける気もしますし・・・逆に、「宗教改革」と言われる、ルソーやカルヴィンの、プロテスタンティズムが、常に「宗教原理主義」の匂いを放ち、後の「魔女裁判」の悲劇を、何故引き起こしたか・・・また、そのプロテスタントによって、築かれたはずの「アメリカ合衆国」に、何故「宗教原理主義」と「反知性主義」が、常にはびこるのか・・・アメリカと言うのは、いわば、「離婚」した、「神」と「科学」か、今も、係争中の国家だと考えれば、納得がいくかも・・・ -
ディジョン
大公宮殿の裏庭にあった、多分「フィリップ善良公」の像、百年戦争時代には、フランス王・シャルル7世や、ジャンヌ・ダルクにとっては、敵役ですけれど、「ブルゴーニュ公国」にとっては、最盛期の公爵様で、民生にも力を発揮したのだとか・・・顔つきは、何と言うか、ちょっと、世界最良の「福祉国家」を作り上げていたと言われる、リビアの「カダフィ大佐」に似てますね(ワタクシはカダフィが好き)・・・石油利権を狙う、アメリカやフランスに、その国家を無茶苦茶にされてしまったけれど・・・理性のある人は、顔つきも似るのかも・・・悪相そのものの「J・W・ブッシュ」とか、キング牧師の「物まね芸人」として有名な「バラク・オバマ」の人相とは、大違い・・・
因みに、「ディジョン」の街が、ブルゴーニュの首都となったのは、1031年、ブルゴーニュ公・ロベール1世が公国の首都を、この町に定めたことに始まるのだとか・・・ -
Palais des ducs de Bourgogne ディジョン
こちらが、その「ブルゴーニュ公の宮殿」・・・ -
大公宮殿 ディジョン
見た感じは、何となく、ヴェルサイユ宮殿にも似てますね・・・これは、「ブルゴーニュ公国」の時代(1363年から1477年)の建物では無いのでは・・・?旧ブルゴーニュ公宮殿/フィリップ善良公の塔 城・宮殿
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イチオシ
大公宮殿 翼廊 ディジョン
Wikiで確認したところ、もともとの宮殿は、14世紀に出来たものだそうですけれど、現在の建物の多くの部分と、宮殿前の「開放広場」は、17世紀のルイ14世時代に、建て替えられたのだとか・・・まあ、納得。 -
大公宮殿 ディジョン
現在、中には「市役所」と「美術館」が入ってるのだそうです・・・旧ブルゴーニュ公宮殿/フィリップ善良公の塔 城・宮殿
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Place de la Liberation ディジョン
宮殿前のこの「広場」は、「開放広場」と言って、18世紀に造られたものなのだとか・・・確かに、開放的で、明るい広場です・・・天気も良いし・・・ -
イチオシ
ディジョン
「リベルテ通り」だったと思う・・?・・ディジョンで一番、華やかで賑やかな、メインストリートです・・・ -
リベルテ通り ディジョン
金の獅子の「旗」が翻ってます・・・「紋章」には疎いのですけど・・・ブルゴーニュ家に縁のある「紋章」でしょうか・・・? -
リベルテ通り ディジョン
街並みとしては、このあたりが一番立派・・一つ一つの建物も立派です・・・ -
旧市街 ディジョン
ブルゴーニュらしい、派手な模様の屋根が見えます・・何と言う「模様」なのでしょうね・・・? -
Rue des Forges ディジョン
民家らしき建物も並んでます・・・ -
Cathedrale Saint-Benigne de Dijon ディジョン
「サン・ベニーニュ大聖堂」・・・1280年より100年以上かかって建てられた、「ゴシック様式」の大聖堂・・・地下には、「メロヴィング朝」時代(511年)の「クリプト」が、有るそうです・・・因みに「サン・ベニーニュ」と言うのは、紀元179年、この「ディジョン」の地で、殉教して果てたと伝えられる「カソリックの聖人」。サン ベニーニュ大聖堂 寺院・教会
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サン・ベニーニュ大聖堂
入口゜タンパン」に描かれた「サン・ベニーニュの殉教」の図(上)・・・とてもリアルに描かれています・・・たぶん、それほど古くはない模様・・・ -
サン・ベニーニュ大聖堂
身廊です・・・まあ普通・・・ -
Crypt 地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂 ディジョン
この教会の魅力は、上よりも、治下の、メロヴィング朝時代の「クリプト」にあるようです・・・モザイクの床が、まず目に入ります・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
「クリプト」は、クローヴスの時代(511年)に、発見された「聖ベニーニュ」の遺体を置くために、作られたものなのだそうです・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
ソコソコ大きな「クリプト」です・・・突き当りは、「サン・ベニーニュ」の聖遺物が収められているのかも・・・? -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
「クリプト」内の回廊・・・所々に「石棺」らしきものが、転がってます・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
こちらにも・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
クリプト内の「礼拝所」・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
まだ現役で使えそう・・・秘密の儀式でも、やってそうです・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
なかなか、見ごたえのある「クリプト」ですね・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
「クリプト」の天井・・・何処に抜けてるのでしょう・・・?サン ベニーニュ大聖堂 寺院・教会
-
イチオシ
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
「クリプト」内の「柱頭彫刻」・・・メロヴィング朝時代よりは、多分もっと後の時代なんでしょうね・・・ -
地下納骨堂(クリプト) サン・ベニーニュ大聖堂
「ロマネスク」の時代ほど、キリスト教的でもないし、様式化されているようにも見えない、かなり素朴な「柱頭彫刻」・・・「プレ・ロマネスク」と言われる部類に入るのかも・・・? -
地下納骨堂(クリプト) サン・ベニーニュ大聖堂
これもかなり「ワイルド」・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
かなり古い、各地の「クリプト」で、ときどき見かける「柱頭彫刻」・・・彫りかけて、途中で止めてしまったようにも見えます・・・ -
地下納骨堂(クリプト) サン・ベニーニュ大聖堂
これもそうですね・・・完成品なのかどうかは「不明」・・?・・ でも、とても面白い、見ごたえのある「クリプト」でした・・・
町の印象 ★★★★★ その気で観光すれば、もっともっと、見どころがいっぱいの街だと思います・・・もう、一泊くらいしても良かったかも・・・でも残り二週間を切りましたし、まだまだ行きたい町や村が有るので・・・「ディジョン」は、これで御仕舞。 -
Camping du Lac ディジョン
町はずれの「キャンプ場」11.32ユーロ、観光地なので、少し高めですね、ほぼ満員でした・・・近くに「湖」が有るらしい?・・・とは言っても、フランス語の「Lac」は、タダの「水溜り」の場合も多いです。
本日の走行距離 75.5km/累計3,645.5km 明日からは、いよいよ、ブルゴーニュの本番・・・「フランスの美しい村」137ヵ所目「シャトーヌフ」から「ポーヌ」を目指します・・・
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