2016/05/01 - 2016/05/03
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Keiichi Fukudaさん
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渋谷は、その地名からも分かるように、渋谷川の谷の町。山手線の内側には宮益坂、外側には道玄坂と、まわりを丘に囲まれ、その真ん中の谷を、渋谷駅周辺では明治通りに沿って、渋谷川が恵比寿から天現寺、そこから古川と名前を変えて、麻布十番、芝へと流れています。ここ渋谷では、渋谷川はいくつも支流に分かれ、かつて(江戸後期から明治、昭和初期まで)そこにはたくさんの水車がかけられ、その数は最盛期の明治末期で40をこえていたそうです。そして、それらの川の上流部の丘の上には、1653年に開削された玉川上水とその分水が流れ、その水もそれぞれの川に落とされて、水車の動力となる落差に水量を増やしていました。でも、都会化が進む中、田んぼや水車がなくなったのはもちろん、ほとんどの川は暗渠となり、その痕跡を探すことも難しくなっています。今回は、そんな水車の町、渋谷の川、用水の痕跡を訪ねる「水の旅」をしてみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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集合地点は、ハチ公前。日本で最も有名な待ち合わせスポット。ハチ公の人気はいまだ衰えず、多くの人がハチ公と記念写真を撮っていました。渋谷は谷ですから、地形的は窪地、だから古い地下鉄(銀座線)は、外に出てきて3階を走ることになります(すぐに青山の丘にぶつかって、そこからは地下鉄になります)。
忠犬ハチ公像 名所・史跡
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スクランブル交差点を渡って、センター街に入ります。実は、この道がすでに川の痕跡。渋谷川の支流、宇田川の上なのです。だから、しばらくいくと宇田川町ですよね。
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しばらく行くと、ホントに川の痕跡。宇田川、遊歩道です。宇田川も自然の川ですから、交差する道を見ると、どちらも坂になっていて、この遊歩道が一番低い谷に沿っていることがよくわかります。記録によると、このあたりにも水車が一つかかっていたというのですが、その痕跡は見つけられませんでした。
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宇田川遊歩道を歩いて行くと、電信柱にこんな表示が。実はあの童謡「春の小川」の「春の小川は、さらさら行くよ。岸のすみれや、れんげの花に、…」の歌詞は、ここの上流の風景をモデルに、高野辰之が作詞し、1912年に文部省唱歌として発表されたのだとか。このあたりも田んぼが広がっていたのでしょう。
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宇田川遊歩道で井の頭通りを渡ると、右手に入っていくゆるやかにカーブを描く路地が、これも川の跡に違いない。たぶん「春の小川」のベースになった宇田川の支流、河骨(コウホネ)川の跡でしょう。
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やはりその道は河骨川。小田急線の線路端に「春の小川」歌碑を見つけました。すぐ近くの代々木公園の緑はきれいだけど、田んぼが広がっていたとは… 。と思ううちに、レールの上を小田急ロマンスカーが通過して行きました。
春の小川の歌碑 名所・史跡
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すぐ近くに子どもがどろんこ遊びのできる、はるのおがわプレーパークという公園がありました。田んぼのどろんこが連想されているのでしょうか。
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代々木公園駅からメトロ千代田線に乗って、外苑前へ。今度は、渋谷川本流の上流部をめざします。外苑前駅から表参道は下り坂。川があるとすれば、その坂をおりきったところです。ありました。これが渋谷川(このあたりでは隠田川)の川すじ。やはりここでも、上は遊歩道になって竹下通りに向かっています。ここが川だったんだなんて、周りのお店に来ている若者たちは相像もしていないのでは… 。
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ここ周辺をかつて「隠田」と言い、ここにも水車がかかっていました。その水車は、葛飾北斎の「富嶽三十六景」にも登場しています。このコースをつくるにあたり参考にした渋谷歴史散歩の会発行の渋谷「散策マップ?3」によれば、水車の模型が近くの神宮前小学校校庭に復元されている、とのことで、小学校に行ってみたのですが、どうも校庭は中庭になっているようで、祝日でもあって中には入れず「見ることが着ないなぁ」と思っていたら、思わぬ所に水車を発見。神宮前小学校の校章が水車のようで、門やフェンスにこのマークが見られました。
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表参道に戻ると、交番の脇に「隠田の水車」の解説が、北斎の「富嶽三十六景」と併せて書かれていました。
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原宿駅近くの太田記念美術館にも寄りました。ここは浮世絵の美術館。残念ながら「隠田の水車」は見られませんでしたが、歌川広重の「東海道五十三次と富士三十六景」の特別展が行われており、「富士三十六景」には、玉川上水沿いに植えられた「武蔵小金井」の桜が展示されていました。
太田記念美術館 美術館・博物館
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原宿駅から山手線で、恵比寿に向かいます。渋谷周辺で一番多く水車がかかっていたのが、渋谷駅から恵比寿駅にかけての渋谷川や、代官山を通る玉川上水・三田分水からおちる猿楽用水などの用水路です。その水車は、粉ひきをはじめ、糸を撚る撚糸、鉛筆の芯になる黒煙の粉砕など、さまざまな工場の動力源になりました。そしてそれらから、渋谷周辺は明治期から工場地帯となったようです。その中でも最も大きくなるのが、ヱビスビールの工場。その跡をたどろうと、山手線を恵比寿に向かいます。
原宿駅 駅
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恵比寿ガーデンプレイス。ここは、1887(明治20)年に、日本麦酒醸造会社(のちのサッポロビール)の工場として、ヱビスビールを造り始めたところ。工場内の貨物専用駅から、恵比寿駅ができました。恵比寿でつくったからヱビスビールなのではなく、ヱビスビールの工場にあったから恵比寿駅なのです。都市化により1988(昭和63)年、工場は郊外に移転し、閉鎖。1994年に、サッポロビール本社をはじめ、三越、他の商業施設やオフィスなどを含めた「恵比寿ガーデンプレイス」としてオープンしました。
恵比寿ガーデンプレイス 名所・史跡
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ガーデンプレイス入口のところで山手線を渡るのがこの恵比寿南橋。これも渋谷歴史散歩の会「渋谷散策マップ」?6によれば、ニューヨークのアメリカ橋梁会社が1906(明治39)年に製造したモノで、通称「アメリカ橋」とのこと。ヱビスビール工場も、代官山から続く三田用水の水を使っていたため、この橋の北側に山手線を渡る送水管があったのだとか。
恵比寿ガーデンプレイス 名所・史跡
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ヱビスビール記念館の入口。本社ビルの1階と地下の部分かな。
恵比寿ガーデンプレイス 名所・史跡
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ガーデンプレイス内のヱビスビール記念館の絨毯。おみごと。
恵比寿ガーデンプレイス 名所・史跡
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記念館には、昔の工場の写真やビールのポスターなどが展示され、その解説を聞けるガイドツアーも準備されています。今回は、展示を見て、ミュージアムショップで記念グッズを買いました。
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ヱビスビール発売当初のポスター。列車の帯に「FIRST」とありますから、1当社に乗れる人しか飲めない高級品だったようです。それが、大正から昭和初期に都市から大衆化してゆきます。当然ポスターも変化して…
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でも、美しい女性が入っているのは変わりませんね。
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さて、いろいろ歩いて、見て、おなかも減ったし、のども渇いた。当然、ヱビスビールでしょう。記念館で聞いたら「ビアステーションがいいでしょう」というので、さっそくそちらへ。GW中ですから少し待ちましたが、そろってランチプレートとビルで乾杯。
恵比寿ガーデンプレイス 名所・史跡
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マークの入ったジョッキで乾杯。
恵比寿ガーデンプレイス 名所・史跡
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「渋谷散策マップ」?6によれば、アメリカ橋を渡った山手線の線路沿いに、三田用水(玉川上水・三田分水)の貯水池跡があるとのこと。これがなかなか見つかりません。地元に方に聞いたところ「自動車学校のフェンスの植え込みの中に説明板があるはず」とのこと。見つけました。最後は、戻ってきたビール瓶を用水の水で洗っていたのだそうです。
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これは、3日の散歩のきっかけともなった玉川上水の終点を訪ねて出かけた四谷大木戸の玉川上水碑。ここで余った水も、新宿御苑脇の余水吐の水路を通して渋谷川の上流に流されました。
四谷大木戸跡 名所・史跡
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