2015/08/05 - 2015/08/05
14位(同エリア129件中)
ももんがあまんさん
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今回は、「ブザンソン」を出て「ディジョン」まで・・・正味、三泊四日の短い「フランシュ・コンテ地方」の旅を終えて、「ブルゴーニュ地方」に戻ります・・・途中「フランスの美しい村」、「ペスム」を経ての、比較的、短い旅です。
「ブルゴーニュ」の名前は、西ローマ帝国の崩壊前後の5世紀〜6世紀に、この地域を支配した、ゲルマンの一部族「ブルグンド族」に発するとか・・・その最盛期の支配地は、北は、ドイツの「ヴォルムス」あたりから「スイス」の一部を含み、南は、イタリア北部から「プロヴァンス」辺りまで、今日の「ブルゴーニュ」よりはかなり広く、その版図は、今日の「ブルゴーニュ」とは、必ずしも、一致しないらしい・・・「王国」としては、何度か分裂を繰り返し、弱体化するとともに、やがて「フランク族・メロヴィング朝」の配下となり、吸収されていったそうな・・・多分?、一番の有名人は、故郷を追放された、ブルグンドの王女で、メロヴィング朝・初代の王「クローヴィス」の妃となった「聖クロチルド」・・・熱心なキリスト教・アタナシウス派で、旦那の「クローヴィス」を感化したと言われる女人・・・パリの「リュクサンブール公園」で、その姿を見ることが出来ます・・・
現在の、ブルゴーニュ地域圏は、1031年から1361年には、カペー家傍系のブルゴーニュ家が支配し、1363年から1477年にはヴァロワ家傍系のヴァロワ=ブルゴーニュ家が支配した「元・公爵領」、100年戦争の間には、時として「王家」と対立したことも有り、一時は「王家」をもしのぐ大貴族であったものの・・・シャルル突進王(豪胆公、無鉄砲公、猪突公、軽率公などとも呼ばれるとか)が、スイスの傭兵隊との戦いで「戦死」して後(1477年)、フランスからネーデルランドに至る、その巨大な所領は、フランス王家とハブスブルグ家により、分割して、吸収された・・・
表紙の写真は、その過っての「ブルゴーニュ公国」の首府「ディジョン」・・・「ノートルダム教会」の、ゴシックの「怪人たち」・・・王や貴族、人間たちの振る舞いに、呆れているようにも、嘆いているようにも、見えないことも無い・・・
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 船 自転車 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
8月5日(水) Foyer le Oiseaux ブザンソン
宿の窓からの朝焼けです・・・今日は、フランシュ・コンテ地方としては、最後の「フランスの美しい村」である「ペスム」の村を目指します、その後は、ブルゴーニュ地方に入って「ディジョン」を目指す予定。 -
ブザンソン
「城塞都市・ブザンソン」の「城壁」に別れを告げて・・・出発です・・・ -
D 70号線 フランシュ・コンテ
風景はまだまだ「フランシュ・コンテ」が続きます・・・だいぶ。なだらかになってきた気もしますけど・・・ -
D 70号線 フランシュ・コンテ
昨日の雨が、嘘のような「快晴」ですね・・・最近は、だいぶ涼しい日が続きましたけど、今日は、久々に、暑くなるかも・・・? -
D 29号線 Marnay フランシュ・コンテ
川のある村「マルネー」。 -
マルネー フランシュ・コンテ
だいぶ、ブルゴーニュ地方に近ずいて来ましたけれど、まだまだ山国、フランシュ・コンテ地方らしい、素朴な村・・・ホテルも有ります。 -
マルネー フランシュ・コンテ
無名ではありますけど、わりと雰囲気の良い、水辺の村です。 -
D 15号線 フランシュ・コンテ
道端に、花が咲いてます・・・そろそろ、秋の気配でしょうか・・・? -
D 15号線 フランシュ・コンテ
こんな花です・・・コスモスにしては、背が低いですね・・・まだ八月だし・・・? -
Montagnay D 15号線
道端の教会・・・何処だったか、忘れてしまった・・・多分?「モンタネー」の村。 -
D 14号線
変わらず続く、シュラ山麓の゜ジェット・コースター道路」・・・森の中を抜けて走ってます・・・ -
Chaumercenne フランシュ・コンテ
森を抜けての、「ショメルセンヌ」の村・・・その向こうには、また森が有ります。 -
D 12号線 フランシュ・コンテ
森を抜けると、広々とした平原・・・ -
Pesmes フランシュ・コンテ
「フランスの美しい村」136ケ村目「ペスム」に到着・・・ -
イチオシ
ペスム フランシュ・コンテ
万国旗のぶら下がる、村の広場・・・教会の屋根は「ブルゴーニュ風」ですね・・・だいぶ、近くなってきたし・・・ -
ペスム
広場の家並・・・良く似た家屋が並んでますね・・・統一感が有って、それなりに美しくは有るけれど・・・オランダやフランドル地方あたりとは、だいぶ違うような・・・オランダやフランドルの、勝手気ままな「破風」の家並みも、それなりに美しい・・・ -
ペスム
中世の「城門」の跡ですね・・・ -
ペスム
あまり派手さは無い「美しい村」ですけど・・・それなりに味は有ります。 -
ぃglise Saint-Hilaire ペスム
村の教会・・・「サン・ティレール教会」・・・12世紀の「ロマネスク」? -
ペスム
村の路地・・・ -
ペスム
「美しい村」としては、あまり、見どころは無いようなので、カフェで「ビール」・・・なかなか、美味しそうな「グラス」ですね・・・グラスは、食べないけど・・・ -
ペスム
「カフェ」のお客さんが連れていた「ワンちゃん」・・・とても可愛い・・・犬種を聞いたのですけど、フランス語の為、聞き取れず・・・ -
イチオシ
ペスム
ちょっと太めの「ボーダーコリー」でしょうか?・・・「オーストラリアン・シェパード」かも・・・?・・・無茶苦茶、可愛い・・・
追記です スイス原産の「バーニー・マウンテンドッグ」なんだそうです、NOAHさんに、教えて頂きました・・・すぐ隣が「スイス」だし、地元の子なんですね。 -
ペスム
「Office de Tourism」前の広場です・・・露店市が開かれていて、街並みは、上手く撮れない・・・ -
ペスム
村の印象 ★★★ 地図で見ると、川のほとりの村のようです・・・残念ながら、気が付かなかったです・・・川のサイドから見ると、とても「美しい村」だったようです・・・★一つくらいは、増えたと思う・・・Wikipediaの写真は、この川の方角から撮られてます・・・なかなか、美しい・・・残念!
https://fr.wikipedia.org/wiki/Pesmes -
D 15号線 〜 D 20号線 ブルゴーニュ
ペスムの村を過ぎて、D 20号線からは、ブルゴーニュ地域圏になります・・・風景は、だいぶなだらかになってきたような・・・気のせいか・・・? -
ペリニー・シュル・ロニョン ブルゴーニュ
無名ですけど、美しい村・・・ -
D 20号線 〜 D 959号線 Pontaillier sur Saone
「ポンテリエ・シュル・ソーヌ」と言う村に到着、「ソーヌ」と言う名がついてます、と言う事は、「トゥルヌス」の町のわきを流れて、「リヨン」の町で「ローヌ」川と合流する川、その上流と言う事になります。 -
ポンテリエ・シュル・ソーヌ ブルゴーニュ
橋を渡って、村の中へ・・・ -
ポンテリエ・シュル・ソーヌ ブルゴーニュ
もう一つ「橋」が有りました・・・ -
イチオシ
ポンテリエ・シュル・ソーヌ ブルゴーニュ
川岸の風景・・・ -
ポンテリエ・シュル・ソーヌ ブルゴーニュ
「ソーヌ川」の支流の「ベズ川」だそうです・・・ -
D 961号線
そろそろ、「ディジョン」まで、あと20kmですけど・・・また、「森」が有りました・・・また「鹿」の看板が有りましたけど、もうだいぶ、平地に降りてきたしろ・・ホントに、「鹿」が居るのでしょうか・・・? -
D 961号線 ブルゴーニュ
ブルゴーニュは、農業国家フランスの中でも、かなり有名な「農業地域」なのですね・・・土地が広い・・・ -
ディジョン近郊
何処をどう走ったか、やや不明ですけれど・・・自転車で、都会に入るのは、いつも苦労いたします・・・高速道路やら、車がガンガン走る幹線道路を離れて、田舎道ルートから入ります・・・ -
Dijon ブルコーニュ
どうやら到着したようです・・・「ディジョン」の町の端、・・近代・的な新市街ですね・・・何処だか、解りませんけれど・・・? -
ディジョン
標識を確認しながら、とにかく、町の真ん中の「旧市街」を目指します・・・ -
Place de la Republique ディジョン
「共和国広場」です・・・だいぶ歩雰囲気が、良くなってきました・・・まだまだ、町の真ん中の「旧市街」ではないけれど・・・ -
ディジョン
そろそろ「旧市街」らしき街並みになってきました・・・観光客らしき人々も、ゾロゾロ・・・ -
イチオシ
旧市街 ディジョン
断然、良い感じになってきた・・・ -
旧市街 ディジョン
フランスの町・・・と言う感じの「木組みの家」・・・フランスでは「コロンバージュ」、イギリスだと「ハーフ・ティンバー」と言うそうです・・・アルザスやノルマンディーやブルターニュなど、フランス各地にある「木組みの家」ですけれど、其々の土地で、ビミョーに違う気がします・・・アルザスあたりだと、カラフルですけど、ブルゴーニュは「単色」で「渋め」・・・? -
旧市街 ディジョン
町の中心部・・・ブルゴーニュ公の宮殿に向かう道・・・カラフルな旗が並んでます・・・20年前に来たときにも、たなびいておりました・・・まさか、20年間、そのママってことは無いでしょうね・・・汚れるだろうし・・・たまには、洗濯するのか、取り換えるのか・・・? -
Place Francois Rude ディジョン
「フランソワ・リュード広場」と言うそうです、15世紀ころからの、古い建物の多く残る、ディジョン観光の中心、「オフィス・ド・ツーリズム」も、この広場の一角に有ります。 -
ディジョン ブルゴーニュ
「アート」ですね・・・葉っぱ柄の人の顔・・・歴史的な街並みに、似合ってるかどうかの感想は、人それぞれ・・・? -
イチオシ
Eglise Notre-Dame デイジョン
この町で、多分、一番、有名な、13世紀「ゴシック教会」・・・ -
ノートルダム教会
正面「ファサード」に施された、無数の怪人・怪物の「ガーゴイル」が、この教会の特徴・・・どちらかと言えば、平面的な「ロマネスク」のアートに比べ、彫刻は立体的に、建築は、より巨大になってます・・・この教会は、それほど大きくは無いけど・・・ゴシック様式の特徴は、きっちりと現れてます・・・ノートルダム教会 寺院・教会
-
ノートルダム教会
ズームアップ・・・ゴシック教会の建築は、ほぼ12世紀後半から、15世紀辺りまでの中世後期と言われる時代・・・この時代は、ある意味で、ヨーロッパがヨーロッパとしての、独自の文明を作り出した時代とも言われています・・・近代の歴史観から言えば、今日のヨーロッパ文明は、15世紀以降の「ルネサンス」に始まるとされていますけれど・・・現在、そうした見方は、見直されつつあります・・・つまり、12世紀から15世紀の、ロマネスク後半からゴシックと言われるこの時代は、ヨーロッパ文明の、長い長い「助走期間」であり、「ルネサンス」は、その「果実」に過ぎないのだとか・・・ -
ノートルダム教会
ヨーロッパが、この時代に体験したもので、最も重要な事件は、全ヨーロッパ的な「十字軍運動」ですけれど、その意味するものは、より進んだ「イスラム文明」との接触にあったとか・・・但し、それに先んじて、スペインでは「レコンキスタ」の、長い長い戦いが戦われており・・・1085年には、「トレド」が解放されます・・・そして、その「トレド」で発見されたものが、イスラムによって保存されてきた、古代ギリシャの哲学「アリストテレス」だったのだとか・・・ -
イチオシ
ノートルダム教会
6世紀から7世紀ころに造られたと伝えられる「黒い聖母」像。
「トレド」における「アリストテレス」の発見は、全ヨーロッパの知識階級にとっては、大いなる「衝撃」であったとか・・・と言うのは、当時キリスト教世界の知識人たちは、人間の理性と神との関係とか、自然や宇宙に法則は有るか、人間のの自由意思と、その法則の関係は?・・・等々に思い悩んでいたものが・・・発見された「アリストテレス」の書物の中に、すでに、その「回答」が有ったからなのだとか・・・
追記 黒い聖母は、あまり黒くないけれど・・・wizさんによれば、最近、綺麗に掃除されたとか・・・汚れてただけなのね・・・ハハ・・ -
ノートルダム教会
但し「アリストテレス」の多くの学説は、神が無くとも、世界を説明し得る、極めて「理性的」で「科学的」」なものであり、これは、当時の、教会の支配層にとっては、きわめて「危険」な思想でもありました・・・けれど、やがて、キリスト教会は、大いなる「決断」をすることになります・・・つまり、この時代の新思潮である「アリストテレス」と「神」との「結婚」・・・こうした意図のもとに、トマス・アクィナスの「神学大全」が生まれ、中世の「スコラ学」が生まれたのだとか・・・けれど、当時、より先進的文化を持ちながら、イスラムの指導者たちは、ついに、それが出来なかった・・・このことが、両文明の、その後の明暗を分けることになります・・・ -
ノートルダム教会
「アリストテレス」と言えば、プトレマイオスの宇宙論(天動説)を思い出し、ヨーロッパ中世を作り上げた「哲学」と言う「イメージ」が有ったのですけれど・・・それはあくまで、「神」と「アリストテレス」の「結婚」を目指した、キリスト神学と、堕落した「スコラ学者」たちの責任で・・・「アリストテレス」自身の方法論は、あくまで「理性的」「実証的」「科学的」なものであり、15世紀以降の「ルネサンス」を準備したものと言えるのだとか・・・ -
ノートルダム教会
扉口の「ノッカー」・・・これは悪趣味だと思いますけど、面白い事は、面白い。
ともあれ、「アリストテレス」を、決して拒否しなかった「ローマ・キリスト教会」のおかげで、「ルネサンス」と、近代の「文明社会」が生まれたとも言えます・・・キリスト教会にとっては、肝心の「神」との「結婚」の方は、あまり上手く行かなかったようで・・・現在は、別居中か?、離婚したのか?・・・和解は有るのか・・・? -
身廊 ノートルダム教会
「アリストテレス」は、「プラトン」の弟子ではありますけれど、感覚的な現実世界を「混沌」とみなし、超越的で、アプリオリな「イデア」を想起する師匠とは異なり・・・「感覚」によって知覚される、この「現実」の世界は・・・人間が、どれほど、他の世界を欲しようとも、人間が存在することの出来る唯一の場所であり・・・それ自身の内に「理解の可能性」と「価値」を含んでいると、確信していたとか・・・・但し、外面に現れているものは、当てにはならず、「真実」は、常に「隠されており」、人間の知恵は、その隠された、事物の本姓を探り当てるためにあるという点では、師匠「プラトン」に、同意していたとか・・・
因みに、参考文献は、リチャード・E・ルーベンスタイン著「中世の覚醒」(アリストテレス再発見から知の革命へ)、紀伊国屋書店より・・・ -
ノートルダム教会
教会の角に彫られている「フクロウ」の彫刻、「幸福のフクロウ」と言うのだそうなのですけれど、みんなが触っていくので、ツルツルになってます・・・「幸福」はもう、在庫切れかも・・・?・・・因みに、キリスト教会では、こうした「迷信」を信じることは「罪悪」ですので、本来は「告解」すべき対象と成るはずなのですけど・・・・それにしても、ツルツルですね・・・キリスト教と言うのは、「アリストテレス」に限らず、いざとなったら、何でも飲み込む・・・相当に融通無碍な宗教だったのですね・・・ -
ノートルダム教会
教会の天井に「時計台」が有ります・・・有名らしい・・・?
考えてみれば、イタリアの「ルネサンス」において、ローマ教会が果たした役割は、小さくないし、何故、メディチ家のレオ10世が、ミケランジェロやラファエロを保護し、支援したのかの「謎」も、こうした「キリスト教」と「アリストテレス」との「結婚」と言う文脈で見たとき、頷ける気もしますし・・・逆に、「宗教改革」と言われる、ルソーやカルヴィンの、プロテスタンティズムが、常に「宗教原理主義」の匂いを放ち、後の「魔女裁判」の悲劇を、何故引き起こしたか・・・また、そのプロテスタントによって、築かれたはずの「アメリカ合衆国」に、何故「宗教原理主義」と「反知性主義」が、常にはびこるのか・・・アメリカと言うのは、いわば、「離婚」した、「神」と「科学」か、今も、係争中の国家だと考えれば、納得がいくかも・・・ -
ディジョン
大公宮殿の裏庭にあった、多分「フィリップ善良公」の像、百年戦争時代には、フランス王・シャルル7世や、ジャンヌ・ダルクにとっては、敵役ですけれど、「ブルゴーニュ公国」にとっては、最盛期の公爵様で、民生にも力を発揮したのだとか・・・顔つきは、何と言うか、ちょっと、世界最良の「福祉国家」を作り上げていたと言われる、リビアの「カダフィ大佐」に似てますね(ワタクシはカダフィが好き)・・・石油利権を狙う、アメリカやフランスに、その国家を無茶苦茶にされてしまったけれど・・・理性のある人は、顔つきも似るのかも・・・悪相そのものの「J・W・ブッシュ」とか、キング牧師の「物まね芸人」として有名な「バラク・オバマ」の人相とは、大違い・・・
因みに、「ディジョン」の街が、ブルゴーニュの首都となったのは、1031年、ブルゴーニュ公・ロベール1世が公国の首都を、この町に定めたことに始まるのだとか・・・ -
Palais des ducs de Bourgogne ディジョン
こちらが、その「ブルゴーニュ公の宮殿」・・・ -
大公宮殿 ディジョン
見た感じは、何となく、ヴェルサイユ宮殿にも似てますね・・・これは、「ブルゴーニュ公国」の時代(1363年から1477年)の建物では無いのでは・・・?旧ブルゴーニュ公宮殿/フィリップ善良公の塔 城・宮殿
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イチオシ
大公宮殿 翼廊 ディジョン
Wikiで確認したところ、もともとの宮殿は、14世紀に出来たものだそうですけれど、現在の建物の多くの部分と、宮殿前の「開放広場」は、17世紀のルイ14世時代に、建て替えられたのだとか・・・まあ、納得。 -
大公宮殿 ディジョン
現在、中には「市役所」と「美術館」が入ってるのだそうです・・・旧ブルゴーニュ公宮殿/フィリップ善良公の塔 城・宮殿
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Place de la Liberation ディジョン
宮殿前のこの「広場」は、「開放広場」と言って、18世紀に造られたものなのだとか・・・確かに、開放的で、明るい広場です・・・天気も良いし・・・ -
イチオシ
ディジョン
「リベルテ通り」だったと思う・・?・・ディジョンで一番、華やかで賑やかな、メインストリートです・・・ -
リベルテ通り ディジョン
金の獅子の「旗」が翻ってます・・・「紋章」には疎いのですけど・・・ブルゴーニュ家に縁のある「紋章」でしょうか・・・? -
リベルテ通り ディジョン
街並みとしては、このあたりが一番立派・・一つ一つの建物も立派です・・・ -
旧市街 ディジョン
ブルゴーニュらしい、派手な模様の屋根が見えます・・何と言う「模様」なのでしょうね・・・? -
Rue des Forges ディジョン
民家らしき建物も並んでます・・・ -
Cathedrale Saint-Benigne de Dijon ディジョン
「サン・ベニーニュ大聖堂」・・・1280年より100年以上かかって建てられた、「ゴシック様式」の大聖堂・・・地下には、「メロヴィング朝」時代(511年)の「クリプト」が、有るそうです・・・因みに「サン・ベニーニュ」と言うのは、紀元179年、この「ディジョン」の地で、殉教して果てたと伝えられる「カソリックの聖人」。サン ベニーニュ大聖堂 寺院・教会
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サン・ベニーニュ大聖堂
入口゜タンパン」に描かれた「サン・ベニーニュの殉教」の図(上)・・・とてもリアルに描かれています・・・たぶん、それほど古くはない模様・・・ -
サン・ベニーニュ大聖堂
身廊です・・・まあ普通・・・ -
Crypt 地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂 ディジョン
この教会の魅力は、上よりも、治下の、メロヴィング朝時代の「クリプト」にあるようです・・・モザイクの床が、まず目に入ります・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
「クリプト」は、クローヴスの時代(511年)に、発見された「聖ベニーニュ」の遺体を置くために、作られたものなのだそうです・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
ソコソコ大きな「クリプト」です・・・突き当りは、「サン・ベニーニュ」の聖遺物が収められているのかも・・・? -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
「クリプト」内の回廊・・・所々に「石棺」らしきものが、転がってます・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
こちらにも・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
クリプト内の「礼拝所」・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
まだ現役で使えそう・・・秘密の儀式でも、やってそうです・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
なかなか、見ごたえのある「クリプト」ですね・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
「クリプト」の天井・・・何処に抜けてるのでしょう・・・?サン ベニーニュ大聖堂 寺院・教会
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イチオシ
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
「クリプト」内の「柱頭彫刻」・・・メロヴィング朝時代よりは、多分もっと後の時代なんでしょうね・・・ -
地下納骨堂(クリプト) サン・ベニーニュ大聖堂
「ロマネスク」の時代ほど、キリスト教的でもないし、様式化されているようにも見えない、かなり素朴な「柱頭彫刻」・・・「プレ・ロマネスク」と言われる部類に入るのかも・・・? -
地下納骨堂(クリプト) サン・ベニーニュ大聖堂
これもかなり「ワイルド」・・・ -
地下納骨堂 サン・ベニーニュ大聖堂
かなり古い、各地の「クリプト」で、ときどき見かける「柱頭彫刻」・・・彫りかけて、途中で止めてしまったようにも見えます・・・ -
地下納骨堂(クリプト) サン・ベニーニュ大聖堂
これもそうですね・・・完成品なのかどうかは「不明」・・?・・ でも、とても面白い、見ごたえのある「クリプト」でした・・・
町の印象 ★★★★★ その気で観光すれば、もっともっと、見どころがいっぱいの街だと思います・・・もう、一泊くらいしても良かったかも・・・でも残り二週間を切りましたし、まだまだ行きたい町や村が有るので・・・「ディジョン」は、これで御仕舞。 -
Camping du Lac ディジョン
町はずれの「キャンプ場」11.32ユーロ、観光地なので、少し高めですね、ほぼ満員でした・・・近くに「湖」が有るらしい?・・・とは言っても、フランス語の「Lac」は、タダの「水溜り」の場合も多いです。
本日の走行距離 75.5km/累計3,645.5km 明日からは、いよいよ、ブルゴーニュの本番・・・「フランスの美しい村」137ヵ所目「シャトーヌフ」から「ポーヌ」を目指します・・・
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この旅行記へのコメント (11)
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- wiz さん 2016/08/02 18:01:16
- Renaissance du 12 siecle
- Bonsoir、ももんがあまんさん!
オーセールの方のスレッド、すごく長くなってしまいましたけど、色々ありがとうございま〜す。 元ネタは○○とは分かっていても、私の場合、元ネタの真髄に今一歩なので・・ そのへんを深めたいところですが・・。。 ^ ^;
ところで、「中世の覚醒」が参考文献・・と書かれた箇所は、ディジョンの旅行記にありましたね〜。 たしか(オーセールから)数冊前・・6〜7冊位前の旅行記だった記憶、でしたが・・ディジョン編でしたね! というわけで、もう1度探し読み直してみました!
ももんがあまんさんのこの旅行記を初めに読んだ時も、一番印象に残っていたのは、“ 「アリストテレス」と「神」との「結婚」 ”、という部分、だったのですが・・、 ちなみに・・ 私の本では・・ “ スコラ哲学(とくにトマス・アクィナスのそれ)は「アリストテレス」と「キリスト教」の「総合」といわれる ”・・ でした。 言葉による読者への印象付けは、ももんがあまんさんが書かれた本の方が大きいですね〜。 ^ ^
で、私の本、とは、以前から持っていた本なのですが、昭和時代の放送大学実験番組という番組をもとにしてできた本だそうで、「西欧精神の探究−革新の十二世紀」という本なのですが、各分野ごと(当時の)著名な先生が担当部分を書かれていて、伊東俊太郎氏が担当の科学の部分、「近代科学の源流(12世紀ルネサンス)」の部分を、科学というだけで、なんだか難しそうで、しっかり読んでいなかったんですね〜。 それで、その部分(他、今道友信氏による「大学と学問」、皆川達夫氏による「音楽」など)を、今回読み直してみました。
ヨーロッパの「知的精神の持ち主たち」が、アラビア文化はじめ、異国の先進文化を消化吸収しようと「12世紀知的回復運動」した拠点の場所となったところは、?トレドを中心とする南スペイン、?パレルモを中心とするシチリア島、?ピサやヴェネツィアという都市を中心とする北イタリア、の3つの地帯があり、この3つの地帯が、西欧の「12世紀ルネサンス」を生み出すルートになったそうですが・・ トマス・アクィナスのアリストテレス研究は、ビザンツから北イタリアに送られた写本がラテン語訳されたもの(ムールベーケのギョームによってギリシア語からラテン語訳されたアリストテレスの全著作)、がもととなっている・・っぽい・・ですね。
12世紀、ギリシア科学や哲学の回復運動は着々進行・・ やがて13世紀になると、単なるギリシア・アラビアの学術の移入だけでなしに、その上に立って、今度は西欧独自なものをつくり上げた・・ アラビア文化の受容とギリシア文化の復活・・12世紀ルネサンスに据えられた知的基盤は、近代科学の形成に大きく貢献している・・。 しかし、一方で、今日の、生態学的危機、環境破壊などは、もとをただせばキリスト教的自然観(近代西欧科学を生み出した自然観)に根ざしている・・ という考えもあるようですが・・ そういえば、このことは、青山先生が放送大学の番組でも言っていたような・・ と、思い出しました。。
wiz
- ももんがあまんさん からの返信 2016/08/03 02:16:54
- RE: Renaissance du 12 siecle
- Bonsoir、wizさん!
> 12世紀、ギリシア科学や哲学の回復運動は着々進行・・ やがて13世紀になると、単なるギリシア・アラビアの学術の移入だけでなしに、その上に立って、今度は西欧独自なものをつくり上げた・・ アラビア文化の受容とギリシア文化の復活・・12世紀ルネサンスに据えられた知的基盤は、近代科学の形成に大きく貢献している・・。
> しかし、一方で、今日の、生態学的危機、環境破壊などは、もとをただせばキリスト教的自然観(近代西欧科学を生み出した自然観)に根ざしている・・ という考えもあるようですが・・ そういえば、このことは、青山先生が放送大学の番組でも言っていたような・・ と、思い出しました。
そうですね・・・ポイントは「今日の、生態学的危機、環境破壊などは、もとをただせばキリスト教的自然観(近代西欧科学を生み出した自然観)に根ざしている」と言う考え方ですよね・・・これがホントなのかどうか、良く言われることですけれど、ワタクシは疑問を持っています・・・あるいは、正確ではないと考えています・・・
たとえば、ガリレオ・ガリレイが「望遠鏡」を発明して、地動説の正しさを証明した時、彼は、親友のカソリックの聖職者に、「望遠鏡」を覗いてくれるよう哀願したのだとか・・・けれど、その親友の聖職者は、ガリレオに対して、こう言ったと伝えられています・・・「君の言う事は、きっと正しいのだろう、けれと私は、聖職者であり、アリストテレスの、<絶対無誤謬>を信じる」と・・・また、「中世の覚醒」の中で、著者はガリレオの言葉として「もし、アリストテレスが今生きていたら、私の望遠鏡を覗くだろうし、自分の天動説を、喜んで修正するだろう」と述べたとか・・・もし中世のキリスト教が、正しく「アリストテレス」を学んでいたとすれば、このような聖職者の言葉にはならないと、ガリレオは考えていたようです・・・・
西欧の「キリスト教的自然観」が、「今日の生態学的危機や環境破壊」の元だという考え方は、正しくも有り、正しくも無いのでは?・・・中世のキリスト教世界に受け入れられた「アリストテレス」と、アリストテレス的な「科学的態度」には、多分、天と地ほどの差が有るのでは?・・アリストテレスは読んでないですけど、そんな気はします・・・
アリストテレス自身の態度が、本来の「科学」であるとすれば、中世のキリスト教神学の中で、神格化されたアリストテレスと言うのは、言葉を変えて言えば、「科学の神格化」という事にならないか・・・だとすれば、もはや、それは「科学」ではないし・・・問題は、「科学」そのモノにあるのではなく、「神格化」の方にあるのでは?・・・ガリレオの友人の聖職者が信じる「アリストテレス」のように・・・
また、何のために「神格化」するのかという事ですけれど、それは、いわば「政治の要求」という事にならないか・・・あるいは「利益のため」・・・宗教家が、人間にしか過ぎない「イエス」を「キリスト=救世主」に作り上げるように、同じ「意図」が、「科学」にも働いていると見て、それほど、見当はずれでもないのでは・・・
本来、科学に於ける「真理」とは、常に、仮の「真理」で、新しい「事実」によって、常に修正を受け入れるものですけれど・・・過って、アインシュタインら、多くの科学者が、「原爆」を作りながらも、その「結果」と言う「新しい事実」を知るにおよび、「核兵器の廃絶」を訴えるようになったという事は、良く知られている事実です・・・謂わば、これが本来の「アリストテレス」的、理性的な「科学的態度」と言えるとすれば・・・その破滅的「事実」にさえも、目を塞ぎ、それ「原爆」をして、利用しようとするのが、常に「政治」であり、近代に生まれた「国家」と言う、新たなる「神の国」なのでは・・・それ「国家」に、「神官」のように仕え、「科学」を利用して、「生態系の危機をも顧みず、環境の破壊」に勤しんでいるのが、政治家や官僚達と言う訳なのですね・・・勿論すべては、一部の「特権者」たちの「利益」の為・・・
いわば、本来の、アリストテレスの「科学」とは、間違いを修正し、受け入れる能力も含めて「科学」なのだと思うのですけれど・・・「国家」とか「お金」と言う「新たなる神」を信奉する者たちが、「科学」を「利用」することのみを考え、そのために、都合の悪い「科学的態度」の方は、拒否するという事態に陥っているように見えます・・・この意味では、中世の「キリスト教的自然観=キリスト教的アリストテレス」による、「間違った自然観」が影響していると、言えなくもない・・・?
とまれ、「アリストテレス」さえも、己のものとして受け入れてきた、中世のキリスト教と言うものは、「聖母信仰」や「聖人信仰」等にも見られるように、その都度、異文化を吸収してきた事の歴史が有って、その上に、積み重ねられたものだと・・・そんな気がしますね・・・タマタマでは、絶対に有りませんですね・・・これは、多分、間違いないです・・・
かなり、怪しい?「自論」を披歴いたしましたけれど・・・悪しからず・・・無理して読まなくても、いいですのでね・・・ハハ・・・長すぎるし・・・
by ももんがあまん
- wiz さん からの返信 2016/08/03 08:19:19
- RE: RE:
- ももんがあまん、Bonjour!
真夜中にありがとうございま〜す!
ちゃんと全部読みましたよ〜。 ^ ^
> 西欧の「キリスト教的自然観」が、「今日の生態学的危機や環境破壊」の元だという考え方は、正しくも有り、正しくも無いのでは?・・・
私もそう思います。 なぜ?という原因を探ろうとすると、ある側面から見れば、これは西欧の「キリスト教的自然観」が原因だ、という考え方にもなるけれど、結局、それだけではなく、重層的な原因がありますよね。
こちらこそ・・ めんどくさいメッセージにレスを付けて頂き、感謝です!
wiz
-
- NOAHさん 2016/07/07 02:06:10
- U^エ^U
- ももんがあまんさん、こんばんは。
そのわんこはバーニーズマウンテンドッグという、その名の通りスイス原産の山岳犬です。
最近は日本でもわりと見かける犬種ですが、スイスに近い地域で見るのがやはりいいですね。
海外へ行くと道行くお散歩犬の顔ぶれが日本と違って、その土地原産・土着の犬と出会えるのも旅の楽しみの一つだと思います♪
NOAH
- ももんがあまんさん からの返信 2016/07/08 20:40:59
- RE: U^エ^U
- 今晩は、NOAHさん。
有難うございま〜す、「バーニーズマウンテンドッグ」なんですね・・・追記で、書いておきます。
それにしても、無茶苦茶、可愛かったです・・大人しいし・・また、飼いたい犬が、一匹増えてしまった・・・ペット禁止のマンションなので・・・無理だと思うけど・・・悲しい。
by ももんがあまん
-
- wiz さん 2016/07/06 08:40:53
- Dijon
- ももんがあまんさん、Bonjour!
ディジョンで一番見たかったサン・ベニーニュのクリプトの写真が最後に掲載されていて良かったです〜! サン・ベニーニュの扉口はもっと扉口(タンパン含む)があったようなのですが破壊されてしまったそうです。
ノートルダムの黒い聖母(昔はもっと黒かったそうですが近年きれいになったそうです)と有名なガルグイユもお写真で見れて良かった!
ペスムでは川の方からの写真が撮れなくてちょっと残念でしたね・・。
wiz
- wiz さん からの返信 2016/07/06 08:43:16
- RE: Dijon
- ももんがあまんさん、訂正です^ ^;
サン・ベニーニュはもっと古い扉口(タンパン含む)があったようなのですが破壊されてしまったそうです、が正しいです。 (1回書いたのを書きなおしたら変な文章になってました〜。)
- ももんがあまんさん からの返信 2016/07/06 17:56:26
- RE: Dijon
- Bonjour! wizさん。
> ディジョンで一番見たかったサン・ベニーニュのクリプトの写真が
最後に掲載されていて良かったです〜!
ご期待に添えて、嬉しいで〜す・・・ハハ・・・
> サン・ベニーニュの扉口はもっと扉口(タンパン含む)があったよう
なのですが破壊されてしまったそうです。
そうでしょうね・・・入口の「アーケード」部分は、もっと後年に、作り直されたものなんでしょうね・・・
> ノートルダムの黒い聖母(昔はもっと黒かったそうですが近年きれい
になったそうです)と有名なガルグイユもお写真で見れて良かった!
単に、汚れていて「黒い聖母」って呼ばれていただけなのかも・・・あんまり、黒くなかったですもんね・・ハハ・・・
> ペスムでは川の方からの写真が撮れなくてちょっと残念でしたね・・
これは、大失敗・・不注意でした・・まあ、良くあることではありますが・・ハハ・・・
by ももんがあまん
- wiz さん からの返信 2016/07/06 19:17:41
- RE: RE: Dijon
- ももんがあまん、Bonsoir!
参考まで・・、 ちょっとネットで探してみましたら、次のサイトの最後の方にサン・ベニーニュにあった一部のタンパンの写真(「四福音書記者の象徴に囲まれたキリスト」と「最後の晩餐」)が載っていました! (現在はディジョンの考古学博物館蔵) その他、デッサンでしか残っていない破壊された「聖ベニーニュの殉教」他のタンパン等もあるのですが・・それは、マールの本でそのデッサンが載っていました・・。
そういえば、ももんがあまんさん、サン・ベニーニュのクリプトの「葉人間(グリーンマン)Un personnage surgit d’un feuillage」の柱頭彫刻の写真は撮られませんでしたか?!
http://www.bourgogneromane.com/edifices/dijon.htm
この後、美しい村、最近では映画でも有名な、フラヴィニー・シュル・オズランへ行かれると思いますが、フラヴィニーもクリプトが有名ですよね・・ ももんがあまんさんの写真を楽しみにしています^ ^
wiz
- ももんがあまんさん からの返信 2016/07/06 20:08:51
- RE: RE: RE: Dijon
- Bonsoir! Wizさん。
> そういえば、ももんがあまんさん、サン・ベニーニュのクリプトの
「葉人間(グリーンマン)Un personnage surgit d’un feuillage」
の柱頭彫刻の写真は撮られませんでしたか?!
>
> http://www.bourgogneromane.com/edifices/dijon.htm
拝見しました・・ディジョンの博物館、面白かったのですね・・・まあ、当然でしょうけれど・・・予定してなかったので、完全に見逃しました・・・中々、素晴らしい「グリーンマン」・・・残念ながら、見逃しました・・・見つけていたら、絶対に。写真に撮ってます・・・残念!
あの、彫りかけのように見える「柱頭彫刻」・・・祈りの姿勢だったのですか、知らなかったです・・・それでも、彫賭けに見えますけど・・・ハハ。
> この後、美しい村、最近では映画でも有名な、フラヴィニー・シュ
ル・オズランへ行かれると思いますが、フラヴィニーもクリプトが有
名ですよね・・ ももんがあまんさんの写真を楽しみにしています^ ^
う〜ん・・・「フラヴィニーのクリプト」・・・見逃したようです・・・ご期待に副えず・・・・教会は見たけど・・・残念無念・・・
by ももんがあまん
- wiz さん からの返信 2016/07/06 21:38:48
- RE: RE: RE: RE: Dijon
- ももんがあまんさん、Merci!
> > http://www.bourgogneromane.com/edifices/dijon.htm
>
> 拝見しました・・ディジョンの博物館、面白かったのですね・・・まあ、当然でしょうけれど・・・予定してなかったので、完全に見逃しました・・・中々、素晴らしい「グリーンマン」・・・残念ながら、見逃しました・・・見つけていたら、絶対に。写真に撮ってます・・・残念!
> あの、彫りかけのように見える「柱頭彫刻」・・・祈りの姿勢だったのですか、知らなかったです・・・それでも、彫賭けに見えますけど・・・ハハ。
そうなんです、上のサイトに書いてあるとおり、「オラント(祈る人)」、とどこかの本で見た記憶・・^ ^ グリーンマン良いですよね! ここのクリプトの空間とそこにある彫刻も、土俗的というか呪術的な感じがして、写真を見ているだけでもちょっとおもしろいです。
> う〜ん・・・「フラヴィニーのクリプト」・・・見逃したようです・・・ご期待に副えず・・・・教会は見たけど・・・残念無念・・・
あぁぁ・・そうなんですね・・ でも、もしかしたら、(一般人が)見れない部分かも・・? ちょっとそこは私も調べてないのですが・・^ ^; ポワチエのサン・ティレールとか、サン・サヴァンとかも、本来クリプトがあるけれど、現在普通は入れないようになっていることもあるので・・ もしかしたらそのパターンもあるかもしれない・・かも???
wiz
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