2016/04/10 - 2016/04/14
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しんちゃんさん
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沖縄観光スポットとしてまず真っ先に思い浮かぶのが、首里城かと思いますが、悲しいことに16年前に1度見学しているのに、ツアーでさぁーっと廻った為かボケ気味か?守礼門と正殿の紅い建物ぐらいしか記憶がありません。で、今回は時間にとらわれず記憶に残るように(笑)広大な国営公園をゆっくり見学したいと思います。
*******
約500年続いた琉球王国の政治や文化外交の場所であった首里城
沖縄県内最大規模の城(グスク)です。
戦前は正殿などが国宝に指定されたが、1945年沖縄戦で建造物はすべて焼失。1958年に守礼門が再建されたのをきっかけに再建の機運が高まり1972年の日本復帰後、歓会門やその周辺の石垣なども復元。 その後本格的な発掘調査や正殿や周辺の門などの復元作業が始まり、1992年(平成4年)やっとほぼ今の状態にまで再建されて首里城公園としてオープンされました。
2000年(平成12)には「園比屋武御嶽石門」「首里城跡」が世界遺産に登録されました。現在でも正殿裏に当たる部分の調査、復元がすすめられています。
*****では、拙い旅行記ですが、お付き合い頂ければ嬉しく思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス JALグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「ゆいレール」美栄橋駅で1日乗車券700円を買い乗車。終点の首里駅で下車。
生憎の小雨が降る天候で、路線バスで首里城公園へ行く事にしました。
天気が良ければ、首里城までぶらぶら歩いて行っても15分ぐらいしか掛からない距離ですが・
バスの本数はそう多くはないのですが、運よく直ぐ来ました。 -
さぁ〜 首里城公園にやって来ました♪
「一緒に記念写真どうですか?」 ゴメンナサイ、先を急ぎますので。。。
と、待機されている琉装の美しい女性に目で伝え・・・ -
まず最初に目に付く守礼門
美しい中国風の門で、2000年の記念紙幣2千円札の絵柄でおなじみ。
16世紀に初めて建立され、現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもの。 -
赤瓦の門に掲げられている「守禮之邦」とは、
「琉球は礼節を重んじる国」という意味です。 -
園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は、守礼門そのすぐ近く順路の左側沿いに石門があり、奥が小さな茂みになっている場所です。
琉球国王が旅に出る時に必ず拝礼した重要な場所だそうです。 -
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)も、第二次世界大戦でかなり破壊されていたのが1957年に修復され2000年に世界遺産に登録されました。
琉球の石建造物の代表的なもの。 -
園比屋武御嶽から緩やかな坂を上っていくと、首里城へ入る第一の正門の歓会門に出ます。
首里城は外郭と内郭により二重に囲まれているが、ここは外郭の最初の門で、
別名「あまえ御門(あまえうじょう)」ともいう。
「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味するそうです。
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創建は1500年頃(尚真王代)で、大戦で焼失したが、1974年(昭和49)に復元
門は石のアーチ状の城門の上に木造の櫓(やぐら)が載せてあり、紅く色が塗られていないので古めかしく風格を感じます。
門の両側には石で出来た魔除けの役割を担うシーサーが立っています。 -
歓会門を入った所に居られる・・・案内人かな
快く撮影Ok -
そのままゆるい階段を上がっていくと少し急になり、右脇の少し下がった所に龍の口から流れ出る湧き水があります。
龍樋(りゅうひ)と名付けられ、王宮の飲料水として使われたそうです。
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龍の彫刻は1523年当時中国から持ち帰った大変貴重なもの。
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瑞泉門
双壁の門の上に直接やぐらをのせたこの門は、1470年ごろの創建
この門も戦火で全焼し復元されたもの。
瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味。 -
坂道を上って行くと、先ほどくぐった瑞泉門が見える場所に
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一般の順路通りに進まないで右に折れてから左に進むと、木曳門に出ます。
木曳門は琉球王朝時代には建築や修理修復作業に使われる資材を搬入する門。
現在は車椅子を利用する方の順路にもなっています。 -
舗装された道を上って行くと、緩やかな曲線の外郭が現れます
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外郭から右に折れてすぐに目に付くのは、西のアザナ。
西のアザナ別名「島添(しまそえ)アザナ」ともいい、往時はここに旗を立て、鐘を備えて時刻を報じたそうです。 -
標高約130mの城郭の西側に築かれた物見台から、那覇の町や那覇港の様子、そして天気が良ければ、遠く水平線上に慶良間諸島などが展望できるそうです。
城外、城内を眺望するには最高の場所ですが、メインルートに比べると圧倒的に人も少なくて静かなたたずまい。 -
西のアザナから祈りの中心の場であった神聖な聖域、京の内へ。
京の内とは霊力のある聖域という意味があり、現在は下之御庭にある首里森御獄などとともに、琉球王国の最高神女である聞得大君が神に祈った拝所です。
政治の表舞台を裏から支える聞得大君を中心とした神女達が、国家安泰、五穀豊穣などの祈りをささげたこの一帯は、知っておくべき場所かも知れません。
園内の植物はガジュマルやクロツグです。 -
奉神門
正殿のある御庭へ入る最後の城門の奉神門の前に出て来ました。
朱色に塗られた木造の門で、三つの入口が作られています。
この門は 明治時代に撤去されましたが、1992年に復元されました。 -
ここから有料区になります。
チケットは奉神門の近くにある広福門横の券売所で買います。
ゆいレールのフリー乗車券提示により、団体料金の適用で660円になりました。 -
沖縄衣装をまとった係員さん
ここでチケットのチェックを行います。 -
首里城正殿
二層三階建ての建物で、装飾化した龍柱など中国にも日本にも見かけない、
琉球の独自色を出した造りになっています。
正殿は、国王が 年間を通じて様々な儀式を行った広場
御庭にはタイル状のものが敷かれている
美しくすっごく印象に残り、唯一しっかり覚えていた建物(笑) -
正面が「正殿」、向かって右が「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」、左が「北殿(ほくでん)」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を御庭(うなー)というそうです。
-
では、正面右側の番所から入城
靴を脱いで上がった所は近習詰所でプライベートゾーンの建物です。
近習詰所は、国王とその家族を除く男子禁制の空間「御内原」と外を結ぶ場所
入り口前に吊るされた鈴を鳴らして女官を呼び出していたそうです。
江戸城の大奥のようです。 -
次に行くのは南殿と渡り廊下でつながっている書院
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書院は国王が日常の執務を行ったの執務空間
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平成21年に国の「名勝」に指定された、書院・鎖之間庭園です。
書院・鎖之間と一体をなす重要なもので、城内で唯一の本格的な庭園
松と蘇鉄とを石の間に互い違いに植え、琉球石灰岩をたくみに利用した造りになっています。 -
鎖之間は王子などの控え所であり、また諸役の者達を招き懇談する、御鎖之間(おさすのま)と言われる広間がある建物
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書院・鎖之間(さすのま)
鎖之間においては、往時の賓客がおもてなしを受けたように、琉球のお茶菓子で接待を体験。 丁寧に庭園やお菓子の説明などもして頂けます。
有料ですが、JALの機内でもらった「ちゅらナビ」に無料特典券が付いていて利用しました。 -
茶菓子は、ちんすこう、くんぺん(ごまあんの焼き菓子)、ちんるいこう(中華風蒸しカステラなどで、さんぴん茶も頂けます。
さんぴん茶は、ジャスミン茶のことで中国語がなまったそうです。
さんぴん茶は何度も何度もお替りを注ぎに来てくださリすっかり喉の渇きも癒され、30分も寛ろがせて頂きました。 -
茶托の美しい絵柄はクレマチスのようです。
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奥書院は国王が執務の合間に休息した場所
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奥書院からの庭園も心和む
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道順は一層を一回りして正殿2階に上がるようになっています。
正殿2階は、日常的には王妃や身分の高い女官たちが使用した空間であり「大庫理(うふぐい)」と呼ばれていたそうです。 -
2階の御差床(うさすか)
御差床の正面御庭側にある唐玻豊と呼ばれるスペースは、正月の儀式などに国王が椅子に座り、御庭に並ぶ諸官とともに儀式を執り行った重要な場所。 -
国王が座る玉座
背後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段がある。
部屋の上部にはかつて中国皇帝から贈られた御書「中山世土(ちゅうざんせいど)」の扁額
古い記録をもとに再現したもの。 -
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御差床の左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されている
龍をよく見ると4本爪です。中国に遠慮して爪を1本少なくしたと説明がありました。 -
柱の黒い部分の部材には、黒漆(くろうるし)に沈金(ちんきん)が施されています
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首里城模型を展示
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玉座の斜め前に、床がガラス張りになっていて下を覗きこむことができる場所があります。
触ることはもちろん、ガラス越しにしか見ることができない貴重な「首里城正殿の遺構」です。
よくも沖縄戦で破壊されることなく残った「首里城跡」!!
眺めていると悠久の歴史にしみじみとした気持ちに・ -
「首里城正殿の遺構」
中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には、高い文化的・歴史的な価値があるとされ、「首里城跡」は2000年12月日本で11番目に世界遺産に登録されました。 -
王冠も展示
実物ではない様です -
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正殿2階の小窓から見る御庭
御庭は儀式を執り行った重要な場所
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正殿2階の小窓から見る北殿
南殿同様、鉄筋コンクリート造として外観を木造で復元している。 -
正殿を出て北殿へ向います
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北殿内では、パネルなどで首里王府の位置やしくみ、冊封式典(さっぽうしきてん)などを解説し、映像による展示も行っている。
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実在した王としては、琉球王朝を誕生させた尚巴志(しょうはし)が初代の王となるが、琉球の歴史における最初の王は「天孫」と称されている。天命を受けて降臨し、琉球の島々を作ったとされ、今の沖縄に数多く残る聖地と言われる場所は、こうした神話が元になっている。
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中国の皇帝へ弟を派遣し、貢物を治めたことにより、中国との交易が認められた。この時より中国を足がかりに琉球の大交易時代が幕を開けた。
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さらに、日本や東南アジアとの貿易も精力的に行われるようになり、このころに三線、泡盛、紅型といった琉球文化の基礎が流入した。
そして国際色豊かな文化が育まれてきた様です。 -
球王国の政治、文化の中心であった首里城では、中国からの使者「冊封使」が訪れるようになり、もてなしの儀式や宴会などが催された。
御庭には「敷き瓦」というタイル状のものが敷かれているが、この色違いの列は、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていた。
中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者【冊封使(さっぽうし)】等限られた人だけが通ることを許された。
華やかで優美な首里の宮廷文化も1600年頃まで。
外部との交易で得られる利権争いによって様相が一変する。薩摩・島津藩の琉球侵入とともに、日本の実質統治下に置かれることとなった。
日本では明治維新により新政府が誕生ついに琉球王国が崩壊した。・・・この様な琉球の歴史も知ることが出来ました。 -
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展示室中央に飾られている中国風の傘は、琉球では「御涼傘(うりゃんさん)」といい、もとは日傘から発生したもので、実際は国王や高貴な人が行幸するときの装飾用として使われたもの。
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化粧室の中にもシーサーが・
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北殿を出て帰路に
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淑順門(しゅくじゅんもん)は国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門です。
建物の創建年は不明とされ、2010年(平成22年)に復元されたもの。 -
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現在でも正殿裏に当たる部分の調査、復元がすすめられています。
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守礼門に着きました。見学はこれにておしまい。
思いが叶い再訪できたことが事がとても嬉しかったです。 -
15:20 まだまだ観光客は後を絶ちません。
私達はこの後首里城公園から歩いて数分の玉陵へ向かいます。
***続きは「玉陵(たまうどぅん)王一族の墓は世界遺産★〈6〉★沖縄本土満喫4泊5日の旅」です。
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